最前線の子育て論byはやし浩司(15)

最前線の子育て論byはやし浩司
(2400  〜  )
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最前線の子育て論byはやし浩司(2400)

●働けど、働けど……(Working Poor people)

One third of the Japanese belongs to so-called "Working Poor", who works less than 1.9 ~5.
4 million yen per year. As to the young me aged from 15~24 years old), abt. 50% of them are 
not-employed workers. The number of not-employed workers has increased abt. 4.9 million 
in these ten years. Not-employed workers work with less payment without any sufficient 
insurance. This means that Japanese traditional working system has collapsed where 
workers could work in their whole lives in one single company. To solve this problem, I insist, 
deregulation of the society is more and more important. Otherwise there would be more  
and more working-poor people, especially working-poor young men.

+++++++++++++++++

働けど、働けど……、一向に、生活が楽にならない。
そんな人がふえている。

G市に住む従兄弟(いとこ)と、電話で話す。
夫は、運送会社に勤め、妻は、銀行でコンピュータ管理の仕事をしている。
3人の子どもがいる。

夫は正規社員だが、妻は、非正規社員。
妻の身分は、10年以上、そのままだという。

従兄弟のケースは、まだ恵まれているほうだが、それでも、生活は、毎月ギリギリだという。
夫も妻も、朝から、夜遅くまで働いている。

総務省統計局の調査によれば、この97年から02年までに、いわゆるワーキングプア世帯(非
勤労世帯を含む全世帯)は、16・3から22・3%に、ふえたという。

ワーキングプア世帯というのは、「働く貧困層」をいう。

ここでいう「貧困基準」というのは、

1人世帯……年収190万円以下
2人世帯……年収300万円以下
3人世帯……年収394万円以下
4人世帯……年収463万円以下
5人世帯……年収548万円以下(2002年度)の人たちをいう。

現在、日本では、約3分の1の世帯が、そのワーキングプア層に該当するという。

が、ここで注意しなければならないことは、たとえば妻が専業主婦で、子どもが2人いるばあ
い、4人世帯となるということ。
年収が、463万円以下だと、ワーキングプア層に入ってしまう。
つまり、子どもが多ければ多いほど、生活が苦しくなる。

しかし実際、1人の男性(夫)が、500万円の年収をあげることは、容易なことではない。
正規社員はともかくも、非正規社員だと、なおさらである。年収で、約30%〜前後の開きがあ
ると聞いている(浜松地域)。

その正規社員は減り、非正規社員はふえている。同じく総務省統計局の調査によれば、この1
0年間で、正規社員は約450万人減り、非正規社員は約490万人ふえているという(IMIDA
S)。

わかりやすく言えば、企業は、正規社員を減らし、その穴埋めを、給料が安くてすむ非正規社
員で補っているということ。

しかしこんなことをつづけていれば、勝ち組と負け組の2極化がますます進む。
が、それだけではすまない。
社会そのものが、不安定化する。
子どもの世界について言うなら、ますます受験競争がはげしくなる。
ついでに言えば、それがストレスとなって、子どもたちの世界を、ますますゆがめる。

いじめもふえるだろう。
子どもの自殺もふえるだろう。
不登校児もふえるだろう。

中に、「能力のある人がいい生活をして、そうでない人が、いい生活ができないのは、しかたの
ないこと」と説く人がいる。

しかしそれには、大前提がある。

雇用の機会が、だれにも、平等に、かつ均等に与えられなければならない。
しかしこの日本では、人生の入り口で、運よくその世界へ入った人は、生涯にわたって、安楽
な生活をすることができる。
またそういう人たちが、自分が得た権益を、手放そうとしない。
公務員の天下りに、その例を見るまでもない。

何か、おかしい?
何か、へん?

総務省統計局の調査を見ると、1996年から99年あたりから、この日本は、大きく変化し始め
た。
この時期というのは、ちょうど団塊の世代以下が、リストラにつぐリストラで、職場を追われ始め
た時期にあたる。

では、どうするか?
どう考えたらよいか?
私たちの世代は、それでしかたないとして、これからこの日本を支える、これからの若者たち
のためには、どうしたらよいか?

今のように、若者(15〜24歳)の非正規雇用が、50%前後(男子44%、女子52%、06年)
にもなったら、雇用社会そのものが崩壊したと考えたほうがよいのではないか。
わかりやすく言えば、フリーターであることのほうが、今では、当たり前。

であるなら、若者たちがフリーターとして生きていくために、生きやすい環境を、用意する。
つまりそのためには、規制緩和、あるのみ。ただひたすら、規制緩和あるのみ。

たとえばオーストラリアでは、電話1本と、車1台があれば、若者たちは、それで仕事が始めら
れる。
日本で言うような、資格だの、許可だの、認可だの、そういったものは、ほとんど必要ない。

日本は世界的に見ても、管理の上に、「超」が、10個ぐらいつく、超管理国家である。
官僚主義国家の弊害と言えば、それまでだが、一方でこうして若者たちの世界を、がんじがら
めに縛りつけている。

簡単に言えば、一方でフリーターをつくりながら、他方で、フリーターには、生きにくい社会にし
ている。(そう言えば、数年前、『フリーター撲滅論』を唱えた、どこかのバカ校長がいた。「撲
滅」だと!)

これを矛盾と言わずして、何と言う。

私はそのフリーターを、40年近くしてきた。
浜松に来たころには、市の商工会議所に登録している翻訳家は1人しかいなくて、私が2人目
だった。
私は工業団地の電柱に張り紙をして、仕事を取ってきた。
資格も認可も、いらなかった。

今、そういう「自由」がどこにある?
またそういう自由があるからこそ、社会に、ダイナミズムが生まれ、そのダイナミズムが、社会
を発展させる。

働けど……、働けど……。
そんなわけで結局は、働くしかない。

ということで、言いたいこと、書きたいことは、山ほどある。あるが、ここは、「バカヤロー」と叫
んだところで、おしまい。バカヤロー!

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ア working poor working-poor)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(12月19日)(Dec. 19th, 2007)

It is my habit to change my hobbies or things I am interested in periodically. For instance I 
was interested in "You Tube" for some weeks and I was absorbed in it very eagerly. But 
after some while I lost an interest in it and then I tried to seek around things that 
interested me. Now I am interested in "Second World" and "USTREAM". With "USTREAM" 
I can have my own TV broad casting office. It may be very interesting. I would like to make 
another challenge for it this coming Sunday.

+++++++++++++++++

私には、昔から、おもしろい性癖がある。
ひとつのことを一通りすると、そこであきてしまう。
あきると、また別のものを求めて、さまよい歩く。

この性癖は、インターネット時代になってからも、変わらない。

たとえば「YOU TUBE」(動画配信サービス)に興味をもつと、ある時期、そればかりに没頭す
る。
ビデオカメラまで、買いそろえる。
しかし1、2か月もすると、それにあきる。
あきると、今度は、別のものに手を出す。

「FLASH」(HP上の動画)もそうだったし、「音声変換」(声で文章を作る)もそうだった。家庭内
LANもそうだったし、BLOGもそうだった。BLOGは勢いにのって、7〜8つも同時に出した。

今は、「セカンド・ワールド」と、「USTREAM」(動画中継)に興味がある。
「セカンド・ワールド」はともかくも、「USTREAM」は、今すぐにもできそう。

「USTREAM」を使うと、ミニ放送局ができるという。

おもしろそうだ。
今度の日曜日にでも、挑戦してみるつもり。

「こちらは、BW放送局です」
「これからワールド・ニュースの解説をしてみます」とか、何とか。
ハハハ。

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●ハズレ!

 年末に、MELMAの人気投票に応募してみた。昨日、結果が公表された。が、ハズレ! 残
念! 投票数が、足りなかったらしい。中には、投票してくれた人もいたと思うが、そういう人に
は、心から感謝! つぎの機会に、またお願いします。


●頭痛

 このところ私とワイフの間で、交互に風邪をひいている。最初は、私。治ったと思ったら、ワイ
フ。そのワイフが治ったと思ったら、今朝は、また私。今朝は、頭痛で目がさめた。

 これから朝食をとり、それがすんだら、風邪薬をのんで、また寝るつもり。インフルエンザの
予防注射を受けてから、どうも調子が悪い。これはどうしたことか?


●迷惑メール

 VISTAのウィンドウ・メールには、「迷惑メール」という、便利な機能がついている。(今まで使
ったことがなかった!)それを使えば、スパム・メール類は、自動的に処理される。

 しかし大切なメールまで、処理されてしまうことはないのか。

 そこで私は、反対に、メッセージ・ルールを使って、大切なメールについては、フィルターをか
けて、別のところに収納することにした。

 今のところ、これがうまくいっている。しばらくテストしてみて、これでよければ、迷惑メール
は、そのまま削除するようにする。これも自動的にできる。

 しかし……。私のばあい、スパム・メールだけでも、1日に、300〜500通も届く。もっと多い
かもしれない。

 そんなわけで、私あての私信は、どうか、フォームを使ってほしい。フォームは、私のHPのト
ップページから送れるようになっている。

 フォームで届いたメールは、フィルターをかけてあるので、別のフォルダーに収納される。つ
まり誤って、削除するということは、ない。

 少し頭痛がひどくなってきたので、今朝は、ここまで。

 みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●生まれながらの悪人はいるのか?(Are there born-bad men?)

Mr. U used to be a "Special Policeman", or "Gestapo" in German, during the ex-war. 
People were very much afraid of him. In those days in case when you say the name of 
Emperor of Japan without the title of honor, you were arrested and put into the Jail 
without any questioning and answering. These sort of things were done by these policemen 
called "Special Policeman". But as far as I know him, he was a very kind and gentle man 
and sometimes he invited me to his house for dinner. I couldn't believe what other people 
said about him. There is a saying in Japan, "Uniforms makes the Man." I mean there are not 
born-bad man nor born-good man. People are made to be a good man or a bad man in his 
or her environment where he or she has been raised up. It is quite so, too, about young 
boys and girls. I remember a boy whose name was G. Here I write about him. By the way Mr. 
U died quite recently, so did I hear.

++++++++++++++++

U氏……先日、そのU氏が亡くなったという話を聞いた。
私がU氏を知ったのは、私がこの浜松へ来て、まもなくのころのことだった。
U氏はそのころ、すでに50歳に近かった。
戦時中は、「Uさんの顔を見ただけで、みな、顔が青ざめました」と。
「特高」と呼ばれる警察官で、情け容赦ない、冷酷な人として知られていたという。
そんな話を、しばらくしてから、別の男性(当時、60歳くらい)から、聞いた。

「特高」……ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

「特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、大日本帝国憲法下の日本で、共産主義のほ
か、すべての反政府的言論・思想・運動を弾圧した秘密警察。通称は「特高警察」(とっこうけ
いさつ)・「特高」(とっこう)。自らの公務の残虐性に疑問を持たない、異常体質を有していた」
と。

この中にも、「異常体質」という言葉が見られる。
戦時中は、「特高」という言葉を聞いただけで、みな、震えあがったという。
「天皇」と呼び捨てにしただけで、逮捕、投獄された。
そんな話を、私も、子どものころ、よく聞いた。

が、そのU氏は、私が知っている範囲では、おだやかで、やさしい人だった。
何度か、自宅に招かれ、食事をごちそうになったこともある。

『人は、制服によって作られる』と、よく言われる。
制服を着たとたん、その人はその人でなくなり、反対に、制服をぬいだとたん、もとの人に戻
る。

U氏も、そんな人ではなかったか。
つまり根っからの悪人はいないし、同時に、根っからの善人もいない。

言いかえると、人の善悪を決めるのは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスでしかない。
神性がより強ければ、善人になり、悪魔性がより強ければ、悪人になる。
その神性や悪魔性を引き出すのは、「環境」ということになる。
U氏のばあいは、「制服」だったということになる。
あるいは「戦争」という異常な環境だったかもしれない。

このことは、子どもの世界を見ていると、わかる。

少し話がそれる。
この40年近いという長い年月、私は幼稚園の年中児から高校3年生まで、教えてきた。
年中児から、高校3年生までの、18年間、である。

ほとんどの生徒は、そのまま(まっとうな道)を進んだが、しかし数は少ないが、犯罪者の道を
歩むようになったのもいる。
印象に残っている子ども(男児)に、G君(小2)という子どもがいた。

学校でも、どうしようもないほどの暴れ者で、ほかの子どもや先生にまで、よくけがをさせた。
そのため、クラスどころか、学校でも嫌われた。
小4になるとき、「よりきめのこまかい指導ができるように」という、理由にもならないような理由
をつけられ、隣の大規模校へ転校させられた。

G君は、その学校でも、暴れた。つっぱった。みなに、嫌われた。
が、母親には、その認識がなかった。
ないばかりか、いつも「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちが悪い」と言っていた。

そう言いながら、その一方で、母親は、はげしい体罰をG君に繰りかえしていた。
父親はいたが、週に、1、2度しか、家に帰ってこなかった。

こうしてG君は6年生になったが、そのころになると、体格は、母親より大きくなり、母親の手に
負えなくなった。
G君は、ますます学校で暴れた。

授業中にバスケットボールを、壁に当てて遊ぶ。
友だちの机をつぎつぎと、ひっくり返して逃げる。
授業中に、自分だけうしろの通路にすわって、マンガの本を読む、などなど。

しかし家では、つまり母親の前では、母親が言うには、「ふつうの子ども」だった。
また父親の前では、借りてきたネコの子のように、おとなしかったという。

G君は、私の教室には、中学2年まで来た。
私はG君のために、2人だけのクラスを用意して、対峙した。
が、毎回、とっくみあいのレスリングばかりしていた。
ほかにも、いろいろなことはしたのだろうが、記憶の中では、それしか残っていない。

こんなことがあった。

いつものように母親が、G君の前で、G君の悪口を言い始めた。
私は、それを聞いて、こう言った。
「G君は、今は、そういう状態かもしれませんが、かならず大物になりますよ。あのバイタリティ
は、かならず、いい方向に向かいますよ」「大切なことは、G君を信ずることです」「お母さんが、
見放したら、G君は、どこへ行けばいいのですか」と。

その翌週のこと。教室の掃除をしていると、そこにG君が立っていた。
「何だ?」と声をかけると、G君は、こう言った。

「先生、オレ、肩もみ、うまいんだ。先生の肩、もんでやるよ」と。
私はだまって、G君に肩をもんでもらった。

それからもG君は、ワルはワルのままだった。
教室でのレスリングも、それで終わったわけではない。
ただ、残念なことに、その直後、学校で大きな傷害事件を起こしてしまった。
同時に、私のところを去った。

そのG君のうわさを聞いたのは、それから10年もしてからだ。
どこかの飲み屋で傷害事件を起こして、警察に逮捕されたという。
今にして思えば、起こすべきして、G君は、そういう事件を起こしたようにも、思える。
が、同時に、G君は、環境の中で、もがきつづけるうちに、そうなったようにも、思える。

どこかで歯車が狂った。
最初は、ほんの小さな狂いだった。
その狂いが、時間とともに増幅され、やがて悪循環の鎖の中に入っていった。
(乱暴をする)→(嫌われる)→(ますます乱暴をする)と。
その悪循環に悪循環を重ねて、おとなになった。

G君をワルと決めてかかる環境。
無責任で、無知な、父親。
感情的で、現実を直視しようとしない、わがままな母親。
そうそう言い忘れたが、何でもG君の言いなりになってしまう、甘い、祖父母。

そんなG君だったから、G君は、いつも嫌われた。
孤独だった。
自分の顔すら、もてなかった。
だから攻撃的に出た。
その攻撃性が、悪循環に悪循環を重ね、ますますG君は、社会のスミへと追いやられていっ
た。

冒頭のU氏の話に、もどる。

U氏は環境の中で、U氏になっていった。
そして戦争が終わると、U氏は、またもとのU氏に戻った。

同じことが、G君についても、言えないだろうか。
G君は環境の中で、G君になっていった。
ほんとうのG君は、もっと別のところにいた。
ただ環境が変わるということは、G君のばあいには、なかった。
それでG君は、G君のまま、おとなになってしまった。

繰りかえすが、根っからの悪人は、いない。
同じように、根っからの善人は、いない。
悪人か、善人かは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスによって決まる。
あるいは、今、「私は善人」を自称している人の中で、「ほんとうに私は善人である」と自信をも
って言える人は、何人いるだろうか。

私はいないと思う。

もちろん精神的に病んでいる人も、悪人(?)になることがある。
新聞をにぎわす凶悪事件のほとんどは、こうした人たちによって、引き起こされる。
しかしそれは精神的に病んだからそうなっただけで、根っからの悪人というわけではない。
それにもしそうなら、その人が悪いのではなく、それは病気が悪いということになる。

だから……。

冒頭のタイトルに話が、さらに戻る。

この世の中に、生まれながらの悪人はいるのか?、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 悪人論 神性 悪魔性)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2401)

●今朝・あれこれ(12月20日)

Last night I sat up late watching news from South Korea about the Presidential Election. 
Mr. I. Myonbaku, who belongs to a conservative party won the election. The N President of 
now is so much anti-Japan, which causes vice-versa emotion against South Korea as well 
as North Korea. According to the Chosun-N (a leading Korean Newspaper), it says this 
morning, "USA takes it carefully, Japan welcomes it and China reports it dispassionately". 
What makes me surprised is that it says that USA takes it carefully. Why not does USA 
welcome the new President? Or is USA now for North Korea so much like this? Most of the 
Japanese think as far as I know that, what Ms. Rice and Mr. Hill is doing with the North 
Korea problem is un-understandable. Which one of us do they choose between Japan and 
North Korea? I don't know about the case of Ms. Rice, but in USA, they say, white people 
dislike black people. But moreover black people dislike yellow people. I hope Ms. Rice is not 
such a lady.

+++++++++++++++

昨夜は、遅くまで、韓国の大統領
選挙関連ニュースを見ていた。

結果は、すでにみなさん、ご存知の
とおり。

よかった。ほっとした。

こうした私の印象を代弁するかの
ように、朝鮮N報は、各国の反応と
題して、つぎのように伝えている。

「アメリカは「慎重」、日本は「歓迎」、
中国は「淡々」…。19日に行われた
韓国大統領選挙でハンナラ党の李明博
(イ・ミョンバク)候補が勝利したとの
一報に、各国が見せた大方の反応だ」と。

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●韓国の大統領選挙

 朝鮮N報は、今回の韓国大統領選挙について、つぎのように伝えている。

「アメリカは「慎重」、日本は「歓迎」、中国は「淡々」…。19日に行われた韓国大統領選挙でハ
ンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補が勝利したとの一報に、各国が見せた大方の反応だ」
(07年12月20日)と。

 日本が「歓迎」というのは、よくわかる。あのN大統領は、日本にとっては、最悪の大統領だっ
た。ことあるごとに、反日、反日の大合唱。ああまで「日本が悪い」と言われると、日本として
も、行き場をなくす。「嫌韓」になる。

 小泉首相がY神社を参拝したときには、N大統領は、「いい気になるな」(韓国語の表現で)と
まで、言い切った。口の汚い大統領だった。

 が、意外だったのは、アメリカの反応。「アメリカは慎重」とある。つまりアメリカは、そこまでK
国寄りになっていたのか? 保守派大統領が誕生したのだから、本来なら、歓迎すべきではな
いのか。ライス国務長官、ヒル国務次官補の一連の動きを見ていると、まるで金xxの毒気にの
まれてしまったかのよう。この日本を切ってまで、K国に、すり寄っている。

 しかし安心するのは、まだ早い。李明博(イ・ミョンバク)大統領が、どのような対日政策を打
ち出してくるかは、今のところ、まったくわかっていない。へたをすれば、N大統領以上に、敵意
むき出しの、対日経済戦争をいどんでくるかもしれない。

 いや、その前に、現在、韓国経済は、疲弊している。崩壊寸前。日本円にして80兆円近い個
人負債、貿易赤字、原油高、短期外債(=外国からの借金)の急増。その短期外債は、外債
全体の約50%を占めるまでになっている。さらにここ1、2週間の報道によると、銀行の貸し出
し資金が枯渇しているという。

 貸し出し資金が涸渇しているということは、銀行業務がマヒ状態にあることを意味する。

 李明博(イ・ミョンバク)大統領は、どうやって韓国の経済を、立て直すつもりでいるのだろう。

 さらに日本にとっては、拉致問題もある。N大統領のように、「知らぬ」「関係ない」とまでは言
わないだろうが、安心はできない。李明博(イ・ミョンバク)大統領が、日本の拉致問題に対して
どのような反応を示すか。それで、これからの日韓関係のおおまかな方向が予測できる。

 ともあれ、今しばらくは、静観。今後、どのような政策を打ち出してくるか、それを見届けてか
ら、つぎの意見を書いてみたい。

(付記)

 ライス国務長官がそうであるというのではない。ないが、一般論として、アメリカでは、白人は
黒人を、蔑視する傾向が強い。が、それ以上に強いのが、黒人によるアジア人蔑視意識。自
分たちが蔑視された分だけ、今度は、それをアジア人、つまり私たち黄色人種に向ける。

 よく、いじめられっ子が、別の場面で、過激なほどまでに、いじめっ子になることがある。そう
いった心理と、どこか共通している(?)。

 ライス国務長官の深層心理を理解するためには、そんな知識も、心のどこかにとどめておく
とよいのでは……(?)。


●テレビ局よ、少しは責任を感じろ!(Inspiration Swindle)

More and more victims are deceived by so-called "Inspiration Swindle" in Japan. In Japan 
now "inspiration" or "spiritual" boom is on and almost every night this kind of TV programs 
are being broadcasted. This is one of the main reasons why it is so now! Be ashamed, TV 
men! It is your responsibility that produces these victims. According to today's newspaper, 
in only 4 hours, they received 59 telephone calls from these victims, ant the amount of 
which is more than 130 million US dollars! This also affects children in Japan. About 50% of 
school kids believe in spiritual power or inspiration magic. This is the story about it.

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霊感商法が、またまた増殖しているという(中日新聞・07・12・20)。

いわく、「悪質な霊感商法が、再び増えている背景には、(前世)(生まれ変わり)などの言葉が
メディアをにぎわせ、(ヒーリング)(スピリチュアル)といったブームがあるようだ」(同紙)と。

わかるか?

アホな番組を一方で、無分別に垂れ流すから、それを真に受けた純朴な人たちが、だまされ
る。

全国霊感商法対策弁護士連絡会で活動している、WH弁護士は、つぎのように語っている。

「有名人がスピリチュアルについて語るなど、ブームにより警戒心が薄れ、霊感商法への敷居
が低くなった。被害にあいやすくなっている」(同紙)と。

たとえば……、
「死んだお父さんが、助けを待っている」
「(あなたは)昔、祖父が殺したヘビの生まれかわりだ」(同紙)などといって、祈祷料を取られた
り、物品を買わされたりする、と。

「今月4日(=12月4日)に行われた電話相談で、寄せられた電話はわずか4時間ほどの間
に、59件、被害金額では計1億3300万円にのぼった。2000万円もの被害を訴えた人もい
たという」(同紙)ともある。

中には、「スピリチュアルな子育て法」などという、これまた「?」な育児本まである。書店へ行く
と、この種の本が、ズラリと並んでいる。

「前世」だの、「来世」だの、バカなことを口にするのは、もうやめよう。釈迦ですら、そんなこと
は一言も言っていない。ウソだと思うなら、『法句経』を、ハシからハシまで読んでみることだ。
そんなアホな思想が混在するようになったのは、釈迦滅後、数百年もしてからのこと。ヒンズー
教の輪廻転生論がそこに入り込んだ。

いわんや、占星術? ばか! アホ! インチキ!

あのね、占星術は、立派なカルト。そういうものを、天下の公器をつかって、全国に垂れ流す。
そのおかしさに、まず、私たちが気づかねばならない。私がたまたま見たテレビ番組の中で
は、どこかのオバチャンが、こう言っていた。

「あなたの背中には、ヘビがとりついている。毎朝、20回、シャワーで洗いなさい」と。

もう、うんざり! 反論するのも、いや! ばか臭い!

が、問題は、子どもたち。

10年ほど前だが、私が調査したところでも、約半数の子どもたち(小学生、3〜6年生)が、占
い、まじないを信じていた。今は、もっと多いのでは……? そしてそれが日本の子どもたちの
理科離れの一因になっているとも考えられる。

子どもたちに与える影響を、少しは考えろ。
あるいは自分の頭で、少しは考えて、番組を作れ!
それとも君たちは、どこかのカルト教団と結託しているのか?

年末にかけて、この種の番組が、ますますふえている。
思考力をなくしたテレビ局。思考力をなくしたプロデューサー。そして視聴者たち。
日本人は、ますますバカになっていく。私には、そんな気がしてならないのだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 霊感商法 inspiration 
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Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2402)

●旗についていく(To live, following a flag, is very easy.)

To live, following a flag in the front, is very easy. On the contrary to live, walking in the front 
with a flag above, is not easy. To live, depending on other people, is very easy. On the 
contrary to live independently from others is not easy. As to the children, it is not the 
education to lead them, walking before them with a flag above. Education is the education 
which educes their ability from them and make them think and act independently.

++++++++++++++++++

同じ旅行でも、旗についていく旅行ほど、
楽なものはない。

一方、旗を立てて歩く人は、たいへん。
神経を使う。気を使う。気を配る。
旅行を楽しむ余裕など、どこにもない。

つまりそれが指導者と、被指導者のちがい
ということになる。

旗を立てて、前を歩く人が指導者。
その旗のあとを、ぞろぞろと歩いていく
人が、被指導者ということになる。

被依存者は、それでよいとしても、
こわいのは、依存性。
その依存性がつきすぎると、自分で
歩くどころか、立ちあがることさえ
できなくなる。

++++++++++++++++++

 旅行にかぎらない。なにごとでも、他人が敷いてくれたレールの上を歩いていくのは、簡単な
こと。こんな話がある。

 合成ゴムを世界でいちばん早く完成させたのは、フランスのデュポン社の研究者たちだった
という。多くの研究者たちが、何年も苦労に苦労を重ねたのち、やっとのことで合成ゴムの製
造に成功した。

 が、そのあと、同じものを学生に作らせてみたところ、学生たちは何と数か月で、合成ゴムを
作ってみせたという。恩師の田丸先生から、聞いた話である。

 ものを考える世界でも、そうである。

 自分で考え、自分でその考えをまとめ、さらにそれらの考えをひとつにし、思想らしきものに
するのは、たいへん。その苦労は、たとえて言うなら、何千キロもの荒野を、ひとりで歩くような
もの(?)。私には経験がないので、よくわからないが、私はそう思う。

 が、他人の思想を知り、それを自分のものにするのは、簡単!

 「私は考えている」と言う人にしても、ほんとうに自分で考えているかどうかは、疑わしい。たい
ていは他人の思想の上に、自分の(思い)を重ねているだけ。あるいは他人の思想を変形させ
ているだけ。他人から得た思想を、「自分の思想」と思い込んでいるだけ。

 中には、(情報)を、(思考)と誤解している人がいる。ものごとをよく知っているからといって、
その人に思考力があるということにはならない。幼稚園児が掛け算の九九をペラペラと口にし
たからといって、算数の力があるということにはならない。

 最近、こんな人に出会った。ある宗教団体の熱心な信者で、この地区の幹部をしている。そ
の人があれこれと私に、その教団の教えを説明しながら、こう言った。

 「私は、この仏法に、命をかけている」「A先生は、私の師だ」「△△経(経文のこと)を、そしる
ものは、たとえ親兄弟でも許さない」と。

 そこで私が「許さない」というのは、どういうことかと聞くと、その人は、こう答えた。

 「許さないということは、許さないということ。縁を切る。ばあいによっては、親兄弟でも、殺す」
と。

 同じ旗についていく人でも、それが宗教となると、人は、そこまで思い込むようになる。私はそ
の話を聞きながら、「だれも、△△経をそしるようなことは、しない」「その人が信仰をして、それ
で幸福なら、それはそれでいいこと」「そしるとか、そんな失敬なことはしない」と思った。つまり
それはその人の、被害妄想ということになる。

 それはともかくも、何ごとも先を歩くということは、たいへん。またその(たいへんさ)を克服し
ないかぎり、人の前を歩くことはできない。

 一方、だれかが持った旗についていくのは、楽。何も考えなくてもよい。しかし他人の持った
旗について歩いてばかりいると、今度は、自分で歩けなくなる。さらにそれを繰り返していると、
歩くどころか、自分で立つことすらできなくなる。そうなれば、ますます依存性ばかりが強くな
る。

 もうおわかりのことと思うが、子どもの世界には、「パラサイト」という言葉がある。パラサイトと
いうのは、寄生虫をいう。そういう生き方をしている人を、「パラサイト・シングル」という。(ふつ
う「パラサイト・シングル」というときは、親のスネをかじって生きる若者をいう。)

 子どもの世界でも、気をつけないと、子どもに依存性ばかりもたせて、その子どもを自立でき
なくしてしまうことがある。よい例が、受験勉強。旗をもった人が、どんどんと子どもを先導す
る。課題を与える。子どもは言われるまま、それについていく。自分で考えて行動するというこ
とは、まず、ない。

 一見、教育に見えるが、これは教育ではない。指導でもない。ただの訓練。しかもその訓練と
いうのは、子どもに依存性をつけさせるだけ。長い目で見れば、かえって弊害ばかりが目立つ
ようになる。

 今、高校生でも、自分の能力に合った参考書や、問題集を買うことができない子どもがふえ
ている。大学生でも、生活感がまったくない子どもも多い。勉強はできるが、料理といえば、で
きるのは卵焼きだけ、とか、など。部屋の掃除すら、しない。・・・しないというより、できない。

 旗のあとをついて歩いてばかりいると、子どもでも、そうなる。それなりの成果(?)はあるか
もしれないが、そこまで。

(付記)

 同年齢ということもあって、このところ、退職をした人たちのあとを知る機会が多くなった。で、
そういう人たちを見ていると、大きく、つぎの2つのタイプに分けることができるのを知る。

 ひとつは、再就職することばかりを考えているタイプ。このタイプの人は、「お金は、貰うもの」
という意識が強い。「いい仕事が見つかった」「給料がいい」とか言う。

 もうひとつは、自分でしたいことを見つけて、それに向かって前に進んでいくタイプ。このタイ
プの人は、「お金は自分で稼ぐもの」という意識が強い。「人に使われるのはいや」「人を使うの
もいや」とか言う。

 もうひとつ、年金だけを頼りに、これといった仕事もしないで、日々を過ごすタイプの人もい
る。庭いじりと孫の世話。あとは旅行三昧に趣味三昧。が、これは論外。

 つまり退職してからも、旗を立てて、前を歩く人と、旗に従って、そのあとをついて行く人に分
かれるということ。しかもこの年齢になると、それまでの生き様を変えることは、容易なことでは
ない。・・・というより、不可能。

 やはり子どものころからの育て方、教育のし方こそ、重要ということになる。

(追記)

 ところで本文の中に書いた、「ある宗教団体の熱心な信者」のことだが、その信者というの
は、ほんとうは女性だった。(本文の中では、男性のように書いたが、実際は、女性だった。そ
の女性は、こう言った。「夫がこの信仰に反対したら、離婚するのもやむをえません」と。)

 その女性だが、さも私はできた人間です・・・というような表情で、私と話している間中、穏や
かな笑みを消さなかった。

 しかし私には、それが不気味だった。仮面型人間の特徴というか、表情に、自然ぽさがなか
った。熱心に信仰しているという人にときどき見られる現象である。しかしいくら自分は高邁(こ
うまい)な人間と思っても、人間らしさまで失ってはいけない。

【仮面型(ペルソナ)人間の特徴】

(1)表情に、自然ぽさがない。
(2)何を考えているか、つかみにくい。
(3)穏やかで、できた人という印象を与える。
(4)それらしいことを口にするが、こちらの心にしみこんでこない。
(5)ときに不気味な印象を与える。
(6)見た目には、いつも静かに落ち着きはらっている。

 だれしもときとばあいによっては、仮面をかぶる。(まったく仮面をかぶれないというのも、問
題である。社会適応性を失う。)大切なことは、仮面は仮面と知り、自分の世界にもどったら、
仮面を脱ぐこと。仮面を脱ぎ忘れると、ここでいう仮面型人間になってしまう。宗教家や教師、
牧師に、このタイプの人が多い。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●アメリカの教育システム(The Education System in USA)

My daughter-in law has passed the examination to be a lawyer and she intends to attend a 
law school from next year. She used to be a student of USA literature. This is USA!

++++++++++++++++

これは驚くべきことだと思う。
アメリカ文学を専攻した女子学生が、
卒業。そのあと結婚。

2児の母親になったあと、奨学金
試験に合格。

今度は、法曹(弁護士)をめざすという。

こういうことが平気で(?)、できる
ところが、すばらしい。

嫁のデニースから、こんなメールが
届いた。

++++++++++++++++

I'm sorry it has been so long since I have contacted you. I have been 
spending all of my free time these past few months getting ready for law 
school. I had to take a big test a few weeks ago and I only had 2 
months to study for it--most people get 6 months. I received the test 
results last night and I passed just fine, so I will be able to enroll 
next year.

長い間、連絡をしなくてすみませんでした。私は過去3か月、ずっと、ロースクール(法曹学校)
の準備に費やしてきました。2、3週間前に大きな試験を受け、そのために、ほとんどの人が6
か月かけてする準備ですが、2か月しかありませんでした。昨夜、その結果が届きました。合
格しました。ですから来年から入学できます。

わかるかな? アメリカでは、教育の自由化は、ここまで進んでいる! 日本で文学部を卒業
した学生が、主婦になったあと、ロースクール(法曹大学)に入学できるなどということが考えら
れるか。ふつうは大学の法学部で4年ほどかけて単位を取ったあと、ロースクールへと進学し
ていく。

しかも奨学金制度が充実している。

……I know that you worry 
about us, especially financially, but please don't be concerned at all.  
If I attend the law school in Little Rock, Arkansas, I should be able to 
receive a full scholarship (or at least a half-tuition scholarship) so 
we won't have to pay for the classes.

あなたが私たちのことを心配しているということはわかっています。しかしどうか、ご心配なさら
ないように。リトル・ロックのロースクールに通うことになれば、全額奨学金でまかなえます。(少
なくとも、半額奨学金はもらえます。)ですから、私たちは、お金を払わなくてもよいのです。

私はつぎのような返事を書いた。

Congratulations!
Great news!
You are great!
Incredible!
 
I never hesitate to invest money to my sons and daughter.
Please tell me anytime in case you need my help.
 
Great! So great!
And Merry Christmas!
Your news is the most wonderful present to me!
 
How come did you choose such Soichi, who is not at all suitable for you?
Soichi should be very proud of you.
I am very proud of you.
 
Hiroshi
 
+++++++++++++++

おめでとう。
たいへんなニュースです。
あなたはすばらしい。
信じられません。

私は息子や娘にお金を投資することを、ためらいません。
必要なときはいつでも言ってください。

すごいことです。
そしてメリークリスマス!
あなたのニュースは、私には最高の贈り物です。

あなたが、宗市のような、あなたにふさわしくない人を、どうして選んだのか。
宗市は、あなたを誇りに思うべきです。
私も、あなたをたいへん誇りに思います。

浩司


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司※

●UFO

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o'clock. We 
were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or 3 
kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks me if 
I believe in UFO's, I would say, "Yes". These days at the Parliament House of Japan, some 
congressmen discuss about UFO's in the public. Does this have something to do with "
Kaguya", a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the moon, taking 
photos from the space. I hope the government show us everything about the Moon. Some 
scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for the aliens. Do you 
think so too? 

+++++++++++++++++

このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

+++++++++++++++++++

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさんと輝
いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者の中に
も、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあった。「オニー
ル」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、そこ
に橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、全長
はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消えた」。今にし
て思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるように着陸していたUF
Oではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2〜3キロはあっ
たかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が話題になるが、葉巻型
UFOともなると、全長が20〜30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私たち人
間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUFOにしても、光
速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上でも公開さ
れているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいのは、もっと低高
度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうかウソ
隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の
科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的に作られた橋のよ
うなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような形で、20kmにもおよ
び、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確認した
と発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだったのではないかと
いう批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部長を辞任したそうで
す。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一時的
に着陸していたのではという推測もされたそうです。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニール橋)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】12月25日(Dec.25th、2007)

I have a slight headache this morning. I suppose the reason is that I had eaten so much 
cakes last night. As for me taking too much sweet cakes cause a headache. By the way I 
bought a Sony's walkman (A918), which is good. It has got noise-reduction ear-phones and 
it can reduce noise around me. It is super!

+++++++++++++++++

この2日間、ほとんど、原稿を書かなかった。
忙しかった。

で、今朝は、やや頭が重い。
昨日食べたケーキ類が、影響しているのでは……?
私のばあい、甘いものをたくさん食べると、頭重が
起きる。

ところで、おととい、ソニーのウォークマン(A918)
を買った。
衝動買い。
ワンセグ付きで、テレビも見られる。

音楽を聴きながら、サイクリングするのは、久しぶり。
が、このウォークマンには、ノイズ・リダクション付き
のイヤホンが付属している。

イヤホンだけでも、7000円もするとか。

そのイヤホンをつけていると、至近距離で、だれかが
話しかけてきても、その人の声が聞こえない。
車がうしろから近づいてきても、それがわからない。

逆相の周波数をかぶせて、音声を消してしまうためである。

音はすばらしいが、歩きながら使うのは、少し、危険かも? 

ともかくも、昨日は、そんなこともあって、3単位(40分x3)も、
サイクリングをした。

ジョン・デンバーの曲を聴きながら、サイクリングを
していると、気分は、最高!

+++++++++++++++++

●メリークリスマス、晃子!

Merry Christmas, Akiko! I love you, no matter what you are, what you say. The other day 
you say, "They use the word 'LOVE' so easily and therefore the word has lost its meaning." 
But I'd like to say, on this Christmas Day, "I love you." Let take the plane, of which Eiichi 
has the handle and also let's go to Little Rock to meet Denise when she becomes a lawyer. 

+++++++++++++++++++

「愛ほど、実感しにくい言葉はないわ」と、
お前は、言う。

「愛していると言われても、私は、うれしく
ないわ」と、お前は、言う。

そのとおりかもしれない。
そのとおりでないかもしれない。

ただぼくは、今、率直に、そして心から、
こう言うよ。「愛しているよ」とね。

今のぼくは、お前への愛を実感している。
お前が喜ぶかどうかは、別にして、
ぼくは、お前を愛している。

お前が、「うれしくない」と言っても、
ぼくは、かまわない。

世界で、いちばん、すばらしい女性に、
世界で、いちばん、美しい女性に、
ぼくは、この言葉を、ささげたい。

お前を愛しているよ。

それに、ぼくは、お前といるときが、いちばん楽しい。
ぼくは、お前といるときが、いちばん心が安らぐ。

今年、ぼくは、ちょうど、60歳になったけど、
いろいろあったね。

お前は、よく「私たちは、ほかの人たちの
人生の、何倍も生きたような気がする」と、言う。

それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?

ぼくにはわからないけど、ぼくは、夢中で生きてきた。
それはたしかだと思う。

お前がそばにいてくれたからこそ、ぼくは、
それができた。
何もこわいものがなかった。

ありがとう。
そしてメリークリスマス!

英市が、パイロットになったら、2人で、
英市の操縦する飛行機に乗ろうね。
デニーズが弁護士になったら、お祝いに
リトルロックへ行こうね。

ほかに・・・。来年は、オーストラリアへ
行こうね。
ぼくが、今まで大切にしてきたものを、
お前に見せてあげたい。

愛しているよ。
心から愛しているよ。

そして、もう一度。
メリークリスマス!

そうそう言い忘れたけど、今、1時間あまり
街をブラついて、やっとクリスマス
プレゼントが、決まった。

周市には、タバコパイプ。
そしてお前には、メルボルン市内のガイドブック。
喜んでくれるかな?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ロー・スクール(Law School)

Denise has passed the examination of a law school in Little Rock, AR. It is a greatest news 
and my wife and I have talked about it these few days. She is a great lady. The news 
reminds me of M. Fuziwara, a son-in-law of Prof. K. Tamaru, M. Fiziwara wrote a book last 
year, "The Dignity of a Nation", which was sold more than 2 million copies. Both of us have 
great daughter-in-law and a son-in-law.

 ここ数日、ワイフと、デニーズが、ロースクールに合格した話ばかりしている。学費は全額、
奨学金でまかなうという。

 デニーズもすごいが、そういうシステムができているアメリカは、もっと、すごい。やる気があ
る人なら、女性でも、家庭の主婦でも、弁護士になれる。

 しかしここでふと、おかしな気分にとらわれる。デニーズは、たしかに私の息子の嫁だが、私
の実の娘ではない。しかしその一方で、私の実の孫たちの母親でもある。もしデニーズが実の
私の娘なら、文句なしにうれしいのだが、心のどこかで、ふとブレーキがかかってしまう。

 どうしてだろう?

 昨年(06年)、藤原M氏の書いた、「国家の品格」という本が売れ始めたときのこと。田丸先
生が、数日おきに、そのことをメールで書いてきてくれた。「娘の旦那の本が、バカ売れしてま
してね」と。

 デニーズのことを考えながら、あのとき田丸先生も、同じような気分ではなかったのかと思う。
そのときも、祝電でも……ということになったが、心のどこかで、ふとブレーキがかかってしまっ
たのを覚えている。

 藤原M氏は、田丸先生の自宅で、2、3度、見かけたことがある。いつもあいさつ程度の会話
しか、しなかった。田丸先生に、祝電を打つのもおかしい。で、祝電はとりやめた。

 が、デニーズは、まっさきに、そのニュースを私たちに知らせてくれた。デニーズはデニーズ
なりに、一生懸命、私たちの家族の一員になろうとしている。私たちのほうが、薄情なのかもし
れない。

一方、息子は息子で、カルフォルニアのグーグル社への転職をあきらめ、現在住んでいるコン
ウェイから、リトルロックへ移るという。息子には息子の夢があっただろうに……。優先順位が
変わってしまったらしい。

 ワイフは、「お嫁さんが弁護士になれば、Sも心強いわね」と、まあ、どこか、のんきなことを言
っている。私について言えば、孫の誠司ですら、自分の孫と思えるようになるまでに、かなりの
時間がかかった。なにしろ、私にまったく似ていない。(二番目の芽依は、息子によく似ている。
つまり私の面影が、強く残っている。)

 いつか、息子のSは、こう言っていた。

 「パパ、デニーズは、日本の女性よりも、はるかに日本の女性みたいだよ」と。

 私と息子のSとの関係がおかしくなったときも何度かあったが、そのつどデニーズは、懸命に
間をとりもってくれた。そんな(やさしさ)が、私の心を暖かくしてくれる。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●時の流れは、砂時計のようなもの(The flow of the time is like sands in a sandglass.)

Sometimes I feel that the flow of the time is like sands in a sandglass. Each moment of my 
time is like a sand in the sandglass. Each of the moment is dropping downward like a sand. 
Life is wonderful. I am here, breathing, listening and seeing. I am alive! My sister-in-law said 
two days ago, "Life itself is a miracle and we have to thank for it." I agree with her. Her 
sweet words soaked into my heart like water into the soil.

+++++++++++++++

おととい、義姉(ワイフの姉)の
家で、夜遅くまで話しこんだ。

義姉が、別れぎわ、こう言った。

「生きているだけでも、すばらしい
ことよ。感謝しなくちゃあ」と。

ワイフは、幼いころ、母親をなくしている。
そのためその義姉が、ワイフにとっては、
母親のようなもの。

ワイフに似て、穏やかな性格の女性で、
今でも、あれこれ世話になっている。

息子たちの身元引き受け保証人にも
なってもらった。
私の母の介護のときは、一式、介護
用具を提供してくれた。

私は何を言われても、義姉だけには、
頭があがらない。

+++++++++++++++

●生きていることは、すばらしい!(Life is wonderful!)

「命」が、砂時計の「砂」のように思えるときがある。
上に残った砂が、サラサラと下へ、流れ落ちていく。
そのいとおしさ。

ワイフもときどき、こう言う。「毎日、食事がおいしいわ。それだけでも、私は、すばらしいことだ
と思う」と。 

私は、今、ここにいて、息をしている。
音を聞いている。
フォーレ(Faure)のレクイエム(Requiem)を聞いている。
まわりには、朝の淡い光。
薄い雲に包まれた、冬の太陽。
12月25日。

たった今、アメリカに住む二男から、電話があった。
船便で送ったクリスマス・プレゼントが今日、届いたという。
ギリギリ、セーフ!
向こうは、今日が、12月24日。

誠司が、おかしな英語で、ペラペラとしゃべった。
ついでに、おかしな日本語で、日本の歌を歌った。
芽依が、ハローと言った。
私とワイフは、受話器を奪いあいながら、それを聞いた。

孫たちも、みな、元気らしい。

静かな時。
穏やかな時。
暖かい時。

その無数のこまかい「時」が、砂のように、下に落ちていく。
サラサラと……。

義姉は言った。
「生きているだけでも、すばらしいことよ」と。
その言葉が、私の心の奥の奧まで、やさしくしみこんだ。

ありがとう、姉さん!


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●原稿と音楽

++++++++++++++++++++

最近では、私の書いた原稿と、
音楽を、直接シンクロナイズさせることが
できるようになった。

今までに書いた原稿の中から、いくつかを
選んで、音楽とシンクロナイズさせてみる。

音楽を聴きながら、原稿を読んでもらえれば、
うれしい。

++++++++++++++++++++

●And I love her

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=x8fNDfdjXd8

【ビートルズの歌で終わった青春時代(白血病だったジル)】

(世にも不思議な留学記より)

●行くも最後という時代だった

 行くのも最後、帰るのも最後という時代だった。往復の旅費だけで、40万円以上。まだまだ
日本は貧しかった。メルボルンを飛び立つときは、本当にさびしかった。そしてそのさびしさは、
フィリッピンのマニラに到着してからも消えなかった。

夜、リザ−ル公園を歩いていると、6、7人の学生がギタ−を弾いていた。私がぼんやりと見て
いると、「何か、曲を弾いてあげようか」と声をかけてくれた。私は「ビ−トルズのアンド・アイ・ラ
ブ・ハ−を」と頼んだ。私はその曲を聞きながら、あふれる涙をどうすることもできなかった。

 私には一人のガ−ルフレンドがいた。ジリアン・マックグレゴーという名前の女の子だった
が、「嘘つきジル」というあだ名で呼ばれていた。が、私にはいつも誠実だった。映画「トラトラト
ラ」を二人で見に行ったときも、彼女だけが日本の味方をしてくれた。映画館の中で、アメリカ
の飛行機が落ちるたびに、拍手喝采をしてくれた。

あの国では、静かに映画を見ている観客などいない。そのジルに私が帰国を告げたとき、彼
女はこう言った。「ヒロシ! 私は白血病よ。その私を置いていくの!」と。私はそれが嘘だと思
った。……思ってしまった。だから私は天井に、飲みかけていたコ−ヒ−のカップを投げつけ、
「嘘つき! どうして君は、ぼくにまで嘘をつくんだ!」と叫んだ。

 夜、ハウスの友だちの部屋にいると、デニスという、今でも無二の親友だが、その彼が私を
迎えにきてくれた。そのデニス君とジルは幼なじみで、互いの両親も懇意にしていた。デニス
に、ジルの病気の話をすると、彼はこう言った。「それは本当だよ。だからぼくは君に言っただ
ろ。ジルとはつきあってはダメだ。後悔することになる、と。しかしね、ジルが君にその話をした
ということは、ジルは君を愛しているんだよ」と。

彼女の病気は、彼女と彼らの両親だけが知っている秘密だった。私はジ−ロンという、メルボ
ルンの南にある町まで行く途中、星空を見ながら泣いた。オーストラリアの星空は、日本のそ
れよりも何倍も広い。地平線からすぐ星が輝いている。私はただただ、それに圧倒されて泣い
た。

●こうして私の青春時代は終った……

 こうして私の留学時代は終わった。同時に、私の青春時代も終わった。そしてその時代を駆
け抜けたとき、私の人生観も一八〇度変わっていた。私はあの国で、「自由」を見たし、それが
今でも私の生活の基本になっている。私がその後、M物産という会社をやめて、幼稚園教師に
なったとき、どの人も私を笑った。気が狂ったとうわさする人もいた。

母に相談すると、母まで「あんたは道を誤った」と、電話口のむこうで泣き崩れてしまった。ただ
デニス君だけは、「すばらしい選択だ」と喜んでくれた。以後、幼児教育をして、二八年になる。
はたしてその選択が正しかったのかどうか……?

 そうそう、ジルについて一言。私が帰国してから数カ月後。ジルは、西ドイツにいる兄をたよっ
てドイツへ渡り、そこでギリシャ人と結婚し、アテネ近郊の町で消息を断った。

また同じハウスにいた、あの皇太子や王族の息子たちは、今はその国の元首級の人物となっ
て活躍している。テレビにも時々顔を出す。デニスは、小学校の教員をしたあと、国防省に入
り、今はモナーシュ大学の図書館で司書をしている。本が好きな男で、いつも「ぼくは本に囲ま
れて幸せだ」と言っている。私だけは相変わらず、あの「自転車屋の息子」のままだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●ロメオとジュリエット

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=89BwSqKfpQU

●マダム・バタフライ

(音楽↓、クリック)
http://jp.youtube.com/watch?v=7Z3-yBlDckY

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。私はあの
曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。遠い昔、長崎からきた女性に恋を
したことがあるからか。色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。その人が笑うと、
一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆ
いばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけ
ての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結
婚。そして男児を出産。が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。先の歌は、そのピンカートンを待
つマダム・バタフライが歌うもの。今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリエットがはじめてベッド
で朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。「喜びの日が、モヤのかかった
山の頂上で、つま先で立っている」と。本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の
頂上にモヤにかかっている。モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はや
はりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらし
い。私はあの映画を何度も見た。ビデオももっている。サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで
歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前。「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画の最
後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。いつか電撃に打たれる
ような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。かなわぬ夢だが、しかしそういうロ
マンスだけは忘れたくない。いつか……。
(02−10−5)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●息子が恋をするとき

息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今までの人生
の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と
笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際していると、相手の
女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。「うちの娘は、お宅のような家の息
子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転車
屋。「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまづきが、そのま
ま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男が
そう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つか
と言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が1億円も2億円もある
ようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。一着数百
万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表す
る文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心
も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つかむことができる、
「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれがまちが
っているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。しかしそんなことはありえな
い。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれを見る観客は、
その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他人の恋をいとおし
む涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に広く見えた青春時代も、
過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこう続く。「♪バラは咲き、そして色
あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝
ていた。6月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなに
なってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度
も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。そしてそれが今、たま
らなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。そ
れに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。私も、また笑った。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●マジソン郡の橋

(音楽↓、クリック)
http://jp.youtube.com/watch?v=Ye8G8cqu27U
http://jp.youtube.com/watch?v=dFl0Jvo3jAw

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの
ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充
実感がない……。今、そんな女性がふえている。

Hさん(32歳)もそうだ。結婚したのは24歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、20歳
のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあと
しばらくして、今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋
 
R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の
土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)と。主人公
のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れていた生命の叫
びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻
に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)あ
まり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の中で、アメリカ人のリチャー
ドと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態
をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。Hさんはそうした不
満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は幸
せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こん
な話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまっ
た。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。

「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。晩
年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今氏
の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生の
中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、
下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、
医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー
の資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、あなた
がアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のようなものだが、止
まることもある。しかしそのままということは、ない。

子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着
点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、アクセルを踏
む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでまた風は吹き始める。人生
は動き始める。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●レット・イット・ビー

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=4oZYqAeIdYkandfeature=related

●レット・イット・ビー

 夫がいて、妻がいる。その間に子どもがいる。家族というのはそういうものだが、その夫と妻
が愛し合い、信頼し合っているというケースは、さがさなければならないほど、少ない。どの夫
婦も日々の生活に追われて、自分の気持ちを確かめる余裕すらない。

そう、『子はかすがい』とはよく言ったものだ。「子どものため」と考えて、必死になって家族を守
ろうとしている夫婦も多い。仮面といえば仮面だが、夫婦というのはそういうものではないの
か。もともと他人の人間が、一つ屋根の下で、10年も20年も、新婚当時の気持ちのままでい
ることのほうがおかしい。私の女房なども、「お前は、オレのこと好きか?」と聞くと、「考えたこ
とないから、わからない」と答える。

 …こう書くと、暗くてゆううつな家族ばかりを想像しがちだが、そうではない。こんな夫婦もい
る。先日もある女性(40歳)が私の家に遊びに来て、女房の前でこう言った。「バンザーイ、や
ったわ!」と。

聞くと、夫が単身赴任で北海道へ行くことになったという。ふつうなら夫の単身赴任を悲しむは
ずだが、その女性は「バンザーイ!」と。また別の女性(33歳)は、夫婦でも別々の寝室で寝て
いるという。性生活も年に一度あるかないかという程度らしい。しかし「ともに、人生を楽しんで
いるわ。それでいいんじゃあ、ない?」と。明るく屈託がない。

要は夫婦に標準はないということ。同じように人生観にも家庭観にも標準はない。人は、人そ
れぞれだし、それぞれの人生を築く。私やあなたのような他人が、それについてとやかく言う必
要はないし、また言ってはならない。あなたの立場で言うなら、人がどう思おうが、そんなことは
気にしてはいけない。

 問題は親子だ。私たちはともすれば、理想の親子関係を頭の中に描く。それ自体は悪いこと
ではない。が、その「像」に縛られるのはよくない。それに縛られれば縛られるほど、「こうでな
ければならない」とか、「こんなはずはない」とかいう気負いをもつ。この気負いが親を疲れさせ
る。子どもにとっては重荷になる。不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、この気負いが強い
から注意する。「よい親子関係を築こう」というあせりが、結局は親子関係をぎくしゃくさせてしま
う。そして失敗する。

 そこでどうだろう。こう考えては。つまり夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、それ自体が
「幻想」であるという前提で、考える。もしその中に一部でも、本物があるなら、もうけもの。一部
でよい。そう考えれば、気負いも取れる。「夫婦だから…」「親子だから…」と考えると、あなたも
疲れるが、家族も疲れる。

大切なことは、今あるものを、あるがままに受け入れてしまうということ。「愛を感じないから結
婚もおしまい」とか「親子が断絶したから、家庭づくりに失敗した」とか、そういうふうに大げさに
考える必要はない。つまるところ夫婦や家族、それに子どもに、あまり期待しないこと。ほどほ
どのところで、あきらめる。

そういうニヒリズムがあなたの心に風穴をあける。そしてそれが、夫婦や家族、親子関係を正
常にする。ビートルズもかつて、こう歌ったではないか。「♪レット・イット・ビー(あるがままに
…)」と。それはまさに「智恵の言葉」だ。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●青年の樹(き)

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=Bpbuqh12oj4andfeature=related

雲が流れる 丘の上
花の乱れる 叢(くさむら)に
共に植える ひともとの
ひともとの
若き希望と 夢の苗
空に伸びろ 青年の樹よ


嵐すさぶ 日もあらん
憂いに暗い 夜もなお
腕組み合わせ 立ち行かん
立ち行かん
熱き心と 意気地もて
森に育て 青年の樹よ


多感の友よ 思わずや
祖国の姿 今如何に
明日の夜明けを 告げるもの
告げるもの
我等をおきて 誰かある
国を興(おこ)せ 青年の樹よ

(作詞、東京都知事・石原慎太郎氏)

 私は学生時代、悲しいことやつらいことがあると、決まってこの歌を口ずさみ、自分をなぐさ
めた。今でも、ときどき、この歌が、口から出てくる。

 で、この歌には、こんなエピソードがある。

 私がオーストラリアのカレッジで、この歌を歌っていると、一人の友人(オーストラリア人)が、
「それは何の歌か?」と。そこで私が、「これはすばらしい歌だ。訳してあげよう」と言って、訳し
てやった。

「雲が、丘の上に流れて、みんなで青年の木という木を植えた。その木よ、伸びろという歌だと
教える」と、その友人は、顔をかしげて、「何だ、そんな歌か」というような顔をした。

 で、私が「いい歌詞だろ」とたたみかけると、「ヒロシ、雲が丘の上にあるって、そんなことは何
でもないではないか」と。彼らには、日本的なデリカシーが理解できないようだ。

 しかし、これと反対のことがある。

 ずいぶんと昔だが、一人の高校生(男子)が、興奮したおももちで私のところにやってきて、こ
う言った。「先生、すばらしい歌がある。翻訳してほしい」と。

 それがロッド・スチュアートの「セーリング」だった。が、訳してみると、何でもない歌詞。

 「ぼくは、航海している。ぼくは航海していると、何でもないよ。海を横切って、あなたのところ
へ帰るって、ね」と。

 その高校生は、がっかりした様子だったが、それからしばらくしたあとのこと。私はその曲を
聞いて、たいへんなまちがいをしたことを思い知らされた。「セーリング(sailing)」は、すばらし
い曲だった。

 あとで、その高校生にあやまったことは、言うまでもない。

●Sailing

               
I am sailing, I am sailing,
home again 'cross the sea.
I am sailing, stormy waters,
to be near you, to be free.


I am flying, I am flying,
like a bird 'cross the sky.
I am flying, passing high clouds,
to be with you, to be free.


Can you hear me, can you hear me
thro' the dark night, far away,
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


Can you hear me, can you hear me,
thro' the dark night far away.
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


We are sailing, we are sailing,
home again 'cross the sea.
We are sailing stormy waters,
to be near you, to be free.


Oh Lord, to be near you, to be free.
Oh Lord, to be near you, to be free,
Oh Lord.

(Written by Rod Stewart)

 若いお父さん、お母さんは、「青年の樹」も、「セーリング」も知らないかもしれない。不思議な
ものだ。しかしこういった歌を口ずさむと、そのときの光景のみならず、友の顔、雰囲気、心の
様子まで心の中によみがえってくる。歌というのは、そういうものか。

 そしてもう一つ。そういう歌が出てくるときというのは、そのときの心情と共通するとき。「青年
の樹」が出てくるということは、今がそのさみしいとき、つらいときかもしれない。がんばろう!
(030831)

●ロッド・スチュアートは、最後にこう歌う。
「♪オー、主よ。あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ、あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ」と。

 こういう歌を堂々と歌える人が、うらやましい。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2403)

●何か、おかしいぞ、教育再生会議!(The regenerated consultative conference of the 
education)

*The Liberalization of the Education

The Japanese government has been trying to control our minds all the time since the end 
of the WW2. There they have two main consultative organs, conducted by the government. 
How can they choose the members of the organs under what kind of standard they choose 
with? The Japanese government is heading toward conservatism or the way to the right-
wing like way of thinking. We need more freedom! Or do they want the Restoration of the 
Imperial Rules?

+++++++++++++++++

「空理空論」という言葉がある。
「まず、国家統制ありき」という姿勢もある。

この両者がからんで、「教育再生会議」
となった。

世界の流れは、「教育の自由化」。

それに向かって、まっしぐらに
進んでいる。

なにゆえに、日本の政府は、そして文科省は、
こうまで教育の自由化を恐れるのか?

国民を、どう統制しようとしている
のか?

とくに気になるのが、道徳教育(?)。

「道徳を(徳育)として教科化する」
という。

これに対して、日本教育再生機構の
Y理事長は、「実現すれば道徳の時間
に、おかしな平和や人権などを教える
ことができなくなる」と、さっそく歓迎
の意思表示。

「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化
している。教科書があれば何を教える
のかのコンセンサスが得られ、教育内容
の水準が確保できる」とコメントを寄せて
いる。

しかし政府は、いったい、どういう
基準で、諮問機関のメンバーを選んで
いるのか?

自分たちにとって都合のよい、YESマン
ばかり集めて、あらかじめ用意したお膳立て
に従って、結論を出す。

あとはそれをもとに、「控えおろう!」と。

日本というより、日本政府は、またまた
右寄りの路線に向かって、舵を切ろう
としている。

いいのか、日本! このままで!

++++++++++++++++

 「自由化」イコール、「バラバラ」という意味ではない。またそうであってはいけない。しかしそん
なことは、常識。明治の昔なら、いざ知らず、国民は、そんなバカではない。アホではない。

 教科書の国定(検定も同じ)にしても、それをしているのは、先進国の中では、この日本だ
け。

 「まず、国家統制ありき」……それがこうした諮問機関の大前提。そのおかしさに、私たち日
本人が、まずそれに気づくべきではないのか。

 無数の試行錯誤の中で、失敗もあるだろう。挫折、頓挫もあるだろう。ときには、はげしい衝
突もあるだろう。しかしそういう山坂を越えて、日本人も、「自由」の意味を知る。「自由」を手に
入れることができる。

 いくら政府や文科省が、日本人を統制しようとしても、日本人の心は、もう別の方向を求め
て、歩き出している。それがわからなければ、尾崎豊の「卒業」を、一度でもよいから、聴いて
みることだ。

 何が、徳育教育だ! 

教科書ができれば、「実現すれば道徳の時間に、おかしな平和や人権などを教えることができ
なくなる」(?)。

 「おかしな平和や人権」とは何か? それを「おかしい」と言うほうが、おかしい。「平和」や「人
権」は、守って守って、守り抜いてこそ、平和であり、人権なのである。戦時中は、「平和」とか、
「人権」という言葉を口にしただけで、「非国民」と呼ばれ、問答無用に、逮捕、投獄された。多く
の人は、拷問まで受けた。

 そういう歴史を、日本よ、日本人よ、忘れたか! またそういう反省もなく、「おかしい」とは、
何ごとか! 恥を知れ!

 「道徳」についても、世界の心理学者たちは、もっと科学的な視点から、考え始めている。もし
そうなら、それはそれでよし。しかし「孔子」だの、「論語」という言葉が出てくるところが、恐ろし
い。さらに「武士道こそが、日本が世界に誇るべき、精神的バックボーン(背骨)」と説く人まで
いる。またそうした本が、売れに売れまくっている。

 さらにさらに、天皇を「象徴」から、「元首」にという動きもある。憲法改正は、おおむね、その
方向に向かって進みつつある。どうして21世紀の現在、「王政復古」なのか? しかもこの日
本で!

 だいたい「再生」とは何か? 何からの「再生」なのか? まさか戦前の状態にもどることを言
っているのではないだろう。このところ、私は、この言葉に、不気味さを覚えるようになってい
る。


【参考:以下、ヤフー・ニュース・07年12月26日版より】

 政府の教育再生会議(座長・野依良治理化学研究所理事長)は25日、首相官邸で開いた総
会で第3次報告を正式に決定し、福田康夫首相に提出した。社会人教員の増員や校長の権
限強化、現在の学制「6・3・3・4制」の弾力化などの項目の実現を掲げ、6月の2次報告でも
提言した徳育の教科化を再び盛り込んだ。

 安倍前内閣時代の昨年10月に発足した再生会議は一通りの検討作業を終え、来年1月に
も総括的な最終報告をとりまとめる。

 首相は総会後、記者団に対し、「よくまとめてくださった。3次報告でまとまった基本的な考え
方を、中央教育審議会(中教審)で具体化することになる」と述べた。

 「社会総がかりで教育再生を」をテーマにした3次報告には、「学力の向上に徹底的に取り組
む」などの7つの柱が掲げられた。

 小中一貫校の制度化検討や小学校からの英語教育実施なども提言されたが、当初目玉と
なっていた、児童・生徒が自由に学校を選択し、その数に応じて学校に予算配分する「教育バ
ウチャー(利用券)制」は、モデル事業としての実施を検討することにとどまった。

 第3次報告は、採用者の2割以上を教員免許を持たない社会人とする▽徳育の教科化▽大
学の授業の3割以上を英語で行う−などを求めているが、専門家からは賛否の声が上がっ
た。

 教員免許を持たない社会人を教員に採用することについて、日本教育大学院大学の河上亮
一教授は、「実現すれば教育現場の意識改革になるのではないか」とみている。教育学部を卒
業した教員が多い現状よりも多様な人材が教壇に立つ方が活性化するとの考えからだ。

 文部科学省によると、全国の小中学校の教職員は70万人おり、再生会議の報告通りにす
るなら総数で14万人の社会人を迎え入れなければならないが、河上氏とは対照的にある県
の教育委員会幹部は「民間は善、公務員は悪という発想による提言だ。待遇面で教員は決し
て恵まれていない。優秀な人材が多数集まるとは思えない」と批判する。

 道徳を「徳育」として教科化することについて、日本教育再生機構の八木秀次理事長は「実
現すれば道徳の時間におかしな平和や人権などを教えることができなくなる」と歓迎。「教科書
がないから道徳は形骸(けいがい)化している。教科書があれば何を教えるのかのコンセンサ
スが得られ、教育内容の水準が確保できる」としている。

 一方で河上氏は「徳育を教科にするのなら、自分のためだけでなく、人のために尽くすことは
大切だということを社会の共通認識にする努力が必要だが、現実的には難しい」と教科化には
懐疑的だ。

 大学の授業の3割を英語で行うことは可能か。

 福島県立会津大学はコンピュータ理工学部の単科大学で、教員の4割が外国人。授業の多
くは英語で行われ、卒業論文も英文だ。第2外国語をなくし、英語の時間を増やしている。同大
は「コンピューターは米国で発展したもの。プログラムを理解するために英語に習熟することは
不可欠な対応」と英語での授業の必要性を説く。

 一方で、横浜国立大学の鈴木邦雄副学長は「3割の授業を行うのは大学院なら可能だろう
が、学部で行うのは難しいのではないか。英語の授業を用意しても、学生が履修しなかったら
意味がない」と話している。

 再生会議の委員の一人、中嶋嶺雄氏が学長を務める国際教養大学(秋田県)は、すべて英
語で行う。しかし、英語に関心の高い学生が多く入学する一方で、授業についていけない学生
もいるという。(櫛田寿宏)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育再生会議 第3次報告)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●音楽と私

I have started to insert motion pictures and its related music onto my website, which has 
widen my world of internet. Motion pictures with music are downloaded from 'You Tube' and 
they are very exciting.

+++++++++++++++++

新しい試みとして、HPやマガジンの
ほうで、エッセーと音楽をシンクロナイズ(同調)
させることをしている。

音楽は、YOU TUBEのほうで公開されて
いるものを使う。著作権法上の問題はないはず。

で、これが、実に楽しい。おもしろい。

今は、テスト段階だが、やがて動画で、自分のHPや
マガジンを飾ることもできる。
今までを、「静止画」の世界とするなら、これからは
「動画+音楽」の世界ということになる。

世界が、ぐんと広がった。そんな感じがする。

+++++++++++++++++

●享楽的(きょうらくてき)

We often use the word "Kyo-raku-teki", or "to live on enjoyment" when we criticize boys 
and girls who have been spoiled. These kids are called in Japan, "Dora-musuko" or "Dora-
musume", or ""Spoiled male cat" or "Spoiled female cat". Because these cats are so lazy 
fellows that they don't work at all or are just living on pleasure. Here I would like to think 
about it from the deeper point of view.

 よく子どもを評するとき、「享楽的」という言葉を使う。ドラ息子、ドラ娘特有の症状ということに
なる。しかし「享楽的」というのは、どういう意味か。「目先の快楽に生きるさま。官能的快楽に
傾くさま」(国語大辞典)とある。

 こう考えてみたらよい。

 享楽的な子どもは、より強い刺激を求める傾向が強い。ありきたりの刺激では、満足しない。
また刺激がとぼしくなると、「つまらない」「おもしろくない」を連発する。そしてひとたび刺激を受
けると、一瞬のうちに興奮状態になる。ワイワイと騒いだり、動き回ったりする。

 その(こと)を楽しむというよりは、見ていると、興奮しながら、刺激に支配されるまま、自分勝
手な行動を繰り返しているといったふうになる。冷静な判断力を失い、静かに考えて行動する
ということができなくなる。

 たとえば部屋の中で、ボール(手のひら大のソフトボール)を見つけたとする。とたん、それを
手にして、あたりに向かって、投げる。そのボールが、壁に当たって、近くの人形に当たったと
する。すると、「当たった」「当たった」と、声を出してはしゃぐ。

 が、それで止まるわけではない。今度は、そのボールを、ほかの子どもに向かって投げる。
同調者が現れて、そのボールを受け取ったりすると、今度は、その子どもと、キャッチボールを
始める。投げる、当てる、騒ぐ・・・。

 こうしてますます興奮状態に入っていく。

 強く制すれば、その瞬間だけ、それをやめる。あるいは、シュンとした表情にもどる。一応の
制止がきく。(ADHD児は、制止がきかないという点で、このタイプの子どもと区別される。)

 万事に、興奮性が強いため、突発的な行動に出ること多い。予測ができない。先にも書いた
ように、つねにより強い刺激を求めて、自分の欲望を満足させようとする。欲望・・・つまり、(〜
〜したい)と思うことだけを増幅させる。

 さらによく観察すると、本来なら行動を抑制するはずのブレーキが働いていないのがわかる。
言うまでもなく、人間の行動は、(行動命令)と(抑制命令)のはざまで、決定される。そのバラ
ンスが崩れる。わかりやすく言えば、抑制命令がきかず、行動命令だけが過剰に働く。

 行動から、(なめらかさ)が消えるのは、そのためと考えてよい。

 で、この段階で、前頭前野の理性によるコントロールが働けば、まだ救われる。が、理性によ
る管理能力そのものが、鈍くなる。水の入った花瓶が近くにあっても、平気でボールを投げて
遊ぶ。

 では、どうするか?

 子どもの享楽性は、先にも書いたように、ドラ息子、ドラ娘症状のひとつと考えてよい。自分
勝手でわがまま。享楽性は、その一部ということになる。で、このタイプの子どもは、幼いときか
ら、日常的に(刺激的な環境)に育っていることが多い。親のほうが、子どもが望む前に、つぎ
つぎと刺激を与えている。またそうした刺激を与えることが、子どものためと誤解している。「ほ
ら、○○遊園地へ行こう」「ほら、○○ゲームをしよう」と。

 あとは、この悪循環。

 何度も書くが、子どもは、質素に育てるのがよい。ぜいたくをするにしても、子どもには、見せ
ない。聞かせない。コツは、(楽しみ)の前には、必ず(苦労)があることを、わからせるようにす
ること。あるいは(楽しみ)のあとでもよい。

 ボール遊びをしたら、きちんとボールを片づけさせる。後始末をさせる。ものを壊したら、なお
さらである。

 ついでながら、このところ、ドラ息子、ドラ娘を見ると、ものを教える気持ちが、消えうせてしま
う。ときに、「こんな子どもに、知恵をつけたくない」とまで思うことがある。これも年(とし)のせい
か?


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●2007年から2008年へ

The year of 2007 has started with the care of my old mother. It might have been a hard job 
but as for me it wasn't. It's rather taught me something very important or essential to my 
life. Parents see their own past by raising up children but parents see their future by caring 
their old fathers and mothers. It widens the views of our sights of lives. This is the story 
about it.

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●介護

今年、1年間を総括してみる。

まず1月〜6月までは、母の介護を通して、「人が老いるということは、どういうことか」、それを
学んだ。

介護をするにあたって、いくつかのことを心に誓った。

まず、ワイフには、負担をかけないこと。とくに便の世話は、私がする。
つぎに、グチを言わない。運命は運命として、前向きに、受け入れていく。

で、母の介護は始まったが、あまりにも楽(?)で、かえって拍子抜けしてしまった。
ときどき便の始末は、ワイフにしてもらったが、グチについては、だれにも、一度も言わなかっ
た。

親の介護をしている人で、よくグチをこぼす人がいる。

こぼすだけならまだしも、あちこちに電話をかけまくっている人がいる。
「時間が取られる」「お金がかかる」「部屋が臭くなった」と。

愚かで、浅はかな人だ。

で、私は「介護というのは、知恵比べ」と考えるようになった。
そのつどいろいろな問題が起きる。
これはしかたのないこと。

そこで知恵を使う。働かす。工夫する。
この世界には、無数の「先輩」がいる。
そういう人たちに相談するのも、よい。
ともかくも、孤立しないこと。
そうすると、おのずと、先に道が見えてくる。

もちろん大切なのは、(愛情)。
おむつを替えているとき、手や腕に、小便をかけられることがある。
ときに、顔のほうまで、ツユが飛んでくることもある。

しかし相手は、老人。
幼児以下の幼児。
そんなことを気にしていたら、介護など、できない。

が、いくつか事故が重なった。
そこでマネケアの人に相談すると、「添い寝するしかありませんね」とのこと。
そこで老人ホームへの入居申請のために、近くのホームへ足を運んだ。

この世界では、「1年待ち」「2年待ち」というのは、常識。
が、運がよいことに、即日、入居が決まった。
たまたまその日、退所する人がいた。
相談した相手が、所長だった。
母の介護度が、5に近い4だった。
それでそうなった。

迷いはあったが、介護の会で講師をしている義姉に相談すると、「チャンスを逃すと、1年先に
なるわよ」とのこと。
で、その日の遅く、入居を決定する。

介護が重労働だったということは、母が入居してから、知った。
母が入居したあと感じた、あの解放感は、忘れない。
心のどこかに大きな(うしろめたさ)を感じながらも、私たちは、その解放感を楽しんだ。
旅行にも行った。
それまでやめていた、映画も、見に行くようになった。

おかしな幻惑(=家族自我群による束縛感、重圧感)にとらわれて、「親を、そういうところへ入
れるものではない」と考える人も多い。
老人ホームを、(おば捨て場)のように考えている人も多い。

私も、かつては、そういうふうに考えたときもあった。
しかしこれは誤解。

老人ホームを見てみるとわかるが、老い方は、人、さまざま、それぞれ。
時折、怒鳴り声をあげる人。
威張り散らす人。
いつも歌を歌っている人。

加えて、私の母のばあい、いくつかの事故が重なった。

母が自分で歩けるようにと、部屋中に、パイプを張り巡らせたのが悪かった。
ある夜気がついてみると、母は、ベッドとパイプの間に首をはさんで、もがいていた。
また、別の夜、これまた気がついてみると、床の上に、ペタリと座り込んでしまい、起きあがれ
なくなっていた。
寒い夜だった、などなど。

幸い発見するのが早かったから、よかった。
あと1、2時間も、発見が遅れていたら、母は、死んでいたかもしれない。

またそういうときほど、あの無線の呼び出しベルが役にたたない。
「どうしてベルを押さなかったのか」と聞いても、聞くだけ、むだ。
母には、そういう判断力すら、もうなかった。

しかし……。その姿は、10年後、20年後の、私自身の姿。
ワイフ自身の姿。
これには例外はない。
私も、そしてこの文章を読んでいるあなたも、確実にそうなる。

親は、子育てをしながら、自分の過去を見る。
親の介護をしながら、自分の未来を見る。

私は、言うなれば(過去)ばかり見て、生きてきた。
しかし介護をするようになって、(未来)を見ることを知った。

今も、基本的には、その介護はつづいている。
しかし介護をすることによって、自分がもつ(時の流れ)が、過去から未来へとつながったのを
知る。

言うなれば、(負=マイナス)の世界を知ったということか。
子どもたちは、中学生になると、(負の数)を学ぶ。
同じように、人は、介護をするようになって、負の世界を知る。
とたん、数の世界が、2倍に広がる。
これは私にとって、すばらしい体験だった。

母の介護をするようになって、人生観そのものが、大きく影響を受けた。
悪いことばかりではない。
大切なことは、「運命は、前向きに受け入れていく」ということ。

運命は、それを恐れたとき、向こうからキバをむいて、私たちに襲いかかってくる。
しかし笑えば、向こうから、シッポを巻いて、逃げていく。

まあ、介護にかぎらず、2008年も、いろいろなことがあるだろう。
問題が起きたら、そのつど、それを乗り越えて生きていく。
それは(波)のようなもの。

よく人生を航海にたとえる人がいる。
波があるから、航海も楽しい。
人生も、楽しい。


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●生きがい

2007年を振り返ってみたとき、おかしなことに、何かをしてきたはずなのに、その(してきた)と
いう実感が、あまりない。

が、これは記憶のメカニズムの欠陥によるもので、(私)のせいではない。

記憶というのは、そのつど、脳みそのどこかに入り込んでしまう。
どこに何があるか、わからなくなってしまう。

よくテレビなどで、「ゴミの家」が紹介される。
玄関先から、部屋の奥の奧まで、ゴミでいっぱいになった家である。

脳みその中の記憶も、それと同じに考えてよい。
脳みその中は、記憶の断片で、ゴチャゴチャ。
しかもなおタチの悪いことに、自分で整理することができない。
番号をつけて順番を変えたり、重要度に応じてマークをつけることもできない。

反対に、(意識としての脳みそ)は、自ら、いつも、自分の頭の中をカラッポにしておこうとする。
だから、「してきたという実感がない」というのは、当たり前と言えば、当たり前。
実感がないからといって、何もしてこなかったというわけではない。

……とまあ、そう言って、自分をなぐさめる。

ただ、私のばあい、毎朝、目が覚めると同時に、書斎へ飛び込む。
電灯をつけ、パソコンに電源を入れる。
書きたいこと、したいことが、そのとたん、どっと私を襲う。

それが毎日の、私の生きがいということになる。
その生きがいだけは、何とか、維持することができた。

で、今、ふと、こう考える。
もし現在の私から、インターネットを奪ったら、何が残るか、と。

マガジン、BLOG、HPなどを含めて、現在、1か月あたり、約10万件のアクセスがある。
HPにしても、500回目、1000回目というリピーターの人がいる。
10万件イコール、10万人ということでない。
それはわかっている。

しかし、これはものすごいことだと思う。

私は心のどこかで、その(数)を感じながら、生きている。
生かされている。

今、ここに書いている文章にしても、数万人の人たちの目にとまる。
そう思ったとたん、身が引き締まる。
緊張する。
この緊張感が、楽しい。

2007年を振り返ってみたとき、私は、その緊張感とともに、生きてきたような感じがする。

マガジンにしても、週3回の発行は、一度たりとも、欠かしたことがない。
毎回、原稿用紙にして、20枚以上を、守った。
だれに頼まれたわけでもない。
自分で、そう決めて、そうしてきた。

2008年も、このまま前に向かって進みたい。


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*Romeo and Juliet

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(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
a rose will bloom.... ばらは咲き、 
It then will fade:  そして色あせる。
so does a youth,  若さも、また同じ。
so does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。

朝食のために居間へおりていくと、ワイフが「♪ロメオとジュリエット」の歌を聴いていた。
途中までは、何とか、私でも歌えるが、そこから先、歌詞が混乱する。

「あとで、DVDショップへ行って、いろいろなCDを借りてこよう」と私が言うと、「わかった」と、ワ
イフは、言った。

で、朝食のあと、その歌詞を、ネットでさがしてみた。
歌詞の一部を検索窓に書き込んで、検索する。
意外と簡単に、それが出てきた。

で、ワイフのために、訳をつけてみた。
訳というより、単語を並べてみた。
もともとはイタリア人作詞家の作詞らしい。
シェークスピアの原文から、キーワードを抜き出して作詞した。

そのため、「胆汁」とか「ケーパー」とか、日本人の詩人なら、ぜったいに使わない言葉が並
ぶ。

やはりこの歌は、英語で歌うほうがよい。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談(A letter from a mother)

A mother who lives in Hiroshima, wrote to me as follows about her families, her half-
divorced husband, a boy who uses violence against her and another boy who has refused to 
go to school for three years. She has old-aged parents but they are about to get divorced 
soon. She does not know what to do but she sometimes thinks herself she doesn't care to 
be killed by her boy. The circumstance where she is put is sad.

+++++++++++++++

広島県のEさんから、こんな
相談が届いています。

掲載許可をいただけましたので、
みなさんと、いっしょに、
Kさんの問題を考えてみたいと
思います。

どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。

+++++++++++++++

(家族関係)

Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。
夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。

Eさんには、2人の息子がいる。
長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。
そのため、夫は、次男を連れて、家出。

次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。

まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、Eさんを
責めている。

+++++++++++++++

【Eさんより、はやし浩司へ】

次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。 
現在、次男は、中学3年生です。

次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。
 
住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車で1
0分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。 

はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしています。
中学校の友だちには、そう言ってます。

学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるようになっ
たからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家にいる次男を迎
えにいくことになりました。 

現在、私は父親と絶縁しております。 
その実家には、母親しか住んでいません。 

去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。 
父も、母も、現在、80歳を過ぎています。
調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。 

父の職業は、大工でした。
 
父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の修行
をしたそうです。 

現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。 

母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。 
父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。 

当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子育てどころ
では、なかったようです。

ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドンドン
という時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。 

建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出し、
それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。 

やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。
 
父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの職人で
す。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもしれません。 

母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、それ
を思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。

そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、老後は
のんびり暮らせるはずだったのです。 

が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭の雰囲
気が一変してしまいました。

父は、私の夫を尊敬していました。 
夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。

無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。 
父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ家の
修繕をやったりしていました。 

主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。
 
父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供がこうなっ
たのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそのことで、私を
責めたりします。

私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」と何度
も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男を無理やり連
れ出そうとしたりしました。

私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。 

姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そういうこ
とにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。
 
そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越していき
ました。 

父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていました。 

そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の果てに
は、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産を分け
て、離婚したらいい」と、勧めました。 

私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。父は
アパートを借り、実家を出て行きました。
居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。 

でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。 
そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。 

長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづきまし
た。

実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもあるようで
すが、今は、ひとりで、気ままにやっています。 

そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。 

結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や姑から
も疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。 
今まで通院していた病院に行くためです。 

保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。 
そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のような自己
否定で、身動きができなくなってしまいます。 

こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思われ
るかもしれません。

私は離婚するつもりでいます。
子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。

それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。 
今はもう、くたくたなんです。 

自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一杯で
す。
 
いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしないと、今
の私は、ボロボロになってしまいます。
 
息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、
恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。
夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。

そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から薄れ
ていくであろう自分を待つ状態です。 

それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。 
その責任は、感じます。

過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。 
やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。 
だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいので
す。 

父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男に、
「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。
 
そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。 
でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはできませ
ん。 
だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。 

父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。
認知症も進んでいるしね。 
病気のせいだと思っておくよ。 
今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。 
私たちは、困った親子になったもんだね。 

なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、適当
に読んでください。

この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。 

で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすねばかりか
じっています。

しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。
さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。

今までの悪仲間とは縁を切ったようです。
今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。
精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。

何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。
次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。

夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。
長くて申し訳ありません。
よろしく御願いします。
(広島県、Eさんより)

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、Eさんへ】

 Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、家族
であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。ふつうの重圧
感、束縛感ではありません。

 悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それが刷
り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。

 家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが一度狂
うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさんは、こう書いて
います。

 「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまりEさんは、
今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるんで、その先が読め
なくなりました。

 そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。

 無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさんが、
今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を飛び回ることで
す。

 が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や夫との
からみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本来なら、いちば
ん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに押しつけて、逃げてしま
っている!

 Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実の両
親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にしばられて、
見放すこともできない。

 どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならないのでしょ
うか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんなことをしてやった」
「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。

 親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。しか
しそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。

 が、ここが正念場。

 私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、ということです。

 運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲いかかっ
てくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、逃げていく。

 今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出てや
る」と考える。

 夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、離婚。
あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のことは、忘れなさい。

 ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、「許し
て、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになります。またそれがこ
の先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、美しいものにします。

 もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生きているのか
ということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかということになってしまいま
す。

 Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群による(幻
惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得ることができな
い。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。その(根)は深いと思
います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができない。どういうわけか、できな
い。

 それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以上に苦
しんでいるのが、長男なのです。

 ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、自分を
見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけている。

 愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言うのでし
ょうか。

 繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさんがかかえ
ている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立場に立たされ、子
どもたちが、もがき、苦しむのです。

 何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてください。この
言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなくなるときがくるかも
しれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。

 そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そして美しい
ものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜しみなく、愛を与え
ていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られても、愛を与えていくのです。

 「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を与えていき
ます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあなたで、マイペース
で、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあなたは、あなたで、したいこ
とをすればよいのです。

 いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問題で
す。

 大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。体を動か
し、見て、聞いて、ものを話しているということ。

 大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動かし、見て、
聞いて、ものを話しているということ。

 その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何でもない問
題です。

 いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大切なこ
とは、その(価値)を実感することです。

 Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考えろと
いうほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで砂時計の砂の
ように思えてきます。

 サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。

 運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あなた
たちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。

 とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。

 あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、雲が自
然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきます。バカでア
ホな、両親や夫のことは忘れなさい。

 私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホになってし
まいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、アホだったことを
知ります。

 いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえていますよ。表
からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「どうしてうちの
子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。

 まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。それ
を信じて、恐れず、前に進んでください。

 相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいですよ。

 今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになってみてくださ
い。楽しいですよ。

 では、今日は、これで失礼します。

 この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許しください。
多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、同じような問題を
かかえていますから……ね。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2404)

●情報の洪水の中で

 またまた霊感商法が、あちこちではやり始めた。被害者もふえている。それに反比例するよ
うな形で、子どもたちの理科離れが進んでいる。こうした現象のすべてが、テレビの影響による
ものだとは思わないが、そうでないとは、さらに思わない。

テレビの弊害をあげたら、キリがない。インチキがインチキとも判断されないまま、たれ流され
る。最近でも、マイナスイオン説(マイナスイオンは体によいという説)、納豆ダイエット説(納豆
を食べるとやせられるという説)、さらには、「水からの伝言」説(「ありがとう」という紙を張って
水を凍らせると、美しい結晶ができるという説))もある。

これらは科学的に実証性がなく、そのため英語でも、ニセ科学と呼ばれている(左巻健男氏・I
MIDAS)。さらに、その上を行くのが、血液型による性格判断や、星座による運勢占いというこ
とになる。驚いたことに、「スピリチュアル子育て法」とかいう本まで、書店にズラリと並んでい
る。「スピリチュアル」というのは、「霊感」という意味である。

先日かいま見たテレビの中では、「あなたの背中にヘビがとりついている。シャワーで、毎日、
5回、背中を洗いなさい」と言われた、大のおとながいた。そのおとなは、そう言われて、涙まで
流して喜んでいた(某テレビ番組)。

●こわいのは、情報に対する依存性

 私は若いころ、「11PM」(日テレ)とか、「アフターヌーンショー」(NET)とかいう番組の企画を
書いていた。しかしああした企画ほど、いいかげんなものはない。いいかげんというより、イン
チキ。書いていた私がそう言うのだから、まちがいない。

 が、そういうインチキでも、電波に乗ったとたん、(事実)になってしまう。そういう恐ろしさを、
私は、いやというほど見てきた。基本的には、テレビで言っていることは、信じてはいけない。ま
たそういう前提で、見る。見るというより、一歩しりぞいて、ながめる。子どもには、いつも、「あ
れ、そうかな?」と話しかける。こわいのは、一方的に、情報を受け入れてしまうこと。

●大切なのは批判力と思考力

情報を一方的に受け入れてばかりいると、そこに依存性が生まれる。この依存性がこわい。
「情報中毒になる」と言いかえてもよい。つまりあなたという視聴者が、ロボット化する。その意
識もないまま、操られる。さらにあなた自身も、自分につごうがよい情報だけを選んで見るよう
になる。知識や考え方が極端化する。ささいな情報を誇大視化することもある。
 こうした極端化や誇大視化は、カルトと呼ばれる過激な宗教団体の特徴でもある。つまり私
たちは、子どもに無批判にテレビを見せることによって、知らず知らずのうちに、子どもを洗脳
していることになる。

で、あなたの子どもが、ある日突然、あなたにこう言うようになるかもしれない。「うちの先祖
は、ヘビを殺した。そのたたりが、今、現れている」と。実際、そう言われて「鑑定料」として、70
0万円も出した人がいる(報道・07年12月)。

はたして、あなたは、そういう人、つまり被害者を笑うことができるだろうか?


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(12月30日)

●ニセ学歴(Misrepresentation of Educational Background)

I receive letters occasionally from unknown universities which 'sells' the educational 
background of the false. People buy them and decorate themselves with the false career as 
authorizes in their fields. Why do these people try to deceive us with the false career? The 
reason is quite simple. Japanese as well as Koreans are poor at the authority. We call this, '
Authoritarianism'. And we call these people, 'Authoritarian'.

++++++++++++++++

韓国で始まった、ニセ学歴詐称事件が、
この日本にも飛び火してきた。

かなり著名な栄養学の権威(?)まで、
ニセ学歴を詐称していたという。

ほかに、文科省が調べたところ、約40
〜50人の大学教授らが、ニセ学歴を
購入(?)。それを自分の経歴に使って
いたことがわかったという。

(しかしこれは、氷山の一角。一般社会
では、もっと多いはず。)

ニセ学歴といっても、いろいろある。
韓国では、他人がもっている卒業証明書
を偽造し、それを使っていた教授もいた。

が、ふつうニセ学歴というのは、その種の
インチキ大学から、学歴を購入することを
いう。

先方も、ある程度、人選らしきものをするらしい。
つまりターゲットをしぼって、接近してくる。

中には、「通信講座で、学位が取れる」を
売り物にしている、ニセ大学もある。
一応、「通信講座」としているところが、
ニクイ!

大学名にしても、実に、それらしい名前
をつけている。韓国では、「ロシア音楽協会」
とか、「ハミルトン大学」とかいう名前が
あがっている。

私のところにも、この種の勧誘がよく、
届く。数年前まで、1年に、2〜3通、
届いていた。最近では、インターネット
でも購入できるという。(ヘエ〜!)

博士号で、50〜100万円というのが、
相場らしい。

で、半年ほど前に、「?」と思う人物に
ついて書いた。テレビなどにも、とき
どき顔を出す。紹介テロップに、「○○
大学卒」とか、また別のテロップには、
「教育学博士」とか、書いてあった。

(最近は体調を崩したとかで、テレビには
出てこなくなったが……。)

「博士」というから、それなりの専門
用語が口から出てくるかと思っていたが、
それがまったくなかった。それで「?」と
思った。

○○大学を検索してみたら、それらしい
ビルの写真は載っていた。教授名とか、
講師名は、ズラリと並んでいた。が、学生
らしきものは、まったく紹介されていな
かった。

それでピンときた。

ニセ博士号である。この日本でも、そう
いうものが、堂々と、使われている。

日本人や韓国人は、権威に弱いから、
この種の詐欺のカモになりやすい。

が、みなさんも、くれぐれも、ご注意!
つまり、そういう肩書きをもった人に、
だまされないように!

++++++++++++++++

●ニセ学歴(False Career)

 日本では、学歴を詐称していた教授名は、今のところ公表されていない。現在も、調査中とい
うことらしい。

 で、韓国での実態について、報告してみる。韓国では、06年3月に、金を支払ってロシアの
音楽大学でニセの修士と博士の学位を取得したということで、120人が検察に 摘発されてい
る。(120人だぞ!)

 平均取得価格は、2000万ウォン(約270万円)。

 が、実際にロシアを訪問したのは、わずか1週間だったという。彼らの中には大学講師はも
ちろん教授まで含まれており、 自分たちどうしで、「ロシア音楽協会」なる団体まで結成し、活
動していたというから驚きである。

 が、特筆すべきは、2002年までテレビ番組にレギュラー出演していた、F・I氏である。彼の
ばあいは、ソウル大学経済学科を卒業後、CNN記者、マゼランファンドのファンドマネージャー
など華麗な経歴を誇る有名人として、幅広く活動していた。しかしファン氏の経歴はすべてが捏
造(ねつぞう)されたものだったという。 

実際には、大卒検定試験の一部科目に合格したに過ぎず、米国留学や職務経歴もすべてが
虚偽だったという。 

 ほかにも、非認可の米国の大学で取得した博士学位を本物のように 見せかけ、学術振興財
団に報告していた光州教育大学教授もいたという(以上、朝鮮N報)。

●日本とて無縁ではない!(In Japan, too)

 今でも、簡単な外国ツアーを組み、帰国後、「フランス・XXアカデミィー、研修修了書」なるも
のを発行する団体が、無数にある。理髪店や美容院などで、この種の(修了書)を、よく見かけ
る。

 最初から、研修など、「形」だけ。実態は、観光旅行。しかし修了書だけは、やたらと豪華。金
ピカピカの装丁で、もっともらしい横文字がズラリと並んでいる。つまりは、客だましの7つ道具
ということになる。

 が、その上を行くのが、医師の世界。私は20代のころ、通訳として、国際会議なるものに、
何度か同行したことがある。

 ちゃんとした国際会議である。その国際会議には、日本からも、東大とか京大とか、一級の
学者が参加する。それはそれとして、その教授に、随行する団体ができる。医師だけを専門に
する、ツアー企画会社がある。そういった会社が、それを企画する。

 「自分の恩師が国際会議で、研究報告をする」ということで、その弟子たちが集まる。弟子の
弟子たちが集まる。しかし実態は、やはり観光旅行。国際会議といっても、たいてい2〜3日で
終了する。しかもお目当ての(恩師)の研究発表は、1〜2時間程度。

 あとは資料だけを、ドッサリともって帰る。それでおしまい。

 が、そういった旅行には、ちゃんと目的がある。「国際会議に出た」というだけで、経歴として
生きるのである。事実、そのあと、自分の著書に、「○○年○月、XXXX国際会議に出席」と書
いていた人を知っている。さらに、「XX国より、招聘される」と書いていた人も知っている。

 私は当時、「招聘」の意味を知らなかった。読み方も知らなかった。「しょうへい」と読む。「(国
が、国として)、礼を尽くして、招待する」という意味である。

 今から30年以上も前の話なので、現在は、どうなっているか、知らない。しかし、こうしたイン
チキが、そのあと、なくなったという話も、聞いていない。その旅行社にしても、たった今、インタ
ーネットで検索してみたが、今も(健在?)のようである。

●くだらない権威主義(Authoritarianism)

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。その官僚がなぜ政治ができるかといえば、(天
皇)という最高権威を、頂点にいだくからである。その権威が、上から下の下まで、そして骨の
ズイの奧の奧まで、しみこんでいる。水戸黄門の葵の紋章に、その例をみるまでもない。

 どうして葵の紋章ごときに、みなは、頭をさげなければならないのか? 頭をさげるのか? 
またそういうドラマの1シーンを見て、日本人は、どうしてそれを「痛快!」と思うのか?

 それが権威主義である。

 その権威主義が、姿を変えて、こうした学歴詐欺事件につながっている。実際、この日本は、
肩書きのある人には、たいへん住みやすくできている。仕事は、向こうから、やってくる。が、そ
うでない人には、そうでない。その肩書きを支えるのが、学歴ということになる。

 大切なのは、中身。その人の中身。こんなわかりきったことが、この日本では、通用しない。
その通用しないカベになっているのが、権威主義ということになる。

 ……ここまで書いて、以前に書いた原稿のことを思い出した。

+++++++++++++++

●権威主義者(Authoritarians)

 その人が権威主義的なものの考え方をする人かどうかは、電話のかけ方をみればわかる。

権威主義的なものの考え方をする人は、無意識のうちにも、人間の上下関係を心の中でつく
る。先輩、後輩意識も強い。それが電話の応対のし方に表れる。目上の人や、地位、肩書き
のある人には必要以上にペコペコし、そうでない人にはいばってみせる。

私の知人の1人がそうで、相手によって電話のかけ方が、まるで別人のように変わるからおも
しろい。(政治家の中にも、そういう人がいる。選挙のときは、米つきバッタのようにペコペコし、
当選し、大臣になったとたん、ふんぞり返って歩くなど。その歩き方が、まさに絵に描いたような
偉ぶった歩き方なので、おもしろい。)

 そのほかにたとえば、あなた自身の(心の中)をさぐってみればわかる。あなたが、どういう人
を立派と思っているか、それをさぐってみればわかる。印象として、それなりの肩書きがあり、
どこか堂々としている人を、「立派」と感ずる人は、かなり権威主義的なものの考え方をする人
とみてよい。

このタイプの人は、日ごろから世間的な見栄を大切にする。あるいは外から見た自分に注意を
払う。そのため他人には、立派に見える。(「立派」という言い方そのものが、封建時代からの
亡霊である。)

 この権威主義が、家庭へ入ると、子育てそのものをゆがめる。

 親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では仮面をかぶるようになる。そしてそ
の分だけ、子どもの心は親から離れる。仮にうまくいっている家庭があるとしても、それは子ど
も自身がきわめて従順か、あるいは子ども自身も権威主義的なものの考え方を受け入れてし
まっているかのどちらかにすぎない。たいてい親子関係はぎくしゃくしてくる。キレツから断絶へ
と進むことも多い。

 ……と決めてかかるいのは、危険な面もあるが、もうこれからは親が親の権威で子育てをす
る時代ではない。江戸時代や明治の昔ならいざ知らず、葵の紋章だけで、相手にひれふした
り、相手をひれ伏させるような時代ではない。またそういう時代であってはいけない。

私もいろいろな、その世界では第一級の人たちに会ってきたが、そういう人ほど、腰が低く、ど
こか頼りない。相手がだれでも、様子が変わるということはない。つまりそれだけ自分自身を知
っている人ということになるのか。

生きザマのひとつの参考にはなる。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●ゴーストライター(Ghost Writer)

 11月も入って、まもないころ、1人のドクターから、ハガキが届いた。読むと、「このところ体
調をくずして、年始の年賀状を失礼させていただきます」とあった。よほど体の具合が悪いのだ
ろう。追伸の欄には、「お手紙をいただきましても、返事を書く気力もないと思いますので、どう
かお許しください」とあった。私とワイフは、そのハガキを見て、しばし言葉をつまらせた。

 私は20代のころ、いろいろな出版社で、ゴーストライターをしていた。そうして書いた本は、1
5冊前後はあると思う。「思う」というのは、こうして生まれる本は、いろいろな人の手を経て出
版されるからだ。

私があらかじめ原稿を書き、あとで著者が手なおしするというケースもあった。あるいは著者
が、まず自分の声をテープレコーダーに吹き込み、それを聞きながらリライトするというケース
もあった。だから実際のところ、何冊書いたかと聞かれても、わからない。

 が、どういうわけか、私が書いた本は、どれも売れた。その中の一冊に、「xxx」という本があ
る。あるホームドクターの日常的なできごとを書いたものだが、これはあとで、テレビのドラマに
もなり、そののち、10年以上も売れつづけた。が、私はいわば、請け負い業者。原稿ができた
段階で、いくらかのお金を受け取って、それでおしまい。ふつう、相手の方が私を忘れる。……
忘れたがる。

 ゴーストライターには、一応、守秘義務というのがある。原稿を売った段階で、著作権も渡
す。と、同時に、以後、その原稿にまつわるいっさいの権利を放棄する。あとになって、「あの
本は私の書いたものです」とは、言わない。言えない。言ってはならない。

 が、その本が、そこまで売れるとは思ってもみなかった。出版後、ちょう1年で、12万部も売
れた。定価が1800円。そのドクターへの印税は、12%だったから、それだけで約2600万円
近くになった。なんとか賞という、賞まで取った。

私はそのニュースを出版社からの電話で聞いたが、そのドクターは、さぞかし居心地の悪い思
いをしたことだろうと思った。とてもいっしょに、喜ぶ気にはなれなかった。
 
 が、ふつうなら、著者(?)と私の関係は、私が出版社へ原稿を売り渡したときに終わる。しか
しどういうわけだか、そのドクターとは、それから30年近くも、関係がつづいた。そのドクター
は、ことあるごとに、私に気をつかってくれた。最初のころは、盆や正月には、それなりのもの
を、届けてくれた。

その気持ちは、よくわかった。あるいはあとになって、私が彼の名誉をひっくり返すようなことを
するとでも思っていたのだろうか。しかし私はそんなタイプの人間でない。

 そのドクターからは、そのあとも、年賀状だけは、毎年届いた。ときどき数年、私のほうが出
さなかったことはあるが、それでも、毎年届いた。が、そのうち何というか、私は親近感を覚え
るようになった。実のところゴーストライターとして書いた本など、見たくもない。思い出したくも
ない。その著者(?)の名前を聞くだけで、不愉快になる。いつか私は、ゴーストライターは、娼
婦のような商売だと思ったことがある。娼婦は体を売るが、ゴーストライターは、魂を売る、と。
それに私が書いた本が売れたという話を聞くのは、気持ちのよいものではない。何だか損をし
たという気持ちになる。

 マスコミの世界は、本当に不可解な世界だ。中身など、ほとんど評価されない。そのドクター
は、先にも書いたように、なんとか賞という賞を受賞している。が、その賞は、本来、私がもらう
べきものだ。しかしなぜ彼がその賞を取ったかといえば、その本が売れたからにほかならな
い。そしてなぜ売れたかというと、中身ではない。そのドクターのもっていた、知名度だ。彼の父
親は、xxxの世界ではよく知られた有名人だった。

 実際には、私はそのドクターとは、一度しか会っていない。最初、出版社の編集長が、私を彼
に紹介したときだ。あとは私のほうで勝手に原稿を書き、そのまま出版社に渡した。ここにも書
いたように、この種の本は、いろいろな方法で出版される。

しかしその本は、私があちこちの病院を取材し、ほぼ100%、私が書きあげた。ただ「本」とい
うと、特別の思いをもつ人も多いが、私にとっては、ただの商品。それを書くのは、私のビジネ
スだった。だからそういうインチキなことをしながらも、私自身には罪の意識はなかった。

が、それが10年、20年とたつと、変わってきた。その後、私が自分の名前で出した本は、どう
いうわけだか、売れなかったこともある。「やはり、この世界、知名度が大切」ということを思い
知らされるたびに、自分のしてきたことを後悔するようになった。

 そのドクターから、ハガキが届いた。文面からすると、冒頭にも書いたように、病状はかなり
重いらしい。読み返せば読み返すほど、病状の重さが、ひしひしと伝わってきた。心のどこか
で、憎んだこともある。心のどこかで、軽蔑したこともある。心のどこかで、ねたんだこともあ
る。そのドクターが、重病だという。

もう少し若ければ、知人の死として、距離を置くことができただろうが、「自分の時代は終わっ
た」という思いが、私の心をふさいだ。仮にそのドクターが死ねば、ゴーストライターをしていた
ころの自分も死ぬことになる。あのときのあの本が私の本だと、それを証明する人がいなくな
る。

 「しかしこのドクターも、根はいい人だったんだね」と私が言うと、ワイフも、「そうね」と。「最後
の最後まで、ぼくのことが気になったのだろう。いや、ぼくなら気になる。降ってわいたような企
画に、名前を貸しただけで、数千万円の印税を手にした。その上、賞までもらい、ちょっとした
有名人にもなった。そのもととなる本が、ゴーストライターによるものだとなるとね」と。

 「あなたがいつか名乗り出るとでも思ったのかしら?」
 「ははは、ぼくはそんなことはしない。しかし、だよ。そのドクターは、その前にも、そしてその
あとにも、1冊も本を書いてない。きっと書けなかったのだろうね」
 「でも、何だかかわいそう」
 「そうだね。結局は自分の人生を汚してしまった。でも、あの賞の授賞式のとき、『この本は、
林というゴーストライターが書いたものです』と言いたかったのかもしれないね」
 「でも、できなかった……」
 「そうだね。彼としては、この話は墓場までもっていくつもりだよ」

 私はそのハガキをもう一度ゆっくりと読みなおすと、壁につりさげた状さしの中にしまった。そ
していつものように外へ出て、自転車にまたがった。
(0x−11−5)

(追伸)このエッセーは、そのドクターのために書いた本の文調と体裁をまねて書いてみた。こ
の文調と体裁こそが、その本が私の本であるという証拠ということになる。

+++++++++++++++++

 この世界には、こうしたインチキは、そこにも、ここにも、どこにでもある。

 私は、それを言いたかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 学歴詐称 学歴詐欺 権威主
義)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2405)

●USTREAM 放送局

I have just finished registering myself at the USTREAM TV station, and my code name is "
BW-Hamamatsu". Please enjoy it from this coming January.

++++++++++++++++++

USTREAMというサービスを使うと、
LIVEで、超ミニ放送局を、開局する
ことができる。

(もちろん自分の映像を、写真のように
保存しておくこともできる。これは、
YOU TUBEに似ている。)

早速、登録してみた。あとはWEBカメラを
取り付ければ、OK。

現在は、あちこちのミニ放送局をのぞいて
いるところ。けっこう、それが楽しい。

チャット方式で、こちらからメールを
送ることもできる。

メールは、そのまま相手方の画面に表示さ
れる。その瞬間、「ハママツのBWさん、
USAへ、ようこそ!」と、画面上の
相手から、反応が返る。

+++++++++++++++++++

USTREAMの登録は、

http://www.usream.tv/

で、する。

「Sign Up」で、必要事項を書き込めば、
それで登録は終了。ついでに自分のチャンネルを
つくり、放送局も開局!

2008年1月以後は、
「BW−Hamamatsu」で、
検索できるはず。

「search」のボックスに、「BW−Hamamatsu」
と書き込んで、クリックすれば、私の放送局を、見て
もらえるはず。

しばらく、このUSTREAMにハマりそう。
「ヘエ〜、こんなこともできるようになったの
だなあ」と、今は、感心している。

++++++++++++++++++

なおマガジンのHTML版(カラー版)のほうでは、
画面をそのまま紹介するつもり。

時間を決めて放送するつもり。


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最前線の子育て論byはやし浩司(2406)

【2008年1月1日】Jan. 1st, 208

Happy new year!

++++++++++++++++++++

時刻は、午後7時15分。
やっと自分の時間になった。

ここ数日、原稿は、ほとんど書いていない。
「F雑誌」からの原稿依頼があったが、
その仕事は、数時間ですんでしまった。

で、今日は、1月1日。
2008年。

2008だア!

++++++++++++++++++++

The time is now 7:15pm.
Now is my own time.

I have not written anything these few days.
I was asked to write an article for "F" magazine.
But I finished writing it in a few hours.

Today is Jan. 1st. The year is 2008.
Yep, 2008!

++++++++++++++++++++

●南オーストラリアで、45度!

 南オーストラリアに住むB君から、電話があった。気温は、45度だという。「信じられない」と
言ったら、すかさずメールで、オーストラリア気象局のデータを送ってきてくれた。近くにある、
(近くといっても、50キロほど離れているが)、Keith(キース)の町でも、40度もあったという(1
2月30日、31日の両日)。

 A friend of mine who lives in South Australia let me know it was about 45 c degrees. I said, 
"I can't believe it". Then he sent me an official report of weather observation, issued by 
Australian government (Bureau of Meteorology). It has been 40c degrees in Keith, which is 
near to the friend's home on Dec 30th and31th.

 「どうやって過ごしているのか?」と聞くと、「部屋の中で、クーラーをつけっぱなしにしている」
とか。風呂でも、42度を超えたら、熱くて入れない。電話の中で、クィーンズランド州のほうで
は、洪水が発生しているところもあると話してくれた。熱波に洪水、そして干ばつ。私が学生時
代のころには、世界でも、もっとも住みやすい都市として知られていたメルボルン市にしても、
昨年(2007年)は、熱波に襲われ、連日、40度近い日々がつづいたという。

 オーストラリアの気候は、いったいどうなってしまったのか。

 When I was in Australia in 1970, Melbourne was knows as one of the most comfortable 
cities in the world to live. But last year(2007), they say they had had hot days over 40c 
degrees. How can we understand the weather there?

●同窓会

 明日、中学時代の同窓会が、郷里の町である。「とくに会いたい人もないし……」と、私がこ
ぼすと、ワイフがこう言った。「気になる女性はいないの?」と。

 答は、残念ながら、「NO!(いない)」。

私「つきあった女性もいないし……」
ワ「好きだった人は?」
私「いたけど、片思いだった」
ワ「その人に会いたくないの?」
私「高校も、同じだったから……。高校に入ってからは、その人への思いは消えた」と。

 「男女の縁は、同窓会の花」という。(私が勝手に、そう言っているだけだが……。)頭の中を
あれこれさがしてみるが、どんな女の子がいたのか、名前すら、よく思い出せない。明日は、早
めに退散してこよう。

 いや、帰りに、大学時代の先輩の家まで、歩いてみたい。距離は、10キロ近くある。よい運
動になる。

 Tomorrow I have a class-reunion party in my home-town. When I murmured that I haven't 
anyone especially whom I want to see, then my wife asked if I have someone who annoys 
my mind. But the answer is "No". Men and women create many love stories which shine this 
sort of parties, but I am hardly able to recalls even the names of girl friends. I think I'd 
better leave the party earlier and I want to try to walk to my friend's home which is abt. 10 
km from there. It would be a good exercise.

●初夢

 日本では、正月早々に見る夢を、「初夢」という。そしてその夢の中で見たことは、「正夢」に
なるという。「正夢」というのは、その年に、実現する夢ということらしい。

 しかし私のばあい、正月にも夢はよく見るが、当たったためしがない。今朝の夢は、かなりヒ
ワイな夢だった。どこかの温泉に入っていると、若い女性たちが、ドヤドヤとその中に入ってき
た。

 しかし私は、あわてて湯の中にもぐって、体を隠した。これも、初夢か。こんな夢、実現して
も、しかたない。ア〜ア!

 In Japan they say that the dream we have for the first time of the year will come true 
during the year. So the dream is called "Real Dream" in Japan. As for me I have often 
dreams when I am sleeping. This morning I had, too. It was a pretty sexy one in which I was 
having a bath with young girls. Is this also a kind of "Real Dream"? I feel myself rather 
miserable.

●年賀状

 今年は、だれにも、年賀状を出さなかった。気持ちよかった。スーッとした。やっとあの呪縛
感から解放された。気が楽になった。私たちの世代は、本能に近い部分にまで、「年賀状は出
すべきもの」という意識が、刷り込まれている。徹底的に、そう教育されている。

 で、今日は、午後は、その返事書きに忙殺された。

 やはり年賀状をくれた人には、申し訳ない。私にとって大切な人も多い。

 In Japan we exchange new year's greeting cards every year. But our generation was 
educated or imprinted deep into our brains that we should do this. But this year I did not 
send any cards to anyone. Then I feel liberated from the burden. I feel relaxed and free. So 
this afternoon I was very busy replying to each cards. Many of them are the ones from 
very important people. I can't ignore them.  


●正月3日(New Year's Greeting Card、Jan.3rd, 2008))

 早くも、今日は、1月3日。この3日間、まったく原稿を書かなかったことになる。(ゾーッ!)こ
うして私の生活はだらしなくなっていく。緊張が薄れていく。

 さてまたまた年賀状の話。

 年賀状をくれた人には、返事を書いた。そのとき、改めて、こんなことに気づいた。

 その第一。

 私が知らない遠い昔の話だが、年賀状ができた当時は、たいへんな衝撃だっただろうという
こと。今のインターネットに匹敵するほどの衝撃ではなかったのか。

 何しろ、新年のあいさつが、(郵便)という手段でできるようになった。当時の人たちは、こぞっ
て年賀状を出しあった(?)。

 フタバ株式会社のHPには、つぎのようにある。

 「明治20年前後になると、「年賀状を出す」ということが、国民の間に年中行事のひとつとし
て定着します。その結果、毎年末から年始にかけて、郵便局には多くの人々が出した年賀状
が集中し、郵便取扱量が何十倍にも跳ね上がりました」と。

 明治3年(1870年)に、現在の郵便制度ができ、年賀状が、国民の間で定着し始めたの
は、明治20年前後ということらしい。明治32年に、「年賀郵便物特別取り扱い開始」(同サイ
ト)とある。

 それ以前はというと、飛脚が、今でいう郵便物を届けていた。ただしこの飛脚は、私が子ども
のころ(昭和20年代)も、まだ残っていた。飛脚の歴史は、長い。

 で、返事を書いているとき、1人、住所が読みづらいのがあった。それで昨年の年賀状を取り
出して、そちらのほうを見ながら、住所を書くことにしたのだが、驚いたことに、文面、体裁が、
まったく同じ!

 日付だけ、変えてあった。それを見て、ワイフが、「あら、この人ったら、去年と同じ年賀状よ」
と。

私「あのなあ、うちだって偉そうなことは言えないよ。しめ飾りだって、去年のを使っているよ」
ワ「だって、それは、内輪の話でしょ。外の人には、関係ないでしょ」
私「……だったら鏡餅は、どうだ? 冷凍庫に入れておいて、また翌年、使うというのは?」
ワ「そうねえ……。今度からプラスチックか何かでできた鏡餅にすればいいのよ」
私「それも、アイデアだな……。今度から、そうしようか……。しかしそんな鏡餅、売っているか
な?」と。

 しかし私のばあい、年賀状だけは、同じものを出したことがない。毎年、かならず、内容を変
えるようにしている。

 まあ、この問題は、人、それぞれ。

 同じしめ飾りを使うのは、不謹慎と思う人もいれば、そうでないと思う人もいる。同じ年賀状を
出すのは、不謹慎と思う人もいれば、そうでないと思う人もいる。

 私のばあい、去年は、年賀状は、すべて手書きで書いた。絵も手書きで描いた。しかしこの
方法だと、50〜100枚が限度。

 で、今年は、とうとう、こうなった。つまり1月1日に、年賀状をくれた人だけに、返事を書くこと
にした。

来年は、もっとだらしなくなりそう。


●USTREAM

 再び、USTREAM(ユーストリーム)の話。このUSTREAMを使えば、声を直接、HPに載せ
ることができる。で、昨夜も、2作(2編というべきか)ほど、UPLOADしてみた。

 これが楽しい。おもしろい。

 このUSTREAMに、YOU TUBEを合体させると、声と音楽を同時に送信できる。今までの
文字だけのHPを、(本)の世界とするなら、声を音楽を載せたHPは、(テレビ)の世界というこ
とになる。

 さらにUSTREAMのすごいところは、その場で、チャットができるということ。それを見ている
人が、画面の向こうにいる人に向かって、情報を伝達することができる。つまり双方性があると
いうこと。

 この先、この世界は、ますます進化するにちがいない。いったい、どこまで進化するのだろ
う。楽しみというより、恐ろしい。恐ろしいというより、不安。

 今、私がしていることにしても、あっという間に、陳腐になってしまうかもしれない。そしてやが
てすぐ、情報のゴミとして処分されてしまうかもしれない。電子マガジンにしても、HP(ホームペ
ージ)にしても、すでにその時代は終わったと言う人もいる。

 そう言えば、息子も、先ほど、こう言った。

 「USTREAMは、おととし(06年)、アメリカでもはやったけど、今は、あまりしていない」と。

 何と、USTREAMすら、時代遅れだというのだ。私は「フ〜ン」と答えるだけで、精一杯だっ
た。


●同窓会

 「還暦の同窓会」ということで、もう少し皆が集まるかと思っていたが、約600人中、集まった
のは、100人と、意外と少なかった。

 主催したM君が、さかんに、「集まりが悪くてごめん」と言っていたが、これはM君の責任では
ない。

 帰り際、こんな話をした。「ぼくらの年代は、約3分の1が、何らかの大きな病気をかかえてい
るから……」「それに奥さんとか、夫が病気をかかえているケースも多い」と。

 同窓会に、元気な顔を出せる人は、それだけでも、幸福と思わなければならない。

 で、バスに乗ってから、こんな問題を自分に出してみた。

 60歳で、約3分の1の人が、何らかの大きな病気をかかえているとする。すると、夫婦ともど
も、元気な家庭は、全体の何分の1か、と。

 このばあい、つぎのようにして計算する。

 3分の1が、何らかの大きな病気をかかえているとする。すると残りの3分の2が、ほどほど
に健康ということになる。

 そこで夫婦ともども、ほどほどに健康な人は、3分の2(掛ける)3分の2で、9分の4ということ
になる。

 つまり1(ひく)9分の4で、残りの9分の5の夫婦が、どちらか一方、もしくは、両方が、大きな
病気をかかえていることになる。

 9分の5といえば、約半分程度ということになる。しかも3分の1(掛ける)3分の1で、9分の1
の夫婦は、ともに大きな病気をかかえていることになる。

 こういう数字を見ただけでも、健康であることに、私たちは感謝しなければならない。……とい
うような話を、家に帰ってから、ワイフにした。

 これには、あのヒネクレ者のワイフも、素直に同意してくれた。

 しかしこの問題は、(時間の問題)。今、健康でも、明日はわからない。来年は、わからない。
大切なのは、やはり、「今」ということになる。明日は、「今日」の結果として、かならず、やってく
る。


●気になる友人

 同窓会で、M君の話が出た。高校のとき、3学年、同じ教室で学んだ。そのM君が、今、精神
病院に入院しているという。「かぎのついた部屋でね」と、その友人は、言った。その友人は、と
きどき、見舞いに行っているらしい。

 M君は、10年ほど前まで、ときどき、私の家にも遊びに来てくれた。そのたびに、泊まってい
ってくれた。どこか変だなという印象はもったが、私は、それを個性と思っていた。子どものこと
ならよくわかるが、おとなのことになると、ほとんどと言ってよいほど、わからない。

 そのうち年賀状もこなくなり、そのまま、疎遠になっていった。

 私はそのM君の話を聞きながら、「私も同じようなもの」と、何度も思った。つまり(精神的に
正常な人)というのは、いない。最近の精神医学では、それを前提として考えるのだそうだ。そ
んな話を、何かの本で読んだことがある。

 だからどういう人を、正常といい、またどういう人を、そうでないというのか、その基準はないと
いうことになる。今は、たまたまM君が、精神病院に入っている。私だって、明日、入るかもし
れない。

 それがわからなければ、あの老人ホームをのぞいてみることだ。認知症が進むと、みな、お
かしくなる。母が住んでいるホームにしても、ときおり、大声で叫ぶ女性がいる。そういう女性
と、M君はどうちがうのか。恐らく、専門家にも、それはわからないだろう。

 M君の奥さんとは面識はないが、電話では、よく話した。一度、そのうち、見舞いに行こうとは
思っているが、M君というより、M君の家族は、それを望んでいないかもしれない。どうしよう
か?


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2407)

【今朝・あれこれ】(Jan.4th 2008)

+++++++++++++++++

今朝は、何と、午前9時半起き。
8時ごろか……と思って起きたら、午前
9時半だった。

10時間も(?)、眠ったことになる。
ホントかな?

おかげで夢ばかり、見ていた。

今、覚えているのは、こんな夢だ。

どこかの会場で、だれかの講演を聞いている。
会場は、パーティ会場のようにザワザワし
ている。

私はいちばん窓側の席に座って、外を
ながめている。

通りの向こうには、古ぼけた商家があって、
何かを壺に入れて売っている。
私はそれをデジタルカメラを使って、撮る。

講演が終わったらしい。

同じくザワザワとした感じで、皆が部屋を出る。
私もそれにつられて外に出る。

外はゆるい下り坂になっていた。
その先に、バスが止まっていた。

つぎの瞬間、私はバスの中にいた。
息子が、外人となにやら話していた。
私はいちばんうしろの席に座った……。

まったく意味のない夢。
古い商家は、滋賀県の長浜で見た商家に
似ていた。

講演会の会場は、先日あった同窓会の
会場に似ていた。

バスは、子どものころに乗った、ボンネット
バスのような感じのバスだった。

講演会の話の内容は、覚えていない。
息子がどんな会話をしたのかも、
覚えていない。

ずいぶんといいかげんな夢だ。

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【1月4日】

●株価暴落

 ニュース欄に目を通す。まっさきに飛び込んできたのが、「株価、500円安で始まる」(ヤフ
ー)。一方、「金と原油は、最高価格を更新」と。さっそくN証券のウェブサイトをのぞく。

 午前10時半現在、約600円安。株価は急斜面をころげ落ちるかのように、下げつづけてい
る。

 私は、今回の暴落が始まる直前、手持ちの株をうまく売り逃げた(12月23日ごろ)。ワイフ
が、「どこか、温泉へ行きたい」と言ったので、正月の資金づくりのために、そうした。「よかっ
た」と思いたいが、ここまで下げると、日本の経済のことが心配になる。

 が、同時に、こういうときというのは、買い時でもある。

 底値を打ったところで、少し買いを入れる。今は、じっくりとその(見定め)のとき。
 

●パキスタン

 ブット女史が暗殺されてから、パキスタンは、ますます混迷の度を深めている。軍事政権と宗
教政治。この2つが、ゴチャゴチャになっている。

カシミール地方の領有権(水資源確保)の問題で、長い間、インドと対立してきた。軍事政権が
つづいているのは、そのため。一方、モスリムの原理主義者たちが、勢力を保っている。タリバ
ンもそのひとつ。この構図は、この30年間、何も変わっていない。

 ただし、一言。日本では「原理主義」と訳すが、わかりやすく言えば、「反英」が、「反米」に転
じた、国粋主義のこと。以前、それについて書いた原稿を添付する。日付を見ると、06年の2
月となっている。ほぼ2年前に書いた原稿ということになる。

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●イスラム原理主義

What is Islam? Here is what I think about it.

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どうもよくわからないのが、イスラム教
の世界、そしてイラン。

イスラム原理主義って、いったい、
何なのか? イランはどこに向かって
進んでいるのか?

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 このところ、毎日のように書店へ立ち寄っては、イスラム教の本を読む。興味がある。もっと
知りたい。私にとっては、決して、無縁の世界ではない。留学時代の友人の何割かは、そのイ
スラム教徒であった。イランについて言えば、原油との関係において、日本人にとっては、決し
て、無縁の国ではない。

 イスラム教の世界にも、近代化の波が押し寄せたことがある。その筆頭にあげられるのが、
トルコ。

 トルコは、第一次大戦に敗北し、オスマントルコが解体されたあと、近代化の道を歩んだ。そ
れまでの政教一致の国家体制から、政教分離の国家体制へと、大変革した。

 こうしてアラブの世界にも、つぎつぎと、近代国家が生まれていった。アルジェリア、シリア、エ
ジプト、それにイラクもそうだ。

 が、これに対抗する勢力も生まれてきた。それが、ハサン・アル・バンナー(1906〜49)率
いる、『イスラム同胞団』である。イスラム同胞団は、イスラム教に基づく、国家建設こそが、ア
ラーの教えに従ったものだと、民衆に向かって説いた。

 私たちが今、「イスラム原理主義」と呼んでいるのは、それをいうが、そのイスラム同胞団は、
そののち反英闘争と結びつき、さらに最近では、反米闘争へと結びついていった。

 つまり歴史が長い。長いから、ここらあたりで、ちょっと日本がでかけて行って……というよう
なやり方で、理解できるような問題でもないし、解決できるような問題でもない。今回のイランの
核開発問題にしても、そうだ。

 アメリカは、単独でも、イランの核開発施設を攻撃する構えを見せているが、言うなれば、こ
れはアメリカ型合理主義と、イスラム型原理主義の対立と考えてよい。そのイランは、1979年
のホメイニ革命によって、政教一致の国家体制を築いている。

 しかしここで注意しなければならないのは、私たちがイスラム教に対してもっている、偏見と
誤解である。ものの考え方が、どうも西欧的というか、西欧の立場でしか、イスラム教の世界を
みない。たとえばここでいうイスラム同胞団にしても、「原理主義はおかしい」というふうに、すぐ
考えてしまう。またそういう前提で、ものを考えてしまう。

 しかしもとを正せば、イスラム同胞団にしても、イギリスの植民地政策への反発から生まれた
ものである。事実、イギリスは、イスラム同胞団を、徹底的に弾圧したこともある。そういう歴史
があることも忘れて、今ここで、「イスラム原理主義は……」と論ずることは、危険なことでもあ
る。

 が、しかし皮肉なことに、こうした原理主義は、国家の近代化の足かせとなるだけではなく、
ばあいによっては、国家そのものの近代化を後退させる原因ともなりかねない。イランについ
て言えば、国家が目ざした工業などの近代化は、ことごとく失敗。原油を売るだけの国になって
しまった。わかりやすく言えば、西欧との差をますます広げている。

 そこで今回のイランの核兵器開発問題について言えば、そうした(あせり)が、イランをして、
核開発に向かわせたとも考えられなくはない。このままでは、イランは、アラブ社会の中でも、
「顔のない国」になってしまう。イランは、それを恐れた(?)。

 ところでイランの核兵器開発問題は、決して日本とは無縁の問題ではない。もし国連の安保
理で、経済制裁ということにでもなれば、日本は、この地域から、最大の油田開発の1つを失う
ことになる。アザデガン油田が、それである。日本に与える影響は、甚大である。

 今日も、これから近くの書店へ行って、あれこれ本をあさってくるつもり。

【補記】

 現実の数字。

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
              2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

 中東の政治的安定は、日本にとっても、死活問題なのである。こうした現実を無視して、「イラ
ン問題は、日本には関係ない」と、どうして言うことができるのか。

 04年2月、日本とイランが開発に合意した、「アザデガン油田」は、推定埋蔵量260億バレ
ルで、世界第二の大油田ともくされている。

 もし、イランの核疑惑問題がこじれるようなことがあると、日本は、この油田の利権すらも失う
ことになる。すでに日本は、4年前、アラビア石油のカフジ油田の利権の半分を、失っている。

 悲しいかな、ここは、中東最大の宗主国であるアメリカに、日本は、泣きつくしかないのであ
る。アメリカの機嫌をそこねたら、アザデガン油田はもちろんのこと、日本は、中東から原油を
輸入することすら、ままならなくなる。

 さあ、どうする、日本!

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 わかりやすく言えば、まず宗教が政治に口をはさまないこと。つぎに軍事政権から民主政権
に移動すること。この2つを成し遂げないうちは、パキスタンには、明日はない。

 ついでに、前回、総裁選挙で敗れたA氏について。

 A氏は、このところさかんに全国行脚をつづけ、次期総理大臣の席をねらっているという。若
者たちによる支持もふえているという。

 しかし私は、あえて言う。

 若者たちよ、だまされるな!

 同じころ(2006年2月)に書いた原稿が見つかった。それを添付する。

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●A外務大臣・続報(The rightist, Mr. A) 

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アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、
日本のA外務大臣の発言に対して、

「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうか
がえない」と、批判した。

当然である。

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アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、2月13日、日中関係や靖国神社参拝などをめぐるA外
相の最近の歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうかがえない」
と批判する社説を掲載した。

 社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」と述
べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言を取りあ
げ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判。(以上、毎日新
聞)

 A外務大臣の発言に対しては、私も、まったく同じ印象をもった。それについて書いた原稿
を、そのまま、もう一度、ここに掲載する。

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●A外務大臣

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A外務大臣が、靖国神社参拝問題に関連し、
「天皇陛下による参拝が一番だ」と述べた
という。

「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば
言うだけ、行かざるを得なくなる。

『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ。

黙っているのが、一番』と、も。
(中日新聞・06年・1・29)

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 A外務大臣は、こう述べたという。

 「(靖国神社に)まつられている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と言った
のであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです。だったら、天皇陛下の参拝、それが一番」
「天皇陛下による参拝が一番だ」と。

 この発言には、いくつかの重大な問題が隠されている。それらを順に考えてみたい。

(1)天皇は、外務大臣のあやつり人形なのか?

 この発言を聞いて、一番驚いているのが、天皇自身ではないのか。A外務大臣が、天皇の意
思や意向を聞いた上で、こうした発言をしたのなら、まだわかる。しかしそういったプロセスを、
何も経ないで、いきなり「天皇陛下による参拝が一番だ」とは!

 もしあなたが天皇なら、何と答えるだろうか。どう考えるだろうか。あるいはもっと卑近な例で
考えてみよう。もしだれかがあなたに、「子育ての最中にあるのだから、あなたに、菅原道真
(すがわらのみちざね)の神社を参拝してもらいます。それが一番だ」と言ったら、あなたは、ど
う答えるだろうか。

 天皇の内心のことは、私にもわからない。しかし天皇のほうから、そういった希望でも出され
ているのなら、まだしも、そういった希望を確認しないまま、外務大臣(ごとき)が、そういう発言
をすることは、許されない。少なくともそういった天皇自身の希望は、外の世界の私たちには、
届いていない。

(2)天皇の戦争責任を追及した言葉にならないのか?

「天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです」という
発言は、そのまま、天皇に対する戦争責任を追及した言葉になってしまう。自民党政権として
は、絶対に容認できない発言のはず。わかっていても、それを口にしたら、おしまい……という
のが、この発言である。それを、A外務大臣は、公(おおやけ)の場で、堂々と口にしてしまっ
た。

 A外務大臣のみならず、K首相は、この発言に対して、どう責任を取るつもりなのだろう? 
軽率といえば、軽率。

 私が知るかぎり、戦場の日本兵たちは、多くは、最後は、「お母さん!」とか、「お父さん!」と
か言って死んでいったという。「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった兵隊は、少なかっ
たという。

 が、それでも「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった、日本兵がいなかったわけでは
ないだろうと思う。が、そのことには、歴代の戦後政権は、あえて触れないで、今までやってき
た。もしそれが事実と認めてしまうと、その戦争責任は、まっすぐ、天皇に向かってしまう。

(3)『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ、とは?

 人格の完成度は、自己管理能力などによって決まる。自己管理能力のある人を、人格の完
成度の高い人という。

 が、A外務大臣は、「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば言うだけ、行かざるを得なくなる。
『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ」(中日新聞)と。

 新聞記事なので、不正確かもしれない。しかし「『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたく
なるのと同じ」という日本語は、正しくない。正しくは、「『たばこを吸うな、吸うな』と言われると、
かえって吸いたくなるのと同じ」である。

 それはともかくも、この自己管理能力のなさこそが、問題である。私やあなたのような凡人で
はない。外務大臣という、日本を代表する人物である。そういう人物が、自己管理能力のなさ
を、やはり堂々と自ら公表している。このおかしさ。この奇怪さ。

 しかも、中国や韓国に対して、「黙っているのが、一番!」とは! わかりやすく言えば、A外
務大臣は、中国や韓国に対して、「ごちゃごちゃ言わずに、黙っていろ」と発言したに等しい。こ
のごう慢さ。この高慢さ。

 おかげでこれから先、しばらく、日中関係、日韓関係は、ますます冷えこむことになるだろう。
私の知ったことではないが、しかし、外務大臣ともあろう大臣が、率先して、近隣諸国との関係
を悪化させるとは! 私も、ここまで日本の政治家たちの知的レベルが低いとは、思ってもみ
なかった。

(3)靖国神社参拝問題

 「英霊」「英霊」と言うくらいなら、今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、
何でも、しかけたらよい。それが「英霊」の意思を尊重する、もっともわかりやすい方法である。
先の戦争では、300万人以上もの日本人が死んでいる。しかもその大半は、アメリカ軍を中心
とする連合軍によって殺されている。

 しかしA外務大臣ですら、ひょっとしたら、英霊意識など、どこにもないのではないか。「英霊」
ということにしておかないと、まずいから、そう言っているだけではないのか。もっとわかりやすく
言えば、あの戦争は、勝ち目のない、愚かな戦争だった。

 あの戦争では、多くの日本人がだまされ、(だまされたのだぞ!)、戦場に駆り出され、そして
その犠牲者となっていった。つまり「英霊」という言葉は、当時の軍部たちが、自分たちの責任
を覆い隠すために使った言葉にすぎない。「英霊」と祭りあげることによって、「戦争を起こした
のは、国民であって、政府ではない」という形をつくった。つまり責任を国民に、押しつけた!

 それを今になってもち出して、あの戦争を肯定することは、許されない。中には、「あのとき戦
争をしなかったら、日本は、欧米諸国の植民地になっていた」と説く人もいる。「ソ連の進攻を
食い止めるために、日本軍は中国で戦った」と説く人もいる。

 なら、百歩譲って、もしそうなら、戦後の今の日本は、何かということになる。GHQによって、
完全に占領され、アメリカの植民地以上の植民地になってしまった。だから私はまた同じことを
言う。

 「今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、何でも、しかけたらよいのでは
ないか」と。A外務大臣、あなたがまず、その見本を見せてほしい。

 ……と、どうも、この問題を考えていくと、頭の中が混乱してくる。わけがわからなくなってく
る。みなが、何かをごまかすために、あるいは何かを隠すために、ものごとを遠巻きに議論し
ている。そんな感じさえする。

 あえて言うなら、今の皇太子妃の例を見てもわかるように、「天皇」「天皇」と、何もかも、その
負担を、天皇家に押しつけないことこそ大切ではないのか。「天皇だってふつうの人間」という
部分をねじまげて、あれこれと議論するから、話がおかしくなる。これ以上、天皇や天皇家の
人々を苦しめて、どうする。今度のA外務大臣の発言の底流には、そんな問題も隠されてい
る。(06年2月記)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●雑感・あれこれ

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正月も4日目になって、やっと
2008年という実感がわいてきた。

「2008年かア」と思ってみたり、
「もう、2008年ねエ」と思って
みたりする。

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●6か国協議(Wake up, Mr. Bush! Wake up, Mr. Hill!)

North Korea is not a sort of a country which we can trust. They gave us back false ashes 
of Megumi-san, saying "this is hers". North Korea will not give up their plan to develop 
nuclear weapons. Mr. Bush and Mr. Hill took a wrong choice about North Korea. They will 
know it more this year. Then is it really a wise way to keep assisting North Korea? South 
Korea is now planning to assist North Korea giving 40 billion US dollars to raise up their 
standard of living. 40 billion dollars! North Korea will come to depend other countries all the 
more.

 結局、K国は、約束を守らなかった。いつもの、あの難グセをつけて……。要するに、K国の
言い分は、「アメリカがテロ支援指定国を解除しないから、オレたちも、核開発リストを提出しな
い」ということらしい。

 これに対して、アメリカは、「疑念」という言葉を使い、対K国政策の変更をにおわせた。つま
り「どうも、K国は、信用できない」(08年1月)と。

 もとから、あんな国を信用するほうが、どうかしている。めぐみさんの遺骨として、平気で他人
の遺骨を送り届けてくるような国である。

 が、韓国の大統領引き継ぎ委員会は、こうした動きを無視するような形で、またまた援助の
話を持ちだしている。いわく、「非核・開放3000構想を下支えするために400億ドル規模の国
際協力基金の造成に乗り出すことで、意見をまとめた。非核・開放3000は、北朝鮮が核を放
棄することを前提に、北朝鮮の1人当たり所得が10年以内に3000ドルを達成できるよう支援
する」(08年1月4日・YONHAP・NEWS)と。

 簡単に言えば、400億ドル、つまり、日本円にして、4兆円以上もの援助をする、と。

 しかしこうした援助をつづければつづけるほど、K国は、依存心をもつだけ。それが回り回っ
て、K国の核放棄を遅らせるだけ。K国にしてみれば、核兵器あっての、K国。援助ということ
になる。

 あのK教授(在日韓国人、東大大学院教授)は、昨年から、おかしなことを言っている。いわ
く、「K国を援助しなければ、日本が国際的に孤立するだけ」(07年10月1日・YONHAP)と。

 孤立?
 
 どうして日本が、孤立するのか? 孤立して、どうして悪いのか? だいたい、孤立とは何
か?

 おおいに孤立、結構。日本は日本で、日本の正義を貫けばよい。


●日本から逃げる外資

 今日、1月4日、日本の株価は、戦後最大とも言える、大暴落を経験した。終値で616円安。
それについて、東証のS社長は、欧米やアジアの主要株式相場に比べて日本株が出遅れてい
ることに触れ、「(日本株の低迷は東京市場が)投資したい場所としての魅力を失いつつあるこ
とを示唆しているようにも映る」と危機感を募らせたという(日本経済新聞)。

 この記事を読んで、数年前に書いた原稿を思い出した。つぎのが、それである。日付は、20
02年になっている。

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【みんなで考えよう、日本の教育改革】(Open the door and liberate the market)

More and more foreign enterprises are going out of Japan. In 1990, there used to be 125 
enterprises in Tokyo Exchange Market but in 2002 there were only 36 enterprises. The 
number of enterprises are decreasing. The reason is very simple. It costs a lot of money for 
translation from their languages to Japanese. We should open the door to the world and 
liberate the market. Or more and more foreign enterprises will go out of Japan. Here is my 
article which I wrote 6 years ago in 2002.

●遅れた教育改革

 2002年1月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの36社。この数は
ピーク時の約3分の1(90年は125社)。さらに2003年に入って、マクドナルド社やスイスの
ネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、コスト高
の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用しない国だか
ら、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)による
情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとすれば。今
どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ二を争うしま
つ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試験で、日本人の成績
は、165か国中、150位・99年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や理
科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。今では分
数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題で、正
解率は59%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそうだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、1000近い分析
方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本に
は数えるほどしかいない。あの天下の東大には1人もいない。ちなみにアメリカだけでも、250
人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。

「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たいへん
お粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の参観日
(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まるでプロレスの授業で
した」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立高校
の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを言った。
いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。すると別の教師
が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのがいる」と。そこで私が
「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「みんな、自動車の教習本を読んで
いる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう15年以上も前のこと。日本では
大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。
「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり
何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。

もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊す
る。確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査で
も、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、26%もいる(2000年)。98年の調査よ
りも8%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌクと
生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護
送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、20年先、30年先を見越して、「形」を作らねば
ならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに10年以
上も前から、小学3年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市にある、ほとんどの
グラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の
中から、1科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピ
ュータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護
の科目もある。

もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科目の一つ
とのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減して
いるという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教えてくれた。
「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを閉鎖した学校もあ
ります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っているのだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。もっと
はっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方に任
す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかしい。
日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、それこそまさ
に世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をのさばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良な会社
人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために
命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、こ
れからはそういう時代ではない。

日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのような教育
観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日本
語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、ム
ダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、
外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送るのは
ムダ」と。

私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかりとした日
本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校で
は、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。たとえばルイサ・
E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、4歳児から子どもを預かり、コ
ンピュータの授業をしている。

近くのヘンダーソン州立大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれ
た。「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、教育
の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べている。「(教
育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること」(長野県経営者協会会合の
席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたちは学
校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語を教える必
要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文法
学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者になる
には、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体系だから
だ。だからおもしろくない。だから役に立たない。

こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわい
そうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自
分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、3人称単数だの、そんなことばかり
にこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学1年の入学時に
は、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、
「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なものな
のか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切なものな
のか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのか。

こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生活を営
む上で必要な基礎学力だ」と。もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なの
か」、それを説明してほしい。「なぜ中学1年で一次方程式を学び、3年で二次方程式を学ぶの
か。また学ばねばならないのか」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式
に上から押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなければいけ
ないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーション・「第3回学習基本調
査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こ
ういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語を教え
たい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもがいる。早くから
学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。早くから教える必要
はないという人もいる。

大切なことは、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生がやる
気をなくしてしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから家庭教育まで押し
つけられて、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。

ある教師(小学5年担任、女性)はこう言った。「授業中だけが、体を休める場所です」と。「子
どもの生きるの死ぬのという問題をかかえて、何が教材研究ですか」とはき捨てた教師もい
た。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそれができ
る環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で
考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。教師は
学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたないという制度が
徹底している。教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えない。

だからたとえば親がその教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。するとし
ばらくすると、教師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいのか悪いのかにつ
いては、議論が分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほうが多いことも忘れては
いけない。

+++++++++++++++

 6年前に書いた原稿だが、この6年の間に、日本の教育も大きく変わった。しかし、それでは
不十分。

 同じように、日本の経済構造も、旧態依然のまま。東証のS社長の言葉が、それを如実に表
している。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●義兄(My brother-in-law)

Last night we talked a lot with each other, me and my brother-in-law. We discussed about 
the religion mainly. He is a very gentleman and polite always to me. I respect him very much.

+++++++++++++++

昨夜、義兄が訪ねてきてくれた。
3時間ほど、話し込んだ。主に
宗教の話をした。楽しかった。
私は、義兄を心から尊敬している。

+++++++++++++++

●宗教とは何か(What is the religion?)

 英語では、こういう言い方をする。「絶壁に立て。突き落とされよ。飛び方は、それから学べ」
と。

In English-speaking world they say, "Stand on the cliff. You jump from the cliff. Then you 
learn how to fly."

 人は、追いつめられてはじめて、自分の力を発揮することができる。また追いつめられなけ
れば、自分の力を発揮することはできない。中には、追いつめられると、かえってあせってしま
い、何もできなくなってしまう人がいる。たとえばこの私が、そうである。大切なことは、その緊
張感を忘れないことか。

 しかし緊張感に耐えることは、容易なことではない。頭の中が混乱してしまい、まともにものを
考えることすら、できなくなる。たとえば受験勉強に追われたり、借金に追われたりすると、そう
なる。

 そこで宗教の登場ということになる。

 宗教に身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。その理由がわから
ないまま、その人を責めても意味はない。批判するなどということは、もってのほか。そっとして
おいてやることこそ、思いやりというもの。

 ところで世の中には、「?」と思われるような宗教(?)も、ないわけではない。たとえば「合格
祈願」や「商売繁盛」を、売り物にする宗教である。それを宗教と言ってよいかどうかは、わか
らないが、この日本では、「宗教法人」として登録されている。義兄は、こう言った。「そんなこと
に力を貸すような神様はいない」と。私も、同感である。

 火の中に栗があり、それがほしかったら、自分で取る。火が熱かったら、知恵を働かす。棒
か何かで、取る。祈っても、念じても、ムダ。

 そんな話をすると、義兄がこう言った。「強い人は、それでいい」「しかし世の中には、もがい
ても、もがいても、どうにもならない人がいる」「毎日が、挫折の繰りかえし」「そういう人は、どこ
に救いを求めればいいのか」と。

 よい例が、「孤独」である。仏教の世界にも、「愛離別苦」というのがある。四苦八苦のひとつ
である。

 愛する人に先立たれた人の苦しみや悲しみには、想像を絶するものがある。いくら渦中の栗
は、自分で取れと言われても、どうやって取ったらよいのか。「挫折」というより、それは「絶望」
に近い。

 私はまだそれほどまでの挫折を味わったことはない。ないが、薄い氷のすぐ下には、それが
あるのを、知っている。毎日、その薄い氷の上を歩いているようなもの。どこかでその氷が割
れれば、私も、そのままその下に落ちていく。

 こうした不安感とは、どうやって戦えば、よいのか。はたして、自分の力だけで、それと戦うこ
とはできるのか。絶壁というには、あまりにも過酷。飛び方を覚えろとは言うが、飛ぶことさえあ
きらめてしまうかもしれない。

 そこで自分を支えるために、キリスト教の世界では、「愛」という言葉を使う。仏教の世界で
は、「慈悲」という言葉を使う。儒教の世界でいう、「仁」も、似たような意味と考えてよい。

 そこで自分を超えたところに、自分をつないでいく。その結果として、「私」という自分を救済す
る。このことは、その逆の人を想像してみれば、わかる。

 昔、私の近くに、こんな人がいた。ことあるごとに私の家にやってきては、「私は、○○万円儲
けた」「私はこの地域でも、最高額の納税をしている」「今度、○○に、土地を買った」と。

 その人は、「だから私は偉い」というようなことを言いたかったのかもしれない。態度は大き
く、横柄だった。しかし私は子どもながらに、こう思った。「だからといって、それがどうした?」
と。

 その人が、いくらかでも、私たちにお金を分けてくれたというのであれば、話は別。しかしそん
な自慢話など、腸から出るガスのようなもの。言う方は楽しいかもしれないが、聞く方は、そうで
はない。私たちには無意味。

 やがてその人は、事業に失敗。破産寸前まで、追い込まれた。が、だれも、助けなかった。あ
の自慢話を聞かされた人ほど、そうで、そういう人たちは、その人を陰で笑った。

 ……というのは、お金の話だが、私たちの(孤独)についても、同じように考えることはできな
いだろうか。

 私たちが……というより、この私がなぜ、毎日、氷の上を歩いているような気分になるかとい
えば、「取る」ことばかり考えて、「与える」ことを考えないからではないか。つまり自分の範囲の
中だけで、「私」を考える。しかしこれではいつまでたっても、自分を超えることはできない。つま
り孤独と戦うことはできない。

 そこで最初の話にもどる。「宗教とは何か」と。

 義兄はこう言った。「どこかに合格したいと願っている人がいるなら、合格させてあげる」「どこ
かにお金がほしいという人がいるなら、お金を分けてあげる」「できればそうしてやりたいが、し
かしそれはできない。が、常日ごろから、その人の悲しみや苦しみを、分けもってやる。それな
らできる」「それが自分を超えることだ」と。

 つまりそれを教えるのが、「宗教」ということになる。わかりやすく言えば、絶壁から飛び降りる
前に、自分の体に羽をつける。飛び方を覚える。それが「宗教だ」、と。義兄は、そう言った。私
は、同意した。

(注)支離滅裂な文章で、すみません。またいつか、読みなおし、書き改めてみます。今日は、
このままマガジンに掲載します。

 
Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2408)

●息子のフリーソフトが、ウォールストリート・ジャーナルで紹介される

+++++++++++++++

息子が彼の妻のために作成した
家計簿ソフトが、ウォールストリート
ジャーナルで、紹介されました。

全世界の通貨に対応しているという
ことなので、みなさんの中で、
家計簿ソフトをと考えている人が
いたら、ぜひ、使用を検討してみて
ください。

もちろん無料で、ダウンロードでき
ます。

+++++++++++++++

(ウォールストリート・ジャーナル記事より)
Programmer Soichi Hayashi created SimpleD Budget for his wife, Denise. It runs in Windows 
and has colorful charts and visual aids to help people who need more than raw numbers. 
(Download at Web site 
dsbudget.sourceforge.net.
(April 29 2007)

プログラマー、ハヤシ・ソウイチが彼の妻のために作った家計簿ソフト。ウィンドウズ上で作動。
カラフルで、視覚的なわかりやすい。

当日の記事は、

http://online.wsj.com/public/article/SB117779856026586043.html?mod=sunday_journal_
primary_hs

++++++++++++++++

【林宗市から一言】

SimpleD Budget 

2、3年前に作りっぱなしになっていた僕の家計簿ソフトが、このごろあちこちのサイトで取り上
げられている。去年ウォールストリートジャーナルで紹介されたり、先日もまた$10募金してくれ
る人がいたりと、このソフトを気に入ってくれている人は地味に多いようだ。

今日はオーストラリアでSuburbView.comという不動産関係のサイトを経営している人から、ブロ
グ書いたよーという内容のメールが届いた。こちらがその記事。こういう使いかたもできるんだ
なあ、と勉強になった。

世界中の貨幣に対応しているので、もし興味があれば試してみてください。(無料です)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2409)

●昨日の原稿(An article I wrote yesterday)

Yesterday I wrote about the religion. It was a kind of which I don't know I am writing. Then I 
hereby rewrite it again with some comments. In short we love people for the case we need 
it someday. "Loneliness" is the worst hell we experience, where we have none to love and 
we have none who love us. 

++++++++++++++

昨日、宗教について原稿を書いた。
それが気になっている。

支離滅裂というか、自分の考えて
いることを、書ききれなかった。

そこで今朝、もう一度、書きなおして
みることにした。

++++++++++++++

【まず、昨日(1月4日)に書いた原稿】

●宗教とは何か(What is the religion?)(Original article)

 英語では、こういう言い方をする。「絶壁に立て。突き落とされよ。飛び方は、それから学べ」
と。

In English-speaking world they say, "Stand on the cliff. You jump from the cliff. Then you 
learn how to fly."

 人は、追いつめられてはじめて、自分の力を発揮することができる。また追いつめられなけ
れば、自分の力を発揮することはできない。中には、追いつめられると、かえってあせってしま
い、何もできなくなってしまう人がいる。たとえばこの私が、そうである。大切なことは、その緊
張感を忘れないことか。

 しかし緊張感に耐えることは、容易なことではない。頭の中が混乱してしまい、まともにものを
考えることすら、できなくなる。たとえば受験勉強に追われたり、借金に追われたりすると、そう
なる。

 が、こちらが望まなくとも、絶壁に立たされることがある。しかも想像を絶するほど過酷な絶壁
に、である。そういうときは、どうしたらよいのか。

 そこで宗教の登場ということになる。

 宗教に身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。その理由がわから
ないまま、その人を責めても意味はない。批判するなどということは、もってのほか。そっとして
おいてやることこそ、思いやりというもの。

 ところで世の中には、「?」と思われるような宗教(?)も、ないわけではない。たとえば「合格
祈願」や「商売繁盛」を、売り物にする宗教である。それを宗教と言ってよいかどうかは、わか
らないが、この日本では、「宗教法人」として登録されている。義兄は、こう言った。「そんなこと
に力を貸すような神様はいない」と。私も、同感である。

 火の中に栗があり、それがほしかったら、自分で取る。火が熱かったら、知恵を働かす。棒
か何かで、取る。祈っても、念じても、ムダ。

 そんな話をすると、義兄がこう言った。「強い人は、それでいい」「しかし世の中には、もがい
ても、もがいても、どうにもならない人がいる」「毎日が、挫折の繰りかえし」「そういう人は、どこ
に救いを求めればいいのか」と。

 ひとつの例が、「孤独」である。仏教の世界にも、「愛離別苦」というのがある。「四苦八苦」の
ひとつである。

 愛する人に先立たれた人の苦しみや悲しみは、それを経験したものでないとわからない。い
くら渦中の栗は、自分で取れと言われても、どうやって取ったらよいのか。どうやってその孤独
と戦えばよいのか。「挫折」というより、それは「絶望」に近い。

 私はまだそれほどまでの挫折を味わったことはない。ないが、薄い氷のすぐ下には、それが
あるのを、知っている。毎日、その薄い氷の上を歩いているようなもの。どこかでその氷が割
れれば、私も、そのままその下に落ちていく。

 こうした不安感とは、どうやって戦えばよいのか。はたして、自分の力だけで、それと戦うこと
はできるのか。絶壁というには、あまりにも過酷。飛び方を覚えろとは言うが、飛ぶことさえあき
らめてしまうかもしれない。

 そこで自分を支えるために、キリスト教の世界では、「愛」という言葉を使う。仏教の世界で
は、「慈悲」という言葉を使う。儒教の世界でいう、「仁」も、似たような意味と考えてよい。

 そこで自分を超えたところに、自分をつないでいく。その結果として、「私」という自分を救済す
る。このことは、その逆の人を想像してみれば、わかる。

 昔、私の近くに、こんな人がいた。ことあるごとに私の家にやってきては、「私は、○○万円儲
けた」「私はこの地域でも、最高額の納税をしている」「今度、○○に、土地を買った」と。

 その人は、「だから私は偉い」というようなことを言いたかったのかもしれない。態度は大き
く、横柄だった。しかし私は子どもながらに、こう思った。「だからといって、それがどうした
の?」と。

 その人が、いくらかでも、私たちにお金を分けてくれたというのであれば、話は別。しかしそん
な自慢話など、腸から出るガスのようなもの。言う方は楽しいかもしれないが、聞く方は、そうで
はない。私たちには無意味。

 やがてその人は、事業に失敗。破産寸前まで、追い込まれた。が、だれも、助けなかった。あ
の自慢話を聞かされた人ほど、そうで、そういう人たちは、その人を陰で笑った。

 ……というのは、お金の話だが、私たちの(孤独)についても、同じように考えることはできな
いだろうか。

 私たちが……というより、この私がなぜ、毎日、氷の上を歩いているような不安感を覚えるか
といえば、「取る」ことばかり考えて、「与える」ことを考えないからではないか。つまり自分の範
囲の中だけで、「私」を考える。しかしこれではいつまでたっても、自分を超えることはできな
い。つまり孤独と戦うことはできない。

 そこで最初の話にもどる。「宗教とは何か」と。

 義兄はこう言った。「どこかに合格したいと願っている人がいるなら、合格させてあげる」「どこ
かにお金がほしいという人がいるなら、お金を分けてあげる」「できればそうしてやりたいが、し
かしそれはできない。が、常日ごろから、その人の悲しみや苦しみを、分けもってやる。それな
らできる」「それが自分を超えることだ」と。

 つまりそれを教えるのが、「宗教」ということになる。わかりやすく言えば、絶壁から飛び降りる
前に、自分の体に羽をつける。飛び方を覚える。それが「宗教だ」、と。義兄は、そう言った。私
は、同意した。

(注)支離滅裂な文章で、すみません。またいつか、読みなおし、書き改めてみます。今日は、
このままマガジンに掲載します。


【書き改め】(Rewritten article)

●宗教とは何か(What is the religion?)

 英語では、こういう言い方をする。「絶壁に立て。突き落とされよ。飛び方は、それから学べ」
と。

In English-speaking world they say, "Stand on the cliff. You jump from the cliff. Then you 
learn how to fly."

 義兄との会話は、そんな内容で始まった。つまり生ぬるい生き方をしていたのでは、真理に
到達することはできない。真理に到達するためには、絶壁から飛び降りるような覚悟と緊張感
が必要だ、と。

 が、これに義兄がすかさず、反論した。

 『浩司君、君はそう言うけど、懸命に生きても、もがいているだけで、どうにもならない人もい
るんだよ。そういう人は、どうする?』と。

 そこで(救い)という話になった。たとえば不治の病というのがある。今では、がんといっても、
たいていのがんなら、治る。が、それでも、がんは、がん。こわい病気である。「もし、君はがん
だ。余命は、あと数か月と言われたら、どうする?」と。

 その人は絶壁に立たされたことになる。絶壁から飛び降りるのも結構なことだが、「それで救
われるのか?」と。仮に今、私がそういう状況になったとしたら、どうだろう。私はそういう状況
に耐えられるだろうか。ひとりで、自分を支えることができるだろうか。そこで私は、昨日、こう
書いた。
 
『人は、追いつめられてはじめて、自分の力を発揮することができる。また追いつめられなけれ
ば、自分の力を発揮することはできない。中には、追いつめられると、かえってあせってしま
い、何もできなくなってしまう人がいる。たとえばこの私が、そうである。大切なことは、その緊
張感を忘れないことか』と。

 不治の病はともかくも、私たちの生活は、こうした不安とは無縁ではいられない。常に、無数
の不安が、打ち寄せる波のように襲ってくる。平和なときがあるとすれば、その波と波の間の、
つかの間でしかない。だから……。

『しかし緊張感に耐えることは、容易なことではない。頭の中が混乱してしまい、まともにものを
考えることすら、できなくなる。たとえば受験勉強に追われたり、借金に追われたりすると、そう
なる』と。

 絶壁に立たされたとき、どこに、どう救いを求めたらよいのか。『こちらが望まなくとも、絶壁に
立たされることがある。しかも想像を絶するほど過酷な絶壁に、である。そういうときは、どうし
たらよいのか……』ということで、少し話題がそれたが、宗教の話になった。

 『宗教に身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。その理由がわから
ないまま、その人を責めても意味はない。批判するなどということは、もってのほか。そっとして
おいてやることこそ、思いやりというもの』と。

 これは私が今まで書いてきたことだが、宗教があるから、信者がいるのではない。それを求
める信者がいるから、宗教がある。Y市でキリスト教会の牧師の助手をしている友人が、こう話
してくれたことがある。

 「教会へ来るような人は、みな、何らかの問題をかかえている」と。

 で、やがて「宗教にもいろいろありますからねえ」という話になった。

 『ところで世の中には、「?」と思われるような宗教(?)も、ないわけではない。たとえば「合格
祈願」や「商売繁盛」を、売り物にする宗教である。それを宗教と言ってよいかどうかは、わか
らないが、この日本では、「宗教法人」として登録されている。義兄は、こう言った。「そんなこと
に力を貸すような神様はいない」と。私も、同感である。

 火の中に栗があり、それがほしかったら、自分で取る。火が熱かったら、知恵を働かす。棒
か何かで、取る。祈っても、念じても、ムダ』と。

 しかしこれは私という(強者)の論理でしかない。私は、今のところ、まだ健康だ。ほどほどの
幸福感に包まれている。が、強者の論理だけでものを考えてはいけない。それを義兄は指摘し
た。

 『そんな話をすると、義兄がこう言った。「強い人は、それでいい」「しかし世の中には、もがい
ても、もがいても、どうにもならない人がいる」「毎日が、挫折の繰りかえし」「そういう人は、どこ
に救いを求めればいいのか」と。

 ひとつの例が、「孤独」である。仏教の世界にも、「愛離別苦」というのがある。「四苦八苦」の
ひとつである。

 愛する人に先立たれた人の苦しみや悲しみは、それを経験したものでないとわからない。い
くら渦中の栗は、自分で取れと言われても、どうやって取ったらよいのか。どうやってその孤独
と戦えばよいのか。「挫折」というより、それは「絶望」に近い』と。

 同じ紙を見ても、表から見た紙と、裏から見た紙が、まるでちがうということは、よくある。何
かの印刷がしてあれば、なおさらである。「絶壁」といっても、強者にとっての絶壁と、弱者にと
っての絶壁は、まるでちがう。強者は、そのまま飛び降りればよい。が、弱者は、そんなことを
することはできない。その(力)さえない。

 私は強者の論理だけで、ものを考えていた。で、こう書いた。

 『私はまだそれほどまでの挫折を味わったことはない。ないが、薄い氷のすぐ下には、それが
あるのを、知っている。毎日、その薄い氷の上を歩いているようなもの。どこかでその氷が割
れれば、私も、そのままその下に落ちていく。

 こうした不安感とは、どうやって戦えば、よいのか。はたして、自分の力だけで、それと戦うこ
とはできるのか。絶壁というには、あまりにも過酷。飛び方を覚えろとは言うが、飛ぶことさえあ
きらめてしまうかもしれない』と。

 ……しかし、このあたりから、自分の考えが、まとまらなくなってきた。将棋にたとえるなら、つ
ぎの一手がわからなくなってきた。文章が支離滅裂になったのは、そのためかもしれない。

 が、こんなことは言える。

 絶壁に立たされる前に、その準備をしておくことは可能である。いきなり絶壁に立たされれ
ば、だれだってとまどう。たとえばある日突然、がんの宣告を受けたら、だれだって、狼狽(ろう
ばい)する。その心の準備をするために、「愛」があり、「慈悲」があり、「仁」がある。

 『そこで自分を支えるために、キリスト教の世界では、「愛」という言葉を使う。仏教の世界で
は、「慈悲」という言葉を使う。儒教の世界でいう、「仁」も、似たような意味と考えてよい。

 そこで自分を超えたところに、自分をつないでいく。その結果として、「私」という自分を救済す
る。このことは、その逆の人を想像してみれば、わかる』と。

 愛にせよ慈悲にせよ、さらに仁にせよ、それは与えられるものではなく、与えるものである。
その一例として、1人の男の話を書いた。

 『昔、私の近くに、こんな人がいた。ことあるごとに私の家にやってきては、「私は、○○万円
儲けた」「私はこの地域でも、最高額の納税をしている」「今度、○○に、土地を買った」と。

 その人は、「だから私は偉い」というようなことを言いたかったのかもしれない。態度は大き
く、横柄だった。しかし私は子どもながらに、こう思った。「だからといって、それがどうした?」
と。

 その人が、いくらかでも、私たちにお金を分けてくれたというのであれば、話は別。しかしそん
な自慢話など、腸から出るガスのようなもの。言う方は楽しいかもしれないが、聞く方は、そうで
はない。私たちには無意味。

 やがてその人は、事業に失敗。破産寸前まで、追い込まれた。が、だれも、助けなかった。あ
の自慢話を聞かされた人ほど、そうで、そういう人たちは、その人を陰で笑った』と。

 わかりやすい例として、ここでは(お金)をあげた。しかし(お金)と、愛や慈悲、仁とは、ちが
う。お金では幸福は買えないが、しかしお金がなければ、不幸になる。不幸になるとはかぎらな
いかもしれないが、いろいろと問題が起きてくる。そこでこう書いた。

 『……というのは、お金の話だが、私たちの(孤独)についても、同じように考えることはできな
いだろうか。

 私たちが……というより、この私がなぜ、毎日、氷の上を歩いているような気分になるかとい
えば、「取る」ことばかり考えて、「与える」ことを考えないからではないか。つまり自分の範囲の
中だけで、「私」を考える。しかしこれではいつまでたっても、自分を超えることはできない。つま
り孤独と戦うことはできない』と。

 私は、人間がかかえる最大の問題は、「孤独」であると考える。あのマザーテレサも、イエス
キリストのことを語りながら、そう書いている。「イエス・キリストも、乾き(=孤独)に苦しんだ」
と。

 で、その孤独とは何かと言えば、「だれにも愛されず、だれも愛さない」という状態をいう。もし
そういう状況、それはまさに絶壁というにふさわしいものだが、そういう状況に置かれたら、どう
したらよいのか。そこで宗教の話に、もどった。

 『そこで最初の話にもどる。「宗教とは何か」と。

 義兄はこう言った。「どこかに合格したいと願っている人がいるなら、合格させてあげる」「どこ
かにお金がほしいという人がいるなら、お金を分けてあげる」「できればそうしてやりたいが、し
かしそれはできない。が、常日ごろから、その人の悲しみや苦しみを、分けもってやる。それな
らできる」「それが自分を超えることだ」と。

 つまりそれを教えるのが、「宗教」ということになる。わかりやすく言えば、絶壁から飛び降りる
前に、自分の体に羽をつける。飛び方を覚える。それが「宗教だ」、と。義兄は、そう言った。私
は、同意した』と。

 もともとは「絶壁からとびおりる」というのは、「それだけの覚悟がなければ、真の力を発揮で
きない」という意味である。

 その「絶壁」から話が飛んで、「宗教」の話になった。たぶんに弁解がましいが、それが支離
滅裂になった理由ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【子どもとテレビ】(アメリカ。OHIO州、ARKON 子ども病院・HPより)

 アメリカの子どもたちは、平均して1日、4時間、テレビを見ている。この時間は、アメリカ小児
科医学会(AAP)が提唱している、最大時間の2時間の2倍である。平均的な子どもは、学校
で900時間を過ごすが、一方、テレビの前で、1023時間を過ごしている。
Most children plug into the world of television long before they enter school: 70% of child-
care centers use TV during a typical day. In a year, the average child spends 900 hours in 
school and nearly 1,023 hours in front of a TV.

AAPによれば、合衆国の子どもたちは、1日平均、4時間のテレビを見ている。AAPの示した
ガイドラインによれば、質のよいテレビ番組にしても、1〜2時間ということになっている。
According to the American Academy of Pediatrics (AAP), kids in the United States watch 
about 4 hours of TV a day - even though the AAP guidelines say children older than 2 
should watch no more than 1 to 2 hours a day of quality programming.

同じガイドラインによれば、2歳以下の子どもは、TV、DVD、ビデオ、コンピュータ、ビデオゲー
ムも含めて、「画面時間(Screen time)」をもつべきではないとなっている。最初の2年間という
のは、脳の発育に関して、たいへん重要な時期なのだが、テレビは、探索したり、学んだり、両
親と交流したり遊んだりすることにじゃまになる。こうしたことを通して、認識力や、体力、社会
性、情緒を発達させる。
And, according to the guidelines, children under age 2 should have no "screen time" (TV, 
DVDs or videotapes, computers, or video games) at all. During the first 2 years, a critical 
time for brain development, TV can get in the way of exploring, learning, and spending time 
interacting and playing with parents and others, which helps young children develop the skills 
they need to grow cognitively, physically, socially, and emotionally.

もちろんテレビは、適度であれば、よいものである。就学前の子どもたちは、公共のテレビを通
して、学ぶ助けを得る。あるいは就学後は、自然番組を通して、野生生活を学ぶことができ
る。あるいは親たちは、夕方のニュースで最近のできごとを知ることができる。テレビは、疑い
もなく、すばらしい教育者であり、娯楽者である。
Of course, television, in moderation, can be a good thing: Preschoolers can get help learning 
the alphabet on public television, grade schoolers can learn about wildlife on nature shows, 
and parents can keep up with current events on the evening news. No doubt about it - TV 
can be an excellent educator and entertainer.

これらの利点にもかかわらず、テレビの見過ぎは、有害である。
But despite its advantages, too much television can be detrimental:

●たとえば常に1日4時間以上テレビを見ている子どもは、肥満傾向が見られる。
●誘拐番組や殺人などの暴力番組を見ている子どもは、世界とは恐ろしいところであり、何か
悪いことが起きるのではないかと考える傾向が強くなる。
●テレビは、ジェンダー(性差別)や人種偏見を助長する。

"Research has shown that children who consistently spend more than 4 hours per day 
watching TV are more likely to be overweight. 
"Kids who view violent events, such as a kidnapping or murder, are also more likely to 
believe that the world is scary and that something bad will happen to them. 
"Research also indicates that TV consistently reinforces gender-role and racial 
stereotypes. 

こうした中、子どもの保護者たちは、解決策を求めて、二分される。もっと教育的な番組をふや
せと考える人がいる一方で、テレビがないのが、いちばんよいと考える人もいる。また両親が
テレビをコントロールして、子どもにテレビとは、娯楽のためのものであり、現実逃避のための
ものではないと教えるのがよいと言う人もいる。
Children's advocates are divided when it comes to solutions. Although many urge for more 
hours per week of educational programming, others assert that no TV is the best solution. 
And some say it's better for parents to control the use of TV and to teach children that it's 
for occasional entertainment, not for constant escapism.

それ故に、あなたが(親として)、子どもが見ているテレビ番組をモニターし、視聴時間を制限
し、そのことによって、ほかの子どもとの活動や遊び、運動や読書に過ごされるべき時間を、テ
レビを見ることによって過ごさせないようにすることが重要である。
That's why it's so important for you to monitor the content of TV programming and set 
viewing limits to ensure that your child doesn't spend time watching TV that should be spent 
on other activities, such as playing with friends, exercising, and reading.

Violence(暴力)

アメリカの子どもたちが、どれだけ暴力番組を見ているかについてだが、平均的なアメリカの
子どもたちは、18歳までに、テレビで、20万の暴力シーンを見るだろうということ。テレビの暴
力は、ときとして、子どもたちによって模倣される。なぜなら、そうしたシーンは、しばしば、おも
しろく、かつあなたがしたいことをするための効果的な方法として示されるからである。
To give you perspective on just how much violence kids see on TV, consider this: The 
average American child will witness 200,000 violent acts on television by age 18. TV violence 
sometimes begs for imitation because violence is often demonstrated and promoted as a 
fun and effective way to get what you want.

AAPが指摘するように、多くの暴力行為は、「善人」によって、なされるということ。そのため、
子どもはそれを競うように教えられる。いくら親が、他人を殴る権利はないと教えても、テレビ
は、あなたが善人なら、かみついたり、殴ったり、蹴ったりしてもOKと教える。「悪人」は、そうさ
れてもしかたないと教えられる。
And as the AAP points out, many violent acts are perpetrated by the "good guys," whom 
children have been taught to emulate. Even though children are taught by their parents 
that it's not right to hit, television says it's OK to bite, hit, or kick if you're the good guy. 
And even the "bad guys" on TV aren't always held responsible or punished for their actions.

子どもたちが吸収するイメージは、トラウマ化され、心のキズとなる。研究によれば、2〜7歳の
子どもは、グロテスクなこわく見えるものに対して、とくにおぼえるということがわかっている。こ
の年齢の子どもに、「これは作り物である」と教えても、なぐさめにはならない。なぜなら、この
時期の子どもは、(現実)と(ファンタジー)の区別がつかないからである。
The images children absorb can also leave them traumatized and vulnerable. According to 
research, children ages 2 to 7 are particularly frightened by scary-looking things like 
grotesque monsters. Simply telling children that those images aren't real won't console 
them, because they can't yet distinguish between fantasy and reality.

8〜12歳の子どもは、それがフィクションであれ、ニュースであれ、現実に起きたことであれ、
暴力、自然災害、子どもが犠牲になる事件によって、おびえる。この年齢の子どもには、理由
づけが大切である。つまり、子どもたちのおそれをやわらげるため、再検討してみたり、正直な
情報を与えることが大切である。が、あなたは、子どもたちがおびえるような番組を見るのを避
けたいと願っているかもしれない。
Kids ages 8 to 12 are frightened by the threat of violence, natural disasters, and the 
victimization of children, whether those images appear on fictional shows, the news, or reality
-based shows. Reasoning with children this age will help them, so it's important to provide 
reassuring and honest information to help ease your child's fears. However, you may want 
to avoid letting your child view programs that he or she may find frightening.

Risky Behaviors(危険な行為)

テレビには、セックスや薬物乱用などのような危険な行為を、楽しく、エキサイティングなものと
描写する番組やコマーシャルが満ちている。そしてアルコールを飲むことの結果、薬物やタバ
コを使用することの結果、あるいは婚前セックスの結果について、議論がなされない。
TV is chock full of programs and commercials that often depict risky behaviors such as sex 
and substance abuse as cool, fun, and exciting. And often, there's no discussion about the 
consequences of drinking alcohol, doing drugs, smoking cigarettes, and having premarital sex.

たとえば、性的な番組をたくさん見ている10代の子どもたちは、そうした番組を見ない子ども
たちよりも、性交を主導し、他の性的行為に参加する傾向が見られる。
For example, studies have shown that teens who watch lots of sexual content on TV are 
more likely to initiate intercourse or participate in other sexual activities earlier than peers 
who don't watch sexually explicit shows.

テレビでのアルコールの宣伝は、過去数年間、増えつづけ、未成年の子どもたちは、それらに
より、さらされている。the Center on Alcohol Marketing and Youth (CAMY=アルコール・マー
ケティングと若者センター・ジョージタウン大学)の調査によれば、10代の子どもたちが見る番
組の上位15の番組は、アルコールのコマーシャルを流していた(2003年)。
Alcohol ads on TV have actually increased over the last few years and more underage 
children are being exposed to them than ever. A recent study conducted by the Center on 
Alcohol Marketing and Youth (CAMY) at Georgetown University found that the top 15 teen-
oriented programs in 2003 had alcohol ads.

テレビでのタバコの宣伝は禁止されているが、子どもや10代の子どもたちは、テレビで流され
る映画番組の中で、たくさんの人たちがタバコを吸っているシーンを見ている。こうした番組を
見ることによって、子どもたちは、タバコを吸ったり、アルコールを飲むことは、許される行為だ
と知る。事実、1日に5時間以上テレビを見る子どもは、推奨される2時間以下しかテレビを見
ない子どもたちより、ずっとタバコを吸う傾向が強いことがわかっている。
And although they've banned cigarette ads on television, kids and teens can still see plenty 
of people smoking on programs and movies airing on TV. This kind of "product placement" 
makes behaviors like smoking and drinking alcohol seem acceptable. In fact, kids who watch 
5 or more hours of TV per day are far more likely to begin smoking cigarettes than those 
who watch less than the recommended 2 hours a day.

Obesity(肥満)

専門家たちは、テレビの見過ぎと肥満の関係を指摘している。これが今日、もっとも重要な健
康上の問題である。テレビを見ている間、子どもたちは不活発になり、その間、スナック類を食
べる。そしてその間、たとえばポテトチップスや、スナックを求めるようなソフトドリンクなどのよ
うな不健康な食品を食べるようにしむける、宣伝メッセージを爆弾のように見せられる。
Health experts have long linked excessive TV-watching to obesity - a significant health 
problem today. While watching TV, children are inactive and tend to snack. They're also 
bombarded with advertising messages that encourage them to eat unhealthy foods such as 
potato chips and empty-calorie soft drinks that often become preferred snack foods.

多くの教育的な番組ですら、子どもの健康に、間接的な影響を与える。1日に、質のよいテレビ
番組を4時間、見ている子どもにしても、その間、そういう子どもたちは、運動もせず、社会活
動もせず、かつ野外活動もしない。
Too much educational TV has the same indirect effect on children's health. Even if children 
are watching 4 hours of quality educational television, that still means they're not exercising, 
reading, socializing, or spending time outside.

研究によれば、テレビを見る時間を減らすことによって、体重を減らし、BMI値を低くすること
がわかっている。
But studies have shown that decreasing the amount of TV children watched led to less 
weight gain and lower body mass index (BMI - a measurement derived from someone's 
weight and height).

Commercials(コマーシャル)

AAPによれば、子どもたちは、1年間に4万ものコマーシャルを見ている。土曜日の朝のマン
ガの中の、ジャンクフードからおもちゃのコマーシャルにはじまって、小麦食品の宣伝まで、あ
らゆる年齢の子どもたちを、宣伝が子どもたちを水漬けにする。そして子どもたちにとっては、
それを食べなければならないかのようなものとして、そうしたものをとらえる。それらはすべて、
それが実際そうであるよりも、ずっと、魅力的なものであるというふうに、聞こえる。
According to the AAP, children in the United States see 40,000 commercials each year. 
From the junk food and toy advertisements during Saturday morning cartoons to the 
appealing promos on the backs of cereal boxes, marketing messages inundate kids of all 
ages. And to them, everything looks ideal - like something they simply have to have. It all 
sounds so appealing - often, so much better than it really is.

8歳以下の子どもにとっては、コマーシャルが、ものを売るための方法であるということが理解
できない。6歳以下の子どもたちは、番組と、コマーシャルの区別すらできない。とくに子どもた
ちが好きなキャラクターが、その製品の販売促進をしているようなときは、そうである。それ以
上の年齢の子どもにしても、宣伝の意味を教える必要がある。
Under the age of 8 years, most children don't understand that commercials are for selling a 
product. Children 6 years and under are unable to distinguish program content from 
commercials, especially if their favorite character is promoting the product. Even older 
children may need to be reminded of the purpose of advertising.

こうしたコマーシャルを、子どもの前から消すのは、不可能である。子どもがそれを見る間、テ
レビを消すことはできる。しかしチャンネルをかえるたびに、子どもたちは、それを見たり聞い
たりする。
Of course, it's nearly impossible to eliminate all exposure to marketing messages. You can 
certainly turn off the TV or at least limit kids' watching time, but they'll still see and hear 
advertisements for the latest gizmos and must-haves at every turn.

あなたができることは、子どもがテレビを見ている間、子どもたちがそれについてどう思い、考
えているかについて、教えることはできる。「あれをあなたはどう思うか」「あの宣伝ほど、あれ
はほんとうによいものだと思うか」「あれは健康によいものだと思うか」とかなど、考えることを
刺激することはできる。
But what you can do is teach your child to be a savvy consumer by talking about what he 
or she thinks about the products being advertised as you're watching TV together. Ask 
thought-provoking questions like, "What do you like about that?," "Do you think it's really as 
good as it looks in that ad?," and "Do you think that's a healthy choice?"

子どもがその宣伝されたものについて質問をしたときには、人々がかならずしも必要としないも
のをほしがらせるようにするものだということを、子どもに説明する。そしてこうしたコマーシャ
ルが、こうしたものが、私たちを幸福に思わせるように作られているということを説明する。現
実にはどうであるかを子どもたちに説明することは、子どもに、それがそういうものであることを
教えるのに役立つ。
Explain, when your child asks for products he or she sees advertised, that commercials and 
other ads are designed to make people want things they don't necessarily need. And these 
ads are often meant to make us think that these products will make us happier somehow. 
Talking to kids about what things are like in reality can help put things into perspective.

子どもたちの世界から、テレビコマーシャルを制限するため、AAPは、つぎのように推奨する。
To limit your child's exposure to TV commercials, the AAP recommends that you:

●子どもには、コマーシャルがほとんどない、公共放送を見せる。
●コマーシャルのない、テープ番組を見せる。
●子ども向けのビデオやDVDを見せる。
"Have your kids watch public television stations (some programs are sponsored - or "
brought to you" - by various companies, although the products they sell are rarely shown). 
"Tape programs - without the commercials. 
"Buy or rent children's videos or DVDs. 

Understanding TV Ratings and the V-Chip(テレビ評価と、V−チップス)

Two ways you can help monitor what your child watches are:

TV Parental Guidelines. (テレビのガイドライン)。Modeled after the movie rating system, this 
is an age-group rating system developed for TV programs. These ratings are listed in 
television guides, TV listings in your local newspaper, and on the screen in your cable 
program guide. They also appear in the upper left-hand corner of the screen during the first 
15 seconds of TV programs. But not all channels offer the rating system. For those that do, 
the ratings are:
"TV-Y: suitable for all children 
"TV-Y7: directed toward kids 7 years and older (children who are able to distinguish 
between make-believe and reality); may contain "mild fantasy violence or comedic violence
" that may scare younger kids 
"TV-Y7-FV: fantasy violence may be more intense in these programs than others in the TV
-Y7 rating 
"TVG: suitable for a general audience; not directed specifically toward children, but contains 
little to no violence, sexual dialogue or content, or strong language 
"TV-PG: parental guidance suggested; may contain an inappropriate theme for younger 
children and contains one or more of the following: moderate violence (V), some sexual 
situations (S), occasional strong language (L), and some suggestive dialogue (D) 
"TV-14: parents strongly cautioned - suitable for only children over the age of 14; contains 
one or more of the following: intense violence (V), intense sexual situations (S), strong 
language (L), and intensely suggestive dialogue 
"TV-MA: designed for adults and may be unsuitable for kids under 17; contains one or more 
of the following: graphic violence (V), strong sexual activity (S), and/and crude language (L) 

V-chip (V is for "violence"). This technology was designed to enable you to block television 
programs and movies you don't want your child to see. All new TV sets that have screens 
of 13" or more now have internal V-chips, but set-top boxes are available for TVs made 
before 2000. So how exactly does the V-chip work? It allows you to program your TV to 
display only the appropriately-rated shows - blocking out any other, more mature shows.
The Federal Communications Commission (FCC) requires that V-chips in new TVs 
recognize the TV Parental Guidelines and the age-group rating system and block those 
programs that don't adhere to these standards.
For many, the rating system and V-chip may be valuable tools. But there is some concern 
that the system may be worse than no system at all. For example, research shows that 
preteen and teen boys are more likely to want to see a program if it's rated MA (mature 
audience) than if it's PG (parental guidance suggested). And parents may rely too heavily on 
these tools and stop monitoring what their children are watching.
Also, broadcast news, sports, and commercials aren't rated, although they often present 
depictions of violence and sexuality. The rating system also doesn't satisfy some family 
advocates who complain that they fail to give enough information about a program's 
content to allow parents to make informed decisions about whether a show is appropriate 
for their child.
So even if you've used the V-chip to program your TV or a show features the age-group 
ratings, it's still important to preview shows to determine whether they're appropriate for 
your child and turn off the TV if the content becomes inappropriate for your child.

Teaching Your Child Good TV Habits(子どもに、よいテレビ習慣を教える)

家庭で応用できる、よいテレビの見せ方
Here are some practical ways you can make TV-viewing more productive in your home:

"Limit the number of TV-watching hours: (時間制限)

○テレビのある部屋に、テレビ以外のたくさんのものを置く。(本、子ども雑誌、おもちゃ、パズ
ル、ボードゲームなど。)テレビを見ること以外に、子どもができることを、多く用意する。

○子どものベッドルームからテレビを除く。

○食事中は、テレビを消す。

○宿題をしているときは、テレビを消す。

○テレビを見るのは、何かの作業をしたあとの特権であるというように扱う。たとえば、雑用や
宿題をしたあとにだけ見られるようにする。

oStock the room in which you have your TV with plenty of other non-screen entertainment 
(books, kids' magazines, toys, puzzles, board games, etc.) to encourage your child to do 
something other than watch the tube. 
oKeep TVs out of your child's bedroom. 
oTurn the TV off during meals. 
oDon't allow your child to watch TV while doing homework. 
oTreat TV as a privilege that your child needs to earn - not a right to which he or she is 
entitled. Tell your child that TV-viewing is allowed only after chores and homework are 
completed. 

"Try a weekday ban. (終日の禁止)Schoolwork, sports activities, and job responsibilities 
make it tough to find extra family time during the week. Record weekday shows or save TV 
time for weekends, and you'll have more family togetherness time to spend on meals, games, 
physical activity, and reading during the week. 

"Set a good example by limiting your own television viewing. 


"Check the TV listings and program reviews ahead of time(あらかじめ、テレビ番組をチェック
する)for programs your family can watch together (i.e., developmentally appropriate and 
nonviolent programs that reinforce your family's values). Choose shows, says the AAP, that 
foster interest and learning in hobbies and education (reading, science, etc.). 

"Preview programs (番組を前もって見る)before your child watches them. 


"Come up with a family TV schedule(見てよい番組を、あらかじめ選ぶ) that you all agree 
upon each week. Then, post the schedule in a visible area (i.e., on the refrigerator) 
somewhere around the house so that everyone knows which programs are OK to watch and 
when. And make sure to turn off the TV when the "scheduled" program is over, instead of 
channel surfing until something gets your or your child's interest. 

"Watch TV with your child. (子どもといっしょにテレビを見る)If you can't sit through the 
whole program, at least watch the first few minutes to assess the tone and appropriateness, 
then check in throughout the show. 


"Talk to your child about what he or she sees (子どもが見ている番組について、話しかける)
on TV and share your own beliefs and values. If something you don't approve of appears on 
the screen, you can turn off the TV, then use the opportunity to ask your child thought-
provoking questions such as, "Do you think it was OK when those men got in that fight? 
What else could they have done? What would you have done?" Or, "What do you think 
about how those teenagers were acting at that party? Do you think what they were doing 
was wrong?" If certain people or characters are mistreated or discriminated against, talk 
about why it's important to treat everyone equal, despite their differences. You can use TV 
to explain confusing situations and express your feelings about difficult topics (sex, love, 
drugs, alcohol, smoking, work, behavior, family life). Teach your child to question and learn 
from what he or she views on TV. 

"Talk to other parents, your child's doctor, and your child's teachers(子どもの医師や先生
に、話す)about their TV-watching policies and kid-friendly programs they'd recommend. 


"Offer fun alternatives to television.(テレビ以外の楽しみを提供する)If your child wants to 
watch TV, but you want him or her to turn off the tube, suggest that you and your child 
play a board game, start a game of hide and seek, play outside, read, work on crafts or 
hobbies, or listen and dance to music. The possibilities for fun without the tube are endless 
- so turn off the TV and enjoy the quality time you'll have to spend with your child. 


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Although news gleaned from television, radio, or the Internet can be a positive educational 
experience for kids, problems can arise when the images presented are violent or news 
stories touch on disturbing topics. Recent news about Hurricane Katrina and the 
earthquake in South Asia could potentially make a child worry that a natural disaster is 
going to hit home, or be fearful of a part of daily life - like rain and thunderstorms - that he 
or she never even thought about before.
Reports on subjects such as natural disasters, child abductions, homicides, terrorist attacks, 
school violence, or a politician's sex life can teach kids to view the world as a confusing, 
threatening, or unfriendly place.
How can you deal with these disturbing stories and images? Talking to your child about what 
he or she watches or hears will help your child put frightening information into a more 
balanced and reasonable context.
How Kids Perceive the News(子どもは、ニュースをどうとらえるか)
Unlike movies or entertainment programs, news is real. But depending on your child's age or 
maturity level, he or she may not yet understand the distinctions between fact and fantasy. 
By the time a child reaches 7 or 8, however, what he or she watches on TV can seem all 
too real. For some youngsters, the vividness of a sensational news story can be internalized 
and transformed into something that might happen to them. A child watching a news story 
about a bombing on a bus or a subway might worry, "Could I be next? Could that happen to 
me?"
Natural disasters or stories of other types of devastation can be personalized in the same 
manner. A child in Massachusetts who sees a house being swallowed by floods from a 
hurricane in Louisiana may spend a sleepless night worrying about whether his home will be 
OK in a rainstorm. A child in Chicago, seeing news about an attack on subways in London, 
may get scared about using public transportation around town. TV has the effect of 
shrinking the world and bringing it into your own living room.
By concentrating on violent stories, television news can also promote a "mean-world" 
syndrome, which can give children a misrepresentation of what the world and society are 
actually like.

Talking About the News(ニュースについて話す)
To calm children's fears about the news, parents should be prepared to deliver what 
psychologists call "calm, unequivocal, but limited information." This means delivering the 
truth, but only as much truth as the child needs to know. The key is to be as truthful, yet 
as inexplicit as you can be. There's no need to go into more details than your child is 
interested in.
Although it's true that some things - like a natural disaster - can't be controlled, parents 
should still give children space to share their fears. Encourage your child to talk openly 
about what scares him or her.
Older children are less likely to accept an explanation at face value. Their budding 
skepticism about the news and how it's produced and sold might mask anxieties they have 
about the stories it covers. If an older child is bothered about a story, help him or her cope 
with these fears. An adult's willingness to listen will send a powerful message.
Teens also can be encouraged to consider why a frightening or disturbing story was on the 
air: Was it to increase the program's ratings because of its sensational value or because it 
was truly newsworthy? In this way, a scary story can be turned into a worthwhile discussion 
about the role and mission of the news.

Tips for Parents
Keeping an eye on your child's TV news habits can go a long way toward monitoring the 
content of what he or she hears and sees. Here are some additional tips:

"Recognize that news doesn't have to be driven by disturbing pictures. Public television 
programs, newspapers, or newsmagazines specifically designed for children can be less 
sensational - and less upsetting - ways of getting information to children. 
"Discuss current events with your child on a regular basis. It's important to help kids think 
through stories they hear about. Ask questions: What do you think about these events? How 
do you think these things happen? These questions can encourage conversation about non-
news topics as well. 
"Put news stories in proper context. Showing that certain events are isolated or explaining 
how one event relates to another helps a child make better sense of what he or she hears. 
Broaden the discussion from a disturbing news item to a larger conversation: Use the story 
of a natural disaster as an opportunity to talk about philanthropy, cooperation, and the 
ability of people to cope with overwhelming hardship. 
"Watch the news with your child to filter stories as he or she watches them. 
"Anticipate when guidance will be necessary and avoid shows that aren't appropriate for 
your child's age or level of development. 
"If you're uncomfortable with the content of the news or if it's inappropriate for your child's 
age, turn off the TV or radio. 
"Talk about what you can do to help. In the case of a news event like a natural disaster, 
your child may gain a sense of control, and feel more secure if you find out about donations 
you can make or other ways that you can help those who you have heard about are in 
need. 
Reviewed by: Mary L. Gavin, MD
Date reviewed: September 2005
Originally reviewed by: Steven Dowshen, MD, and Jennifer Shroff Pendley, PhD
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子育て問題,育児問題,子育て、子どもとテレビ、子供とテレビ テレビ テレビ番組)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●子どもとテレビ

 アメリカの子どもたちは、平均して1日、4時間、テレビを見ているという。この時間は、アメリ
カ小児科医学会(AAP)が提唱している、最大時間の2時間の2倍である。平均的な子どもは、
学校で900時間を過ごすが、一方、テレビの前で、1023時間を過ごすという(以上、アメリカ・
OHIO・Arkon子ども病院HPより)。

 そのアメリカでは、主に3つの問題点が指摘されている。(1)子どもの肥満、(2)番組による
悪影響、それに(3)コマーシャルの影響である。

(1)肥満
 一日4時間以上、テレビを見ている子どもには、明らかに肥満傾向が見られるという。一方、
2時間以下に抑えたばあい、肥満は、改善する傾向が見られるという(AAP)。

(2)番組による悪影響
 テレビの悪影響として、第一に考えられるのが、暴力シーンである。平均的な子どもは、18
歳までに、20万もの、暴力シーンを見るという(Arkon子ども病院)。善人が暴力でもって悪人
を撃退するというシーンにしても、それによって、子どもは、暴力によってものごとを解決するの
も許されると考え方をもつようになることが指摘されている。

 この時期の子どもたちが吸収するイメージは、トラウマ化しやすい。たとえば2〜7歳の子ど
もは、(現実)と(ファンタジー)の区別がつかない。「これは作り物だ」と説明しても、意味はな
い。

また8〜12歳の子どもは、現実に起きたことではあっても、ニュース、自然災害、子どもが犠
牲になる事件を見聞きするだけで、自分の将来について、(おびえ)を覚えるようになる(AA
P)。

(3)コマーシャルの影響
 8歳以下の子どもは、コマーシャルが、ものを売るための方法であるということが理解できな
い。6歳以下の子どもは、番組とコマーシャルの区別さえできない。とくに子どもたちが好きな
キャラクターが、販売促進に手を貸しているようなばあいには、コマーシャルの意味を、ていね
いに教えてやる必要がある(Arkon)。

 でないと、スナック菓子など、不健康な食品を、食べるべきものとして理解するようになる。

 その解決策として、アメリカでは、子どもに見せる番組を制限する方法として、Vチップス(V
は、「バイオレンス」の意。特殊な部品をテレビに組み込んで、暴力番組を見せないようにする
方法))の導入や、番組のクラス分け(TV−Y……TV−MAまでの7段階)などを試みている。
しかしこうした試みは、ほとんど失敗しているとみてよい。

そこでAAPは、つぎのような方法を、具体的に提唱している。

●子どもには、コマーシャルがない公共放送を見せる。
●コマーシャルのない、テープ番組を見せる。
●子ども向けのビデオやDVDを見せる。
●見てもよい番組を、あらかじめ選択する。

 さらに家庭の中における視聴時間を制限するために、つぎの6つを提唱している。

●テレビのある部屋に、本や、子ども雑誌、おもちゃ、パズル、ボードゲームなどを、たくさん置
く。
●子ども部屋にはテレビを置かない。
●食事中はテレビを消す。
●学習中はテレビを消す。
●テレビを見るのは、特権と意識させる。たとえば雑事や宿題をしたあとに、ほうびとしてテレ
ビを見せる。

 アメリカの子どもたちは、平均して1日、4時間、テレビを見ているという。この時間は、アメリ
カ小児科医学会(AAP)が提唱している、最大時間の2時間の2倍である。平均的な子どもは、
学校で900時間を過ごすが、一方、テレビの前で、1023時間を過ごすという(以上、アメリカ・
OHIO・Arkon子ども病院HPより)。
 そのアメリカでは、主に3つの問題点が指摘されている。(1)子どもの肥満、(2)番組による
悪影響、それに(3)コマーシャルの影響である。

(1)肥満
 一日4時間以上、テレビを見ている子どもには、明らかに肥満傾向が見られるという。一方、
2時間以下に抑えたばあい、肥満は、改善する傾向が見られるという(AAP)。

(2)番組による悪影響
 テレビの悪影響として、第一に考えられるのが、暴力シーンである。平均的な子どもは、18
歳までに、20万もの、暴力シーンを見るという(Arkon子ども病院)。善人が暴力でもって悪人
を撃退するというシーンにしても、それによって、子どもは、暴力によってものごとを解決するの
も許されると考え方をもつようになることが指摘されている。

 この時期の子どもたちが吸収するイメージは、トラウマ化しやすい。たとえば2〜7歳の子ど
もは、(現実)と(ファンタジー)の区別がつかない。「これは作り物だ」と説明しても、意味はな
い。

また8〜12歳の子どもは、現実に起きたことではあっても、ニュース、自然災害、子どもが犠
牲になる事件を見聞きするだけで、自分の将来について、(おびえ)を覚えるようになる(AA
P)。

(3)コマーシャルの影響
 8歳以下の子どもは、コマーシャルが、ものを売るための方法であるということが理解できな
い。6歳以下の子どもは、番組とコマーシャルの区別さえできない。とくに子どもたちが好きな
キャラクターが、販売促進に手を貸しているようなばあいには、コマーシャルの意味を、ていね
いに教えてやる必要がある(Arkon)。
 でないと、スナック菓子など、不健康な食品を、食べるべきものとして理解するようになる。

 その解決策として、アメリカでは、子どもに見せる番組を制限する方法として、Vチップス(V
は、「バイオレンス」の意。特殊な部品をテレビに組み込んで、暴力番組を見せないようにする
方法))の導入や、番組のクラス分け(TV−Y……TV−MAまでの7段階)などを試みている。
しかしこうした試みは、ほとんど失敗しているとみてよい。

そこでAAPは、つぎのような方法を、具体的に提唱している。

●子どもには、コマーシャルがない公共放送を見せる。
●コマーシャルのない、テープ番組を見せる。
●子ども向けのビデオやDVDを見せる。

 さらに家庭の中における視聴時間を制限するために、つぎの6つを提唱している。
●テレビのある部屋に、本や、子ども雑誌、おもちゃ、パズル、ボードゲームなどを、たくさん置
く。
●子ども部屋にはテレビを置かない。
●食事中はテレビを消す。
●学習中はテレビを消す。
●テレビを見るのは、特権と意識させる。たとえば雑事や宿題をしたあとに、ほうびとしてテレ
ビを見せる。

 が、何よりも重要なのは、「問いかけ」である。子どもとテレビを見ながら、「こんなことは、あり
えないよな?」「お前はどう思う?」「ほかに解決方法はないのかな?」と。こうした問いかけが、
子どもの批判力を育て、その批判力が、子どもの心を守る。


(参考文献:Akron Children's Hospital, Ohio, USA 2005, the American Academy of Pediatrics 
(AAP))

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子どもとテレビ テレビの影響 
子供 テレビ 悪影響)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2410)

【マガジン・復刻版】

Feb 4th 2008, I will issue the 1000th celebrated magazine with my honor. I started this 
magazine on June 6th 2001 and since then I have published my magazines twice and three 
times (later) per week. It has been a long way to come up here. I just remember one day I 
thought while I was writing articles like this: "Shall I be on this world when I issu the 1000th 
magazine?" Yes, I am still alive! I can see, I can think, I can hear and I am alive. What else 
can I ask the world more? Here on this occasion I would like to express my greatest thanks 
to all of these readers and people who have supported me in the past. Thank you very 
much! Here I would like to introduce some of my magazines which I issued more than 6 
years ago.

+++++++++++++++++

2008年の2月1日、私の電子
マガジンは、999号を迎えます。

次回、2月4日、1000号を迎えます。

遠い道のりでした。

いつだったか、1000号の発行日を
計算しながら、「それまで生きているだろうか」
と考えたことがあります。

しかし私は、生きています。
こうして元気に生きています。

目も見える。
音も聞こえる。
体も動く。

健康です!

みなさん、ありがとうございました。

第1号〜は、Eマガの過去版のほうに
収録されています。興味をもってくださる
人がいれば、どうか、また目を通して
みてください。

今回は、その復刻版を改めて読みなおし
ながら、自分なりのコメントを書き添えて
みたいと思います。

++++++++++++++++++

http://www.emaga.com/bn/list.cgi?code=hhayashi2

++++++++++++++++++

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====
    子育て最前線の育児論
 ================  
2001年6月6日号
         by はやし浩司(ひろし)

トピックス

● はじめまして! 
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?


●はじめまして!

今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。

この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?

エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。

                    はやし浩司


●育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
 
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。


●子育て定期検診もできます!

あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。

検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。


●はやし浩司って、どんな男?

現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。

☆ただいま、会員募集中!(無料です!)

ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。

無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。

会員登録のしかた ……  
(1)下をクリックする
http://www.emaga.com/
(2)E-マガジンの画面が出てくる。
(3)右上の「検索」で、「最前線」と記入して、検索をクリック!
(4)私のE-マガジンが紹介されていますから、そこで購読を登録!

では、皆さんのご来訪をお待ちしています!


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以上が、第1号です。このときは、読者はゼロでした。
つづいて、第4号。このとき読者は、7人になって
いました。

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====
    子育て最前線の育児論
 ================  
2001年7月6日号(004号)
         by はやし浩司(ひろし)

★★★★★★★★
01−7−6号
★★★★★★★★

*************************

★静岡県教育委員会発行の、「ファミリス」に、9月号から
連載記事が載ります。どうかご覧になってください。
「教育委員会」というと、コワ〜イイメージをもって
おられる方も多いと思いますが、私の記事は、きわめて
実用的です。楽しみにしておいてください。

★「別冊PHP」9月号(7・23発売)に特集記事が載ります。
どうかご覧になってください。

★「浜松百撰」で、子育て対談をします。7月24日予定ですので、
記事はそれ以後載ると思います。ご注目ください。

**************************

あなたの子育てをチェックしてみませんか?

お子さんのちょっとした、しぐさの中に、
実は重大な警告が隠されている……というようなことが
よくあります。

たとえば……

(机とお子さんの相性)

●お子さんが好きそうな食べ物や、おもちゃをそっと
机の上に置いてみてあげてください。
そのときお子さんが

(1)そのまま机に座って、食べ物を食べたり、おもちゃ
で遊んだりすれば、だいじょうぶ。

(2)しかしその食べ物やおもちゃを、別の場所に移動して
食べたり、遊んだりするようであれば、お子さんと
机の相性はよくないとみます。

長い間、相性の悪い机を使っていると、勉強嫌い……
ということにもなりかねませんので、ご注意ください。

●同じように、たとえば親子の断絶なども、ちょっとした様子
から、その初期症状を知ることができます。

 それをまとめたのが、「子育て診断」です。わかりやすい15項目に
 してみましたので、どうかご活用ください。

詳しくは……
  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
  の中、

  (育児診断)→(子育て危険度早期診断)をご覧になってください。
  7月10日に、新居町教育委員会のほうで、講演をします。その席を
  借りて、結果の集計をし、その結果は、また私のホームページのほうに
  掲載しておきますので、11日以後、結果をお知りになりたい方は、どう
  かまたご覧になってください。

**************************************

親子の断絶が始まるとき

●最初は小さな亀裂

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「ま
だ何とかなる……」と思っているうちに、やがて互いの間の不協和音は大きくなる。そしてそれ
が、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたく
ない」と思っている中高校生は七九%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ
よいほうだ。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに
一触即発。親が何かを話しかけただけで、子どもは「ウッセー!」と。そこで親は親で、「親に向
かって、何だ、その態度は!」となる。あとはいつもの大げんか!

 ……こう書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されて
いるはず」と思っている親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め
ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな
たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ
ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中高校生の多くが、心が休まる場所としてあ
げたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報
告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親
だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」という親ほど、あぶない。

この権威主義が強ければ強いほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。その
分だけ、子どもの心は離れる。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子ども
を伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。
人間の心は、鏡のようなもの。

イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがあ
る。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを
「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなけ
れば、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思
い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれ
ば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いてい
たとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。

おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。やがて
あなたは子どもと、こんな会話をするようになるかもしれない。親「あんたは誰のおかげでピア
ノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピア
ノ教室へ連れていってあげたからよ!」子「いつ誰が、そんなこと、あんたに頼んだ!」と。

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは、親子でも、「お前はパパ
に何をしてほしい」とか、「ママはぼくに何をしてほしい」と聞き合っている。そういう謙虚さが、子
どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。
 
************************************
これからも、よろしくご購読ください。
             はやし浩司
*************************************

(以下、003号です。)

まだの方はどうかお読みください。

朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?

「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
                 はやし浩司(ひろし)

*********************************
ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!

●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」

**********************************
(近況ニュース)

★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
    場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
       お申し込みは …… 053−458−7304です。

★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
      「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
          ぜひ、書店で、お買い求めください。

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中日新聞(東海版)では、

    「乱舞するイメージ」を書きました。

          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
               を、ご覧ください。

       右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。

   なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
   インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!

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「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。



賢明な人、愚(おろ)かな人

賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。

それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。

賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
 
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。

だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。

++++++++++++++++++++

バカな人
ついでにね、

「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。

いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。

+++++++++++++++++++

相手のこと

イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。

だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?

++++++++++++++++++++

家庭

君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。

でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。

(ほか、30項目)続きはホームページで
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


**********************************

 この1〜4号のころは、まさに手探りの状態でした。(当然ですが……。)「書いても、はたして
読んでくれる人がいるだろうか」と、そんな不安ばかり、先に立ったのを覚えています。

 もっとも、そのころは、(遊び)のつもりでした。本気で書くようになったのは、ずっとあとになっ
てからのことです。1000号を意識するようになったのは、さらにあとになってからのことです。

 毎号、1〜2人と読者がふえていくのは、ほんとうに励みになりました。その新しく読者になっ
てくれた人をがっかりさせたくないという思いが、私の書く原動力になりました。そんな思いが、
この1〜4号を読むと、6年6か月という年月を超えて、私の心の中によみがえってきます。

 文もどこかいいかげんで、自己宣伝ばかり。あのころの私は、それでもインターネットの未来
を信じて、電子マガジンの発行を始めました。「本を書くより、インターネットだ」とです。

 2003年以後は、一冊も、本を書いていないのは、そのためです。

 結果として、それがよかったのか、悪かったのか、まだよくわかりません。この間、もちろん収
入は、ほとんどありませんでした。またマガジンを出したからといって、世間的に注目されると
いうこともありませんでした。

 インターネットの世界は、まあ、こんなものですね。

 しかし現在、マガジン、HP、BLOGなどを含めますと、月に約10万件のアクセスがありま
す。10万件ですよ!

 重複している人も多いかと思いますが、それでも、月に10万人の人たちが、「はやし浩司の
文章」に触れてくれています。世間的な評価は別として、これはものすごいことです。書籍では
とても、まねのできないことです。

 が、その(ものすごさ)にしても、肌で実感するということはありません。そこは電子の世界で
すね。数字だけが、勝手にひとり歩きしているといった感じです。一方、原稿を書いている私
は、丘の上から、空に向かって話しているようなものです。そこに読者の方がいるとしても、そ
の姿はまったく見えません。本のように、モノとして残るということもありません。

 そういう意味では、おかしな、ほんとうにおかしな世界です。

 2月4日、ささやかですが、今までのよき協力者であり、理解者であったワイフと2人で、どこ
かのレストランで祝杯をあげます。

 何がうれしいかといって、今、現実に、こうして元気でものを考え、ものを書けることくらい、う
れしいことはありません。

 1000号までつづけてくることができたのは、賛助会のみなさん、まぐプレの読者のみなさ
ん、それに、わかば医院のみなさんの暖かい励ましがあったからです。この場で、厚くお礼を
申し上げます。

 なお1001号からは、さらに、(1)英文をふやして外国に向けて、自分の意見を発表してい
く、(2)USTREAMなどのサービスを利用して、動画と音声を多用していく……などとうことを
考えています。

 以上ですが、これからも、よろしくお願いします。

 長い間のご購読、ありがとうございました。

       2008年1月8日記                はやし浩司


+++++++++++++++++

以下、読者が100人を超えたときの
号です。

日付を見ると、11月23日になって
います。

第1号から、5か月もかかりました。


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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====KW(8)
    子育て最前線の育児論
 ================          
★★★★★★★★
01−11−23号(15)
★★★★★★★★
 by はやし浩司(ひろし)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

********************************
ウィルス対策について……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「トップページ」より、「ウィルス対策」をご覧ください。
どうか安心して、このサイトをお楽しみください。
********************************
文字化けして、お読みになりにくい点がありましたら、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、(マガジン読者)のコーナーへおいでください。少しだけ読みやすくしてあります。
********************************
今回も、マガジンをご愛読くださり、感謝しています。ありがとうございます!
********************************

メニュー

(1)よい幼稚園の選び方
(2)よい先生の見分け方(子どもとの相性を知る)
(3)教育者の美談にだまされない法
(4)子どもを本好きにする法(子どもの方向性を知る)

********************************
来春、リヨン社から新しい本を出します。よろしくお願いします。
********************************

あなたは、目上の人でも、目下の人でも、同じような電話をかけていますか?
権威主義的なものの考え方をする人、つまり無意識のうちにも、人間の上下関係を
つくる人は、目上の人に対する態度と、目下の人に対する態度が、まるで違います。
そんなことを書いたのが、「親子の関係がぎくしゃくするとき」です。どうか
お読みください。

*********************************

●よい幼稚園を選ぶ法(先生を見て選べ!)

親が幼稚園を選ぶとき 

●「どこの幼稚園がいいですか?」

 「どこの幼稚園がいいですか」という問い合わせが、ときどきある。私のばあい、立場上、具
体的に幼稚園の名前を出すということはできない。しかしよい幼稚園を選ぶポイントはある。

その一。まず園長を見る。園長が運動服でも着て、園児の中で汗をかいている幼稚園はすば
らしい。理由がある。教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでも手がかけられる。反
面、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。しかし園長が率先して教育の中に飛び込んでくるよ
うな幼稚園では、現場の先生は手を抜くことができない。

 次に、幼稚園は子どもの視点で見る。たとえばピカピカにみがかれた、汚れ一つない幼稚園
は、親には受けがよい。しかしそれは子どもの世界ではない。よい幼稚園というのは、園舎の
あちこちに子どもの臭いがする。落書きがあったり、いたずらをしたあとが残っていたりする。
そういう臭いがする幼稚園は、よい幼稚園ということになる。

そして三つ目のポイントは、哲学があるかどうかということ。富士宮市にR幼稚園というのがあ
る。その幼稚園では、独自に玄米食の給食をしている。給食の時間になると、子どもたちが
「♪カメカメカメよ、カメさんよ」と歌を歌いながら、玄米を懸命にかみながら食べている。大阪
市のI幼稚園の園長は、ものを大切にするという意図から、いつもヨレヨレのスーツを着てい
る。浜松市のK幼稚園では、無数の動物を飼っている。私が見に行ったときも、アヒルの子ど
もが生まれて、子どもたちはワイワイと喜んでいた。そういう幼稚園は、すばらしい。

●幼稚園は先生を見て選ぶ

 が、何といっても最大のポイントは、現場の先生だ。先生が生き生きと活動している幼稚園
は、すばらしい。よい幼稚園には活気がある。先生もハツラツとしている。明るい声が飛び交っ
ている。静岡市の郊外にR幼稚園という幼稚園がある。その職員室でお茶を飲んでいたときの
こと。若い先生たちが、大きな声で、「今日の資料できていますかア!」「ハイ、できてるわ
よ!」と、皆が声をかけあっていた。そういう幼稚園は、すばらしい。

「先生」というには、「先に生き生きとするから先生」、……というのは、こじつけだが、しかし先
生と言うのは、そうでなくてはいけない。その活気の中に、子どもたちが巻き込まれていく。ある
いは先生が庭にいたりすると、子どもたちが、先生のまわりに集まってくる。先生に飛びついた
りして、楽しそうにはしゃいでいる。そういう幼稚園はすばらしい。子どもと先生の関係を、外か
ら観察してみるとそれがわかる。

もちろんあまり推薦できない幼稚園もある。経営第一主義の幼稚園だ。それを感じたら、子ど
もをやらないほうがよい。こういう幼稚園はやることだけはどこか派手だが、一本スジが通って
いない。それについてはここにはこの程度しか書けないが、要するにここに書いたすばらしい
幼稚園の、反対の幼稚園だと思えばよい。

●メリハリのある授業がよい授業

 また先生のよしあしは、メリハリのある授業ができるかどうかでみる。発言のときになると、子
どもたちが自由かったつに意見を言い、作業のときになると、シーンと静まりかえる。しっかりと
した口調で、テキパキと指導を進める。

そういう授業のできる先生はすばらしい。が、一番のポイントは、子ども好きの先生かどうかと
いうこと。教えることを楽しんでいるかどうかでみる。子どもが何かを失敗したときの様子をみ
れば、それがわかる。先生が子どもを叱るときでも、子ども好きの先生だとどこかなごやかな
雰囲気になる。そうでない先生は、ピリピリとした雰囲気になる。

 ……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、許してほしい。園長や現場の先生なら、私のよ
うな人間にこういうことを言われると、頭にカチンとくるものだ。「教育は権威だ」「運動着など着
られるか」と言う園長もいるにはいる。そういう気持ちはよくわかる。一応ここでは、私は常識的
なことを書いた。あくまでも一つの参考になればよい。

***********************************

●子どもと先生の相性を見分ける法(休み時間を観察せよ!)

子どもがよい先生を見分けるとき

●よい先生VS悪い先生

 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」と
いう立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心
を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、
それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職
場そのものが、ストレス解消の場となっている。

●「子ども的」ということ

 その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しな
いでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく、
未経験だが、決して、幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中
で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。

「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。特に私のばあい、若いときから、
いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界
も経験した。いくつかの会社の貿易業務を手伝ったり、医学の世界をかいま見たこともある。し
かしこれだけは言える。園や学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少
なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。

●目線が子どもと同じ高さ?

 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる
先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に
権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしてい
るのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それ
を美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあ
るごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先
生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。

 そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子どもに紙
とクレヨンを渡して、「園の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子どもが
あれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表情にな
ったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もしそうで
あれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の関係を
調整したほうがよい。

(参考)
●教師の外部評価制

 教師の指導力を、地域住民がチェックするという「外部評価制」が、二〇〇二年度より東京都
品川区で実施されることになった。評価結果は項目ごとに四段階で示され、年度末に公表し、
学校選びの目安にしようというもの。一つの自治体が小中学校に外部評価を導入するのはた
いへん珍しい。学校そのものを外部のきびしい目にさらすことで、学校改革を促す試みとして、
今注目されている。

 品川区には現在、公立小中学校は五八校あるが、各学校ごとに保護者と地域の住人数一
〇人に「評価モニター」を委託し、月に一度以上学校を訪れてもらい、一年間かけて学校の様
子を評価してもらおうというもの。具体的には、(1)教員の指導が行き届いているか、(2)いじ
めなどで子どもが不当な扱いを受けていないか、(3)学校の方針は妥当かなど、約二〇項目
についてA〜Dの四段階で評価する。結果は品川区のホームページで公表し、区が新入生に
配る学校案内にも掲載されるという。また評価の低かった項目については、各学校に改善計
画を提出させ、評価結果とあわせて公表するという。

●私の経験から……

 「古い体質をなかなか変えようとしない学校教育を改善するには効果的」(若月秀夫教育長)
ということだが、私ももう二〇年近く前に、浜松市内の小学校について、学校に対する評価を
調査したことがある。しかしその結果、(1)評価は、複数の学校を相互に比較してはじめて可
能。(2)客観的評価は、たいへん難しいの二点で、「この種の調査は、あまり意味がない」とい
う結論を出したことがある。その学校しか知らない父母や子どもに、「あなたの学校をどう思い
ますか」と質問しても、その質問自体にあまり意味がないということ。

そこで県外からの転校生や、兄弟で別々の学校に通っている子どもやその父母に聞き取り調
査をしてみたが、今度はサンプル数そのものが少なくて、「結果」と言えるほどまでに集計でき
なかった。さらに親の評価はたいへん主観的なもので、「友だち先生」をよい先生とする親もい
れば、悪いとする親もいる。また同じ先生でも、比較的勉強がよくできる子どもの親はよい先生
と評価し、勉強ができない子どもの親は悪い先生と評価するということもわかった。品川区の
お手並みを拝見したい。

************************************

●教育者の美談にだまされない法(美談にだまされるな!)

教育者が美談を口にするとき

●どこかおかしい美談

 美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こんな話
がある。

 あるテレビタレントがアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子どもがその人のところにやって
きて、「あなたのもっているペンをくれ」と頼んだという。理由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強を
して、この国を救う立派な人間になりたい」と。そのタレントは、感きわまった様子で、ほとんど
涙ながらにこの話をしていた(二〇〇〇年夏、H市での教育講演)。しかしこの話はどこかおか
しい。だいたい「国を救う」という高邁な精神をもっている子どもが、「ペンをくれ」などと、物乞い
などするだろうか。仮にペンを手に入れても、インクの補充はどうするのか。「だから日本の子
どもたちよ、豊かであることに感謝せよ」ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、
この話はどこか不自然である。こんな事実もある。

 一五年ほど前のこと。K県の私塾連盟の有志が、トラック一杯の学用品を、インド洋にあるS
国に送ったことがある。で、その二年後、その文房具がどう使われているか、二人の教師が見
に行った。が、それらの文房具はほとんど手つかずのまま、倉庫に眠っていたという。理由を
聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の一日の給料よりも高価なノートや鉛筆を、どうし
て子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」とも。そういう話ならわ
かるが、「立派な人間になりたい」とは?

 そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの話もおか
しい。貧しい親子が、一杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。国会でも取り
あげられ、その後、映画にもなった。しかし私がその場にいた親なら、かけそばには箸をつけ
ない。「私はいいから、お前たちだけで食べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の
生きる誇りというものがある。その誇りを捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。ま
たこんな話も……。

●「ぼくのために負けてくれ」

 運動会でのこと。これから一〇〇メートル走というときのこと。横に並んだB君(小二)が、A君
にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママに叱られる」と。
そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえってB君のためにならない
思い、途中から本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝った、と。ある著名な教育家が、ある雑
誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのものがおかしい。その教育者は、二人
の会話をどうやって知ったというのだろうか。それに教えたことのある人ならすぐわかるが、こう
いう高度な判断能力は、小学二年生には、まだない。仮にあったとしても、あの騒々しい運動
会で、どうやってそれができたというのだろうか。さらに、こんな話も……。

●こんな美談も……

 ある小学校教師が一時間目の授業に顔を出したときのこと。小学一年生の生徒たちが、「先
生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をしていた。原因
は、その前の職員会議だった。その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま顔に出ていた。
そこでその教師は、三〇分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取りなおし、そして
再び授業に臨んだという。その教師は、「そういうことまでして、私は子どもたちの前に立つとき
は心を整えた」とテレビで話していたが、この話もおかしい。その三〇分間だが、子どもたちは
どこで何をしていたというのだろうか。その教師の話だと、子どもたちは教室に残されたままだ
ったということになるのだが……?

 教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注意した
らよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、こうした美しい
話で自分の説話を飾りたがる。

************************************

●子どもを本好きにする法(方向性は図書館で知れ!)

子どもの方向性を知るとき 

●図書館でわかる子どもの方向性
 
子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。数時間、図書館の中で自由に遊ば
せてみればよい。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。サッカー
が好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。そのとき
子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性にすなおに従えば、子ども
は本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる「芽」そのもの
をつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツがある。

●無理をしない

 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、一〜二年、レベルをさげる。親というのは、どうし
ても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子ども
には、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。そこで「うち
の子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。本の選択
は、子どもに任す。こういう親がいた。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買ってあげる」と言っ
ておきながら、子どもが何か本をもってくると、「こんな本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こ
ういう身勝手さが、子どもから本から遠ざける。

●動機づけを大切に

 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子どもの
前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを
与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のばあいだと、子どもを
ひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるとよい。この動機づけがうまくいくと、あとは
子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよしあしで、その後の子ど
もの取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子ども
にポイと渡すような行為。子どもは読む意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないこ
とは、言うまでもない。

●文字を音にかえているだけ?

 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国語力が
あるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。
親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったの
かな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質
問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。
あるいは本を読み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい。読解力のある子どもは、
一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。そうでない子どもは、ある部分だ
けにこだわった絵をかく。なお読解力のある子どもは、一ページを読むごとに深く考える様子を
みせたり、そのつど挿し絵を見ながら読む。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言
うまでもない。

●文字の使命は心を伝えること

 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこと。誤
字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字
好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。
接続詞という言葉こそ使わないが、小学二年生から、その接続詞の使い方を学ぶ。こういうこ
とばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の高学年児で、作文が好
きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、五人に三人はいる。

(付記)
●私の記事への反論

 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげるときに
は、途中で、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流れ
や、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読み
聞かせをしている人からだった。

 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人も多
い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。
たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひと
りの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。この中だけ
でも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「ま
どろむ」と続く。

こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よさ」をそこなうも
のではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるストレスは相当なもの
だ。パソコンを相手にしていると、そういう場面によく出あう。「TIFFファイル(インターネットファ
ックスファイル)を、EASYFAXPRO2001EXのファックスビューワーに関連付けますか」など
という表示が突然出てきたりすると、パソコン歴三〇年以上の私ですら、いまだにドキッとす
る。あくまでも子どもの立場で考えたらよい。
(以上、マガジン第1号、第15号より)

+++++++++++++++++

 こうして過去版を読み返してみると、当時の自分が、そのまま、そこにいるのを知る。「日記」
でもそれができなくはないが、日記で、自分の奥底をえぐり出すのは、むずかしい。へたをすれ
ば、毎日、「〜〜した」「〜〜した」で終わってしまう。

 その点、エッセーは、ちがう。そのつど、心の奥底をのぞく。日記を書くにしても、心の奥底を
えぐり出すことが大切ということになる。読み返すことで、そのままその過去に、タイムスリップ
することができる。

 さて、2008年は、こうして始まった。つぎの目標は、2000号ということになる。が、迷いがな
いわけではない。「こんなことをしていて何になるだろうか」という迷いである。

 「1000号になれば、何か変わるはず」という思いは、いつもあった。しかし何も変わらなかっ
た。相変わらず、外は、冬の景色。どんよりとした鉛色の空。「真・善・美の追求」とは言うが、
そのどれも、中途半端なまま。むしろ脳みそ自体は、後退しているのかもしれない。

 ゆいいつの楽しみは、HP上で、いろいろ、新しい分野に挑戦していくこと。最近は、USTRE
AMに凝(こ)っている。しかしこれにしても、息子に言わせると、「2年前にははやったけど…
…」ということらしい。

 映像をのせながら、自分の声で、子育てを語る。しかもテレビのように時間制限はなし。編集
も、カットもなし。今のところ見てくれる人は、1日に、1〜2人という状況だが、おもしろい。しば
らくは、これに没頭してみる。

 ともかくも、今の私にとって、生きがいは、これしかない。これにしがみつくしかない。あまり気
負わないで、つぎは、2000号に向けてがんばる。週3回、発行しても、2000号になるのは、
6・4年後! 2014年の夏ごろ。

 それまで私は生きているだろうか? そのとき、私の周囲で、何か、変わるだろうか? ある
いは日本は、どうなっているだろうか?
(2008年1月9日記)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2411)

【1000号・記念】(No. 1000th Commemoration)

I have published internet magazines which count on today, No. 1000th commemoration. It 
has taken me about 6 years and 6 months onto Today! I fight unbeatable foe, I bear 
unbearable sorrow and I reach unreachable star. But nothing has happened and nothing has 
changed. I am still here and I keep writing. I am writing forward to reach unreachable star. 
Here I'd like to express my greatest thanks to Akiko, my wife、 as well as my readers of the 
magazines. Thank you very much!

++++++++++++++++

やったぞ、1000号! ハハハ!
これが、その第1000号!

だれに頼まれたわけではない。
自分で、勝手に目標を決めただけ。
「1000号までがんばるぞ」とね。

まさしくそれは、ラマンチャの男。
ドンキホーテの心境。

耐えられない苦しみに耐え、
戦えない敵と戦い、
届かぬ星に届く。

まあ、それほどおおげさではないに
しても、とうとう1000号!

晃子、ありがとう!
お前のおかげで、こうして自分の
道楽をつづけることができた。
読者のみなさん、ありがとう!
みなさんのおかげで、今日まで、
こうしてがんばることができた。

+++++++++++++++++

●老後の統合性(How to establish our own integration)

We, young old men, should establish our own integration for the rested life. Otherwise our 
life would be a miserable one. But what is the integration? Then how can we establish our 
own integration? When we were young we were seeking ourselves, thinking what we are, and 
where we should go. But now we think what we should do for other people. In most cases 
what we should do would be accompanied with some kind of pain or troubles. Therefore 
most people would try to avoid such and such pain and trouble. But without this pain and 
troubles, we would not be able to establish the integration. Our life becomes shorter and 
shorter. Then I have to hurry up to do something. By the way I went to Gero-hot spring 
spa, Gifu pref., a few days ago where I met my cousin. Then I brought some souvenir to my 
brother-in-law. Also I talked with him and his wife for a couple of hours. During these 
conversations with them, I was thinking of my own integration. This is a kind of very serious 
problem. How can we establish our own integration? How can we integrate ourselves with 
what we should do?

 おととい、岐阜県の下呂温泉に泊まった。街中にある水M館という旅館だった。よい旅館だっ
た。1階にひとつ、3階にひとつ、それに9階にもうひとつ、温泉があった。温泉につかると、ヌメ
ッとした感じが、肌を包む。が、湯からあがると、それが消え、サッパリとした感じになる。さす
が、天下の名泉!、と思わせるような温泉だった。

 風呂からあがると、いとこのY君が来てくれた。1階の喫茶室で、数時間、話す。子どものとき
からの、ワルガキ仲間である。元気そうだった。言い忘れたが、Y君は、下呂市内で、理髪店を
経営している。かなり繁盛しているらしく、羽振りもよかった。

 そのY君。今は町内会長をしているから忙しくて行けないが、4月からは、また登山を再開す
るという。Y君の最大の趣味は、登山。そのため足腰を、毎日、鍛えているという。そんな話を
しながら、私は、こう言った。

 「ぼくたちのように、老後のカベがなく、現役から老後へと連続性のある人間は、ラッキーだ
ね」と。

 つまり私たちには、サラリーマンの人たちのような(定年)がない。だから現役のまま、老後を
迎えることができる。しかしそうでない人は、そうでない。定年と同時に、そこでプツリと糸を切
られる。人によっては、それは恐ろしいほどの衝撃となって、その人を襲う。そのまま心を病ん
でしまう人も多い。

 が、私たちにも統合性の問題はある。老後になったら、(やるべきこと)と、(やっていること)
を一致させていかなければならない。これを、心理学の世界では、「統合性の一致」という。

 この統合性に失敗すると、私も含めて、人は、そのまま(死の待合室)に放り込まれる。つま
り死を待つだけの人生になってしまう。孫の世話だとか、庭いじりだとか、そういうものでいくら
ごまかしても、ごまかしきれない。日々に、むなしさとの戦いということになる。

 その統合性は、実は40歳前後から、準備しなければならないという。「定年になりました。明
日からボランティア活動を始めます」と言ったところで、うまくいくはずがない。

 で、Y君のばあい、それが「登山」ということになる。話題は、登山になった。そういうときのY
君の表情は、明るく輝く。実に楽しそうだった。

 そして昨日、その下呂のみやげをもって、義兄を訪ねた。前立腺がんの手術をして、退院し
たところだった。術後の不都合がいろいろあるらしいが、それを除けば、元気そうだった。義兄
とも、数時間、話し込んだ。

 ……つまり、私は、こうした人たちと話しながら、今、懸命に自分さがしをしている。「統合性」
という言葉を使うなら、「私は何をすべきか」、それを懸命に模索している。よく誤解されるが、
(したいこと)と、(すべきこと)は、まったく別のものである。(したいこと)には、楽しさがともな
う。しかし(すべきこと)には、ふつう(苦しみ)が伴う。その苦しみを乗り越えないかぎり、統合性
を確立することはできない。

 いとこの話を聞きながら、私は、「私にとって統合性とは何か」、義兄の話を聞きながら、「私
も急がなければ」と、それぞれ考えた。

 ……ということで、私は、これから自分の統合性の追求をしてみたい。ものを書くにしても、意
味のないことは書かない。つまらないことも書かない。常に前向きに、ものを書いていきたい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●North Korea seen reluctant to divulge nuclear plans(NK国は、核開発暴露に、消極的)

I don't think that C. Hill is such a person that is so tolerant and generous, but he has no 
choice to follow what North Korea says and does. C. Hill is so much pro-South Korea and 
his son is driving a Korean-made car back in USA. He is believed to support so-called "the 
sun and the north wind Policy" of South Korea. But is it OK? Wake up, Mr Hill! North Korea 
is not such a nation which we think she is. 

+++++++++++++++++

NK国の核兵器開発は、いったい
どうなっているのか?

今朝(1月9日)の朝鮮N報を読むと、
今月中(08年1月)に、6か国協議が
開かれるという。

情報が交錯している。

アメリカのABCニュースから、関連記事を
さがしてみた。

+++++++++++++++++

 この中でとくに注目しなければならないのは、ヒル氏の発言ということになる。ヒル氏は、こう
述べている。

"They have not wanted to list certain programs that we know about and they know that we 
know about,"

「彼らは、我々が知っているあるプログラムをリスト化したくないと望んでいる。そして彼らは、
我々が知っていることを知っていると、それをリスト化したくないと望んでいる」

"The DPRK (North Korea) is not often automatically inclined to be transparent."

「NK国は、しばしば自動的に、透明性をもたない傾向がある」(=自ら進んで、透明性を高め
ようとはしない。)

"I don't think there is any reason to panic, no reason to get upset or turn this into a crisis,"

「(期限が過ぎたことについて)、パニックになる必要はないし、動揺する必要もないし、危機に
する必要もない」

 ヒル氏は、要するに、「NK国は、そういう国だから、そういう国だと知った上で、もう少し忍耐
強く交渉するしかない」と言っている。

 韓国の「太陽政策」とやらに、まんまと乗せられてしまったヒル氏。大の韓国びいき。息子氏
は、韓国製の自動車を運転している。今さら、「私の方策はまちがっていました」とは、とても言
えない。苦しい胸中はよくわかる。

参考:アメリカABCニュース(08年1月8日)
SEOUL (Reuters) - North Korea's refusal to divulge details of its nuclear weapons program 
caused it to miss a deadline in a disarmament-for-aid deal it struck with regional powers, a 
U.S. nuclear envoy said on Tuesday. 

North Korea missed an end-of-2007 deadline to provide a full listing of its nuclear arms 
program and answer U.S. suspicions of having a clandestine program to enrich uranium for 
weapons.

"They have not wanted to list certain programs that we know about and they know that we 
know about," U.S. Assistant Secretary of State Christopher Hill said after arriving in Seoul.

"The DPRK (North Korea) is not often automatically inclined to be transparent."
Reclusive North Korea has a history of missing deadlines and dragging its feet in its limited 
international dealings. It often uses brinkmanship to extract maximum concessions.

Hill, who is traveling to Northeast Asia and Russia, urged patience and said the United 
States was looking for a full declaration from North Korea.

"I don't think there is any reason to panic, no reason to get upset or turn this into a crisis," 
he said.

North Korea has been cooperating in another part of the nuclear deal in taking apart its 
ageing facility that generates arms-grade plutonium, he added.

Under the deal, energy-starved North Korea can receive up to 1 million tons of heavy fuel 
oil or equivalent aid and removal from a U.S. terrorism blacklist if it makes the nuclear 
declaration and disables its nuclear plant.
(Reporting by Jon Herskovitz; Editing by Alex Richardson)

 ここで単語を拾ってみよう。これは英語の勉強のため。

divulge……暴露する

a disarmament-for-aid deal……軍縮―援助取り引き

U.S. Assistant Secretary of State Christopher Hill……国務次官補、クリストファー・ヒル

a U.S. terrorism blacklist……合衆国テロブラックリスト

six-party nuclear negotiations……6か国核兵器交渉


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2412)

●魂の解放(To liberate our soul)

Japanese are more concerned about their appearance in the public, about which we know 
when we compare ourselves with Australians. Australians seldom care about the 
appearance in the public. They seem to live showing themselves as they are. This means 
that we have still drag the bad aspect of feudal age of more than 100 years ago. I, however, 
don't mean which is good and which is bad. From our point of view Australians are too much 
rational or "dry" we say, and from their point of view we are not or "wet". This is a story I 
heard from my son: One day my son and his friends were driving to Florida and went into 
the sand dune where their car was in the dead end. Then there appeared some American 
students, saying, "If you need our help to get your car out of the sand, pay us 20 dollars". 
Is this sort of thing to be happened in Japan? This is "dry", we say in Japanese. But still I 
say our Japanese traditional way of living, for example, to care about the appearance in the 
public is rather stupid. Whatever I am, I am "Me". I still find it difficult for me to live as I am. 
This is an article about this.

+++++++++++++++++

世俗的な見栄、体裁、世間体に
引きずられて、自分を見失う人は多い。
このタイプの人は、おかしなところで、
おかしな気を遣(つか)う。

ときには、それが滑稽(こっけい)なほど、
不自然に見えることがある。

が、それは何も、他人の姿ではない。
私たち自身も、いつもその見栄、体裁、
世間体を気にしている。

程度の差こそあれ、みな、そうである。

+++++++++++++++++

 オーストラリア人たちとつきあっていて、第一に感ずること。彼らは、日本で言う、世俗的な見
栄、体裁、世間体というものを、まったくと言ってよいほど、気にしない。恐ろしく、サバサバして
いる。あまりにもサバサバしているので、いまだに、こちらのほうが面食らうほどである。

 このちがいは、どこから生まれるのか?

 日本人は、いまだに農村社会の、あの「邑(むら)意識」を、引きずっている。封建時代が残し
た、最悪の負の遺産と言ってもよい。「私は私」と考える前に、つねにそこに他人の目を意識す
る。それが転じて、見栄になり、体裁になり、世間体になる。

 一方、オーストラリアという国は、それ自体が、移民国家。無数の他民族が、複雑に入り混ざ
っている。日本人の私たちとは逆で、「私は私」と、それを前面に出していかないと、生きていく
ことすら、むずかしい。

 どちらがよいとか悪いとか、そういうことを議論しても意味はない。それぞれに一長一短があ
る。あるオーストラリア人は、こう言った。「日本は、すばらしい国だ」と。話を聞くと、どこかで道
に迷ったとき、そこで出会った日本人が、ていねいに道案内をしてくれたという。

 「オーストラリアではどうか?」と聞くと、「道を聞こうとすると、みな、逃げていく」と。

 さらにこんな話も……。これはアメリカでの話。

 息子たちが、アメリカのフロリダをめざしてドライブをしていたときのこと。海辺の砂浜が美し
かったので、そこへ車を乗り入れた。とたん、車は砂浜の砂に車輪を取られて、身動きが取れ
なくなってしまった。

 が、そこへどこからともなく、4〜5人のアメリカ人が現れ、こう言ったという。「車を出してほし
かったら、20ドル払え」と。

 そのアメリカ人たちは、学生だった。そこで息子たちが、「ぼくたちも学生だ」と答えると、「じゃ
あ、10ドルでいい」と。

 こうした生き方を、私たち日本人は、「ドライ」と表現する。言いかえると、日本人は、その分
だけ、「ウェット」ということになる。このウェットな部分が、人間関係を濃密にする。私が冒頭に
あげた、世俗的な見栄、体裁、世間体というのは、それから生まれる。

 しかし……。それにも程度というものがある。あるいは相対的なものか? 見栄、体裁、世間
体を気にしない人から見れば、それを気にする人がよくわかる。ときに滑稽(こっけい)なほど、
よくわかる。

 しかし見栄、体裁、世間体を気にする人にすれば、気にしない人が、かえって変わり者に見
えるかもしれない。実際、この私は、その「変わり者」ということになっている。さらに私のワイフ
にいたっては、見栄、体裁、世間体を、気にしない。まったくと言ってよいほど、気にしない。同
窓会でも、TOYOTAのビッツに乗って、普段着のまま出かけていく。

いや、全体として見ても、ここ浜松の人たちは、郷里の岐阜の人たちほど、見栄、体裁、世間
体を気にしない。浜松という町が、古来、街道筋の宿場町として発展したためではないか。

 ともかくも、見栄、体裁、世間体を気にすればするほど、「私」を見失う。自分がどこにいるか
さえ、わからなくなってしまう。「私は私」、どこまでいっても、「私は私」。

 が、こう書くからといって、私は、何も日本人がもつ、民族的な(温もり)まで否定しているわけ
ではない。密着する部分は、密着すればよい。道に迷ったり、砂浜で身動きとれない車を見つ
けたら、助けてやればよい。それは、それ。しかしいつもどこかで、「私」をキープする。

 その操作を誤ると、繰りかえすが、私を見失ってしまう。つまり時間を無駄にする。人生を無
駄にする。命を無駄にする。そういう意味では、世俗的な見栄、体裁、世間体は、戦うべきもの
ではあっても、擁護しなければならないものでは、けっして、ない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 世俗的な見栄 体裁 世間体)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【今日・あれこれ】(1月12日)

++++++++++++++++

寒い朝だ。冬の冷気が、ツンと身に
しみる。

生ぬるいウーロン茶を飲みながら、
ニュースに目を通す。

ペルシャ湾情勢、日韓関係、それに
あとは経済情報。

++++++++++++++++

●月面上のUFO

 日本の「かぐや」が、月の鮮明な写真を送りつづけてきている。数日前、その番組をワイフが
見た。私は「UFOでも写っていたら、呼んで」と言って、書斎にこもった。

 YOU・TUBEで、「UFO on the Moon」を検索してみるとよい。(私のHPのトップページから、
「音楽と私」→(UFO)で、見ることができる。)その種の動画が、ズラリと出てくる。月面上の構
造物の動画もある。少し見慣れてくると、インチキかそうでないかが、わかるようになる。だから
といって私の目が正しいというわけではないが、中には、無数のUFOが飛び交う動画まであ
る。興味のある人は、そちらを見たらよい。

 で、アメリカは、2020年までに、有人月探査に復帰するという。現在のスペースシャトルは、
2010年までに引退。かわって新たに「オリオン」と命名されたカプセル型宇宙船CEV(Crew 
Exploration Vehicle)を開発するという(以上、「IMIDAS」)。

 先の番組を見たワイフが、こう言った。「月にも、太陽の光線が当たらないところある。そこに
は、氷のかたまりがあるかもしれない」と。

 月の南極のクレーターの内部には、そういうところがあるらしい。アメリカが月面基地として選
んだのも、そういう場所。シャックルトン・クレーターと呼ばれるところである。そのクレーターの
縁に、太陽光発電機を設置すれば、途切れることなく、太陽光を受けることができるという。

 人間も、頭がよい。しかし月に宇宙人が住んでいるとするなら、同じことを考えているはず。
だいじょうぶかな?

 日本も、新たに、月・惑星探査推進グループというセクションを、JAXA内に設けたそうだ。
「このように組織改革が行われたのは、まず第一に、アメリカが打ち出した、国際協力による
有人月探査に対応する必要があるため」(「IMIDAS」)とのこと。

 見方を変えれば、たがいに協力しあって、月の謎を隠蔽(いんぺい)しあうともとれる。アメリ
カのNASAが発表している月の写真は、その多くが、どういう理由かは知らないが、修正され
ている。

 「月には、何かがある」「何かが、住んでいる」と考えているのは、けっして、私だけではない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「歓びを歌にのせて」(as it is in heaven)(フランス映画)

And yet it's the way that I chose そしてそれが私が選んだ道
My trust was far beyond words 私の信頼は、言葉では言い表せない
That has shown me a little bit それは少しだけ、私に示してくれた
Of the heaven I've never found 私が知らない天国を
I want to feel I'm alive 私は生きていることを感じたい
All my living days 私が生きている日々を、
I will live as I desire 私が思うように生きたい
I want to feel I'm alive 私は生きていることを実感したい
Knowing I was good enough 私にその価値があることを知りながら

I have never lost who I was 私は私を見失ったことはない。
I have only left it sleeping 私はただそれを眠らせていただけ
Maybe I never had a choice たぶん、私は、もう迷わない
Just the will to stay alive ただ意思の生かすまま
All I want is to be happy 私は幸せになりたいだけ
Being who I am 私はあるがままに生きるだけ
To be strong and to be free 強く、自由になるために
To see day arise from night 夜が明け、日が昇るのを見るために
I am here 私はここに生きている
And my life is only mine そして私の人生は、私だけのもの
And the heaven I thought was there そしてそこにあると思っていた天国を
I'll discover it there somewhere そのどこかに発見するでしょう

I want to feel 私は、感じたいだけ
That I've lived my life 私は私の人生を生きたということを。

+++++++++++++++++

 スウェーデン映画『歓びを歌にのせて』(As It Is In Heaven、2004年作品)を見た。いや、見
たのは、2、3年前のことだが、久しぶりに、その主題歌を聴いた。よかった。感動した。

 さっそく歌詞(英語訳)をさがしてみた。ここに書いたのがそれである。

 物語は、世界的な指揮者のダニエルが、すべてを捨てて、自分の生まれ故郷に戻ってくると
ころから始まる。そしてそこでダニエルは、はからずも、小さな教会のコーラスを指揮すること
になる。

 最初は、発声練習だけ。その間にいろいろなドラマが生まれる。が、ダニエルは、こう説く。
「歌は心で歌うもの」「聴衆といったいで歌うもの」と。

 ……。
 
 ダニエルのその思いは、最後のシーンでかなう。コーラスと聴衆が一体になったとき、ダニエ
ルはひとり、そのコーラスを聴きながら、別の部屋で静かに息を引き取る。もちろん星は5つの
★★★★★。アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされている。

 この映画と並んで、すばらしかったのが、『コーラス』(Les Choristes)。2004年、フランス映
画。

 こちらも世界的指揮者として知られる、ひとりの男性の物語。その男性、つまりピエールは、
別の男性の訪問を受け、その男性から1冊のノートを渡される。そのノートには音楽教師マチ
ューと、寄宿舎の子どもたちとの交流が記されていた……。

 星は5つの★★★★★。

 少し古いが、『耳に残るは君の歌声』『天使にラブ・ソングを』もよかった。

 あまりよく知られていないが、ついでに『シャーロット・グレイ』も思い出した。すばらしかった。

 【シャーロット・グレイ】

 (読み方で、シャルロットにもなるし、シャーロットにもなる。)ユニバーサル映画だが、この映
画は、まさに★★★★★(五つ星)!

 思いっきり感動してみたい人には、お勧め。とにかくよい映画だった。最後のシーンでは、思
わず、涙がポロポロ。(ボロボロかな?)「私はあなたに伝えたいことがある……」と。このつづ
きは、どうかビデオのほうを、見てほしい。映画『タイタニック』に、まさるとも劣らない映画……
と、私は思う。

 そう、映画のオープニングは、マリー・ローランサンの絵画を思わせる、夢のように美しいシ
ーンから始まる。(私は一時期、ローランサンが好きで、リトグラフを、何枚か買い集めたことが
ある。)それでよけいに釘づけになってしまった。……やはりここから先は、ビデオのほうを見て
ほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2413)

【文化性】(The "Culture" that each man has)

What is the "Culture" that each man has? I understand "Culture" is a sort of thing that 
supports us in case we face a crisis. Man with high culture is able to stand against the crisis 
without losing himself, but man without is not so. Therefore I understand the "Culture" that 
each man has is a kind of a "Pillar". This reminds me of a student I met in Argentine, 
Buenos Aires, who was waiting for the door open in front of a museum.

++++++++++++++++++++

その人の文化性は、その人が
危機に陥(おちい)ったときに、
試される。

危機に陥ったとき、泰然自若(たいぜんじじゃく)
として、動じない人もいれば、
あたふたと狼狽(ろうばい)し、
自分を見失ってしまう人もいる。

つまりその人の文化性は、いわば心の
貯金のようなもの。「心の柱」と言ってもよい。

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●その人の文化性

 本は読もう。音楽は聴こう。美術は鑑賞しよう。日々に高邁(こうまい)な思想に触れ、感動
し、ものを考えよう。こうした日々の研鑽(けんさん)が、その人の文化性を高める。そうでなけ
れば、そうでない。そうでないばかりか、油断すると、通俗的価値に毒されて、その人のもつ文
化性は、どんどんと低下する。

 こんな人がいた。

 趣味は、掛け軸を集めることだという。一度だけだが、私は、その掛け軸を見せてもらったこ
とがある。それは2間ほどの壁に、びっしりと、積まれていた。が、その人が口にするのは、そ
の価値(?)だけ。値段だけ。

 「この掛け軸は、○○万円の価値がある」
 「この掛け軸は、江戸時代の、あの○○が、描いたもの」
 「この掛け軸と同じものが、ヤフオクで、○○万円で、売れた」と。

 こんな話までした。

 「これは伯母から買った掛け軸でね。伯母は、価値がわからないから、相場の10分の1の値
段で売ってくれましたよ」と。つまり「伯母をだまして、安く買いたたいた」と。

 こういう話を聞くと、ぞっとする。そういうことが平気でできる人というのは、そうはいない。また
それを自慢話にする人というのは、そうはいない。

 が、それ以上に私は、(掛け軸を集める)という高邁(こうまい)な文化性と、その人が口にす
る言葉とのギャップに驚いた。わかりやすく言えば、その人にとって掛け軸というのは、ただの
モノにすぎなかったということになる。

 さらにこんな人も。

 これは友人から聞いた話だが、その友人の近くに、1人の女性が住んでいた。当時、年齢
は、70歳くらいだった。

 その女性は、近所を散歩しながら、軒先に植木鉢が並べてあったりすると、それをそのまま
家に持ち帰ってきてしまうという。

 この話を聞いたときも、驚いた。70歳近い女性が、盗みをしているということについてではな
い。(花を楽しむ)という高邁な文化性と、(盗みをするというその女性の行為)が、私は頭の中
で、結びつかなかったからである。

 その女性について書いた原稿がある。日付はわからないが、もう7、8年前に書いた原稿だ
と思う。少し話が脱線するが、許してほしい。

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●しつけは普遍

 50歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし60歳を過ぎると、その人の人
格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。

たとえばTさん(70歳女性)は近所でも、「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様子がおかしく
なってきた。近所を散歩しながら、よその家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできて
しまうのだ。

人はそれを、Tさんが老人になったせいだと話していたが、実のところTさんの盗みグセは、Tさ
んが2、30歳のときからあった。ただ若いときは巧妙というか、そういう自分をごまかすだけの
気力があった。

しかし70歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それと反比例
するかのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。むず
かしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、そういうことで
決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。子どもが中学生になるころに
は、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。途
中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一度でゴ
ミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、その場だけの効果し
かない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見ていないところでは捨てたりす
る。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、話がお
かしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。

人間がもつしつけなどというのは、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに
自分の心に問いかけてみれば、それでわかる。してよいことをしたときには、心は穏やかなま
まである。しかししてはいけないことをしたときには、どこか不快感が心に充満する。そういう常
識に従って生きることを教えればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということになる。

そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「しつけは
普遍」という。

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●試される文化性

 その人のもつ文化性は、危機的状況になったときに、試される。高い文化性をもった人は、
その文化性を維持したまま、泰然自若と、それを構えて受けることができる。が、そうでない人
は、そうでない。

 そういう意味で、その人がもつ文化性というのは、「心の貯金」のようなものと考えてよい。あ
るいは、「心の柱」と言いかえてもよい。つまり文化性というのは、それを身に貯金しているとき
は、その価値がわからない。「柱」と意識することもない。

 が、けっして、無駄ではない。しかもその時期というのは、小学時代とか、中学時代に決ま
る。少なくとも大学生になったころには、ある程度の方向づけが、決まる。アルゼンチンのブエ
ノスアイレスに行ったときのこと。こんなことがあった。

 ホテルの反対側に、大きな美術館があった。道路をはさんだ、向かい側だった。朝早く散歩
をしながら、その美術館の前に行くと、1人の女子学生が、石の階段に腰をかけてすわってい
た。「何をしているのか?」と聞くと、「美術館が開くのを待っている」と。

 私はそのまま別れた。そして数時間ほどたってから、私もその美術館に足を運んでみた。そ
の女子学生は、そこにいた。大きな絵画を一枚ずつ、身動きすらしないで、じっとながめてい
た。そのあまりの迫力に圧倒されて、私は、声もかけられなかった。

 今にして思うと、あのような若い女性でも、方向づけができていたことになる。コンサートやス
ポーツの世界では、開館を待ってそこに並ぶということはあるが、美術の世界では、珍しい。今
ごろ、あの女性は、アルゼンチンでも、すばらしい女性になっているにちがいない。

●反対に……

 反対に、こんな人もいた。

(……とここまで書いて、私はその先を書くのが、いやになった。愚劣な人たちの、愚劣な話な
ど、書きたくない。世の中には、サルのような人というか、サル同然の人もいる。ささいな問題
で、ギャーギャーとわめき散らす。

 そういう人たちの話を書きたいと思ったが、どういうわけか、指先が止まってしまった。はっき
り言えば、私は、もうそういう人たちを相手にしたくない。だから、この話は、ここまで!)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 文化性)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2414)

【1000号特集・過去版より(1)】

+++++++++++++++

これから4回に渡って、マガジン
過去版をお届けします。

まだ読者の方が、400〜500人
前後のとき発行していたマガジンで
す。

その中から、今でも、役にたつと
思われる原稿を選んで、お届けし
ます。

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★★★★★★★★★★★★★★
02−9−2号(臨時増刊号)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワードです!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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Hiroshi Hayashi, Japan■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
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臨時増刊号
家庭内暴力について、考えてみました。何かの参考にしていただければ、うれしいです。

テーマ「家庭内暴力」
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家庭内暴力

●千葉県市原市のESより、はやし浩司へ

 はじめてメールいたします。
ここ一年、加速するようにドラ化する現中一の息子への対応に
悪戦苦闘している四五歳の母親です。
「不登校」「家庭内暴力」「奇声」というキーワードで検索して
いくつかたぐっていましたが、どれも琴線に響くものもなく、
溜息混じりに見つけたのが貴方の直言でした。
長い文筆にかかわらず、一気にスクロールしてしまうほどの
まさに迷う私にとって目からうろこの言葉の数珠繋ぎだったのです。

私は大学の同級生の夫と高一の長女、中二の長男の四人家族ですが、
主人は京都に単身赴任して三年になります。
思えば夫の赴任に伴って、悪化した長男の心身生活態度でしたが、
夫もマメに帰省してくれ、その度に息子と心通わす時間を持ってくれており、
「単身赴任だから」という理由付けで息子の変化を語るには悔しすぎます。

ただ、今の息子は達成感がなく、何事にもやる気のない、目標意識のない、何かにつけて
マイナス思考で、やり場のないストレスを家族にぶつけている状態です。
もちろん、何事も長続きせず、成績は下降の一途です。
時には恐ろしいくらい(明日新聞に載るのではないか?という気さえします)乱暴になり、
その刃は留守宅の私に集中して向けられ、夫が帰るとウソのようにいい子になります。
彼の状態を家族として夫に報告することが、息子にはタブーで半ば脅されたような
状態で、我慢しています。知らぬは主人ばかりなり。一体いつまで続くのか、
学校も中学になって一学期のうち約二〇日欠席してしまい、果ては「学校なんて辞めたい」。
小学校のころから、問題を起こしては責任転嫁をするので、学友からは浮き上がってしまい、
本人も自覚するものの、引っ込みがつかなくなって自己矛盾に陥って悪循環。
見ていて痛々しくなってしまいます。

そのくせ、今も私のそばを離れず、注意を引くような、私が困るような行動をとるので、
今は、彼が何を探しあぐねて、彼がどう自分のことを考えてるのか、
様子を見ながら、笑顔をつくっている始末。乱暴時には怖くても何もできませんが、
息子と自分たちを信じて負けるまいと考えています。
ただ、時にどうしようもなく、逃げ込みたくなることもあり、死んでしまいたいとすら
思うほど落ち込んでしまいます。
恐らく何千の相談メールのなかで、こんなグダグダなど、取るに足らぬ甘いものだと
察しますが、ほんの少しでも、心を支える言葉を見つけられればと思い、
メール致しました。夫以外誰にもここまで話せません。
陥りやすい母親のパターンなのかもしれませんが、気長に構えるファイトが欲しくてなりませ
ん。ながながとすみませんが、よろしくお願いいたします。
(千葉県市原市・ESより)

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●はやし浩司より、ESさんへ
はやし浩司より、
メール、拝見いたしました。
 
息子さんを、R君としておきます。
 
R君は、思春期にありがちな、典型的な情緒不安と
思われます。みんなそうですから、あまり深刻にな
らないのが、賢明です。(情緒不安というのは、いわ
ゆる心の緊張感がとれない状態と考えてください。)
その緊張している状態に、不安が入り込むと、一挙に
暴走するわけです。暴力に向うプラス型と、引きこもり
などに向うマイナス型に分けて考えます。R君は
プラス型です。精神科で診断されると、青年期の
うつ病というような診断名をつけるかもしれません。
この名前を出してショックを受けられるかもしれませんが、
多かれ少なかれどの子どもも、そういった傾向を示しますので、
「うちの子だけが……」とは、思わないでくださいね。
 
言いかえると、この時期さえうまくくぐりぬけると、
症状は急速に回復しますので、あまり不安にならないように。
将来に対する不安を感じているのは、むしろ
R君自身と思ってあげてください。
成績がさがる、勉強がうまくはかどらない、しかし
みんなの中で目立ちたいなど、思春期の中で、
心の中がいつも緊張状態にあるのです。そのため
情緒そのものがたいへん不安定になっているのです。
まあ、いわば、心の風邪のようなもの。少し症状が
重いので、インフルエンザくらいだと思ってください。
いえ、決してなぐさめているのではありません。
ここにも書いたように、ケースとしては、たいへん
多く、またマイナス型(ひきこもり)と比べると
予後もよく、回復し始めると、あっという間に
症状が消えていきます。ですからここは「心がインフルエンザ
にかかっている」と思い、一歩退いた見方で、R君を
みるようにします。
 
で、いくつかコツがあります。
 
(1)今こそ、あなたの親としての愛情が試されている
ときと思うこと。今までのあなたは、いわば本能的愛、
あるいは代償的愛に翻弄されていただけです。しかし
今、あなたのR君に対する愛がためされているのです。
言いかえると、あなたがこの問題を、R君に対する
おしみない愛情で乗り越えたとき、あなたはさらに
深い親の愛を知ることになります。ですから決して
投げ出したり、投げやりになったりしてはいけませんよ。
「私はあなたにどれだけ裏切られても、あなたを
愛していますからね」という態度を貫きます。
いつかR君はそういうあなたに気づき、あなたのところ
に戻ってきます。そのときのために、決してドアを
閉じてはいけません。いつもドアを開いていてください。
そのためにも、「許して忘れる」です。
 
この「許して忘れる」については、私のサイトの
「心のオアシス」の中に書いておきましたから
トップページから開いて、ぜひ読んでみてくださいね。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
 
(2)この症状は、「治そう」とは思わないこと。
「今の状態をより悪くしないことだけを考える」こと。
ここが大切です。この段階で、治そうと思うと、悪循環の
世界に入ってしまい、それこそ「以前のほうが症状が
軽かった……」ということを繰り返しながら、症状は
どんどん悪化(本当は悪化ではなく、親の過干渉、
溺愛からの解放をめざしているのです)します。
ですから、数か月単位で、R君をみるようにし、
そして今の状態をこれ以上悪くしないことだけを
考えて、様子をみます。私の経験では、これから
一通り、R君はおとなになる準備をし、落ち着き始めるのは
一六、七歳ころだと思います。あせってはいけません。
気長に考えるのです。
 
(3)冷蔵庫から甘い食品を一掃してみてください。
思い切って捨てるのです。そしてCA、MGの多い食生活
にこころがけます。子どもの場合、食生活を変える
だけで、みちがえるほど、静かに落ち着いてきます。
詳しくは、サイトのあちこちに「過剰行動児」という
項目で書いておきました。ヤフーの検索で、
「はやし浩司 過剰行動」で検索するとヒットできるはずです。
 
(1)R君は恐らく幼児期はいい子のまま、仮面をかぶっていた
はずです。お父さんに対する態度が違うところがそうです。
(お父さんはかなり権威主義者ですね。)そういう仮面の
重圧感に苦しんできたのですよ。わかりますか?
それを今、懸命に調整しようとしている。そういう意味でも
ごくありふれた、先ほども書きましたように、多かれ
少なかれ、どの子どももかかる、心のインフルエンザの
ようなものです。ただ外から症状が見えないから
どうしても安易に考えてしまう。そういうものです。
 
(5)進学ということよりも、R君がしたいこと、R君に
向いている面で、将来の設計図を一緒に考えてあげるのが
いいでしょうが、ただ今の状態では、まだ時期が早いかもしれ
ません。今、あれこれ動いても、R君自身をかえって追い込んで
しまうからです。心のリハビリを考え、
 
●何もしない、何も世話をやかない、何も言わない、何も
かまわない……という状況の中で、つまりR君から見て、まったく
親の存在を感じないほどまでに、気が楽になるようにしむけます。
こういうケースでは、扱い方をまちがえたり、子どもを追い込むと
たとえば集団非行、家出ということを
繰り返しながら、どんどん悪循環の輪の中に入ってしまい
ます。ですから、子どもの側から見て、安心できる家庭づくり、
ほっとする家庭づくりに心がけてください。(家出をしたら、
またまた何かとやっかいになります。)家にいるだけでも、
ありがたいと思いつつR君に「やすらぎ」を用意します。
つまり根競べです。本当に根競べです。
 
この問題は、今のあなたには深刻な問題ですが、
必ず笑い話になりますよ。巣立ちにはいろいろな
形がありますが、これもその一つです。ですから親の
あなたが一歩退いて、つまり子どもを飲み込んだ世界から
見るのです。決して対等になってはいけません。
 
あのね、R君は、あなたが不安そうな表情、心配そうな
表情を見ながら、自分の心の中の不安を増幅させて
いるのですよ。そういう心理を理解するにはむずかしい
かもしれませんが、一度それがわかると、「何だ、
やっぱり子どもだな」と思えるようになります。ためして
みてください。
 
私の知人(女性)の長男も、高一のとき、無免許でバイクに乗り、
事故を起こし、逮捕、退学。いろいろありましたが、今は
笑い話にしています。(その分、その知人はみちがえるほど
気高い母親になりましたがね……。)いろいろみんな
あるのです。決して、自分だけが……とは思わないこと。
追い込まないこと。わかりますか? 
 
私のサイトの中に、「タイプ別子育て」という
コーナーがありますから、その中から非行なども
読んでみてください。参考になると思います。
 
子どもというのは不思議なもので、親が心配したところで
どうにかなる存在ではないし、しかし放っておいても
自分で育っていくものです。そろそろ子離れを始めてください。
(子どものほうはとっくの昔に親離れしているのですよ。)
 
子育てはまさに航海。「ようし、荒波の一つや二つ、
越えてやる」「十字架の一つや二つ、背負ってやる」
「さあ、こい」と怒鳴ったとき、不幸(本当は不幸でも
何でもないのです。あなたも子どものころ、品行方正の
女の子でしたか? ちがうでしょ!)は、向こうから
退散していきます。
 
R君は、今、自分の将来に大きな不安をもっています。
うまく口ではそれを表現できないだけですよ。だから
態度や行動でそれを示している。繰り返しますが、心の風邪
です。だれでもかかる、思春期の熱病です。(外の世界で
暴れれば問題ですが、いわゆる家庭内暴力というのです。)
本当にありふれた症状です。だからあまり深刻に、(いえ
今は深刻ですが……。決して深刻でないとは思って
いません。)そういうふうに一歩退いてみるのですよ。
決して、R君を追い込まないこと。「がんばれ」とか、
「こんなことでは、高校へ行けなくなる」とか、そういう
ふうに追い込んではいけません。(多分、あなたの
夫は仕事人間で、そういう姿を彼は見て、よけいに
不安になるのかもしれませんね。)
 
あまりよい回答になっていないかもしれませんが、
何か不安なことがあれば、またそのとき、メールを
ください。力になります。いつか必ず笑い話になり、
そしてそのときあなたは「子育てをやり遂げた」「子どもを
信じた」「子どもを愛しぬいた」という満足感を得られます。
そういうときが必ずきますから、どうか、どうか、その日を
信じてください。みんなそうなりましたから。私が経験した
同じようなケースは、みな、そうなっています。だから
私の言っていることを信じて、前向きに生きてください。
 
そうそうあなた自身の学歴信仰とか、学校神話の
価値観を変えることも忘れないでください。そのために
いろいろなコラムを書いていますから、また読んでください。
マガジンも発行しています。
 
みんながあなたを応援します。私も応援します。
R君は、本当はやさしい男の子です。ただ少し
気が小さいだけです。あなたもそう思っているでしょ。
 
では、おやすみなさい。
 
はやし浩司

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家庭内暴力について

●思春期の不安
 思春期の不安感は、大きく分類すると、つぎのように分けられる。
抑うつ気分(気分が晴れない)、悲哀感(何を見ても聞いても悲しい)、絶望感、自信喪失、自
責感(自分はダメな人間と思い込む)、罪責感(罪の意識を強くもつ)など。これらが高じると、
集団に対する不適応症状(不登校、怠学)、厭世気分(生きていることが無意味と思う)感情の
鈍化、感情のコントロール不能(激怒、キレる)などの症状が現れる。

 またその前の段階として、軽い不安症状にあわせて、心の緊張感がほぐれない、焦燥感(あ
せり)などの症状にあわせて、ものごとに対して突発的に攻撃的になったり、イライラしたりする
こともある。(こうした攻撃性が、ときにキレる状態になり、凶暴的、かつ破滅的な行為に及ぶこ
ともある。)

●行為障害としての家庭内暴力
 こうした症状は、思春期の子どもなら、多かれ少なかれ共通してもつ症状といってもよい。
が、その症状が一定レベルを超え、子ども自身の処理能力を超えたとき、さまざまな障害とな
って、発展的に現れる。それらを大きく分けると、思考障害、感情障害、行為障害、精神障害、
身体的障害の五つになる。

 思考障害……ふつう思考障害というときは、思考の停止(考えが袋小路に入ってしまう)、混
乱(わけがわからなくなる)、集中力の減退(考え方が散漫になってしまう)、想像および創造力
の減退(アイデアが思い浮かばない)、記憶力の低下(英語の単語が覚えられない)、決断力
の不足(グズグズした感じになる)、反応力の衰退(話しかけても、反応が鈍い)などをいう。

 感情障害……感情障害の最大の特徴は、自分の感情を、理性でコントロールできないこと。
「自分ではわかっているのだが……」という状態のまま、激怒したり、突発的に暴れたりする。
こうした状態を、「そう状態における錯乱状態」と考える学者もいる。ただ私は、この「自分では
わかっているのだが……」という点に着目し、精神の二重構造性を考える。コンピュータにたと
えていうなら、暴走するプログラムと、それを制御しようとするCPU(中央演算装置)が、同時に
機能している状態ということになる。(実際には、コンピュータ上では、こういうことはありえない
が……。)

この時期の子どもは、感情障害を起こしつつも、もう一人の自分が別にいて、それをコントロー
ルするという特徴がある。その一例として、家庭内暴力を起こす子どもは、(1)暴力行為の範
囲を家庭内でとどめていること。また(2)暴力行為も、(事件になるような特別なケースは別と
して)、最終的な危害行為(それ以上したら、家庭そのものが破滅する行為のこと。私はこれを
「最終的危害行為」と呼んでいる)に及ぶ、その直前スレスレのところで抑制することがある。
家庭内暴力を起こす子どもが、はげしい暴力を起こしながらも、どこか自制的なのは、そのた
めと考える。

行為障害……軽度のばあいは、生活習慣の乱れ(起床時刻や就眠時刻が守れない)、生活
態度の乱れ(服装がだらしなくなる)、義務感の喪失(やるべきことをしない)、怠惰、怠学(無気
力になり、無意味なサボり方をする)などの症状が現れる。が、それが高ずると、社会的機能
が影響を受け、集団非行、万引き、さらには回避性障害(他人との接触を嫌い、部屋に引きこ
もる)、摂食障害(拒食症、過食症など)を引き起こすようになる。この段階で、家人は異変に
気づくことが多いが、この状態を放置すると、厭世気分が高じて、自殺願望(「死にたい」と思
う)、自殺企画(自殺方法を考える)、最終的には自殺行為に及ぶこともある。

精神障害……うつ状態が長期化すると、感情の鈍化(喜怒哀楽の情が消える)、無反応性(話
しかけてもボーッとしている)が現れる。一見痴呆症状に似ているので、痴呆症と誤解するケー
スも多い。しかし実際には、ほとんどのケースでは、本人自身が、自分の症状を自覚している
ことが多い。これを「病識(自分で自分の症状を的確に把握している)」という。ある青年は、中
学時代、家庭内暴力を起こしていたときのことについて、こう言った。「いつももう一人の自分
がそこにいて、そんなバカなことをするのをやめろと叫んでいたような気がする。しかしいった
ん怒り始めると、それにブレーキをかけることができなくなってしまった」と。

ほかにもう一つ、腹痛や頭痛などの身体的障害もあるが、一般的な病状と区別しにくいので、
ここでは省略する。

●情緒不安
 よく誤解されるが、情緒が不安定な状態を、情緒不安というのではない。情緒不安というの
は、心の緊張感がとれない状態をいう。「気を許さない」「気を抜かない」「気をゆるめない」とい
う状態を考えればよい。その緊張しているところに、不安要素が入り込むと、その不安を解消
しようと、一挙に心の緊張感が高まる。このタイプの子どもは、どこか神経がピリピリしていて、
心を許さない。そのことは軽く抱いてみればわかる。心を許さない分だけ、体をこわばらせた
り、がんこな様子で、それを拒絶したりする。情緒が不安定になるのは、あくまでもその結果で
しかない。

 家庭内暴力を繰り返す子どもは、基本的には、この情緒が不安定な状態にあると考えるとわ
かりやすい。そのためたいていは(親側からみれば)ささいな親の言動で、子どもは突発的に
凶暴になり、攻撃的な暴力を繰り返す。ある女子(中二)は、母親がガラガラとガラス戸を閉め
ただけで、母親を殴ったり、蹴ったりした。母親には理由がわからなかったが、その女子はあと
になってこう言った。「ガラス戸をしめられると、『もっと勉強しなさい』と、催促をされているよう
な気がした」と。

その女子の家は大通りに面していて、ふだんから車の騒音が絶えなかった。それで子どものと
きから、母親はその女子に「勉強しなさい」と言ったあと、いつもそのガラス戸をガラガラとしめ
ていた。母親としては、その女子の部屋を静かにしてあげようと思ってそうしていたのだが、い
つの間にか、それがその女子には「もっと勉強しなさいという催促」と聞こえるようになった……
らしい。

●暴力行為
 家庭内暴力の「暴力」は、その家人にとってはまさに想像を絶するものである。またそれだけ
に深刻な問題となる。その家庭内暴力に、私がはじめて接したケースに、こんなのがある。

 浜松市に移り住むようになってしばらくのこと。私は親類の女性に頼まれて、一人の中学三
年生男子を私のアパートで、個人レッスンをすることになった。「夏休みの間だけ」という約束だ
った。が、教えて始めてすぐ、その中学生は、おとなしく従順だったが、まさに「何を考えている
かわからないタイプの子ども」ということがわかった。勉強をしたいのか、したくないのか。勉強
をしなければならないと思っているのか、思っていないのか。どの程度まで教えてほしいのか、
教えてほしくないのか。それがまったくわからなかった。心と表情が、完全に遊離していて、ど
んな性格なのかも、つかめなかった。

 が、その少年は、家庭の中で、激しい暴力行為を繰り返していた。その少年が暴力行為を繰
り返すようになると、母親は仕事をやめ、父親も出張の多いそれまでの仕事をやめ、地元の電
気会社に就職していた。そういう事実からだけでも、その少年の家庭内暴力がいかに激しかっ
たかがわかる。

その少年を紹介してくれた親類の女性はこう言った。「毎晩、動物のうめき声にも似た少年の
絶叫が、道をへだてた私の家まで聞こえてきました。その子どもが暴れ始めると、父親も母親
も、廊下をはって歩かねばならなかったそうです」と。
私は具体的な話を聞きながら、最初から最後まで、自分の耳を疑った。私が知るその少年
は、「わけのわからない子ども」ではあったが、家の中で、そのような暴力を働いているとは、と
ても思えない子どもだったからである。

●心の病気
 こうした抑うつ感が、うつ病につながるということはよく知られている。一般には家庭内暴力を
起こす子どもは、うつ病であると言われる。おとなでも、うつ病患者が突発的にはげしい暴力行
為を繰り返すことは、よく知られている。が、家庭内暴力を起こす子どもがすべて、うつ病かと
いうと、それは言えない。症状としては重なる部分もあるというだけかもしれない。

たとえば学校恐怖症というのがあるが、どこまでが恐怖症で、どこからがうつ病なのか、その
線を引くのがむずかしい。少なくとも、教育の現場では、その線を引くことができない。同じよう
に、家庭内暴力を起こす子どもと、うつ病との間に、線を引くことはむずかしい。そこで比較的
研究の進んでいる、うつ病についての資料を拾ってみる。(というのも、家庭内暴力という診断
名はなく、そのため、治療法もないということになっているので……。)

 村田豊久氏という学者らが調査したところによると、日本においては、小学二年生から六年
生までの一〇四一人の子どもについて調べたところ、約一三・三%に「うつ病とみなしてよいと
の評点を、得点していた」(八九年)という。もちろんこの中には、偽陽性者(症状としてうつ病に
似た症状を訴えても、うつ病でない子ども)も含まれているので、一三・三%の子どもがすべて
がうつ病ということにはならない。

最近の調査研究では、学童全体の約一・八%、思春期の学童の約四・七%が、うつ病というこ
とになっている(長崎医大調査)。が、この数字も、注意してみなければならない。「うつ病」と診
断されるほどのうつ病でなくても、それ以前の軽度、中度のうつ病も含めるとどうなるかという
問題がある。さらに、うつ病もふくめて、こうした情緒障害には、周期性、反復性がある。数週
間単位で、症状が軽減したり、重くなったりすることもある。そういう子どもはどうするかという問
題もある。が、それはさておき、ここでいう「四・七%」というのは、おおむね、「今という時点に
おいて、中学生の約二〇人に一人が、うつ病である」と考えてよい数字ということになる。

 で、この数字を多いとみるか、少ないとみるかは、別として、こうした子どもたちが、一方で不
登校や引きこもり(マイナス型)を起こし、また一方で家庭内暴力を起こす(プラス型)、その予
備軍と考えてよい。(あるいは実際、すでに起こしている子どもも含まれる。)で、ここで問題
は、二つに分かれる。(1)どうすれば、家庭内暴力も含めて、どうすれば子どものうつ病を避け
ることができるか。(2)今、家庭内暴力を起こしている子どもも含めて、どういう子どもには、ど
う対処したらよいか。

●どうすれば防げるか 
 「すなおな子ども」というとき、私たちは昔風に、従順で、おとなの言うことをハイハイと聞く子
どもを想像する。しかしこれは、誤解。

教育の世界で、「すなおな子ども」というときには、二つの意味がある。一つは、心の状態と表
情が一致していること。悲しいときには悲しそうな顔をする。うれしいときにはうれしそうな顔を
する、など。が、それが一致しなくなると、いわゆる心と表情の「遊離」が始まる。不愉快に思っ
ているはずなのに、ニコニコと笑ったりするなど。

 もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。いじける、ひがむ、つっぱる、ひねくれるなどの心の
ゆがみがない子どもを、すなおな子どもという。心がいつもオープンになっていて、やさしくして
あげたり、親切にしてあげると、それがそのままスーッと子どもの心の中にしみこんできくのが
わかる。が、心がゆがんでくると、どこかでそのやさしさや親切がねじまげられてしまう。私「こ
のお菓子、食べる?」、子、「どうせ宿題をさせたいのでしょう」と。

 ついでに、子どもの心は風船玉のようなもの。「家庭」で圧力を加えると、「園や学校」で荒れ
る。反対に「園や学校」で圧力を加えると、「家庭」で荒れる。友人との「外の世界」で荒れること
もある。問題は、荒れることではなく、こうした子どもたちが、いわゆる仮面をかぶり、二重人格
性をもつことだ。親の前では、恐ろしくよい子ぶりながら、その裏で、陰湿な弟や妹いじめを繰
り返す、など。家庭内暴力を起こす子どもなどは、外の世界では、信じられないほど、よい子を
演ずることが多い。

●こわい遊離と仮面
 一般論として、情意(心)と表情が遊離し始めると、心に膜がかかったかのようになる。教える
側から見ると、「何を考えているかわからない子ども」、親から見ると、「ぐずな子ども」ということ
になる。あるいは「静かで、おとなしい子ども」という評価をくだすこともある。ともかくも心と表情
が、ミスマッチ(遊離)するようになる。ブランコを横取りされても、笑みを浮かべながら渡す。失
敗して皆に笑われているようなときでも、表情を変えず平然としている、など。「ふつうの子ども
ならこういうとき、こうするだろうな」という自然さが消える。が、問題はそれで終わらない。

 このタイプの子どもは、表情のおだやかさとは別に、その裏で、虚構の世界を作ることが多
い。作るだけならまだしも、その世界に住んでしまう。ゲームのキャラクターにハマりこんでしま
い、現実と空想の区別がつかなくなってしまう、など。ある中学生は、毎晩、ゲームで覚えた呪
文を、空に向かって唱えていた。「超能力をください」と。あるいはものの考え方が極端化し、先
鋭化することもある。異常な嫉妬心や自尊心をもつことも多い。

 原因の多くは、家庭環境にある。威圧的な過干渉、権威主義的な子育て、親のはげしい情
緒不安、虐待など。異常な教育的過関心も原因になることがある。子どもの側からみて、息を
抜けない環境が、子どもの心をゆがめる。子どもは、先ほども書いたように、一見「よい子」に
なるが、それはあくまでも仮面。この仮面にだまされてはいけない。こうした仮面は、家庭内暴
力を繰り返す子どもに、共通して見られる。

 子どもの心を遊離させないためにも、子育ては、『まじめ八割、いいかげん二割』と覚えてお
く。これは車のハンドルの遊びのようなもの。子どもはこの「いいかげんな部分」で、羽をのば
し、自分を伸ばす。が、その「いいかげん」を許さない人がいる。許さないというより、妥協しな
い。外から帰ってきたら、必ず手洗いさせるとか、うがいさせるなど。このタイプの親は、何ごと
につけ完ぺきさを求め、それを子どもに強要する。そしてそれが子どもの心をゆがめる。が、
悲劇はまだ続く。このタイプの親に限って、その自覚がない。ないばかりか、自分は理想的な
親だと思い込んでしまう。中には父母会の席などで、堂々とそれを誇示する人もいる。

 なお子どもの二重人格性を知るのは、それほど難しいことではない。園や学校の参観日に行
ってみて、家庭における子どもと、園や学校での子どもの「違い」を見ればわかる。もしあなた
の子どもが、家庭でも園や学校でも、同じようであれば、問題はない。しかし園や学校では、別
人のようであれば、ここに書いた子どもを疑ってみる。そしてもしそうなら、心の開放を、何より
も大切にする。一人静かにぼんやりとできる時間を大切にする。

●前兆症状に注意
 子どもの心の変化を、的確にとらえることによって、子どもの心の病気を未然に防ぐことがで
きる。チェック項目を考えてみた。

○ときどきもの思いに沈み、ふきげんな表情を見せる(抑うつ感)
○意味もなく悲しんだり、感傷的になって悲嘆する(悲哀感)
○「さみしい」「ひとりぼっち」という言葉を、ときどきもらす(孤独感)
○体の調子が悪いとか、勉強が思い通りに進まないとこぼす(不調感)
○「どうせ自分はダメ」とか、「未来は暗い」などと考えているよう(悲観)
○何をするにも、自信がなく、自らダメ人間であると言う(劣等感)
○好きな番組やゲームのはずなのに、突然ポカンとそれをやめてしまう(感情の喪失)
○ちょっとしたことで、カッと激怒したり、人が変わったようになる(緊張感)
○イライラしたり、あせったりして、かえってものごとが手につかないよう(焦燥感)
○ときどき苦しそうな表情をし、ため息をもらうことが多くなった(苦悶)
○同じことを堂々巡りに考え、いつまでもクヨクヨしている(思考の渋滞)
○考えることをやめてしまい、何か話しかけても、ただボーッとしている(思考の停止)
○何かの行動をすることができず、決断することができない(優柔不断)
○ワークなど、問題集を見ているはずなのに、内容が理解できない(集中困難)
○「自分はダメだ」「悪い人間だ」と、自分を責める言動がこのところ目立つ(自責感)
○「生きていてもムダ」「どうせ死ぬ」と、「死」という言葉が多くなる(希死願望)
○行動力がなくなり、行動半径も小さくなる。友人も極端に少なくなる(活動力低下)
○動きが鈍くなり、とっさの行動ができなくなる。動作がノロノロする(緩慢行動)
○ブツブツと独り言をいうようになる。意味のないことを口にする(内閉性)
○行動半径が小さくなり、行動パターンも限られてくる(寡動)
○独りでいることを好み、家族の輪の中に入ろうとしない(孤立化)
○何をしても、時間ばかりかかり、前に進まない(作業能率の低下)
○具体的に死ぬ方法を考え出したり、死後の世界を頭の中で描くようになる(自殺企画)

こうした前兆症状を繰り返しながら、子どもの心は、本来あるべき状態から、ゆがんだ状態へ
と進んでいく。

●家庭内暴力の特徴
 家庭内暴力といわれる暴力には、ほかには見られない特徴がいくつかある。

(1)区域限定的
 家庭内暴力は、その名称のとおり、「家庭内」のみにおいて、なされる。これは子どもの側か
らみて、自己の支配下のみで、かつ自己の抑制下でなされることを意味する。その暴力が、家
庭を離れて、学校や社会、友人の世界で起こることはない。

(2)最終的危害行為にまでは及ばない
 子どもは、自分ができる、またできるギリギリのところまでの暴力を繰り返すが、その一線を
越えることはない。(たまに悲惨な事件がマスコミをにぎわすが、ああいったケースはむしろ例
外で、ほとんどのばあい、子ども自身が、暴力をどこかで抑制する。)どこか子ども自身が、「こ
こまでは許される」というような冷静な判断をもちつつ、暴力を繰り返す。これを私は「精神の二
重構造性」と呼んでいる。言いかえると、これを反対にうまく利用して、子どもの心に訴えるとい
う方法もある。私もよく、そういう家庭の中に乗り込んでいって、子どもと対峙したことがある。
そういうとき、もう一方の冷静な子どもがいることを想定して、つまりその子どもに話しかけるよ
うにして、諭すという方法をとる。「これは暴れる君ではない。もう一人の君だ。わかるかな。本
当の君だよ。本当の君は、やさしくて、もう一人の君を嫌っているはずだ。そうだろ?」と。大切
なことは、決して子どもを袋小路に追い込まないこと。励ましたり、脅したりするのは、タブー中
のタブー。

(3)計算された恐怖
 子どもが暴力を振るう目的は、親や兄弟に、恐怖を与えること。その恐怖を与えることによっ
て、相手を自分の支配下に置こうとする。方法としては、暴力団の構成員が、恐怖心を相手に
与えて、自分の優位性を誇示しているのに似ている。そしてその恐怖は、計算されたもの。決
して突発的、偶発的なものではない。繰り返すが、ここが、子どもがほかで見せる暴力とは違う
ところ。妄想性を帯びることもあるが、たとえば分裂病患者がもつような、非連続的な妄想や、
了解不能な妄想をもつことはない。このタイプの子どもは、どうすれば相手が自分の暴力に恐
怖を覚え、自分に屈服するかを計算しながら、行動する。そういう意味では、「依存」と「甘え」
が混在した、アンビバレンツ(両価的)な状態ということになる。

●家庭内暴力には、どう対処するか
 家庭内暴力に対処するには、いくつかの鉄則がある。

(1)できるだけ初期の段階で、それに気づく
家庭内暴力が家庭内暴力になるのは、初期の段階での不手際、家庭教育の失敗によるとこ
ろが大きい。子どもが荒れ始めると、親はこの段階で、説教、威圧、暴言、暴力を使って子ど
もを抑えようとする。体力的にもまだ親のほうが優勢で、一時はそれで収まる様子を見せるこ
とが多い。しかしこうした無理や強制は、それがたとえ一時的なものであっても、子どもの心に
は取り返しがつかないほどのキズを残す。このキズが、その後、家庭内暴力を、さらに凶暴な
ものにする。

(2)「直そう」とか、「治そう」と思わないこと
一度、悪循環に入ると、「以前のほうが、まだ症状が軽かった」ということを繰り返しながら、あ
とはドロ沼の悪循環におちいる。この悪循環の「輪」に入ると、あとは何をしても裏目、裏目と
出る。子どもの心の問題というのは、そういうもので、たとえばこれは非行の例だが、「門限を
過ぎても帰ってきた、そこで親は強く叱る」→「外泊する。そこで親は強く叱る」→「家出を繰り返
す、そこで親は強く叱る」→「年上の男性(女性)と、同棲生活を始める、そこで親は強く叱る」
→「性病になったり、妊娠したりする……」という段階を経て、状態は、どんどんと悪化する。

そこで大切なことは、一度、こうした空回り(悪循環と裏目)を感じたら、「今の状態をそれ以上
悪くしないこと」だけを考えて、親は子どもの指導から思い切って手を引く。「直そう」とか、「治
そう」と思ってはいけない。つまり子どもの側からみて、子どもを束縛していたものから子どもを
解き放つ。(親にはその自覚がないことが多い。)その時期は早ければ早いほどよい。また子
どもの症状は、数か月、半年、あるいは一年単位で観察する。一時的な症状の悪化、改善
に、一喜一憂しないのがコツ。

(3)愛情の糸は切らない
 家庭内暴力は、あくまでも「心の病気」。そういう視点で対処する。脳そのものが、インフルエ
ンザにかかったと思うこと。熱病で、苦しんでいる子どもに、勉強などさせない。ただ脳がインフ
ルエンザにかかっても、外からその症状が見えない。だから親としては、子どもの病状がつか
みにくいが、しかし病気は病気。そういう視点で、いつも子どもをみる。無理をしてはいけない。
無理を求めてもいけない。この時点で重要なことは、「どんなことがあっても、私はあなたを捨
てません」「あなたを守ります」という親の愛情を守り抜くこと。ここに書いたように、これはイン
フルエンザのようなもの。本当のインフルエンザのように、数日から一週間で治るということは
ないが、しかし必ず、いつか治る。(治らなかった例はない。症状がこじれて長期に渡った例
や、副次的にいろいろな症状を併発した例はある。)必ず治るから、そのときに視点を置いて、
「今」の状態をみる。この愛情さえしっかりしていれば、子どもの立ち直りも早いし、予後もよ
い。あとで笑い話になるケースすらある。

(4)心の緊張感をほぐす
 一般の情緒不安と同じに考え、心の緊張感をほぐすことに全力をおく。そのとき、何が、「核」
になっているかを、知ることが大切。多くは、将来への不安や心配が核になっていることが多
い。自分自身がもつ学歴信仰や、「学校へは行かねばならないもの」という義務感が、子ども
自らを追い込むこともある。よくあるケースとしては、子どもの心を軽減しようとして、「学校へは
行かなくてもいい」と言ったりすると、かえって暴力がはげしくなることがある。子ども自身の葛
藤に対しては、何ら解決にはならないからである。

 だいたい親自身も、それまで学歴信仰を強く信奉するケースが多い。子どもはそれを見習っ
ているだけなのだが、親にはその自覚がない。意識もない。子どもが家庭内暴力を起こした段
階でも、「まともに学校へ行ってほしい」「高校くらいは出てほしい」と願う親は多い。が、それも
限界を超えると、そのときはじめて親は、「学校なんかどうでもいい」と思うようになるが、子ども
はそれほど器用に自分の考えを変えることができない。そこで葛藤することになる。「どんどん
自分がダメになる」という恐怖の中で、情緒は一挙に不安定になる。
 ただ症状が軽いばあいは、子どもが学校へ行きやすい環境を用意してあげることで、暴力行
為が軽減することがある。A君は、夏休みの間、断続的に暴力行為を繰り返していたが、母親
が一緒になって宿題を片づけてやったところ、その暴力行為は停止した。このケースでも、子
ども自身が、自分を追い込んでいたことがわかる。

(5)食生活の改善
 家庭内暴力とはやや、内容を異にするが、「キレる子ども」というのがいる。そのキレる子ども
について、最近にわかにクローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。つまり脳
間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令を狂わ
すという(生化学者、ミラー博士ほか)。アメリカでは、「過剰行動児」として、もう二〇年以上も
前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘
い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に分泌され、それがセロトニンの過
剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩手大学の大沢博名誉教授や大分大
学の飯野節夫教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス
パとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、
カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しく
ない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体
を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよ
くしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。リン酸をとると、せっかく摂取したカル
シウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシ
ウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われてい
た。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑っ
てみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座
っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。

 これはここにも書いたように、キレる子どもへの対処法のひとつだが、家庭内暴力を繰り返
す子どもにも有効である。

 最後に家庭内暴力を起こす子どもは、一方で親の溺愛、あるいは育児拒否などにより、情緒
的未熟性が、その背景にあるとみる。親は突発的に変化したと言うが、本来子どもというの
は、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐように、段階的に成長する。その段階的な成長
が、変質的な環境により、阻害されたためと考えられる。よくあるケースは、幼児期から少年少
女期にかけて、「いい子」で過ごしてしまうケース。こうした子どもが、それまで脱げなかったカラ
を一挙に脱ごうとする。それが家庭内暴力の大きな要因となる。そういう意味では、家庭内暴
力というのは、もちろん心理的な分野からも考えられなければならないが、同時に、家庭教育
の失敗、あるいは家庭教育のひずみの集大成のようなものとも考えられる。子どもだけを一方
的に問題にしても意味はないし、また何ら解決策にはならない。

(以上、未完成ですが、また別の機会に補足します。)
(02−9−1)

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 >>> / \   ̄ ̄ ̄  <<<     See you again in the next magazine!
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(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用しました。)


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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /      ありがとうございます!
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) XXX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
02−9−26号(115)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワードです!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●愛知県尾張旭市にて、講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   11月14日(木)スカイワードアサヒ 午前10時〜12時
        主催  尾張旭市教育委員会
●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課  
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  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

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     彡彡ミ ♪♪♪ 
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【お詫び】
子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
(郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
本当に申し訳ありませんでした。
     bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
Hiroshi Hayashi, Japan
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メニュー
今日のテーマ、子どもの居場所(Can you feel your kids close to you?)

【1】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids at home)
【2】子どもの居場所(Can you feel your kids close to you?)
【3】子育て随筆() 
【4】随筆(Essays)
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        ◯    / /⊃)
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 (θθ)┏━━━┓ (   σ
/ γ  ┗┓◯┏┛  ζ ζ
δ   )  ┃ ┃
  η η   ┗⌒┛
【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あなたの子育てをチェックしてみませんか?
++++++++++++++++++++++
愛情

Q 今度の誕生日に、子どもへのプレゼントとして、小さな石にペインティングしたものを渡して
みてください。そのときあなたの子どもは……

(1)いつものように、あなたの子どもはそれを喜んでくれ、ありがとうと言う。
(2)あまり関心を示さず、「何、これ?」というような態度で、それを粗末にあつかう。
(3)いつもそのようなプレゼントを渡すのが我が家の習慣になっている。

+++++++++++++++++++++++++

A 外国では、「家族どうしのプレゼントは、買ったものはダメ」というハウス・ルールを守ってい
る家庭が多い。「人の心はお金やモノでは買えない」という精神が、そこにある。私もときどきオ
ーストラリアの友人宅にとめてもらうが、帰りに渡されるプレゼントは質素なものばかりである。
粘土で作ったトカゲの置物、ドライフラワーで作った壁かけ、ガラスに絵をかいたかざりものな
ど。先日、アメリカ人の友人がアメリカに帰っていったが、そのときもらったのも、石にペインテ
ィングしたものだった。実のところ、最初のころは、そういうものをもらうと、内心、「何だ、こんな
もの!」と思った。しかしそう思った私のほうが、まちがっていた!

 より高価なプレゼントであればあるほど、子どもは喜ぶハズとか、子どもは親に感謝するハ
ズと考えるのは、誤解。日本人は戦後の高度成長期の中で、心の奥までお金に毒されている
から、そのおかしさすら気づかないでいる(失礼!)。実際には逆効果で、子ども自身はますま
す金銭的な物欲の世界におぼれることになる。

 ほかにも私の友人の家では、『家族はたがいをジャッジ(判断)しない』、『家族の悪口は言わ
ない』、『家族のプライバシーは守る』、『家族にはウソは言わない』、『家族どうしは命令や、禁
止命令はしない』などの、ハウス・ルールがあるという。参考までに。(正解(1)(3))

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ ♪♪
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (   高価なものを買ってあげれば、子どもは喜ぶハズと
    )人 v  )し   考えるのは、誤解。むしろ逆効果ですね。
     _>−−<      子どもの心をつかむということは、もっと
    /†_____†ヽ//     別のこと。
    ( ('    ξヽ
  ┏ ||   o//\) )(
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あなたの家には
子どもの臭いが
ありますか?
子どもの居場所
がありますか?
園や学校は、ど
うですか?
++++++++++++++++++

子どもの臭い

 子どもは、あらゆるいたずらが好き。そのいたずらは、いわば心のユーモア。そのユーモア
が子どもを伸ばす。
そのひとつが落書き。子どもはあらゆる場所に落書きをする。私は、その子どもの落書きに
は、さんざん手を焼いた。注意しても、しかっても一向に減らない。そこで方針を変えた。
 落書きコーナーをあちこちに作った。教室で渡す私製のノートにも、落書きコーナーを作っ
た。ほかに机とデスクパッドの間にも、それぞれ画用紙をはさみ込み、それにも落書きコーナ
ーを作った。とくに効果的だったのは、ここでいう画用紙だった。一応表向きは落書きをしては
いけないとは言っていたが、それは表向き。子どもたちは、その画用紙に自由に落書きをし
た。おかげで、ほかの場所への落書きは、まったくといってよいほど、なくなった。

 これは子どもを指導するときのコツだが、押してダメなら、思いきって引いてみる。(あるいは
その反対でもよい。)そこで私は考えた。「〜〜をしてはダメ」と禁止命令ばかり出していると、
子どもの心は萎縮する。そこでさらに私は考えた。「子どもの臭い」。

 ずいぶん前だが、私は、不登校で悩んでいる親の家を訪れて、「おかしい」と思ったことがあ
る。大きな家で、大きな居間があったが、その居間のどこにも、子どもの臭いがしなかった。す
べてがきれいに片づいていた。が、それ以上に「アレッ」と思ったのは、子どものものがどこに
もなかったこと。ふつう子どものいる家庭では、あちこちに子どものものがゴロゴロしているも
の。しかしそれがない? そのときはそれで終わってしまったが、今から思い出すと、あの家の
中には、子どもの居場所がなかったのではないか。もちろんそれが不登校の原因とは言わな
いが、何らかの形で、関連していたことは、じゅうぶん考えられる。

 同じように、保育園でも幼稚園でも、よい園では、子どもの臭いがプンプンする。あちこちに
子どもの残したシミのようなものがあって、それが全体として、温もりのあるものにする。しかし
中には、まるで、どこかの病棟のように、まったく子どもの臭いのしない園もある。すべてがピカ
ピカに磨かれていて、落書きどころか、シミ一つ、ない。一見、清潔で、過ごしやすく見えるかも
しれないが、それは本来あるべき子どもの世界ではない。またそういう園へ子どもをやれば…
…? この先は立場上、書けないが、私なら、そういう園へは子どもをやらない。短い期間なら
ともかくも、一年も二年も通わせれば、子どもの心は、まちがいなく萎縮する。
(02−9−19)

【3】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育て随筆byはやし浩司
+++++++++++++
子育て随筆byはやし浩司(110)

子どもが好き?

 幼児教育をしているから、幼児が好きということにはならない。そこで私は、正直に書く。私は
ある時期は、毎日、数百人の幼児に接していたことがある。今でも、いろいろな場面で、毎日
幼児と接している。そういう立場でいうと、仕事がオフのときには、幼児の顔はできるだけ見な
いようにしている。たとえば電車で旅に出たようなとき、前の席に幼児が座ると、私は席をかえ
る。幼児を、ある意味で、どうしても専門的な目で見てしまうからだ。気になってしかたない。落
ちつかない。
 
 私のそういう気持ちは、たとえて言うなら、うな丼屋のオヤジのようなものではないかと思う。
浜松でも一、二を争ううな丼屋のオヤジが昔、こう言った。「私はうな丼はまったく食べません」
と。こんな話もある。

 浜松の郊外に、大きな医療病院がある。その病院で、外科部長をしているドクターの息子
(高校生)に英語を教えていたときのこと。私はある日、ふとその高校生にこう聞いた。「君のお
父さんは、担当の患者さんが急変したら、夜中でも病院へとんでいくのか?」と。私は「たいへ
んな仕事だろうな」という気持ちで、そう聞いた。するとその高校生は、「いいや」と。驚いて、「じ
ゃあ、どうするのか?」と聞くと、「たいてい居留守をつかう」と。「昼だったら、学会へ行っている
とか何とか、ウソをつくこともある」とも。さらに驚いていると、その高校生はこう言った。「もし夜
中に病院へ行くようなことをしていれば、翌日の手術にさしさわりがでる。手術では失敗は許さ
れない」と。私はそこまで聞いて、「さすが、プロだなあ」と、今度は一転、感心した。

 子ども、とくに幼児というのは、そもそも好きになる存在ではない。うるさいし、騒々しい。私は
幼児教育をして、もう三〇年以上になるが、その幼児教育でいちばんつまらないのは、人間関
係ができないこと。その点、高校の先生や大学の先生は、うらやましい。いわゆるおとな対おと
なの関係をつくることができる。しかし幼児教育には、それがない。ないから、教えるとしても、
いつも一方的なもの。人間関係も、いつも一方的なもの。この一方性が、幼児教育をつまらな
いものにしている。いかにその子どもで苦労をしても、離れるときが、別れるとき。親に感謝さ
れることはあっても、子どもの側からはない。

 さて、ここで暴露する。私も無数の幼稚園の教師や園長に会ってきたが、どの人もみな、「私
は幼児が好きです」と言う。そう言わなければ、仕事が成りたたないからだ。しかしここにも書
いたように、「好き」ということは、ありえない。あえて言えば、「嫌いではない」ということか。そ
れなら話がわかる。幼児の世話をしながらも、それが苦にならない。幼児と接していると、気が
晴れる。幼児に教えていると、笑いが絶えない。だから嫌いではない、と。実のところ私もそう
だ。好きではないが、嫌いでもない。だから幼児教育ができる?

 ただしこういうことはある。何らかの理由で、一〜二週間も幼児から離れていると、無性に幼
児に会いたくなる。あるいは久しぶりに幼児の声を聞いたりすると、ほっとする。
(02−9−19)※

(追記)
 私が幼児教育の世界にスンナリと入ることができたのは、自分自身の子ども時代と大きく関
係していると思う。私は小学校の四、五年生まで、お山の大将として、子どもたちの世界に君
臨していた。いつも近くの山の中を歩くときは、年少の子どもたちを子分にして歩いていた。年
齢的には五、六歳から小学三、四年生くらいの子どもたちだった。今でも幼児に接していると、
ときどき、そういう親分的な感覚が、ふと戻ってくるときがある。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


子育て随筆byはやし浩司(108)

加害者と被害者

●私の被害妄想?
 私は高校時代、あるグループの連中から、いじめを受けた。何をするにも、仲間ハズレにさ
れた。無視された。
 しかしそれから一〇年あまり後。同窓会があった。私はその同窓会で、それとなくそのグルー
プの男たちと、当時の話をした。しかしだれも、私をいじめた話など、覚えていなかった。……
いじめられたというのは、私の被害妄想だったのか?

 こうした話は、子どもたちの世界ではよく経験する。いじめられる側は、「いじめられた」「いじ
められた」と騒ぐが、一方、いじめる側には、その意識は薄い。薄いというより、ほとんどのケー
スでは、ない。いじめる側は、そのときの気分で、おもしろ半分に、いじめる。深い意識があっ
て、相手をいじめるわけではない。ここに、いじめる側の意識と、いじめられる側の意識の、違
いがある。その違いが、ズレが生ずる。

 ふつう加害者は、自分が悪いことをしたことをできるだけ早く、忘れようとする。しかし被害者
はそうではない。体や心のキズを背負いながら、そのキズとともに生きる。被害者にしてみれ
ば、忘れるどころか、月日がたてばたつほど、その被害意識が強くなることだってある。よい例
が、先の戦争である。

●ユネスコの交換学生として
 私は日韓の間に、まだ国交がない時代に、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。いろ
いろあったが、私はその韓国で、「日本の教科書はウソは書いてないが、しかしすべてを書い
てない」と実感した。日本から見る、日韓併合時代と、韓国から見る、日本帝国主義植民地時
代は、まったく、本当にまったく異質のものだった。たとえば当時、韓国人が三人集まって韓国
語を離せば、それだけで投獄された。日本式神社への参拝を強要され、日本の伝統や文化、
それに歴史すらも、押しつけられた。こうした日本の、ある意味でデタラメな植民地政策に抵抗
し、闇から闇へと葬られた人は、数知れない。

 ここで意識のズレが生ずる。日本人は、いわば加害者。韓国の人は、いわば被害者。敗戦と
ともに、日本人は、あのいまわしい歴史を自分から遠ざけ、そしてそれを忘れた。忘れようとし
た。「悪いことした」という意識も、ない。が、韓国の人たちは、そうではない。日本人がした蛮
行を記憶にとどめるために、各地に記念館をつくり、子どもたちにそれを教えた。私が韓国に
いたころは、そうした記念館はなかったように思うが、それでも行く先々で、日本攻撃の矢面に
立たされた。ソウルのミョンドンを歩いていたときには、暴漢に囲まれ、命の危険すら感じたこ
ともある。こうした韓国の人たちの気持ちがわからなければ、反対の立場で考えてみればよ
い。

●もし北朝鮮が日本を植民地にしたら……
 あの強大な軍事力をもった北朝鮮が、ある日、金正日の命令のもと、日本に攻め入ってきた
とする。日本を植民地化するためである。そして彼らがいうところの、主体思想を押しつけ、朝
鮮語を強要した。また日本人は、亡き金日成ゆかりの記念碑への参拝を強制され、ついで北
朝鮮の工場で働くため、数十万人、もしくは百万人単位で、北朝鮮へ連行された! こういう状
態になったとしたら、あなたはそれをどう思うだろうか。それでもあなたは、「朝鮮半島の歴史
や文化のほうが、すぐれている。北朝鮮はすばらしい国だ。北朝鮮に従おう」と思うだろうか。

 たしかに今の北朝鮮には、問題がある。読売新聞の社説は、はっきりと「軍事独裁国家」(〇
二年九月一八日)と書いている。彼らは日本がした悪行を、自分たちのしている悪行の隠れミ
ノにしている面は、確かにある。しかし彼らの意識を理解するためには、その前に、こうした意
識のズレを理解しないと、理解できない。たとえば、今回、つまり「北朝鮮による日本人拉致(ら
ち)問題」が、日本中をひっくり返すほど、大きな問題になっている。たしかにこれは大きな問題
だ。しかも拉致された人のうち、六割の人が、若くして死んでいる。新潟県の海岸から誘拐さ
れ、拉致されたM・Yさんにいたっては、当時中学二年生ということもあって、その衝撃は大き
かった。私もそのニュースを知ったときには、体が一瞬宙を舞うのではないかと思えるほど、怒
りが体中を走った。しかし考えてみれば、これは日本人が戦後はじめて受けた、「被害」ではな
いのか。事実、今回も、日本人は、「拉致」「拉致」と騒いでいるが、肝心の韓国では、それほど
大きな問題にはなっていない。「何を偉そうに」「植民地時代に日本へ強制連行された韓国人
はどうなのか」という声もあると聞く。韓国人も数百人前後、拉致されているということもある。
事実、この拉致問題に感じては、終始一貫して、韓国人の反応は鈍かった。今も鈍い。

 おそらく北朝鮮は、今回の会談を契機に、拉致問題は解決したと、あとはその事件そのもの
を、一挙に忘れるだろう。しかし日本人はそうではない。おそらくこれからも、その問題を忘れ
ることなく、北朝鮮に、説明と補償を求めていくだろう。これはまさに加害者と被害者の立場の
違いである。これはまさに加加害者の意識と被害者の意識の違いである。

●加害者は加害意識を……
 そこで問題は、つぎの段階へと進む。いかに加害者は加害者であったことを心にとめ、被害
者はその被害を、加害者に訴えていくかである。が、ここでまたまた大きな問題にぶつかってし
まう。日本人ははたして、加害者であったことを、心にとめてきたかという問題である。戦後五
五年になろうとする今ですら、毎年のように、中国や韓国から、「日本人の歴史認識はまちがっ
ている」という批判が届く。これに対して、「どうして日本が日本の歴史の悪口を、(教科書に)
書かねばならないのか」と反論している人も、この日本には多い。しかし、もしこの日本人の論
理が、大手を振ってまかりとおるとしたら、今回の拉致問題についても、仮に北朝鮮の人たち
がそれをすぐ忘れても、文句は言えないということになる。さらに、あの日韓併合時代が日本
人にとって、やむをえない、まちがっていなかったと言うなら、逆に今、韓国や北朝鮮に反対の
ことをされても、文句は言えないということになる。

●子どものいじめと、国際問題
 子どものいじめの問題と、国際問題は、一見何ら関係がないように見えるかもしれないが、
その底流で深くつながっている。それはまさに加害者と被害者の構図といってもよい。たしかに
今回の拉致問題は、きわめて深刻であり、きわめて衝撃的な事件である。この事件は決して
風化させてはならない。許してはならない。それは当然だが、同時にそのためにも、私たちが
すべきことは、同時に、被害者の立場がどういうものであるかを知り、同時に日本人がした
数々の加害行為を静かに反省すべきである。それをしないで、一方的に北朝鮮を責めても、
北朝鮮の人たちにその心が届かないばかりか、世界から同情を得ることもできない。

 さて冒頭のいじめの問題。もっとも私は、いじめられていじけるような、そんなヤワな男ではな
かった。露骨に無視した相手には、とびかかっていって、相手を床にたたきのめしたこともあ
る。相手のもっていたギターを取りあげ、それを叩き壊したこともある。が、今になってみると、
私のそうした行為は、まちがっていた。相手は本当に、私をいじめようとしていたのかという疑
問があるからである。ただ単に、私をイヤなヤツと思っていただけかもしれない。好かれるか
嫌われるかといえば、私はみなに、嫌われてもおかしくない男だった。(実際、嫌われていたと
思う。)いじめられていると感じたのは、やはり被害妄想だったのか? どちらにせよ、あの時
代は、私にとっては、イヤな時代だった。
(02−9−19)

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子育て随筆byはやし浩司(109)

日本の教育をゆがめる元凶

 「頭がよい」ということと、「勉強ができる」ということは、別。概して言えば、「勉強ができる子ど
もは、頭がいい」。しかし勉強ができる子どもでも、頭が悪い子どもはいくらでもいる。頭がよく
ても、勉強ができない子どもは、もっといくらでもいる。

 しかしこの日本では、人生の入り口では、勉強ができたほうが、絶対に得! 一度出世のエ
スカレーターに乗れば、あとは自動的に楽な道を歩むことができる。この不公平感が、結局
は、受験競争の温床になり、教育をゆがめている。

 自分の二男のことをここに書くのは少し気が引けるが、しかし正直に書く。私の二男は一級
の頭脳をもっていた。超一級といってもよい。親バカとしてではなく、一人の教育家として、私は
そう見ていた。しかし中学二年のとき、受験勉強そのものを放棄してしまった。「パパ、くだらな
いよ」と。ほとんど勉強らしい勉強などしたことがなかったが、それでも県内のトップ高校(こうい
う言い方自体、不愉快だが……)へ入る力をもっていた。その二男が、受験勉強を放棄したい
きさつはいろいろあった。それはそれとして、結果的にそうなった。私は、迷いはあったが、二
男を支持した。「お前がそう判断するなら、それはそうだ」と。私は二男の力が、受験勉強をは
るかに超えていることを知っていた。

 で、彼は近くの高校を選んだ。市内でも、A、B、C、Dのランクで言えば、Dランクの高校であ
る。ワイフは「何もそこまで落とさなくても……」と絶句したが、二男はそういう子どもだった。「そ
のときになったら、勉強するよ。どこの高校でも同じだから……」と。私はそうは思わなかった
が、二男のその言葉を信ずるしかなかった。

 が、入学直後から、二男にとっては失望の連続だったらしい。進学校と教科書そのものが違
っていた。二男はそれにショックを受けた。そしてしばらく通ううち、レベルの低さもさることなが
ら、勉強するという雰囲気そのものがないことを知った。二男だけがひとり、仲間から浮いてし
まった。と、同時に、二男も勉強しなくなってしまった。

 高校時代の二男は、まあ、俗な言葉で言えば、遊びほけた。好き勝手なことをして過ごした。
バンドを組んだり、文化祭の実行委員長をしたり。ワンゲル部で、全国の山々を歩いたりした。
高校三年生のときは、たったひとりで、北海道を一周したりもした。が、いよいよ進学というとき
になったときのこと。もちろん成績は、その程度。「どこか国立を……」と私は願ったが、何とか
入れそうな国立大学は、I県のI大学しかなかった。もともと、国立大学へ進学する子どもは、数
年に一人いるかいないかというような高校である。しかも入れそうなのは、「哲学科」? 私が
認める二男の能力は、数理的な能力である。その二男が哲学科? 模擬試験の偏差値で判
断すると、そういうことになった。

 そこで私は二男に、アメリカ留学をすすめた。アメリカ人の知人が、勧めてくれたこともある。
で、私は二男をアメリカへ送ることにした。彼も行く気になっていた。が、私は内心、「どうせ、
一、二年で帰ってくるだろう」と思っていた。高校からアメリカの大学へ行ったところで、まず言
葉のカベがある。ふつうのアメリカの高校生でも、学位をとってアメリカの大学を卒業すること
はむすかしい。いわんや、日本の高校生を、や。まあ、私としては、二男のやりたいようにさせ
てやるのが一番というような、軽い気持ちだった。

 が、アメリカへ行ってからの二男は、変わった。当時の二男を直接知るわけではないが、二
男が言うには、「狂ったように勉強した」とのこと。で、三年目に、私立大学から、より高度な勉
強を求めて、州立大学に転籍。四年間で、その州立大学で学位を取って卒業した。それもアメ
リカでもむずかしいとされる、コンピュータ科学の学位。〇一年の五月のことである。

 私はその二男を今、頭の中で思い浮かべながら、日本の教育システムの欠陥を、改めて思
い知らされている。ときどき「もし二男が、あのまま日本のどこかの専門学校か、私立大学へ
入っていたら、今ごろ二男はどうなっていたか」と。おそらくもてる才能を伸ばす機会もなく、ま
たその才能を発揮することもなく、そこそこの人間になっていただろう、と。少なくとも日本の教
育システムの中では、大学入試までで、その人の人生の道筋(コース)は決まってしまう。それ
以後、多少がんばったところで、その道筋を変えることはできない。いくら能力と才能があって
も、だ。しかしこういうしくみの中で、それほど苦労しないでも、のんきな生活ができる人が生ま
れる一方、そのしくみの中で、苦労に苦労を重ねても、きびしい生活を強いられる人も生まれ
るということだ。しかしこういうしくみこそが、日本の教育をゆがめる元凶になっている。

 二男が「アメリカで仕事をしたい」と言ったとき、私はもうそれに返す言葉がなかった。そのと
き、二男は、日本そのものに失望していたと思う。今でもときどきこう言う。「日本の教育制度は
おかしい」と。 
(02−9−19)※

二男のホームページ……はやし浩司のサイトのトップページから、どうぞ!

   /⌒⌒^ヽ ♪♪♪
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
  | | ・ ・||( みんなで、力をあわせて、子どもの世界を変えましょう!)
  | |"   )||(____________________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川
【4】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ホームページに動画!

 今、ほしいもの。デジタルビデオカメラ。
今、したいこと。そのカメラでビデオをとり、私のホームページに動画を載せること。しかしいく
つか、越えなければならないハードルがある。

(1)まず私の入っているプロバイダーは、10メガバイトまでは、無料だが、その10メガバイト
を超えると、10メガバイトごとに年間、一万円の費用がかかる。今のところ、20メガバイトまで
加入しているが、できるならその範囲でおさめたい。
(2)動画を載せると、あっという間に、20メガバイトを超えてしまう。以前、声を載せたが、一言
二言載せただけで、1〜2メガバイトも消費してしまった。音声というのは、意外と、容量をくう。
ほかにも苦い経験がいくつかある。

 そこで私が選んだ方法は、インターネットディスク(インターネットストーレッジともいうらしい)
に、自分のディスクスペースをつくり、そこへ動画を保存しておくという方法。そしてホームペー
ジのほうから、アクセスする。こうすれば、ホームページのほうに、動画を載せる必要はない。
そこで選んだのが、「I・D500」(J社)。このインターネットディスクには、その名前のとおり、50
0メガバイトまで、自分のデータを保存しておくことができる。500メガバイトもあれば、じゅうぶ
んだ。
 
 そこでいくつか実験を始めた。まずインターネットディスクに、自分の画像のファイルを保存し
てみた。これはスンナリとできた。
 つぎにそのファイルを「公開」に設定してみた。これもスンナリとできた。が、そのつぎの段階
で、問題が発生。「公開」に設定すると、アドレスが割り当てられるが、そのアドレスが長すぎ
て、コピーすると、コピー先で、勝手に改行されてしまう。アドレスを暗号化しているためだとい
う。アドレスが正しく表示されないようでは、読者がインターネットディスクにアクセスすることは
不可能。で、何度もチャレンジしてみたが、ダメ。そこで「I・D500」のメーカーのJ社に電話す
るが、不親切なこときわまりない。ほんの数分間、話しただけだが、「そういう(簡単な)ことは、
メールに書いて送ってください」(大阪支社)と、そのまま電話を切られてしまった。

 しかたないので私は別の方法を試した。アドレスを一度、テキスト形式で保存し、それをコピ
ーして使うという方法である。で、この方法はうまくいった。少しめんどうだが、一度アドレスを登
録しておけば、あとはディスクの内容を変えるだけでよい。この方法で、しばらくしてみることに
した。

 こうして実験は成功。私のサイトのトップページに、「動画」をいう項目を、何とか載せることが
できた。興味のある人は、ぜひ見てほしい。(ただしダウンロードに時間がかかるので、まだブ
ロードバンドにしていない人には、勧めない。)まだ思考錯誤の段階だから、お粗末な映像だが
(カメラがお粗末)、これはあくまでも「はじめの一歩」。これから先、どんどんよくする。そうそ
う、デジタルビデオは、今度の誕生日に買うことにした。昨日やっとワイフが、OKサインを出し
てくれた。ハイ。
(02−9−18)※

      ミ ( ⌒⌒ ) 彡♪♪♪♪
      ∞((((( )∞
      │6 6 b   このところ、はやし浩司のマガジンは、
      (" 。 "人       どこか、いじけてる?
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ       もっと気楽に生きればいいのの……
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


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【マガジン・過去版(2)】

前半部
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彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====KW(8)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 428人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  76人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line 
★★★★★★★★★★★★★
02−9−4号(103)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
*************************************************************************
●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●11月14日(木)……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ
午前10時〜12時)にて、講演会をもちます。
お近くの人は、よろしかったら、おいでください。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票していただけませんか。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
     下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
      http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
    (少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to 
apply for subscription of the magazine. Free to read!
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second 
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
●マガジンのバックナンバーは、サイトの「トップページ」から、「マガジン購読
コーナー」へ。そのページからお読みいただけます。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
  一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
  ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

     匚二コ/
     彡彡ミ
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
【お詫び】
 子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
   こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
   申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
   (郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
    本当に申し訳ありませんでした。
     bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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メニュー
今日のテーマ、「見方を変える」(Change your view-point)

【1】世界の子育て格言(Words of Wisdom) 
【2】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids)
【3】あるお母さんからのメール(An E-mail from a mother in Hiroshima)
【4】放課後補修制度について(On Classes after School)
【5】随筆(Essays)
   _(⌒⌒ヽ
  /((丶〜〜@)
 (_ |〇-〇ρ彡 )
   Ч ι |彡ノ|~~~~~~~~~~~~|
   ヽー 丿  <  今日のテーマです!|
(( 川 ) (   |____________|
  凵 ̄Y  ̄ヽ
  ││ d ∈∋ヽ
  ││ d │ │ヽ

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【1】
(よいこのくに(学研)付録、母のくにの巻頭言用に書いた原稿より、転載)
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ビロードのクッションより

名言から学ぶ子育て

ビロードのクッションより、カボチャの上に座っているほうが、よい。
(ソロー)
It is better to sit on a pumpkin in the field rather than be spoiled by the soft velvet cushion 
in the palace.

1812ー1862、アメリカの随筆家、思想家。ロマン主義的思想家。『日記』など。


 子どもに、「後片づけしなさい」という言葉ほど、空しい言葉はありません。子どもにはその必
然性がないからです。子どもにしてみれば、何でも手の届くところにあるほうが、むしろ便利な
のです。

 世界中あちこちの家庭を見て回りましたが、日本人ほど後片づけにうるさい国はないのでは
ないかというのが、私の実感です。世界の親は日本の親より、もう少しおおらかです。日本の
住宅事情が悪いこともあるのかもしれません。あるいは日本人特有の感覚なのかもしれませ
ん。とにかく子育て相談会などをすると、決まってこの後片づけの問題が、話題になります。

 しかし再度子どもの立場で言うと、こうなります。子どもにとって大切な場所は、きれいに片づ
いている場所ではなく、気が休まる場所だということです。そのためには、ソローが言うように、
『ビロードのクッションより、カボチャの上』ということになります。そのカボチャは、次のようにし
て発見します。

 まず子どもが外から帰ってきた時、最初にどこに座るかを観察します。あるいは疲れて帰っ
てきた時、どこで体を休めるかを観察します。子どもにとっては、そこがカボチャの上ということ
になります。

 このカボチャは大切にします。いわば子どもの聖域のようなものです。親が不用意に足を踏
み入れたり、あるいはかき乱してはいけません。そして一度子どもがそのカボチャの上に座っ
たら、静かにそっとしておいてあげます。子どもはそのカボチャの上に座り、心をいやします。
どんな動物にも、最後の逃げ場というものがあります。もし親がこの逃げ場を踏みにじるような
ことがあると、子どもの情緒は確実に不安定になります。最悪の場合には、帰宅拒否、あるい
は家出ということになりかねません。

 そこで教訓。後片づけも大切ですが、一部子どもの聖域については、子どものしたいようにさ
せます。どんな形であれ、子どもは子どもなりのやり方で、自分の聖域をつくります。おもちゃ
が散乱していても、それが子どもにとって居心地のよいものであれば、しかたのないことです。
もし気になるようだったら、ある特定の場所だけは子どもの好きなようにさせます。そのほかの
ところでは、たとえば『おもちゃは一つ』を、守らせます。このしつけを最初に徹底しておけば、
子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃを片づけるようになります。

 後片づけができないからといって、人間がルーズになることはありません。むしろ幼いころよ
り手をかけすぎ、それこそ掃除のしかた一つ知らない子どもほど、後々、後片づけができなくな
ります。また後片づけというと大きな問題に思う人が多いですが、幼児教育の世界では、何で
もない問題の一つです。子どもにはカボチャのほうが、ずっと重要だということです。
(1405)

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )
   人   υ ( `) (  )
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【2】
おとなになりたくない!
すばらしいと言え、親の仕事(失敗危険度★)
**************************************

●どうしたらいいか
 こんなことがあった。その息子(高一)が、家業である歯科技工士の仕事を継ぐのをいやがっ
て困っているというのだ。そこで「どうしたらいいか」と。

 今、子どもたちの間で、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりという奇妙な現象が起きている。
自分の将来に不安や恐怖心をもつと、子どもはおとなになるのを無意識のうちにも拒否するよ
うになる。そして幼児期に使ったおもちゃや本を取り出し、それを大切そうにもちあるいたりす
る。一人の小学生(小六男児)が、ボロボロになったマンガの本をかばんの中に入れていたの
で、「それは何だ」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうちぇ、読んではダメだと言う
んでチョ、言うんでチョ」と。この子どものケースでは、父親に原因があった。父親はことあるご
とに、「中学校へ入ると、勉強がきびしいぞ」「毎日五、六時間は勉強しなければならないぞ」
と、その子どもをおどしていた。こうしたおどしが、子どもの心をゆがめていた。

●「ペコペコする仕事なんか、いやだ」
 で、私は先にあげた高校生を家に呼んで、理由をたずねてみた。するとその高校生はこう言
った。「あんな歯医者にペコペコする仕事なんか、いやだ。それにオヤジは、いつも『疲れた、
疲れた』と言っている」と。

 そこで私は母親にこう話した。「これからは子どもの前では、家の仕事は楽しい、すばらしい
と言いましょう」と。結果的にその子どもは今、歯科技工士をしているので、私のアドバイスはそ
れなりに効果があったのかもしれない。

●未来に希望を!
 子どもを伸ばす秘訣は、未来に希望をもたせること。あなたはすばらしい人になる、あなたの
未来はすばらしいものになると、前向きの暗示を与える。幼児でもそうだ。少し前、『学校の怪
談』というドラマがあった。そのため「小学校へ行きたくない」という子どもが続出した。理由を聞
くと、「花子さんがいるから」と。やはり幼児には、「学校は楽しいよ」「友だちがいっぱいできる
よ」「大きな運動会をするよ」と、言ってあげねばならない。そして……。

 子どもには、「お父さんの仕事はすばらしいよ」と言う。いや、言うだけでは足りないかもしれ
ない。生き生きと楽しそうに仕事をしている前向きの姿勢をどんどんと見せる。そういう姿勢が
子どもを伸ばす。
(1311)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「うちの子は、何をしてもダメ」と思っている、あなたへ、
見方を変えれば、何でもないかも?
++++++++++++++++++++++++++++++
見方を変える

 中高年の自殺がふえているという。私もその予備軍のようなものだ。ときどき生きていること
そのものが無意味に思えることがある。「死んだら、どんなに楽になるだろう」と。しかしそのた
びに、つまりそのあとになって、私がまちがっていたことを知る。

 名前は忘れたが、少し前ビデオで見た映画(※)の中に、こんなジョークがあった。

 ある男が病院へ来てこう言った。「ドクター、私は頭を押さえても頭が痛い。腹を押させても腹
が痛い。足を押さえても足が痛い。体中、どこを押させても痛い。私は何の病気でしょうか」と。
するとそのドクターは、こう言った。「あなたはどこも悪くない。ただあなたの指が折れているだ
けだよ」と。

 ほんの少しだけ見方を変えると、ものの考え方も一八〇度変わるということだが、「何もかも
ダメだ」と思うときも、見方を変えると一変する。ダメなのは、私自身ではなく、ものの考え方な
のだ。子どもにしてもしかり。勉強はしない。夜な夜なコンビニの前に座り、酒を飲む。タバコを
吸う。叱るどころか、こわくて話をすることもできない。「生きていてくれるだけでもいい」と思うの
は、まだよいほうだ。親も追いつめられるところまで追いつめられると、「よそ様に迷惑さえかけ
なければ……」と願うようになる。親子でも、どこかで歯車が狂うと、そうなる。そしてそういうと
き親は、深い絶望感にさいなまれる。その子どもを産んだことを後悔する親さえいる。が、そう
いうときでも、ダメなのは子ども自身ではなく、子どもを見る、あなたの見方なのだ。

 今、あなたは生きている。子どもは子どもで生きている。この数一〇億年という歴史の、その
瞬間に、同じく数一〇億人という人間の、その中で、親として、そして子どもとして、互いに同じ
時代で、同じ場所で、しかももっとも近い人間として生きている! そのすばらしさの前では、ど
んな問題もささいな問題でしかない。繰り返すが、ダメなのは、あなたの子どもではなく、あなた
自身の見方なのだ。子どもがダメだと思ったら、あなたの見方を変えればよい。それですべて
の問題は解決する。

 ……もっともこういう極端な例は別としても、最後の砦(とりで)の一つとして、こうしたものの
考え方を心の中に用意しておくことは、大切なことだ。私もふと死にたくなるときがある。女房は
「初老成のうつ病よ」と笑うが、そうかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。しかし私は
一方で、こう思う。どうせ一度しかない人生だから、とことん最後まで見てやろうと。そして最後
の最後になったら、この宇宙もろとも、消えればよい、と。何とも深刻な話になってしまったが、
あなたの見方を変える一つのヒントになればうれしい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
※……イラン映画「桜桃の味」
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【3】
子育て随筆byはやし浩司
+++++++++++++
かん黙児ではないかという、相談がありました。
それについて考えてみました。転載許可をいた
だけましたので、メールを転載します。
**************************************

はやし浩司先生へ

5歳の女の子ですが、かん黙ではないかと思われます。
ただの内弁慶ではないんじゃないかとずっと気になっていたので、
先生の本を読んでかん黙という言葉をはじめて知り、少しほっとした自分がいました。
先生がされているという治療というのはどういう治療なのでしょうか。
私自身が変わるということが一番の治療だということは重々わかっているのですが
やはりどこか誰かに助けを求めてしまいます。
母親の私の育て方のせいであって、私自身がどうにかしなくてはと思い悩んでいたので
正直いって、脳の機能障害ということで誰かに頼れる……と思う卑怯な自分がいます。
その他を除けば全く普通なのですから、ありがたく育てていこうと思うのですが、
なんだかちょっとどうにかすれば変わるのではないかと思ってしまうので
その方法というか育て方を求めて、ついあせってしまいます。
いままであまり気にしないようにしていましたが、幼稚園に入ってからは
まわりの影響がありすぎて、親子ともにこのままではよくないのでは
……と思ってしまいます。
きちんと治療のようなことをした方がいいのでしょうか。
このまま様子をみた方がいいのでしょうか。
この時期大事な時期でするべきことをきちんとしておかないとこの先もっとひどく
なるのでしょうか。
くわしいことは書きませんでしたが、よろしくお願いします。
(広島県佐伯郡・KSより)

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KS様へ

緘黙児については、サイト→タイプ別→緘黙に
書いておきました。ただ頭から緘黙児と決めて
かからないこと。こうした誤解、早合点はこの
世界にはよくあることです。私も立場上、診断、
治療という言葉は使えません。また使いません。

指導方法といっても、少しずつ、集団に
慣れさせるしかありません。たいへん根気の
いる指導が必要です。少しよくなりかけると、
親がすぐ無理をするからです。この指導は
一年単位でかかります。万が一、かん黙症と
いうことなら、です。(あくまでも万が一、緘黙児
ならという話です。)

薬物で治療するとか、そういうことではありま
せん。

お子さんの心は外から見たところ、わかりま
せんが、たいへんな緊張状態にあります。た
めしに、だれかに抱いてもらってみてください。
恐らく心を許さないはずです。万が一、緘黙児
なら、です。体をこわばらせ、パニック状態に
なります。

私はこの時期は無理をしないほうがよいと思い
ますが、たいていの親は、「どうしても」と無理を
して、保育園や幼稚園へ押し込んだりします。
こうした無理がかえって症状を悪化させます。
というのも、万が一緘黙児でも、症状をこじら
せなければ、小学3〜4年を境に、症状が急速
に消失するからです。自意識で自分の心を
コントロールできるようになるためと考えて
ください。それまでとにかく無理をしないことです。

家の中では心を許しているはずですから、学習面
などの指導は家で、あとは少しずつ心を外の
世界にならすという方法で対処します。
無理をなさらないこと。私も毎年、このタイプの
お子さんを教えさせていただいていますが、
とにかく時期を待つしかありません。しかし時期
がくれば、治ってしまいます。それまでとにかく
あせって、症状を悪化させないことです。わかり
ますか。

子どもというのは、それぞれがいろいろな問題
をかかえています。問題のない子どものほうが
少ないくらいです。そういう視点で、「ようし、一つ
くらい荷物を背負ってやる」という気構えで、お子さんの
心を理解し、守ってあげてください。お母さんさえ
これを守れば、あとあと必ず笑い話になります。
親子のきずなも、ふつうの親子より太くなります。
お母さんの愛情がためされていると思ってくださ
い。いいですか、無理をしてはいけません。

私も若いころは、急いでなおしてやろうと考え、
あれこれ無理をしましたが、結局、時期のカベが
あって、そのカベを乗り越えることはできませんでした。
とにかく時期をまつのです。それまでにしなければ
ならないことをし、してはならないことをしては
いけません。わかりますか? お子さんの立場に
なって、「お母さんも、みんなの前にくると、緊張
するのよ」「お母さんも、苦手よ」「だれだって苦手
なことはあるのよ」と、お子さんの心を救ってあげる
ことだけを考えてください。

もともと感受性の強いお子さんですから、お母さん
の心の動きを敏感に感じ取っているはずです。
ですから余計に、ここは慎重に。そしてていねいに!

治療という言葉はあまり使わないこと。ある意味で
何でもない問題ですから。私なら幼稚園は、適当に
行って、適当に休みますが……。そういうことは
できませんか。

そうそう緘黙は、(もしそうなら)、症状としては今ごろ
がピークで、これ以上、悪くなることはありません。
ただし無理をすると、それが別の神経症を誘発し、
それがこじれて何らかの精神障害などに発展する
ことはあります。ですから無理をしないように!
心の問題は、半年、一年単位で気長に考えるの
がコツです。

繰り返しますが、時期がくると、ウソのように症状
が消えますから、無理をしないこと。本人が望むなら
お母さんがいつも付き添ってあげればいいのです。
付き添いがないとパニック状態になるなら、そういう
ところへは無理には行かないことです。

なお、濃厚なスキンシップがたいへん有効ですから
スキンシップを大切に。私のばあいは、授業中も
親に子どもの手を握ってもらっているようにして
います。「どんなことをしても、私は守られている」という
安心感が、子どもの心の立ち直りを早めます。
根気ですよ。まさに根気! 

だれだって風邪をひくように、たまたま集団におびえ
ているだけ。
心が風邪をひいたようなものです。ですから一見
深刻な問題に見えますが、深刻に考えないこと。
先ほど、小学3〜4年生で症状が消えると書きましたが
早い子どもで年長児の終わりから小学1年くらいで
消えます。それを信じて、つまりあくまでも一過性の
症状ですから、気にしないでください。お母さんの
おおらかさが伝わったとき。子どもは安心し、そのとき
いつの間にか症状が消えます。ウソだと思ったら、
このメールはコピーして、数年後に読み返してみて
ください。そのときまだ症状がこじれているようでしたら、
私は責任をちゃんととります。いつでもあなたの力に
なりますから、また困ったこと、わからないことがあれば、
メールをください。力になります。

では、
あくまでも万が一、緘黙児という前提で書きましたが、
本当にただの内弁慶だけなのかもしれませんよ。
おおげさに考えないでくださいね。

おやすみなさい。

はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

はやし浩司先生へ

長い、ご丁寧なお返事ありがとうございました。
なんだかとても元気がでてきました。
かんもく児をみてくださる病院があって、行ってみようかと思っていましたが、
娘は自分のそういう話を他人にしているのがわかると敏感に感じとって、耳を指でふ
さぎ、ものすごくいやがりますし、私自身が前向きに変わっていくことで治してみせ
ようと思
います。
また状況がよくなってきましたら、ご報告させてください。

掲載の件ですが、ドンドン載せてください。
同じ症状の方の相談内容を見て私も救われましたので。

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   /⌒⌒^ヽ
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒       )
  | | ・ ・||( 子育てで、いろいろ教えられるわ)
  | |"   )||(_________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【マガジン・過去版(3)】

彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) XXX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
02−9−8号(105)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●11月14日(木)……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ
午前10時〜12時、主催 尾張旭市教育委員会
            
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
  一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
  ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

     匚二コ/
     彡彡ミ
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
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【お詫び】
子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
(郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
本当に申し訳ありませんでした。
     bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
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【今日のテーマ】「家族チェックテスト(2)」(Let's check out your parenting)

【1】世界の子育て格言(Words of Wisdom) 
【2】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids at home)
【3】失敗危険度(Are you all right?) 
【4】随筆(Essays)
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 (θθ)┏━━━┓ (   σ
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δ   )  ┃ ┃
  η η   ┗⌒┛
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【1】
世界の子育て格言
(よいこのくに(学研)付録、母のくにの巻頭言用に書いた原稿より、転載)
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目の見える人は、その幸福がわからない

名言から学ぶ子育て

目の見える人間は、見えているという幸運を知らずにいる。(A.ジイド)
Those who can see do not know the happiness that he can see.

1869ー1951、フランスの小説家。個性の束縛と闘った、20世紀を代表する作家。ノーベル
文学賞を受賞。
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 お母さんの子育て相談を聞いていると、際限がないのがわかります。子どもができないならで
きないなりに、お母さんは悩み、できるならできるなりに、お母さんは悩みます。子どもを伸ば
そうという気持ちは大切ですが、それが度を越すと、過剰期待となり、かえって子どもをマイナ
ス方向へ追いやってしまいます。

 こんなお母さんがいました。「子どもの教育で失敗しました」と言うのです。話を聞くと、足し算
は何とか理解できるようになったものの、引き算が理解できず、ほんの数問を解くのに、半時
間もかかってしまう、と。市販のワークを見せると、それを見ただけで拒絶反応を示し、ワーッと
泣きだしてしまうというのです。そして「どうしたらよいか」と。

 私にはこんな苦い経験があります。三人の子どもたちを、近くの湖へ連れていった時のことで
す。私と女房は浅瀬だとばかり思って船の上で寝ていたのですが、三男が突然、「お兄ちゃん
がいない!」と叫んだ時には、上の二人ははるか沖合まで流されてしまっていました。長男は
何とか助けたものの、まだ泳げない次男(年長児)は、すでに頭が半分、水の中に潜っていま
した。私は必死で船を出そうとしましたが、錨(いかり)が遠くまで延びていて、それをたぐること
もできませんでした。

 しかし奇跡が起きました。その近くで、元国体選手という人が魚を釣っていたのです。私が振
り返った時、ちょうどその人が次男を助け出してくれるところでした。以来、私は次男のできの
悪さを見せつけられながらも、「生きていてくれるだけでよい」と思いなおすようにしています。

 懸命な人は、何でもなくす前に、その価値に気づき、そうでない人は、なくしてからその価値
に気づくのかもしれません。青春しかり、健康しかり。そして子どものよさも、またしかり。ジイド
は、『目が見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる』と言います。同じように、子どもを
もっている親は、子どもをもつという幸福を、知らずにいるということになります。そういう観点で
見ると、この世の中に、子どもとともに生きているということだけでも、すばらしいことだとわかる
はずです。と、同時に、子育てのあらゆる問題が解決するはずです。

 子育ての悩みというのは、すべて、親の未来にわたる我欲が原因で起こります。「もう少し何
とかならないものか…」という思いが、あらゆる子育ての問題の基本にあります。だったらそう
思うのをやめればよいのです。そうすればすべての問題は、解決するはずです。そして自分の
子どもだけを見据えて、子育てをする……。

 これはいわば「居直りの論理」ですが、もっと言えば、生きている、そのことだけをすべての前
提に置いて、子育てを考えます。またそうすることによって、子どもも幸福に、そしてかつ伸び
やかに成長します。
(1408)
   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )
   人   υ ( `) (  )
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【2】
あなたの子育てを診断します。あなたの子育てだいじょうぶですか?
(この原稿に対する、ご意見、ご批評を歓迎します。今度O書店から出版の
話をすすめている原稿の一部です。たいへん実用的な本にしたいと思ってい
ます。みなさんのご感想をどうかお聞かせください。)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
忍耐

Q あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてください。そのときあなた
の子どもは、どのような反応を示すでしょうか。

(1)さっと走りよってきて、「ママ、手伝ってあげる」と荷物をいっしょに運んでくれる。
(2)見て見ぬフリをしたり、知らぬフリをして、ゲームなどに夢中になっている。
(3)「手伝ってちょうだい」と言うまで、重い腰をあげようとしない。

A (2)のようであれば、あなたの子どもはかなりのドラ息子、ドラ娘とみてよい。今は体も小さ
く、あなたの前でおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの手に負えなくなる……。
 以前、幼稚園で、母親たちの何かの集会があったときのこと。やってくる母親たちにスリッパ
を出してあげていた子ども(年長男児)がいた。だれかに頼まれて、そうしていたわけではな
い。で、その子どもは集会が始まると、今度は、炊事室へ行き、炊事室のおばさんに、お茶を
出すからお茶をつくってほしいとまで言った。たまたま彼の母親がその場にいたが、その母親
は笑いながら、こう言った。「うちの子はよく気がつくのですよ。先日は何かのセールスの人に
まで、お茶を出していました」と。
 このタイプの子どもは、学習面でも伸びる。もともと「勉強」には、ある種の苦痛がともなう。そ
の苦痛を乗り越える力が、ここでいう「忍耐力」だからである。たとえば子どもにこう言ってみて
ほしい。「台所の生ゴミを始末して!」と。あるいは風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。
そのとき「ハーイ」と言って、手で始末できれば、あなたの子どもはかなり忍耐力のある子ども
とみる。その忍耐力のある子どもにするには、子どもは使う。「子どもは使えば使うほどいい子
になる」と覚えておくとよい。(正解(1))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


情緒

Q 「情緒不安」という言葉があります。その言葉を聞いたとき、あなたは次のどのタイプの子ど
もを想像しますか。

(1)ちょっとしたことで、すぐカッとなったり、反対にぐずったりする子ども。
(2)いつも周囲に気をつかい、心が緊張状態にあって、その緊張感が抜けない子ども。
(3)心の状態がつかみにくく、何を考えているかわからない子ども。

A 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。
症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マイナス型)、
反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表情にだまされて
はいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、
ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、
激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。さらに症状が進むと、集団的な
非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。子どもの情緒が不
安定になったら、心の緊張感をほぐすことだけを考える。静かで穏やかな家庭環境を大切に
し、子どもの側からみて、のんびりとくつろげるようにする。(正解(1)(2)(3))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


言葉

Q 子どもが園、もしくは学校へでかけるとき、あなたはいつも、どのような話し方をしています
か。

(1) 「ハンカチをもっていますか。ティッシュペーパーは、もっていますか」と言う。
(2) 「ほら、ハンカチ、ハンカチ! ほら、ティシュ、ティシュ!」と言う。
(3) 「ハンカチ、もってるの? ティッシュペーパーは?」と言う。

A  子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。
毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をして
いて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめん
どうでも、「あなたはハンカチを持っていますか。ティッシュペーパーは、もっていますか」と言っ
てあげねばならない。
以前私は、国語力が基本的に劣っていると思われる小中学生たちに集まってもらい、その子
どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うかを調べたことがある。結果、つぎの三つの特
徴があるのがわかった。
(1)使う言葉がだらしない(「ぼく、アイス、食べる」というような言い方をする)、(2)使う言葉の
数が少ない(使う語彙数そのものが少ない)、(3)正しい言葉で話せない(話させようとすると、
照れてしまう)。原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その
母親にそのことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホン
トにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!
 たいていの親は、国語力は、学校の国語の勉強で身につくものだと思っている。しかしこれ
は誤解。しかもその国語力の基本は、幼児期に決まる。(正解(1))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++




Q あなたが座ってテレビを見ているとき、あなたの子どもが近くにやってきました。そのときあ
なたが子どもに手をさしだすと……

(1)ごく自然な感じで、あなたに抱かれ、あなたに身をすりよせてくる。
(2)抱かれようとせず、あなたのしぐさに無関心で、それを無視する。
(3)子どもを引き寄せ、抱こうとすると、それをいやがる。抱いても体をこわばらせる。

A 一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が
自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘え
る。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子
どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。
 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児
拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人
に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる
のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれるこ
ともある。ところでこんなショッキングな報告もある。抱こうとしても抱かれない子どもが、四分
の一もいるというのだ(二〇〇〇年)。
「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研
究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。
 何でもないことのようだが、親に抱かれるというだけでも、あなたの子どもの心は、まっすぐに
育っているということになる。(正解(1))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


信頼

Q 久しぶりに高校時代の友人と会いました。その友人が、あなたの子どもをじっと見つめたあ
と、「(年齢は)いくつ?」と聞いたとします。そのときあなたは……

(1)いやなことを聞く人だと思う。子どもの年齢など、聞くものではないと思う。
(2)何も考えないで、すなおな気持ちで、「○歳よ」と答えることができる。
(3)よいことを聞いてくれたと思う。「まだ○歳よ」と誇らしげに答えることができる。

A 子どもの心はカガミのようなもの。あなたが「うちの子はすばらしい」と思っていると、子ども
は、そのすばらしい子になる。表情も明るく、ハツラツとしている。そうでなければそうでない。
 もしあなたがここでいう(1)のようであれば、まずあなたの心を作り変える。たとえばひとつの
方法として、「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口
グセにするというのがある。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。あなたが「うちの子は、
だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を
作りかえる。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そう
いう性質を利用して、子どもを伸ばす。あなたが自然にそれを言えるようになったとき、あなた
の子どもは、そのよい子になっている。それだけではない。
 英語の格言に、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたのことを思う』というのがある。
あなたがあなたの子どもを、よい子どもと思っていると、あなたの子どももあなたのことを、よい
親と思うようになる。そういう相乗効果が、あなたの親子関係をより濃密にする。(正解(3))

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し
     _>−−<
    /†_____†ヽ//   食欲の秋です!
    ( ('    ξヽ
  ┏ ||   o//\) )(
 --□---`○_oOO%__------凵---
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【3】
子育て失敗危険度
+++++++++++++
ほら、カバン、カバン!
国語力を豊かにするために(失敗危険度★)

●会話環境と言葉
 「ほら、カバン、カバン! ハンカチは! バス、バス……、ほら、帽子!」と、こんな話し方を
していて、子どもに国語力が育つはずがない。こういうときは、たとえめんどうでも、「あなたは
カバンをもちます。ハンカチはもっていますか。もうすぐバスが来ますから、急いでしたくをしな
さい。帽子を忘れないでください」と。こうした会話環境があってはじめて、子どもは国語力を身
につけることができる。が、こんな方法もある。

●バツグンの表現力
 一人、バツグンの国語力のある子ども(年長女児)がいた。作文力をみたら、小学四〜五年
生程度の力があったのではないか。紙芝居を渡しても、その場でスラスラと物語をつくってみ
せた。そこで母親にその秘訣を聞くと、こう話したくれた。

 母親の趣味はドライブ。そこでほとんど毎日、それもその子どもが乳幼児のときからドライブ
に連れていったのだが、そのとき母親は、自分の声で吹き込んだ物語のテープを聞かせつづ
けたという。物語は、子ども向けのものから、もう少し年齢の大きい子ども向けのものまで、い
ろいろあったという。

 確かにこの方法は効果的である。別の母親は、芥川竜之介の難解な小説(「高瀬舟」)を吹
き込んだカセットテープをその子ども(小一)に、毎晩眠る前に聞かせた。数か月もすると、そ
の子どもはその物語をソラで言えるようになったという。

●読み聞かせのコツ
 この方法にはいくつかのコツがある。テープに録音するにしても、やはり一番よいのは、母親
の声。物語は何でもよいが、読んで聞かせる目的なら、二〜四年レベルの高いものでも構わ
ない。大きな書店へ行くと、いろいろな学校の教科書を売っている。そういうところで、教科書を
手に入れるとよい。値段も安いし、内容もよく吟味されている。また国語にかぎらず、社会や理
科、あるいは道徳の教科書でもよい。子どもが興味をもっていることなら一番よいが、あまりこ
だわる必要はない。

 さて冒頭の話だが、子どもの国語力の基本は、あくまでも親、なかんずく母親の国語力によ
る。あなたも子どもの前では、正しい日本語で話してみてほしい。

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交通事故に気をつけてね
寸劇指導法(失敗危険度★)

●指示は具体的に
 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくするのです
よ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言う親の気休め程度
の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜
ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話
してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。

●下水溝で遊んでいた子ども
 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、下水
溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。
そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の
家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショッ
クを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。

●迫真の演技で
 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの寸劇を
してみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのであ
る。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦し
みながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれな
いが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあ
るほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくな
る。

 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、この寸
劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。
(1315)
   /⌒⌒^ヽ
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒       )
  | | ・ ・||( 子どもへの指示は具体的にね! )
  | |"   )||(_________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【4】
子育て随筆byはやし浩司
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子どもに教えられる

 著名な教育者でも、現場を離れたとたん、偏屈な、がんこオヤジになることはよくある。そうい
う教育者の書いた文章を読んだりすると、その教育者が教育者であったのは、結局は子ども
のおかげだったということが、よくわかる。たとえばよく知られた人に、Tという人がいた。元小
学校の教員だったとかで、たしかに現役時代の彼の書いた文章は、おもしろかった。役にたっ
た。しかし現役を退いてからの彼の書いた文章は、どれも美辞麗句ばかり。まるで夢の中で書
いたような文章ばかりだった。

 そこで私自身のことを静かに観察してみる。たとえばこんなことがある。ときどき仕事にでか
ける前、ワイフと口論することがある。そういうとき気分はたしかに悪い。ムシャクシャしてい
る。が、教室へ入って、子どもたちが、「やあ、林先生!」とか言って声をかけてくれたとたん、
その気分が吹き飛んでしまう。

 つまり教師というのは、いつも子どもたちに心を洗われていることになる。何でもないことのよ
うだが、これにはすばらしい価値が隠されている。いや、反対にこんなことがある。生徒の一人
に、父親が大病院の腎臓センターのドクターをしている息子(中二)がいる。私は腎臓センター
に世話になったことがないので、よく知らないが、聞くところによると、そのセンターにやってくる
のは、重症の患者ばかりだという。中にはやってきて数週間から数か月で亡くなる人もいると
いう。

私は頭の中でそういう職場を想像しながら、何と憂うつな職場だろうと思った。仮に気分よく職
場へ入っても、患者の顔を見たとたん、その気分が悪くなってしまうかもしれない。つまり私の
職場を、「朝日が輝く朝の職場」とするなら、腎臓センターは、「とっぷりと日の暮れた闇の職
場」(失礼!)ということになる。そこである日、その中学生にこう聞いてみた。「君のお父さん
は、どうやって気分を調整しているのだ」と。するとその中学生は、「ううん、何も……」と。そう
いう仕事ができるというだけでも、そのドクターは、崇高な人にちがいない。仮に私がそのセン
ターのドクターなら、私は数日働いただけで気が滅入ってしまうかもしれない。それにこんなこと
もあった。

 もう一〇年ほど前のことだが、ある出版社から、老人ホームの老人向けの教材を考えてほし
いという依頼をもらった。幼児と老人は、何となくどこかでつながっている。で、私は一時は、そ
の気になってそのための取材を始めた。いくつかのホームを回り、どんな指導をしているかを
見学して回った。が、そのうち、幼児向けの教材と、老人向けの教材は、まったく異質のもので
あることき気づいた。幼児向けの教材は、発展的に知恵を伸ばすもの。一方、老人向けの教
材は、その知恵をのがさないためのもの。結局この仕事は、私のほうが断ったが、そのとき
も、同じように思った。「同じ教材作りでも、老人向けはつまらないな」と。

 そこで私は考えた。私は毎日のように、幼児や小学生と接している。それは私が「教えるとい
う立場」にいるからだ。が、しかしその実、ひょっとしたら、私はその幼児や子どもたちを教えて
いるのではなく、教えられているのではないか、と。あるいは心を洗われているといってもよい。
さらにそれを裏づけるかのように、こんなこともある。

 私はもともとうつ型タイプの人間で、ものの考え方がゆがんでいる。いじけやすいし、ひがみ
やすい。そういう私がかろうじて、まとも(?)でいられるのは、子どもたちのおかげである。たと
えば子どもの世界では、ささいなウソやインチキですら、通用しない。仮にそういうことがある
と、子どもたちは猛烈にそれに反発する。その反発を受けていると、いつの間にか、ゆがんだ
心や考え方が、やはり吹き飛んでしまう。

 で、最初の話にもどる。実のところ、教育者と呼ばれる人は、どこか世間知らずの人が多い。
子どもという人間を、上ばかりから見ているから、下の世界がわからない。昔、職業安定所の
人もそう言っていた。「一番、ツブシのきかない人が教師です」と。私もその一人だが、そのツブ
シのきかない教師が現場を離れると、とたんに教育的なカンが消えてしまう。これも私の経験
だが、たとえば休みが一〇日とか二週間とかつづいたりすると、原稿そのものが書けなくなっ
てしまうことがある。さらに休みがつづくと、ツブシがきかない分だけ、常識ハズレになり、偏屈
な世界へと入ってしまう。冒頭にあげた、Tという教育者がそうだった。

 そこで再び私のこと。最近、ときどきワイフとこんな話をする。私はものを書くのが仕事だが、
しかしその仕事をつづけるためには、どこかで子どもたちとの接点をもっていなければならない
と。わかりやすく言えば、ものを書きつづける間、現場から離れることはできない、と。離れたと
たん、カンが消え、子育て論が書けなくなる。言いかえると、私にものを書かせ、生きがいを与
えてくれているのは、ほかならない、私の生徒ということになる。

 ごく最近、私はそれに気がついた。
(02−8−30)

      ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄読書の秋です! はやし浩司の本を読みましょう!
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

講演会のお知らせ

各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。

2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・29……砂丘小学校
11・21……北浜南小学校
11・14……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ(10時〜12時)
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるいは

(株)静岡教育出版社 рO54−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込みください。

〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
       一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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子育てワンポイント・1〜600作は、いかがですか?
よろしかったら、どうかお買い求めください。

●子育てのコツ、1〜600を、一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
ご希望の方に、一枚1000円でお送りします。
一枚ずつ、手作りで、お送りします。
単行本の分量して、約6冊分(以上)の分量があります。
●CD版ですから、検索しやすく、なっています。たとえばワード上で、
「夜驚症」で検索すれば、すぐその項目をヒットできます。

【申し込み方法】

☆下のメールアドレスをクリックして、郵便番号、住所、お名前を
お知らせください。
☆折り返し、私のほうから、確認のメールを出します。
☆もう一度、あなた様から「申し込んだ」旨の確認に返信をください。
☆CD(ワード版)を先に送ります。同封の為替用紙で、1000円を
後ほど、ご送金ください。領収書は先に、同封します。
きっとみなさんの子育てで、お役にたつと思います。
よろしくお願いします。

アドレス……
bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
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ご注意!
●申し込みが、10人前後になるまで待って、それからCDに焼いて送ります。 それまでしばら
くお待ちください。
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●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
Please subscribe to another magazine, "The Hiroshi's World",
published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to 
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second 
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
●マガジンのバックナンバーは、サイトの「トップページ」から、「マガジン購読
コーナー」へ。そのページからお読みいただけます。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
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  以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
           ツ  <<
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    >>  /   \ <<
  >>>   |____|
 >>>  ツ  \∴∵∴/  <<<  また次号をよろしくお願いします!
 >>> / \   ̄ ̄ ̄  <<<     See you again in the next magazine!
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(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用しました。)



Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【マガジン・過去版(4)】

彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡    ♪♪♪……  
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /      ありがとうございます!
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) XXX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★★★★★★★★★★★★★★
02−9−10号(106)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワードです!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●愛知県尾張旭市にて、講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   11月14日(木)スカイワードアサヒ 午前10時〜12時
        主催  尾張旭市教育委員会
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
  一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
  ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

     匚二コ/
     彡彡ミ ♪♪♪ 
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
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【お詫び】
子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
(郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
本当に申し訳ありませんでした。
     bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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Hiroshi Hayashi, Japan■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
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メニュー
今日のテーマ、「分離不安」(Seperation Anxiety)

【1】世界の子育て格言(Words of Wisdom) 
【2】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids at home)
【3】分離不安ほか(Seperation Anxiety) 
【4】随筆(Essays)
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   / ̄\ ⊂⌒⌒⊃ 
⊂⌒⌒⊃  |  ⊂〜⊃
 ⊂⊃\_/       _ _
        ◯    / /⊃)
 __    ◯◯  (∂∂)
(⊂\\  ◯◯◯   γ \
 (θθ)┏━━━┓ (   σ
/ γ  ┗┓◯┏┛  ζ ζ
δ   )  ┃ ┃
  η η   ┗⌒┛
【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(よいこのくに(学研)付録、母のくにの巻頭言用に書いた原稿より、転載)
++++++++++++++++++++++++++++++++++
三つほめて、二つ叱ってよき人となせ

名言から学ぶ子育て

かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ。(二宮尊徳)

1787ー1856、江戸時代後期の農政家。農村復興の指導者。通称、二宮金次郎の名で知ら
れる。

++++++++++++++++++++

 子どもの価値観にまで干渉するお母さんがいます。その典型的な過干渉型ママの会話。本
屋さんで、子どもと絵本を選んでいた時のことです。お母さんは子どもが持ってくる本を、次々
と本棚へ戻しながら…。

「この本はよくないわ。あのあたりの本にしなさい。わかった!あそこから選ぶのよ。…そうじゃ
ないのよ。その本よ。ちがうわ、ちゃんと自分で選んでごらん。そうそう、その本よ、それよ。そ
れを選んでごらん」と。

 あるいは先生が子どもに、「夏休みはどこへ行ってきたのかな」と声をかけると、横に立って
いたお母さんが、「おばあちゃんの家へ行ってきたのよね。だったら、そう言ってごらん。黙って
いたらわからないでしょ。楽しかったわね。だったら楽しかったと言ってごらん」と。

 お母さんが過干渉になる背景には、子どもへの根強い不信感があります。さらにその原因は
何かというと、子育てに対する不安感です。(うちの子は何をしても心配だ)という不安感が、お
母さんを過干渉型ママにします。長男、長女に、過干渉児が多いのはそのためです。もしそう
であれば、お母さんはお母さん自身の心をつくり変えます。でないと、(不安)→(過干渉)→(不
安)の悪循環の中で、子どもはますます覇気のない子どもになってしまいます。ひどい場合に
は、子どもの性格そのものが萎縮することもあります。

 なおす方法は簡単です。子どもをまずほめること。最初は嘘でもかまいません。子どもが何
をしても、ほめるようにします。欠点を見つけたら、なおさらほめるようにします。たとえば鉄棒
が思うようにできないようであれば、「あなたはこの前よりじょうずにできるようになったわね」
と。こうした前向きな姿勢が、やがてお母さんの心をつくりかえ、結果として子どもを伸ばしま
す。

 子育ての要は、二宮尊徳が言うように、ほめ方と、叱り方にあります。そしてそのバランスは
と言えば、二宮尊徳が言うように、三つほめ、二つ叱るぐらいがよいのです。具体的には、『ほ
めて、叱って、ほめて仕上げる』です。特に幼児は叱りっぱなしにしてはいけません。叱ったら、
必ずその後で、「ほら、あなたはちゃんとできるじゃない。あなたはいい子だから」と、ほめて仕
上げます。叱りっぱなしにすれば、子どもは自信をなくし、自らを悪い方向へ追いやってしまい
ます。さらに、「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、人格攻撃は、タブー中のタブーです。

 ただしほめるといっても、子どもの努力や、やさしさにとどめます。頭のよさについては、ほめ
てよい場合とそうでない場合がありますから、慎重にします。子どもの顔やスタイルについて
は、ほめないこと。後々、そちらばかりに関心が移ってしまうということに、なりかねません。

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ  ♪
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )
   人   υ ( `) (  )
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あなたの子育てを診断します。
+++++++++++++++++++++

友情

Q あなたの子どもがまだ、ヨチヨチ歩きをしていたころのことを、思い出してみてください。あな
たはあなたの子どもと、どのように歩いていましたか。

(1)いつも子どもの前を、ぐいぐいと手を引きながら歩いていたように思う。
(2)いつも子どものうしろを歩いていたように思う。
(3)いつも子どもの横を、子どもの歩調にあわせて歩いていたように思う。

A 昔、オーストラリアの友人がこう言った。「親には三つの役目がある。親は、ガイドとして子
どもの前を歩く。保護者として子どものうしろを歩く。そして友として子どもの横を歩く」と。日本
人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、友として横を歩くのがヘタ。「私は親だ」という
親意識が強い人ほど、子どもの前をぐいぐいと手を引きながら歩く。おけいこごとでも、勉強で
も、何でも親が先に決め、子どもに従わせる。また保護意識が悪いわけではないが、その意識
が強すぎると、過保護になり、子どもをひ弱で自立できない子どもにしてしまう。
 大切なことは、子どもの友として、子どもといっしょに歩くこと。英語国では、親子でも、「パパ
はぼくに何をしてほしい?」「お前は、パパに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚
さが、親子の絆を太くする。
 ついでながらイギリスには、こんな格言がある。『子どもには釣竿を買ってあげるより、いっし
ょに釣りにいけ』と。子どもの心をつかみたかったら、子どもの友になる。モノやお金ではない。
日本人は、より高価なものを子どもに買い与えることで、子どもの心をつかんだハズと考えや
すいが、これはまったくの誤解。あるいは逆効果。モノやお金で、子どもの心をつかむことはで
きない。(正解(3))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


親意識

Q 子どもと言い争いになったとき、あなたの子どもが、あなたに向かって、やや本気で、「バカ
ヤロー!」と言ったとします。そのとき、あなたは……

(1)日常的に口が悪いことはわかっているので、まったく気にしない。
(2)一応たしなめながらも、気にせず、子どもと冷静に言い争うことができる。
(3)親に向かって暴言を吐くというのは、自分の子どもでも許せない。

A 「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育てて
やった」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇
歳)は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまい
ました」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。日本
人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こうした
日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。
 この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけ
ではすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠
す。親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れること
になる。
昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう
時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。このテストで
(3)を選んだ人は、あなたというより、あなたが育った環境に原因があるとみてよい。あなた自
身も、その権威主義的な家庭環境で育てられているはずである。(正解(2))

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ ♪♪
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し
     _>−−<
    /†_____†ヽ//   食欲の秋です!
    ( ('    ξヽ
  ┏ ||   o//\) )(
 --□---`○_oOO%__------凵---
【3】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育て随筆byはやし浩司
+++++++++++++
子育て随筆byはやし浩司

ダイエット

 少し油断すると、体重があっという間に七〇キロ近くにまでなってしまう。で、気がつくたびに、
今度はダイエット。こんなことを数年おきに繰り返して、もう一五年になる。
 私のダイエット法は、食事を減らすという単純な方法。しかしそのまま減らすと、抵抗力が落
ちるのか、結膜炎など、皮膚病にかかりやすくなる。そこで栄養だけは、別の方法で補給す
る。私がよく口にするのは、カロリーメイト(大塚製薬株式会社製)と、アミノバイタル(味の素株
式会社製)。あとは、栄養ドリンク剤とビタミン剤など。食事はライスを減らし、サラダを多くす
る。この方法を続けると、一か月ほどで、適正体重の六五キロ前後にまでもどる。

 が、問題がないわけではない。私はもともと血圧が低いので、ダイエットをし始めると、血圧
がさがってしまう。上が一〇〇以下、下が六〇前後になることもある。そうなると今度は、頭が
働かなくなる。どこかボンヤリとしてしまう。そこでダイエット中は、水分を多量に補給する。昼
間だけで、二リットル入りのウーロン茶を、二本ほど飲むこともある(計四リットル!)。夏場は
とくに飲む。飲んでいないと、頭がすぐボーッとしてしまう。

 今、この原稿を書いている日(九月二日)は、体重が六四・五キロ。すこぶる調子はよい。軽
い感じがする。自転車に乗っていても、全身で体をくねらせながら、ペダルをこぐような感じ。だ
からますます調子がよくなる。そういう今の状態からみると、体重が七〇キロ(最高で七二・五
キロ)前後だったころの自分が、何とムダなことをしていたかと思う。食べては寝るだけ。体が
重いから、運動もしない。そしてまた食べる……。その繰りかえし。
 もっとも本当のところは、今の体重でも、ギリギリ適正体重というところ。計算すると、もう二、
三キロやせなくてはならない。年齢を考えると、もう四、五キロというところか。あまり急激にや
せると、みなが心配するので、しばらくはこのままの体重をキープして、しばらくしてから、つぎ
のダイエットに移るつもり。
(02−9−2)

参考++++++++++++++++++++++++

(適正体重計算……BM標準体重計算法)

   BM=(体重)÷(身長)÷(身長)   

     40以上   ……肥満(4度)
     35〜40  ……肥満(3度)
     30〜35  ……肥満(2度)
     25〜30  ……肥満(1度)
     18・5〜25……正常値
     〜18・5以下……やせ

 (注、身長はメートル単位。私は166センチだから、1・66となる。)
この計算式でいくと、私は24ということになり、一応、適正体重ということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

子どもが恐怖症になるとき

●九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

(1)対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注
意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所
でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に
出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこ
わくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できな
い、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗
れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男
児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談が
あったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということ
がわかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足
すことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに
入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

(3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわが
る、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけ
で、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子ども
のばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわから
ないことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私
のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以
来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現
地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因にな
る。また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れ
る。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)がで
きるためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症
になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、
できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。
私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状
態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと
汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言い
きかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、
夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではど
うにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

子どもの分離不安を考える法

子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?     
 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動
したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分
離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作
 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立
恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、
一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静
かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげ
て、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件
 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育
児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子ど
もの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわか
りやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけ
を見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすれ
ばかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるもの
の、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではな
い。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安につ
いても、そのつど繰り返し症状が表れる。

●鉄則は無理をしない
 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつようになる。分離不安を神
経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おと
なになってからも症状が表れることがある。

(付記)

●分離不安は小児うつ病?
子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発
熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。

   /⌒⌒^ヽ ♪♪♪
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
  | | ・ ・||( どうせ子育てするなら、楽しみましょう!       )
  | |"   )||(____________________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川
【4】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
分離不安について、考えてみました
+++++++++++++++++

分離不安(Seperation Anxiety)

ある母親から

「明日9月1日から2学期がはじまるのですが、
うちの子(年少児)は親から離れられず困っています。
1学期も離れると大泣きして離れられませんでした。
どうしたらできるようになるのでしょうか?」
(東京板橋区・UYより)

++++++++++++++++++++++++++

 母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく知られた
現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」があることがわかっ
てきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用が、新生児の発育
には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、精神的欠陥が現れ
る。その一例が、「人見知り」。

 子どもは生後六か月前後から、一年数か月にかけて、人見知りするという特異な症状を示
す。一種の恐怖反応で、見知らぬ人に近寄られたり、抱かれたりすると、それをこばんだり、拒
否したりする。しかしこの段階で、母子間の相互作用が不完全であったり、それが何らの理由
で阻害されると、「依存うつ型」に似た症状を示すことも知られている。基本的には、母子間の
分離不安(separation anxiety)は、こうした背景があって、それが置き去り、迷子、育児拒否的
な行為(子どもの誤解によるものも含む)などがきっかけによって起こると考えられる。

 分離不安は、私の経験でも、年中児(満五歳児)、年長児(満六歳児)で、一五〜二〇人に一
人程度の割合で起こることがわかっている。症状にも軽重があり、また発症する場所などもそ
れぞれで、この数字は、あくまでも推計である。親の顔や姿が見えなくなっただけで、ギャーッと
ものすごい形相で追いかける子どももいれば、待ち合い場所に母親が現れなかったときなどに
混乱状態になる子どももいる。
 症状は、(1)突発的に興奮状態になり、攻撃的に親のあとを追いかけるプラス型、(2)混乱
状態になり、オドオドとしたり、サメザメと泣くマイナス型に分けて考える。全体に半々と私は見
ている。

 対処方法は、子どもの恐怖症に準じて、対処する。無理をしても意味がない。無理をすれ
ば、かえって恐怖心を増長させ、症状をこじらせる。そのこじらせた分だけ、立ちなおりが遅れ
る。また強い指示を与えて、子どもにきびしく接すると、一時的に症状が消えたように見えるこ
とがある(仮面治癒)。しかし症状が消えても、治ったわけではない。症状が、子どもの心の奥
にもぐったとみる。恐怖症と同じように、簡単には治らない。ばあいによっては、数年単位で経
過と様子をみる。自意識が発達し、セルフコントロールできるようになると、分離不安による表
面的な症状は、急速に消失する。その時期は満六歳以後とみる。

 恐怖症もそうだが、この分離不安による発作的症状は、おとなになってからも残ることが多
い。ある女性(四〇歳)はこう言った。「今でも夫の帰りが、少し遅くなっただけで、言いようのな
い不安感に襲われます」と。分離不安というのは、そういうもの。
(02−9−1)※

+++++++
追記

分離不安になったら、治そうという考えは捨て、できるだけ子どもと行動をともにする。家庭で
は絶対的な安心感(疑いをいだかない安心感)を与えることに注意する。Ca、Mgの多い食生活
にこころがけるだけでも、興奮状態はかなり軽減されるので、食生活を改善することも忘れて
はならない。
親が子育てで失敗しておきながら、子どもを治すという発想は、親の身勝手でしかない。そうい
う視点で、この問題はみること。泣き叫んで幼稚園へ行くのを拒否するようであれば、行かなけ
ればよい。「行かねばならない」という、発想を修正する。が、どうしても行かせたいなら、一緒
に幼稚園へ行けばよい。幼稚園の先生によっては、「集団に慣れさせます」とか言って、無理
に引き離し、無理に子どもたちの中に入れようとする先生もいる。そういうときは事情をていね
いに話し、ほかの子ども以上に、心温かいケアを頼むようにする。とにかく無理をしないが、原
則である。繰り返すが、一度キズついた心はそんなに簡単には治らない。またそのキズは、何
らかの形で、一生残る。決して安易に考えてはいけない。

      ミ ( ⌒⌒ ) 彡♪♪♪♪
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄読書の秋です! はやし浩司の本を読みましょう!
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■Hiroshi Hayashi, Japan
【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。
2・20  ……内野小学校
1・19  ……浜松市医療センター
11・29 ……砂丘小学校
11・21 ……北浜南小学校
11・14 ……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ(10時〜12時)
10・30 ……五島小学校
10・17 ……島田市立第四保育園
10・10 ……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26  ……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11  ……蜆塚幼稚園
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
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〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
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I appreciate your kindness to pay a visit to my second 
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Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

  以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
           ツ  <<
      >> / \  <
    >>  /   \ <<
  >>>   |____|
 >>>  ツ  \∴∵∴/  <<<  また次号をよろしくお願いします!
 >>> / \   ̄ ̄ ̄  <<<     See you again in the next magazine!
>>> /   \ <<<
>>>|____| <<<
 >> \∴∵∴/ <<<
☆===================☆==================

(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用しました。)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

●「EARTH(アース)」を見る(Whaling should be prohibited)

I saw the film "Earth" with my wife on the day it was released. I spilled tears slightly three 
times during I saw the film. I spilled tears not because I felt sad. I spilled tears because I felt 
human's stupidity is displayed against me. That was my first time I spilled my tears for the 
reason. Whaling should be prohibited right now. Or is there any reason why we should keep 
doing it under then name "Research"? It sounds so ridicurous. We should be ashamed more!
 I hereby strongly protest against our government!

++++++++++++++++++

封切り日に、ワイフと2人で、「earth」
を見る。

イギリスのBBCが主体となって、5年
ほどかけて制作された映画だという。

私は、その映画を見ながら、3度ほど、
うっすらと涙をこぼした。

悲しくて泣いたというよりは、人間の
愚かさを見せつけられて泣いた。

そんな涙は、生まれてはじめての経験
だった。

++++++++++++++++++

 「Earth」によれば、2030年までに、北極の白くまは、絶滅するだろうということだ。あと、22
年。それだけではないが、私はその映画を見ながら、3度ほど、うっすらと涙をこぼした。悲しく
て泣いたというよりは、人間の愚かさを見せつけられて、泣いた。そんな涙は、私にとっては、
生まれてはじめての経験だった。

 たとえば……。

 日本は、いまだに、「調査捕鯨」という名前のもとで、捕鯨を繰り返している。「調査」だと?

 こんなインチキはもうやめて、捕鯨など、すぐやめればよい。世界中から避難されながら、ど
うして捕鯨をつづけなければならないのか? それがわからなければ、「Earth」を見たらよい。
人間だけが、生き物でもあるまい。今の今も、日本の捕鯨船団は、南氷洋で捕鯨をつづけてい
る。それに対して、オーストラリア政府は、海軍まで出動させて、それを阻止しようとしている。

 どうして今、「調査」なのか? 「捕鯨」なのか? 「調査」というのなら、どこの大学のどの教授
が、しているのか? 世界のどこのだれが、この日本に、「調査してほしい」と頼んでいるの
か? 日本を遠く離れたところに住む、クジラを! 結局は、食用のためではないか? 

 日本人は、もっと自らを恥じたらよい。改めて、捕鯨に、強く反対したい!
(2008年1月16日)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●インチキ博士号(pseudo doctor)

Doctor degrees are being sold in Japan. In most cases you receive a letter one day from an 
unknown university, in which it says that you are qualified to be nominated as a doctor of 
our university. This may be apparently pseudo. The reason is quite simple. It also says you 
need to pay abt. 500 thousand yen ~ 1 million yen for the degree. I have received some of 
them in the past. Then one day I rang up to the telephone number and ask someone in 
charge about it. The man in charge answered me that the money would be used as 
scholarship for students. But do we have to pay money before the doctor degree is 
admitted? One of the most well-known professor of Waseda University is the one who has 
the title given by the university. I mean it is pseudo, for as far as I have checked it through 
internet, the university has no students. The professor said in the TV program, that, he did 
not know the university is pseudo. But this is funny or ridiculous.  

++++++++++++++++++

日本でも、インチキ博士号が、問題に
なっている。

早稲田大学の、あの吉M教授も、その1人。
昨夜(1月13日)の報道番組の中で、吉M教授は、
「私は、ちゃんと論文を出して認められた」
「博士号のオッファーがあったので、応募した」
などというようなことを言っていた。
(記憶によるものなので、細部では、正確では
ないかもしれない。)

しかしこの吉M教授の話は、ウソと考えてよい。
吉M教授ともあろう、偉い(?)、お方が、
インチキかどうか、見抜けなかったというのは、
どう考えても、おかしい。

この私ですら、見抜けた。理由がある。

まず、寄付金の告示があったこと。博士号資格で、
50〜100万円。額は、大学によって異なる。
一度、電話で問い合わせると、こうした寄付金は、
学生の奨学金として使用されるということだった。

そこでインターネットを使って調べてみると、
大学といっても、校舎だけ。学生の臭いが
ほとんどしなかった。

すでに当時、こうしたインチキ博士号は、世界では
常識。そういう世界を知っていた吉M教授が、
それを知らなかったはずはない。

「当時」というのは、10年以上も前のこと。
私のところへ、そうした勧誘が届き始めたのも、
そのころである。

一事が万事。

うっすらと笑みまで浮かべて、テレビのレポータの
質問に答えていた吉M教授は、何か隠していると
いったふう。
インチキ認定書の横に、分厚い、論文集(?)
なるものを、これ見よがしに置いていた。

(そういうものを、わざわざ置くところが、
あやしい?)

テレビの報道によれば、吉M教授は、そのインチキ
大学のために、講演会まで開いていたという。
つまり新たな被害者をさがすための、手助けまでして
いた疑いがかけられている(テレビ報道)。

責任は、重大である。
「知らなかった」では、すまされない。

++++++++++++++++++++

●過去の肩書き(Are you a respected man?)

Are you a respected man? If so, you are good enough. But when you retire from the job, 
you had better forget about your past and be free from the career. Otherwise you would be 
kicked out of the society you belong to. But some remains the same after he retire from his 
job, thinking himself that he is a respected man. A reader living in H-prefecture gave me a 
mail in which she worries about her brother who still cling to his career before he retired 
long time ago.

++++++++++++++++

「私は偉い」「私は尊敬されるべき」と、
思うのは、その人の勝手。しかしときには、
自問してみることも、大切。

こんなメールが届いた。S県にお住まいの
Aさん(女性、60歳)からのものである。
私のエッセーを読んで、同じように感じた
とのこと。

転載許可は、いただけなかったので、概略
のみ、紹介させてもらう。

++++++++++++++++

【Aさんより、はやし浩司へ】

私の兄は、現在、65歳です。5年前まで、国家公務員をしていました。その出先機関の長にも
なりました。しかしいまだに過去と、決別できずにいます。ことあるごとに過去の学歴と肩書き
をひけらかしています。

私の息子(32歳)が、フリーターをしていることについても、「そういうのは、人間のクズだ」と
か、「まともな仕事でないから、結婚相手も紹介できん」とか、言いました。

その兄が、去年(07年)のはじめ、がんになりました。大腸がんです。そのときのことです。兄
は、親戚中にそのことを連絡していました。実際には、私に、あちこちへ電話をかけさせまし
た。私は、そういう話は、内々ですませたほうがよいと考えていました。

で、兄は、術後1か月ほど入院しました。現在も、週2回、通院治療をつづけています。が、見
舞いに来たのは、この1年間で、親戚の中では、いとこの男性、1人だけです。私の息子も、
「ぜったいに見舞いに、行かない」と、がんばっています。それについて兄は、「冷たい」とか、
「水臭い」とか言って、怒っています。

まるで自分のことがわかっていない。そんな兄が、あわれです。私は高卒で、そういうこともあ
って、いまだに私を、子分か何かのように使います。私の家が、兄の家(=私の実家)と近いこ
ともあって、私を車の運転手くらいにしか考えていないようです。どうしたら、よいですか?

【はやし浩司より、Aさんへ】

 この問題は、私たちの年代のものにとっては、深刻な問題のひとつです。よく「定年退職した
ら、過去の経歴をすべて捨てよ」と言います。それはそのとおりで、それを引きずっていたら、
再就職もままなりません。

 しかし経歴を捨てることができない人が多いのも、事実です。とくに有名大学を出たあと、高
い役職についた人ほど、そうです。みなにチヤホヤされるうち、自分を見失ってしまうのです
ね。それこそ80歳とか90歳とか、死ぬまで、過去の経歴を引きずって生きていきます。

 こういうケースでは、過去の経歴を否定するということは、お兄さんに自己否定を迫るようなも
のです。わかりやすく言えば、お兄さんの(生きがい)をすべて、奪ってしまうようなことにもなり
かねません。あなたの立場で、お兄さんにそれをわからせようとしても、不可能と考えてくださ
い。

 では、どうするか?

 結局は、この問題は、その人自身の問題ということになります。だれからも相手にされていな
いのに、それにすら気づかない。つまりは、心のさみしい人ということになります。

 少しあなたのお兄さんとは違いますが、私の実家の近くにも、似たような人がいました。こと
あるごとに、私の家にやってきては、自慢話ばかりするのです。「今月は、○○万円もうけた」
「来月は、○○万円もうける」「この町内で、私がいちばんの高額納税者だ」とか、なんとか。
 
 そのころすでに私の実家の稼業は、斜陽の一途をたどっていました。そんな話を聞かされて
も、楽しくありません。その人が帰るたびに、私の母などは、玄関先に、塩をまいていました。

 が、その人は、やがて多額の借金をかかえて、どこかへ夜逃げをしていきました。うわさによ
れば、株の信用取引で、多額の損を出したということです。もちろんその人に同情する人は、
私の家族も含めて、だれもいませんでした。

 いつかあなたのお兄さんも、そのさみしさに気がつくときがやってくるのでしょうか。あるいは
今、それに気がつきつつあるのかもしれませんね。が、それを認めることは、先にも書いたよう
に、自己否定につながってしまいます。だから余計に認めるわけには、いかない。

 あなたのお兄さんの病気には同情しますが、それについても、あなたとしてできることは、もう
ほとんど、ありません。今は今で、そしてこの先も、淡々と、今までどおりの人間関係をつづけ
ていくしかないように思います。あなたの立場で、お兄さんにあれこれわからせようとか、意見
を言うのは、こういうケースでは、タブーと考えてください。

 というのも、それがどういうものであれ、お兄さんはお兄さんで、懸命に生きてきた。今も懸命
に生きている。そういう(懸命さ)を感じたら、私たちは静かに引きさがるしかないのです。「か
わいそうだな」と思いながらも、お兄さんの話を、そっと聞いてやる。それでしませます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●1000号、後遺症

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2008年の2月4日、私の電子
マガジンが、第1000号を迎える。

それはそれとしてうれしいが、しかし
今、原稿を書く気が、ほとんど
わいてこない。

どうしてだろう?

気が抜けてしまった感じ。
誤解を与えるとまずいが、もう少し
率直に言えば、どうでもよくなって
しまった感じ。

もう少しがんばってみるが、それで
だめなら、またそのとき、考えよう。
(少し、弱気かな?)

「1000号になれば、何かが変わる
かもしれない」と思っていた。

しかし結局のところ、何も変わらなかった。
「このままこんなことをつづけていて、
何になるのか?」と、今、そんな迷いが
急速にふくらみつつある。

「文句があるなら、さっさと、やめろ!」と、
だれかが言った。

「今まで読んでやっただけでも、ありがたく思え」と、
また、だれかが言った。
そんな声も、聞こえてきそうな気がする。

本来なら、今ごろは、2月15日号用の原稿を
書いていなければならない。

しかし2月4日号すら、書いていない。
「どうしようか?」
「どうなるんだろう?」

ワイフは、「自然体でやれば」と言ってくれる。
自然体かア・・・?
そう、ここは、自然体でやるしかない。

+++++++++++++++++++

●前立腺がん

 知人が、最近、前立腺がんの手術を受けた。5ミリ前後の小さながんだったという。先日見舞
うと、表面的には、以前と変わらなかった。元気だった。しかしこう言った。

 「手術を受けたあと、こんなに不便になるとは、思っていなかった」と。

 そのときすでに術後、1か月以上になっていた。自宅で療養していた。が、かなりの痛みがあ
るらしい。「尿がパイプの外に漏れるため」と、知人は言った。パイプの外に漏れた尿が、痛み
を引き起こすらしい。それに、尿が、四六時中、外にたれ流しの状態という。紙おむつはつけた
まま。はずせるようになるのに、半年くらいかかるとのこと。

 前立腺がんには、ホルモン療法というのもある。ほかに、ラジオ・アイソトープを埋め込んで治
すという方法もある。放射線で焼くという方法は、腸に穴があくため、現在はあまり用いられて
いないらしい。

 がんには、切除という方法が、もっとも効果的ということになる。しかし切除したとたん、がん
細胞が、全身に散るという危険性もある。(このあたりは、私という素人の意見なので、適当
に、読み流してほしい。)

 そんなこともあって、高齢の人は、がんをそのまま温存しながら、「共存」という方法をとること
が多い。前立腺がんにしても、75歳以上の人は、手術をしないそうだ(知人の話)。

 なお前立腺がんではないが、前立腺肥大というのであれば、50代で50%、60代で60%、7
0代で70%の人がなるという説もある。小便の出が細くなったり、悪くなったら、前立腺肥大を
疑ってみたらよい。少し前、そう教えてくれた人がいた。(このあたりの数字は、あくまでも伝聞
なので、その範囲で、理解してほしい。)

 小便が、小便として出るだけでも、ありがたいこと。家に帰って、トイレに入った。改めて、自
分の小便をしみじみと見つめた。

(補記)(群馬大学医学部HPより)

前立腺がんには、「手術療法」、「放射線療法」、「内分泌療法(ホルモン療法)」など、さまざま
な治療法があります。これらの治療を単独あるいは組み合わせて行います。

治療法は、がんの進行度(広がり)や悪性度、また、患者さんの全身状態、年齢などを考えて、
最適な方法を選択することになります。

主治医とよく相談の上、納得のいく治療法を選択するようにしましょう。

(補記2)(YOMIURI ONLINEより)

 前立腺がんは、高齢者に多い男性のがん。前立腺は、膀胱(ぼうこう)の下方にあり、前立腺
液を分泌するなど男性機能を支える。欧米人に多いが、日本でも高齢化や食生活の洋風化な
どを背景に増えている。

 年間死者数は、8400人余り(2003年)。10年前2万人足らずだった新規患者は、2020
年には7万8000人に達するとの予測もあり、男性では胃がんを抜き、肺がんに次いで2位に
なると見られる。

 読売新聞では、泌尿器手術の国の施設基準などを参考に、全国426医療機関に対し、200
4年の前立腺の治療実績をアンケートし、333施設から回答を得た(回収率78%)。紙面の制
約から、患者数の多い約200病院を一覧にした。表は、患者数のほか、転移のないがんにつ
いて、主たる治療が「手術」、「放射線治療」、「ホルモン単独治療」の数を掲載した。

●血液検査で早期発見

 前立腺がんは、自覚症状が出にくく、かつては進行して骨などに転移して見つかる患者が4
割を占めた。しかし血液で調べるPSA(前立腺特異抗原)検診の普及によって、早期で見つか
るケースが急増した。早期なら10年後の生存率は90%以上とされ、手術でも放射線治療でも
良好な治療成績をあげている。

 手術は開腹のほかに、腹部に開けた数か所の穴からカメラなどを差し込んで行う腹腔(ふっ
くう)鏡手術もある。放射線では、通常の照射のほか、前立腺に針を刺して放射線を出すカプ
セルを埋め込む小線源治療が一昨年から始まった。さらに、重粒子線や陽子線といった特殊
な放射線治療や、超音波の熱を用いた試験的な治療も一部で行われている。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●「国歌」に異論あり(Objection against the common sense of Anthem)

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英語で、「国歌」というのは、
「Anthem」という。

これは常識だが、その「Anthem」
はラテン語の、「antifoma」、また
ギリシア語の「antiphoma」に
由来する。

もともとは、「賛歌」「祝歌」(小学館
ランダムハウス大辞典)という意味である。

つまり、「祝宴で歌う、祝い歌」のこと。

が、この日本では、「国歌」と訳し、
そこに「国」という文字を入れる。

日本はそれでよいとしても、しかし、
これには、問題がある。

たとえば外国で、「これから日本の
anthemを歌います」と言って、
「君が代」を歌えば、つまりその
時点で、好むと好まざるとにかかわらず、
「天皇、もしくは天皇家を祝う歌」を
歌うことになる。

もっとわかりやすく言えば、「Japan
を祝う歌ではなく、天皇を祝う歌」を歌う
ことになるということ。

外国の人は、そう解釈する。そして
同時に、外国の人は、「日本人が、天皇
を祝っている」と、とらえる。

「君が代」の「君」については、いろいろ解釈
する人がいるようだが、「天皇」のこと
である。

また、よく「国歌は、国をたたえる歌であり、
世界の常識」と言う人がいる。

それならそれで問題は、ない。しかし
ここで、すり替えをしてはいけない。

英語でいう「Anthem」は、
「祝歌」のこと。しかも何を祝うかといえば、
「郷土」である。

「愛国心」を意味する、「Patriatism」
は、もともとは「父なる大地を愛する」という
意味である(同辞典)。

そこで異論。

どうして郷土を愛する歌に、天皇を祝う
歌を歌うのか。世界の人は、「Anthem」
というときは、郷土を愛する歌として、
それを歌う。

何も、私は、「君が代」に反対しているのでは
ない。「天皇の国、日本」と考えて、天皇家の
人たちが、「君が代」を歌うなら、まだよい。
(イギリスでは、「イギリスは、女王陛下の国」
と考えて、「God saves the Queen」を歌って
いるが……。しかし先進国の中では、日本と
並んでゆいいつの例外。)

しかしこの民主主義の時代にあって、
どうして「National Anthem 
of Japan」が、「君が代」なのか。

一度、国際的な常識で、日本の国歌を
考えなおしてみることも、大切だと私は思う。
少なくとも、日本の常識は、世界の常識と、
少し、ズレている。

そのヒントとして、ここで「Anthem」という
単語を取りあげてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist anthem 国歌 日本の国歌 
National Anthem of Japan)


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最前線の子育て論byはやし浩司(2415)

●家康文化圏vs秀吉文化圏(Yeyasu Sphere vs Hideyoshi Sphere)

Japan is roughly devided into two big cultural spheres, one is "Yeyasu Sphere" and another 
one is "Hideyosi Sphere". For example in this Hamamatsu-city which belongs to Yeyasu 
Sphere, we never deal the prices or we buy and sell at the fixed prices. But in Gifu, which is 
away from Hamamatsu-city only two-hour-drive by car, they always deal the prices. This 
difference occurs depending on which Sphere we belong to. This simply means Yeyasu must 
have been a very honest man and on the contrary Hideyosi was not. 

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私が浜松へ来て、いちばん驚いたこと。
それは、浜松の人たちが、モノを買うとき、
値段を、値切らないこと。

すべて定価どおり。これを私が生まれ育った
岐阜のほうでは、「正札(しょうふだ)どおり」
という。

私は、当初、この(ばか正直さ)(失礼!)に
驚いた。

ワイフともよく口論した。「どうして値切らないのか?」と。

一方、岐阜のほうでは、値切るのが当たり前。
1000円のモノを、1000円で買う人はいない。
「800円でどう?」とか、ばあいによっては、
「いくらになる?」(=いくら、安くしてもらえるか)
とか聞く。

あるいは駆け引きをする。

1個1000円であれば、「2個で、1500円でどう?」と
声をかける。
売り手がしぶっていたら、すかさず、「じゃあ、3個で、2000円」
と、切り返す。

同じ日本でありながら、しかも、距離は、それほど離れていない。
今では、車で、2時間足らずで行き来できる。

なぜか? どうしてこうまで、ちがうのか?

私はこれを、「家康文化圏」と、「秀吉文化圏」のちがいと、
判断している。

家康という人は、実直な人だったらしい。
一方、秀吉という人は、小ズルイ人だったらしい。

その逆と考えてもよい。

つまり家康は、こういう風土の中で生まれ育ったので、
実直な人になった。

一方、秀吉という人は、ああいう風土の中で生まれ育ったので、
ああいう人になった。
「ああいう人」というのは、ああいう人をいう。

(これ以上書くと、関西の人たちに袋田叩きにあうので、
ここでは書けない。)

岐阜という地方は、名古屋文化圏の中にありながら、
実際には、大阪文化圏に属する。

一方、この浜松という地方は、名古屋文化圏のほうが
近いにもかかわらず、東京文化圏に属する。

では、織田信長が生まれた名古屋文化圏は、どうか。

しかし織田信長という人は、信長文化圏という
文化圏をつくるほどの力はなかった。
やることなすこと、どこかメチャメチャ。
「文化圏」を作るには、それなりの人物でなければ
ならない。

はっきり言えば、織田信長には、その力はなかった。
信長は、パツと咲いて、パッと散った。
だから、どこか、中途半端。

家康文化圏でもないし、秀吉文化圏でもない。
最近でこそ、TOYOTAの力で、勢いを増しているが、
それ以前はというと、「文化のない町」、それが
名古屋だった。

……というような、あまり意味のないことを、
今朝は考えている。

社会学的には興味深いが、しかしこの程度のことなら、
もうどこかのだれかが調べているにちがいない。

だからこの話は、ここまで。

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●世界恐慌(World Economic Depression)

Stock prices have been falling down these few days. Is this the beginning of the end of USA? 
Whenever I go to USA, I am surprised to see big houses, or so-called mansions which we 
can seldom see in Japan. I just wondered why American can enjoy such a high standard of 
life though the evarage working hours are much less than those of Japanese. Sub-prime 
issue, which is now the biggest economic problems, is the result.
 
+++++++++++++

世界恐慌が、ますます現実味を帯びてきた。
株価は、連日、棒下げに近い状態になっている。
しかしこうなることは、わかっていた。

私は、すでに2000年ごろ、こう書いていた。
「アメリカ経済があぶない」と。

そしてアメリカへ行くたびに、ワイフに
こう言った。

「こんなバカな生活ができるほうが、
おかしい」「毎月30万円しか稼げない人が、
60万円の生活をしている」と。

アメリカ人の労働時間は、日本人のそれより
はるかに短い。その短いアメリカ人たちが、
日本人には考えられないほど、大きく、
立派な家に住んでいる。

日本ではめったに見ない大豪邸が、
場所によっては、ズラズラと並んでいる。

しかも、だ。どの部屋も、煌々(こうこう)と、
明かりがついている。家、丸ごとの冷暖房にしても、
アメリカでは常識。

(日本人のようにチマチマとした冷暖房など、
していないぞ!)

「どうしてあんな生活ができるのか?」、
……という疑問が、こんどのサブプライム問題と
直結している。

つまりその分だけ、この問題の根は深く、大きい。

で、アメリカ政府は、3兆円(日本円で換算)とか、
10兆円とかいう、日本で言う「財政緊急投融資」
(=お金のバラマキ)を始めた。

しかしこんな額ですむような話ではない。

日本のばあい、バブル崩壊直後ですら、30兆円規模の、
緊急投融資をしている。

で、昨日(1月16日)の経済紙を読むと、アメリカの
シティ銀行が、1兆円〜の損失があったとか、なかったとか。

しかしこれも、そんな額ですむはずがない。

日本のばあい、あの債券信用銀行だけですら、4兆円もの
穴があいた。

これらは、すべて税金で穴埋めされたが、アメリカ政府の
動きは、どうも鈍い。言いかえると、アメリカ政府ですら、
身動きが取れない状態と考えてよい。

つまり首が回らなくなった。

ゆいいつの頼みの綱は、中国であり、インドであり、
EUということになる。

日本の経済は、中国特需によって救われた。
今回も、そうなりそうだが、これを機会に、
従来のアメリカ一国主義が、世界全体に分散する
ことになる。

とは言っても、日本も、相当の被害を被ることになる。

覚悟しておこう!


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●メガ・チューズディー(Mega Tuesday)

Feb. 5th is coming soon when which one of them would de decided to be the next President 
of USA, between Barack Obama and Hilary R. Clinton. 

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アメリカ史上初の、黒人大統領が生まれるか。
それとも、アメリカ史上初の、女性大統領が
生まれるか。

その結果が、まもなくわかる。

2月5日、火曜日!

この日、アメリカの20州以上の予備選挙
が集中する。
このマガジンが発行されるころには、
その勝敗が決していることと思う。

もし、Barack Obama氏が勝てば、
アメリカ史上初の、黒人大統領誕生と
いうことになる。

もし、Hillary R. Clinton氏が勝てば、
アメリカ史上初の、女性大統領誕生と
いうことになる。

では、ブッシュ現大統領が率いる共和党
はどうかというと、今回の大統領選挙では、
お呼びではない。

ブッシュ大統領の支持率は、20%台。
06年11月の予備選挙では、民主党が
圧勝。上院、下院ともに、民主党が多数党
となっている。

この流れは、もう変わらない。つまり
Obama氏が勝つか、Clinton氏が勝つか、
それで次期大統領が決まる。

が、Clinton氏についてはよく知っているが、
Obama氏についての情報は、ほとんどない。

父親はケニア人。母親は白人。1961年
生まれ。弁護士。2004年、上院議員に当選。

報道によれば、今のところ、互角だという。

こういう言い方は不適切かもしれないが、
日本にとっては、Obama氏のほうが、好ましい
かもしれない。

若い分だけ、思考に柔軟性がある。
一方、Clinton氏は、NK問題についても、
かねてより、「米朝平和条約を結ぶ」と公言して
いる。

もしそうなれば、日本は、アメリカという後ろ盾
を失うことになる。(すでに、失ったも同然の
状態だが……。)

悲しいかな、今の日本には、NK国や、韓国、
それに中国と、対等に渡り合えるような外交能力はない。
拉致問題ひとつみても、それがわかる。

たぶんObama氏も、同じような路線を打ち出して
くるだろうが……。

しかし現在のライス国務長官をみてもわかるように、
黒人だから、黄色人種の私たちに好意的と考えるのは、
早計である。

人種問題、その底流を支える人種意識は、私たちが
考えているほど、単純なものではない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2416)

●自由とは……(What is the Freedom?)

Freedom means to liberate yourself from physical as well as mental burdons which bind you 
to the ground. But then what is Freedom? To be free means to live knowing yourself. I am 
here. I am living my life. I know what I am.

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「自由」というのは、「自らに由る」という
意味である。
しかし自由というのは、それだけではない。

私は私でありたい。
私は私らしく生きたい。
私はここにいると、それを実感したい。
私は、自分の人生を生きたという実感をもちたい。

それを「自由」という。

しかしその「自由」には、限界がある。
「死」という限界である。

その限界を、どう乗り越えるか。
私たちは、死ぬことで、すべてを奪われる。
すべてを失う。
いくら「私は自由だ」と叫んだところで、
その限界を乗り越えることができない。

それが実は、自由との戦いということになる。

++++++++++++++++++

●親の悪口(To criticize our own parents)

In Japan it is rather a kind of taboo to criricise or sometimes deny our own parents. They 
openly say parents should be respected withour any reasons. But it is true that under this 
social common sense some people are suffering from the burdons, so-called social burdons. 
I used to be one of them.

この日本では、親を批判したり、悪口は
ともかくも、中傷したり、さらに否定したり
することは、タブー視されている。

親をたたえる歌は多いが、その分だけ、
そうでない親をもった子どもの苦悩も
また大きい。

その苦悩の中で、悶絶している人も少なくない。
心理学的に言えば、家族自我群の中で、
幻惑に苦しむということになる。

とくに親子の関係は、本能に近い部分にまで
刷り込みがなされている。
その幻惑から逃れることは、容易なことではない。

では、私はどうか?

父親は、2、3日おきに酒を飲んできては、
家の中で暴れた。

母親にしても、長男が誕生した日に、私の
家にやってきて、あり金すべてもって、
帰っていった。

当時のお金で、24万円だった。

「家」といっても、そのとき、私たち夫婦は、
4畳と6畳の2部屋だけのアパートに住んで
いた。

しかしだからといって、今、私は、父親を
うらんだり、母親をうらんだりしているわけ
ではない。

私の父は、台湾で、貫通銃創といって、アメリカ軍の
銃弾を2発受けている。
今で言うPTSDではなかったか。

母にしても、戦後のあの時代を懸命に生きた。
収入がとぼしい中、懸命に、「家」を支えた。
まだあの時代は、そういう時代だった。

今になって、そういう父や母が、理解できる
ようになった。

しかし同時に、私に残した後遺症は大きい。
私にしても、いまだに、その後遺症に苦しんで
いる。

それについては、また別の機会に書くことにするが、
ともかくも、私たちは、もっともっと自由に
生きてもよいのではないのか。

正直に、声を出して、言いたいことは言えばよい。
言うことによって、自分の心を解放させることが
できる。

親についても、同じ。

しかし同時に、これだけは覚えておくとよい。
もしあなたが、子どもの批判に耐えうるような
親であれば、それはそれでよし。

そうでなければ、結局は、さみしい思いをするのは、
あなた自身ということになる。

こわいぞ〜、親であるということは!


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2417)

【子育て、Q and A・特集】

Here are questions from parents and my answers to them.

Q:祖父母と、子どもの教育問題で対立することが多いが、どうしたらよいか。祖父母は何ごとに
つけ、子どもの教育に対して口をはさむ。

(Grand parents interfere our life and our way we raise up our children.)

A:もう20年近く前ですが、調査をしてみました。その結果わかったことは、つぎのようなことで
す。

まず祖父母と同居するなら、結婚当初、もしくは子どもが生まれる前にします。こういうケースで
は、ほとんどの母親(嫁)は、「祖父母と同居してよかった」と答えています。問題は、途中から
の同居です。特に子どもがある程度大きくなってからの同居は、何かと問題が起きるようです。
その中でも一番多いのが(母親からの回答)、祖父母が子どもの教育に口を出して困る、とい
うもの。子ども(祖父母からみれば孫)を取り合って、壮絶な家庭内戦争を繰り返す人はいくら
でもいます。

 相談の方のケースはどちらかわかりませんが、多分、途中からの同居ではないかと思いま
す。夫婦として、親子として、ある程度「形」ができたところに、祖父母が入ってくるため、どうし
てもそこで摩擦が生じます。この摩擦が、家庭内騒動の原因というわけです。実際、この種の
騒動は、母親も妥協しないため、深刻になるケースがほとんどです。最終的には、別居か、さ
もなくば離婚というところまで発展してしまいます。

 そこでこう考えます。(1)別居か離婚かという段階まで進んでいないようだったら、祖父母に
子どもの教育を分担してもらいます。その分、母親は自分で好き勝手なことをすればよいので
す。こうした割り切りが、家庭に風を通します。祖父母には、「おじいちゃん、おばあちゃんがい
てくださるから、私は助かります」と言えばいいのです。

よく「祖父母の甘やかし」を心配する母親がいますが、全体としてみれば、マイナーな問題で
す。(あなたのご主人よりは、あなたの子どもはよい子どもになるはずです。)まずいのは、祖
父母と父母の教育姿勢がちぐはぐになるときです。子どもが船頭をなくした状態になりますの
で、ご注意ください。

 (2)別居か、離婚かというレベルなら、あとはあなたがご判断ください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●夫との違い

(I have different views of raising up children from my husband. My husband is short-
tempered and rough to our children.)

1 夫の怒りかたが荒っぽくて困っている。できれば話して(言葉で)わからせたいのに、夫は
怒鳴ったり、手をあげることも・・・。

★『夫婦は一枚岩』というのが、子育ての鉄則です。夫婦で意見の衝突があっても、子どもの
前では見せないようにします。また『船頭は一人』という鉄則もあります。こういうケースでは、
母親は、まず父親を立てる。決して男尊女卑的なことを言っているのではありません。たがい
に高度な次元で尊敬しあってこそ、それを「平等」といいます。

子どもの前では、「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と、あくまでも父親の側に立ち
ます。納得がいかないことがあれば、子どもが寝静まったあとにでも、「私はこう思うけど……」
と、意見の調整をします。

★そうでなくても、むずかしいのが子育て。これから先、夫婦の心がバラバラで、どうして子育
てができるというのでしょうか。なおこういうケースでは、夫が怒鳴ったり、手をあげたりしそうで
あれば、その前に、夫の言いたそうなことを前もって、言うようにします。いわゆる夫の機先を
制するということです。「そんなことをすると、お父さんに叱られますよ!」と。夫に抵抗すればす
るほど、夫の心は、あなたや子どもから離れていきます。これは子どもの問題というより、夫婦
の問題かもしれません。どこか夫婦の間に、すきま風が吹いていませんか。私には、そちらの
ほうが気になります。

★なお、親子の信頼感は、「一貫性」で決まります。E・H・エリクソンという心理学者も、「親(とく
に母親)の安定的態度が、基本的信頼関係を結ぶ基礎である」というようなことを言っていま
す。要するに親の心がグラグラしていては、親子の間で、信頼関係を結ぶことができないだけ
ではなく、つづいて、子どもは、園や学校の先生、さらには友人との信頼関係を結べなくなりま
す。よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一本スジの通った子育てをします。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

2 食事中のマナーについて。夫はテレビを見ながら食べている。でも、子どもには、ごはんを
食べるときはテレビを消しなさい」と言ってあるので、子どもの教育上、夫にはテレビを消して、
協力して欲しい。

(My husband does not care watching TV while we are having dinners. I always ask to stop 
TV but he does not follow me.)

★子育ての世界には、メジャーな問題と、マイナーな問題があります。家庭の役目は、家族が
外の世界で疲れた心と体をいやすことです。そのために「家庭はどうあるべきか」を考えるの
は、メジャーな問題。「家庭でのこまごまとした、ルール」は、マイナーな問題ということになりま
す。マイナーな問題に引き回されていると、メジャーな問題を見失うことがあります。そこでこう
したマイナーな問題は、言うべきことは言いながらも、あとは適当に! その時と、場所になれ
ばできればよいと考えて、おおらかに構えます。

★また子どもの世界には、『まじめ八割、いいかげん二割』という鉄則があります。「歯をみが
きなさい」と言いながらも、心のどこかで、「虫歯になったら、歯医者へ行けばいい」と思うように
します。虫歯の痛さを知って、子どもは歯をみがくことの大切さを学びます。それだけではあり
ません。

子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばします。子育てでまずいのは、神経質な完ぺき
主義。家庭が家庭としての機能を果たさなくなるばかりか、子どもの心をつぶしてしまいます。
さらに子どものことで、こまごまとしたことが気になり始めたら、あなた自身の育児ノイローゼを
疑ってみます。

★「しつけ」と「ルール」は違います。「しつけ」は、自律規範のことをいいます。この自律規範
は、初期のころは、親から与えられますが、やがて子どもは、自分で考え、自分で判断し、自
分で行動するようになります。子どもをしつけるということは、いかにして子どもを自律させるか
ということ。一方、ルールは、あくまでもルール。むしろ『ルールがないから家庭』と言います。ま
たイギリスの教育格言にも、『無能な教師ほど、ルールを好む』というのもあります。これを言い
かえると、『無能な母親ほど、ルールを好む』(失礼!)となります。

★ルールは、つくるとしても、家庭では最小限に。夫の立場で言うなら、「家に帰ってきてから
は、のんびりとテレビでも見ながら、食事をしたい」ということではないでしょうか。私なら妻か
ら、そんなこまごまとしたルールを言われたら、気がヘンになります。なお、「食事中はテレビを
見ない」というのは、マナーでも何でもありません。「マナー」というのは、「他人の心を害さない
こと」を言います。

そういうマナーは大切ですが、「テレビを見ながら、食事をしてはいけない」というのは、マナー
ではありません。いわんや「教育上……」と、おおげさに構えなければならないような、問題で
はありません。もしどうしても気になるようだったら、テレビを置く場所をかえるとか、向きをかえ
てみてはどうでしょうか。ちなみに、私は、毎日、テレビを見ながら、夕食を食べています。

★要するに子育てをするときは、いつもメジャーな視点を忘れないこと。いつも、「より大切なこ
とは何か」と考えながら、します。そういう視点が、あなたを親として、大きな人間にします。こま
かいルールで、がんじがらめになっている家庭からは、大きな子どもは生まれません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

3 子どもの習い事など。園のお友だちなどを見ると、習い事をさせる人もけっこういます。子ど
ももやりたがっていることだし、私としては何かやらせてもいいのでは? とおもっているけど、
夫は「まだ早い。子どもはのびのび遊んでいればいい」と。この感覚の違いって、これからもも
めごとの原因になりそうで・・・。

(Many children go to learning schools or piano lessons etc, children of my neighbours. I feel 
nervous about it.)

★親には、三つの役目があります。子どもの前を歩く。子どものガイドとして。子どものうしろを
歩く。子どもの保護者として。そして子どもの横を歩く。子どもの友として。日本の親は、子ども
の前やうしろを歩くことは得意ですが、子どもの横を歩くのが苦手。そういう発想そのものがあ
りません。

こういう相談のケースでも、「(子どもに)やらせる」という発想そのものが、気になります。大切
なことは、子どもの方向性を見極めながら、「あなたはどう思うの?」と、そのつど、子どもの心
を確かめながら、行動することです。習い事をするしないかは、あくまでもその結果です。

★で、習い事をするにしても、この時期は、「楽しませること」を考えてします。(できる、できな
い)ではなく、(楽しんだかどうか)をみます。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす原動力と
なります。もう少し専門的には、「プラスのストローク(働きかけ)」を大切にするということです。

★この時期は、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよい結果を生みます。ですからそのつ
ど、「あなたはよくできる」「あなたはもっとできるようになる」と、プラスの暗示をかけていきま
す。ほかに『一芸論』(子どもに一芸をもたせる。一芸を伸ばす)や、『才能は作るものではな
く、見つけるもの』という鉄則もあります。参考にしてください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●ママ友だちとの違い

1 何かトラブルがあると「うちの子にかぎって、そんなことはしない!」と、決まって言う母親が
いる。自分の子が原因になっていても、よその子から疑うなんて。「他人は他人」と思っていて
も、やっぱり頭にきちゃう!

(I have some troubles with young mothers.)

★反面教師という言葉があります。あなたのまわりに「親バカ的な人」(失礼!)がいたら、いつ
も「自分はどうか?」と自問してみます。そういう親を非難するのではなく、自分自身が伸びるた
めの反面教師にします。このケースでも、「頭にきちゃう」ではなく、「親というのはそういうもの。
ならば自分はどうなのか?」という視点でみるようにします。そうすれば、少しは怒りがおさまる
はずです。

★このケースで気になるのは、むしろ相手側の親子です。「うちの子にかぎって」と思っている
親ほど、子どもの心がわかっていない。それだけではない。ひょっとしたら、その子どもは、親
の前で、いい子ぶっているだけ? こういうのを「仮面」といいます。さらにひどくなると、心(情
意)と、表情や言動が遊離するようになります。不愉快に思っているはずなのに、ニコニコ笑う
など。こうなると、親の側から見ても、自分の子どもが何を考えているかわからなくなります。親
子断絶の初期症状と考えて、警戒します。

★信頼関係を築くためには、(さらけ出し)→(心を開く)というプロセスを踏みます。「どんな恥
ずかしいことでも、たがいに言いあえる」「何をしても、何を言っても、たがいに許しあえる」とい
う関係があってはじめて、信頼関係を築くことができます。親子とて、例外ではありません。しか
し今、信頼関係どころか、親子でも、心を開けないケースが、ふえています。先日も、私に、「う
ちの子(小二男児)がこわいです。私のほうから、あれこれ言うことができないので、先生のほ
うから言ってください」と言ってきた、母親がいました。

★一方、心を開けない子どもは、開けない分だけ、心をゆがめます。いじける、ひがむ、つっぱ
る、ひねくれるなど。それを防ぐためにも、子どもには、まず言いたいことを言わせ、したいこと
をさせます。その上で、よい面を伸ばし、悪い面を削るようにします。相手側の親子には、そう
いう姿勢が感じられません。ひょっとしたら溺愛ママ? 自分の心のすき間を埋めるために、子
どもを利用しているだけ? そういう視点で見てあげると、さらに怒りがおさまるかもしれませ
ん。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

2 育児論に自信があり、「私の子育ては正しくて間違いはない!」と言ってはばからないママ
が園にいる。みんなそれぞれなのに、人の子育てにも口を出してくる始末。もう、ほっといてほ
しいのに。

(So-called expert mothers interfere my own child. It is nothing to do with them. Please 
leave me alone!)

★ほかの親とのつきあいは、『如水淡交』が原則。「淡く水のように」という意味です。中に、自
己中心的で、押しつけ的なことを言ってくる親もいますが、そういう親とは、サラサラと水のよう
に交際するのが、コツです。

この世界、その底流では、親たちのドロドロの、それこそ血みどろの戦いがウズを巻いていま
す。それに巻き込まれると、かなり神経の太い人でも、参ってしまいます。だから交際するとし
ても、園や学校の行事の範囲だけにとどめます。決して深入りしてはいけません。間に子ども
がいるため、一度、こじれると、この種の問題は、とことんこじれます。もしどうしても、ということ
なら、あなたの子どもが通っている園や学校とは、直接関係ない世界に住んでいる親と交際す
るようにします。

★ただ子育てで注意しなければならないのは、カプセル化です。カプセル化というのは、親子
だけの狭い世界でマンツーマンの生活をすることいいます。そしてその世界だけで、独自の価
値観を熟成してしまう……。家族が、ちょうど小さなカプセルに閉じ込められるようになるので、
カプセル化といいます。

一度カプセル化すると、同じ過干渉でも、極端な過干渉、あるいは同じ溺愛でも、極端な溺愛
になりますから、注意します。それを防ぐためにも、自分のまわりは、いつも風通しをよくしてお
きます。つまりたがいの情報を交換することは悪いことではありませんので、「ほっといて!」で
はなく、「また教えてね!」というような、つきあい方に切りかえてみてはどうでしょうか。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

3 うちによく遊びに来る子が、まったくしつけされていない。人の家の冷蔵庫を勝手にあけた
り、寝室(入ってはダメと言ってある所)に入ったり・・・。しかも、それを見ても、本人の親は何も
注意しない!「おたくのしつけ、どうなってるの!」って感じ。「もうこないで!」と言いたいが、子
ども同士は仲がいいので、言えない。

(Some of the kids who come to my house and play with my son are not well-educated. They 
are rough. What shall I do?)

★こういうときの鉄則は、ただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』です。相手の子どもの行
動のどこか、どのように悪いかを、子どもに話しても、決して相手の子どもの名前を出してはい
けないということです。「よそのうちの冷蔵庫を勝手にあけるのはよくないね」「そのおうちの人
が入ってはいけないという部屋に入ってはいけないね」と、です。

こういうケースで、「○○君とは遊んではダメ」と、子どもに言うことは、子どもに、「親を取るか、
子どもを取るか」の択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよし。そうでなけ
れば、あなたとあなたの子どもの間に大きなキレツを入れることになりますから、注意してくだ
さい。なおこの鉄則は、これから先、あなたの子どもがおとなになるまで、有効です。

★で、あえて言うなら、あなたの子どもは、その子どもといっしょにいることが、楽しいのです。
子どもというのは、無意識のうちにも、居心地のよい仲間とつきあいます。つまり『類は友を呼
ぶ』です。そこで大切なことは、あなたの子どもにとって、どこがどう居心地がよいかを知ること
です。ひょっとしたら、あなたのほうが、ガミガミとこまかいしつけをし過ぎていませんか。……
そうではないと思いますが、そんなことも疑ってみることも、ときには大切です。

★これから先、あなたの子どもは、無数の人間関係を、いろいろな場所で結びながら、その間
でのやりくり、つまり社会性を身につけていきます。そういう意味では、悪友もまた、必要なので
す。社会に対する免疫性も、そこから生まれます。だからといって悪いことを容認せよというわ
けではありませんが、一般論として、非行などのサブカルチャ(下位文化)を経験した子どもほ
ど、社会人になってから常識豊かな人になることも、よく知られています。「悪いからダメ」式
に、子どもを押さえつけるのではなく、むしろ逆に、「あの子はおもしろい子ね」式に、相手の子
どものよさを発見してみてはどうでしょうか。


+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●義父母・父母との違い

1 子どものほしがるものは何でも与えてしまう姑。特に、お菓子やおもちゃは、わが家なりの
ルールを決めて、守らせたいのに。今まで一生懸命に言い聞かせてきたのが無駄になる!

(My grand parents are such people who are too sweet to my son and daughter. They are to 
spoil them in a sense.)

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせれば、
子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをしました。今でも、
日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマスなどに、より高価なプレ
ゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与えれば与えるほど、子どもの心
をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれは誤解。むしろ、逆効果。

イギリスの格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、いっしょに釣りに行け』というのが
あります。つまり子どもの心をつかみたかったら、モノより、思い出というわけです。しかし戦後
のひもじい時代を生きた人ほど、モノにこだわる傾向があります。「何でも買い与える」という姑
の姿勢の中に、その亡霊を見ることができます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼の子」
として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありません。あなたの姑がそう
だとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹にかかわる問題なので、簡単には
なおらないということです。あなたの姑も、子ども(孫)の歓心を買うことにより、「いいおばあち
ゃん」でいたいのかもしれません。

そこでどうでしょうか。この私の答を、一度、姑さんに読んでもらっては? しかし子育てには、
その人の全人格が集約されていますから、ここにも書いたように、簡単にはなおりません。時
間をかけて、ゆっくりと説得するという姿勢が大切です。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

2 嫁と舅・姑の違いって必ずあるし、それはしかたないことと割り切っています。でも、我慢し
て「ノー」と言えないのでは、ストレスもたまるいっぽう。同居するとますます増えそうなこのモヤ
モヤ。がまんにも限度があると思うから、それを越えてしまったときがこわい!

(I can't bear living together with my parents-in-law.)

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別居
か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるしかありませ
ん。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)にかけてみると、メリット
のほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居しているケースでは、ほぼ、一〇
〇%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあいも、
祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。仕
事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょにいてくださるの
で、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、子どもに影響が出るこ
ともありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自身の自己意識が育ってくれ
ば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないようにしてください。

★なお、「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査してみ
たことがあります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子どもの教育
に口を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教育に口を出す祖
父母の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、変化しつつありま
す。そこで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、あなたが祖父母になっ
たとき、(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そういうストレスを、つぎの若い夫
婦に与えないようにします。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

3 何かあると自分の子育て論で迫る母。「昔は8か月でオムツが取れた」とか「昔は○○だっ
たのに」など、自分の時代にことを持ち出して、いい加減なことばかり。時代は進んでいるの!
 今のやり方をもっと認めて!

(My mother always compare me with older people like my mother. It is her common way of 
saying that older time is better than now.)

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、アメリカ
の詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。数十万年
もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私は、このこと
を、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」も、「昔のやり方」も
ないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子離れど
ころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係は、危険な
状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなたが相手を思うよ
うに、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返報性」と呼んでいます。
つまりあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」と思っているということは、まっ
たく反対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風って、何よ。いやな嫁」と思っているとい
うことです。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関係で
す。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そこでどうでし
ょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なるほど、そうですか!」と
もちあげてみるのです。

最初は、ウソでもかまいません。それをつづけていると、やがて姑も、「よくできた、いい嫁だ」と
なります。そしてそういう関係が、子育てのみならず、家庭そのものを明るくします。どうせ同居
しなければならないのなら、割り切って、そうします。こんな小さな地球の、こんな狭い日本の、
そのまたちっぽけな家庭の中で、いがみあっていても、し方ないでしょう!


+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子育て観の違い

 子育てにかぎらず、ものの考え方や価値観のちがいは、あらゆる場所で、ごく日常的に起き
ます。ここにあげたもののほか、園や学校の先生との衝突やズレ、もっと大きくは、国の教育と
の衝突やズレなど。

 しかしこうした考え方や価値観のちがいを感じたときの鉄則は、それと戦うのではなく、それ
を乗り越えるということです。夫との対立、ママ友だちとの対立、さらには、祖父母との対立にし
ても、それと争っても意味はありません。「対立する」ということは、相手と同レベルであるという
ことを意味します。相手はまちがっていると思えば、相手も、あなたをまちがっていると思うも
の。そういう状態では、争えば争うほど、袋小路に入ってしまいます。では、どうするか?

 相手が納得するような、さらに高次元なものの考え方や価値観を、こちら側が追求します。そ
して結果として、相手のものの考え方や価値観を乗り越えます。相手が、それに気づいたと
き、対立は、ごく自然な形で、消滅します。たとえば……。

●山には登る

 遠くから見ると、低く見える山でも、登ってみると、意外と視野が広く見えるもの。子育ても、そ
の山登りに似ています。つまり高い山に登れば登るほど、それまでの自分がいかに小さな世
界で、右往左往していたかがわかります。

 そこでもし、相手がだれであるにせよ、その相手と子育ての見方、考え方で衝突したら、自分
の視野を高めることだけを考えます。相手の人が、つまらないと思えるなら、なおさらです。衝
突するということは、自分も相手と同じレベルだと認めるようなもの。しかしあなたが一歩、先に
出れば、相手が、小さく、とるに足りない相手とわかるはずです。たとえば私は、幼児や、暴走
族の若者たちに、「バカ!」と言われても、気にしません。もとから相手にしていないからです。
要するに、相手の子育て観を気にしないほどまでに、自分の子育て観を高めるということ。そ
の一つのヒントとして、「許して、忘れる」があります。

●子育ては、「許して、忘れる」の連続

 子どもへの愛情の深さは、どこまで子どもを許し、忘れるかで決まります。つまりどの度量の
広さこそが、親の愛の深さということになります。その「許して、忘れる」、英語では、「フォ・ギブ
&フォ・ゲッツ」と言います。「フォ・ギブ」という単語をよく見ると、「与える・ため」とも訳せます。
また「フォ・ゲッツ」は、「得る・ため」と訳せます。つまり「許して、忘れる」は、「子どもに愛を与
えるため、許し、子どもから愛を得るため、忘れる」ということになります。

 もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろということではありません。ここでい
う「許して、忘れる」は、子どもにどんな問題があっても、また何か問題が起きても、子どもは、
ありのまま受け入れ、認め、そして許すということです。そういう視点で、もう一度、あなたの身
のまわりで起きている問題をながめてみてください。あらゆる問題が、ささいな問題に見えてく
るはずです。

●さらに自分を高めるために……

 子育てをしていて、道に迷ったら、つぎの四つの方向から、子どもをみます。まず未来をみ
る。あなたは子どもを育てているのではない。あなたは、子どもに子どもの育て方を教える。そ
れが子育てだ、とです。「あなたが親になったら、こういうふうに子ども(あなたからみれば孫)を
育てるのですよ。お母さんは、今、その見本を見せてあげるから、よく見ておくのですよ」と。そ
して同時に、「幸せな家庭というのは、こういうものですよ」「家族というのは、こういうふうに助
けあうのですよ」と。

 つぎに子育てをしながら、自分の過去をみます。もしあなたが、恵まれた環境で、何不自由な
く、両親の温かい愛に包まれて育てられたのなら、それでよし。そうでないなら(大半の人が、
そうですが……)、心のどこかがゆがんでいないかを冷静に判断します。ゆがんでいることが、
問題ではありません。そのゆがみに気づかないまま、同じ失敗を繰りかえすことが、問題で
す。しかしこの問題は、そういう過去があったということに気づくだけでも、そのほとんどが解決
したとみます。

 三つ目に、自分の子育てを「上」からみます。その視点は高ければ高いほど、よいということ
になります。まず近くの人の子育てをのぞいてもます。つぎに親戚や友人など。さらに世界の子
育てなど。子育てをしていて一番、こわいのは、「うちの子のことは、私が、一番よく知ってい
る」という過信と誤解。そして独断と偏見の世界に入ることです。子どもはたしかにあなたから
生まれますが、生まれたときから、別の人格をもった、一人の人間です。もっと言えば、世の中
にいる無数の人たちの一人、ということです。つまり子どものもつ可能性にせよ、人間性にせ
よ、あなたには、わかっている部分より、わかっていない部分のほうが、はるかに多いというこ
とです。そういう一歩退いた、謙虚な見方が、子どもを伸びやかな子どもにします。

 最後に、自分の心の中をのぞいてみます。ある母親は、自分の子ども(二歳男児)が、生死
の境をさまようような病気になったとき、「私の命は、どうなってもよい。私の命と交換してでもよ
いから、あの子の命を救ってほしい」と、願ったといいます。こうした「自分の命すらも、おしくな
い」という至上の愛は、まさに人は、子どもをもってはじめて知ります。子どもは、ただの子ども
ではない。あなたに、もっと大切なことを教えるために、今、あなたのそばにいる……。つまり
あなたが子どもを育てるのではない。子どもが、あなたを育てます。これから先、あなたは幾多
の山を越え、谷を越える。平凡は美徳ですが、平凡から何も生まれません。子育ては重労働で
す。ある心理学者は、「母親にとっての家庭は兵舎と同じ」というようなことを書いていますが、
楽な子育てというのはありません。しかしそういう苦労が、無数のドラマをつくり、あなたの人生
を、心豊かなものにします。立ちはだかる困難を恐れないこと。今、あなたのまわりで起きつつ
ある、さまざまな問題は、その第一歩ということになります。逃げるのではなく、勇気を出して、
そうした問題と取りくんでみてください。応援します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【はやし浩司先生へ】

In Japan we used to have two systems to care pre-school children, one is Hoikun-en 
(Nursery Cebter) and anotherone is Yochi-en (Kindargaten). This mother who sent me an E-
mail is worrying about which is better for her child.

●保育園VS幼稚園

娘のKは、生後六か月の頃から保育園に通っています。

今から考えれば笑い話なのですが、初めての育児でどうしたらよいかわからず
一人で悩んでどうにかなりそうだったので、六か月で育児休暇を切り上げ、
保育園に入れ、仕事に復帰したのです。

保育園の先生方は、私の悩みを聞いてくれたり、色々なアドバイスをしてくれました。

娘のKは、人見知りしない子だったので(今もですが)どの先生にでも抱っこされて、
大変かわいがってもらいました。(今もです)。

娘のKも、異年齢のお友達と遊びながら、時にはお姉ちゃん、時には妹となり、楽しく遊
んでいます。保育園に入れて良かったと感じています。

ところが、最近、一部のお母さん方に「Kちゃんは、どこの幼稚園に行くの?」と聞かれるので
す。

小学校まで今の保育園のままだと答えると、「えー!」と驚かれます。

「SSの幼稚園はひらがなを教える」とか「AA幼稚園は算数を教える」と言うのです。

更に「保育園出身では授業中じっと座っていられない」と・・・。
私達(夫婦)は、今の保育園で十分満足していますし、ひらがなや簡単な算数なら
普段の生活の中で少しずつ覚えていくと考えています。
(実際、ひらがなは自然と覚えていきましたし、数字にも興味津々です。)

幼稚園出身児に比べ、保育園出身児は授業中じっと座っていられないのでしょうか?
小学校でじっと座っていられるように、今から訓練(?)させるなんて、おかしいような気がする
のですが・・・。
それとも私達がおかしい・・・?

先生のお時間がある時にご意見を聞かせて頂ければ嬉しいです。
長々とすみませんでした。
(佐賀県U市、TEより)

+++++++++++++++

【はやし浩司より、TEさんへ】

 保育園児だからとか、幼稚園児だからという区別は、まったくナンセンスです。最近では、教
育カリキュラムにしても、保育園の幼稚園化が進み、区別できなくなっているのが、現状です。

保育園は旧厚生省管轄、幼稚園は旧文部省管轄という点だけをのぞけば、外から見たところ
では、区別できません。保育園と幼稚園の一本化が叫ばれる理由は、こんなところにもありま
す。(保育時間などの違いは、ありますが……。)

 さらに保育園児だから、じっと座っていることができないとか、幼稚園児だから、座っているこ
とができるとか、そういう区別も、ナンセンスです。問題の「根」は、もっと別のところにありま
す。まったく関係ないと断言できます。

 で、先取り教育と幼児教育、さらに早期教育は区別して考えます。小学校で勉強することを、
先に教えるのが、先取り教育。今、私の住む地方でも、掛け算の九九を教えている幼稚園が
あります。典型的な先取り教育です。
 
 幼児教育は、幼児期にしておくべきことを教える教育です。それについては、私の専門です
から、またマガジンを参考にしてください。

 で、早期教育ですが、これには、いろいろな意味が含まれます。(こういうふうに、区別して考
えるのは、正しくないかもしれませんが……。)たとえば音感やある種のスポーツなどは、かな
り早い時期から訓練を開始したほうがよいと言われています。たとえばピアノ演奏の練習など
は、満一〇歳を過ぎてから始めても、遅いと言われています。だから早い時期から、教育を始
める……。これが早期教育です。

 文字、数の学習については、私のサイトのあちこちに書いていますので、どうか参考にしてく
ださい。大切なのは、この時期、できる、できないではなく、前向きな姿勢が育っているかどう
か、です。文字や数を見たとき、逃げ腰になっているようであれば、失敗ということです。そのた
めにも、この時期は、「楽しい」ということだけを教え、あとは子ども自身がもつ力に任せます。

これが幼児教育です。

 あまりよい回答になっていないかもしれませんが、私は、TEさんの今のやり方で、よいと思い
ます。もちろんすぐれた教育を実践している幼稚園も多いので、一度、見学などをなさってみら
れたらいかがでしょうか。あくまでも「先生」「園」「園長」を見て、判断なさることだと思います。

園の選び方などは、たまたま一月七日号のマガジンに、簡単に書いておきました。どうか、参
考にしてください。

 なおいただきましたメールを、マガジンに転載しますが、よろしくご了解ください。ご都合の悪
い部分があれば、改めます。

                                はやし浩司

******************************************************************************

Q:2週間程前に、長女と次女の事で相談のメールを送りました三重県のTTです。

 その後、今までは、主人の両親が車で3分のところに住んでいますので、次女は主人の義母
に預けて、義母が都合が悪い日は義父に見てもらっていたのですが、二人ともボランティアや
町内会の仕事などで忙しく、また幼稚園を休むようになってからは次女を一日中見てもらわなく
てはならなくて、それで疲れている様子も見られたので、先週から私の母が月曜から金曜まで
泊まりで来てくれています。1週間はそれで喜んでいた次女もやはりそろそろ「ママがいい!」と
言い始めています。それは、もうしょうがないことなんだと思っています。

 最近私は、長女の「学校へ行く」「行かない」の言葉に家族や祖父母までが振り回されてしま
っている、ということを思うようになりました。
 
 確かに学校へは行って欲しいですし、私が付いていくことで行けるのであればそれを続けた
いと、思っていました。また、そうしているうちに一人で行けるようになるなら、それまではと思っ
ていました。そして、私が教室にいなくても大丈夫になっているのだし、もう少し。。。と。  

でも、その為に妹や祖父母を巻き込んでしまってもいいのか?と思い始めました。長女が「学
校へ行く」「行かない」は本人の問題としてうけとめ、本人が決める事で、その事に私が振り回
されず、次女もいるので私は家にいた方がいいのではないか。 それで、今は行けている学校
へ行かなくなってしまっても、それはそれとして受け止めるしかないのではないのでは、と思うよ
うになりました。 でも、主人はそこまでは思えないようで、やはり学校で学び続けることを望ん
でいます。 それも解るのですが・・・はやしさんはどう思われますか?ぜひ、ご意見をお聞か
せ下さい。よろしくお願いします。

三重県TTより


A:拝復
メール、ありがとうございました。

この種の問題を考えるときは、
(1)どうにかなる問題と、
(2)どうにもならない問題の二つに分けて
考えます。
まず(2)のどうにもならない問題は何かということを
選り分けて、それについては、あきらめ、受け入れます。
それをまずはっきりと納得してください。

TTさんのばあい、協力的な義父母、それに母親が
いらっしゃるようなので、まずもって、たいへん
恵まれた環境にあることを忘れないでください。
多少ぎくしゃくすることがあるでしょうが、しかし
恵まれていることは事実です。

次に私のところへ寄せられる相談の中でもTTさんの
ケースは、軽いです。たいへん軽いケースです。
ですから、その程度の問題は多かれ少なかれ
どの家庭にもあると思ってください。外から見ると
どの家庭もうまく言っているように見えますが、
問題のない家庭はありませんよ。

さて本論ですが、不登校の問題は、とにかく
こじらせないこと。わかりやすく言えば無理をしない
こと。どこかに親や子どもを怒鳴りつけて不登校を
なおす(?)女性がいるそうですが、ああいった
やり方は邪道中の邪道です。今の状態をより悪く
しないことだけを考えて、とにかく心静かに対処します。
私のサイトの中に「不登校」がありますので、
どうかお読みください。
(実のところ、先週、私のパソコンにウィルスが入り、
鈴木さんのメールも含めて、すべて削除してしまい
鈴木さんの前回のメールをなくしてしまいました。
ですからもう一度、前回のメールを送って
ほしいと思っているような次第です。)

メールから察するに、あなたと義父母との関係は
どこかぎくしゃくしているように思います。
ひょっとしたら、あなたがあまり他人に心を
許さないタイプなのかもしれません。もう少し
心を許してみたらどうでしょうか。
巻き込んでしまってよいものかどうかという問題ではなく、
今は協力してもらうしかないと思います。
頭をさげて、あなた自身がすなおに助けを
請えばよいのです。「お父さん、お母さん
助けてください」とです。どこかであなたがへんに
がんばればがんばるほど、あなたも疲れますが
義父母も疲れますよ。

あなたのお母さんについても、そうですが、
「ママがいい」とのこと。そのあたりは、
だからといって、次女に問題がないようであれば、
受け入れてもらうしかないだろうと思います。
しっかりと説得すべきことは説得しながら、
事情を受け入れてもらうのです。もう
それが理解できる年齢にはなっていると
思います。

「長女が「学校へ行く」「行かない」は本人の問題としてうけとめ、本人が決める事で、その事に
私が振り回されず、次女もいるので私は家にいた方がいいのではないか。それで、今は行け
ている学校へ行かなくなってしまっても、それはそれとして受け止めるしかないのではないので
は、と思うようになりました。」とのこと。

……私もそう思います。本人がいちばん緊張状態にあることを
わかってあげましょう。この問題は、もう少し長い時間的経過をみながら
考えます。親は「3か月くらい」と思うかもしれませんが、私は一年単位
とみています。一年単位で気長に見るしかないのです。
サイトの「ポイント」(トップページより)のどこかに書いておきましたので
一度、お読みになっていただけませんか。

どちらにせよ、前回のメールをなくしてしまいましたので、
詳しくはお答えできません。ごめんなさい。
今日はこれで失礼します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:はじめまして

About the troubles between children, this mother sent me an E-mail, saying what she should 
do in sunc and such case.

長女8歳(小2)と長男6歳(年長)の二人の子をもつ母です。子供の友達関係の事
でメールしました。

長女は一人では遊ぶのが苦手で友達と遊ぶのが大好きな子なんですけど、7月頃から
友達と遊ぶ事がなくなりました。最初は一人でいたい時もあるのかなと思い気にして
なかったんですが、夏休み明けに偶然、公園で長女の同級生の何人かに会った時のこ
とです。同級生の子の一人がお菓子を持っていたのでみんなに配っていたのですが
「○○ちゃん(長女)にはあげない」と言ってくれませんでした。長女は悲しそうな
顔をするだけで何も言いません。そして次の日に他の同級生にあった時、長女は友達
と遊びたくて走って駆け寄ったら、みんな逃げて行ってしまったのです。その日から
そうゆう光景を何度か目にしています。それ以降気をつけて学校の様子を聞くと「放
課後は一人で本を読んでいるか、友達が遊んだりゲームをしているのを見ている」と言
います。仲間に加わる事はないみたいです。心配なので先生に上記の出来事を伝え、
様子を聞いたのですが「特に仲間ハズレにされている所はみかけません。」と言われ
ました。親の私からみると長女は気が弱いところがあったり少々難点はあるけれど、
特に問題のある性格だとは思ってなかったのですが、現状は友達と遊びたくても上手
くいってません。友達との事については話したがらないのであまり聞く事ができませ
ん。女の子は高学年になると派閥ができたり影でいじめがあったりすると聞き心配で
す。長女の学年は1クラスなので仲間ハズレにされたら小学校の間中ひとりでいるこ
とになりそうで怖いです。長女の友達に長女の事をどう思っている?と言う事も聞き
にくいので、どうしていいのかわかりません。

長男のことですが、お調子者で融通がきかない性格をしています。幼稚園で男の子同
士の争いも多いようで、長男は口が達者ではないし喧嘩でも負けることが多くてよく
拗ねたりごねたりします。友達から見下されていてリーダー格の子の気分で仲間ハズ
レにされることも少なくないようです。年少の頃から登園拒否をすることが何度もあ
りました。それでも今年の春までは男の子達のグループと遊んでいました。最近は仲
間に入れてもらいたいと言っているのですが、クラスの男の子の誰とも遊んでもらえ
ないのでしかたなく女の子と遊ぶ日が続いています。明るく振舞っているので先生に
分かってもらおうと長男の気持ち(男の子の仲間に入りたくても入れてもらえない。
一緒に遊ぼうと言っても無駄だからいじめられないように近寄らないようにしている
事)を伝えたのですが先生の態度は今までと変わっていませし、園での様子を聞いて
もあまり話してもらえません。長男の友達の一人が言うことには長男はよく怒ってい
るそうです。

来年は小学校に入りもっと親の目がいき届かなくなるので今のうちに状態を良くした
いと思うのですがどうすればいいのかわかりません。小学校は一クラスしかなく、今
の友達がみんな同じ学校に入るのでこれから先が不安です。どうしたら今の状態から
抜け出すことができるのでしょうか?

ところで先生にお聞きしたい事があるのですが、いじめはいじめる子だけに問題があ
ると思われますか?いじめられる子にもなにか原因があるのでしょうか?

一回のメールでずうずうしく二人分の相談事をしてしまいましたが同時に悩んでいま
す。私の育て方に問題があるのでしょうか?アドバイスをよろしくお願いします。

【はやし浩司より】

A:メ−ルありがとうございました。

親の心配は尽きないものです。特に子どもの人間関係には
気を使います。子どもが仲間とうまくつきあってくれればそれでよし。
そうでなければ、これまた頭痛のタネです。心配もそこから生まれます。
しかし子どもは、外の世界で、そのつどつらい思いをしながら、人間的に
成長していきます。この「つらさ」を、どこでどの程度与えるか。いいかえると
親は子どもが感ずるであろう「つらさ」にどこまで寛容であるかということに
なります。

一つのポイントは、(1)子どもが、そのつらさに耐えられる範囲であれば、
親としては苦しいことかもしれませんが、がまんするしかないということです。
口を出したり、介入すればするほど、結局は子どもが社会性のない子どもに
なってしまいます。問題を先送りするだけになってしまうということです。
(2)しかし親の目から見て、子どもに何らかの情緒的、精神的変化が見られたら
そのときは、積極的に介入していきます。(神経症、情緒不安症状、何らかの
精神障害的な症状などが見られたら、ということです。
神経症などについては、私のサイトに書いておきましたので、参考に
してください。)

メールの内容ですと、お嬢さんの先生も、弟さんの先生も、それほど積極的に
(つまり深刻に)考えておられないということは、一応プロの目から見て、
「あまり問題ない」とみておられるのではないかということです。
つまり「よくある、日常的な問題」という範囲ではないかということです。
先生には、問題をすでに話しておられるということですので、学校や幼稚園での
問題は、先生と子どもに任すしかないと思います。

そこで家庭ではどうするかということですが、(1)外の世界でかなり神経を
するへらしているようであれば、(実際、そうでしょうが……)、家の中では
子どもの生活をゆるめます。家庭の役割を、「しつけ」から、「やすらぎの場」へと
変化させます。多少、親に向かって生意気なことや、乱暴なことを言っても
許します。「ああ、うちの子は、外でつらい思いをしているから、家の中で
荒れるのだ」とです。そうして暖かい、濃厚なスキンシップのある家庭に
します。(日本人は本当にスキンシップのない国民です。少なすぎます!)

二人のお子さんに社会性(問題解決の技法として、人間関係をうまく調整
できないこと)は、多分に、お母さんの育て方に問題があったようです。
あなたはお子さんが小さいとき、親子だけの、マンツーマンの世界だけで
子育てをしませんでしたか? お子さんが「ものわかりのよい人」だけの
世界で育てられると、いわゆる社会性のない子どもになります。
今でもそうですが、お母さんの心配過剰な子育てが、(イコール過保護が)
今の状態を作り出していると考えてもよいのではないでしょうか。

もっとも過去のことを持ち出しても、いまさらどうにもなりませんが、
要するに、(1)もうこれから社会性のある子どもにするのは、たいへん……
というより、あきらめます。その上で、(2)「うちの子どもは、こんなものだ」
「人間関係が苦手なのだ」とわかってあげることです。オールマイティな
子どもを望まないこと。そういう子どもを求めないこと。約30%の子どもは
あなたのお子さんのようですし、集団行動を嫌います。(子どもだから
遠足や運動会が好きなはずと考えるのは、まちがいです。)
年長児になったら、子どもの「核」が見えてきますので、その核にあわせた
子育てを考えます。得意な面、苦手な面がはっきりしてくるということです。

少し問題を感ずるのは、お姉さんのほうです。

外の世界で、仮面をかぶっていませんか。いい子ぶったり、心の
状態を隠したりするとか。あなたというお母さんの前ではどうですか?
もしそうなら、過干渉、過関心を疑ってみてください。うれしかったら、
うれしそうな顔をし、そうでなかったら、そうでな顔をする。そうであれば、
問題はありません。心がつかみにくいと感ずるようであれば、少し
様子をみてください。あなたの前でおおいに甘え、おおいに言いたいことを
行っているようであれば、問題はありません。

弟さんは、女の子と遊ぶのが好きということですが、
これはお母さんの影響力が強すぎた(父親の影が薄い?)ということです。
今、そういう子どもは(男の子)は珍しくありません。
(実のところ、私も、母親との交際が主体なため、女性が集まる講演会は
得意ですが、父親が集まる講演会は苦手です。そういうものです。)
これも過去の育て方の問題に踏み込んでしまいますので、
いまさら問題にしても意味がありませんね。まあ、そういう状態なら
そういう状態でいいのではないでしょうか。やはり男児でも、実際
約30%(推定)は、女の子と遊ぶのが好きなどと言っています。
(実際のところ、小学校の低学年児でみるなら、最近では、
いじめるのは女の子、いじめられるのは男の子という図式がもう
20年ほど前からできています。男の子がやさしく、その一方で
昔的なたくましさをさくしているのは事実です。家庭環境、教育環境、
さらには環境ホルモン説までありますが、ともかくも事実はそんな
ところです。)

いじめについてですが、内容はきわめて複雑です。単なるいじわるから、
嫉妬がからんだ陰湿なものまで、いろいろあります。
本能的な闘争心に根ざすいじめもあれば、いじめられる前に
別の子どもをいじめるという防衛的ないじめもあれば、また
ストレスを発散するためのいじめもあります。で、それぞれの
ケースで、いじめられる側の問題も変わってきます。ですから
ご質問の件には、「あります」とも、「ない」とも答えられません。
(いじめを論じたら、それだけで膨大な量になってしまいます。
近くサイトにまとめておきますので、またサイトをご覧になってください。)

あなた様のケースでは、まだ「いじめられている」という段階ではないように
思います。年齢も小さいですし、本格的な「いじめ」は、そんなものではないです
よ。
熾(し)烈というか、陰湿というか、もっともっと激しいものです。
もしそうであれば、それはそれとして問題にしますが、メールの範囲内で
あれば、「よくある通常の悪戯」と考えていいのではないでしょうか。

で、問題が一つあるとすれば、あなた自身のことです。
過関心? 不安神経症? 過保護? ……などが疑われます。
お子さんが自分で外の世界でがんばっているようであれば、子どもの
世界のことは子どもに任せて、あなたは少し、親業から離れて、
つまり子育てを忘れて、外の世界を見たらいいのではないでしょうか。
そうでないと、あなた自身が、精神的にまいってしまいますよ。
お子さんがリーダー格の子どもの「下」に入るのは、親としても
どこかなさけない気持ちになるものですが、この段階では、どうにも
なりません。もし心配なら、お子さんの「一芸」を伸ばすようにします。
私のサイトから「一芸論」を検索して、どうか参考にしてください。
ヤフーで、「はやし浩司 一芸論」を検索すると、読んでいただけると
思います。要するに、「下」に入ったからといって、それがずっと続くものでは
ないし、リーダー格だから、それがずっと続くというものではないということです。
「下」にいる子どもでも、下を学ぶことによって、やがてべつのところで
リーダーになったり、あるいは同時に別のところで子分になったりしながら、
複雑な人間関係を展開するようになります。ここは静観したらよいと思います。
(親として、すべきことはないので……。)

いただく相談はもっともっと深刻なものが多いですよ。それにくらべたら、
二人とも、問題なく、いいお子さんのようですから、お母さんは
もっと自信をもって前向きに進んでください。親としてすべきことがあるなら、
キズついて、疲れて学校や幼稚園から帰ってくるお子さんを、暖かく
迎えてあげることぐらいしかもうありません。「よくがんばっているわね」と
お子さんの心を理解してあげてください。そういうねぎらいが、お子さんの
心をいやし、疲れを取ります。今のところ、初期症状としての神経症は
出ていないようなので、この点はうまくいっていると判断されます。

お母さんはお母さんで、そろそろ子離れの準備をします。子どもは小学
3年生くらいから親離れを始めますよ。お母さんはお母さんで子育てを
忘れられるような環境を自分の周囲に用意します。

何か神経症的な、心の問題が出てきたときには、また相談してください。力に
なれます。では……。

Q:はじめまして・・・。高3と中3の娘をもつ母親です。次女のことで、「ず〜〜っと」悩んでおりま
す。(涙)。
もっと早くに、このページにめぐりあっていれば・・・と後悔しきりです。中日新聞の「子育て論」
は読んでいましたし、一度、講演を聞かせていただいたこともあります。次女は中2の頃から、
目だって悪くなった様です。生活態度、言葉づかい等・・・昨年暮れ頃から、一つ年上の「彼氏」
ができ、すぐに、心配な交際(あえてそう言わせていただきます)の仕方となり、「最後の一線」
までは、どうか・・・親としては、それだけは守っていてほしい!と思うのですが、定かではありま
せん・・・このような心配は、私がたまたま耳にした、二人の電話でのやりとりや、手紙の内容
(いけない事とと承知で見てしまった)から、生じました。かなり衝撃的な内容で、(とても口では
いえない様な・・・性的表現)非常にショックを受けました。・・・いつからこんな子に・・・!?
と・・・。携帯電話も、親に内緒で勝手にプリペイド式のを購入し、もう何回か、カードを買い換え
ています。彼氏やクラスの男子と、くだらないエッチメールを交換しているようです。(あまりに
も、強烈な・・・)。今どき?と思われるかもしれませんが、うちは特にお小遣いはあげてなく、
時々おばあちゃん(私の実家の母)からいただくお小遣いから、カードなどは買っていて、その
他服など、入用に応じて、お金を与えています。(しぶしぶ)。

先生はよく、「勉強」のことは言ってはならないとおっしゃっていますが、「受験生」真っ只中の娘
は、本当に勉強からはほど遠い生活態度なんです。今、この場に及んでも、机の上には、分厚
いプリクラ帳と、マニキュア、毛抜き、鏡が置いてあって、いわゆる勉強道具はどこへやら・・・と
いう状態です。明日も、塾の模試があるらしいのですが、全く勉強に手がつかず、鱈腹食べて
は、(静かだと思うと)寝ている、という状態・・・今月ある英検(準2級)も自分から受けるといっ
て、受験料を支払ったものの、これまたどういうつもりなのか、マッタク勉強していません。私
も、たまりかねて、「受ける限りは、合格できるように努力したら?」とか、いってはみるのです
が、うん・・・と一応答えるだけ。なんだか、自分で勉強できなくなってしまっている、仕方がわか
らない?(今さらながら・・・)という感じがします。いったい、どういうつもりなのか・・・本人は、
「どっか、公立には入ってやるさぁー」みたいな言い方しますが、本心はちゃんと入りたい高校
があるのです。(それは、彼氏のいる高校なのですが)。でも、このままでは・・・。この時期皆そ
れぞれにガンバッテいることですし、こんなに勉強しないでいたら、実力なんてつきっこない
し、・・・私自信がかなり不安でいっぱいです。(←先生は、こんな言い方をすると、お笑いにな
るかもしれませんが(^−^;)やはり、失敗はこわいです。本人だって、絶対そのはずです!誰
だって、希望がかなって、幸せな気分で、笑って卒業式を迎えたいと思います。・・・まだまだと
思っていたこの時期もあっという間に訪れてしまい、日々は、どんどん過ぎてゆくのです・・・!
こうしていると、わたしはどうにかなりそうでー不安と焦りーのんき(本当はそうじゃないのかもし
れませんが)に寝ている娘が、憎らしいような、はがゆいような、なんともいえない嫌な気分で
す!!

それから、いったいこれはどういう「心理」かしら?と思うのですが・・・とにかく目立ちたがり屋
で、(本人も言っています)後期学級委員に立候補したり、「卒業式のとき、みんなの前で何か
言いたい」←(そんな次第があるか知りませんが)と言ったり、やたら声が大きかったり・・・ちょ
っと、あれっ?って思ってしまうような言動なのですが、これはどうなんでしょうか?なんか、心
理的に欠陥があるのでは?などと心配になります。

長くいろいろと書いてしまいましたが、私の悩み、心配はつきません・・・一刻でも早く、こんな状
態から開放されたい・・・っていうか、娘自信をなんとか良い方向へ(言い方悪いですが)向かわ
せたい!!という一心です。先生、お時間がなかなか足りないのでしょうが、どうか、こんな
「母」の悩みにお答えを頂戴したいと思います!勝手なお願いですが、できる限り早くに・・・(す
みません・・・)

このQコーナーを知って、藁をもすがる思いです。。。
どうか、よろしくお願い致します。     ☆とっても悩める母より☆


A:メールをいただきました。

まず前もって、お話しますが、「悩める母」様(以後Nさん)の悩みは、多かれ少なかれ、
ほとんどの親がもつ共通の悩みですよ。男女の性交渉にしても、もう関東地域では、
約70%弱の女子高校生が、卒業までに性体験をしています。また高校進学については
今、この静岡県では、約60%が、内申書による推薦入学という現状になっています。
私たちの時代とは、ものの考え方が違うし、社会も変わってきています。受験制度その
ものも変わってきています。
 
そういう前提で、Nさんのケースですが、お嬢さんのようなケースも、これまた多くはなくても珍し
くありません。まず第一に、「うちの子だけが……、なぜ?」というような悩み方はしないでくださ
いね。子どもは親離れをし、そして巣立っていきますが、それはいつも必ずしも、美しいものば
かりとは限りません。中には、壮絶な親子戦争を繰り返して巣立っていく子どももいます。そし
てここが大切なことですが、どんな巣立ちであるにせよ、Nさんの愛情がしっかりしていれば、
必ず子どもはあなたのところに戻ってくるということです。

単調直入に言いましょう。今、あなたがかかえている問題は、どれもいつか「笑い話」になるよ
うな問題ばかりです。いつかあなたは二女の方にこう話すのです。「あんたは、中学生のとき、
たいへんだったのよ。お母さん、心配したのよ」と。するとあなたのお嬢さんは、こういうので
す。「まあね、いろいろ心配かけて、ごめん」と。
 
順に話していきます。
 
(1)この問題は、「今の状態より、より悪くなって、はじめて今の状態が軽かった」と気づくことを
繰り返して、あなたから見れば(本当はそうではないのですが)、どんどんお嬢さんは悪く(?)
なっていきます。今はまだ塾へも通っている、立候補もするという状態ですが、それも今の状態
では風前のともしびかもしれませんね。今ここで大切なことは、今の状態をこれ以上、悪くしな
いことだけを考えて、お子さんと接することです。今はまだ進学のことを本人も多少は心配して
いるようですが、しかしここで追い込んでしまうと、その進学すら放棄してしまうかもしれませ
ん。そのとき、あなたは、今の状態が、まだよかったと気づくのです。
 
(2)セックスの問題は、これは熱病のようなものです。私も教える側から見ると、性体験してい
る女子中学生は、その様子からすぐわかります。「男」を見るめつきが、なまめかしくなるから
です。しかしそういう女子中学生を無数に見てきましたが、高校生になると、これまたふつうの
高校生になっていくから不思議です。(ふつうにするかしないかは、Nさんが、お子さんとのきず
なを切るかきらないかの違いです。このあとに、10月号にファミリスに書いた原稿を添付して
おきます。参考にしてください。)つまり熱病のようなものですから、抑えても抑えきれないでしょ
う。どうしようもないのです。私も、かつてはそういう中高校生を懸命に指導した経験もあります
が、結論は、「もう関せず」です。NさんにはNさんの、性教育観があるのでしょうが、今の若い
人たちは、別の観点で動いています。ショックを与えるようなことを言いますが、恐らく、年上の
男の子に誘惑されたというよりは、お嬢さんのほうが多分積極的だと思います。(今は、もう、
男の子が遊ばれる時代なのです。)

ですから、今は、避妊と性病だけに心配し、その指導を家庭でするしかないです。とにかく、今
の状況を悪くしないことだけを考えてください。本人たちに罪悪感などないのですから、いくら説
教してもムダですよ。
 
(3)受験についてですが、二女の方は、あなたが思っている以上に、学校で苦しみ、キズつい
ています。ただ誤解ですが、私は「勉強については言ってはならない」とは、書いたことはありま
せん。受験勉強は子どもの心に大きな影響を与えるとはあちこちで書いています。「言う」につ
いても、注意しなさいという意味です。追い込むと子どもの心をゆがめます。Nさんのあせる気
持ちはわかりますが、子育てはまさに許して忘れるの連続。そしてここが重要ですが、「あきら
めは悟りの境地」です。先ほども書きましたよに、今はもう受験制度もちがいますし、学校の指
導も変わってきています。それ以上に子どもたちの意識も変わってきています。昔は勉強がよ
くできる子どもは、それだけで尊敬されたものですが、今はむしろ「へんなヤツ」と見られたりし
ます。それにあわせて社会の構造も変わってきています。これからの日本は、学歴ではなく、
欧米型のプロ型社会がやってきます。どんなことでもいいのです。プロが生き残る時代が、もう
すぐそこまできているのです。意識改革をすべきは、まさに私たち自身のほうだということで
す。
 
(4)不安なNさんへ、

こう書いてもなぐさめにしかなりませんが、みんな不安ですよ。子どものテスト週間になると、病
院通いしたり、おかゆしかのどをとおらないという人は、いくらでもいます。息子が受験に失敗し
たあと、自殺をはかった母親すらいます。決してあなただけではないのです。それもこれも、も
とを正せば、明治以来(あるいは平安の昔から)続いた学歴信仰が原因なのです。私たちは、
みな、学歴信仰というカルト教団の信者なのです。もっと言えば、あなたの不安は、「つくられた
不安」ということです。もっと言えばあなた自身のエゴにもとづいた不安です。あなたがお嬢さん
をあなたの思い通りにしたいだけ。思い通りにならないから不安に思っているだけです。あなた
のお嬢さんは何も不安に思っていないのですから……。今、中学生で、家でまともに勉強して
いる子どもは、約10〜15%とみてよいでしょう。そんなものです。あなたはガリガリと机に向か
って受験勉強をするお嬢さんを理想の娘と思っているかもしれませんが、そんな子どもは、もう
いないということ。
 
(5)思うようにならないのが子育て。しかしそれでも子どもは育っていく。親は夢や希望を一枚
ずつはがされながら、自分の子育てを終えていくのです。あなただけではないし、あなたのか
かえている問題は、まだまだ軽い! もっと深刻なケースで苦しんでいる人はいくらでもいるし、
みんな外面をよくしているだけ。近所のSさんなんかは、二人の息子とも、高校へ入ってすぐ中
退。下の子どもは、そのまま名古屋にある人形劇団に入団。今は遊園地などでぬいぐるみを
着て踊っています。当時のSさんは死ぬほど苦しんだのですが、今は息子さんが楽しそうに踊
っている姿を見ながら、笑い話にしていますよ。そしてこう言っています。「人間、何でも、じぶん
の好きなことをすればいいのよね」とです。Nさんも、あと一歩でそういう境地に達することがで
きるようになりますよ。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

 ●最初は小さな亀裂

Very often the relationship between parents and their children collapse. This is an article 
about it.

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限って…
…」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大き
くなる。そしてそれが、断絶へと進む……。
 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。「父親のようになりたくな
い」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだ救
われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触
即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、
「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか!
……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されてい
るはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め
ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな
たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ
ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげ
たのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報
告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親
だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に従うべき」
という親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では、仮面をか
ぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子どもの心を見失う。次
に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不
安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギ
リスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。つ
まりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すば
らしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、
そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出し
てみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、そ
れでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとする
なら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。おけいこ塾でも何でも、
あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。これからもそうだ。
そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピ
アノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピ
アノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。
 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに
何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子ど
もの心を開く。親子の断絶を防ぐ。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

 (2)子どもが非行に走るとき

●こぼれた水は戻らない

 子どもは、なだらかな坂をのぼるように成長するのではない。ちょうど階段をトントンとのぼる
ように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→
(さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴
行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮
がちに、しかも隠れて悪いことしていた子どもでも、(叱られる)→(居直る)→(さらに叱られる)
の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、
「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれが理解できない「なおそう」とか、「元に
戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理
を重ねる……。

●独特の症状

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変
調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年
に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも、その特徴としては、(1)拒否的態
度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「ウッセー」と拒否する。意識的に拒否する
というよりは、条件反射的に拒否する)、(2)破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、
他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着
になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、(3)自閉的態度(自分のカラに閉
じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「悪霊」などという言葉に鋭い反応を示すよう
になる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもには
それが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、(4)野獣的
態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方
も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をす
るようになる)などがある。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しなければ
ならない。しかしこれがむずかしい。このタイプの親に限って、その自覚がないばかりか、さら
に強制的に子どもをなおそうとする。はげしく叱ったり、暴力を加えたりする。これがますます子
どもの非行を悪化させる。こじらせる。

●最後の「糸」を切らない

 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自
分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て
られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら
(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して
いますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前で
は、自分のよい面を見せようとする。そういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおら
せる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧
ように、子どもは行き場をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なお
そう」とは思わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様
子をみる。一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが…
…)で、その推移を見守る。こじらせればこじらせるほど、その分、子どもの立ちなおりは遅れ
る。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【子どもどうしのトラブル】

Q:我が家には小学校1年生の男の子(6歳)と幼稚園年少の女の子(4歳)の子供がいます。

今日は、下の子についての相談です。以前から近所に住んでいる3人兄妹の家と母親同士も
仲が良いということもありよく行き来をしています。前から気にはなっていたのですが、その家
の長女(2年生)が娘と良く遊んではくれるのですが、かなり強引なところがあり娘に「嫌だ」とい
う間さえも与えずにいろいろな面で突っ走っていきます。先日、その家族とキャンプに行った時
にもその子が「Kちゃん(娘の名)、私と一緒に寝たいって。だからそうするね」と行ってきまし
た。私が娘に確認すると「寝るって言ったもんねぇ」とその子が答える始末。「あのね、おばちゃ
んはいまKに聞いてるの」と言ったものの娘はその子の強引さに押されてしまったようで小さく
「うん…」とうなずきました、がいざ二人でテントに入ると娘の号泣が。「ママと寝たかったのに、
ママとが良かったのに」と。キャンプの間4日間そんなことの連続でした。帰ってきて、娘の髪の
毛を結わこうと分け目をつけている時に2箇所の円形脱毛を発見しました。ショックでした。原
因は、そのことしか考えられません。その子と娘とは年も離れているのですが、我が家の長男
とその子の弟とが同級のためにいつもセットでやって来るのです。その子の母親にもある程度
のことは伝えてあるのですが、なかなか……今では娘のその子が来るのを恐怖に感じていま
す。いつも、そんな様子を見ている長男も「琴を虐めるから来て欲しくない」と。私としては、そ
の弟君と長男とは遊ばせてあげたいのですが、お姉さんのほうはちょっと……今後、どのよう
に接していけばよいでしょう。

A:子どもどうしの交際には、ある一定の許容範囲と程度(深さ)があります。ある程度のトラブ
ルは、覚悟して子どもたちに任せます。こうしたトラブルを経験して、子どもは社会性と問題解
決の技法を身につけます。しかしその許容範囲を超える場合は、別です。ご相談の件ですが、
円形脱毛症の原因がその小2の女の子にあるとしたら、明らかに許容範囲を超えています。ど
こかで瞬間的な恐怖心を経験したのが原因です。年齢も年少と小2ですから、この時期には離
れすぎています。さらにその子どもに対して、恐怖心を感じているなら、当然、遠ざけます。ふ
つうめんどうみのよい、1〜2歳年上の子どもは、すばらしい先生になるのですが、このケース
では、かえって子どもをマイナスに引っ張ってしまいます。対人恐怖、自信喪失、神経症の原
因ともなりかねません。小2の女の子が、お嬢さんに対して、自分の欲求不満のはけ口にして
いるようならなおさら、遠ざけます。そしてできるだけ同年齢の子どもと遊ばせるようにします。
具体的な方法については、家の様子、友人関係などがわかりませんので、お答えできません
が、その女の子がきたら、お母さんがお嬢さんを外へ連れてでたり、間にこまめに入ったりす
ればいいのではないかと思います。数回繰り返すと、その女の子は来なくなるのでは……。長
男には、相手の子に「お前の姉を連れてくるな」と言うようにしむけたらどうでしょうか。要するに
こういうケースでは、相手の女の子を遠ざけるのが賢明です。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【子どもに、セックスを見られてしまった】

Q:7歳の息子に、性生活そのものを見られてしまいました。その場は適当にごまかしましたが、
心にキズがついたのではないかと心配です。どうしたらいいでしょうか?

A:まったくありません。子どもがキズつくのは、親の不正義、不誠実、非倫理、不道徳的行為で
す。たとえば不倫現場を見られる、など。これはまずいです。が、夫婦が愛し合い、いたわり合
す姿は、どんどん見せます。(セックスまで見せろということではありません。) 国によっても違
いますが、ラテン系の国へ行くと、目のやり場のないほど、若い人たちは人の目もはばから
ず、抱き合ったり、愛撫しあったり、キスしたりしています。若い夫婦もそうです。アメリカでもそ
うです。オーストラリアは、もう少し謙虚です。しかし恐ろしいほど何もしないのが、日本人です。

 7歳ですから、やがてすぐ親たちが何をしていたかを知る時期にくるでしょうが、「へへへ」で
終わります。そういうものです。こうした例はたいへん多く、教室でも、ときどき、「きのうの夜、
パパとママが、裸でプロレスをしていた!」と言う子どももときどきいます。そういうときは、私
は、「ふうん。どこで?」ととぼけて聞くことにしています。すると子どもは「ふとんの上で……」と
言ったりします。その程度でおさめておきます。子どもは、ときどきおとなの世界をかいまみな
がら、情報を蓄積していきます。そしておとなになっていきます。

 要は、性にうしろめたさをもたせいないこと。スウェーデンでは、もう30年も前から、大学の講
義で、「セックスの仕方」そのものを教えています。教官が、「そこのA君、そこのBさん、前でセ
ックスしてみなさい」などと、まあ、実にあっけらかんです。日本人のように、「性」にうしろめたさ
をもたないことによるものです。親が悪いことをしたと思っていると、子どもに罪悪感をもたせて
しまいます。それは避けます。親が子どもに、「セックスは楽しいものよ」「愛し合う人どうしがす
るものよ」と、その年齢の子どもに言えるようになったとき、性の解放は達成されるのです。「秘
め事」ではないのです。また秘め事と考える必要もないのです。昔、スウェーデンのベッテルグ
レン女史という、性教育協会の会長の通訳として全国を回ったことがあります。その女史から
これは私が学んだことです。

 アングロサクソン系の夫婦は、ベッドの中ではいつも真っ裸です。子どもはいつもそういう夫
婦像を見ていますが、それで「子どもの心がゆがんだ」という話は聞いたことがありません。も
うその話には触れないで、知らぬ顔をして、子どもの成長を見守ればいいでしょう。(あえて文
字をピンクにしました! ははは)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:あと片づけをしない

A:「あと片づけ」と「あと始末」は違います。子どもが外の世界をもつようになったら、あと片づ
けは大目に見ます。しかしあと始末は別です。どんなことでも、あと始末をしっかりとさせるよう
します。たとえば食後、食器をシンクにもってこさせるとか、など。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:よい友だちと遊ばせたいが、どうしたらよいか。

A:実際に、子どもの友人を選ぶのは親ですね。よい友だちというのは、1〜2年、年上で、たっ
ぷりと親の愛情を受けた、めんどうみのよい子どもをいいます。そういう友だちをもつと、あな
たの子どもは飛躍的に伸びます。そういう子どもは、誕生会に呼んであげたり、夕食をごちそう
してあげたり、親ぐるみのつきあいをしたりします。ただしこの方法は、小学3〜4年生ぐらいま
でしか通用しません。それ以後は、子どもの友だちは、子どもに任すしかありません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:どうもよくない友だちと、つきあいはじめたようです……

A:そういうときは、「友を責めるな、行為を責めよ」(イギリスの教育格言)です。相手の子ども
の行為だけを責めて、決して友だちを責めてはいけません。「タバコを吸うことは、体に悪い」と

かなど。コツは、決して、相手の友だちの名前を出さないようにすることです。以下に、私が書

いた原稿(新聞コラムより)を、添付しておきます。

「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」・友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうする
だろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの
鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こうい
うことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。友だちという
のは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子どもの人格を
否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立た
される。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふか
しすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。
コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一歩、この
格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。
 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作する
わけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくある。自分の子どもを
疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよ
けいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、
と思わせるような、名格言である。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:一人っ子の育て方の注意点を……

A:第一に考えなければならないのは、社会性の欠落です。ですから幼いときから、同年齢の子
どもたちと遊ぶ機会を多くしてください。この点さえ気をつければ、大きな問題は起きません。

ただどうしても一人っ子だと、過干渉、過関心、溺愛、過保護になりやすいですから、親は親と
して、別の生きがいを見出すようにしてください。子どもの問題というより、親の問題のほうが大
きいです。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 兄(8歳)と弟(6歳)の兄弟喧嘩が激しく手に負えません。

A: 兄弟喧嘩は、それが一定のワクの範囲なら、一に静観、二に静観。互いの言い分は聞い
ても、ジャッジはしない、です。ここでいう一定の「ワク」というのは、いわゆる「仲のよい兄弟の
範囲内で」という意味です。しかしそのワクを越えて、本当に憎しみあうとか、暴力行為が過激
になるというのであれば、もっと別の原因をさぐってみます。頭から押さえても、意味がないば
かりか、かえって喧嘩を激しくさせてしまいます。別の原因として考えられるのは、上の子ども
の側の嫉妬、欲求不満など。さらには外の世界で受けるストレスの発散など。情緒不安も考え
られます。それぞれのケースに応じて、考え、対処します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 夫と子どもの教育のことでよく対立します。どうしたらよいでしょうか。

A: 子どもの前では意見の対立をしない……これが大鉄則です。子どもの前では、「お父さん
がそう言っているから、そうしなさい」とだけ言います。そして夫婦の意見の対立は、子どものい
ないところでします。賢い母親なら、そうします。昔から「船頭が二人では舟は進まないと言いま
す。夫婦の意見が一致していても難しいのが子育て。こういうときは、夫に船頭になってもら
い、夫に子育てをリードしてもらいます。……こう書くと、封建的なことを言っていると思われる
かもしれませんが、相談者が父親なら、私は逆のことを言います。つまり互いに高い次元にお
いて、子どもを教育します。子育てでタブー中のタブーは、互いの悪口を子どもに言うことで
す。「お父さんの給料が少ないから、お母さんは苦労しているのよ」式のグチもタブーです。母
親は子どもを自分の味方につけたいため、そう言いますが、かえって子どもの心は親から離れ
ます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 子どもをどう叱ったらよいのですか。

A: 子どもを叱るときは、子どもにその子ども(あなたから見れば孫)の叱り方を教えるつもり
で叱ります。「あなたが親になったら、こういうふうに叱るのですよ」と、です。そういう心づもりを
どこかでもちながら子どもを叱ると、あなたと子どもの間にワンクッション置くことができ、ギクシ
ャクした関係を和らげることができます。あなたは親の見本なのです。そういうつもりで叱って
みてください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

初めてメールさせて頂きます。
友人から先生のHPを教えてもらいました。

長男のことでご相談します。

今年入学した6歳になる長男です。下に2歳の弟がいます。3月生まれなので6歳に
なったばかりです。

赤ちゃんの頃からどちらかといえば神経質で、人見知りもあり、入園のときも母親か
離れられない子供でした。
それでもこの子なりのペースで成長してきたと思っていたのですが、入学して2週
間、懸念していたことが現実となり、少々悩んでおります。

几帳面でまじめすぎるところがあり、例えば忘れ物をしたり、人と違ったりすること
に過敏で、誰が責めるでもないのに泣けてきてしまいます。このところ、絵を描く機
会も多いのですが、「何でも自分の好きなものを描きなさい」と云われるとパニック
になるのか涙が出て手が進みません。

今日も学校でたまたま給食エプロンを間違えて使ってしまったらしく、それを先生は
責めたわけではないのに泣いてしまう、それを見ていた周りの子供たちが集まってき
たことでまた泣けてしまう・・・といった具合です。先生に質問したことを、先生が
聞き取れなくて聞き返すと、それだけでまた涙が出てきてしまうということもあった
ようです。

今に始まった事ではなく、保育園時代もその傾向はあり、結局は本人が乗り越えてい
くしかないと思っていたのですが、やはり何度か重なると、親としてどういう風に向
き合えばいいのか分からなくなり、ご相談した次第です。

強く言い聞かせた方がいいのか、本人が恥ずかしくなりこらえることが出来るように
なるまで、泣きたいだけ泣かせたほうがいいのか・・・。

何かアドバイス頂けるとありがたいです。(福岡県・TYより)


**************************************
メール、ありがとうございました。

私からの質問です。ご都合のよいときに
教えてくだされば、もっと的確にアドバイスできます。

(1)パニックになる症状は何歳から始まりましたか。
年中児になるころあたりから始まったはずですが、
思い当たることはありませんか?

(2)赤ちゃんのときから、親に
甘えるということを自然な形でしていましたか?
それともそうではありませんでしたか?

(3)下の子どもが生まれたあと、赤ちゃんがえりは
ありませんでしたか。下の子いじめはしませんでしたか。

今の症状は、いわゆる緊張性の情緒不安です。
(心はいつも緊張状態にあり、その緊張状態に
不安が入り込むと、一挙に情緒が不安定になります。
言い換えると、情緒不安というのは、心の緊張状態
がとれないことを言います。)

相手に心を許さない分だけ、緊張感がとれないのです。
原因の多くは、乳幼児期の神経質な子育てに求められます。
子どもが安心して甘えることができなかったとか。
スキンシップが不足していたかもしれません。

(4)赤ちゃんのとき、親に甘えましたか。
それを許しましたか。

(5)不安先行型の子育てをしていませんでしたか。
あるいは心配過剰?

(6)スキンシップは濃厚でしたか。あるいは早くから
親の手を離れて、保育園へ入れるようなことは
ありませんでしたか?

対人恐怖症と考えられますが、分離不安の可能性もあります。
その中でも、攻撃型(プラス型)と内閉型(マイナス型)
があります。パニックになるのは、マイナス型と考えて
よいでしょう。(プラス型はギャーと叫んで親のあとを
追いかけたりします。)症状は正反対ですが、
一番考えられるのは、下の子どもが生まれて、
赤ちゃんがえりを起こしたことです。

(6−2)分離不安の症状もあったようですが、何か思い当たる
事件はありませんか。無理に引き離したとか、迷子に
なったとか、あるいは親戚に預けられたとか、など。

(7)お子さんのリズムで生活していますか。それとも
手をぐいぐいと引きながら子育てをしてきたような
感じですか。

(8)お子さんを日常的に「あなたはおにいちゃんでしょ」式に
突き放していませんか。望まれて生まれてきたお子さんですか?
愛情をたっぷりと注いできましたか。


以上、TYさんからの返事をいただいた上で、
またお答えします。対処法などはそのとき返事
いたします。ご質問、ありがとうございました。
情緒が不安定になっているイコール、心の緊張感
がとれないでいるので、無理をしてはいけませんよ。
こじれると、結構やっかいなことになります。

今回はこれで失礼します。

**************************************
>
早速の返信、ありがとうございます。
記憶に不確かなところも多々ありますが、できるだけ思い出して書き出してみます。

いつも返信いただき、ありがとうございます。
今回の先生のお話に、少しほっとしつつも、改めて子育ての難しさを痛感しておりま
す。

先生のご質問に対し、改めて返答させて頂きます。

(1)パニックになる症状は何歳から始まりましたか。
> 年中児になるころあたりから始まったはずですが、
> 思い当たることはありませんか?
年長の半ばくらいからだったと思います。何かをきっかけにしてというような思い当
たることはないのですが。

> (2)赤ちゃんのときから、親に
> 甘えるということを自然な形でしていましたか?
> それともそうではありませんでしたか?
特に違和感は感じなかったと思います。甘えん坊の子でしたが、特にそれを厳しく突
き放すようなことはしなかったと思います。

> (3)下の子どもが生まれたあと、赤ちゃんがえりは
> ありませんでしたか。下の子いじめはしませんでしたか。
赤ちゃんがえりを心配しましたが、特にありませんでした。ただ、生まれたときに4
歳だったので、我慢して感情を表に出せなくなることが心配だったので、私としては
生まれてしばらくは何かにつけ、上の子を優先しました。

> 今の症状は、いわゆる緊張性の情緒不安です。
> (心はいつも緊張状態にあり、その緊張状態に
> 不安が入り込むと、一挙に情緒が不安定になります。
> 言い換えると、情緒不安というのは、心の緊張状態
> がとれないことを言います。)
>
> 相手に心を許さない分だけ、緊張感がとれないのです。
> 原因の多くは、乳幼児期の神経質な子育てに求められます。
> 子どもが安心して甘えることができなかったとか。
> スキンシップが不足していたかもしれません。
>
> (4)赤ちゃんのとき、親に甘えましたか。
> それを許しましたか。
甘えてきたと思いますし、拒絶もしなかったつもりです。

> (5)不安先行型の子育てをしていませんでしたか。
> あるいは心配過剰?
どちらかといえば不安先行型かもしれません。引っ込み思案の子だったので、特に集
団生活や協調面に関して、心配の種はつきませんでした。

> (6)スキンシップは濃厚でしたか。あるいは早くから
> 親の手を離れて、保育園へ入れるようなことは
> ありませんでしたか?
当時フルタイムで働いていたので、1歳から保育園に行っていました。ただ、その
分、スキンシップに関しては常に意識して、子供とは接してきたつもりなのですが。
> 対人恐怖症と考えられますが、分離不安の可能性もあります。
> その中でも、攻撃型(プラス型)と内閉型(マイナス型)
> があります。パニックになるのは、マイナス型と考えて
> よいでしょう。(プラス型はギャーと叫んで親のあとを
> 追いかけたりします。)症状は正反対ですが、
> 一番考えられるのは、下の子どもが生まれて、
> 赤ちゃんがえりを起こしたことです。
>
> (6−2)分離不安の症状もあったようですが、何か思い当たる
> 事件はありませんか。無理に引き離したとか、迷子に
> なったとか、あるいは親戚に預けられたとか、など。
事件として、特に思い当たることはないように思います。

> (7)お子さんのリズムで生活していますか。それとも
> 手をぐいぐいと引きながら子育てをしてきたような
> 感じですか。
ぐいぐい引っ張りたくなる気持ちになることも事実ですが、出来るだけセーブしてき
たつもりです。2歳までは延長のある保育園に 通っていましたが、3歳の時(年少
に上がる時)、学区の保育園に行った方がその後の小学校への入学にもストレスが少
ないかと思い、それまでの仕事を辞め、延長のない学区の保育園を選び、夕方からの
子供との時間を濃密にしてきました。

> (8)お子さんを日常的に「あなたはおにいちゃんでしょ」式に
> 突き放していませんか。望まれて生まれてきたお子さんですか?
> 愛情をたっぷりと注いできましたか。
「あなたはおにいちゃんでしょ」ということは、少なくとも父親、母親は言いませ
ん。お兄ちゃんというのはほめる時に使うぐらいです。私たちなりに愛情を注いでき
たつもりです。皆から祝福されて生まれ、かけがえない子だという気持ちに嘘はあり
ません。

今は私自身どう対処していいかわからないので、このことに関して子供に何も云って
いません。
もしまだ分かりにくいことがありましたら、またご連絡しますのでどうぞよろしくお
願いします。

私たちは取り返しのつかない育児をしてしまったのでしょうか?いつも子供たちのこ
とは1番に考えてきたつもりなのですが。

**************************************

ご返事、ありがとうございました。
いただいたメールから判断すると、
情緒が不安定というより、未熟性が原因ではないかと
思っています。感受性が強く、その感じたことをうまく
コントロールできないという状態です。もしそうなら、
やがて集団生活になれ、何かのことで自信をもてば
症状としては、自然に消えていく種類のものです。

外の世界(学校や友人関係)では、かなり神経を
使っていますので、家庭では、思いっきり手綱を
ゆるめるようにします。多少乱暴なことを言ったり、
生活習慣がだらしなくなりますが、大目に見てあげ
てください。あとは濃厚なスキンシップと、とりあえず
はCa,Mgの多い食生活にこころがけます。これら
はいわば精神安定剤として作用します。

対人恐怖症はどこかであったと思われます。親が
気づかないところで、です。「絵を描いてごらん」と
言われて涙ぐむということですが、そのあたりに
キーワードがあったように思います。多分幼稚園か
どこかで、一度いやな思いをしたのかもしれません。

問題は、こうした緊張感が、部分的なものなのか、
それとも、今、お子さんの生活全体に及んでいるも
のなのかという点です。※ふだんは何ともないが、
ふとしたことで、ときどきそうなるというのであれば
問題はないでしょう。しかしいつもどこか気を抜かない、
気を許さない、ピリピリしているというのであれば、
それが転じて、ほかの症状に結びつく(神経症、
恐怖症、不登校など)心配があります。そのあたり
はいかがですか。

もし部分的であるなら、先にあげた対処法で
じゅうぶんですが、いつも緊張状態にあるという
のであれば、「今の症状をより悪くしないこと」だけ
を考えて、さらに手綱を緩めます。どこかで自分を
発散できればいいのですが、そういう場所はあり
ますか。※

年齢的にみて、つまり発症(?)した時期からみて、
赤ちゃんがえりの変形とみてよいと思います。
原稿をはりつけておきます。本能的な嫉妬心が
いろいろ姿を変えて子どもの情緒に影響を与えた
ということです。「やさしすぎる」ということですが、
どこか気になります。無理をしているのではないか、と
です。あるいは仮面をかぶっていることも考えられます
が……?※いかがですか?

上記※部について、またくわしくわかれば教えてください。

では、また。

はやし浩司

*************************************
いつも返信いただき、ありがとうございます。
今回の先生のお話に、少しほっとしつつも、改めて子育ての難しさを痛感しておりま
す。

先生のご質問に対し、改めて返答させて頂きます。

**************************************

> 問題は、こうした緊張感が、部分的なものなのか、
> それとも、今、お子さんの生活全体に及んでいるも
> のなのかという点です。※ふだんは何ともないが、
> ふとしたことで、ときどきそうなるというのであれば
> 問題はないでしょう。しかしいつもどこか気を抜かない、
> 気を許さない、ピリピリしているというのであれば、
> それが転じて、ほかの症状に結びつく(神経症、
> 恐怖症、不登校など)心配があります。そのあたり
> はいかがですか。

息子は、この年代の男の子としてはおとなしい方だとは思いますが、普段、私が接し
ている時の様子は明るく、時にはおしりを出したりして笑わせる、元気な子だと思い
ます。家でもちょっと強く叱ると、涙ぐんだりはしますが、以外に立ち直りも早く、
ピリピリすることもないように思います。
手綱を緩めるというのは、少々のことは大目に見ていくということなのでしょうか?
長男は小さい頃から食が細く、同じ年頃の子に比べると、半分か、へたをするとそれ
以下かもしれません。故に食事を食べなかったりすると、どうしても私の口調がきつ
くなり、涙ぐみながら食べることも間々あります。後からいつも反省するのですが・
・・。体重も90パーセンタイルの下ぎりぎりなので、なんとか食べさせたい気持ち
と、この子の食は細いことを認めなければという気持ちがいつも私の中で入れ代わり
立ち代わり揺れています。こういうこともきっと影響しているような気がします。

> 年齢的にみて、つまり発症(?)した時期からみて、
> 赤ちゃんがえりの変形とみてよいと思います。
> 原稿をはりつけておきます。本能的な嫉妬心が
> いろいろ姿を変えて子どもの情緒に影響を与えた
> ということです。「やさしすぎる」ということですが、
> どこか気になります。無理をしているのではないか、と
> です。あるいは仮面をかぶっていることも考えられます
> が……?※いかがですか?

次男が生まれる時、長男は丁度4歳になる頃だったので、感情が表に出せなくなるこ
とだけは避けてやりたいと思い、赤ちゃんがえりしても受け止めるつもりでいたので
すが、以外に表立ったやきもちもなく、彼なりに赤ちゃんの存在を受け入れてくれた
ように見えました。今でも自分が遊んでいるものを弟が欲しがると、割とすぐに譲っ
てやり、突き飛ばしたり、たたいたりということも全くしません。それはそれでなん
となく心配で、無理をしているのではないかと思うこともあるのですが、それっぽい
様子もあまり感じ取ることは出来なく、かわいがってくれています。もっと奥深いと
ころに感情が押し込められているのでしょうか?
私のスタンスは、次男が怒って泣き出さない限り、長男が甘えてひざに乗ってきた
り、抱っこしてと云ってきた時は、受け入れるようにしています。これはこのままで
いいのでしょうか?

学校で泣いてしまったことを担任の先生から聞いた後日、先生の連絡帳に、号令を頼
んだらとても元気な声でできたこと、図工の粘土工作ではとても上手に動物園を造っ
ていたことが書いてありました。
友達作りは決して上手ではありませんが、気の合う子はそれなりにいるようです。保
育園の卒園文集では、仲良しのお友達の名前を書くところがあったのですが、ほとん
どの男の子が息子の名前を書いてくれていました。

思い返すと、男の子なんだからこれくらいは、とか、せめてこうなって欲しい、と
いった親の思いを押し付けるようなことをしてきたような気がします。

何かアドバイスがありましたらよろしくお願いします。

***************************************


こういうケースでは、最悪なものから順に消去法的に消して
いくという方法で、子どもの問題を考えます。で、結論になる
と思いますが、大きな情緒的障害、精神的な問題は考えなく
てもよいのではないかということです。考えられるのは情緒的
未熟性(何らかの原因でよくあることです)ですが、これはこ
の時期の子どもの、20%(推計)に多かれ少なかれみられ
る症状で、これから先、年齢が大きくなれば、急速に改善
するものと思われます。要するにこじらせないことだけを
考えれば、よいでしょう。今のところ、深刻な神経症なども
ないようですから、それほど心配はなさらなくrてもよいの
ではないでしょうか。

手綱をゆるめるというのは、家庭をしつけの場からいやしの
場にできるだけ早く転換するということです。学校ではかな
り神経をつかっているようなので、生活習慣が多少だらし
なくなっても、「うちの子は外でがんばっているから、しかた
ないわ」と思うようにするということです。家ではもうガミガミ
言わないことです。

子どもの小食については、何らかの形で約30%の母親が
悩んでいます。食が細い、遅い、好き嫌いがはげしい、など。
まずしてみることは、冷蔵庫をカラにして、間食できるような
ものを一掃すること。甘味料の多い食生活を一掃して、CA
MGの多い食生活に切りかえること、です。私は「冷蔵庫を
カラにせよ」という指導をしています。小食児の家庭には、
それなりに、つまり無意識のうちにも、間食できるものが
ゴロゴロしているからです。もちろん甘いジュース類は周囲
から消します。アイス、クリーム、ケーキなども厳禁!

ご指摘のように、私も「どこか無理をしているな」とは感じて
います。「弟なんか嫌いだ」とすなおに言えるほうが自然で
はないかと思います。どこかで親の期待にこたえながら
「いい子」を演出しているような感じがします。ですからお尻
を見せたりしてふざけているようなら、そういう面をすなおに
外に出せるように、つまり子どもの側からみて、心を開ける
ような場を大切になさってください。このタイプの子どもは、
「これだけは人に負けない」というような一芸をもたせるこ
とをお勧めします。一芸論はあちこちに書いておきました
ので、またサイトをご覧になってください。メールの中で
気になったのは、「今でも自分が遊んでいるものを弟が
欲しがると、割とすぐに譲っ てやり、……」という部分です
が、長男としては、たいへん珍しいことです。つまりどこか
不自然に感じました。

スキンシップの与え方は、この際、今のままでよいと思い
ます。小学3〜4年までつづきますが、TYさんのケース
では、小学4〜5年までつづくかもしれません。ベタベタの
スキンシップではなく、質の高いスキンシップをこころがけ
てください。子どもの側からみて安心感の得られるような
スキンシップをです。(スキンシップが多いから依存性が
強くなると言うのは、ウソです。まったく別物です。)依存性
は親側の姿勢の問題です。

「男の子だから」「お兄ちゃんだから」というのは、もうや
めましょう。ひょっとしたら、TYさん自身が、「男の子」を
知らないか、「父親の形」を知らないのかもしれません。
それで勝手に「男像」をつくりあげ、その形に子どもを
当てはめようとしている感じがします。お父さんが割りと
権威主義的な、昔的な方だったかもしれませんね。

これからはもっと感情を表に出せるように、ゆるめてみ
ます。学校から帰ってきたときあなたの前で、だらしない
格好でもよいから好き勝手なことができるように。そういう
おおらかさで子どもを包んであげてみてください。少し
ずつですが心を開いてくれると思います。(1年単位で)

ときどき学校へ行くのをいやがったり、ぐすったりする
ようなことがあれば、適当に休みながら、心を調整して
あげてください。外の世界では無理をしているようです
から。それと涙もろい、すぐ泣くということは、最初のメ
ールに書いたとおりですから、心の緊張感をほぐすこと
を考え、一方で、あまりおおげさに考えないように。子ども
によっては、涙は汗のようなもののときがあります。涙
を出すことで、緊張感をほぐすときもあります。泣きたい
だけ泣かしながら、温かく見守ってあげます。(泣くことに
よって、子どもは心のバランスをとる、イコール、ストレス
を発散させるのですね。)

あとは学校の先生と連絡を密にしてください。直接子ども
をみている先生が、ほめてくれたということですから、私
はそれでよいと思います。この時期はほめながら、少し
うぬぼれぎみでも構わないから、前向きな姿勢を大切に
して伸ばすのがコツです。これから先、親離れを始める
小学3〜4年生ごろ、ややむずかしくなる時期がありま
すが、どうかうまく乗り越えてください。

では、これで失礼します。あまりよい回答になっていなくて
すみません。また何かあれば、連絡ください。あまり心配
せず、つまりあなた自身が自分の子育てに自信をもって
前向きに進んでください。メールで拝見したところ、とても
じょうずに子育てをなさっておられるようです。母親として
ほぼ満点をさしあげたいくらいです。(生意気なことを言って
すみません。)あなたはすばらしい母親です。メールの内容
にしても、たいへん理知的で、的確です。自信をもってく
ださい。あなたのような母親からはゆがんだ子どもは
生まれません。では……。

はやし浩司

Q:小学4年生の長女ですが、いつからかどもるようになってしまい、普通に話をしてても言いた
い事がなかなか伝わらずかわいそうなぐらいです。特にカ行とタ行がひどいです。本人も気にし
ていて上手に話せれないからと授業中に発表することをいやがります。なおす方法を教えてく
ださい。 

A:吃音(きつおん)についてですが、本人がセルフコントロールできる年齢かどうか微妙なとこ
ろです。つまり自意識の範囲で、指導になじむかどうかということです。小学4年生というのは、
微妙です。

(1)自意識でコントロールできないとき(幼児〜小1,2)の場合吃音指導はしないのが原則で
す。発音練習は、別にします。

(2)自意識でコントロールできるとき(小学高学年以上)の場合
それでも吃音指導を子どもにあまり意識させないで、たとえば発音練習をしながら、結果として
吃音をなおすようにします。発音指導は、口をゆっくりと動かし、息をたくさん出させ、子どもに
発音のリズムをつかまさせます。苦手な音の言葉だけを、何度もゆっくりと話させるようにしま
す。たとえば「刀(かたな)で皮(かわ)を切る」という文章だけを、練習します。子どもに吃音指
導と思わせないようにするのがコツです。どこかで大声を出して、声を出してくれるといいので
すが……。吃音そのものは、脳の機能的な変調が原因で、声帯がけいれんを起こして引き起
こされるというのが、一般的な考え方です。つまり脳の変調を起こす原因(神経質な家庭環境、
神経症などの変調要因)があればそれを除去します。神経質な過干渉、過関心、過負担、過
剰期待など。しかしこれらの要因を除去したからといって、吃音はすぐにはなおりません。こうし
た変調(神経症とみる学者は多い)は一度現われると、数年単位で続くことが多く、その間に、
子ども自身が自信をなくしたり、失語症になったりします。要するに周囲が無視すればいいの
ですが、これが子どもの世界では難しいようです。(それをからかう子どもがいたりするからで
す。)私の場合は、ときどき子どもたち全員に大声をださせ、それにまぎれてなおすという方法
をとっています。ほかの子どもたちのいる前では、指導しない。問題としない。なおそうとしない
が原則です。家庭では、次のようにしてみてください。苦手な音をふくむ言葉について、まずゆ
っくりと話す練習をします。リズミカルに息を大きく吐き出しながら、音にあわせて口を動かすよ
うにします。ここで大切なことは、ゆっくりと話す練習をさせることです。「吃音をなおしましょう
ね」とか、練習が吃音をなおすためとかいうようなことを子どもにわからせることは、子どもの前
では避けます。(小学高学年以上であれば、ある程度、吃音をなおすということを意識させます
が、あまり意識させると、かえって自信をなくさせたり、萎縮させたりしてしまいます。)率直に言
えば、無視して、皆が、だれも問題にしないような環境があれば、いいのですが……。たいてい
指導を始めると、子どもは小声になってしまいます。それがかえって指導を難しくします。

 そこでどうでしょう。あまりなおそうとか、それが悪いことだと決めてかからないで、もう少しお
おらかに考えてみたら。おねしょと同じで、吃音そのものは、本人にとっては、それほど不愉快
なものではないのです。(私も子どものころ、軽度の吃音があり、今でも、カ行音でどもることが
あります。)

自意識がじゅうぶん育ってくると、苦手な音を出す前に、一呼吸おくようになり、ゆっくりとしゃべ
るようになります。そうなれば、自然になおります。そういうことも考えながら、子どもに吃音が
悪いことだと思わせないようにします。(罪悪感をもたせると、まずいですね。ですから努めて無
視するのが最良の方法で、それとは別のところで、発音指導はします。どうもまとまりのない文
になってしまいましたが、わかっていただけましたか?)
 
 私は正直に言いますが、吃音指導そのものは、ひとりの子ども(一対一の関係では)に対し
てはしたことがありません。無視した形で、別のところで、子どもどうしにワーワーしゃべらせ、
それでなおすという方法をとっています。それが吃音指導の難しい点であると同時に、コツで
す。対面式で指導すると、かえって失敗するのでは……? 吃音も含めて発語障害は、こうい
う方法をとるのがベストです。(順に言わせてなおすという方法でも、子ども自身が敏感になっ
ていることが多く、たいていその段階で、気づかれてしまいます。子どもが気づくと、その時点で
指導ができなくなります。)

Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/

のコラムの中に、発語障害を書いておきましたので、ご覧になってください。HPの中にも、どこ
かで詳しく書いておきました。では。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

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●子供の愛着行為

はやし先生へ、
おはようございます、埼玉県T市に住むマガジン読者です。

ところで、E-メールマガジンで、たびたびテーマを募集していますが、前々から、『アメリカでは、
生まれたての赤ちゃんでも、夜寝る時には、夫婦の寝室とは別で、子供部屋で寝る』と言われ
ているし、アメリカのファミリードラマやアニメでも、かなり小さい子供でも、ちゃんと自分の部屋
を持ち、ベッドで寝ていますが、「ほんとうかしら?」と、疑問をもっています。

現在三男は一才を過ぎていますが、おっぱいを飲みながら寝るので、私と同じ布団で寝ていま
すし、もっと月齢が小さい時などは、二時間おきの授乳だったので、いちいち起きて、ベビーベ
ッドで寝ている子を抱き上げて授乳することすら苦痛でした。

先生の御二男の方はベビーはどのような環境で、寝ているのでしょうか? すごく興味がありま
す。それとまじえて、子供と親が別々の部屋で寝始める頃の見極めと注意点などもアドバイス
して頂きたいです。

友人の子は、寝室を別にしたとたん、首が曲がったまま元に戻らなくなり、整体等、通ったので
すが、なかなか治らず、寝室をまた親と同じにしたら、ピタリと治ったそうです。

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●アメリカの子育て

 アメリカといっても、アジア全域ほど広く、また移民国家であるため、アメリカ人といっても、ど
ういう人をアメリカ人というのか、必ずしも明確ではありません。もちろんアジア系アメリカ人も
多く、その中の一部には、日系アメリカ人もいます。さらに同じ白人でも、父親がフランス人、母
親がウクライナ人、祖父がスコットランド人で、祖母がイタリア人という家庭は、いくらでもありま
す。

 で、その中でも、アングロサクソン系のアメリカ人にかぎっているなら、ご指摘のように、赤ん
坊のときから、寝室を分けるのが、ふつうのようです。アングロサクソン系というのは、いわゆ
るイギリス系のアメリカ人です。ふつう私たちがアメリカ人というとき、もっともポピュラーに想像
する、白人のアメリカ人です。

 二男の嫁も、そのアングロサクソン系のアメリカ人で、代々、アメリカの中南部で暮らしてきた
家族です。ただ私の二男のばあいは、大きな二部屋だけのアパートで、別々の部屋ということ
はありませんでした。大きなベビーバッグの中に赤ん坊を寝させていました。しかし夜泣きがひ
どいので、私のワイフのアドバイスで、夫婦のベッドの間で、川の字のようにして寝させました。
そうしたら夜泣きが収まったそうです。

 ご質問の件について、私は専門ではないので、よくわかりませんが、今までに私が書いた原
稿をあちこちから集めてみましたので、参考にしてください。

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●子どもの愛着行動

 母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく知られた
現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」があることがわかっ
てきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用が、新生児の発育
には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、精神的欠陥が現れ
る。その一例が、「人見知り」。

 子どもは生後六か月前後から、一年数か月にかけて、人見知りするという特異な症状を示
す。一種の恐怖反応で、見知らぬ人に近寄られたり、抱かれたりすると、それをこばんだり、拒
否したりする。しかしこの段階で、母子間の相互作用が不完全であったり、それが何らの理由
で阻害されると、「依存うつ型」に似た症状を示すことも知られている。基本的には、母子間の
分離不安(separation anxiety)は、こうした背景があって、それが置き去り、迷子、育児拒否的
な行為(子どもの誤解によるものも含む)などがきっかけによって起こると考えられる。

●スキンシップは魔法の力 
 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二〇年ほ
ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の
講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい
う方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。
が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえる
と、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。

 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。
許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら
丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと
身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じ
になることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子ども
も女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうで
ないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。

●大切な「甘える」という行為
 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、
濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自
然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで
きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染
み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児
拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人
に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる
のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。
私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、
私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

●先手を打って自分を守る

 このタイプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。誰かに親切に
されても、それを受け入れる前に、それをはねのけてしまう。ものの考え方がいじけ、すなおさ
が消える。「あの人が私に親切なのは、私が持っている本がほしいからよ」と。自分からその人
を遠ざけてしまうこともある。あるいは自分に関心のある人に対してわざと意地悪をする。心の
防御作用と言えるもので、その人に裏切られて自分の心がキズつくのを恐れるため、先手を
打って、自分の心を防衛しようとする。そのためどうしても自分のカラにこもりやすい。異常な
自尊心や嫉妬心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかのきっかけで、ふつうでないケチにな
ることもある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したりする。完ぺき主義から、拒食症になっ
た女の子(中三)もいた、などなど。

 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育てのし方の
どこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないかもしれないが、やがて深刻な問題
になる。その危険性は高い。

●行きづまりを感じたら、抱く
 ……と、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、何か行
きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするようなとき
である。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたときも、やさしく抱いてみる。しばら
くは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒(心)も
安定する。

(参考)
●抱かれない子どもが急増!

こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一
もいるというのだ。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研
究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。
報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が三
三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後
見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固
い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。

さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放
されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。
また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を
使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)二
〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

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●スキンシップ

 よく「抱きぐせ」が問題になる。しかしその問題も、オーストラリアやアメリカへ行くと、吹っ飛ん
でしまう。オーストラリアやアメリカ、さらに中南米では、親子と言わず、夫婦でも、いつもベタベ
タしている。恋人どうしともなると、寸陰を惜しんで(?)、ベタベタしている。あのアメリカのブッ
シュ大統領ですら、いつも婦人と手をつないで歩いているではないか。
 
一方、日本人は、「抱きぐせ」を問題にするほど、スキンシシップを嫌う。避ける。「抱きぐせが
つくと、子どもに依存心がつく」という、誤解と偏見も根強い。(依存心については、もっと別の
角度から、もっと別の視点から考えるべき問題。「抱きぐせがつくと、依存心がつく」とか、「抱き
ぐせがないから、自立心が旺盛」とかいうのは、誤解。そういうことを言う人もいるが、まったく
根拠がない。)仮にあなたが、平均的な日本人より、数倍、子どもとベタベタしたとしても、恐らく
平均的なオーストラリア人やアメリカ人の、数分の一程度のスキンシップでしかないだろう。こ
の日本で、抱きぐせを問題にすること自体、おかしい。もちろんスキンシップと溺愛は分けて考
えなければならない。えてして溺愛は、濃密なスキンシップをともなう。それがスキンシップへの
誤解と偏見となることが多い。

 むしろ問題なのは、そのスキンシップが不足したばあい。サイレントベビーの名づけ親であ
る、小児科医の柳沢さとし氏は、つぎのように語っている。「母親たちは、添い寝やおんぶをあ
まりしなくなった。抱きぐせがつくから、抱っこはよくないという誤解も根強い。(泣かない赤ちゃ
んの原因として)、育児ストレスが背景にあるようだ」(読売新聞)と。

 もう少し専門的な研究としては、つぎのようなものがある。

 アメリカのマイアミ大学のT・フィールド博士らの研究によると、生後一〜六か月の乳児を対
象に、肌をさするタッチケアをつづけたところ、ストレスが多いと増えるホルモンの量が減ったと
いう。反対にスキンシップが足りないと、ストレスがたまり、赤ちゃんにさまざまな異変が起きる
ことも推察できる、とも。先の柳沢氏は、「心と体の健やかな成長には、抱っこなどのスキンシ
ップがたっぷり必要だが、まだまだじゅうぶんではないようだ」と語っている。ちなみに「一〇〇
人に三人程度の割合で、サイレントベビーが観察される」(聖マリアンナ医科大学横浜市西部
病院・堀内たけし氏)そうだ。

 母親、父親のみなさん。遠慮しないで、もっと、ベタベタしなさい!

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 あちこちから原稿を集めたため、内容がバラバラになってしまいましたが、こうして改めて考
えてなおしてみると、スキンシップは、必要であるかないかということになれば、必要であるに決
まっているということになります。

 で、ご質問の「量」ですが、それはあくまでも子どもをみて、判断するしかないのではないでし
ょうか。とくに子どもの情緒の安定度をみながら、判断します。つぎの原稿は、子どもの欲求不
満について書いたものです。この中でも、少し、スキンシップについて触れてみました。
*************************************

(ホームページの読者の方より)

Q:2歳2ヶ月の男の子のことで相談です。

妊娠中から私はつわりがひどく、妊娠悪阻にかかり入院するほどで、精神的にも不安定で10
ヶ月間ほとんどねたきりでした。
子供は欲しかったのですが、あまりのしんどさに、なんどかおろす事も考えましたが、主人の励
ましでなんとか無事健康な男の子を出産することが、出来ました。

産まれてから母乳をうまく吸えないようで、何度かチャレンジはしたのですが、1ヶ月ほどでミル
クに切り替えました。
うちの子は夜はよく寝てくれたのですが、とにかくよく泣く子で、2歳になったいまでも私が少し
でも離れると、泣きついてついてきます。
だから、起きている間は何も出来ません。それは仕方がないと最近では思い、できるだけいっ
しょに遊んでます。

心配なのは、ぜんぜん同じ世代の子供と遊んでくれません。というより逃げてしまうか、私にあ
っちとばかり他の誰もいないところにいきます。児童館に行ったりしてもそうで、マンションのお
友達のところでも1人違うところに行ってしまうか、私から離れません。
実は気になることがあり、産まれて1ヶ月のころからいっしょのマンションのお友達と仲良くなり
よく遊んでいたのですが、その子とは誕生日も同じ、血液型も同じという男の子で、とても乱暴
な子でいつもうちの子は、おもちゃをとられたり、叩かれたりで泣いてばかりいました。今思うと
私は、そのおかあさんのてまえばかり考え、自分の子供をかばってやれなっかたと反省してい
ます。

そこのおかあさんは、怒らないで育てるという考え方の人で、人のものとろうが、叩こうが、突き
飛ばそうが、あかんやんぐらいの軽い言い方でもちろんとったおもちゃなんか返しなさいなんて
言わないひとで、だんだん私もストレスになりあまりつきあわなくなったのですが、毎日電話が
かかってきて、今日は外出るとか、買い物一緒にいこうとか、とにかく家の中まで入ってくる人
で、主人からは付き合うなと、さんざんいわれてきました。子供も歩くようになったころには、そ
の子を見ると逃げるようになり、いつからか、他の子とも遊ばなくなっていました。

今そのことだけが原因ではないのですが、引越ししました。私や主人とならすごく楽しそうに遊
ぶのですが、やっぱりあまりよその子とは遊んでくれません。
私の妊娠中のことが、それともその子(よくいじめられた子)のことがトラウマに、それとも私の
育て方に何か問題があるのでしょうか?
神経質とはよくいわれます。確かに今も手がかかっているので、イライラすると怒鳴ってしまう
こともあります。主人の言うことは聞くのに私の言うことは、あまりきいてくれません。主人に言
わすと、信頼関係が築かれてないと、指摘されました。確かに思い当たるところはあるように思
います。周りのことばかりに気を使いすぎたり、子供につらい思いをさせてきたかもしれませ
ん。

悪循環で私の言うことを聞いてくれない、そしたらイライラする、怒ってしまうといった具合です。

子供は自分の思うようにならない、そしてしてはいけないとは、わかっているつもりだったので
すが、そうなっていたのでしょうか?今一番気になることは、他の子と遊んでくれない、怖がって
いるのか、いやなのか逃げてしまうということです。保育園など考えているのですが、入れてい
いものか悩んでいます。言葉もまだあまり出てないので先生に伝えられないのではーなど。幼
稚園はいるころには、直るのでしょうか?私はどういうふうに子育てをしていいか悩んでいま
す。子供がそんなに楽しそうにしていなくても、児童館やお友達と遊ばしたほうがいいのかーで
も逆に無理して行っても私のほうが、なぜうちの子だけ遊ばないんだろうと、落ち込んでしまい
ます。話が前後したり分かりにくいこともあったかと思いますが、何かいいアドバイスお願いしま
す。群馬県・YRより)

A:Rさんへ、メール、ありがとうございました。しかしながら私は乳幼児の中でも、乳児および就
園前のお子さんについては、まったくの門外漢であり、指導経験もほとんどありません。ですか
らご質問の件については、以下のように限られた範囲内でしかお答えすることができません。
この点をお含みおきの上、どうかお許しください。

(1)お子さんの泣き方の様子が詳しく書かれていないので、それがどういうものであるか、私に
は把握しかねています。興奮して、ギャーギャーと泣くようであれば、まずかんしゃく発作を疑っ
てみます。かんしゃく発作については、ヤフーで、「はやし浩司 かんしゃく発作」で検索してくだ
されば、いくつかヒットすると思います。

(2)泣き方が不安定で、親からみて「わけのわからないもの」であれば、情緒不安が疑われま
す。お子さんの心は、外からはわかりませんが、いつも緊張状態にあると思います。その不安
定さが、たとえば対人恐怖症となってあらわれているのではないかと思います。「恐怖症」につ
いても、このサイトのどこかに書いておきましたので、参考にしてください。トラウマなどというお
おげさなものではなく、子どもはふとしたきっかけでこの恐怖症になります。またなったからとい
って、それほどおおげさに考える必要はありません。まだ二歳ですから、無理をしないで、とき
どこかで少しずつ心を慣らすという程度でいいのではないかと思います。早く園へやればそれ
でよいというものでもありませんので。

(3)一つ心配なのは、あなたがお子さんを妊娠したときから、心配先行型、不安先行型のリズ
ムをつくってしまったことです。「中絶しようか」と考えたということ自体、大きなわだかまりになっ
ているはずです。本気で、つまり心の底から望んで生まれた子どもではない……というわだか
まりが、今のあなたとお子さんの人間関係をつくっています。「子育てリズム論」は、私のサイト
の目次から、「親が変われば」のコーナーをお読みください。あなたの心の状態によくあてはま
ると思います。子供というのは、長い時間をかけて、あなたの心をカガミのようにそのまま映し
出します。すでにそういう状態とみてよいでしょう。あなたのわだかまり、心配や不安が、基本
的にあるため、「何をしても心配だ」というような見方で、あなたはお子さんを見てしまうのです。

(4)どこかの調査でも、70〜80%の母親が育児でイライラしているということがわかっていま
す。ですからあなただけではありません。子育てというのは、そういうものです。つまりそういう
ものであるという前提で、つきあえばいいのです。気負うことはありません。あなたはあなただ
し、どうか自分を責めないでください。

(5)さて本題。お子さんが対人恐怖症になっているとしたら、無理をしないこと。無理をしても、
かえって症状は悪化します。これは心が熱病にかかったようなものです。それともあなたは風
邪で熱を出して寝ている子どもに、水をかけるとでもいうのでしょうか。あなたの考えで、また外
見から見た様子だけで、お子さんを判断してはいけません。私も閉所恐怖症、高所恐怖症など
があります。一度屋根にテレビのアンテナをつけにあがったのですが、おりられなくなってしま
ったことがあります。人は「気のせいだ」と言いますが、決して気のせいなどという簡単なもので
はありません。そういうことをまずわかってあげなさい。お子さんは本当にこわいのです。また
恐怖症は誰でもなるものであり、珍しくも何ともありません。

(6)ではどうするか。順に話していきましょう。まず情緒が不安定になったら、幼児は、とにかく
スキンシップを濃厚にします。抱き癖がつくとかつかないとか、それは横に置いておきましょう。
いつも抱いてあげる。強く抱いてあげる。手をつないであげる。添い寝をしてあげるなど。そも
そも日本人はスキンシップが少ない民族です。ブッシュ大統領なんか、奥さんとベタベタと手を
つないで歩いていましたね。あれが国際的な標準です。親子もそうで、先日もヒューストンの空
港で、親子連れをみかけましたが、皆、親子がベタベタとしていましたよ。ですからあなたも遠
慮せず、スキンシップを濃厚にしてみてください。あとは白砂糖を断ちます。これだけで、つまり
徹底してやれば、一週間程度で、症状がおさまってくるはずです。ダメもとと思い、一度、ため
してみてください。(できればCA,MGの多い食生活も一方でこころがけてください。)

(7)「幼稚園へ入るころにはなおるか」ということですが、分離不安などの情緒的な問題にから
んでいるときは、そんなに簡単にはなおりません。また「なおそう」とか、そういう発想で考えな
いことです。(なおるものなら、私の閉所恐怖症をなおしてほしいものです。)あなたのお子さん
にも、よい点や悪い点、さらには得意なことや苦手なことができ始めているのです。人とつきあ
うのが苦手なら、苦手でもよいではないですか。そういう子どもを迎えてあげるのも、親の努め
ですよ。「お母さんも、うるさいところはいやだわ」と言ってあげるほどの包容力をもってくださ
い。実のところ、子どもの心の問題で、親は安易に「なおす」とか言いますが、そういう発想はど
うしても好きになれません。なおすのではなく、受け入れるのですよ。またこの問題だけは、あ
せってなおそうと思うと、かえって症状を悪化させますから、くれぐれもご注意ください。

(8)保育園へも無理しないこと。たった30年前には2年保育があたりまえでした。幼稚園へ通
わない子どもも5%はいました。が、今では2歳から……? 人間の質が変わったとでもいうの
でしょうか。いいですか。子どもは親が育てる。親のぬくもりで包みながら育てる。それが子育
ての原則です。家庭が許すなら、保育園はできるだけ遅くしなさい。集団に慣れるというだけの
目的なら、ほかにも方法はあると思います。かなり神経質で、過敏傾向の強いお子さんのよう
なので、ここはとくに慎重にかまえてくださいね。

(9)「落ち込む?」……とんでもないことです。あなたは風邪をひいて熱を出して寝ている子ど
もを見て、落ち込むのですか? 親の愛には三種類あります。本能的な愛と代償的な愛。それ
に真の愛です。あなたはやっと代償的な愛(親のエゴにもとづいた身勝手な愛)にたどりついた
段階です。お子さんが苦しんでいるのに、落ち込む親がどこにいますか! 自分の思い通りに
ならないからといって、落ち込むのは真の愛ではない。代償的な愛です。あなたは自分の心の
すき間をうめるために、子どもを利用しているだけ。あるいはそれが「親の愛」と誤解している
だけ。きびしいことを書きましたが、これはあなたのためです。あなたがすばらしい母親になる
ためです。わかってくださいね。

(10)言葉の問題なでおについては、メールだけではお答えしかねます。

(11)最後に大切なことは、まずあなたの「わだかまり」が何であるかを知り、つぎにお子さんを
あなたの心の中に迎え入れることです。(あなたはお子さんをまだ迎え入れてはいない。)でき
がわるくても、「あなたを愛しています」「あなたが苦しいときは、お母さんも一緒に苦しんであげ
ます」「無理することはないのよ」「あなたはいい子ですよ」「あなたはすばらしい子になります
よ」「いやな人とは無理してつきあわなくてもいいのよ。お母さんだって、いっしょのマンションの
友だちと仲よくなれなかったのだから、偉そうなことは言えないのよ」と、言います。こうした言
葉を自然に言えるようになったとき、あなたのお子さんのもろもろの問題点は、ウソのように消
えています。どうかこの言葉を信じてください。そのときになると、(今でも問題はありませんが
……)、今あなたが悩んでいる問題など、どこかへ消えてなくなってしまいます。

 子育てははじまったばかりですね。これからつらいことや苦しいことが山のようにありますよ。
それはちょうど小さなヨットに乗って、大洋へ乗り出すようなものです。しかしそれがあるから人
生もまた楽しいのです。つらいときがあったら、私のサイト(トップページ)から「心のオアシス」を
のぞいてみてください。また何かあればメールをください。今日はこれで失礼します。(2002−
2−24)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

 色々な育児のホームページやテレビ(キレる子どもやサイレントベビーなど)を
見て日々感じていた事、思っていた事がありますが、はやし先生のホームページ
や今回お送り下さいましたメールを拝見し、なんとなくホッと致しました。お互
いの育った環境に準じた子育てをしたいと思う気持ちから、主人と意見が違いま
して、いつも考えておりました。

 下に私の子育てを書きますので、(書き終わりまして、見直しましたら、とて
も長くなっていました。)はやし先生のお時間のよい時で構いませんので、ご意
見を聞かせて頂けたらうれしく思います。

よろしくお願い致します。

 私の子育ての方針(と言いましても、はじめての子どもで手さぐりですが……)は、
「子どもに不安を与えない」ようにするということです。だから、3ヵ月半の子どもがミ
ルクでもなく、オムツでもなく、眠たくもなく、遊んで欲しくもなく泣いている
時は、できるだけ抱いてあげる。抱けない時は、声をかけたり、側にいたり、お
んぶするようにしています。反対に、子どもが機嫌がいい時や一人で遊んでいる時は、
ほおっておいていますが……とにかく、子どもが安心できる環境を作るようにし
ています。たとえば、我が子は暗いのが嫌いなのですが、「暗いのが怖い」と言う
不安な気持ちを植え付けたくないので、部屋を明るくしたり、寝る前だと少し明
るくして声をかけて子どもの目の届く場所にいたり、添い寝して体をなでてやった
りしています。私は、今「暗いのは怖くない」と安心を与えてやれば、そのうち
怖がらなくなるだろうし、遅くても物心がつき親の言うことが理解できるように
なれば怖がらなくなると思っています。(余談ですが、主人は今我慢させておか
ないと、大きくなっても「暗いのが怖い」と泣くようになると言います。)

★多くの人は、「子どもの心を大切にする」ということと、「甘やかし」を
混同しています。子どもの心を大切にするということは、甘やかしでは
ありません。特にこのケースのように、暗闇恐怖症(軽度ですが……。重度の
恐怖症の子どものばあい、「こわい」という気持ちすら表現できないまま、
おびえます)の子どもは、子どもの心が安定するまで、無理をしないのが、大原則
です。無理をすればするほど、また強引に親の判断を押しつければつけるほど、
子どもの心に大きなキズをつけることになります。

★「安心できる家庭」は、子どもの心をはぐくむための絶対条件です。「安心
できる」ということは、「疑いを抱かない」という意味です。本来、親側も
そういうことをあまり意識しないで、つまり「安心できる家庭をつくろう」という
気負いがないまま、安心できる家庭をつくれるとよいのですが……。少し
気負いが感じられるのは、お母さん自身も、どこかで「安心できない家庭」を
経験しているのかもしれません。気負いはえてして、子どもの側から見て、
「押しつけ」になることがありますから、この点は注意してください。

 私の私見ですが、「『抱き癖』がつく」と言う親は「『自立心』をつける」と
子どもの為と主張しますが、自分(親)が「早く子育てから解放されたい」と言う
心の言い訳(やむをえず仕事をしている人は仕方ありませんが)のような気がし
てなりません。私も「解放されたい」と思う事は多くありますが、他の動物と違っ
て人間の赤ちゃんは抱いて育てられるように産まれてきているのだと思っ
ているので、子どもを産んだ以上側にいて抱いてあげるのは当たり前だと思っています。
そして、幼い頃の不安は大人になっても心のどこかに残っているのだから、「心」
で与えられる安心は惜しみなく与え、欲求は満たしてあげようとも思っています。

★「抱き癖」については、多くの人が論じていますが、元来日本人はスキンシップの
少ない国民であるという大前提で考える必要があります。アメリカへ行くたびに、
親子でも、夫婦でも、恋人どうしでも、実に平気にスキンシップを繰り返して
いるのには驚かされます。(日本でいう抱き癖は、たとえば親側のほうから
一方的に抱くイコール、溺愛的な抱き癖をいいます。またもともと情緒が不安定な子どもは、自
分の情緒を安定させるためにスキンシップを求めてくることもあります。)
「抱き癖」と、一言では処理できない問題を含んでいます。

★「抱き癖」がついたから自立心がないとか、そういうことにはなりません。
子どもの自立は、もっと別の角度から考え、また論じなければなりません。
それはちょうど、風邪をひいて寝ている子どもに向かって、「あなたは寝ている
から、なまけもの」というぐらい、私には乱暴な意見に聞こえます。

★子どもが求める限り、スキンシップには応じてあげる。また子どもの
情緒が不安定になっているのを感じたら、積極的に抱いたり、手をつないだり
してあげることは、満4・5歳前後まではとても重要なことです。むしろ今、
親に抱かれない子ども、スキンシップを受けつけない子どもが問題になって
います。心に何らかの大きなキズをもった子どもですが、そういう子どもは
今度は自分が親になったとき、「子どもを育てられない親」になる心配があり
ます。

★子ども自身に何らかの情緒障害があるときは、たとえば自閉症、かん黙症など、
特定の人(親など)には抱かれますが、それ以外の人には心を許さない分だけ、
人には抱かれません。保育園や幼稚園の先生が抱こうとしても、体をこわばらせて
しまいます。心が緊張状態にあるためとみます。(表情にだまされてはいけません。)

★「惜しみなく愛を与える」「惜しみなく抱く」というのが、親側の一方的な、つま
り、恩着せがましい押しつけにならないように注意してください。親の欲望を満たす
ために、一方的に「してあげる」というのは、子どもの側からみて、「いらぬおせっかい」
となりやすいですから注意してください。

 主人はそれが「『甘やかし』であり、『自立心』のない子どもになる」と言いま
す。勿論、お判りでしょうが欲しいものを全て買い与えると言う意味ではないし、
「我慢」が出来る頃になれば、色々な意味で「我慢」をさせなければいけないと
も思っています。それは「我慢」を無理に押し付けるのではなく、その時々で時
間がかかるかもしれませんが、どうして我慢をしなければならないかを教えてい
けば、ダダをこねるだけのわがままを言ったり、甘えん坊にはならないと思って
います。そして「我慢」する事から「自立心」が生まれるのではないかとも思う
のです。

★おっしゃる通りです。この点については、あなたのご主人の意見は、正しく
ありません。先ほども書きましたが、「自立」というのは、子どもに考えさえ、
行動させ、そして責任をとらせることです。同じ「甘い」と言っても、それは
「甘い(だらしない)生活規範」をいいます。そうでなければ心配はいりません。

★子どもに「がまん」させるのではなく、もしたくましく自立した子どもにしたければ、
家の中で、どんどん使うことです。家事を積極的に手伝わせます。子どもにとって
忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいいます。台所の生ゴミを
手で始末するとか、そういうことです。もちろんほしいものをどんどん買い与える
というのは、ここでいう「甘い生活規範」になりますから、それは避けます。

 主人は子どもが一人でいい子にして遊んでいる時に、中途半端に遊んで自分の都
合で寝かせ、子どもがもっと遊んで欲しいと泣き、私が相手をしようとすると子ども
に「泣くな」と言い、私に「ほってほけ」「我慢させろ」と言います。子どもにし
てみれば自分が悪くないのに怒られている訳で、それなら最初から一人で遊んで
いる子どもに構って欲しくないし、「泣くな」でなく「お父さんは○○しないとい
けないから、いい子にして待っててね」と言って欲しいのです。

★こうしたケースでは、いろいろと不満がたまるかもしれませんが、100点満点を
夫に期待しないことです。「まあ、そこそこ適当に……」と考えることこそ、うまく
いくコツです。先ほども書きましたが、全体としてあなたは「よい母親であろう」とか
「よい家庭を築こう」という気負いが強過ぎるような気がします。それ自体は悪く
ないのですが、こうした気負いは、夫にしても、またあなたの子どもにしても、
かえって窮屈なものになりがちですから注意します。『子育てはまじめ七割、いいかげんさ
三割』と覚えておきます。やがて子どもは「パパはいいかげんな人だ」と思うように
なるかもしれませんが、さらにやがて、今度は子どものほうが親の操縦法を身につけ
ますから、それほどキリキリすることもないのです。子どもも、成長するということ
です。むしろ夫が子どもをあやしていたら、あなたのほうがそれを評価し、応援する
ようにしてみたらいかがですか。

 さらに、抱っこしても泣き止まない子どもに「こら!泣くな」と(主人は怒って
ないと言うのですが)怒ります。その前に、なぜ泣くかを考えてその原因を取り
除いてやって欲しいと思うのです。

★わかります。あなたは心のやさしい人で、子どもの心を理解しようとしています。
一方的に自分の考えを押しつけることを、「親意識」といいます。日本人は、
この親意識が強い民族です。長く続いた封建制度が、こうした親意識を生み出し
ました。今はその過渡期かもしれません。あなたの夫にも、「私は親だ」「父親は
権威だ」と意識がまだ残っているのかもしれません。あなたは妻として、そういう
夫をよく観察してみてください。あなたの夫の中に、「日本文化論」を発見できる
かもしれませんよ。(もっともこの問題は、そうは簡単には解決しません。あなたが
夫をさとしたところで、夫自身があなたのほうがかえってまちがっていると言うのが
オチです。)

 主人はそれらを何度言っても「自立心が養われない」「甘やかしすぎだ」「今
のうちから(物欲ではなく、不安感や安らぎを)我慢をさせろ」「将来わがまま
になる」と言います。私は、子どもがわがままになるのは、心の欲求を満たさず物
欲ばかり満たした結果、子どもが心の欲求を満たしたいが為に起こす行動ではない
のかと思ってるのですが、先生はどう思われますか? 主人の言うことも間違って
いないのでしょうか?

★あなたの夫には悪いですが、あなたの夫の考え方はあまりにも短絡的で、どう
反論してよいかわからないでいます。子どもの心を大切にするということは、
甘やかすということとは別問題です。まったく別問題です。またわがままになると
ということは、「ものの考え方が退行的、享楽的、自己中心的になること」を言います。
今回の問題はまったく別です。子どもの心にしっかりと耳を傾けながら、それが
わがままなものであれば、その時点で、毅然とした態度で、突っぱねればよい
のです。わがままな子どもについては、私のサイトのあちこちで書いていますので
また参考にしてください。

 私のしている子育ては、私の両親の子育て法であり、主人の言っていることは、
主人の両親の子育て方法でもあります。主人に聞いたのですが、自身は「自立心」
「我慢」と言って心も物欲も充分に満たされる事無く、押さえつけられて育てら
れた傾向にあると私は感じました。(勿論、子どもに良かれと思った結果なのでしょ
うが……)だからとは言い切れませんが、主人はわがままで物欲が強く我慢がで
きず、どちらかと言えば依存心が強いのです。(まぁ、いい所もあるので結婚し
たのですが。)

私も全ての欲求を満たされて成長したのではなく、厳しく(時にはひどく叩かれ
ましたが、私が悪い事をした時なので虐待とは思っていません。)育てられまし
たが「だめだからだめ」ではなく、「どうしてだめか」をいつも教えられていた
ように記憶しています。私の両親の子育てにも問題のあった所も、私の短所も自
負しているつもりです。
 だからこそ、子育てについてこれらの考えにたどり着きました。

★すばらしい発見をなさいましたね。私が同じことに気づいたのは、かなり
子育てが終わってからです。あなたはたぶんまだ若いと思いますが、ここまで
自分で発見なさったということは、あなたはすばらしい母親になれる資格があり
ます。(これは本気でそう思っています。)自分の過去を知る。そして今、あなたの
子どもが、「子どもの過去」を作りつつあるということ。それに気づけば、子育て
の真髄がわかったようなものです。(私の講演を聞きにおいでになったことが
ある方でしょうか?)実際、あなたのメールを読んで、私はいろいろ教えられました
し、感動しました。特にこの部分に、です。ここまで自分に気づく親は、本当に
少ないです。たいていの親は、自分の過去に引きずられていることすら気づかない
まま、同じ失敗を繰り返すのです。

 長くなりましたが、私は「甘やかし」や「わがまま」でではなく、自分の考え
を持ち、それを実践できるように「のびのび」と育てたいと思っています。

★まさに正解です。親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。親は子どもの
うしろを歩く。子どもの保護者として。親は子どもの横を歩く。子そもの友として。
あえて言うなら、「よい親であろう」という気負いは少なめにして、「友」として
自分を自覚してみたらいかがでしょうか。今のままだと、子どものほうが
窒息して、明るい笑顔が消えるかもしれません。どうかご注意ください。
(ひょっとしたら、あなたは夫にも、「完ぺきな夫」をあてはめ、それを
求め過ぎているのではありませんか? 子どもがまだ小さいから神経質に
なっているのは、理解できますが、あまり神経質にならないように。子ども
自身の伸びる力を信ずることです。)

 最後になりましたが、主人子育てについてのすれ違いに心苦しくなる時もあり
ますが、子どものことに無関心ではなく、色々と考えてくれるという事に違いはな
いので、それはとても嬉しい事とも思ってもいるのです。

★前だけを見て、前に進みなさい。あなたの夫はすばらしい人です。そういう
前提で前に進みなさい。すべてを受け入れて、すべてを許して前に進みなさい。
いいですか、ニ度と「まぁ、いい所もあるので結婚したのですが……」などとは
言ってはいけませんよ。そういう迷いは、やがて大きなわだかまりになりやすい
ので注意してください。あなたはあなたの夫を心底愛して結婚したのです。そして
あなたは今の子どもを心底望んで産んだのです。あなたの「現実」をすなおに受け
入れることです。わだかまりがあるなら、子どもが小さいうちに解決しておいて
ください。これから先、何度もそのわだかまりが、顔を出し、あなたの子育てを
狂わせます。今の「現実」を前提にして、これからの結婚生活を考えます。

長くなりましたが、ここまで読んでくださいましてありがとうございました。
新しい年まで後少しですが、寒くなってまいりましたので、
お体に気をつけ、よい年をお迎え下さい。
それでは、よろしくお願い致します。
(2001年12月26日付け)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●Hさんよりの返信

早速、ご意見を頂きまして、色々と考えさせられました。

 ★「惜しみなく愛を与える」「惜しみなく抱く」というのが、親側の一方的
な、つまり、恩着せがましい押しつけにならないように注意してください。

ご助言ありがとうございます。ハッとしました。
先ほどは書きませんでしたが、私は母に母の愛を「押し付け」られているように
感じている時期があり、とても苦しい時がありました。
(今はとても仲がよく、お互いに何でも話し合える母子です。)
「子供の為に」と気負わないように自然体で、子供に接しようと思いました。

 あなたの夫にも、「私は親だ」「父親は権威だ」と意識がまだ残っているのかもしれません。

主人自身そういう家庭で育ったのだから、そうなのだと思います。
この点は、おっしゃる通り今すぐにどうこうなるものではないので、
その時に出来る事を、苦痛でない範囲で手伝ってもらうようにしています。
そして、私は感謝の意をこめて「ありがとう」と言うように心がけています。

 あなたの夫には悪いですが、あなたの夫の考え方はあまりにも短絡的で、どう
 反論してよいかわからないでいます。子どもの心を大切にするということは、
 甘やかすということとは別問題です。まったく別問題です。

だから、私は先生に「押し付けでは?」と感じさせるぐらい、
「しなければ」と言う意識が強くなるのかもしれません。

(ひょっとしたら、あなたは夫にも、「完ぺきな夫」をあてはめ、それを
 求め過ぎているのではありませんか? 子どもがまだ小さいから神経質に
 なっているのは、理解できますが、あまり神経質にならないように。子ども
 自身の伸びる力を信ずることです。)

子供が生まれてすぐは、確かに私の理想「こうでなければならない」
「そうであって欲しい」を押し付けており、また主人はそれに
反発ばかりしていました。母の助言もあり私は押し付ける事
(反発された事に反発していました。)をやめました。
もしかしたら、主人が一歩引いてくれていたのかもしれませんが・・
今までの反発がなくなり、協力的になってくれました。

 「まぁ、いい所もあるので結婚したのですが……」

書き方が悪かったですね。すみません。
「悪いところばかりではない」→「いい所も沢山ある」という事を
伝えたかったのです。夫婦間のわだかまりと言うのはありません。
子育てのこともそうですが、私たちは何でも話し、また多くの意見交換をします。
だから、今回のようなすぐには解決の出来ない意見の違いも
多くあるのだと思います。
 そしてなにより、たまに言う親の無理や不愉快さから子供が主人を
嫌いにならないかと心配だったのです。
(いつもの楽しいことよりもたまにある嫌なことの方を
よく覚えていたりするので)

 主人の言っている事、している事は前回にも書いた通りですが、
それはいつもいつもではないんです。
彼は自分の思い通り(例えば、早く寝て欲しいのに寝てくれない。
子供が泣くので食事の準備が進まない、ゆっくり食事が出来ないなど)に
ならなかったりすると、自分より子供を相手にする私にムッとし、
その時に、色々なことを言うのです。
本気で言っているのかどうかは私には判りません。
(主人はしばしば思ってもないことを言ったと反省してますが、
私は心の中にない言葉は、口から出てくる事は口をついて出てこないだろう
と思っているからです。)そうは言っていても、私がどうしても
手が離せない時など抱く事ができない時は頼まなくても
主人が飛んでいって相手をしてくれています。
 そして、私が子供の相手をする事にその時は怒っていますが、
無理に止めさせたり、次の日に同じ事で怒ると言ったことはあまりないのです。
その都度冷静になった時に、反省をしているのかもしれません。

 前回、この事を書かなかったのは、主人の言っている事の中にもしかしたら
正しいことがあるのではないか?また、主人に「それは違うよ。」と
説明するときに、私の考えを押し付けて(主人には「押し付け」に感じる
だろうと言う意味です。)いいのかと疑問に思ったからで、
気になる事だけを書かせてもらいました。

 子供と一緒に遊び、嬉しそうに笑っている父子を見ると、
たまに無茶を言い、子供のような主人は、少しずつですが「父親」に
なっているのだと私はしみじみと思い、幸せを感じています。

 私の考え、主人の考えをお互いの父母からでなく、
第3者からの意見を聞いてみたいと常々考えている中、
時間がある時にインターネットで育児サイトを覗き、
皆さんがどういう考えで、子供とどう接しているかを見ていました。
 それと同時に専門家の方はどういう事をおっしゃっているのか、
知りたくもあり、たまたま覗いたメールマガジン発行サイトで
先生の事を知り、是非ご意見を頂きたいと思った次第です。
 そして、色々なご指摘やご助言を頂きまして、ありがとうございます。
心の中の疑問や迷いでモヤモヤしていた部分がスッと晴れたような気分です。
これからも、よろしくお願い致します。

追伸:また長々と書いてしまいました。
   (文章が下手なので恥ずかしいですが・・・)
   こんな私の考えでよければ掲載して下さい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:娘夫婦には3歳になる女の子がいますが、借金や主人の浮気問題を抱えているため、家庭
が不和で、孫娘が保育所や家で危険メッセージを発するようになりました。極端に食事を嫌が
ったり、保育所の先生を独占して団体行動がとれなくなったり、迎えにきた母親の事や、帰宅
を拒否します。保育所は大好きです。私は職業上(心理カウンセラー)娘にアドバイスを様々な
形でしてはいますが、根本的に大きな問題があります。それは、孫娘がダウン症で、言語発育
が不全なのです。情緒面や理解力や知的レベルは健常児に近く(簡単な会話は手話で出来る
ので)苦労は少ないのですが、ストレスがたまると暴れだす時もあります。こういう場合にカウン
セリング的関わりがどの程度有効なのか全く見当がつきません。解決のためのアドバイスを頂
きたいのですが。(徳島県Sより)

A:どうにかなる問題と、どうにもならない問題にはっきりと、二つに分けてみましょう。娘さん夫
婦の問題は、そのどちらですか。借金や浮気を乗り越えて、「夫婦」が成り立つ状態でしょう
か。それとももう危機的な状況でしょうか。しかしこの問題は、娘さんが結論を出し、親はそれ
を信頼し支持するしかないでしようね。今は、そういう形の離婚も多いし、離婚そのものが、問
題という時代ではありません。この問題は、娘さんの結論を、しんぼう強く待つしかないでしょう
ね。親としては苦しいでしょうが、ここは待つしかないでしょうね。あれこれ指示を出すのは、こ
の種の問題ではタブーかもしれません。
 
お孫さんの情緒の乱れは、家庭環境(騒動?)が原因だとするなら、そういう騒動から切り離す
ことは一つの選択肢でしょうね。しかし多かれ少なかれ、皆さん、同じような問題をかかえてい
ますので、「うちだけが……」とは、思わないでくださいね。
 
ダウン症のお孫さんについては、まったく問題はないわけですから、問題としないことです。もう
すでに受け入れておられるご様子ですので、気にしないで、前向きに考えられればいいのでは
ないでしょうか。その話とは別に、ストレスがたまると暴れるのは、かんしゃく発作をまず疑って
みます。私のHPのどこかにかんしゃく発作について書いたところがあります。またよろしかった
ら、ご覧になってください。(ほかに特に呼んでいただきたいのが、トップページから、「心のオア
シス」です。)
 
私もにっちもさっちもいかない問題をかかえたとき、一人の友人が、こう助けてくれました。「何
でもありのままを隠さず話す友人をつくれ。ぼくがその友人になってあげる」と。私はその友人
にすべてを話すことで、かなり助かりました。そしてそれまで問題だと思っていたことが、実は
何でもないささいなことだと知らされました。
 
娘さんとの信頼関係は、じゅうぶんありますか? もしあるなら、今、Sさんがかかえておられる
問題は何でもない問題ですよ。しかし娘さんとの間に、亀裂や断絶があると、結局は苦しむの
は、Sさんご自身かもしれませんね。娘さんは、やさしい言葉を、かけてくれますか。私はそう望
んでいます。そういう人間関係があれば、どんな苦労も乗り越えられますよね。
 
お孫さんの話に戻りますが、帰宅拒否、嫌悪症、摂食障害など、いろいろな神経症を表してい
るので、全体として、愛情不足を疑って、濃厚な愛情、安心できる人間関係を用意するしかな
いでしょう。その役をSさん自身がすることができませんか。6歳になるまで(中間反抗期を終
え、少女期へ入るまで)のことですから、それほど長くなくてもいいのです。あと2〜3年ですか
ら。6歳を過ぎると精神的にも落ち着いてきますので、それからはどうこうなるということは、心
配しなくてもいいでしょう。私も父が酒乱で、祖父が父親がわりをしてくれました。(まがりなりに
も、まあまあの人間になれました?が……) 
 
今、娘さんは、Sさんの理解と心の支えを、一番求めているでしょうね。「おまえが結論を出せ。
どんな結論であるにせよ、私たちは最後までおまえを信じ、おまえを支える」と言ってあげたら
どうでしょうか。「こうしろ、ああしろ」とは言わないように。またどんな結論でも、それについて批
判したりしないように。こういうとき親がすべきことは、「許して忘れる」ですね。私はそうしてきま
した。あとはあきらめ、前向きに進みましょう。「谷があるから山がある」とか、「どんな雲にも、
銀色の縁取りがある」とか、おなぐさめする言葉はたくさんありますが、しかしこれらの言葉は、
娘さんのご家庭の問題に対してではなく、Sさんご自身への言葉だと思ってください。晴れない
心。ふさいだ心。ゆううつな心。何をしても泣きたくなるような心。夜も眠られない。朝起きたと
き、一瞬静かな静寂を感じ、「ああ、こんな心もあったのか」と驚く……。私もそうでした。多分、
Sさんもそうではないでしょうか。あるいは私のようにうつ病でなければ幸いです。(私はうつ病
になってしまいましたよ。)もし心労が続くようでしたら、どうかSさんご自身の健康を大切になさ
ってください。しかしね、私も自分で、そういう経験をして、はじめて他人の苦しみを理解できる
ようになりました。今、Sさんのお気持ちがよく理解できるのは、そのためです。心理カウンセラ
ーだということですので、こう考えてはどうでようか。「今、私は娘に教えられている」と。私は息
子たちが問題をもちこむたびに、そう思って試練を乗り越えました。(私の場合は、ものを書くこ
とで、自分の悲しみを燃焼させることができました。)
 
Sさんも、この問題を乗り越えられたとき、私など足元にもおよばないほど、すばらしいカウンセ
ラーになっておられることと思います。いっしょに、乗り越えましょう。すでにSさんがお気づきの
ように、今、娘さん夫婦がかかえておられる問題など、なんでもないのです。何が問題だという
のですか。離婚するのもよし。お孫さんを預かるのもよし。世の中ではいくらでもある話ですし
ね。結婚に「形」などないし、「人生」に形などないのです。
 
一つ心配なのは、娘さんとSさんとの関係です。良好であれば、問題はないのですが……。第
一に修復すべきは、娘さんとの人間関係でしょうね。決して娘さんを責めたり、追い詰めたりし
ないように。しても無駄ですが、こういうケースでは、そういうことをすると、関係を決定的に破
壊しますし、破壊されると、その後、Sさんの苦労が、数万倍になってしまいます。心労がSさん
を押しつぶしてしまいます。しかし娘さんが、Sさんを信頼し、Sさんが娘さんを信頼していれば、
苦労が苦労でなくなってしまうはずです。「楽しく、この困難なときを乗り越えようね」とです。私
が一番気がかりなのはこの点です。できの悪い子どもほどかわいいと、昔から言いますが、そ
んなできの悪い子どもでも、「お父さん!」と言って胸に飛び込んできてくれれば、親の苦労な
ど吹き飛んでしまうということです。そのためにも、もし私にアドバイスできることがあるとすれ
ば、問題はこの一点です。「どうかお嬢さんを大切に。お嬢さんの心を大切に。お嬢さんを信
じ、支えてあげてください」です。ほかの問題は、すべて何でもない、よくある問題です。あとは
自然に解決する問題ばかりです。深刻に考えないように。すてきなお孫さんの笑顔が想像でき
ます。その笑顔を大切に。
 
とても私のような弱輩がアドバイスできるような方ではないように、お見受けしました。失礼が
多々あると思いますが、どうかお許しください。私でよければ、また何でも話してください。あな
たの友になります。喜んで……。
 
では。ツクツクボーシが目の前の栗の木の中でなき始めました。今日は浜北市で講演をしてき
て、ほどよい疲れが気持ちいいです。では……。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:人前で叱るなと、はやしは言うが……

A:子どもを叱るときは、人のいないところで……は、大原則です。それは子どもの自尊心を守
るためです。しかしその自尊心をキズつける心配のないときは、人前でも構わないことは言うま
でもありません。たとえば散らかしなどは、皆の前で叱っても、子どもの自尊心をキズつけると
いうことはありません。

 子どもの自尊心をキズつけるときというのは、たとえば、子ども自身が、誇りに思って
いることや、あるいは子どもの人格そのものを攻撃するようなときです。これを私は「格攻撃」と
言っています。たとえば「あなたはやっぱりダメな子ね」式の叱り方がそれに当たります。こうい
う格攻撃はしてはいけません。これは子どもを指導するときの、大原則です。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 学校の先生から呼び出しを受け、うちの子(小4女子)が、ほかのお子さんをいじめている
とのこと。あわててしまいました。

A: こういうケースでは、こちら側の正当性を主張しても意味はありません。いじめる側(加害者
側)といじめを訴える側(被害者側)の意識の差はたいへん大きく、あくまでも相手のお子さん
の立場になって考えてあげることこそ、重要です。おとなの世界ならともかくも、子どもの世界で
は、「親は、負けるが勝ち」です。先生の話をしっかりと聞き、相手のお子さんの立場で考え、
低姿勢で対処します。そして自分の子どもに向かっては、頭から叱ったりせず、言い分にはじ
ゅうぶん耳を傾けながらも、親として言うべきことは繰り返し言います。「いじめ」と言っても、い
じめる側にはその意識がないのが、ほとんでです。おもしろ半分に言ったり、したことが、相手
をキズつけているケースがほとんどと言ってよいでしょう。あなたにとって重要なことは、子ども
たちが、「学校」という世界で、互いに仲良く楽しく過ごせるような環境を用意してあげることで
す。そのため、親の主張はひかえます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 子どもをたくましい子どもにしたいが、どうすればいいですか。

A: フロイトは自我論の中で、「たくましさ」について、説明しています。それを子どもにあては
めて考えてみると、こうなります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
               自我が強い子ども      自我が弱い子ども
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  
行動能力       ものごとに攻撃的        ものごとに防衛的
             「やる」「したい」と言う      「いや」「つまらない」と言う
現実感覚       現実感が強い          空想の世界に逃げることが多い
             頼れるのは自分と考える    神秘的なものにあこがれる
趣味の方向性    将来に向かって展望をもつ  その場だけのせつな的な喜びを求める
             創造的              逃避的
衝動的行為      自己制御ができる       がまんができない
             自制心が強い          自制心が弱い
             善悪にしたがって行動する  善悪の判断が甘く、悪に流されやすい
 原稿の一部は、中日新聞のコラムに書いておきましたので、参考にしてください。
                    中日新聞 をクリック   


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

一つの離婚

 最近、知人夫婦が、離婚した。前から家の中はメチャメチャだと聞いていたが、(そう言って
いたのは、ワイフだが)、現実にそうなると、「どうして?」と思ってしまう。夫は、開業医。妻は、
東京の有名私大を出た、才女。実家の父親も、神奈川県で開業医をしているという。私たち夫
婦からすれば、雲の上の人たちということになる。

 離婚した理由はわからないが、ワイフはこう言った。「奥さんは、熱心なK教団の信者よ」と。
私は瞬間、壮絶な家庭内宗教戦争を想像した。が、宗教戦争が離婚をもたらしたと考えるの
は正しくない。こういうケースでは、何かほかに原因があって、妻が、信仰の世界に身を寄せた
と考えるほうが正しい。人は不幸になると、それがどんなタイプの不幸であれ、心に透き間がで
きる。その透き間を埋めるために、人は信仰に走る。……のめりこむ。こう決めてかかるの
は、信仰をしている人たちには失礼な言い方になるかもしれないが、心の透き間というのは、
そういうもの。私は「心のエアーポケット」と呼んでいる。このエアーポケットは、だれにでもあ
る。しかしふだんは、その人の理性や知性で、窓を閉じているが、ふとしたきっかけで開くこと
がある。

 いや、信仰が悪いと言うのではない。それぞれの道を極めるために、信仰の世界に入る人も
多い。しかし個人信仰と、組織信仰とは区別しなければならない。本来、信仰というのは、どこ
までも心の問題。心の問題だから、その人個人の問題ということになる。が、時として、その信
仰が、組織に組み込まれ、その組織に利用されることがある。そしていつの間にか、反社会的
な行動をしながら、その反社会性にすら、気づかなくなるときがある。そのため日本以外の先
進国では、宗教団体による政治活動はもちろんのこと、営利活動すら法律によって禁止してい
るところが多い。

 その組織信仰かどうかは、簡単な方法で見分けられる。その組織や組織の指導者を批判し
てみればよい。組織信仰をしている人は、組織あっての信者と徹底的に洗脳されれているか
ら、それに猛烈に反発する。そうでない信者は、組織そのものをもっていない。たとえば私の実
家は、真言宗大谷派だが、私の母も、家族も、現在の「長」がだれであるですら知らない。法事
のときは、所属する寺の僧侶の悪口を言いあって楽しんでいる。

 さて先の知人に話をもどす。その知人の家庭には、何か大きな問題が起きたらしい。そこで
その妻は、必死になって、つまり彼女なりのやり方で、家族をたてなおそうとした。K教団に救
いを求めたとしたら、それはあくまでも、その結果でしかない。が、夫婦で違う宗教を信ずるの
は、決定的にまずい。とくにK教団にように、ほかのあらゆる思想を否定するような急進的な教
団は、まずい。妻がその信仰にのめり込めばのめり込むほど、夫の思想だけではなく、人格を
も否定するようになる。そうなると、もう行きつく先は見えている。

 私はよく考える。宗教は心を救うか、と。いや、もちろん私にも信仰心は、ある。最初にそれ
を自覚したのは、昔、学生時代、満天の星空を見たときだ。私はその美しさに圧倒されて、た
だただ涙をこぼした。それ以前にも、何かにつけて、自分の信ずる神や仏に祈ったことはあ
る。しかしそうした自分なりの祈り方が、決定的に変わったのは、「サダコ」(原爆の少女「偵
子」、広島の平和記念公園の銅像になったモデル)という本を読んだときのことだ。英訳本だっ
たが、私は一ページ読むごとに目が涙であふれ、ときにはもうそれ以上、読むことができなくな
ってしまった。「こんなにも熱心に、神に祈った人がいる」「こんなにも強く、神の力を必要とした
人がいる」と。そう思ったとたん、もう自分のために、祈ることができなくなってしまった。

 いや、今でもときどき、ふと油断をすると、自分のために何かを祈ろうとするときがある。しか
し別の心が、それを止める。「お前より、もっと神や仏の力を必要としている人がいる。お前は
それ以上、何を望むのか」と。あるいは「神や仏に、スーパーパワーがあるとするならば、その
パワーは、私のためではなく、もっとその力を必要とする人のために使ってほしい」と。

 私は凡人だから、他人のために祈るというようなことまでは、まだできない。しかし少なくとも、
その「サダコ」を読んでからというもの、自分のために祈ることはやめた。仮に明日、死を宣告
されても、私は祈らない。私は今まで、じゅうぶん健康だったし、すばらしい家族に恵まれたし、
人生も半世紀を生きることができた。貧乏は貧乏のままだったが、しかし経済的に苦労したこ
とはない。山荘をもつという夢も実現した。私はそれ以上、人として、何を望むのか。

 知人夫婦は、ともかくも離婚した。男の子(高三)と女の子(中三)の二人の子どもがいたが、
男の子は父親が引き取り、女の子は母親が引き取った。聞くところによると、妻は神奈川県の
実家に帰り、ますます熱心なK教団の信者となり、毎日、毎晩、不況活動に専念しているとい
う。夫のほうには、もう再婚話がもちあがっているという。相手は、その医院に勤めていた看護
婦だという。ワイフから話を聞くたびに、私は、「なるほど……」と、へんに納得させられている。
(02−8−14)※


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:小学2年生、7歳の子供に国語や感想文の宿題を教えていますが、その子は集中力がなく2
分と前を向いて座っていられません。とにかくよそ見が多くて家庭教師の方も教えるのを断念
して断るらしいのですが、集中力をつけさせるいい方法はありませんか?いろいろな方に聞き
ましたがこれほど集中力のない子はいなかったらしく参考になりませんでした。その子にどうに
かして覚えたり学んだりする楽しみをわかってほしいのでいい方法がありましたらお教え下さ
い。

A:いくつかの方法があります。

(1)図書館の児童読書コーナーへつれていき、まず好きなことをさせます。1〜2時間も好きに
させていると、自分で好きな本をもってきます。つまりそれで子どもの方向性を知ります。

(2)その方向性について、親や教師の望まないものであっても、何も言ってはいけません。「こ
んな本はだめ」とか「こちらの本にしなさい」とかは言わないことです。

(3)このタイプのお子さんを預かるコツは、要するにがまんくらべと思うことです。短気を起こし
たら負け。

(4)方向性(たとえば機関車とかサッカーとか)がわかったら、「国語」とか「勉強」とかを意識し
ないで、その方向性にあった本なり読書を通して、「文字」のおもしろさを教えます。(子どもに
よっては、ゲームの攻略本なら読むという子どももいます。)親にそのあたりを理解してもらい
ます。まともな本(?)を読むのは3〜6ヶ月先ですと告げます。あせらないこと。(最初から児童
文学書的な本を読ませようと思うと、失敗します。)

(5)図書館でだめなら、(図書館でも落ち着かないようであれば……)本屋へ連れていき、「好
きな本を一冊なら買ってあげるよ。どんな本でもよいから選んでごらん」と話します。同じように
子どもがどんな本をもってきても、「おもしろそうだね」と言って、それをほめてあげます。

(6)方向性がわかれば、それに準じた本を与えるようにします。要するに教える側が、子ども
の世界に入るということです。

私の場合、もう15年ほど前ですが、毎週日曜日に、「読書クラブ」をつくり、毎週7〜8人の子
どもを連れて図書館通いをしました。しかしこの方法は、親には理解されず、「遊ぶに行く」と思
われ、評判はよくありませんでした。(実際、皆遊んでいましたが……。私も自分の好きな本を
読んでいました。)で、そのうち、一人二人と減り、結局1年半くらいでやめてしました。しかし本
好きにするには、これがベストの方法です。アメリカでも図書館のおける読書指導にたいへん
力を入れています。

さて集中力の問題ですが、疑ってみるべきは、「多動性児」の問題ですね。サイトのhttp://
www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/の「スクラップ」と、「中日新聞コラム」(http://www.chunichi-tokai.
co.jp/education/child_world/で読んでいただけます。

もし多動性児であれば、指導は、

(1)まずカルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがけ、精神面での沈静化をねらい
ます。カルシウムを、リン酸化する、リン酸食品をひかえます。

(2)勉強時間を、きわめて短時間に集中させます。2分もたないなら、2分だけと決めてかかり
ます。そして間に、遊びをいれ、気が向いたらまた2分だけ学習をねらいます。その間は毅然と
した態度で臨み、それを繰り返します。

(3)本来なら、勉強はあきらめ、その分のエネルギーを運動面やほかの面に向けさせて、エネ
ルギーを消耗させたほうが、結局は子どもにとってもよい結果が出るようです。英語にも、「打
ち寄せる波は止めることはできない」ということわざがあります。無理をすれば、免疫性や抵抗
力をつけ、さらには勉強嫌いにしてしまいますから、注意してください。7歳の子ども(生徒さ
ん?)ということですので、もうそろそろ落ち着いてくると思います。この1〜2年が勝負です。

集中力と知能は表裏一体の関係にあります。知的能力の高い子どもは、人を寄せ付けない集
中力を見せます。言い換えると、知的能力を高める方法がないのと同じように、集中力をつけ
る方法はなく、結局は子どもの方向性を見極めながら、その方向性にそった指導をするしかな
いようです。そしてそこから徐々に、好奇心を利用して、集中力を引き出していく……。M君とい
う男の子がいました。小学3年生でした。ゲームの攻略本なら読むので、「ソルダックの防御力
を2倍にするには、どうすればいいか」「金バージョンと銀バージョンはどう違うか」という作文を
書かせたら、喜んで書いていました。

あまり参考にならないかもしれませんが、私の経験がお役にたてればうれしいです。では、失
礼します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:学校の先生に問題があるが……

A:学校の先生の悪口、批判は、絶対に子どもの前ではしてはいけません。これは家庭教育の
大原則です。子どもが先生の悪口を言ったときも、「そうね」とか、「ママもそう思うわ」などと、
絶対に言ってはいけません。相槌を打てば打ったで、子どもは先生の指導に従わなくなるばか
りか、あなたの言葉は確実に先生に届きます。そうなればなったで、信頼関係は崩壊します。
もし問題があるなら、子どもとはまったく関係のない世界で処理します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:中学校での期末試験が終わって、がっくりしました。ミスだらけです。どうしてでしょうか?

A:昔、私がはじめて英語を勉強したときのこと。家に帰って「バイシクル」という英語を読んで
みせたら、祖父は、「浩司が英語を読んだ」と、心底喜んでくれました。しかし今、そういう感激
が消えました。テストの点数が悪かったりすると、親は「何だ、この点数は!」と子どもを叱った
りします。あるいは「幼稚園のときから英会話教室へ行ったのに、ムダだった」と嘆いたりしま
す。しかしどうしてそんな残酷なことを、子どもに言うのですか。がんばったとは言えないまで
も、子どもは子どもで精一杯、やったのです。それにテストといっても、日本のテストは、「皆が
一〇〇点だと困る。差がつかないから。しかし皆が〇点だともっと困る。差がわからないから」
が基本です。仮に皆がよい点を取るようになったら、問題が難しくなるだけです。

 さて本論。「ミスだらけ」ということですが、それも「力」(?)のうちです。力というのは、どうしよ
うもない力という意味です。恐らく本人も、どうしてそんなにミスが多いかわからないでいるはず
です。言いかえると、そういう力を責めても意味はないということです。仮に責めたところで、ミ
スがなくなるということでもないのです。

 こういうケースでは、そのミスを一番悔しがっているのは、子ども自身ではないでしょうか。だ
ったら、ミスを責めるのではなく、また「どうして?」と悩むのではなく、子どもの立場で、「あなた
はあなたなりによくがんばったのよ。今度はミスにもう少し気をつけよう」と言うべきではないで
しょうか。こうした暖かい前向きな理解が、子どもを伸ばします。親子のきずなを深めます。 


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:学校で落ち着きがないと、先生によく注意されます。

A:「落ち着きがない」原因は、いろいろ考えられます。心配なのは、多動性児ですが、ほかに
も、家庭崩壊で心の秩序をなくした子ども、活発型の遅進性が見られる子どもなどがいます。
最近気になるのは、「イメージが乱舞する子ども」です。映像文化の影響と私は考えています
が、詳しくは、中日新聞東海本社のコラムに書いておきましたので、お読みになってください。ト
ップページからアクセスできるようにしておきました。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:成績はまあまあですが、何ごとにつけ、そそっかしくて困ります。ミスが多いのが気になりま
す。

A:子どものもつエネルギーというか、バイタリティを大切にします。多少のミスよりも、子ども自
身が、達成感、満足感を味わうようにしむけます。こまかいことを言いつづけると、かえって自
信をなくしたり、萎縮したりします。ワークブックにしても、半分はお絵描きになってもよい。そん
なおおらかさが、子どもを伸ばします。子どもを萎縮させるものに、完ぺき主義、スパルタ主
義、極端主義があります。「極端主義」というのは、私が考えたものですが、ものの考え方が極
端になる主義をいいます。たとえば「やる」と決めたら、あれもこれも、やり、「やめる」と決めた
ら、すべてをやめてしまうという育て方をいいます。子どもの成長は大きな川の流れのようなも
のです。変化を与えるとしても、少しずつ、ていねいに与えます。急に変えようと無理をすれば
するほど、子ども自身のよさも奪ってしまいます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:漢字の学習をやりたがらないので困っている。(小4男児をおもちのお母さん)

A: そもそも勉強というのは、いやなものです。私も女房がある会の役を務め、そのため書記
的な仕事を手伝っています。名簿を作成したり、会報を作ったり。で、そういう仕事というのは、
しばらくほうっておくと、すぐ山のようにたまります。で、私が自分のパソコンを使って、それを作
るのですが、これが結構めんどうですね。女房は「まだやってくれないの!」と怒りますが、自
分の時間をみつけるのがたいへんです。いや、結構ヒマなのですが、ヒマになればなったで、
自分のために楽しみたい……。
 
子どもは学校で、約8時間の重労働を学校でしてきます。その上、家での宿題です。やりたが
らないのが、正常です。むしろ黙々と、従順に漢字の学習を続ける子どものほうが、心理的に
何らかの問題がある子どもとみます。小4でしたら、まだ勉強の必要性を理解できる年齢では
ありませんから、本人の自覚をまつしかないと思います。ただできれば、子どもに勉強を強い
るのではなく、おうちの方が一緒に座ってあげて、学習を楽しむというのはどうでしょうか。30
分間一緒にすわってあげて、まあ10分、勉強らしきものをすれば、この時期、上出来です。

 メールによれば、「事務的なことが苦手な子ども」ということですが、実のところ私もそうで、お
子さんの気持ちがよ〜くわかります。

 まずいのは、学習を強制して、文字嫌いから国語嫌いや、作文嫌いにしてしまうことですね。
そうなれば、大失敗というもの。メールによれば、能力的、性格的には問題のないお子さんとい
うことですから、今しばらく、このままのドラマを続けられたらよいと思います。将来的には、漢
字など、いつでも取り返せますから。よそのお子さんは、皆、しっかりと学習していると思ってお
られるようですが、そんなことはありません。小4で、家で積極的に学習している子どもというの
は、10人に一人もいないと思ってください。「隣の芝生はよく見えるもの」です。

 このコーナーの「格言集」も、また参考にしてください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:早期教育は必要ですか。小学校入学までに、どんなことをすればいいですか。

A:小学校でする勉強を、先取りするのが早期教育ではありません。幼児期には幼児期にすべ
きことが山のようにあります。早期教育というのは、将来に向かって、その基礎をつくる教育の
ことをいいます。たとえば「文字を教える」のではなく、「文字を好きにさせる」というのが、早期
教育です。これをまちがえると、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまいますから、注意してく
ださい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:習い事はどこまですればいいでしょうか。

A:習い事が問題ではなく、子どもの意思を確かめているかどうかが、問題です。子どもの意思
を聞きながら、決めます。ただ子どもは、お調子者ですから、先のことをあまり考えず、「やりた
い」とか、「する」とか言いますが、オーバーヒートさせないように、させるのがコツです。なお習
い事は一度に急にふやさないこと。またやめるときも、一度に急にやめないのがコツです。い
つか機会があれば、私の本を読んでみてください。そのあたりを詳しく書いておきました。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:離婚を考えているが、子どもに与える影響は……?

A:離婚そのものが子どもに与える影響は少ないです。離婚が問題となるのは、その離婚に至
る過程で、騒動が起きるからです。この騒動が子どもに深刻な影響を与えます。子どもに見せ
る騒動は最小限に。なお子どもは、自分が愛されているというきずなさえ大切にすれば、荒れ
るということはありません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:はやし先生はじめまして。 私は掛川市内に住むYと申します。2歳3ヶ月になる息子がいま
す。
 
先生の中日新聞でのコラムを毎回興味深く拝読しております。本も買わせていただきました。
先生のご意見を伺うにつけ「こういう考え方があったんだ!」と目からウロコをハラハラとさせて
喜んだり、反省したりしています。育児の壁にぶち当たると、こういうときはやし先生は何ておっ
しゃるのかな?」と思ったりもしています。
 
実は今も息子のことで気に病んでいることがあり眠れずに悶々とネットサーフィンしていたとこ
ろ先生のHPを拝見し、ご迷惑とは思いつつ「どうぞ遠慮なく・・・」とある先生のお言葉に甘え
て、うしてメールを送らせていただきます。
 
相談についてですが内容は息子の性格についてです。ちなみに私は専業主婦で天気が良け
れば 毎日近所の公園で母子ともども顔見知りになった友達親子と遊んでいます。
 
息子は赤ちゃんの頃はまったく人見知りしない子供だったのですが1歳半ぐらいから家族以外
の人に話し掛けられると固まるようになってしまいました。
 
知らない人の集団に入っても泣いたりすることはなく楽しく遊びます。 相手が大人でも子供でも
自分から話かけることも あります。「けんちゃん(自分のこと)○○行ったきたの。」とか 「今何
してるの?」とか。 早いうちから単語が出て言葉は決して遅くはないと思いますが外にいる時
よりは家の中の方が口数が増え楽しそうにしゃべります。
 
でも初めて会う人にはもちろん、毎日のように遊んでいる子供たちや親御さんに挨拶され、面
と向かって話し掛けられると ちょっと笑いながらだったり、時には下を向いて 黙ってしまいま
す。 でもその人たちと一緒に居ることは大好きで「公園に行く」「○○ちゃんと遊びたい」と訴え
てきますし楽しそうに一緒に遊んでいます。 公園で遊ぶ同じ月齢やそれ以下の子供たちはほ
とんど「おはよう」ばいばい」「ありがとう」など息子に対して言ってくれます。自分から言えない
子も親に促されれば言えます。私もせめて話しかけられたらお返事できるようになって欲しいと
思うのですが息子は全く言えません。
  
家の中で挨拶の絵本を読んだり、ゲーム感覚で例えば「朝起きた時の挨拶は?」などと聞くと 
「おはよう!」と正しい返事があるので どんな場面で何て挨拶するのかは理解しているようで
す。 主人を玄関で見送る時は「ばいばい!」などと自分からしています。家族には「ありがとう」
も言います。昨日は主人に「公園で○○ちゃんママにお菓子もらった。でもアリガトウって言え
なかった。」と自分で言っていました。
 
他人と比べてはいけないと思いつつ「どうして家の子は言えないんだろう」という思いが募って
います。周りの友達も「いつかは言えるから」と 言ってくれますがそのお子さん達は上手にご挨
拶ができるので情けないのですが何だか素直に聞き入れることができません。
 
これは単に照れていると思っていいのでしょうか?息子の変わりに私が返事したり挨拶してい
るのですが それでいいのでしょうか?親が言っていればいつかは言うようになると 言われま
すが本当でしょうか?最近カンモク症をいう症状を知り息子もそれに近い状態なのかと不安で
す。 
 
また性格はどちらかというとおっとりしており公園などでおもちゃを取られたり転ばされてもワー
ッと怒ることがなく涙をためてじっとしています。痛い時はもちろん泣きますが イライラとして癇
癪を起こすようなこともありません。遊具なども順番に使うことを教えたら それを守りますが強
引な子に横取りされくやしいようですが小声で「ダメ」と言うだけです。
 
「お菓子がもっと食べたい」などと家族に自分の気持ちを主張して 泣くこともありますが「ご飯
前だから」とか「食べ過ぎだから」と 理由を何度か説明するとそれ以上は訴えてきません。おも
ちゃなども使う意志がなくなると自分で片付け始めます。
 
今まで私も取りたてて大声でガーッと怒ったことがなく、 家族からも友達からも息子は「育てや
すくおっとりした話せばわかる子」という目で見られています。
 
こういう息子は育てやすい物分かりのいい子供と喜ぶべきなのでしょうか? いいかえれば自
己主張が足らない、気が弱い子ということではないですか?私は今の息子の状態がとっても不
安です。もっと子供らしくイヤだったら もっと泣いて訴えればくれればいいと思うし、手をだされ
たらやり返すくらいのくやしさを表現したらいいのにと親の私が歯がゆく思ってしまいます。 息
子にも2歳児なりのストレスが溜まっているのでは、と心配するのですが それは親馬鹿な思い
でしょうか?
 
そこで私はついつい息子に教えるつもりもあって、他の子供とのやり取りに口を出してしまいま
す。おもちゃを取られそうになると、「いま健ちゃん(息子の名前です)が使ってるから待ってて
ね。」とかたたかれたら 「痛いからやめてね。」とか。やっと息子もここ2、3週間前から取られ
そうになると「今、健ちゃんが使ってるから!」と 言葉で抵抗したりおもちゃをギュと強く抱え込
むようになりました。自分で言えない時は相手の子のところまで私の手を引っ張っておかあさ
んが(言って)!」と言うようになりました。私が口を出すことで真似するようになった、とうれしく
思っていました。 
 
でも今日初めて公園でその様子を見た主人に指摘されたんです。「過保護すぎる。赤ちゃんじ
ゃないもう子供なんだから子供同士で 好きにさせるべき。特に男なんだし取られたら取られた
で ほっておけばいい。自分で解決する」と。 なんだか頭を殴られた気分でした。そういうものな
のかと。 たしかに私は息子のためではなく自分の気が済まないから 口出ししていたのかも。
 
挨拶の時でも取り合いの時でも、自己主張が苦手な部分をフォローしてやりたい気持ちと そ
れも個性と認め、できなくでもいいじゃないと受け入れてやりたい気持ちが 私の態度を混乱さ
せています。
  
息子にとってどうすることがいいのでしょうか。他人とのコミュニケーションが苦手な息子に親と
してこれからどのように接すれば良いのでしょうか。
 
私は母に言葉による暴力を受けて育ちました。 母は思い通りに行かないイライラやつらさを子
供に当たり散らす人でした。私は小学生の時からうちに帰りたくないと悩み、中学生の時は必
要以上に母と会話をしませんでした。 常に母親の顔色を見て過ごしてきました。大学生になり
親元を離れることで関係は修復し今も時々子供を連れて帰ると喜んでくれます。でも未だに母
の前に行くと緊張し、素直に自分の気持ちを話すことができません。母に触れる時も体がこわ
ばります。母に認めてもらいたい一心で色々と自分に無理なこともしてきました。でも受け入れ
てもらったと思うことは ありません。今でさえ親子ごっこのように息子と3人で出かけたりします
が母を心の底からは信頼していません。母は今でも33歳になった私に「あんたはやればでき
る子だったのに」と愚痴をいうような人です。 
 
独身の頃から「絶対こんな親にはなりたくない!」と自分の心に言い聞かせてきました。 息子
が生まれてからできるだけ息子の気持ちを理解してやりたいと思ってきました。でもそう思うこ
とで常に「私の育児が間違っていないか、息子を苦しめていないか」が気になってしまうので
す。 育児の正解が何なのかわかりませんし これで良かったなんて死ぬ間際しかわからないと
思いながら、です。もっと肝っ玉母さんのようにどーーーん!としていたいのに そうできませ
ん。2人目3人目と経験を重ねていく上で 「こんなことで悩んでいた」と笑える日が来るのでしょ
うか。 こんなに細かいことで悩んでいたら、息子のためにと理由をつけながら、いつか母と同じ
ように 「あの子ができてなんであんたが出来ないの」と言う親になってしまいそうで自分が情け
ない気持ちでいっぱいです。
 
なんだか愚痴のような相談で、しかもとんでもない長文になってしまいお忙しいところお手をわ
ずらわせて申し訳ございません。 厳しいお言葉、お叱りで結構ですので先生のお考えやアドバ
イスなど頂けましたら 大変うれしいです。
 
季節の変わり目ですのでお体にお気をつけください。 これからもご活躍楽しみにしておりま
す。 講演会にもぜひ一度伺いたいと思っております。 稚拙な文章で失礼の多々、お許しくださ
い。 メール、ありがとうございました。(掛川市・Yより)
 
A:まず第一に、Yさん自身の中に、「母親像」がないことが気になります。母親像が混乱してい
ると言ってよいかもしれません。あなたのお母さんに対する態度、姿勢に、あなたの母親像の
乱れをみるわけです。もっと言えばあなたのお母さん自身も、何らかの理由で、あなたという娘
を心底、愛することができなかった……? それが、因果応報のように(これを世代伝播とい
う)、あなたへと伝わっているとみます。あなたの子育てがどこかぎこちないのは、そのためで
す。つまりあなた自身が、「親像」を定めることができないでいるわけです。
 
しかしこの問題は、ほぼ解決しつつあるとみます。今、あなたが「修復」という言葉を使えるの
が、その理由ですが、それ以上に、あなた自身が、自分のそういう「面」に気がついている。あ
なたはそういう意味で、すばらしい母親です。(たいていの親はそれに気づかないまま、日常生
活の中で振り回されています。)この問題だけは、自分自身の中の「わだかまり」に気づくだけ
で、少し時間はかかりますが、やがて解決します。(気づかないといつまでも振り回されることに
なります。)
 
あなたは対母親との関係の中で、心のキズをもっています。いえ、だからと言って、あなたのお
母さんを責めてはいけません。だれだって、一つや二つ、そんなキズはもっているものです。恐
らく、あなたのお母さんも、戦後の混乱期の中で、落ち着いた家庭生活をもてなかったのかもし
れません。一度、娘の立場で、あなたの両親の関係、あるいは昔の生活環境を観察してみる
とよいでしょう。「なぜ、お母さんはそういう人になったのか」と。そうすることによって、さらに自
分の姿が見えてきます。つまりそれが「わだかまり」と戦う方法の一つだということです。
 
こうしてあなた自身の「親像」を、根底から修復します。(今の修復方法はいわば対症療法のよ
うなもので、基本的な解決方法にはなりません。あなた自身が、親像をもてないため、あるい
は脳の中にインプットされていないため、ご自身の子育てで混乱するのです。昔、こんなことを
言う父親がいました。「子どもの抱き方がわからない」と。その父親は、母子家庭で育てられた
人でした。つまりその人には、「父親像」が入っていなかったのです。親は、自分が育てられた
という経験があって、はじめて自分の子育てができます。そうでなければ、頭の中だけで子育
てをしようとしますから、どこかぎこちなくなるわけです。前提として、今のあなたの子育ては、
そういうものだと考えてください。繰り返しますが、そういうふうに自分を正直にながめること
が、この問題の最良の解決策だということです。つまり、「何だ、私には親像がないのだ」「だか
ら親像をつくればいいのだ」「無理をすることはないのだ」と居直るのです。
 
あなたは今、「よい親になろう」「よい親であるためにはどうすればいいのだ」というように、心の
どこかで無理を重ねている。そういう無理が、回りまわって、あなたの子育ての不安へと姿を変
えているのです。無理をしてはいけません。先に書いたように、心豊かで、親の愛情をたっぷり
と受けて、何一つ不自由なく育った人のほうが少ないのですから……。居直るのです。「私は
私」と。そういう居直りがあなたの心に風穴をあけ、子育てを気楽なものにします。「よい母親」
を演じないことです。もっとわkかりやすく言えば、「親ではなく、友として、あなたの子どもに接
すること」です。
 
あなたのようなタイプの親を、気負いママと言います。「よい親であろう」という気負いまかりが
強くて、疲れてしまうのです。つまりあなた自身が、自分の心の緊張から解き放つことができな
いのです。心理学的には、情緒不安定ということになります。(もともと情緒不安定というのは、
この緊張感から解放されないことをいいます。心はいつも緊張してますから、何ごとにつけ、不
安発作に襲われるのです。これは私の意見ではなく、心理学の世界では常識です。)
 
いいですか、だれだってそうなのです。あなただけが特別ではないし、あなただけが不幸でもな
いのです。みんなそうなのです。みんな、外から見るとうまくいっているように見えますが、それ
は「見せかけ」。日本人はもともと、親像をもつのがへたな国民です。権威主義で、まあ、世界
的にみても、へたなんですね。封建時代の後遺症というか、いまだに封建時代の遺物を引き
ずっているというか……。あなたもその一人に過ぎないということです。「私は子育てはへた。
親が親だからしかたないでしょ。だからあんた(あなたの子どものこと)も、すばらしい母親を求
めないでね。期待しても無理よ」と、まあ、居直ればいいのです。あなた自身が言うように、優
等生を自分に求めないこと。
 
ではどうするか?

あなたの子どもを「友」として受け入れます。これには時間がかかりますが、というのも、あなた
自身の「親意識」が強すぎるので(自然な形での親像がないのが、そのまた原因)、その親意
識との戦いになるから、しかし努力してみてください。あなたはあなたの子どものことを心配して
いるようで、結局は、自分の子どもを自分の思い通りにしたいだけです。(これもよくある例で、
これを代償的愛、あるいは代償的過保護といいます。)もっと言えば、あなたは自分の子ども
を、受け入れていない。あるいはまだまだ、「子どもを愛する」ということがわかっていない。失
礼なことを言いますが、愛することは、苦しいことであり、まさに「許して忘れる」の連続です。そ
れはというのも、不幸にして、あなた自身が、そういうをあなたの母親から受けていないからで
す。(はっきり言い過ぎるかもしれませんが、許してくださいね。あなたにはたいへんショックな
ことばかり書きますが、あなたにすばらしい母親になってほしいからです。)
 
あなたは子どもを育てているのではない。将来のすばらしい友を育てているのです。そういう視
点で、あなたのお子さんを一度見てみてください。そうすると、あなたのお子さんの苦しみや悲
しみがもっと見えてきます。あなたのお子さんはお子さんなりに、懸命に「いい子であろう」とし
ているのです。それをあなたが、「ふつうでない」「もっと……」と思えば、結局は、あなたがあな
たの母親との間で感じた苦しみを、あなたの子どもに与えることになるのです。あなたは今、無
意識のうちにも、自分が感じた苦しみ(あなたは「言葉の暴力」と言いましたが)を、再び繰り返
しているだけです。わかりますか? あなたの子どももいつか、おとなになったとき、今のあな
たと同じことを言いますよ。「ぼくの母は、ぼくを信じてくれなかった。いつも、世間の目を気にし
ていた。ぼくはいい子でいることばかり考えていた」と、です。これが世代伝播です。わかります
か?
 
あなたのお母さんは、あなたに対してぎこちない子育てをした。今もしている。そして今度は、あ
なたも今、ぎこちない子育てをしている。そしてさらに、あなたの子どももおとなになり、親になっ
たとき、またぎこちない子育てをする。あなたの子どももいつかあなたという人に接するとき、今
のあなたのように緊張する……。ああ、もうこういう因縁は、ここで断ち切らねばなりません。で
はどうするか?簡単です。ウソでもいいから、たった今から、あなたの子どもに向っては、「あな
たいい子」「すばらしい子」「自慢の息子」と、言えばいいのです。あなたはお子さんのマイナス
な面ばかりを気にしていませんか。もしそうなら、そうではなく、よい面だけを見るようにするの
です。(あなたのお母さんはきっと、あなたのマイナスな面ばかりを見ていたのではありません
か?)いつか(3ヶ月後とか、半年後に)あなたが自然な形で、「あなたはいい子ね」と言えるよ
うになったとき、あなたのお子さんも、そのいい子になっていますよ。つまりこうして子どもをな
おすのではなく、あなた自身の心を修復するのです。(たいていの親は、子どもに問題があると
子どもをなおそうとします。しかしなおすべきは、自分自身なのです。)
 
さて本論。

お子さんの問題ですが、緘黙症というのは確かにあります。そうであるかないかは、今回のメ
ールだけでは判断しかねます。が、同じような症状は、がんこな子どもや、かんしゃく発作(ふて
くされ、無視)の子ども、敏感児、過敏児、対人恐怖症の子どもにも見られます。また緘黙症と
いうのは、まさに「貝殻を閉ざしたように固まります」ので、症状が極端な形ででてきます。詳しく
はサイトの「子どもの見方」で書いておきましたので、参考にしてください。もしそうであるなら、
これ以上、症状を悪化させないことだけを考えて、無理をしないことです。(心を許した人なら、
抱かれますが、緘黙症の子どもは、他人に心を許しません。許さない分だけ、まず他人に抱か
れません。あいさつをするとかしなとかいうような簡単な問題ではありません。かん黙児の子ど
もは、まずあいさつすらしません。)

いただいたメールの範囲では、私は対人恐怖症ではないかと思いますが、はっきりしたことは
言えません。緊張性の恐怖症です。(私も実のところそうでして、たとえば今は飛行機恐怖症で
す。一度、飛行機事故に遭遇していますし、今度のNYのテロ事件でそれがまたまた倍化してし
まいました。)そういう恐怖症は理屈では処理できないものです。あくまでもお子さんの立場で、
お子さんの視点で考えるようにしてください。無理をしてもなおるものではありません。かん黙
児は、ふつう家の中では、ワーワーともっと無防備に自己主張しますが……。メールによれ
ば、あなたの前でもどこか内閉しているような印象を受けます。かん黙児というのは、1000人
に2〜3人の出現率ですから、私は考えないほうがよいと思いますが……。もし心配なら、もう
少し大きくなったら、保健所の窓口か、児童相談所で相談なさるといいでしょう。私でも診断は
できませんが、「そうでない」という判断はできます。(立場上、かん黙児ですという診断はでき
ませんが、かん黙児ではないという診断ならできるということです。4歳ぐらいになったら、一度
また連絡をとってみてください。まず、その心配はないと思いますし、仮にそうであってもなおす
方法はいくらでもありますから。夜尿症と同じ脳の機能障害ですから、おおげさに考えることも
ないのです。もともとは……。)
 
なお1歳半のとき、「固まる」ということでしたが、これは固まるのではなく、むしろ正常な反応で
す。ちょうどそのころは、「人見知り」する時期にあたります。むしろそれがない子ども(ホスピタ
リズム)のほうが心配なのです。で、今は2歳半ということでですが、この時期の対処のしかた
が、今の対人恐怖症の原因になっているのではないでしょうか。これもよくあるケースで、珍しく
ありませんので、深刻に考えないでくださいね。もしどうしても心配なら、もう一度、4・5歳から
5・5歳にかけて、修復する時期がありますので、そのときの対処方法をいつかお教えします。
(子どもが乳幼児から、少年期へと移行する中間反抗期の時期です。)
 
順に考えていきます。
 
「知らない人の集団に入っても泣いたりすることはなく楽しく遊びます。 相手が大人でも
子供でも自分から話かけることも あります。「けんちゃん(自分のこと)○○行ったきた
の。」とか 「今何してるの?」とか。 早いうちから単語が出て言葉は決して遅くはないと
思いますが外にいる時よりは家の中の方が口数が増え楽しそうにしゃべります。」
 
やはりかん黙児の心配はないですね。かん黙児は安易にはおとなには
決して話しかけませんから……。
 
「でも初めて会う人にはもちろん、毎日のように遊んでいる子供たちや親御さんに挨拶さ
れたり面と向かって話し掛けられると ちょっと笑いながらだったり、時には下を向いて 
黙ってしまいます。 でもその人たちと一緒に居ることは大好きで「公園に行く」「○○ちゃ
んと遊びたい」と訴えてきますし楽しそうに一緒に遊んでいます。 公園で遊ぶ同じ月齢や
それ以下の子供たちはほとんど「おはよう」ばいばい」「ありがとう」など息子に対して言
ってくれます。自分から言えない子も親に促されれば言えます。私もせめて話し掛けられ
たらお返事できるようになって欲しいと思うのですが息子は全く言えません。」
 
あなたがあなたの母親に接したとき緊張するように、
あなたの子どももあなたに接すると緊張するのです。
わかりますか? そのときのあなたの子どもの心理は
実はあなた自身が、一番よく知っているはずです。
  
家の中で挨拶の絵本を読んだり、ゲーム感覚で例えば「朝起きた時の挨拶は?」などと
聞くと 「おはよう!」と正しい返事があるので どんな場面で何て挨拶するのかは理解し
ているようです。 主人を玄関で見送る時は「ばいばい!」などと自分からしています。家
族には「ありがとう」も言います。昨日は主人に「公園で○○ちゃんママにお菓子もらっ
た。でもアリガトウって言えなかった。」と自分で言っていました。
 
もう少し肩の力を抜いたらどうでしょうか。
あいさつなんてものは、したければすればいい。したくなければ
しなくてもいい。目と目だけでもあいさつはできますよね。
アメリカのように「ほほえむだけであいさつ」を交わす国もありますよ。
 
他人と比べてはいけないと思いつつ「どうして家の子は言えないんだろう」という思いが
募っています。周りの友達も「いつかは言えるから」と 言ってくれますがそのお子さん達
は上手にご挨拶ができるので情けないのですが何だか素直に聞き入れることができま
せん。
 
比較は一度クセになると、ずっと子育ての基本になりますから
しないように。あなたのお子さんの心も、あなたから離れます。
ご注意!
 
これは単に照れていると思っていいのでしょうか?息子のかわりに私が返事したり挨拶
しているのですが それでいいのでしょうか?親が言っていればいつかは言うようになる
と 言われますが本当でしょうか?最近カンモク症をいう症状を知り息子もそれに近い状
態なのかと不安です。 
 
まず、緘黙症ではないと思います。基本的には、不安先行型の
子育てをなさっているように思います。なぜ、あなたは自分の
子どもを信じられないのですか。ひょっとしたら、あなたとあなたの
夫の間にも、何らかのわだかまりがあるのでは……? あなたは
電撃に打たれるような恋をして、相思相愛で結婚し、まちこがれて
今のお子さんをもうけましたか? そうであるなら、わだかまりは
ないはずですが……?
 
また性格はどちらかというとおっとりしており公園などでおもちゃを取られたり転ばされてもワー
ッと怒ることがなく涙をためてじっとしています。痛い時はもちろん泣きますが、 イライラとして
癇癪を起こすようなこともありません。遊具なども順番に使うことを教えたら それを守りますが
強引な子に横取りされくやしいようですが小声で「ダメ」と言うだけです。
 
かなりお子さんは無理をしています。乳児期からあなたと一対一の
狭い世界で子育てをしたのが原因です。今ではふつうのことですから、
ここは居直りなさい。「うちの子は、こんなもんだ」とです。
オールマイティな子どもは求めないこと。子どもというのは、
得意な分野を伸ばし、不得意な分野には目をつむるようにして
育てます。要するにあきらめることはあきらめる。もうその時期に
きていますよ。
 
「お菓子がもっと食べたい」などと家族に自分の気持ちを主張して 泣くこともありますが
「ご飯前だから」とか「食べ過ぎだから」と 理由を何度か説明するとそれ以上は訴えてき
ません。おもちゃなども使う意志がなくなると自分で片付け始めます。
 
やはりいい子ぶっています。ご注意。
 
今まで私も取りたてて大声でガーッと怒ったことがなく、 家族からも友達からも息子は
「育てやすくおっとりした話せばわかる子」という目で見られています。
 
育てやすいのではなく、あなたの過関心が、お子さんをしてそう演じさせて
いるだけでは……?
一度、サイトの「ママ診断」を受けてみてください。多分「過干渉ママ」と
診断されるはずです。
 
こういう息子は育てやすい物分かりのいい子供と喜ぶべきなのでしょうか? いいかえれ
ば自己主張が足らない、気が弱い子ということではないですか?私は今の息子の状態
がとっても不安です。もっと子供らしくイヤだったら もっと泣いて訴えればくれればいいと思う
し、手をだされたらやり返すくらいのくやしさを表現したらいいのにと親の私が歯がゆく思ってし
まいます。 息子にも2歳児なりのストレスが溜まっているのでは、と心配するのですが それは
親馬鹿な思いでしょうか?
 
上と同じ。
 
そこで私はついつい息子に教えるつもりもあって、他の子供とのやり取りに口を出してし
まいます。おもちゃを取られそうになると「いま健ちゃん(息子の名前です)が使ってるから待っ
ててね。」とかたたかれたら 「痛いからやめてね。」とか。やっと息子もここ2,3週間前から取
られそうになると「今、けんちゃんが使ってるから!」と 言葉で抵抗したりおもちゃをギュと強く
抱え込むようになりました。自分で言えない時は相手の子のところまで私の手を引っ張って「お
かあさんが(言って)!」と言うようになりました。私が口を出すことで真似するようになった、とう
れしく思っていました。
 
上と同じ。 
 
でも今日初めて公園でその様子を見た主人に指摘されたんです。「過保護すぎる。赤ち
ゃんじゃないもう子供なんだから子供同士で 好きにさせるべき。特に男なんだし取られ
たら取られたで ほっておけばいい。自分で解決する」と。 なんだか頭を殴られた気分で
した。そういうものなのかと。 たしかに私は息子のためではなく自分の気が済まないか
ら 口出ししていたのかも。
 
ご主人の意見に同感です。
 
挨拶の時でも取り合いの時でも、自己主張が苦手な部分をフォローしてやりたい気持ち
と それも個性と認め、できなくでもいいじゃないと受け入れてやりたい気持ちが 私の態
度を混乱させています。
 
これも過干渉ママの典型です。
  
息子にとってどうすることがいいのでしょうか。他人とのコミュニケーションが苦手な息子
に親としてこれからどのように接すれば良いのでしょうか。
 
子どものリズムで考えます。あなたはいつも子どもの前に立って、子どもの手を引いている。
それではいけない。
 
「私は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。
 私は子どもうしろを歩く。子どもの保護者として。
 私は子どもの横を歩く。子どもの友として。」
 
あなたはすばらしい母親ですが、三番目の「友」の意識がないのが気になります。どうかあなた
のお子さんのよき友になってあげてください。子どもの横に立つのですよ。あなたのお子さん
は、まちがいなくすばらしい子どもになります。こうしてあなたが考え、そして私も含めて、いろ
いろな意見を学ぼうとしている。そういう姿勢のある母親からは、決してゆがんだ子どもは生ま
れません。こうしてメールを私にくださったということが、あなたがすばらしい母親だという証拠
です。
 
これからもいろいろな山や谷があるでしょうが、こうして考え、悩み、苦しむからあなたはすばら
しい母親になるのです。今は、その第一歩。自分をもっと信じて前向きに進んでください。あな
たが「心配だ」「不安だ」と思っていると、それがそのままあなたのお子さんの心となります。イ
ギリスの格言にも、「相手は、あなたが相手のことを思うように、あなたのことを思う」というのが
あります。その意味は、あなた自身がお考えください。
 

Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2418)

●ホームレスの男(A Home-less Man)

There are some home-less people around my house. They live near Sanaru Lake and 
sometimes come to the streets. It is my habbit to give them some money when I happen to 
see them on the streets. But don't give it without exchanging some conversations. In my 
case it is also my habbit to talk to them like this; "Hi, did you have your dinner?" or "It's 
very cold, isn't it?". When they talk back to us, then I say, "Have a eat with this money" or "
Have something warm with this money". They have their own diginity with pride. Don't have 
a kind of superiority in ourselves. They are the same people as we are. Nothing is different 
from us.

++++++++++++++++++

佐鳴湖の周辺には、10人前後のホームレスの男
たちが住んでいる。その中の1人。

年齢は、70歳くらいか。
やせて、細い顔をしている。
風呂にも、長い間、入っていないにちがいない。
差し出す手は、いつも、すすけたように黒い。

ワイフは、こう聞いた。
「どうして、お金をあげるの?」と。
私は、すかさず、こう答えた。

「あの男、ほら、ぼくのおやじに、
似ているだろ……」と。

こういうホームレスの人たちに、小遣いを
渡すときには、ひとつのコツがある。

けっして、いきなり、お金を渡してはいけない。
まず、話しかける。

「おじさん、メシは食べたのか?」とか、
「寒いと、たいへんだね」とか、など。

相手が、「食べていない」とか、「寒い」とか
答えたら、お金を差し出す。差し出しながら、
こう言う。「これで何かを食べなよ」とか、
「暖かいものを食べなよ」とか。

それにもうひとつ、コツがある。
(「コツ」というのも、失礼だが……。)

けっして、見返りを期待しない。
相手が喜んでいるだろうとも思わない。
お金を渡したら、その人のことは、
サッと忘れる。

が、何よりも大切なことは、けっして
優越感をもたないということ。つまり、
「いいことをした」などとは、
ぜったいに、思ってはいけないということ。

理由が、ある。

そういう人はそういう人なりに、自尊心を
もっている。
そういう人はそういう人なりに、心が
キズついている。

(それに、そういうことをしたからといって、
いいことをしたということにはならない。)

たまたま今夜も、その男に会った。
小雨を避けながら、DVDショップの前で、
小さく体を丸めて、座っていた。

いつものように、「これで何かを食べなよ」と言って、
1000円札を差し出すと、「ありがと」と
言って、手の中で、それを握った。

私「こういう言い方は好きではないが、
勝者も敗者も、紙一重。どこもちがわない。
ほんの少しリズムが狂っただけで、勝者は、
敗者になる。ぼくたちだって、明日のことは
わからない」
ワ「そうね……」
私「地球全体がおかしくなって、すべての
生物が死滅するかもしれないというときに、
勝者も敗者もないだろ……」
ワ「そうね……」と。

私は、先日、「EARTH(アース)」という
映画を見た。そのときから、少し人生観が変
わったように思う。

私はその映画を見ながら、それまでに経験
したことのない涙をこぼした。
美しい、どこまでも美しい自然の景色を
見ながら、涙をこぼした。

それは静かな涙だった。

ワ「ああいう人は、病気になったら、どう
なるのかしら?」
私「それでおしまいだろうね」
ワ「かわいそうね……」
私「かわいそう? ……とんでもない。
今のぼくたちよりは、しっかりと真実を
つかんでいるのかもしれない」

ワ「……」
私「ダラダラと長生きするからといって、
幸福とはかぎらない。またそんな人生に、
あまり意味はない。まあ、できれば、お金を
あげるよりは、食べ物をあげるほうがいいけ
どね」と。

そしてこれまたいつものように、その男の
ことは、すぐ忘れた。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●写真の加工に挑戦

 今日は、写真の加工に挑戦してみた。使ったソフトは、S社から発売されている、「Paintgrap
hic―2」。「draw」とセットで、3000円弱だった。

 前から、一度はしてみたいと考えていた。2枚の写真を合成したり、あるいは背景だけ、油絵
風にしてみたり、とか。

 が、やってみると、意外と簡単にできた。さっそく、その写真で、私のHPのトップページを飾っ
てみた。(興味のある人は、ぜひ、見てほしい。私の処女作ということなる。)

 写真を加工することによって、平らべったい写真に、奥行きができる。しばし自分の作品(?)
に見とれる。うれしかった。楽しかった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ホームレスの男(2)(A home-less Man -2)

In Japan we have memorial parties periodically after someone's death, spending a lot of 
money for foods and drinks as well as money for the temple priest. But what is that for? 
The more important thing is that we are here and we are alive here. The man is, too. He is 
there and he is alive. Both of us are equally fighting against "loneliness". Nothing is different 
between us.

+++++++++++++++

昨夜(1月20日)、ホームレスの
男について書いた。そのあと、ワイフと
こんな会話をした。

「ほら、日本では、供養というと、死んだ
人に対してするだろ。ぼくは、今、生きている
人を、もっと大切にしたらいいと思う。

みんなで飲み食いして、お寺にお金を出すくらい
なら、今、ああして寒空で震えている人を
助けてやったらいい。

そのほうが、よっぽど、供養になる。

あの男、ぼくの死んだおやじにそっくりだろ。
年齢も同じくらいだ。

ぼくのおやじは、お金にも、健康にも
恵まれなかった。死んだときは、家族の
だれにも愛されていなかった。

酒を飲んで、無茶ばかりしていたからね。

でも悪かったのは、おやじではない。
酒だよ。さらにその先を言えば、戦争だよ。

おやじだって、戦争の犠牲者だった。
酒に溺れるようになったのは、今で言う
PTSDだったと思う。

その結果、家族の心は、バラバラになってしまった。
そんなこともあって、死んだときのおやじは、
孤独だったと思う。

今になってみると、それがよくわかる。
あの男を見ていると、死んだ、おやじが
思い浮かぶ。

みんな、必死になって、孤独と戦っている。
ぼくのおやじも、戦った。今のぼくもね。

ぼくは、ああいう男を見ると、放っておけないよ」

それに答えてワイフがこう言った。

「私たちは、どうせ死ねば、この世から消えるのよね」

「そう、これから先、30年生きる人も、10年生きる
人も、同じ。長い、短いといっても、この宇宙の
大きさと比べたら、誤差のようなもの。

大切なことは、今、ここに生きているという実感を
大切にしながら、懸命に生きること」

「じゃあ、あの男の人は、どうなの?」

「ぼくたちと、どこもちがわないよ。ただ、ほんの
少しだけ、歯車が狂った。狂ったまま、あの男は、
今のような男になった。

ぼくたちだって、明日のことはわからない。
ぼくから見れば、あの男は、明日のぼくという
ことになる。

あの男から見れば、ぼくたちは、明日のオレという
ことになる。

大切なのは、ぼくたちはみな、同じ人間ということ。
その一体感だと思う。

この一体感をなくしたら、人間の心はバラバラに
なってしまう。

もしそうなったら、そのときこそ、ほんとうに、
人間はおしまい」と。

+++++++++++++++++

●日本の未来(The future of Japan)

The center of the economy is being put together in New York, London and Hong-Kong, but 
not in Tokyo. Too much regulations and ristrictions obstructed the development of Japan. 
But don't worry. 

かつて私たちは、インドや中国の貧しさに驚いた。
同じころ、アメリカ人たちは、日本の貧しさに
驚いていたにちがいない。

しかし今、その立場が、逆転しようとしている。

今すぐというわけではないだろうが、アメリカの
崩壊は、ますます現実味を帯びてきている。
日本も、やがて、インドや中国の経済圏にのみ込まれて
いくだろう。

現在、世界の経済の中心地は、ニューヨーク、ロンドン、
そして香港に集約されつつある。東京ではない。

もし東京に可能性があるとしても、シンガポールのつぎ。
たいした規制緩和(行政改革)もせず、モタモタして
いるうちに、こうなってしまった。

はっきり言えば、東京に、未来は、もうない。
つまり日本の繁栄も、ここまで。

この話をすると、ワイフがこう言った。

「私たちはいいけど、これからの子どもたちが、かわい
そうね」と。

しかし心配は無用。

これからは日本人も、「日本人」というワクにこだわら
ないで、世界へ出て行けばよい。

なぜ、ニューヨークやロンドン、それに香港が、
世界の経済の中心地になりつつあるかといえば、
理由は、簡単。

多民族が入り混ざり、外国人にも住みやすい環境を
用意しているから。すでに多くの日本人も、これらの
都市で、活躍している。

経済のグローバル化はますます進む。と、同時に、
「国」という垣根は、ますます低くなる。

相手の国の貧しさを見ながら、「勝った」「負けた」
と言いあう時代は、あと30〜50年のうちには、
終わる。

東京がだめなら、香港がある。ニューヨークがある。
ロンドンがある。

すでにそういう時代が、そこまで来ている。

タイム誌(1月17日)は、つぎのように書いて
いる。

「19世紀と20世紀が、それぞれ帝国主義と
戦争の時代だとすれば、21世紀は金融の時代
とし、これら3都市が世界的な金融網を構築し、
世界経済に活力を吹き入れている。 

それぞれ米国、欧州、アジアにある3都市は、
いずれも港であり、貿易が発達し、主要産業が
製造業から、サービス業にすでに転換されている。

とくに、世界各地から集まってきた移民が多い
という共通点ももっている。06年現在、
ニューヨークとロンドンの移民はそれぞれ
34%、31%に達し、香港は外国籍の中国人、
すなわち華僑が最も多い都市だ」。 

「交通が便利で通信が発達しており、開放的で
自由な経済文化を持っているという点が、
これら3都市をグローバル化の模範、
金融都市としての成長を可能にした」と。

「3都市は、毎週数10〜数100便の相互直航便と、
よく発達したインターネット通信網で結ばれている。
 
3都市はまた、HSBCシティーグループ、
ゴールドマン・サックス、JPモルガンなど
国際的金融機関の本社や地域本部を誘致し、
年間400億〜540億ドルの企業公開(IPO)
を誘致している」(東亜N報紙より抜粋)とも。 

ついでながら一言。この1、2年、日本からの
外資の逃避がつづいている。

「あと50年で、日本の円は、世界市場から
消えるだろう」という予測も、なされ始めて
いる。


++++++++++++++++++++++++++

●建前論(Principle Argument)

In Japan principles are more important than the real life. Sometimes it sounds ridiculous.

 香港出身の国際的俳優のJが、こんなことをどこかのパソコン雑誌に書いていた。何でも東
京の歌舞伎町で、ロケをしようとしたときのこと。地域の警察の許可がもらえず、結局は、撮影
を断念したというのだ。

 Jは、こんなふうに述べている。

 「通り沿いの歓楽街では、売春が堂々となされているのに、路上での撮影は許可されない」
と。

 つまり「日本の建前論には、あきれた!」と。

 同じことが、YOU TUBEについても、言える。

 現在私は、HP上で、「音楽と私」というコーナーをもうけている。今、はやりの(YOU TUBE
 共有サイト)のひとつである。

 YOU TUBEで公開されている、音楽や映像を、私好みで一覧できるようにした。ところが、
である。

 日本の歌や映像は、しばらくすると、どんどんと削除されていく。テレビ映像を撮影したもの
は、ダメ。歌も、ダメ。音楽も、ダメ……ということらしい。とくにNHKで放送されたようなもの
は、あっという間に削除されていく。「利用規約に違反しているため、この動画は削除されまし
た」という文字とともに……。

 日本のどこかで、だれかが監視しているためらしい。そのつど、YOU TUBEに抗議している
ためらしい。最近では、吉永さゆりの「寒い朝」(NHK版)まで削除された。少し前は、「喜びも
悲しみも、幾年月」まで削除された。どれも古い映像で、ざらざらした感じのものだった。(商品
価値はないと思うのだが……。)

 おかげで私は、毎週のように、「音楽と私」コーナーを、更新しつづけている。が、これにも、う
んざり。このところ、日本の歌や映像は、できるだけ避けるようにしている。

 しかしその一方で、国際的な歌手やグループの、歌や音楽は、そのまま。映画の映像も、そ
のまま。ビートルズの曲などは、ほぼ全曲、自由に楽しむことができる。映画「タイタニック」の
名場面も、自由に楽しむことができる。音声も、クリア。もちろん映像つき!

 もちろん著作権の問題もあるだろう。映像所有権の問題もあるだろう。しかし建前論ばかり
口にしていても、それが国際的な標準とかけ離れていたら、意味はない。ないばかりか、かえ
って日本だけが、のけものにされてしまう。

 悪いことばかりではない。

 YOU TUBEで聞いたあと、その歌手のCDを買い求めるということもある。(私は、いつもY
OU TUBEを見てから、CDを買いに行くぞ!) 過去をなつかしむということもある。テレビ局
の奧の奧で、死蔵されるままになるくらいなら、思い切って公開したらよいのではないか。公開
が無理なら、もう少し、大目に見てもよいのではないのか。

 YOU TUBEといっても、映像もそれほどよくない。音声もモノラル。この先のことはわからな
いが、今のところ、限界がある。有償で、かつ営利を目的としたものでなければ、それほどカリ
カリすることでもないのではないか。……と、私は思うのだが。

 ホント! 私という日本人ですら、日本の「建前論」には、あきれる。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2419)

●The Child is Father of the Man

++++++++++++++++++++++++++++

My heart leaps up when I behold
 A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man,
So be it when I shall grow old
Or let me die !
The Child is Father of the Man :
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

+++++++++++++++++++++++++++++

●子どもは、人の父

イギリスの詩人ワーズワース(1770〜1850)は、次のように歌っている。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The 
Child is Father of the Man. 」となっている。

この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。

ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩の流れから
すると、「その人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成され
る」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。

一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。もう一つは、人は
いくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。

誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決し
て、幼稚ではない。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かで
ある。しかも美しい。

人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。知識や経験という雑音の中で、
俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、とてもてい
ねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」
と書き添えた。

が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。私はてっきりう
れし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうして泣くのかな?」と聞きな
おすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、ごくろうっていう名前じゃ、な
い。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。もし人が
子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。ワーズワー
スは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、子どものころの感
動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。

「子どもは人の父」と。

私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思
う。
(040220)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(1月23日)

Jan 23rd 2008

+++++++++++++++++

今朝は、小雨。シトシトと、冷たい
雨が降っている。

カーテンが閉まっているので、外の
様子はわからない。もうすぐ7時だ
というのに、まだ薄暗い感じ。

この雨が終わると、暖かくなるのか。
それとも、またまた寒くなるのか。

ここ数日、寒い日がつづいている。

+++++++++++++++++

●画像編集(Graphic Design)

 起きたら、まずメールを読む。つぎにニュースを読む。今朝は、メインのHPの写真を入れ替
えた。この前の日曜日に、画像編集ソフトを買ってきた。今は、それにハマっている。

 「ぼくにもできるかなあ……?」という不安はあったが、やりだしてみると、意外と簡単。あちこ
ちの写真を集めて、切り抜いて張りつける。ボカを入れたり、油絵風にしてみる。写真そのもの
を立体化する。

 これが結構、楽しい。昨夜も風呂から出て、1時間ほど、没頭した。おかげで、今朝は、どこ
か風邪気味。軽い頭痛。


●株価暴落(Stock Depression)

 この1週間、株価は暴落につづく、暴落。今朝のニュースを読むと、アメリカは、0・75%の利
下げを発表した。簡単に言えば、お金をバラまくということ。数日前、16兆円規模の、日本で
言う、緊急の経済対策を講じた。しかし常識で考えても、そんなのは、焼け石に水。

 日本のバブル経済が崩壊したときには、日本政府は、30兆円以上もの緊急の経済対策を
講じた。毎日新聞は、つぎのように伝える(1月18日版)。

「米政府が18日に発表した緊急経済対策は、米国の国内総生産(GDP)の1%にあたる150
0億ドル(約16兆円)という大規模なものだったが、実施時期や内容に具体性が欠けていたこ
となどから、市場に失望感を与えた」と。

 今、経済の世界では、たいへんなことが起きているようだ。地震で言えば、震度7とか、8とか
の激震が起きた。その上、余震につづく余震。今はまだ、みな、あたふたとしているときだか
ら、その被害の実態は見えてこない。しかしそのうち、それが見えてくるはず。

 停滞とか、沈滞とか、その程度ですめば、まだよいほう。へたをすれば、会社の連鎖倒産と
いう形で、私やあなたの生活を直撃するかもしれない。いや、すでに株投資、外債投資で、財
産を失った人も多いはず。

 「バクチ(=株取引)は、小遣いの範囲ですること」……というのが、私のモットー。実は、私
も、かなりの損をしている。ハハハ。さがった株は、しばらく塩漬け。こういうのを、私は、「冬
眠」と呼んでいる。今が、そのとき。

 
●ニューズウィーク誌・正月Special版を読む

(Reading "Newsweek Jan2/9")
+++++++++++++++++

今ごろ、正月号?、と思う人も
いるかもしれない。

しかし、今、やっと、私のところに
戻ってきた。

買ったのは年末だったが、そのあと、
ワイフに取られてしまった。

で、今。

ニューズウィーク誌、1月2/9日号。

+++++++++++++++++

 研究者にとって、何を研究するかは、大きなカケ。メルボルン大学にいたころ、田丸謙二先
生は、こう言った。

 「触媒の力で、水を酸素と水素に分離できれば、無尽蔵のエネルギーを人間は、手に入れる
ことができます」と。

 田丸先生は、その研究をしていた。

 が、それから10年ほどたって、田丸先生の自宅を訪ねると、田丸先生は、こう言った。「コン
ピュータと遺伝子工学が、こうまで進むとは思ってもみませんでした」と。どこか、残念そうだっ
た。

 しかし、だ。今、その触媒(正確には、「触媒工学」という)が、脚光を浴びている。昨年会った
とき、田丸先生に、「その後、触媒による水と酸素の分離はどうなりましたか?」と聞くと、田丸
先生は、こう言った。

 「R研でも、20人ほどのチームを作って、結構いいところまできていますよ」と。言い忘れた
が、田丸先生は、国際触媒学会の前会長でもある。

 で、その遺伝子工学。さらに先へと進もうとしている。ニューズウィーク誌は、「ポスト・ゲノム
最先端を行く」(P34)と題して、それを報じている。

 ケンブリッジにあるサンガー研究所では、昨年の夏、30億対もあるとされる塩基配列のう
ち、1%に当たる、3万対の配列の機能解明に成功したという。

 素人にはわかりにくい話だが、つまりは、人間の設計図を手に入れつつあるということ。その
設計図さえ手に入れば、どんな病気も、その設計図を作りかえることで、治すことができる。
「糖尿病やアルツハイマー病、さらにはがんまで」と。

 ついでに、ニューズウィーク誌には書いてないが、寿命さえも、いじることができるようになる
かもしれない。

 考えてみれば、これは恐ろしいことでもある。(いいのかなあ?) この記事を読んでいて、興
味深かったのは、つぎの点である。

 「ジャンク(ガラクタ)と呼ばれ、存在意義が軽視されてきた数多くのDNAが、実は重要な役
割を担ってきているらしいこともわかってきた」と。

 私は以前、似たような記事を読んだことがある。

 脳の中には、「辺縁系」と呼ばれる部分がある。その辺縁系について、私たちは学生のころ、
「辺縁系は、原始脳で、今は働きはありません」などと教わった。しかし、だ。これがとんでもな
いまちがいであった。

 人間の記憶(海馬)や、やる気(帯状回)、それに感情判断(扁桃核)などは、この辺縁系が
担っている。原始脳どころか、(人間)が(人間)である、中枢部分が、ここにあることがわかっ
てきた。

 DNAの中にも、無駄なものはない、ということらしい。

 で、研究するにも、時代の流れというものがある。その(流れ)を読みまちがえると、無駄な研
究で終わってしまう。

 そうそうその田丸先生だが、6年前に、「フェムト秒」の話をしてくれた。今では、フェムト秒単
位での、化学反応を、実際に観察できるようになったそうだ。そのとき書いた原稿を添付する。
この世界は、ほんとうに、おもしろい。なおこの中で、「ある科学者」というのは、田丸先生をい
う。

+++++++++++++++

●フェムト秒(Femt Second)

 ある科学の研究者から、こんなメールが届いた(02年9月)。いわく……

「今週は、(今日ですと先週と言うのでしょうか)、葉山の山の上にある国際村センターで、日独
のジョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライズを受けたノ
ーベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいました。 今は固体表面に
吸着した分子1個1個を直接見ながら、それにエネルギーを加えて反応を起こさせたり、フェム
ト秒単位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時間)で、その挙動を追っかけたり、大変な
技術が発達してきました」(TK先生)と。

 このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フェムト秒
単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚いた。

ただ、(1)の分子を見ることについては、もう20年前から技術的に可能という話は聞いていた
ので、「へえ」という驚きでしかなかった。しかし「フェムト秒単位の観察」というのには驚いた。

わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というのは、10の15乗倍して、やっと1秒
になるという時間である。反対に言えば、1000兆分の1秒ということになる。さらに反対に言え
ば、1000兆秒というのは、この地球上の3100万年分に相当する。計算するだけでも、わけ
がわからなくなるが、1フェムト秒というのは、そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間が観察で
きる時間ではない。

しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か?」という問題を、考えざるをえなくなってしま
う。もし人間が、1フェムト秒を、1秒にして生きることができたら、そのたったの1秒で、3100
万年分の人生を生きることになる! ギョッ!

++++++++++++++

 このフェムト秒の考えには、私に大きな影響を与えた。時間の観念そのものを変えてしまっ
た。

 たとえば私たちが「1秒」という時間にしても、それは人間である私たちが使う時間に過ぎな
い。その1秒を、ひょっとしたら、3100万年にして生きている生物というか、宇宙が、どこかに
あるかもしれない。

 「宇宙」といっても、私たちが住む、この大宇宙ではない。ホーキング博士がいうところの、別
宇宙をいう。そこにも、ここにもある、バブルのような宇宙をいう。

 (反対に、人間がいうところの3100万年を、1秒にして生きている生物というか、宇宙が、ど
こかにあるかもしれない。)

 つまり1秒といっても、生き方によって、1年分にもなるし、10年分にもなるということ。ダラダ
ラと長生きをすれば、それでよいということでもない。大切なのは、時間の中身ということにな
る。

 田丸先生、ありがとう!


●山荘の化粧直し(Reparing my mountain house)

+++++++++++++++

山荘の化粧直しが、今日、終わる。
この前の日曜日に作業を見てきたが、
あの山荘が、新築同様に、ピカピカに
なっていた。

うれしかった。と、同時に、ムラムラと
また、あの愛着がわいてきた。

土地作りに、6年。建築以外のほとんどの
作業は、私とワイフが、した。

毎週、ユンボを借りてきて、土地を
ならした。ダンプも借りてきて、ジャリを
敷いた。石組みも、した。道路も、舗装した。

水道管、排水管工事も、自分たちでした。

が、13年目。

実は、そろそろ、あきてきた。
使うとしても、週に1回程度。

で、今回の化粧直し。
外壁全体に、フェルト状のペンキを塗り、
その上に、シリコン樹脂を塗ってもらった。

「新築のときのようになった」と、ワイフは
大喜び。それを見て、私の顔もゆるんだ。

とたん、先に書いた、あの愛着。

「だれかに売ろうという話は、しばらく、
お預け」と、私。

「そうね。もっと使わなくちゃ」と、ワイフ。

そう、このところ、山荘を売ることばかり
考えていた。

まだまだ人生は、ナガ〜イ。

+++++++++++++++

●今してみたいこと(What I want to do now)

 パソコンで作曲を楽しんでいたのは、今から、もう15年ほど前のこと。当時、Y社から、「ミュ
ージック君」とか、「ミュージ郎」とかいうソフトが売りに出された。音源機器などが一式ついて、
当時のお金で、30万円ほどした。それを買ってきた。

 が、そのあとしばらくすると、それらは、すべて息子たちに取られてしまった。

 そして今、またまた作曲をしてみたくなった。おととい、街中のパソコンショップへ行くと、その
種のソフトが、数種類並んでいた。今では鼻歌で歌うと、自動的に音符にかえてくれるソフトま
である。もちろん、そのまま、いろいろな楽器で演奏できる。

 それが、ほしくなった。もう一度、作曲をしてみたくなった。実は、これには理由がある。

 先週、YOU TUBEで、「金沢大学」を検索してみた。私の母校である。校歌か寮歌をさがす
つもりで、そうした。が、それはなかった。かわりに同窓会などの様子を収めたビデオなどが、
出てきた。

 「これではいけない」と、私は思った。(私にも、愛校精神というものがあるぞ!)

 で、そんなとき近くのショッピングセンターへ行くと、たまたまCDの安売りをしていた。見ると、
その中に、「四校寮歌・北の都」があった。Dというグループシンガーが歌う寮歌だった。

 私はそれを買った。買ったあと、自分で、寮歌をYOU TUBEに収めた。背景の写真には、
大学の卒業アルバムの載っているのを使った。

 しかしどこか、へん。歌い方がちがう。節回しもちがう。Dは、楽譜を見ながら、それを音声に
かえているだけ。何かの唱歌を歌っている。そんな感じがした。つまりだれかが寮歌を聞きな
がら、それを採譜した。その採譜したものを、Dが、歌っていた。

 「それなら……」ということで、私がそれをしたくなった。

 まず、楽譜を作る。編曲する。演奏する。それに自分の声を何重にも合わせていく。理論的
には、男声合唱団が歌っているようにみせかけることも可能である。

 Dが歌う寮歌より、はるかにすばらしいものができるはず。CDの寮歌は、ピアノ演奏だけ。し
かしソフトをうまく使えば、それをオーケストラ演奏にすることもできる。

 ……ということで、またまた目標ができた。春になって、ヒマができたらしてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●掲示板の投稿相談より

(As to School refusal of pre-school children)
++++++++++++++

保育園へ行きたがらない……。
そんなとき、親は、どう構えた
らよいのか?

++++++++++++++

こんにちは。いつもマガジンを読んでいます。
3歳9ヶ月の長男について相談させてください。
1歳6ヶ月の弟と二人兄弟で、父親とは生まれた時から別居中、私の両親、妹と同居していま
す。

今年の4月に年少組に入園しました。クラスは17人(男8人女9人)です。

同じクラスにいるA君がかなりやんちゃというか乱暴な子で、ことばもきつく、叩いたり、つねっ
たりということもよくあるようです。

特に私の長男にだけ、ということではないようですが、本人は「A君はどうしてすぐに怒るんだろ
う」などと言って、保育園に行きたがりません。

少人数なので、他の子と遊んでいればいいという問題でもないような気がします。
いっそ、転園をしたほうがいいのだろうかとも思います。それとも行きたくない間は、家で私が
一緒に過ごしていればいいのでしょうか?

今日も、朝、「お母さんがいい」といって園の入り口で泣いてしまったのですが、先生に抱っこさ
れて無理やり連れて行かれてしまいました。

そういう姿を見るのも本当に辛いです。なぜ、そんな風にしてまで保育園に行かせるのだろう、
と。

なかなか朝、出発しようとしない長男をみて、私の両親は、「甘やかしてる」と思っているようで
す。

でも、本人が「行こう」と思えないのに無理に連れて行くのは、どうしてもかわいそうでできませ
ん。

もうすぐ夏休みの希望保育がはじまるので、8月は半分以上お休みです。そういう話をしなが
ら、「今日は行ってこようか」と気持ちを奮い立たせているような毎日です。

できるだけ、彼が不安定にならないように、スキンシップも心がけているつもりですが、足りてい
ないのかもしれません。

私の気持ちが不安定なことが、悪い影響を与えているかもしれません。

正直なところ、どうしていいのか分りません。

保育園など、行かなくてもいいという気持ちがあるのですが、
やはり同年代の子ども達と遊んだり、ケンカしたりすることも大切なことだと思うのですが。
(和歌山県T市 AEより)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの心の問題は、消去法で……

 「保育園(幼稚園)へ行きたがらない……」という子どもをみるときは、まず、(1)理由が、はっ
きりしているばあい。(2)理由が、はっきりしていないばあいに分けて、考えます。

 つぎに、同時に、もっとも心配なケースから、消去法で、一つずつ削りながら、子どもの心をさ
ぐっていきます。これは病院のドクターが、その人の病気を診断する手法と似ています。つまり
一番、心配なケースから順に、「これでなければ、これ」「これでなければこれ」……と、考えて
いきます。

 AEさんのケースでは、いろいろな理由が考えられます。心配な(1)ノケースから、順に並べ
てみると、つぎのようになります。

(1)不登校に準じた、恐怖症
(2)対人(集団)恐怖症
(3)怠学に準じた、不登園
(4)神経症
(5)母子分離不安
(6)軽い情緒不安
(7)怠け
(8)わがまま

 AEさんが疑問にもっておられるように、「毎日、行かせなければならない」と考えるほうが、お
かしいのです。同感です。オーストラリアなどでは、子どもが少しずつ集団生活に慣れるよう
に、たとえば、月水金だけ、あるいか火木土だけ通うというように、週3日制の幼稚園も珍しく
ありません。

 どうして日本だけ、いきなり、週5日も行かねばならないのでしょうか? 最初は、週1日だ
け。2年目からは、週3日だけ。3年目からは、週5日……という方法も、とられてもよいのでは
ないでしょうか。

 また、よく子どもが幼稚園などを休むと、先生から電話がかかってきて、「後(おく)ますから…
…」と言われますね。いやな言葉です。本当に、いやな言葉です。

 で、AEさんのばあいは、(1)〜(8)から順に様子を判断していきます。(1)〜(4)の状態です
と、ほかにも、心身症(神経症)による症状が、出ているはずです。夜尿、腹痛、潔癖症などな
ど。もしそういう症状も見られるなら、心の安静を大切にしてください。(私のHPのあちこちに書
いてありますので、参考にしてください。)

 こういうケースでは、「A君がいやだ……」というのは、口実(ターゲット)にすぎませんから、あ
まりその言葉に振り回されないように! A君を排除すると、今度は、B君になります。

 私は、AEさんの家庭の状況から考えて、下の子どもが生まれたことが引き金となって、赤ち
ゃんがえりから情緒が不安定になり、そのあと、(5)の母子分離不安が起きたのではないかと
疑います。(母親から離れてしまい、そのあと、何ごともなく過ごすようであれば、母子分離不安
と考えてよいのではないでしょうか。)もしそうであれば、言うまでもなく、スキンシップを濃厚に
して、安定的な愛情を大切にします。

 対処のし方としては、『求めてきたときが与え時』と考えて、「ママ〜」と甘えてきたら、すかさ
ず、抱いてあげるとか、ぐいと手をつないであげるとかしてあげます。すかさずするのが、コツ
です。「待っていてね」とか、「今は、ダメ」式の応じ方をしてはいけません。

 転園を考える前に、まず、「適当に行く」ということを考えてください。週3日行けば、上(じょう)
できと考えるようにします。残りの日は、いっしょにハイキングでもして、すごします。無理をしな
いこと。(私なら、そうします。また実際、そうしました。)

 保育園へ行かなくてもよい状態かもしれませんが、しかし母子だけで親子のパイプを作ってし
まうのも、好ましくありません。母子関係を調整する人がいればいいですが、そうでないと、濃
密になりすぎてしまいます。

 母親側としては、それでよいかもしれませんが、子どものほうに、いろいろと問題が起きてき
ます。幸いにも、ご両親と同居ということですから、そのあたりの調整をうまくしてください。

 年齢的にも微妙なときですから、無理をせず、様子を見られてはどうでしょうか。もうすぐ夏休
みですし、これから半年くらいの間に、子どもも、どんどんと変わっていきます。とくに4・5歳〜
からは、いよいよ少年期への移行期に入ります。

 今のうちに、よく使い、よく手伝いをさせ、社会性を身につけさせてあげてください。5歳をすぎ
ると、それができなくなります。今は、(しつけ)の適齢期とみてください。

 いつも、励ましのメール、ありがとうございます。AEさんの相談には、いつも最優先で、返事
を書きます。(これは恩着せ!+お礼!)

【追記】

 A君のことは、まず、先生に相談してみてください。先生との連絡を密にすることが、重要で
す。

 あとは、子ども自身の解決法に任せます。これから先、この種の問題は、モグラたたきのモ
グラのように起きてきます。

 大切なことは、問題そのものよりも、問題を解決するための、プロセスを子どもの中に作って
おくことです。技法といってもよいかもしれません。

 親としてはつらいところですが、がまん、がまん。そして先生に、相談、です。AEさんと、お子
さんの会話は、すばらしいです。今のやり方を支持します。

 A君を叱るのではなく、何か、A君の好きそうなものを、お子さんにもたせ、A君に与えてみて
はどうでしょうか。あるいは、家へ招待してあげるとか。A君には、悪いことをしているという意
識はありません。ですからA君を責めても、この時期、意味はありません。

 押してだめなら、引いてみます。これは幼児指導の鉄則の一つです。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2420)

●今日・あれこれ(Jan. 24th  2008)

My son is coming to Napa, the Jal training center from this March. He is now at Haneda, 
receiving final schooling before that. He has been trainen for the last three years but 
another half a year he needs. It is a very long way to be a pilot.

++++++++++++++++++++++++

昨日、J社に入社した、息子からFAXが届いた。
1月からは、羽田で、座学を受けているという。
「座学」というのは、いわゆるスクーリングをいう。
それが終わると、3月から、アメリカのNで、大型機の
操縦訓練を受けることになっている。

パイロットの世界では、無数の資格試験に合格しなければ
ならない。その上、飛行機の機種ごとの免許証も必要。
すでに3年間も訓練を受けている。が、それが、さらにあと
1年半もつづく。

ワイフが、「アメリカのNって、どこ?」と聞いた。
私も知らない。

ヤフーで検索してみると、サンフランシスコ湾のすぐ北
ということがわかった。

緑に囲まれた静かな町らしい。ワインの産地としても
知られているらしい。イチローのホームベースのすぐ近く
といったほうが、わかりやすいかもしれない。

ところで、その息子が、今度、J社で、「社長表彰」なるものを
受けることになった。直接、社長から表彰されるという。
新入社員で社長表彰を受けるのは、J社、はじまって
以来のことだという。

またまた何かを、しでかしたらしい。

……いろいろつらいことはあるが、そんなわけで、昨夜
は、ワイフと2人で、息子の話に酔いしれた。

オーストラリアで息子の世話をしてくれたB君に、さっそく、
礼の手紙を書く。

毎週、息子を飛行場まで連れていってくれた。何でもはじめて
グライダーに乗った日には、「もう飛行機はやめた!」と、
息子が叫んでいたという。よほど目を回したらしい。

その日は、運悪く、天候の悪い日だったらしい。

Dear Bob,

I again thank you very much for your having done for my son, Eiichi. He joined JAL, a 
leading Japanese air-way company and he shifted from Narita to Haneda and he is being 
received the last schooling before he leaves for Pana, Cal, USA , this coming March. By the 
way here is a good news. He is given the "Prize of Boss" directly from the boss and he will 
meet with the boss of the company soon. He was happy over the phone last night. He has 
been always the top through the hard trainings over past three years. You know why? 
Because you helped him while he was with you, for which Akiko and I thank you very much. 
When he rode a glider for the first time in your place, he had a very bad air-sick and he 
said, "I shall not be a piliot anymore." Now he is finding his own way for happiness. I am sure 
he will be NO1 pilot in the near future.Here in Japan it is cold and it is blowing hard. In 
Tokyo and other places they had snow-falling, but not here in Hamamatsu. Last week I had 
a speech in Fuji-city where I could see beautiful Mt. Fuji. It is a pity that you were not 
there.  

Hiroshi Hayashi

++++++++++++++++++++

 アメリカのNへ、行ってきた人がいるという。現在、外資系企業で働く人が書いた、旅行記で
ある。

(掲載許可がいただけなかったので、紹介できません。ごめん!)

++++++++++++++

J社・ナパ運航乗員訓練所

自宅から車で遠出するのは、XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX、楽しい一日を過ごしホテルへと向かった。

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●「凧」で進む船(Wind Power ship)

A German ship building company this time has constructed a kind of a wind power ship, with 
which fuel is saved 35~40%. The ship flys a giant kite in front of the ship. It is a very good 
idea, isn't it?

++++++++++++++

ドイツの貨物船が、巨大な凧(たこ)を
前方に付け、それでもって推力を得ている
という。

ドイツのベルーガ船舶会社が健造した船
(1万トン級)が、それ。

凧の大きさは、160平方メートル。
これによって、「風の状態によっては、
35〜40%の燃料を節約できる」(東亜N
報、08・1・24)という。

35〜40%といえば、大きい!

++++++++++++++

 帆船とまではいかなくても、風力を利用した船は、いろいろ考えられる。半・帆船でもよい。追
い風のときは、帆を広げて、それでもって、推力を得る。

 が、これほどまでに効果があったとは!

 今度、ドイツの船舶会社が作った船は、船の前部で、凧をあげる。その凧の大きさは、160
平方メートル。(写真で見たところ、縦横40メートル、1600平方メートルのまちがいではない
かと思うが……。しかし1600平方メートルも、ない?)

 凧であれば、帆船のように重心をさげる必要もない。帆船のばあい、ヨットもそうだが、重心
をさげるために、船底に重しを置く。

 ナルホド! コロンブスの卵である。

 そこで私のアイディア。

 船の前方で、傘を広げるように、帆を張る。左右に張るとよい。まっすぐうしろからの追い風
のときは、左右の帆の大きさを同じにする。風がななめうしろからくるときは、コンピュータじか
けで、左右の帆の張り方を調整すればよい。

 そうすれば、もっと、燃料費を節約できるのではないか。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2421)

●「同胞」という名の独裁者(A Tyarant named "Commrade")

South Korea has supported a tyrant named "Kin xx", not the people of North Korea 
themselves. Now South Korea is beginning to notice her own mistakes she made in the past.

+++++++++++++++++

わかりやすく言えば、金大中、それにつづく
ノムヒョン大統領が支えてきたのは、Kxx
という独裁者。K国の国民ではない。

金大中もノムヒョンも、その区別もできな
かった。「同胞」「同胞」と叫びながら、その
同胞というのは、ほかならぬ、あの独裁者
だった。

おかしな左翼主義に毒され、方向音痴に
なってしまった。

このたびロンドンで、「第8回北朝鮮人権・
難民国際会議」が開催された(08年1月22日)。

その席で、元K国軍人であった、P氏は、
つぎのように発言している(朝鮮N報)。

+++++++++++++++++++++++

「10年以上韓国と世界から、北朝鮮の深刻な状況を改善するために、多くの支援を受けた
が、住民の生活はほとんど変わっていない。コメを送っても最初に軍に送られるよう制度化さ
れている」「北朝鮮住民は北朝鮮の体制が崩壊することを望みながら、涙を流して生活してい
るが、韓国政府が何も考えずに、北朝鮮当局にコメを送り住民を助けていると宣伝しているの
を見ると、間違ったことをしているのではないかという思いがわく」と。

金大中もノムヒョンも、実におかしな
対北政策を繰りかえしてきた。どれも首を
かしげたくなるようなものばかり。
そしてその一方で、これまたおかしな
……というより、時代錯誤的な反日・反米
政策を繰りかえしてきた。

「南北戦争(朝鮮動乱)は、アメリカの
責任。さらに言えば、その元をつくったのは
日本」「だから、K国には責任はない」
「韓国やK国は、その犠牲者にすぎない」と。

日本と韓国が仲なおりすれば、これほど
すばらしいことはない。再び、日・米・韓
の絆(きずな)が太くなれば、さらにすば
らしい。

自由主義貿易圏のワクの中に自らを置きながら、
反日、反米を唱える異常さ。その異常さに、
韓国の人たちが、一日も早く気がつくことを
願う。

……ということもあって、私の「日韓
経済戦争」の記事は、しばらく休んでいる。
もう少し、様子をみてから、また書こう。

+++++++++++++++++++

●今朝・あれこれ(1月25日)(A freezing morning)

●民主主義vs資本主義(Democracy vs Capitalism)

Capitalism often invades democracy and more often it brings democracy into crisis. What is 
needed is how we can control the capitalism with the power of democracy. Otherwise 
democracy itself would be collapsed. Here I take an example and discuss about it. 

++++++++++++++++

ロバート・ライシュという人が
書いた、「新資本主義」(Taming Super-
Capitalism)という本が話題になっている。

オーストラリアに住む友人が、読んで
みたらよいと勧めてくれた。

概略を言えば、資本主義と民主主義の
対立について書いた本ということになる。

資本主義は、金儲け主義が前提となって
いる。商品のリサクルにしても、企業は、
何も、社会的正義感があって、それを
しているのではない。
よりコストをさげるために、それをする。

社会的責任や、社会的道徳があるから、
それをしているのではない。

すべてが(金儲け)につながっている。

一方、民主主義は、常にこうした資本主義に
振り回されるという宿命を負っている。

私なりに、ひとつの例をあげて考えてみたい。

たとえば日本には進学塾というものがある。
アメリカにも、学外教育組織として、
ラーニング・センター(Learning Centers)の
ようなものはある。

しかし内容は、まったく、ちがう。

日本の進学塾は、どうカモフラージュ
しようとも、(企業)である。金儲けを
目的とした、企業である。

もちろん進学塾とて、需要と供給の
バランスの上に成り立っている。
需要があるから、存在する。
「悪」と決めてかかっては、いけない。

では、なぜ、親たちが、子どもを進学塾
へ通わせるかと言えば、理由は、簡単。

親たちは、自分の生活を通して、社会の
不公平を、毎日、いやというほど、見せつけ
られている。

それから生まれる不公平感が、親たちを
して、子どもを進学塾へ走らせる。

しかしその一方で、進学塾がもたらす弊害も
少なくない。数えたら、キリがない。
が、何よりも最大の弊害は、進学塾が、
こうした公平感、もっと端的に言えば、
社会的格差を拡大させているということ。

ある大蔵官僚(当時)は、テレビのレポーター
の質問に答えて、こう言っていた(テレビ報道・
1999年)。

レポーターが、「天下りをどう思いますか?」
と聞いたときのこと。私ら、学生時代勉強で
苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事
ばかりしているから、退職後の仕事をさがす
ヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、
当然だ)」と。

中には、進学塾の世話にならず、官僚になった
人もいるかもしれない。しかしそういう人は、
例外。大半は、その進学塾の世話になっている。

こんな話もある。

都内の公立高校の学力低下がはげしかったころ
のこと。いろいろと話題になったが、文部省の
役人の子弟で、公立高校へ通っている子どもは、
ほとんどいなかった。
(私は、「ゼロ」と聞いていた。)

つまりこうして社会的格差は広がり、
不公平感が一般社会に蔓延することになる。
そしてそれが直接的に、民主主義の危機へと
つながる。

もっともだからといって、進学塾だけを
やり玉にあげることは正しくない。

進学塾も、その他、あまたある(企業)の
ひとつに過ぎない。
そこで働く講師にしても、その範囲で、
懸命に仕事をしている。

だがどこかで、だれかが進学宿をコント
ロールしないと、たいへんなことになる。

もっと端的に言えば、どこかで、だれかが、
資本主義をコントロールしないと、それこそ
民主主義の危機どころか、地球温暖化の例を
見るまでもなく、全生物を絶滅にまで、
追い込んでしまう。

つまりこれが冒頭に書いた、資本主義と
民主主義の対立ということになる。

もっともこのテーマは、何も、今に始まった
ことではない。
10年前にも、20年前にもあった。
そこでたぶん、ロバート・ライシュという
人は、その打開策として、「新資本主義」
という本を書いたにちがいない。

翻訳本も出ているということだから、
あとで書店でさがしてみるつもり。

+++++++++++++++++++

8年前の2000年に書いた原稿を
添付します。
(中日新聞、発表済み)

+++++++++++++++++++

日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦
労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマも
ない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。

また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるま
ま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで
言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。
息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど四〇年前
の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もがギラギラとした脂汗
を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例外ではない。タクシーの運
転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその場
で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、
それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼
ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれてい
た。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行
った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小
づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、今の日本にはそれは
ない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私と
こんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」
私「君は何ができる?」
学「翻訳ぐらいなら、何とか」
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いてくれ
ば、仕事が回ってくるかもしれない」
学「カッコ悪いからいやだ」
私「なぜカッコ悪い?」
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その
学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろ
んその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者
たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論
から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国
になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏
にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今では日本
の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学
生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。

私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うの
は、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子ど
ものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対象に
した調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。現在
の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きること」。
学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で
最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニュー
ヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は希望
に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本
は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えた
が、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低
だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは
弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽し
む」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三
二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だった
のに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七
六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利
益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なこ
とも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希
望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの傾向で、豊
かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

+++++++++++++++

民主主義は、積極的に守ってこそ、守れる。
また守らねばならない。

ついでながら一言。

社会の完成度は、いかに弱者にやさしい
かで、測定される。

弱者にやさしい社会を、完成度の
高い社会という。そうでない社会を、
低い社会という。

弱者を平気でふみにじるような社会は、
そも、私たちが求める社会ではない。
またそういう社会を、許してはいけない。

民主主義が何のためにあるかといえば、
私たちの高い理念を、そこに具現化する
ためである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 民主主義 超資本主義 
supercapitalism 資本主義の限界)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●鎌倉へ

++++++++++++++++++

TM先生が、フィンランドの教育事情に
ついての記事を送ってくれた。

雑誌「化学と教育」に載っていた記事で
ある。

そのお礼にと、電話をすると、弱々しい声。
「どうしたの、先生?」と聞くと、「ひざ
が痛い」「夜も眠れない」「胃が痛い」と。

胃の中のものが、食道のほうへ逆流する
という。「そのため、2時間おきに、目が
さめます」とも。

「元気?」と聞くと、「そうでもないです」と。

そこで急きょ、1月27日(日曜日)、鎌倉
の先生の自宅へ行くことにした。

「明後日(あさって)まで、ちゃんと、生きて
いてよ」と言うと、「たぶん、生きています」
「どこかでおいしい夕食を食べましょう」と。

TM先生が教えてくれたものは、多い。
多すぎて、ここには、書ききれない。

田「何時ごろ、来ますか?」
私「できるだけ、早く行きますから・・・」
田「来る前に電話を、ちょうだい」
私「だから、今、してるじゃ、ありませんか」
田「そうですね、ははは」

私「ところで先日、T薬科大学の元学長の
水N先生が亡くなりました。年齢が77歳
とありました。先生の友人の水N先生ですか?」
田「ちがいます。水N先生は、今年、87歳
になるのではないかな」
私「ああ、よかった。その方は、何でも、がん
で亡くなったそうです」
田「ハハハ、それは困りますね」と。

この話には、ウラがある。

TM先生の友人に、水N先生という人がいる。
鎌倉で、同じテニス仲間だという。
東大の元薬学部長で、R研では、主任研究員を
していた。その水N先生が、がんの特効薬というか、
予防薬を発見した。

その成分が、漢方薬の半夏厚朴湯(ハンゲコウボクトウ)
の中に含まれているという。

毎晩、寝る前に、耳かき一杯程度を、口の中で
溶かしてのむとよいという。耳かき、一杯程度の
ごく少量でよいという。

そこでその水N先生を中心に、「半夏厚朴湯信者」が
できた。TM先生も、そのひとり。

で、今から、9年ほど前に、TM先生が私の家に
来たとき、「林君ものんでみたら?」と言って
くれた。

以来、9年間、私とワイフは、その半夏厚朴湯を
寝る前にのんでいる。一晩も、欠かしたことがない。

が、先日亡くなった水N先生は、がんだったという。
私とワイフは、少なからず、ショックを受けた。

「私たちは、がんにはならないはず」と。そういう
信仰(?)が、もろくも、崩れた。

それについてTM先生は、「あの水N先生では
ないから、心配しなくてもいいですよ」と。

この話を信ずるか、信じないかは、読者のみなさんの
判断に任せる。

TM先生自身も、(信者)という言葉を使っている。
つまり「半夏厚朴湯・信者」と。

だからそれを信ずる人は、その薬をのんでみたらよい。
漢方薬の中でも、女性のイライラや、胃の薬として
知られている、何でもない薬である。値段も安い。

TM先生は、こう言った。「おかげで、私のテニス
仲間には、がんで死んだ人はいません。ただし、
頭のボケには効かないようです」とも。

肝心の水N先生は、認知症か何かになって、いまでは、
人の顔もよく判断できなくなってしまったそうだ。

私「水N先生が、がんで亡くなったら、半夏厚朴湯
信者は、霧散してしまいますよね」
田「ははは」と。

ジョークが通ずるということは、TM先生の脳みそは、
まだだいじょうぶということ。安心した。

しばらくしてから、東京の羽田にいる息子に電話をした。
「TM先生に会いたいなら、27日に、鎌倉へ来るように」と。

息子がいた、横浜K大学にも、先生の弟子が、10人以上も
いるという。

一度、何かの記念講演のとき、息子は、そこでTM先生に
会っている。わざわざ声をかけてもらったと、はしゃいで
いた。

私の人生を、大きく変えた人。
それがTM先生だった。
私はTM先生に会って、「肩書きとは無縁の世界を生きて
やろう」と心に誓った。

そう誓うまでのいきさつは、いろいろある。あるが、
そう誓った。

「自由人として、どこまでできるか」「どこまで生きられるか」、
それはとりもなおさず、私の人生への挑戦状だった。

今でもその気持ちに、いささかの狂いもない。

が、そのTM先生も、会うたびに、元気がなくなっていく。
先ほども、そうだ。もともと温和な声の持ち主だが、
その声が、ますますか細くなったように感ずる。

ワイフに、「明後日、鎌倉へ行ってくるよ」と声を
かえると、ワイフもうれしそうだった。

「ビデオをたくさん撮ってくるよ」とも。

(注、半夏厚朴湯については、各自の判断と
責任で服用してください。服用に関して、私、
はやし浩司は、いっさい、責任を負いません。)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2422)

【スリ?】(Pick-Pocket)

My wife and I went to Hneda to meet my son. My son was there to meet with us at Shin-
Yokohama. Then we took a bus to Haneda airport where he has been trained since early 
this month. This is a story about a pick-pocket I met on the way back home. 

++++++++++++++++++

●新横浜駅で

場所は、新横浜駅。
東横線の改札口を出て、新幹線の乗り場に向かっていた。
エスカレーターをおりた。そこでのこと。
背中で、ゴソゴソとした動きを感じた。

日曜日の夕刻で、周辺は、かなり混雑していた。

エスカレーターをおりたところで、横にいたワイフが、こう言った。
「(バッグの)チャックがあいているわよ」と。

バッグを横腹のほうへ回してみると、チャックが、15〜20センチほど、あいていた。
私は「?」と思いながら、チャックを閉めなおした。

このところ、何かと自分を信じられないことがつづく。
「たしかに閉めたのに……」と心の中で思った。

私は改札口の右横にある自動販売機で、切符を買った。

●カードがない!

「中華料理店で見たときには、チャックは閉まっていた」と私。
「おかしいわね」とワイフ。

一度、同じような経験を、以前、ディズニーランドでもしている。
何かの乗り物に乗ったあと、自分のバッグを見ると、バッグの口が大きく開いていた。

幸いにもそのときには、お金など、大切なものは、入れてなかった。
「スリだろう」と思ったが、しかし私には、そのときの覚えがまったくなかった。
しかし今度は、背中で、ゴソゴソとした動きを感じた。

「きっとスリだよ」
「そうね」と。

新幹線に乗ったあと、私は、バッグを大きく開けると、中身を確かめた。
カード類が入っている、小さなサイフがあるはずである。
が、どこをさがしても、それがない!

とたん、胸騒ぎ。ハラハラとした胸騒ぎ。

「VISAのカードと、N証券のカードがない……」と。
座席の上にバッグを置き、中身を、すべて出してみた。

が、カード類が入っている、小さなサイフがない!

●冷静に

当初、不安と心配が、ドカッと私を襲った。
がん検診か何かを受けて、要精密検査の知らせを受けたときの気分に似ていた。
私は、そう感じた。

が、それも一巡すると、冷静な判断力が働き始めた。

VISAカードは、1日の使用限度額が、10万円以内に設定してある。
N証券のカードは、N証券会社内の機械でしか、使えない。
それにN証券のカードには、暗証番号が必要である。
「明日の9時に連絡すればいい」と。


「VISAカードで買い物でもされたら、困るね」と私。

心のすみに不安感を押しやりながら、ワイフにそう言った。

「家に帰ったら、カード会社に連絡しよう」
「どこかに置き忘れたのじゃ、ない?」
「そうかもしれない……」
「でもね、あなたのバッグは、パンパンにものが入っているでしょ。
スリでも、手が入らないわよ」と。

バッグの中には、パソコン雑誌が入っていた。
それがバッグの上の方を、おおっていた。

●合理化

こういうとき心理学でいう、合理化が、心の中で始まる。
「使われるとしても、10万円まで」
「どこかの旅館で一泊したと思えばいい」
「株か何かで、10万円、損をしたと思えばいい」
「明日、その分を、株か何かで、もうければいい」と。

さらに、「命があるだけでも、もうけもの」
「がんの精密検査とは、ちがう」
「10万円で健康が買えれば、安いもの」
「元気で、横浜で遊んできたのだから、文句を言うな」とも。

こうしてスリにあったことを、自分の中で、解消しようとする。

再びワイフが口をきいた。

「サイフを、家のどこかに置き忘れたのかもしれないわよ」と。

たしかにその可能性はあった。
ときどきそのサイフを外に取り出すことがある。
台所のXXに置くこともある。

「記憶のどこかで、そんなようなことをしたのを覚えている……」と。
しかしその自信はなかった。

●恐怖

最近、ときどき、自分を信じられなくなるときがある。
ものの置き忘れも、多い。
置き忘れというより、どこに置いたか忘れてしまう。

それは「恐怖」と言ってもよい。
たとえば洗面所で顔を洗うために、手袋をはずす。
が、顔を洗ったあと、その手袋をどこに置いたか、わからなくなる。

で、さがしてみると、洗面台のすぐ横に、それがあったりする。
最初見たときは、そこにはなかったはず……、と。

脳細胞が、老化しているためか?
それとも認知症の始まりか?

何であるにせよ、自分を信じられなくなるというのは、恐怖そのものである。

そこで最近、私は、小さなボイスレコーダーをぶらさげて歩くようになった。

そのつど、私の声を録音しておくためである。
わかりやすく言えば、メモがわり。
しかし手袋のようなものは、いちいち録音しない。
「手袋は、洗面台の横に置きました。これから顔を洗います」と。

●あきらめ

こうした心理的な緊張感は、それほど、長つづきしない。
心の緊張感を持続するためには、相当なエネルギーを消耗する。
やがて疲れてくる。
それにつられて、緊張感も薄れてくる。
とくに昨日は、横浜から羽田へ、そして羽田から蒲田(かまた)へと、歩いた。
ふつうなら、新幹線に乗ったとたん、眠り始めるところ。

事実、「何とかなる」と思ったとたん、スーッと睡魔が襲ってきた。
見ると、ワイフは、すでに眠っていた。
「のんきな人だな」と思った。
と、同時に、私もウトウト、し始めた。

が、私という人間は、いまだかって、一度たりとも、寝過ごしたことはない。
DNAで構成された体内時計の性能が、よいせいではないか。
いくら眠っても、別の脳みそが、カチカチと時を刻んでいる。
そのときもそうだった。
掛川駅を出て、あと10分で浜松、というところで、目がさめた。
同時に、雑誌を、床にドサッと落とした。
その音で、ワイフも目を覚ました。

●羽田

私「今日は、楽しかったね。いつもの何倍も長かったように感ずる」
ワ「そうね。朝も、早かったから」と。

本当は、その日は、恩師のT先生を見舞うつもりだった。
しかし前日の遅くになって、先生から、断りの電話が入った。
かなり体調を崩されたらしい。
「このところ胃が痛くて眠られない日がつづいています」と、メールにあった。

そこで羽田にいる息子を訪ねることにした。
息子は、現在、羽田で研修を受けている。

朝、7時に家を出た。
新横浜駅で、息子と待ち合わせた。
そこからバスで羽田へ。

第2ターミナルから、息子の研修所のある、XXへ。
そこへはモノレールで行った。
あとは先にも書いたように、一度、蒲田へ出て、そこで昼食。

家に帰ったのは、午後7時ごろ。
途中、義兄に横浜のみやげを届けた。

●サイフ

家に帰って、まっさきに、台所のXXをさがした。
が、サイフはそこにはなかった。

つづいて自分の書斎の中をさがした。
しかしそこにもサイフはなかった。

で、念のためにと、先日、G温泉へもっていったときのバッグをさがしてみた。
「まさか……」と思いながら。

いや、その前に、VISAの盗難届用の電話番号を、ネットでさがした。
それはすぐ見つかった。
「VISA 盗難 届け」で検索できた。
盗難届けは、24時間、受けつけてくれるらしい。

が、である!
何と、そのサイフが、あった!
G温泉へもっていったバッグの中に、それがあった!

「こんなところにあったよ!」とワイフに声をかけると、「よかったわね」と。
しかし軽い喜びが収まると、またまたあの不信感。
「自分を信じられない」という、あの不信感。

「こんな大切なものを、バッグの中に入れ忘れるなんて!」
「いったい、ぼくの脳みそは、どうなってしまったのだ!」と。

それについて、ワイフは、こう解説した。

「大切なものだから、バッグの奧の奧にしまったのね。
それでそこに入れ忘れたのよ」と。

ナルホド!、ということで、自分を納得させた。

それにしても、よかった。

そのあと、ホ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ、という長〜イ、ため息をついた。

(2008年1月28日、月曜日、記)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●日本人よ、もっと怒れ!

(Abt. 40 years ago, a most stupid decision was made by the government, to construct our 
international airport in Narita, which is so far away from Tokyo. It takes about 1 hour and 
half by express train. How come did they construct the airport in such a remoted area? 
Then internationalization of Tokyo has been far behind. Now at Haneda airport a new 
international terminal building is being under construction, but why now? Too late.

+++++++++++++++

羽田空港では、現在、国際線ターミナルの建設が始まっている。
(一部の国際線は、すでに離発着しているが……。)

しかし今ごろ、国際線? 国際線ターミナル?
日本の経済力がまだあるころならまだしも、ここまで弱体化した今、なぜ?

おかしな政治的エゴのために、国際線が、それまでの羽田空港から
現在の成田空港に移された。

日本の運輸行政で、もっともバカげた決断だった。
おかげで、日本の国際化は、10年は遅れた。20年は遅れた。
遅れるのみならず、羽田空港のハブ化は、ツユと消えた。

現在、韓国、香港、シンガポールなどに、
その(力)が分散してしまった。

もしあのとき、羽田空港を拡張することによって国際線化を
推し進めていたら、今ごろ羽田空港(=東京)は、
押しも押されぬ、一大、国際ハブ空港になっていただろう。

無理に無理を重ねるから、成田の地元では、住民たちの
猛反発まで買っている。
そのため成田空港の国際化まで、遅れてしまった。

あのね、あんな不便なところに空港を作って、どうするの?
開港当初は、外国からやってきた乗り継ぎの旅行客たちは、成田で
一度飛行機をおりて、わざわざ数時間もかけて、羽田まで
来なければならなかった。

その時間的ロスは、たいへんなもの!

今でも、千葉県側は、国際空港を、成田から羽田へ移すことに
反対しているという。

もう、やめよう!
こんなバカげた反対のための反対は!
日本全体の利益を考えて、もっとものごとは、合理的に考えよう。
そして、日本人よ、もっと声をあげて、怒ろう!

だれだ、あんなバカげたところに、国際空港を作ったのは!
東京から、特急で、1時間半もかかる、ヘンピなところに!

新幹線だってそうだ。

岐阜県の当時の有力政治家が、新幹線の線路を、大きく、岐阜寄りに曲げてしまった。
ウソだと思うなら、一度でよいから、新幹線の線路を見てみることだ。
名古屋を出たあと、新幹線は、不自然なまでに、大きく岐阜よりに迂回している。

もし名古屋から京都(あるいは米原)へ直行するルートを選んでいたら、
東京→大阪間は、今より、10〜15分は、短縮されたはず。

田舎の、田んぼの中の駅を通るために、以後、40年以上、
無駄な電力を日本は使いつづけている。
利用客は、ムダな料金を払いつづけている。
ヒマな人は、一度、そのロス計算をしてみたらよい。

みなが怒れば、これから先、こういうバカげたことは少なくなる。
怒らないから、そのまま放置される。
そして同じバカげたことが、繰りかえされる。

今度、羽田空港の国際線ターミナル建設を見ながら、
私は、そんなことを考えた!
(1月29日、記)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2423)

●今朝・あれこれ(1月30日)

Temporary tax rate of gas would be maintained and we have to keep paying abt 25 yen per 
litter above the fixed tax of 25 yen still from now on. The ruling party of Japan insists to 
maintain the tax and the opposition party is agaist it. Whatever it is, a huge amount of 
money is being spent on waste, ex., 50 million yen for each car of a parking lot. (50 million 
yen for each car!) What a waste it is! Another tiopic I write here is about a new governor of 
Osaka-Fu. The new governor has been a TV talent as well as a lawyer. I feel the value of 
democracy of Japan is still falling down.

+++++++++++++++

数日つづいた雨だが、今朝は
やんだ。

先週より、暖かくなった感じがする。
よかった!

運動不足で、体が、ナマっている。
今日から、運動、再開!

+++++++++++++++

●暫定(ざんてい)税率

 ガソリンの値段があがった。しかし暫定(ざんてい)税率はそのまま。

 わかりやすく言うと、こうなる。

 現在、ガソリン1リットルあたり、50円弱の税金が含まれている。本来は、25円弱であったも
のが、暫定税率という名目で、それが約2倍に引きあげられた(1993年12月)(注※)。

 その暫定税率の期限が、今年(2008年)の3月31日にやってくる。

 与党は、「暫定税率を据え置く」と主張している。野党は、「それはおかしい」と主張している。

 官僚たちは、小ズルイことばかりしている。贅沢な資金をよいことに、好き勝手なことばかりし
ている。だから、こういうとき信用されない。国民の怒りは、むしろそちらに向かっている。

 おとといの報道番組(1月28日)によれば、その資金を使って、「特例」という名のもと、駐車
場まで作っているという。あるところでは、「車、1台分の駐車場を建設する費用に、5000万
円もかけている」とか! (1台分の駐車場を作るのに、5000万円の費用だぞ!)

 当然、そうした駐車場管理団体は、U省に勤める役人たちの天下り先となっている。

 「暫定」ということで決められた税率なら、暫定期間を経た今、廃止すべきではないのか。「暫
定」というのは、「しばらく、仮に」(国語大辞典)という意味である。英語辞書でも、「temporary」
となっている。

 私個人としては、ガソリンの値段は、ギリギリまであげればよいと思っている。その分だけ、
ガソリンの消費量が減る。地球温暖化を阻止するためにもよい。しかしそうして得た税収を、
道路工事のためだけに使うというのは、おかしい。どう考えても、おかしい。「国防費よりも多
い」(民主党)というのは、さらにおかしい。

 これから先、官僚たちが、「暫定」という言葉を使っても、みなさん、信用するな! 彼らが言
うところの「暫定」というのは、「永久に」という意味である。つまりこれもその場しのぎの、官僚
用語! ごまかし用語!

+++++++++++++++++

(東京新聞の記事より)

「ガソリン税(揮発油税など)に上乗せされている暫定税率(1リットルあたり約25円)を、継続
するのか廃止するのか。その行方が通常国会の大きな争点になっている。暫定税率継続はな
ぜ必要なのか、廃止を目ざす狙いは何なのか。自民、民主両党の担当者に、主張を戦わせて
もらった」(東京新聞・1月27日)。

 わかりやすく言えば、「道路を整備したい」と主張する、与党側。「5兆4000億円もの巨額の
資金が、道路整備だけに使われるのは、おかしい」と主張する、野党側。

 最近、また、私の町内で側溝工事が始まった。前からあった側溝を、作りなおすという工事で
ある。しかしまあ、何というか、見るからにムダな工事。まるで工事のための工事。こういうムダ
な工事が、今の今も、全国津々浦々でなされている。それを思うと、ゾッとする。

(注※)……揮発油税の税率は揮発油税法上、1キロリットルあたり2万4300円となっている
が、租税特別措置法(昭和32年3月31日法律26号)第89条第2項の規定により、1993年
(平成5年)12月1日から2008年(平成20年)3月31日までの間、倍額の4万8600円が適
用される(ウィキペディア百科事典より)。


●大阪府で、またまたタレント府知事

 大阪府で、新しい府知事が誕生した。天下り官僚のつぎは、タレント弁護士。タレントが悪い
わけではない。弁護士が悪いわけではない。しかし民主主義という(主義)が、ますます軽くなっ
ていくように感ずる。

 大阪府といえば、あの横山N氏が、しばらく府知事を務めたところである。「パンパカパ〜ン」
でよく知られていた、あの横山N氏である。

 だれがなっても、それを選ぶのは、府民の責任。ただ、こういう府知事の誕生で、いちばん喜
んでいるのが、その(下)で働く、役人たちではないのか。府知事を、どのようにでも料理でき
る。


●2月29日号(Magazine for Feb. 29th edition)

I will issue nr. 1011st magazine on Feb. 29th, which is this. I issued nr. 1000th on the last 
Feb. 4th but it is funny that I don't feel anything special in my mind that I have done 
something. Why not? I am stepping forward again to another goal of nr. 2000th, but I shall 
follow my nose. I just keep writing, which is everything for me.

+++++++++++++++++

この原稿は、2月29日号ということ
になる。

去る2月4日(月)に、電子マガジンは、
1000号になった。

だからこの2月29日号は、1011号という
ことになる。

つぎの1000号をめざして、また、
長い戦いが始まった。

しかし2000号は、目ざさない。
成り行きに任せる。

あとは行けるとこまで行く。
ただとても残念なことに、1000号
を超えたというのに、「何かをなし遂げた」という
実感は、ほとんど、ない。

どうしてだろう?

++++++++++++++++++

●雑感・あれこれ

今日は、1月30日。
このところ、何かにつけて、忙しい。
たとえば、こうだ。

私のしたいことと、ワイフのしたいことが
同時にあったとする。

そういうときは、両方とも、する。

あるいは、1時間でもヒマができたら、
その1時間で、したいことをする。

けっして、あと回しにしない。

もちろん私の仕事もある。

+++++++++++++++++

●まじめに生きる

ときどき、まじめに生きるのが、バカらしくなる。
ほんとうは、そうであってはいけない。
それはわかっている。
しかしそのバカらしさと戦うのも、たいへん。
言うなれば、これは(内なる敵)との戦いということか。

ワイフも、ときどき、こう言う。
「あなたは、ラマンチャの男(=ドンキホーテ)みたい」と。


++++++++++++++++++

原稿をさがしてみた。
何と、6年前にも同じことを考えていた。

++++++++++++++++++

●私はドンキホーテ

 セルバンテス(ミゲル・デーサーアベドラ・セルバンテス・1547〜1616・スペインの小説家)
の書いた本に、『ドンキホーテ』がある。『ラマンチャの男』とも呼ばれている。夢想家というか、
妄想家というか、ドンキホーテという男が、自らを騎士と思いこみ、数々の冒険をするという物
語である。

 この物語のおもしろいところは、ひとえにドンキホーテのおめでたさにある。自らを騎士と思い
こみ、自分ひとりだけが正義の使者であり、それこそ世界をしょって立っていると思いこんでし
まう。そして少し頭のにぶい、農夫のサンチョを従者にし、老いぼれたロバのロシナンテに乗っ
て、旅に出る……。

 こうした「おめでたさ」は、ひょっとしたら、だれにでもある。実のところ、この私にもある。よく
ワイフは私にこう言う。「あんたは、日本の教育を、すべてひとりで背負っているみたいなことを
言うね」と。最近では、「あなたは日本の外務大臣みたい」とも。私があれこれ国際情勢を心配
するからだ。

 が、考えてみれば、私一人くらいが、教育論を説いたところで、また国際問題を心配したとこ
ろで、日本や世界は、ビクともしない。もともと、だれも私など、相手にしていない。それはいや
というほどわかっているが、しかし、私はそうではない。「そうではない」というのは、相手にされ
ていると誤解しているというのではない。私は、だれにも相手にされなくても、自分の心にブレ
ーキをかけることができない。そういう意味で、ドンキホーテと私は、どこも違わない。あるいは
どこがどう違うのか。

 よく、私塾を経営している人たちと、教育論を戦わすことがある。私塾の経営者といっても、
経営だけを考えている経営者もいるが、中には、高邁(こうまい)な思想をもっている経営者
も、少ないが、いる。私が議論を交わすのは、後者のタイプの経営者だが、ときどき、そういう
経営者と議論しながら、ふと、こう思う。「こんな議論をしたところで、何になるのか?」と。

 私たちはよく、「日本の教育は……」と話し始める。しかし、いくら議論しても、まったく無意
味。それはちょうど、街中の店のオヤジが、「日本の経済は……」と論じるのに、よく似ている。
あるいはそれ以下かもしれない。論じたところで、マスターベーションにもならない。

しかしそれでも、私たちは議論をつづける。まあ、そうなると、趣味のようなものかもしれない。
あるいは頭の体操? 自己満足? いや、やはりマスターベーションだ。だれにも相手にされ
ず、ただひたすら、自分で自分をなぐさめる……。

 その姿が、いつか、私は、ドンキホーテに似ていることを知った。ジプシーたちの芝居を、現
実の世界と思い込んで大暴れするドンキホーテ。風車を怪物と思い込み、ヤリで突っ込んでい
くドンキホーテ。それはまさに、「小さな教室」を、「教育」と思い込んでいる私たちの姿、そのも
のと言ってもよい。

 さて私は、今、こうしてパソコンに向かい、教育論や子育て論を書いている。「役にたってい
る」と言ってくれる人もいるが、しかし本当のところは、わからない。読んでもらっているかどうか
さえ、わからない。しかしそれでも、私は書いている。考えてみれば小さな世界だが、しかし私
の頭の中にある相手は、日本であり、世界だ。心意気だけは、日本の総理大臣より高い? 
国連の事務総長より高い? ……勝手にそう思い込んでいるだけだが、それゆえに、私はこう
思う。「私は、まさに、おめでたいドンキホーテ」と。

 これからも私というドンキホーテは、ものを書きつづける。だれにも相手にされなくても、書き
つづける。おめでたい男は、いつまでもおめでたい。しかしこのおめでたさこそが、まさに私な
のだ。だから書きつづける。
(02−12−21)

●毎日ものを書いていると、こんなことに気づく。それは頭の回転というのは、そのときのコン
ディションによって違うということ。毎日、微妙に変化する。で、調子のよいときは、それでよい
のだが、悪いときは、「ああ、私はこのままダメになってしまうのでは……」という恐怖心にから
れる。そういう意味では、毎日、こうして書いていないと、回転を維持できない。こわいのは、ア
ルツハイマーなどの脳の病気だが、こうして毎日、ものを書いていれば、それを予防できるの
では……という期待もある。

●ただ脳の老化は、脳のCPU(中央演算装置)そのものの老化を意味するから、仮に老化し
たとしても、自分でそれに気づくことはないと思う。「自分ではふつうだ」と思い込んでいる間に、
どんどんとボケていく……。そういう変化がわかるのは、私の文を連続して読んでくれる読者し
かいないのでは。あるいはすでに、それに気づいている読者もいるかもしれない。「林の書いて
いる文は、このところ駄作ばかり」と。……実は、私自身もこのところそう思うようになってき
た。ああ、どうしよう!!

●太陽が照っている間に、干草をつくれ。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●命のあるかぎり、希望はある。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けねばなら
ない。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●裸で私はこの世にきた。だから私は裸でこの世から出て行かねばならない。(セルバンテス
「ドン・キホーテ」

●真の勇気とは、極端な臆病と、向こう見ずの中間にいる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●Kさん夫婦(A couple named Mr. and Mrs. K)

*What should a couple be like? Is it a normal style of a couple whose husband works in 
offices in day-time and whose wife does quite adifferent thing at home? Here is an article 
about it.

 Kさんは、今では珍しい、専業農家を営んでいる。
「珍しい」というのは、このあたりでは、専業農家の人は、ほとんどいないということ。
数年前までは、もっぱらミカンを栽培していた。
が、高齢になったこともあって、今は花木に主流を移している。
その分、ミカンは少なくなった。

 そのKさんは、いつも奥さんと二人で仕事をしている。
何をするにも、二人といった感じ。
そういうKさん夫婦を見ていると、「ああ、これが夫婦の、もともとの、あるべき姿なんだなあ」と
思う。
言いかえると、夫は会社勤め、妻はもっぱら家事、あるいは共働きというのは、もともとあるべ
き姿ではないということになる。
このことは、外国の夫婦と、くらべてみても、わかる。

 たとえば同じサラリーマンにしても、夫婦の密着度は、国によって違う。
オーストラリアの友人も、長い間、サラリーマンをしているが、若いころは昼食を食べるために
も、家に帰っていた。
あるいは奥さんが、夫の会社の近くまでやってきて、いっしょに昼食を食べていた。
「今は?」と聞くと、「今は、(たがいに歳をとり)、めんどうになった。(I can't be bothered 
so much.)」と。
その違いがきわまったものが、単身赴任ということになるが、オーストラリアでは、今も、昔も、
日本型の担任赴任など、考えられない。

 こう考えていくと、夫婦とは何かという問題にまで、発展してしまう。いくら「夫婦には形はな
い」とは言うものの、「ではなぜ、男と女は結婚するのか」ということまで考えていくと、夫婦に
も、ある程度の「形」があるのではないかということになる。
もちろんその形にこだわるのも、よくない。反対に今、いわゆる「形だけの夫婦」が、多い。
多すぎる。

 そこでKさん夫婦を見てみると、たがいに夫婦というよりは、仲のよい友だちといった感じが
する。
たがいに仕事をしているときでも、助けあうとか、いたわりあうとか、そういう意識はないように
思う。
ただ淡々と自分のことをしているだけといったふう。若い夫婦のように、「愛している」とか、「愛
されている」とか、そういうイチャイチャしたムードはもちろんない。
あえて言うなら、たがいに空気のような存在? が、それでいて、二人の呼吸がピタリとあって
いる。

 ……となると、夫婦というのは、その「呼吸」ということになる。呼吸があっていれば、夫婦。呼
吸があっていなければ、夫婦ではない? 
形があるとするなら、それが夫婦の、あるべき形ということになる。
外見ではなく、あくまでも中身。
中身さえあれば、それを包む形には、それほど意味はない。

 これからの日本は、夫婦がこうした中身のある夫婦になれるよう、少しずつでも、そのしくみ
を変えていかねばならない。
たとえば夫が同僚と飲み食いするときでも、妻が同席するとか、あるいは夫の仕事を手伝うた
めに、たまには妻も会社へいき、アルバイトをする、とか。
住居と職場を近づけるとか、あるいは在宅ワークを、もっとポピューラーにするとか。方法はい
くらでもある。
少なくとも、今までのように、夫の仕事のために、妻のみならず、家族全体が犠牲になるよう
な、あるいはそれを当然とするような社会のあり方は、お・か・し・い。

 Kさんの家で、ミカンを数箱分けてもらいながら、私はそんなことを考えていた。

●結婚、つまり両性の結合は、それ自体はもっとも小さな社会の一つだとしても、もっとも大規
模な政府の存在そのものとなる源泉である。(ベンジャミン・フランクリン)

●強い家族をもてば、米国はより強くなる。(クリントン元大統領)

●すべての幸福な家庭は、たがいによく似ているが、不幸な家庭は、それもが、それぞれの流
儀で、不幸である。(トルストイ「アンナ・カレーニア」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●新聞の投書から……

I read an article on a newspaper in which her families were suddenly dropped into a sorrow, 
since their eldest daughter announced that she would get married soon. But why? In this 
case of the announcement, families would be glad and receive the news with a joy. But in 
this column her father was deeply depressed with the news.

 少し前、M新聞の朝刊にこんな投書が載っていた。今では、新聞記事でも、そのまま転載す
ることはできない。著作権の問題がからむ。で、少し内容を変えて、ここに紹介する。

 「私にとって、記憶に残る大切な日。それは、姉と結婚したいと言って、一人の男性が、私の
家にたずねてきた日。だれも姉の結婚に反対したわけではないが、父は、そのあと一日中、押
し黙ったまま、背中を丸めて、テレビを見ていた。母も、台所で洗いものをしながら、ハンカチで
顔を押さえて泣いていた。それから一週間ほど、私の家は、重苦しい雰囲気に包まれた。冷や
やかなムードになり、母はふて寝を繰りかえし、口数も少なくなった。私も怒ったり、泣いたりし
た。姉がいなくなるという、さみしさに、家族それぞれが、それぞれの方法で耐えていた」と。

 長女の結婚について、家族の狼狽(ろうばい)ぶりが、よくわかる。しかし私は、この投書を読
んだとき、「どうして?」という気持ちが、先にきてしまった。「どうして、家族は、長女の結婚を、
そのようにとらえたのか?」と。

 結婚の申しこみが、あまりにも急なことだったので、心の準備ができていなかったのか。長女
が、まだ若くて、結婚を考える年齢ではなかったのか。長女が、一家の中では、大切な存在だ
ったので、それがつらかったのか。いろいろ考えられる。その家族には、その家族しかわから
ない、心の事情というものがある。

が、私が「どうして?」と思ったのは、そのとき、家族のだれか一人でも、結婚の申しこみを、喜
ぶことはできなかったのかということ。投書を出した二女まで、「おとなげない態度を、姉にして
しまった」と書いている。どうして? まさか長女にとって、不本意な結婚というわけでもなかった
と思う。投書の終わりは、こうなっている。「今では元気な三児の母。これからも幸せを願わず
にはいられない」と。

 まず考えられるのは、日本人は昔から、娘の結婚を、「取られる」ととらえること。今でも、「娘
を、嫁にくくれてやる」とか、「嫁をもらう」とか言う人がいる。いわゆる娘に対して、モノ意識をも
っているとも考えられる。

しかし、どうもそれだけではないようだ。私はこの投書を読んだとき、たがいの間に流れる、ベ
タベタの人間関係を感じた。子離れできない親、兄弟離れできない妹、そしてそれをつなぐ、相
互の依存関係。それが悪いと言っているのではない。(悪いと言っているようなものだが…
…。)それが日本の家族であり、その家族には、外国にはない、温もりがある。

 たとえば、私の母は、いくら「いらない」と言っても、朝ごはんを用意してくれる。「急いで帰る
から、朝食は食べない」と言っても、だ。実家の土間で靴をはきかけていると、母はこう言う。
「いいから、食べていけ」と。

 一方、アメリカでは、こうはいかない。「〜〜してくれ」「〜〜してほしい」と、いちいち言わなけ
れば、何もしてくれない。へたに、「朝食はいい」などと言おうものなら、本当に、何もしてくれな
い。日本人の私からみると、アッケラカンとしすぎていて、どこかもの足りない。

 こうした違いが積もりに積もって、たがいの国民性をつくる。そしてそれが家族のあり方、さら
に家族の関係にまで影響をおよぼす。

 もしこの段階で、つまり「一人の男性が、私の家にたずねてきた日」に、もう少し、親は親で自
立していたら、親の見方は変わったのではないだろうか。二女は二女で自立していたら、二女
の見方は変わったのではないだろうか。

全体として、もう少し、長女の結婚を前向きに喜び、前向きに祝うことができたのではないだろ
うか。「おめでとう! よかったね! 幸せになってね!」と。私には、「そうあるべきだ」とまで書
く勇気はないが、しかし私がもっている感覚とは、ずいぶんと違うように思う。もっとも、私には
娘がいない。だから娘をもった親の気持ちはわからない。だから軽率なことは書けないが、どう
頭の中でシミュレーションしてみても、そのときのその父親のような心境にはならない……と思
う。

 さて、みなさんは、どうだろうか。親の立場というよりも、自分自身を娘の立場に置いて、考え
てみてほしい。あなたに恋人がいた。結婚を考えるようになった。そこで相手の男が、自分の
両親に会いにきた。そして承諾を求めた。とたん、一転して家庭の中が暗くなってしまった! 
険悪なムードが流れ、たがいにピリピリし始めた。しかしだれも結婚に反対しているわけではな
い。が、そういうムードになってしまった!

 この先は、その投書の人に失礼になるので、書けない。しかしこれだけは言える。日本には
日本の、これから克服していかねばならない問題は、山のようにある。この投書の中には、そ
れを考えさせる、ひとつのヒントが隠されている。もう一度、みなさんも、この投書を、じっくりと
読んでみてほしい。

女……それは男の活動にとっては、大きな(つまづき)の石となる。女を恋しながら、何かをす
ることは、むずかしい。しかし、ここに恋が妨げにならない唯一の方法がある。それは恋する女
と結婚することである。(トルストイ「アンナ・カレーニア」)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2424)

●コロラドの月(Moonlight On The Colorado)

 夜、犬が騒いだので、庭へ出てみた。美しい夜だった。つんと冷たい風。澄み切った星空。

 中学生のとき、コーラス部で、「コロラドの月」という歌を歌った。簡単な曲だった。しかしあの
ころの私は、まだ見ぬ外国に、限りないロマンをいだいていた。いや、まだ知らぬ恋に、限りな
いロマンをいだいていたと言うべきか。「♪……君よ、こよ、うるわしき……」と。

 そのせいか知らないが、昔、飛行機の上からはじめてコロラド川を見たときには、本当に感
激した。「ああ、あのときの川だ」と。……そんなことはどうでもよいが、こういう静かな夜は、ど
ういうわけか、「コロラドの月」が、自然と鼻歌となって出てくる。

 あのときの、あの仲間はどうしているかな……とふと、思う。先生は、どうしているかなと、ふ
と、思う。

 男子の部員は、四〜五人しかいなかった。あとは全員、女子。その中に佐藤君という後輩が
いた。歌手になった野口五郎という人の、兄だった。今はどこかで作曲の仕事をしているという
ことだが、そのまま疎遠になってしまった。

 こういう夜は、無性に、人が恋しくなる。それは過ぎ去りし日々への郷愁か。それとも、人生
の終盤にやってきた自分への悔恨か。若いころの思い出が、ツユと消えたように、私もまた、
つぎの瞬間には、ツユと消えるのか。そんなはがゆさが、こうしてあのころの思い出を、輝かせ
る。

 そう、今、脳裏に飛来したのは、コンクールに行くときの私たちだ。みんなでゾロゾロと、どこ
かの会場に向かっている。並んでいるわけではないが、前のほうに、女子が、歩いている。コ
ーラス部には、美しい人が集まっていた。Iさん、Tさん、Yさんなど。その女子たちが、明るく、声
を張りあげて、何やらはしゃいでいる。初夏の陽光を、まばゆいばかりに浴びながら……。

 遠い昔のような気もするし、つい先日のことだったような気もする。時間でみれば、ちょうど四
〇年も前のことだが、その実感が、まったくない。ただ私だけが、いつの間にか、歳をとったよ
うな感じがする。記憶はそのままなのに、肌からはハリが消え、シワもふえた。頭は、もう白髪
だらけだ。そんな私が、気分だけは中学生のままで、コロラドの月を口ずさむ……。

♪コロラドの月(Moonlight On The Colorado)
キング作曲(近藤玲二訳詞)

コロラドの月の夜 一人ゆく岸辺に
思い出を運びくる はるかなる流れよ
若き日いまは去りて 君はいずこに
コロラドの月の夜 はかなく夢はかえる
 
コロラドの山の端に 涙ぐむ星かげ
今もなお忘れられぬ うるわしき瞳よ
夜空に君の幸を 遠く祈れば
コロラドの山の端に はかなく夢はかえる

 部屋にもどって、コタツのふとんを肩までかぶせた。体はシンまで冷えているはずなのに、ど
こか心の中だけは、ポカポカしている。私はさらにふとんを深く、顔までかぶせると、そのまま
眠ってしまった。甘い夢に包まれて……。 
(02−12−23)

●少し前、アメリカに行ったとき、二男が、「パパ、コロラド州はいいところだよ。いっしょに来て
住まないか」と言ってくれた。私がもう少し若くて、それにアメリカに人種偏見がなければ、そう
しただろう。が、今の私には、もうその気力はない。今ある世界の中で、今ある自分を大切にし
て生きたい。「冒険」ということになれば、私は、若いころ、さんざんしてきた。思い残すことは、
ほとんどない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(446)

【ある老人の苦悩】

An agony of an old couple who has still been looking after their son who is now45 years old. 
Their son does not work at all but he sometimes steals the couple's money from the safe. 
Until when shoud parents have their responsibility to look after their sons and daughters?

●ドラ息子

 その老人(八二歳)には、二人の息子がいた。長男は、今、四五歳。二男は、今、四〇歳。長
男は、市内で、小さなレストランを開いている。二男は、隣のM県の県立病院で、ドクターをして
いる。

 その老人は、長男と同居している。もともと何かと問題のある長男で、高校を卒業したあと
は、仕事をするでもなし、しないでもなし、十年近く、ブラブラしていた。老人は、元国鉄職員。
毎月の年金は、約三二万円。そこそこの生活をするのには、困らないはずだったが、長男は、
その老人のスネをかじりつづけた。が、それだけではなかった。

 長男は、金庫から、老人の貯金通帳を盗み、そこから勝手にお金を引き出し、遊興費に使っ
たりしていた。車を買ったり、趣味のモデルガンを買ったりなど。が、やがて老人の妻が倒れ、
死んだ。老人が、七五歳のときのことだった。

 が、相変わらず、長男は遊びつづけた。ときどきアルバイトらしいことはしていたが、生活費
は、一円も入れなかった。まったくのドラ息子。とんでもないドラ息子。しかしそんな息子でも、
他人には、やさしかった。おだやかな男だった。とくに女性には、親切だった。結婚こそしなか
ったが、そんなわけで、老人の家には、いつも若い女が出入りしていた。

 老人の財産は、自宅の土地(一〇〇坪)と家。それに遺産で相続した、畑が六〇〇坪あまり
あった。長男は、この財産に目をつけた。ああでもないこうでもないと理由をつけては、その土
地を担保に、借金を重ねた。そのとき老人は、どこか頭の働きが鈍くなり始めていて、こまかい
計算ができなくなっていた。が、気がついたときには、その畑は、宅地に転用され、さらに人手
に渡っていた。

 二男はドクターをしていたが、ほとんど実家には帰ってこなかった。長男が二男を避けた。何
かにつけてできの悪い長男、何かにつけてできのよい二男。そういう関係で、良好な兄弟関係
など、育つはずがない。そういう長男だったが、ある日、その老人は私にこう言った。「昔から、
できの悪い子どもほど、かわいいと言いますね。そのとおりですよ。S(二男)は、どこへいって
も、ひとりで、しっかりやっていく子どもです。心配していません。しかしY(長男)は、そうではあ
りません。だからよけいにかわいいです」と。

 今でも長男は、その老人の目を盗んでは、サイフからお金を抜き取っているという。小さな金
庫もあるが、長男は、合いかぎをもっているらしい。しかしそれを知りつつ、その老人は、「ま
あ、いいじゃないですか……」と。「どうせ、すべて長男のものになるのですから」と。

●リズムでできる人間関係

 親に依存する子ども。子どもに依存する親。こうした依存関係は、一度できると、一方的なも
のになる。……なりやすい。尽くす側と、尽くされる側の立場が、はっきりしてくる。

 ある女性(七六歳)は、生活費のすべてを、息子(四九歳)に依存していた。息子は見るにみ
かねて、そうしていたが、今では、それが当たり前になってしまっている。息子はこう言う。「母
にお金を渡すと、決まってこう言います。『大切に、つかわさせてもらうからね』と。まるで私がお
金を出すのが当然というような言い方をします」と。

 一方、ここに書いたようなドラ息子がいる。ただ親からむしりと取るというだけの子どもであ
る。それなりに社会性もあり、責任感もある子どもなのだが、親に対してだけは、そうでない。
「してもらうのが当然」と考える。このケースでは、親が子どもに尽くしていることになる。

 問題は、なぜ、そうした依存関係が、「尽くす側」と、「尽くされる側」に、分かれるかというこ
と。そこで調べてみると、最初は、ごくささいなことで始まるのがわかる。たとえば、「教える世
界」でも、こんなことがある。

 定規を忘れる子どもがいる。そこで私は、いくつか定規を買いそろえておく。忘れた子ども
に、貸してやるためである。しかしそういうことをすると、とたんに、定規を忘れる子どもがふえ
る。一度、こういう関係ができると、それを改めるのは、容易ではない。ある日突然、「もう定規
は貸してやらない」などと言おうものなら、大混騒動になってしまう。

 さらに定規を用意しておくと、そのままもって帰ってしまう子どもが出てくる。「盗む」という意識
からではない。無意識のまま、自分のケースに入れて、もって帰る。そこで毎月のように新しい
定規を買い足して、補充することになる。が、ここで終わるわけではない。子どもは定規を粗末
に扱うようになる。あちこちで使うたびに、定規をなくすようになる。そしてそのたびに、私のとこ
ろから定規をもって帰る……。

 こうして定規について、「尽くす側」と、「尽くされる側」の立場ができる。もっともこれは定規と
いう、教育の中の、ほんの一部の「部分」にすぎない。しかしこうした関係が無数に積み重なっ
て、やがてそれが人間関係をつくる。子育てのリズムというのはそういうもので、一事が万事。
最初は小さな流れが、無数に集まって、やがて大きな流れになる。で、一度そうなると、その流
れを変えるのは、もう、容易なことではない。

●小さな流れのときに……

 大切なことは、「尽くす側」にしても、「尽くされる側」にしても、そういう流れをつくらないこと。
わかりやすく言えば、サービス過剰も、またサービス不足も、子育てでは、決して好ましいもの
ではないということ。とくに親としては、サービス過剰に注意する。サービス過剰は、決して子ど
ものためにならないばかりか、結局は、そのツケは、親に戻ってくる。苦労するのは、親自身と
いうこと。

 家庭では、こんなことに注意するとよい。

(1)一〇%のニヒリズムを大切に……全幅に子どもを愛するということと、全幅に子どもに尽く
すということは、まったくの別問題。いつも心のどこかで、「子どもは子どもで、勝手に生きれば
いい」と、冷たい心をもつ。割合としては、一〇%くらいか。これを「一〇%のニヒリズム」とい
う。

(2)必要なことと、そうでないことを分ける……子どもに何かをしてあげるときは、「子どもにと
って、それが必要なことか、そうでないか」を、まず頭の中で考えるようにする。これはちょっと
したコツで、それを覚えると、できるようになる。そして「不必要」と感じたら、ぐんと自分をおさえ
る。あるいはしない。

(3)自分自身の中の依存性を知る……依存性というのは、体にしみついたシミのようなものだ
から、それを正したり、消すのは容易ではない。しかしそれに気づくだけでも、方向を変えるこ
とはできる。もし今のあなたが、親になっても、あなたの両親に対して、どこかベタベタしている
ようなら、あなたは無意識のうちにも、同じように、子どもにベタベタの関係を求めていることが
多い。そしてその分、子どもは子どもで、あなたに対して依存心をもちやすくなっていると思って
よい。

(4)「必要な訓練(トレーニング)はするが、その限度をわきまえている親のみが、真の家族の
喜びを与えられる」(バートランド・ラッセル)の言葉を、かみしめる。子育ては、いつもこの「限
度」との戦いである。溺愛も、過保護も、過干渉も、過関心も、その限度を忘れたときに、問題
になる。

●イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二
〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬
し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たち
のみが、家族の真の喜びを与えられる」と。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●恐怖のしりとり

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風船に蚊取り線香を、セロテープで
つける。

その風船を順に回しながら、しりとり
遊びをする。

やがて蚊取り線香の火が風船に届き、
そこで風船が爆発。

「恐怖のしりとり遊び」である。

アイディアは私が出したが、子どもたち
(小5)が、どうしても、それをしたい、と
言った。

そこで2度ほどしてみたが、最後まで
する子どもはいなかった。

みな、終わりごろになると、「こわい」
「こわい」と言って、机の下に
もぐってしまった。

そしてドカ〜ン!
かなり大きな音である。

が、ここで事故。
吹き飛んだ蚊取り線香が、見あたらない。
さがすと、2度とも、じゅうたんを
焦がしたり、ふとんを焦がしたりしていた。
そこに1センチ大の穴を作った。

子どもたちは、「記念ができた!」と
喜んでいた。
蚊取り線香でできた穴が、記念、と。
私には理解しがたい、子どもの心理である。

家ではまねをしないように!

火事になるかも?

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●新しい挑戦

+++++++++++++++++

「YOU TUBE」というサービスが
ある。わかりやすく言えば、ビデオの配信
サービスのこと。

この1か月近く、私は、そのYOU TUBE
にハマっている。

私のワイフも、日に何度かは、「音楽と
私」(はやし浩司のHPのトップ画面)
から、このYOU TUBEをのぞいて
いる。

ワイフの好きな音楽を集めたコーナーも
用意した。ついでに「団塊の世代、ご用達」
というコーナーも、用意した。

団塊世代にとって、「これは!」という
音楽や歌を集めてみた。

興味のある人は、ぜひ、一度、「音楽と
私」をのぞいてみてほしい。

で、それに刺激されて、私も、今朝、2本
ほど、ビデオと写真を、YOU TUBE
にアップロードしてみた。

1本は、浜松駅周辺の様子。もう1本は、
教室の近くにある五社(ごしゃ)神社の様子。

五社神社というのは、徳川家康にもゆかりの
ある、このあたりでは、よく知られた、かつ、
由緒ある神社である。

ともに観光案内のビデオのようなもの。

で、私は決めた。

浜松市内をくまなく、YOU TUBEを
使って紹介してみよう、と。

数を口にすると、それに束縛されるので、
この際、数は、問題にしたくない。50本に
なるかもしれないし、100本になるかも
しれない。

外国の人が、この浜松を知りたいとき、
何かの手がかりになればうれしい。

・・・ということで、どんなに小さくてもよい。
何か、目標をもつということは、よいことだ。

またまた忙しくなりそう・・・!


++++++++++++++++++++

●USTREAM

YOU TUBEについて書いたので、USTREAM
についても書かねばならない。

USTREAMのほうは、同じビデオでも、時間制限は
ない。一応、12時間まで、ということになっている。
が、12時間も使う人はいない。一方、YOU TUBE
は、最長10分程度までとなっている(※)。

私はこのサービスを使って、現在、子育て論を展開して
いる。これも、私のHPのトップ・ページ
から、見ていただけるようにしておいた。

「こちらBW放送局」というのが、それ。こちらも、
どうか、よろしく!

(注※)・・・YOU TUBEのばあい、ソフトを
ダウンロードすれば、10分以上のビデオも
アップロードできる。


+++++++++++++++++++++++

●「日本」

私が知るかぎり、「日本」という言葉の出てくる歌は、
ほとんどない。ほとんどないが、中には、ある。そのひとつが、
これ。「♪遠い世界に」(西岡たかし作詞)である。

団塊の世代なら、みな、この歌を知っている。みな、歌った。
私も歌った。

再び、何十年ぶりかに聞いてみた。今でも、「赤い風船」は、
健在のようだ。

+++++++++++++++

遠い世界に

遠い世界に 旅に出ようか
それとも赤い風船に乗って
雲の上を歩いてみようか
太陽の光で にじをつくった
お空の風を もらって帰って
暗い霧を 吹き飛ばしたい。

ボクらの住んでいる この街にも
明るい太陽 顔を見せても
心の中は いつも悲しい
力を合わせて 生きることさえ
今ではみんな 忘れてしまった
だけどぼくたち 若者がいる。

雲にかくれた 小さな星は
これが日本だ 私の国だ
若い力を 体に感じて
みんなで歩こう 長い道だが
一つの道を 力のかぎり
明日の世界を さがしに行こう
明日の世界を さがしに行こう

++++++++++++++++

うれしかった。と、同時に、あのころの私を思い出した。
何か不安だった。しかしその不安の中に、何か光る希望を
感じていた。前に進んでいけば、何かがある。そんな
思いで、私たちは、がむしゃらに未来に向かって、突っ走った。

この曲も、「音楽と私」に収録しておいたので、興味
のある人は、聞いてほしい。世代を超えて、今の若い人
たちにも、何か訴えるものがあるはずである。


++++++++++++++++++++++++

●寒い夜

寒い夜。何が楽しいかといって、ワイフと抱きあって
寝ることくらい、楽しいことはない。
暖かい。気持ちよい。ときどきワイフは、「温泉に入って
いるみたい」という。
たしかにそんな気分になることもある。

ときどき、2人で、ふとんの中で、合唱することも
ある。あるいはそのまま1〜2時間、ペチャペチャと
話しつづけることもある。

そう言えば、知人のSGさんは、ネコを抱いて寝るそうだ。
「ネコは暖かいから、コタツがわりになる」と。

そんな私だが、このところ、ふと、こんなことを
思うことがある。
「こんな時は、いつまでつづくだろうか?」と。

私たちは結婚以来、35年以上、床をいっしょに
してきた。今ではどんなに夫婦喧嘩をしても、
寝るときまでには、仲なおりする。
ひとりで寝るのは、つらい。寒い夜は、なお、つらい。

たぶん、ワイフは私なしでも寝られるが、私は、
ワイフなしでは、寝られない。
ときどきひとりで寝るときもあるが、そういうときは
恐ろしい夢を見る。

「13日の金曜日」に出てくる、ジェイソン級の
恐ろしい夢である。

母子分離不安というのがあるが、私のは、「夫婦分離
不安」ということになる。

あと、10年か? それとも20年か?
すっかりババ臭くなったワイフだが、それでもそんな
ワイフがいとおしい。

一日、一日と、人生そのものが、削られていくように
思うこともある。

つらいこともあった。悲しいこともあった。しかし総じて
みれば、私たちの(私の?)人生は、それなりに
楽しかった。おもしろかった。

あとはそれをできるだけ長く、つづけるだけ。
息子たちには、迷惑をかけたくない。
最後の最後まで、私たちは私たちで、生きていく。

だからやはり、いっしょに寝るのがよい。
今のうちに、しっかりと2人で寝るのがよい。
「今」というときを、しっかりとかみしめながら・・・。


++++++++++++++++++++++

●我が家のギョーザ

ワイフはギョーザを焼くのが苦手。
食べるときは、ナイフとフォークが必要。
フライパンの上で、いつも一枚の、お好み焼きのように
なってしまう。
だから食べるときは、ギョーザとは思わないこと。
お好み焼きと思うこと。

・・・ということで、先日、ラーメン屋でギョーザを注文した。
どれも、パリパリに焼けていた。

私「おい、ここのギョーザ、バラバラになるぞ」
ワ「・・・!」と。

ワイフは、他責型人間。わかりやすく言えば、意地っぱり。
めったに自分の失敗を認めない。
何があっても、相手が悪いと、言い逃れる。

ギョーザのときも、「このギョーザ、へんね」
「作り方が甘いのよ」となる。
(ほんとうは、腕がまずいくせに!)

一方、私は、自責型人間。何があっても、「ぼくが悪い」と、
先にあやまってしまう。あやまらなくてもよいときまで、
あやまってしまう。

だから夫婦でいられる。両方とも凸でも困る。
凹でも困る。

長い間、いっしょにいると、夫婦もそうなるらしい。
たがいに欠点を補いあいながら、それでいて、
たがいの欠点は欠点として、増幅される。
たがいに削りあいながら、丸くなるということはない。

そんなわけで、あとはたがいに、「許して、忘れる」。
その繰りかえし。その連続。

いろいろな夫婦がいる。
いろいろな夫婦がいるが、夫婦、それぞれ。
標準もないし、基準もない。

「私は私」と居なおって生きるように、夫婦もまた、
居なおって生きるしかない。「夫婦分離不安」でも、
何でもよい。それが私の形なら、それでよい。
だれかに合わせて、自分たちを作りかえる必要はない。

ギョーザの話から夫婦論になってしまった。

ところで、私はギョーザが大好き。
ギョーザと白い、ホカホカの白いご飯さえあれば、
それで満足。いつもそうやって、食べている。

この浜松は、ギョーザの町として、知られている。
おいしいギョーザを食べたかったら、浜松へどうぞ!


+++++++++++++++++++++++++++

●サービス業

よく「教育はサービス業」という。
「教育」とは名ばかり。その中身は、
サービス。さらにかみくだけば、「接客業」。
接客業であることが悪いと言っているのではない。
今では、生徒は、(お客様)。

たとえばある幼稚園の園長が、こう教えてくれた。
「今では給食といっても、レストラン形式で、
給食を出さないと、親たちは満足しません」と。

「園児にさせないのですか?」と、私が聞くと、
「とんでもありません」「もしそれで、火傷(やけど)
でもされたら、たいへんです」と。

さらにこのあたりの小中学校でも、教師が
生徒に何かしてほしいときは、「〜〜してはどうでしょうか」
(提案型)、「〜〜してくれませんか」(依頼型)という
ような言い方に変わってきている。

昔のように、「おい、〜〜しろ!」式の言い方を
したら、それこそ、たいへん。もちろん体罰など
もってのほか。プリントを丸めて、児童の頭を
たたいただけで、親たちは、大騒ぎする。

「教え育てる」と言っても、何を教え、育てるのか。

学校といっても、その中身は、受験塾、もしくは
予備校。わかりやすく言えば、指導。受験指導。
今では、学校が、進学塾の講師を呼んで授業(?)を
するようになった。

教育そのものが、大きく変質しつつある。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2425)

●濃密に生きる

Some home-less people were living underpass in the city, but last night I found there left 
only one man. Along the pass dozens of flowerpots to exclude home-less people from there. 
I felt a strong anger about it. I kicked two flower pots besides him and I gave some money 
to him, saying "Are you all right?" He said "I am sorry." I came back again to my office and 
went back to him with two thick cushions and another money.

++++++++++++++++++

「映画も見たい」「山荘へも泊まりたい」
「HPの更新もしたい」「ビデオも制作したい」
「原稿も書きたい」・・・と。

そういうときは、すべてをする。選ばない。

X曜日の夜は、ワイフと2人で、映画を見に
行くことにしている。

で、最近は、その映画を見たあと、一度、
家に寄って、そのまま山荘に行くように
している。

山荘には、古いパソコンが置いてある。
原稿は、それで書ける。

またその途中で、あちこちを回り、ビデオを
撮る。家に帰ってからは、HPの更新をする。
電子マガジンを発行する。

もちろんその間に、仕事もする。講演もする。
加えて、ほかにも、やりたいことが、たくさん
ある。USTREAMで、声も録音したい。

忙しいというより、私には、時間がない。

昨夜も、午前1時ごろまで、ビデオの編集を
した。デニーズの誕生日祝いをしていなかった
ので、孫たちの写真を、ビデオに編集した。

朝は、6時に起きた。再び、編集。ビデオが
できあがったのは、午前9時頃ごろ。ワイフを
書斎へ呼んで、2人で、試写会。そのあと、
そのビデオを、デニーズに送った。

月末は、さらに忙しい。マガジンの翌月号の
準備がある。原稿の整理もしなくてはならない。

BOXというサービスを使って、原稿を、
そこに保存している。BOXというのは、
原稿の倉庫のようなもの。書いた原稿は、
そこに保管する。

午後からは、仕事の準備。教材を用意し、
プリントを作る。が、ここで大切なことが
ある。

できるだけワイフの相手をする。ワイフが
行きたいと言えば、外食することにしている。
家族の主導権は私にあるとしても、その絆(きずな)
をつなぐのは、私の役目。

この世界には、「パソコン未亡人」という言葉も
ある。ワイフをその未亡人にしたくはない。

・・・ということで、今日も、始まった。
がんばろう! あと10年か? それとも
20年か? どうせ、それまでの命。
徹底的に燃やし尽くす。燃やし尽くして、
おしまい。

そのときが来たら、いさぎよく、サラバ。
未練はない。未練は残さない。悔いも残さない。

+++++++++++++++++++

●「切符が、どうした?」

 昔、こんな手記を書いた男の人がいた。戦後直後のことだった。その人は、放心状態だった
……と思う。戦争で、家も家族も、すべて失っていた。その上、日本は敗戦した。それまでの価
値観が、すべて否定されてしまった。

 電車をおりて改札口を出ようとしたときのこと。駅員が、その男の人に声をかけた。「切符
は?」と。その言葉を聞いて、その男の人は、ふと我に返った。そしてこう言ったという。「切符
ぐらい、何だ!」と。その男の人は、切符をもっていなかった。

 私はときどき、その男の人の話を思い出す。そして今でも、自問する。その男の人の言った
ことは、正しかったのか、それともまちがっていたのか、と。その男の人は、「切符がないからと
いって、それがどうした」と言った。

 実は、今夜も、似たような場面に出くわした。

 私の教室の近くに、地下道がある。その地下道をくぐると、ザザシティと呼ばれる、ショッピン
グセンターに出る。いつもなら、その地下道に、3〜4人のホームレスの男たちが、いる。が、
今夜、そこを通ってみると、60センチ長の植木鉢が、通路に沿って、並べてあった。

 ホームレスの男は、一人しか残っていなかった。

 ポケットの中をさぐると、小銭が少しあった。それをすべてその男に渡した。渡しながら、「役
人のすることは、せこいね」と声をかけた。植木鉢を並べることで、ホームレスの男たちを、追
い出した。

 男は、ただだまって、「ああ、すんません」とだけ言った。とたん、涙が、私の目を濡らした。

 成功者も失敗者も、紙一重。大きくちがうようで、どこもちがわない。ほんの少しリズムが狂っ
ただけで、失敗者は、失敗者になる。今、成功者だと思っている人だって、明日のことはわから
ない。

 同じ、日本人ではないか。同じ、人間ではないか。同じ、この日本に住んでいるではないか。
私有地ならともかくも、通路のすみで小さく身をかがめて生きている人に、どうして、そういうむ
ごいことができるのか? 

 教室へ帰ると、小5のS君が来ていた。私はサイフから1000円を取り出した。S君には、こう
言った。「フトンを届けるから、手伝ってくれるか?」と。S君は、すなおに、それに応じてくれた。

S「先生の友だち?」
私「友だちじゃあ、ないよ」
S「・・・」
私「友だちになりたいとは思わない……」と。

 男にザブトン2枚と、1000円を渡した。男は、再び、「すみません」「すみません」と何度も言
った。私たちは、そそくさと、その場を離れた。

 「通路を占有したぐらい、何だ!」と思ったとき、あの男の人の書いた手記が、頭の中を横切
った。「切符ぐらい、何だ!」と。

 そう、道路を占有したぐらい、何だ!

 役人たちは、中央の官僚は言うにおよばず、市町村の村レベルまで、天下りに天下りを重ね
ている。それぞれの役人に責任があるわけではないが、一方で、こうした矛盾を放置しておき
ながら、何が、ホームレスだ!

 昨日も、1台分、5000万円の費用をかけてつくった駐車場の話を書いた。私たちが支払う
ガソリン税を流用して、どこかのだれかが、そういう駐車場を建設している。もちろんそうした駐
車場は、役人たちの天下り先になっている。しかも、だ。土地代は、ただ。収入として入ってくる
駐車料金は、すべて自分たちで使っているという(報道番組)。

 言うなれば、この世の中、矛盾だらけ。ホームレスの男と、駐車場とを直接結びつけること
は、正しくないかもしれない。それはわかっている。わかっているが、「切符ぐらい、何だ!」

 実は、私は若いころは、こう考えた。いくら終戦直後であっても、法治国家なのだから、無銭
乗車は許されない、と。

 しかし今は、ちがう。無銭乗車を擁護するわけではないが、私がそのときの男の人なら、私
も、同じように言っただろう。「切符ぐらい、何だ!」と。

 ……だから、あえて浜松市の役人たちに、もの申す。

 通路に、必要もないような植木蜂を並べて、ホームレスの男たちを追い出すような、小細工
はやめろ! どうして地下道に、植木鉢なのか? 彼らには、あそこしか住むところがない。公
衆トイレも近い。洗面は、近くのショッピングセンターですますことができる。

 行く先も用意しないで、「出て行け!」とは、どういうことなのか。どうして、そんなことがわから
ないのか、バカヤロー!


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●私たちは生きている(We are alive!)

++++++++++++++++++

●私たちは、生きている  We are alive.

息ができる。 I can breathe.
ものが見える。 I can see.
音が聞こえる。 I can hear.
歩ける。 I can walk.
走れる。 I can run.
自転車にも乗れる。 I can ride a bicycle.

そのすばらしさに、 Just feel it and
すなおに感動してみよう。 Make it impressed.

その感動は、あなたを It will wrap you
やさしく包む。 Gently ,softly
暖かく包む。 And warmly.

とたん、冬の寒さも、 Then you will see shining stars
心地よい冷気に変わる。 In the dark night streets
夜の街も、星々が輝く、 the coldness of winter time
天空に変わる。 Will change to be comfortable fresh air.

ものが食べられる。 Here you are some food
食べるものが、そこにある。And I can eat it.

そのすばらしさに、 Just feel it 
すなおに感動してみよう。 And make it impressed.

とたん、食卓の上の Then suddenly the food there
食べ物が、ごちそうに変わる。Will be a dinner.

そこに夫がいる。 There you see your husband.
妻がいる。 There you see your wife.
子どもがいる。 There you see your children.
家族がいる。 You have your families.

そのすばらしさに、 Just feel it.
すなおに感動してみよう。 And make it impressed.

とたん、家族にまつわる問題が、Then all troubles will go away,
すべて霧散する。 Leaving nothing behind.
解決する。

そう、私たちは、今、 Yes, we are here and alive.
ここにこうして生きている。We are alive like this.
星がまばたきする、その瞬間に、together with each other.
こうして共に、生きている。in a moment of a twinkle of a star

そのすばらしさに、 Just feel it
すなおに感動してみよう。 And make it impressed.

++++++++++++++++++

●自由(Freedom)

We are here and alive. When you feel it, you can say it to be Freedom. The day will come 
when you feel that you have been alive as you are. Then you will know you have had 
Freedom. Just liberate your mind into the air as you are. Just live as you are. It means 
Freedom.

生きている実感、それを自由という。
私はここにいるという実感、それを自由という。

いつかあなたも、自分の今の人生を振りかえるときがくるだろう。
そのとき「私は生きてきた」と実感する。

それを自由という。

私は私らしく生きる。それを自由という。
私は、私そのもの。それを自由という。

さあ、あなたも、心のクサリを解き放とう。
クサリを解き放って、大空に手を伸ばしてみよう。
あなたは、あなたらしく、どこまでもあなたらしく、
生きてみよう。

心を解き放てば、体は、あとからついてくる。

それを自由という。

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●心にキズを負った人たち(Men who have deep hunger)

Just try to give warm blankets to those home-less people, then you will know what it is. But 
do not expect anything from them. When you are deceived by them, just forget it and 
forgive it. Only one thing you can do is just to walk away from them. They are the people 
who have deep hunger in their minds. You are too much blessed to understand or to 
kiberate their minds.

++++++++++++++++

「先生は、ホームレスの人たちと
友だちか」と、子どもたちは、私に
よく聞く。

私は、「友だちではない」と答える。
「友だちになりたいとは思わない」と
答える。
「友だちにはなれない」と答えるとき
もある。

相手がどう感じているかは、私は、
知らない。わからなくても、よい。

「私はいいことをした」とか、
「あの人たちは感謝しているはず」とか、
そんなことは、考えてはいけない。

私はすべきことをして、そして
目を涙で濡らす。別れる。忘れる。

ホームレスの人たちは、みな、
病んでいる。心に大きなキズを
負っている。

そのキズは、あまりにも深く、大きい。
それがわかったら、私たちは、
だまって静かに、別れる。忘れる。

+++++++++++++++++

 教室の近くに小さな公園がある。そこにも、3、4人のホームレスの男たちが、寝泊まりしてい
る。ホームレスの中でも、恵まれた男たちである。登山家が使うような、大きく、がんじょうなテ
ントをもっている。その中に住んでいる。

 その中の1人が、ときどき、公園の隅で店を開く。どこかで拾ってきたものを、そこに並べる。
ブリキのおもちゃに瀬戸物など。小さな植木鉢に、観葉植物を埋めたものもある。値段は、け
っして、安くない。5〜7センチもないような観葉植物でも、500円前後。

 どうせ根など、ついていない。どこかで手に入れた葉を、植木鉢にさしただけ。今まで、何個
か買ったことがあるが、どれもそうだった。そのまま枯れてしまった。

 しかし私は、「また買いにきたよ」と言って、それを買う。男は、こう言う。「水はやってよ」「水
は、やりすぎては、いけないよ」と。私は笑って、「またいいのがあったら、買うよ」と言って別れ
る。

 心に大きなキズを負った人たちである。そのキズを感じたら、だまされても、だまされたフリを
して、その場を去る。そして再び、また、だまされてやる。そのキズは、私やあなたが、少しぐら
い親切にしてあげたからといって、癒(いや)されるものではない。私やあなたが、どうこうでき
るものではない。

 心に病気をもった人も多い。そういう病気を感じたら、そっとしておいてやる。何も期待しては
いけない。何も求めてはいけない。私は、子どもたちにこう言う。

 「友だちというのはね、おたがいに、心を交換する人のことだよ」と。

 私のような人間に、心の交換など、できるはずもない。私は、彼らにすれば、恵まれすぎてい
る。その恵まれすぎている私が、どうやって、彼らの心を溶かすことができるというのか。

 でもね、みなさん。みなさんも、一度でよいから、ああした人たちに、やさしい言葉をかけてや
ってみてほしい。「寒くありませんか?」「おなかはすいていませんか?」「何か、食べました
か?」と。

 あなたの家に古着があるなら、あなたの家に、使っていない毛布やクッションがあるなら、そ
っと、それを手渡してみてほしい。

 ……そのあとのことは、あなたは自分で知る。あのマザーテレサは、こう言った。「みな、イエ
ス・キリストだ」と。その意味が、あなたにも、わかるはず。


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●紙一重(Nothing is different)

What is the difference between the rich and the poor? Nothing! But do not have to grieve 
your lives. Once you live alive in a moment of the day, you will know the truth of the life.

成功者も失敗者も、紙一重。
健康な人も、病気な人も、紙一重。
幸福な人も不幸な人も、紙一重。
長生きしている人も、短命な人も、紙一重。

どこもちがわない。ちがうはずがない。
私は成功者と思う人も、
健康な人も、
幸福な人も、
長生きしている人も、
明日のことはわからない。

が、わからないからといって、嘆くことはない。
不安に思うこともない。

無益に生きる10年に、どれほどの意味があるというのか。
20年でも、30年でもよい。
明日も今日と同じという人生に、どれほどの意味があるというのか。

たった一日の、そのまた瞬間に、自分を燃やすこともできる。
それを「生きる」という。

あなたが今、ここにいて、生きているなら、
その生きていることを、みなに、伝えよう。
みなに、返していこう。

それが生きるということ。
美しく生きるということ。

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最前線の子育て論byはやし浩司(2426)

●今日・あれこれ(2月3日)

The ability of calculation is needed to solve math problems. Then young children are advised 
to practice calculation. Similaly young children are required to write letters quickly. Some 
are very slow to write and some are very quick to write. Children of the first grade can 
write 100~150 Hirakanas and Chinese Characters per abt 15 minutes. But there a few (abt. 
20% of children) take a much longer time to write. So children of younger age are advised to 
practice to write things quickly.

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昨日から今日1日、シトシトと雨が降る。
冷たい雨だ。ほかの地方では、雪になって
いるという。

おかげで、今日は外出することもなく、
こうしてパソコンの前に座って、原稿を
まとめる。

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●速く書く

計算力があるからといって、算数の力
があるということにはならない。

しかし計算力がないと、ときとして、
算数の力を、下へ引っ張ってしまう。

今でも、私は中学生たちと、難問競争
をよくする。

難問をどちらが早く解けるかという競争
である。

こうした競争では負けないが、しかし
最近多くなったのが、計算ミス。
そのため、答が合わず、私の方が
負けることが多くなった。

この計算力と算数の力の関係に似ている
のが、速く書くという力と作文力の関係。

最近の入試では、作文力が試されることが
多くなった。作文力と言うよりは、
もちろんその(中身)。作文の内容を見て、
試験官は、子どもの(中身)を知る。

この作文を指導していて、とくに苦手
というわけではないが、文章として
自分の考えを、まとめることができない
子どもがいる。

そういう子どもに共通しているのは、
書く速度が、極端に遅いということ。
ノロノロというよりは、モタモタし
いる。時間ばかりかかり、先へ進む
ことができない。

そこで調べてみた。

小学1〜2年生で、15分前後で、100〜
150文字を書く。

小学2〜3年生で、15分前後で、150〜
200文字を書く。

何かの本を、原稿用紙に書き写させてみる
とよい。

そのとき、15分前後で、30〜50文字しか
書き写せない子どもがいる。全体の約20%、
5人に1人はいる。

その一方で、15分前後で、250〜350
文字、書き写す子どももいる(小3)。

この(差)は大きい。そのまま作文力の差と
なって、反映される。

だから、子どもに計算練習をさせるように、
作文指導をするときは、速書きの練習をさせる
とよい。

少し訓練をすると、かなり速く書けるように
なる。コツは、10分前後、毎日、すること。
(ダラダラと長い時間をかければよいという
ものではない。短時間で、す早く書くという
練習をする。)

また書き写し(書写)については、2〜3
年、学年が上の国語の教科書を勧める。

内容もよく吟味されているし、値段も安い。
大きな書店に行くと手に入る。

読めない漢字などは、横で読んであげればよい。
あるいはその部分は、ひらがなで書かせれば
よい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●息子のガールフレンド(My son's girlfriend)

It is the cleverest not to interfere your sons or daughters whatever kinf of girlfriends or 
boyfriends they have. But if it is about the marriage, things are different. Parents are keenly 
interested in what sort of circumstances his or her friend are raised up.

息子や娘に、ガールフレンドや
ボーイフレンドができると、
最初のころは、親の方があわてる。
しかしそれも度(たび)重なると、やがて
どうでもよくなる。
めんどくさくなる。

息子や娘たちには、息子や娘たちの
世界がある。親が賛成したからと
いって、どうこうなるものでは
ない。
へたに反対すれば、かえって
恨みを買うことになる。

が、結婚となると、話は別。
「どんな子だろう」と知りたい。
どんな家庭環境に育ったのか。
どんな性格なのか。
どんな両親をもっているのか、など。

が、それにも限界がある。
「知りたい」というだけで、それ
以上はない。

知ったところで、これまたどうこう
なるものではない。知って反対する
くらいなら、つまり、それで家庭騒動
を起こすくらいなら、知らないほうが
よい。

だから私は息子たちには、いつもこう
言ってきた。……言っている。

「お前たちが選ぶ子だから、きっと
すばらしい子にちがいない」と。

それ以上は干渉しない。口出しもしない。
あとは、成り行きに任せる。
「縁」があれば、結婚につながる。
「縁」がなければ、そのまま消える。

どうであるにせよ、こういうケースでは、
親が口を出して、うまくいくことは、
まず、ない。もちろんあえて賛成する
こともない。

若い人の恋など、熱病のようなもの。
賛成したところで、こわれるものは、
こわれる。

いくら親の私が、「すてきな子だな」と
思っても、息子の熱情がつづかなければ、
それでおしまい。

話は変わるが、以前、こんな原稿を
書いたことがある(中日新聞発表済み)。

++++++++++++++++++

●親の心は子どもの心

 一人の母親がきて、私にこう言った。「うちの娘(年長児)が、私が思っていることを、そのま
ま口にします。こわくてなりません」と。

話を聞くと、こうだ。お母さんが内心で、同居している義母のことを、「汚い」と思ったとする。す
るとその娘が、義母に向かって、「汚いから、あっちへ行っていてよ」と言う。またお母さんが内
心で、突然やってきた客を、「迷惑だ」と思ったとする。するとその娘が、客に向かって、「こんな
とき来るなんて、迷惑でしょ」と言う、など。

 昔から日本でも以心伝心という。心でもって心を伝えるという意味だが、濃密な親子関係にあ
るときは、それを望むと望まざるとにかかわらず、心は子どもに伝わってしまう。子どもは子ど
もで、親の思いや考えを、そっくりそのまま受け継いでしまう。

こんな簡単なテスト法がある。まず二枚の紙と鉛筆を用意する。そして親子が、別々の場所
で、「山、川、家」を描いてみる。そしてそれが終わったら、親子の絵を見比べてみる。できれば
他人の絵とも見比べてみるとよい。濃密な関係にある親子ほど、実によく似た絵を描く。二〇
〜三〇組に一組は、まったく同じ絵を描く。親子というのは、そういうものだ。

 こういう例はほかにもある。たとえば父親が、「女なんて、奴隷のようなものだ」と思っていたと
する。するといつしか息子も、そう思うようになる。あるいは母親が、「この世の中で一番大切な
ものは、お金だ」と思っていたとする。すると、子どももそう思うようになる。つまり子どもの「心」
を作るのは親だ、ということ。親の責任は大きい。

 かく言う私も、岐阜県の田舎町で育ったためか、人一倍、男尊女卑思想が強い。……強かっ
た。「女より風呂はあとに入るな」「女は男の仕事に口出しするな」などなど。いつも「男は……」
「女は……」というものの考え方をしていた。

その後、岐阜を離れ、金沢で学生生活を送り、外国へ出て……、という経験の中で、自分を変
えることはできたが、自分の中に根づいた「心」を変えるのは、容易なことではなかった。今で
も心のどこかにその亡霊のようなものが残っていて、私を苦しめる。油断していると、つい口に
出てしまう。

 かたい話になってしまったが、こんなこともあった。先日、新幹線に乗っていたときのこと。うし
ろに座った母と娘がこんな会話を始めた。

「Aさんはいいけど、あの人は三〇歳でドクターになった人よ」
「そうね、Bさんは私大卒だから、出世は見込めないわ」
「やっぱりCさんがいいわ。あの人はK大の医学部で講師をしていた人だから」と。

どうやらどこかの大病院の院長を夫にもつ妻とその娘が、結婚相手を物色していたようだが、
話の内容はともかくも、私は「いい親子だなあ」と思ってしまった。呼吸がピタリと合っている。

 だから冒頭の母親に対しても、私はこう言った。「あなたと娘さんは、すばらしい親子関係に
ありますね。せっかくそういう関係にあるのですから、あなたはそれを利用して、娘さんの心づく
りを考えたらいい。あなたのもつ道徳心や、やさしさ、善良さもすべて、あなたの娘さんに、そっ
くりそのまま伝えることができますよ」と。 

++++++++++++++++

この原稿の中で、私は「新幹線に……」
と書いたが、本当は、「バスの中」だった。
当時はまだ、生々しい話だったので、場所を、
バスから新幹線の中に変えた。

こんなことはどうでもよいが、中には、
そういう親子もいる。生きざまそのものが、
ピッタリと一致している。
しかしそういう親子は、珍しい。

で、結婚ということになれば、嫁や婿は、
そのまま自分の子どもということになる。
自分の子どもと同じように考える。

が、ふと我に返ると、私たち夫婦も、もう
老人。先も短い。
それに頭の働きも鈍くなる。感受性も
弱くなる。

ということで、(自分の子)といっても、
やはり、どうでもよくなる。限界がある。
乳幼児や、少年少女時代の(自分の子)
と同じように考えることはできない。

息子や娘たちには、息子や娘たちの
世界がある。親が賛成したからと
いって、どうこうなるものでは
ない。
へたに反対すれば、かえって
恨みを買うことになる。

……と最初の話に、もどった。
もどったので、この話は、ここまで。
大切なことは、みな、たがいに愛しあい、
幸福になること。

すべては、そこに行き着く。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●いじめの陰に嫉妬(Jealousy often drives men and woman crazy.)

Jealousy often drive men and women crazy and it is the same in the world of children.

 陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。この嫉妬というのは、
恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感情の一つと言える。それだけ
に扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。

 市内のある幼稚園でこんなことがあった。その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしてい
た。その立場をよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘
(年中児)を見つけると、その子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。

その子どもの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ごめんなさい
ね」と作り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしながら、その勢いで、また
その子どもを放り投げて倒す。

以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ青にしておびえるようになった
という。ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、
その母親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤める医師
だったということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすことができなかっ
た。

似たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(三歳男児)を、や
はり足蹴りにしていた母親もいた。この話を、八〇歳を過ぎた私の母にすると、母は、こう言っ
て笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったからね」と。

 子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小三女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでいた。体操
着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそれが一年以上も
続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさんの親友と思われてい
たUという女の子だった。

それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。「いつも最後まで学校に残って、
なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」と。Tさんは、クラスの人気者。背
が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格の、どうみてもできがよい子ども
には見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつもTさんのスキをねらっていた。そして最
近でも、こんなことがあった。

 ある母親から、「うちの娘(中二)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいいでしょう
か」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわたって続くときは、
身近にいる子どもをまず疑ってみる。

そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、その母親は、「そういえば、毎朝、迎
えにきてくれる子がいます」と。そこで私は、こうアドバイスした。「朝、その子どもが迎えにきた
ら、じっとその子どもの目をみつめて、『おばさんは、何でも知っていますからね』とだけ言いな
さい」と。その母親は、私のアドバイス通りに、その子どもにそう言った。以後、その日を境に、
もの隠しはウソのように消えた。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●新型インフルエンザ(A new type of Influenza in China)

In case of new type of influenza spreads, Australian research organization predicts that 
about 28000000 people die only in China when it is the worst.

++++++++++++++++

中国発の新型インフルエンザの発生が
危惧されている。

夕刊フジは、つぎのように伝える。

「さらに五輪開催に向け各国の専門家が憂慮するのが、中国からの新型インフルエンザの大
流行だ。人は新型ウイルスへの免疫を持っていないため、感染すれば死亡する確率が高く、
オーストラリアの研究機関は最悪の場合、中国だけで約2800万人が死亡すると試算してい
る」と(08年2月3日)。

よく誤解されるが、インフルエンザは、
「風邪」ではない。しかもおとなも、
子どももない。相手が幼児だから、
ウィルスの力も弱いなどと思っていると、
とんでもないまちがい。子どもがゴホン
とやったとたん、こちらに感染する。

今まで、それで何度も、やられた!
しかも子どもだから、無頓着。
「先生……」とやってきて、ゴホンとやる。

が、今度、中国で発生が危惧されている
インフルエンザは、ものすごい。

オーストラリアの研究機関は最悪の場合、
中国だけで約2800万人が死亡すると
試算しているという(夕刊フジ)。

もし戦争か何かで、2800万人も
死んだら、どうなる?

あの第二次大戦で、日本軍は300万人もの
外国人を殺したが、同時に、300万人もの
日本人が死んでいる。

合計で、600万人。2800万人といえば、
その約4・5倍!

ギョッ! ギョーザどころではない。
北京オリンピックは、まさに(命がけの戦い)
ということになる。

私なら、行かない!


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●下着ドロ

+++++++++++++++++

TBSのi-newsは、こう伝える。
今度は、教頭による、下着ドロ!

+++++++++++

 K県・S市で、小学校の教頭がアパートのベランダから女性の下着を盗んだとして逮捕されま
した。

 窃盗の疑いで逮捕されたのは、S市立H小学校の教頭・NY容疑者(54)です。

 警察の調べによりますと、NY容疑者は2日午後10時すぎ、S市にあるアパートのベランダに
干してあった23歳の女性の下着を1枚盗んだ疑いが持たれています。

 NY容疑者は午後9時半までPTAの会合に出席していましたが、その直後、犯行に及んでい
たということです。調べに対し容疑を認めた上で、「以前から女性の下着に興味があった」と供
述しているということです。

 教頭のNY容疑者が逮捕されたことについて、小学校は「勤務態度は真面目で本当に驚いて
いる」と話していますが、NY容疑者は他にも数件の犯行を認めているということで、警察は裏
付けを進めています。(2月3日)

+++++++++++

こうした事件を見聞きして、「私はだいじょうぶ」
とか、「私の夫はだいじょうぶ」などと思って
はいけない。

精神医学の世界でいう「性的エネルギー」、
大脳生理学でいう「視床下部からの命令」には、
ものすごいものがある。

こうした欲望は、一度は辺縁系内部で、つぎに
大脳の前頭前野でコントロールされることに
なっている。が、最近の研究によれば、コントロー
ルできるような、シロモノではないことが
わかってきた(サイエンス誌)。

さらに「54歳」という、年齢からして、
何らかの脳の病気も疑われる。認知症の
初期症状のひとつに、判断力の低下という
のもある。

つまりだれが、こうした教頭を、『石もて
打てるか』ということになる。

つぎは私かもしれない。あなたかもしれない。

ただし私は、女性の下着には興味はない。
そのあたりは、割と正常で(?)、かなり
オーソドックスな性的感覚をもっている。

(この世界には、「正常」という概念は
ないそうだ。)

NY容疑者を検索してみた。かなりまじめな(?)
理科の教師らしい。業績も多い。

非難する前に、同情心すら覚える。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2427)

●ゴースト(Ghost)

Unfortunately in case you have unrepected parents, stop criticizing your parents. Or you 
will be the same man and woman as your parents. This is called "Ghost", I name.

++++++++++++++++++

不幸にして、親らしからぬ親をもった人は、
親を批判しても意味はない。
批判すればするほど、今度は、あなた
自身が、あなたの親そっくりの人間に
なる。

いつか反面教師の限界論について書いた。

ある人を、親なら親でもよいが、反面教師
にしていると、いつの間か、自分自身も
その反面教師そっくりの人間になってしまう。

もう少しかみくだいて説明してみよう。

仮に今、あなたがあなたの親を、猛烈に
批判しているとしよう。
「私の親は、おかしな親だ」「私は、ああいう
親にはなりたくない」「ああいう親だけには
ならない」と。

しかしその関係が濃密であればあるほど、
やがてあなた自身も、あなたの親そっくりの
親になる。

理由がある。

なぜなら、あなたは、そういう親しか
しらないからである。親を批判しながら、
実は、あなた自身が、あなた自身の中に、
あなたの親そっくりのコピー人間を
つくっている。

たとえばある女性は、若いころ、自分の
母親を、猛烈に批判していた。
「ウソつきだ」「ずるい」「人の悪口ばかり
言う」と。

しかしそれからちょうど30年。
今度は、その女性が、その女性の母親そっくり
の人間になっていた!

……というような例は多い。

私も、高校生のとき、英語教師の教え方が、
大嫌いだった。こまかく書いても意味が
ないので、このあたりは省略する。
が、しかしあるとき、私は、その英語教師
そっくりの教え方をしている自分を知った。

どこかの予備校で、英語の講師をしていた
ときのことである。

それもそのはず。

私は高校生のとき、その英語教師を批判
しながらも、その英語教師の教え方しか
知らなかったからである。

では、どうするか?

ある人を、親なら親でもよいが、反面教師
にするならするで、その人を乗り越えた
ところで、自分を作らなければならない。

もっと言えば、それがあなたの親なら、
その親が、愚かで、小さな人間に見える
ようになるまで、自分を高めなければならない。

わかりやすく言えば、あなたがあなたの親を相手に
しなくなるまで、自分を高める。

その努力を怠ると、結局は、あなた自身も、
あなたの親そっくりの、つまりは反面教師
そっくりの人間になる。

ユングという学者は、「シャドウ」という
言葉を使った。親のもつ邪悪な部分を
子どもが引き継ぐ現象を説明するのに、
ユングは、その言葉を使った。

それに似ているが、私は、こうした現象を
「ゴースト」という言葉を使って説明する。

親子というのは、そういうもの。
よきにつけ、悪しきにつけ、あなたは
親の影響を大きく受ける。先にも
書いたが、その関係が濃密であればあるほど、
そうである。

それがよいものであれば、問題はない。
しかしそれが悪いものであれば、まず、
それに気がつく。同時に、批判などやめて、
自分をそれ以上に高める。

でないと、あなた自身が、ここでいう
ゴーストを引き継ぐことになる。

++++++++++++++++++

●親の悪口

この日本では、親の悪口を言うのは、
タブーということになっている。

「いくら悪くても、親は親」と言う
人は、多い。「親の悪口を言うのは、
子として失格」などと言う人も、多い。
悪しき儒教の影響と考えてよい。

しかしどうしてタブーなのか?

いろいろな親を見てきたが、「どう
してこんな人が親?」と、首をかしげたく
なる人も、これまた多い。

また「親の愛は、海よりも深い……」とか
言う人も多い。

しかしその実、つまり「愛」という言葉を
使いながら、それが溺愛であったり、
代償的愛(=親の身勝手な一方的な愛)で
あったりする。そういうケースは、多い。

世の中には、親をだます子がいるが、
一方、子をだます親だっている。
子どもの財産をまきあげ、それを自分の
ものにしてしまう親だっている。

そこでその子が、親に、「どうしてそんな
むごいことをするのか!」と泣きながら
抗議したところ、その親は、こう答えた
という。

「親が先祖を守るために子の財産を使って、
何が悪い!」と。

とんでもない論理だが、悪玉親意識、さらに
は封建時代の家意識に染まると、それがわから
なくなる。

「産んでやった」「育ててやった」「親は絶対」と。
そういう言葉を、平気で口にする。
「親絶対教」の信者ともなると、なおさらである。

しかしこの段階で、そうした親を批判して
も意味はない。

批判すればするほど、反対に、その毒牙
にかかってしまう。いや、その前に、そういう
親をもった子の苦悩には、はかり知れないもの
がある。

ある男性(当時45歳)は、こう言った。
「私は毎晩、寝る前になると、悔しさと
怒りで、体がほてりました。それが10か月
近くもつづきました」と。

不幸にして親らしからぬ親をもった人は、
親を批判しても意味はない。
批判すればするほど、今度は、あなた
自身が、あなたの親そっくりの人間に
なる。

だから乗り越える。無視する。相手に
しない。そして自分を高める。

あなたはあなたで、自分の道を歩めば
よい。

やがてあなたの親が、あわれで、ちっぽけな
人間に見えてくる。

そのとき、あなたは、ゴーストと決別
することができる。

さてここに書いた男性だが、今は、
こう言っている。

「そのあとも、私の母は、あれこれ
口実をつくっては、私をだましては、
お金を取っていきました。

私はだまされたフリをして、母に
お金を渡してきました。今では、
懸命にサル知恵をしぼって、私を
だまそうとする母が、あわれで、
かわいそうに見えるようになりました。

妻にもこう言うときがあります。
『あのバーさん、またぼくたちを
だまそうとしているよ』とね。

それを聞いて、妻も笑っています」と。

その男性は、母親のゴーストと決別
できたことになる。

++++++++++++++++

親といっても、ある年齢以上になると、
進歩を停止する。

早い人で、20代、遅い人でも40代で
進歩を停止する。

その段階で、脳みそが硬直化する。

そして一度硬直化が始まると、今度は
過去へ、過去へと、退化し始める。

特別な訓練でもしないかぎり、
(仏教ではそうした訓練を、「精進」と
呼ぶが……)、その親の進歩など、
望むべくもない。

つまりやがて子どものほうが、親に
追いつく。(追いつけないまま、親
以下に、退化する子どもも、少なく
ないが……。)

そのとき、対等の人間として、親と
子は、面と向かい合うことになる。

つまり親であることには、それなりの
きびしさが伴うということ。

その(きびしさ)を忘れて、親は
親であることはできない。

常に精進あるのみ。その努力を
怠ったとたん、結局はみじめな思いを
するのは、あなた自身ということに
なる。

++++++++++++++++++

ここで私は「退化」という言葉を使ったが、
その内容は、さまざま。

いちばん多いのが、ループ状態。
毎年、毎月、毎日、同じことを考え、
それを口にするようになる。

それについては、今までたくさんの
原稿を書いてきた。

Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●無限ループの世界(Unlimited Loop of Thinking)

 思考するということには、ある種の苦痛がともなう。それはちょうど難解な数学の問題を解くよ
うなものだ。できれば思考などしなくてすましたい。それがおおかたの人の「思い」ではないか。

 が、思考するからこそ、人間である。パスカルも「パンセ」の中で、「思考が人間の偉大さをな
す」と書いている。しかし今、思考と知識、さらには情報が混同して使われている。知識や情報
の多い人を、賢い人と誤解している人さえいる。

 その思考。人間もある年齢に達すると、その思考を停止し、無限のループ状態に入る。「そ
の年齢」というのは、個人差があって、一概に何歳とは言えない。二〇歳でループに入る人も
いれば、五〇歳や六〇歳になっても入らない人もいる。「ループ状態」というのは、そこで進歩
を止め、同じ思考を繰り返すことをいう。こういう状態になると、思考力はさらに低下する。私は
このことを講演活動をつづけていて発見した。

 講演というのは、ある意味で楽な仕事だ。会場や聴衆は毎回変わるから、同じ話をすればよ
い。しかし私は会場ごとに、できるだけ違った話をするようにしている。これは私が子どもたち
に接するときもそうだ。

毎年、それぞれの年齢の子どもに接するが、「同じ授業はしない」というのを、モットーにしてい
る。(そう言いながら、結構、同じ授業をしているが……。)で、ある日のこと。たしか過保護児
の話をしていたときのこと。私はふとその話を、講演の途中で、それをさかのぼること二〇年
程前にどこかでしたのを思い出した。とたん、何とも言えない敗北感を感じた。「私はこの二〇
年間、何をしてきたのだろう」と

 そこであなたはどうだろうか。最近話す話は、一〇年前より進歩しただろうか。二〇年前より
進歩しただろうか。あるいは違った話をしているだろうか。それを心のどこかで考えてみてほし
い。さらにあなたはこの一〇年間で何か新しい発見をしただろうか。それともしなかっただろう
か。

こわいのは、思考のループに入ってしまい、一〇年一律のごとく、同じ話を繰り返すことだ。もう
こうなると、進歩など、望むべくもない。それがわからなければ、犬を見ればよい(失礼!)。犬
は犬なりに知識や経験もあり、ひょっとしたら人間より賢い部分をもっている。しかし犬が犬な
のは、思考力はあっても、いつも思考の無限ループの中に入ってしまうことだ。だから犬は犬
のまま、その思考を進歩させることができない。

 もしあなたが、いつかどこかで話したのと同じ話を、今日もだれかとしたというのなら、あなた
はすでにその思考の無限ループの中に入っているとみてよい。もしそうなら、今日からでも遅く
ないから、そのループから抜け出してみる。方法は簡単だ。何かテーマを決めて、そのテーマ
について考え、自分なりの結論を出す。そしてそれをどんどん繰り返していく。どんどん繰り返
して、それを積み重ねていく。それで脱出できる。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●ノーブレイン(No Brain)

 英語に「ノーブレイン(脳がない)」という言い方がある。「愚か」という意味ではない。ふつう
「考える力のない人」という意味で使う。「賢い(ワイズ)」の反対の位置にある言葉だと思えばよ
い。「ヒー・ハズ・ノー・ブレイン(彼は脳がない)」というような使い方をする。

 そのノーブレインだが、このところ日本人全体が、そのノーブレインになりつつあるのではな
いか。たとえばテレビ番組に、バラエィ番組というのがある。チャラチャラしたタレントたちが、こ
れまたチャラチャラとした会話を繰り返している。どのタレントも思いついたままを口にしている
だけ。一見、考えてしゃべっているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分
に飛来する情報を、そのつど適当に加工して口にしているだけ。

考える力というのは、みながみな、もっているわけではない。仮にもっていたとしても、考えるこ
とにはいつも、ある種の苦痛がともなう。それは難しい数学の方程式を解くような苦痛に似てい
る。しかも考えて解ければそれでよし。「解いた」という喜びが快感になる。しかしたいていは答
そのものがない。考えたところで、どうにもならないことが多い。

そのためほとんどの人は、無意識のうちにも、考えることを避けようとする。言いかえると、「考
える人」は、少ない。「考える習慣のある人」と言いかえたほうが正しいかもしれない。その習慣
のある人は少ない。私が何か問いかけても、「そんなめんどうなこと考えたくない」とか、反対
に、「もうそんなめんどうなこと、考えるのをやめろ」とか言う人さえいる。

人間は考えるから人間であって、もし考えることをやめてしまったら、人間は人間でなくなってし
まう。少なくとも、人間と、他の動物を分けるカベがなくなってしまう。「考える」ということには、
そういう意味が含まれる。ただここで注意しなければならないのは、考えるといっても、(1)そ
の方法と、(2)内容である。これについてはまた別のところで結論を出すが、私のばあい、自
分の考えが、ループ状態(堂々巡り)にならないように注意している。またそれだけは避けたい
と思っている。

一度そのループ状態になると、一見考えているように見えるが、そこで思考が停止してしまう。
それに私のばあい、これは私の思考能力の欠陥と言ってよいのだろうが、大きな問題と小さな
問題を同時に考えたりすると、その区別がつかなくなってしまう。ときとしてどうでもよいような問
題にかかりきりになり、自分を見失ってしまう。「考える」ということには、そういうさまざまな問題
が隠されてはいる。

しかしやはり「人間は考えるから人間」である。それは人間が人間であることの大前提といって
もよい。つまり「ノーブレイン」であることは、つまりその人間であることの放棄といってもよい。

人間を育てるということは、その「考える子ども」にすることである。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●考えない子ども(Children who don't think)

 「1分間で、時計の長い針は、何度進むか」という問題がある(旧小四レベル)。その前の段
階として、「1時間で360度(1回転)、長い針は回る」ということを理解させる。そのあと、「では
1分間で、何度進むか」と問いかける。

 この問題を、スラスラ解く子どもは、本当にあっという間に、「6度」と答えることができる。が、
そうでない子どもは、そうでない。で、そのときの様子を観察すると、できない子どもにも、ふた
つのタイプがあるのがわかる。懸命に考えようとするタイプと、考えることそのものから逃げて
しまうタイプである。

 懸命に考えようとするタイプの子どもは、ヒントを小出しに出してあげると、たいていその途中
で、「わかった」と言って、答を出す。しかし考えることから逃げてしまうタイプの子どもは、いくら
ヒントを出しても、それに食いついてこない。「15分で、長い針はどこまでくるかな?」「15分
で、長い針は何度、回るかな?」「15分で、90度回るとすると、1分では何度かな?」と。

そこまでヒントを出しても、まだ理解できない。もともと理解しようという意欲すらない。どうでもよ
いといった様子で、ただぼんやりしている。さらに考えることをうながすと、「先生、これは掛け
算の問題?」と聞いてくる。決して特別な子どもではない。

今、このタイプの、つまり自分で考える力そのものが弱い子どもは、約二五%はいる。四人に
一人とみてよい。無気力児とも違う。友だちどうしで遊ぶときは、それなりに活発に遊ぶし、会
話もポンポンとはずむ。知識もそれなり豊富だし、ぼんやり型の子ども(愚鈍児)特有の、ぼん
やりとした様子も見られない。ただ「考える」ということだけができない。……できないというよ
り、さらによく観察すると、考えるという習慣そのものがないといったふう。考え方そのものがつ
かめないといった様子を見せる。

 そこで子どもが考えるまで待つのだが、このタイプの子どもは、考えそのものが、たいへん浅
いレベルで、ループ状態に入るのがわかる。つまり待てばよいというものでもない。待てば待っ
たで、どんどん集中力が薄くなっていくのがわかる……。

 結論から先に言えば、小学四年生くらいの段階で、一度こういう症状があらわれると、以後な
おすのは容易ではない。少なくとも、学校の進度に追いつくことがむずかしくなる。やっとできる
ようになったと思ったときには、学校の勉強のほうがさらに先に進んでいる……。あとはこの繰
り返し。

 そこで幼児期の「しつけ」が大切ということになる。それについてはまた別のところで考える
が、もう少し先まで言うと、そのしつけは、親から受け継ぐ部分が大きい。親自身に、考えると
いう習慣がなく、それがそのまま子どもに伝わっているというケースが多い。勉強ができないと
いうのは、決して子どもだけの問題ではない。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

考えない子ども(Children who do not think)(2)

 勉強ができない子どもは、一般的には、たとえば愚鈍型(私は「ぼんやり型」と呼んでいる。こ
の言葉は好きではない。)、発育不良型(知育の発育そのものが遅れているタイプ)、活発型
(多動性があり、学習に集中できない)などに分けて考えられている(教育小辞典)。

しかしこの分類方法で子どもを分類しても、「ではどうすればよいか」という対策が生まれてこな
い。さらに特殊なケースとして、LD児(学習障害児)の問題がある。診断基準をつくり、こうした
子どもにラベルを張るのは簡単なことだ。が、やはりその先の対策が生まれてこない。

つまりこうした見方は、教育的には、まったく意味がない。言うまでもなく、子どもの教育で重要
なのは、診断ではなく、また診断名をつけることでもなく、「どうすれば、子どもが生き生きと学
ぶ力を養うことができるか」である。

 そこで私は、現象面から、子どもをつぎのように分けて考えている。

(1)思考力そのものが散漫なタイプ
(2)思考するとき、すぐループ状態(思考が堂々巡りする)になるタイプ
(3)得た知識を論理的に整理できず、混乱状態になるタイプ
(4)知識が吸収されず、また吸収しても、すぐ忘れてしまうタイプ

 この分類方法の特徴は、そのまま自分自身のこととして、自分にあてはめて考えることがで
きるという点にある。たとえば一日の仕事を終えて、疲労困ぱいしてソファに寝そべっていると
きというのは、考えるのもおっくうなものだ。そういう状態がここでいう(1)の状態。

何かの事件がいくつか同時に起きて、頭の中がパニック状態になって、何から手をつけてよい
かわからなくなることがある。それが(2)の状態。

パソコン教室などで、聞いたこともないような横文字の言葉を、いくつも並べられ、何がなんだ
かさっぱりわからなくなるときがある。それが(3)の状態。

歳をとってから、ドイツ語を学びはじめたとする。単語を覚えるのだが、覚えられるのはその場
だけ。つぎの週には、きれいに忘れてしまう。それが(4)の状態。

 勉強が苦手(できない)な子どもは、これら(1)〜(4)の状態が、日常的に起こると考えると
わかりやすい。そしてそういう状態が、実は、あなた自身にも起きているとわかると、「ではどう
すればよいか」という部分が浮かびあがってくる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 親絶対教 はやし浩司 ゴースト
 シャドウ 悪玉親意識 思考のループ)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2428)

●神々との対話(Dialogs with Gods)

Are only those who believe in Gods saved? If so, what is the God? 

 女房とドライブしていたときのこと。あるキリスト教会の前を通った。「人類が滅ぶときに、神
の手で救われる」と教える教団の教会である。私がそれを女房に説明すると、女房がこう言っ
た。「ほかの人たちはどうなるの?」と。

 地球温暖化がこれだけ現実のものとなってくると、「地球はあと一〇〇年ももたない」という説
が、にわかに信憑(しんぴょう)性をおびてくる。とくにここ数年の気温上昇(たった数年!)は、
ふつうではない。

この速度で上昇したら、西暦二一〇〇年までには、地球の気温は四〇〇度にまでなってしま
う! (これに対して学者たちの予想では、二一〇〇年までに三〜四度。最大で六度前後とな
っている。)まさにそのとき、(あるいはそれ以前に)、「人類が滅ぶとき」がやってくる。

 「信じた人だけが助かるというのは、卑怯(ひきょう)だ」と私。
 「どうして?」と女房。
 「もし、そんなに信じてほしかったら、神様も、今、ここに姿を現せばいい。そうすれば、だれ
だって神様を信ずるようになる」
 「死んでからでは、遅いということ?」
 「いいや。死んだとき、目の前に神様が現れれば、だれだって神様を信ずるようになる。それ
から信じても、遅くはない」
 「神様は、信ずるのも、信じないのも、お前たちの勝手と、人間を突き放しているのではない
かしら」

 私たちは今、懸命に生きている。野に咲く花や、空を飛ぶ鳥のように。地面をはう虫や海を
泳ぐ魚のように。そういう私たちを「まちがっている」と言うのなら、それを言うほうがまちがって
いる。

たしかに人間は未熟で、未完成だが、しかし今、懸命に自分の足で立ちあがろうとしている。
医療にしても社会にしても政治にしても、もし今、ここに神様が現れて、病気を治したり、神の
国をつくったらどうなるか。人間は自らの足で立ちあがることをやめてしまう。あのトルストイも
『カラマーゾフの兄弟』の中で、同じようなことを書いている。

 しかしその懸命さが、思わぬ方向に進みつつある。それこそ地球温暖化によって、人間どこ
ろか、あらゆる生き物まで犠牲になってしまう。だったら今、「突き放している」ほうがおかしい。
あるいはすでに神様は、地球そのものまで放棄してしまったというのか。

 この問題は、「私たち人間は助かるべきか、それとも助かるべきではないか」という、究極の
命題にまで、行き着く。しかしこれだけは言える。仮に私たちの未来が絶望的なものであって
も、最後の最後まで、足をふんばって生きる。そこに「懸命に生きる人間の尊さ」がある。神様
に救ってもらおうと考えるのは、まさにその人間の敗北を認めるようなものだ。あとの判断は、
それこそ神様に任せればよい。

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからで
はないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意
味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもっ
て言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこ
の問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争
と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進
むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、
生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っ
ている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もな
い。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわ
からない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私
たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら
繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれな
い。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●頭のよい子(A Smart Kid)

 五〇人に一人とか、それ以上の中に一人という、頭のよい子どもが、いる。よく「能力は平等
だ」という人がいるが、こと知的能力についていえば、平等ではない。専門的に言えば、「脳の
神経シナプスは、非同時的に発達する」※という。この「非同時性」が、子どもの「差」となって
表れる。

 で、その頭のよい子どもの特徴としては、(1)目つきが鋭く、静かに落ち着いている、(2)集
中力があって、いったん集中し始めると、他人を寄せつけない気迫を見せる、(3)言葉を頭の
中で反すうする(何度もかみくだく)ため、それだけ言葉が重くなる傾向を示す、など。動作もど
こか鈍くなることが多い。

 ここでいう(3)「言葉を反すうする」というのは、同時進行の形でいろいろなことを考えることを
いう。たとえば「地球が暖かくなることをどう思うか」と問いかけると、知的能力の「深さ」によっ
て、子どもの反応は大きく変化する。

レベル0……「暖かくなる」という意味そのものが理解できない。
レベル1……「暖かくなっていい」などと言って、そのレベルで思考を停止する。
レベル2……「暖かくなって、冬なども過ごしやすくなる」などと言って、自分にとってつごうのよ
いことだけを考える。
レベル3……「暖かくなると、困ることもある」などと言って、問題点をあれこれさぐる。
レベル4……「どうして暖かくなるのか」とか、「どうして困るのか」などと言って、いろいろな情報
を集めて、それを分析しようとする。
レベル5……問題の深刻さが理解でき、「どうすればいいのか」「どんな問題が起きるのか」「ど
う対処したらいいのか」というレベルまで考えを切りこんでいく。

 こうしたレベルは、作文を書かせてみればわかる。考えの「深い」子どもは、その片りんを文
のはしばしで、それを示す。

 中学生について言うなら、ほとんどの子どもが、レベル0〜2の範囲に入る。「五〇〇字程度
の作文を書いてください」と指示しても、すぐ書き始める子どもは少ない。これは日ごろから、
「考える」という習慣そのものがないためと思われる。

※シナプスの過剰生産と選択は、脳の異なった部分で異なった速度で進む。(Huttenlocher 
and Dabholkar, 1997) 本来の視覚皮質ではシナプスの密度は比較的速やかにピークに達す
る。中間の正面の外皮では、明らかにより高度な認識の働きをするところであるが、その過程
は更にゆっくりと進み、シナプス生成は誕生より前に始まり、シナプスの密度は五、六歳の年
齢まで増え続く。

※ 選択過程は、概念的にはパターンの主な組織に相当するものであるが、更にそれに続く
四、五年続き、初期の青年期で終わる。このように脳の部分で異なった速度で進むことは、そ
れぞれの皮質のニューロンでも異なったインプットを受けて、異なった速度で進む可能性が高
い。(Juraska, 1982, on animal studies 参照)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

頭のよい子(2)(A Smart Kid -2-)

 実際に中学生(一〜三年生、一〇人)に、「地球温暖化について」というテーマで作文を書か
せてみた。

 最初の一〇分間で、作文を書き始めた子どもは、ゼロ。一〇分ぐらいたってから、何となく鉛
筆を動かし始めた子どもは、二人だけ。あとは黙ったまま。そこで強く促すと、残りの六人が、
何かを書き始めた。しかし残った二人は、体をぶらぶらさせるだけ。私が「思っていることを書
けばいい」と言うと、「だって、何を書いたらいいのか、わかんないもん」(女子二人)と。

 二〇分後、まだ書いている途中だったが、そこで中断。以下、子どもたちの書いた作文を紹
介する。(句読点を含めて、原文のまま)

(M女、中一)「いままで夏は暑いのに地球温暖化がすすんでいったらどうなってしまうのだろ
う。まだ6月なのにこんなに暑くて、7時ごろまでひがのぼっていて、明るい。今年は桜がさくの
もきょ年より何日もはやかったから、何年かたったら、冬ごろでも暑いかもしれない」

(T女、中一)「今、学校でも、総合の時間に地球環境や、温暖化についてやっています。私は
地球温暖化の一番いけない理由は、地球が汚れてしまったことだと思います。車や工場から
出た有害ガスが、地球の森林をなくしてしまったりしたことだと思います。外国では日本よりもっ
と早くから行動をおこしている国もあると聞いたので、日本もいろいろなことをして、温暖化が
少しでもなくなるようにしたらいいのにと思いました。私も身近な事から環境が悪く……」

(J君、中二)「南極や北極の氷がとけて大洪水になり人間などが住むばしょがなくなる……」

(G君、中三)「ここら5、6年だけでもかなり変化があったので危機感を感じている。『あと、どの
ぐらいで人間は住めなくなるのだろうか?』『なぜこのようなことになる前に気がつかなかったの
だろう?』こんなことを考えると恐ろしくなる」

 上から順に、M女は、温暖化の事例を集めているにすぎない。レベル2〜3。
 T女は、温暖化の理由を懸命にさぐろうとしている。レベル3。
 J君は、具体的に原因をとらえ、結果について考えようとしている。レベル3。
 G君は、危機を感覚的にとらえているが、分析性がない。レベル2。

 何も書かなかった子どもが、レベル0ということにはならないが、外から観察すると、思考が
ループ状態に入っているのがわかる。言いかえると、思考力のない子どもというのは、きわめ
て浅いレベルで、思考がループ状態に入る子どもということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2429)

●三角関係

+++++++++++++++++++

ADHD児でもない。自閉傾向もない。
ごくふつうの子ども。しかし統制がきかない。

母親が目の色を変えて、「やめなさい」「やめなさい」
と叫んでも、効果なし。まったくの無視。

子どもはつぎつぎと、新手の遊びを取り出し、
部屋の中で、それを散らかす。散らかすというより、
無造作に動き回る。

再び母親が目の色を変えて、さらに大きな声で叫ぶ。
「やめなさい!」と。

++++++++++++++++++

 親の育児姿勢に一貫性がないと、家庭教育は崩壊する。たとえば極端な例で考えてみよう。

 あなたは一人の母親だ。毎日、言うことがコロコロと変わる。子どもが外へ遊びにでかけるよ
うなとき、昨日は、「友だちとは仲よくしなさい」と指示した。しかし今日は、その反対のことを言
う。「意地悪されたら、やり返すのよ」と。

 あるいは子どもがお茶をこぼしたようなとき、昨日は、「あら、だめよ、気をつけてね」と言っ
た。しかし今日は、その反対のことを言う。「何度言ったら、わかるの!」と。

 こういう家庭環境が日常化すると、子どもは親の指導に従わなく。最悪のばあいには、家庭
教育そのものが崩壊する。子ども自身も、ドラ息子、ドラ娘化する。当然である。

 この話は、母親と子どもという、一対一の関係である。まだ話がわかりやすい。こういう例を
あげると、たいていの親は、「そうだ、それはまずい」と、すなおに納得する。

 が、その親が2人、さらには3人……と分散したら、どうだろうか。

 たとえば極端にきびしい母親と、極端に甘い父親。さらに極端に甘い祖父、あるいは、祖母。

 子どもは、そうした親や祖父母の間を動き回ることによって、同じような環境に置かれること
になる。

 こうした関係を、心理学の世界では、「三角関係」と呼ぶ。子どもの視点から見て、親が、2
人、3人……といることになる。そして一貫性がないという点で、先にあげた母親と子どもの関
係になる。

 何かにつけて、きびしい母親。子育てに無関心な父親。そしてデレデレに甘い祖父母。こうい
う家庭環境が日常化すると、子どもは親の指導に従わなくなる。最悪のばあいには、家庭教育
そのものが崩壊する。子ども自身も、ドラ息子、ドラ娘化する。当然である。

 ……と同じ文句を繰りかえしたが、こういう例は多い。

 大切なのは、一対一であれ、一対二であれ、一貫性である。子育てには、この一貫性こそが
大切。よくても悪くても、一貫性があればそれでよし。たとえば両親ともども権威主義的である
なら、それでもよい。子どもはその一貫性の中で、自分を見いだしていく。そうでなければ、そう
でない。

 さて冒頭の話。母親が目の色を変えて、さらに大きな声で叫ぶ。「やめなさい!」と。

 こういうケースのばあい、家庭教育は、すでに崩壊しているとみる。失敗しているとみる。言う
なれば、無秩序状態。

 ではどうするか?

 ……が、「どうするか?」ということを考えるよりも、こういったケースでは、悪循環の中で、子
どもがさらに粗放化することが考えられる。ますますきびしくなる母親。ますます甘くなる父親。

 が、さらに大きな問題が生じてくる。子どもが小学2、3年生くらいまでなら、まだ何とかなる。
母親の力で、子どもを抑えつけることができる。しかし小学4、5年生になると、そうはいかな
い。体格も、母親より大きくなる。やがて手に負えなくなる。

 そうなったときのことを考えて、家庭の中における一貫性を、もう一度、見なおす。家族で話し
あう。それは家庭教育のためというよりは、子ども自身のためと考える。

 子どもがドラ息子、ドラ娘化すれば、結局はそのあとつらい思いをするのは、子ども自身とい
うことになる。それをしっかりと認識して、家族で、子育てのあり方を調整する。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●三角関係

心理学の世界にも、「三角関係」という言葉がある。父親が母親の悪口を言ったり、批判したり
すると、夫婦の間に、キレツが入る。そして父親と母親、母親と子ども、子どもと父親の間に、
三角関係ができる。子どもが幼いうちはまだしも、一度、この三角関係ができると、子どもは、
親の指示に従わなくなる。つまりこの時点で、家庭教育は、崩壊する。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●子どもの人格の完成度

++++++++++++++++

子どもの人格の完成度は、(おとなも
そうだが……)、幼児性の持続の有無を
みて、判断する。

その年齢の他の子どもと比較してみて、
「どこか幼い」と感じたら、その子どもの
人格の完成度は、低いとみる。

++++++++++++++++

 あなたは自分の子どもが、どこか幼稚ぽいと思っていないか。もしそうなら、あなたの子ども
の人格の完成度は、低いということになる。

 子どもの人格の完成度は、(おとなもそうだが……)、幼児性の持続の有無をみて、判断す
る。その年齢の他の子どもと比較してみて、「どこか幼い」と感じたら、その子どもの人格の完
成度は、低いとみる。

 たとえば……。

(1)しぐさ、動作が、どこか幼い……自己管理能力、現実検証能力が低く、してよいことと、悪
いことの判断にうとい。突発的に、幼稚ぽいことをしたりする。(幼児だからといって、幼稚ぽい
というのは、誤解。幼児でも、どっしりと落ち着いている子どもは多い。)
全体に、ヘラヘラ、チャカチャカしている。

(2)ものの考え方が直感的で、論理性がない……深くものごとを考えることができない。表面
的な部分で、思考が上すべりする。ダジャレを言ったりする。おとなと対峙しても、
論理的な会話ができない。ペラペラとよくしゃべるが、内容が浅い。

 こうした症状がいくつか思い当たるなら、あなたの子どもの人格の完成度は、それだけ低い
とみる。反対に人格の完成度の高い子どもは、みるからに静かに、どっしりと落ち着いている。
思考をいつも頭の中で反復させるため、見た目には、反応がにぶい。

 忍耐力、思考力、管理能力にすぐれ、いつも自分がどういう立場にいるかを知っている。また
何をしなければならないかも知っている。

 よく誤解されるが、ここでいう幼児性の持続と、(子どもの心)は、別のものである。(子どもの
心)というのは、純粋で、すなおな感動にあふれた、豊かな情操性をいう。いくら年齢を経ても、
(子どもの心)は、(子どもの心)として大切にする。

 おとなでも、「この人は、どこか幼い?」と感じたら、それだけその人の人格の完成度は低い
とみてよい。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【現実検証能力】

+++++++++++++++

現実検証能力という言葉を使ったので、
それについて書いた原稿を載せる。

+++++++++++++++

●夫婦は一枚岩

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。だから
お母さんは、苦労しているのよ」と。

あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」
と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離
れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。

たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」
(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっても、子どもの前
ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。
「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子ども
のいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、まず
子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、子どものいない
ところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こ
う書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。

しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見
せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。

その教授はほかに、「子どもとの絆を深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にしてみると
よい」とか、「家庭のありがたさをわからせるために、二、三日、子どもを家から追い出してみる
とよい」とか書いている。とんでもない暴論である。わざと迷子にすれば、それで親子の信頼関
係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、行方不明になったら、あなたはどうするだろ
か。あなたは捜索願いだって出すかもしれない。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。

古いことを言うようだが、そういう「様(さま)」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子ど
もは自分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一
歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。

++++++++++++++++++

●あなたの子どもは、だいじょうぶ?

あなたの子どもの現実検証能力は、だいじょうぶだろうか。少し、自己診断してみよう。つぎの
ような項目に、いくつか当てはまれば、子どもの問題としてではなく、あなたの問題として、家庭
教育のあり方を、かなり謙虚に反省してみるとよい。

( )何度注意しても、そのつど、常識ハズレなことをして、親を困らせる。
( )小遣いでも、その場で、あればあるだけ、使ってしまう。
( )あと先のことを考えないで、行動してしまうようなところがある。
( )いちいち親が指示しないと行動できないようなところがある。指示には従順に従う。
( )何をしでかすか不安なときがあり、子どもから目を離すことができない。

 参考までに、私の持論である、「子育て自由論」を、ここに添付しておく。

++++++++++++++++++

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり
「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。

ある母親は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになった
ら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てを
するなど。

子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。
外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし
ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に
かられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で
最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場
に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手
がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
(040607)
(はやし浩司 現実検証能力 ボーエン 個人化 三角関係 三角関係化)

+++++++++++++++++

【終わりに……】

 子どもは子どもらしく……とは、よく言う。しかし「子どもらしい」ということと、「幼児性の持続」
は、まったく別の問題である。

 また子どもだからといって、無責任で、無秩序であってよいということではない。どうか、この
点を誤解のないように、してほしい。
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Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2430)

●ウォーターホース(Water Horse)

My wife and I went to the theater to see a film "Water Horse" on the day when it was 
released. It was just good, but a bit boring for me.

++++++++++++++++++

先日、仕事の帰りに、ワイフと
「ウォーターホース」という映画を見てきた。

封切り日初日ということで、まあまあ
の客の入りだった。
(全体で、30人前後だったかな?)

ウォーターホースというのは、いわゆる
ネス湖の怪獣のこと。

物語は、1人の少年が、ひとかかえもある
大きな卵を海辺で発見するところから
始まる……。

星は三つの、★★★。

「ウィリー」というシャチの映画が
昔、あった。その焼きなおし版かな、
という印象をもった。

途中で、少し、あくびが出た。

で、そのウォーターホースだが、
「ホース(馬)」というだけあって、
馬の顔、そっくり。

……というより、うちのハナ(犬)
の顔そっくり。

制作者は、きっと、ポインター種の
犬をモデルにしたにちがいない。
私は、映画を見ながら、そう思った。

家に帰って、しみじみとハナを見た。
やはり、よく似ていた。

ところで、今度、「いつか眠りにつく
前に」という映画が、封切られる。

原題は「EVENING」というらしい。
ワイフがもらってきたパンフレットには、
こうある。

「死の床にある母が語った物語は、
娘たちが知らない40年前の愛の物語」と。

フ〜ン……。どこか、「マジソン郡の橋」
に似ている……?

私の母も、会うたびに、昔の話をするぞ。
しかし子どものころの話ばかり。
結婚してから現在までの記憶は、
とうの昔に、どこかへ消えてしまったらしい。

父や、父の父母(=私の祖父母)の写真を並べて
やったこともあるが、1〜2日で、
興味を示さなくなってしまった。

今は、自分の実の母の話ばかり。
その実の母が、実家で、まだ生きて
いると思っているらしい。

生きていれば、今ごろは、140歳前後
ということになるが……。

最近は、施設の中で、ほかの女性たちと
よく喧嘩をするという。

先週も、ワイフが見舞うと、テーブルを
はさんで、1人の女性と喧嘩をしていたという。
テッシュペーパーを丸めて、投げあっていたという。

何でも相手の女性の菓子を、その相手の女性に
向かって、「食べるな」と、怒鳴っていたという。

そこでヘルパーさんがやってきて、
「トヨコさん(=私の母)、このお菓子は、この
人のものだから、この人が食べてもいいのよ」と、
諭(さと)していたとか。

そういうところは、実に私の母らしい。
昔から、ケチで嫉妬深い。ホント!

その話を聞いて、私は笑った。ワイフも笑った。

……ということで、映画の内容とは、大違い。

で、私はこういう映画は、あまり好きではない。
パンフレットのどこかに、「切ない映画」と
書いてあったが、まだ、「トランスフォーマー」
とか、「ナショナル・トレジャー」のような映画の
ほうがよい。

わかりやすい分だけ、おもしろい。

今度封切られる、「ライラの冒険」でもよい。

ところで、少し前、「シルク」という映画も見た。
この映画は、どこか「?」。ネチネチとした
暗い映画だった。

「どこまで深く人を愛せますか」「世にも美しく
切ない、驚くべき愛の結末」というような
文句が、パンフレットに並んでいた。
しかしこれは大げさ。

1人の男が、日本へ蚕(かいこ)の卵を仕入れに
行く。そこで日本女性と恋に落ちる。……という
部分の描写が、とくに、甘い。

星は2つの、★★。

以上、映画の話ばかりで、ごめん!

+++++++++++++++++++

●今日・あれこれ(2月5日)(Mt. Fuji)

I could see Mt. Fuji from Sanaru Lake, very clearly early in the morning when I was riding a 
byke. But I forgto to bring a camera with me. Then I went there again in the afternoon, but 
there were thick clouds which covered Mt. Fuji. We seldom can see Mt. Fuji from our place.

+++++++++++

昨日、朝、サイクリングに出かけると、
佐鳴湖からあの富士山が、まるまる、
くっきりと見ることができた。

が、そういうときほど、カメラを
もっていないもの。「残念」「残念」と
何度もつぶやきながら、ペダルを
こいだ。

で、昼過ぎ。
もう一度、佐鳴湖まで行ってみると、
白い雲がそのあたりを、覆っていた。
またまた「残念」「残念」と、何度も
つぶやいた。

「あんなふうに、富士山が見える日は、
1年でも何日もないのに……」と、ワイフに
こぼすと、「あとで、もう一度、行ってみたら」と。

で、仕事に行く途中に、佐鳴湖へ寄ってみた。
が、やはり厚い雲。
しかたないので、佐鳴湖の様子を、ビデオに
収めた。

こういうのを、「やけ撮り」とういう?
「やけくそ」の「やけ」。だから「やけ撮り」。

ハハハ。

+++++++++++++++++

●はてなワールド
(Hatena World)

「はてなワールド」という新しい
サービスが始まった。

先ほど、少しのぞいてみた。
セカンド・ワールドに似ているが、
その簡略版といったところか。

仮想現実の世界で、そこで知り合った
人と、自由に会話を楽しむことが
できる。

が、朝の10時前後ということもあって、
広い大地には、私、1人だけ。
ぐるりとあたりを見回してみたが、
だれもいない。

と、そのとき、不思議な感覚に
襲われた。

ツンとした孤独感?

インターネットの世界で、私は、
生まれてはじめて、(孤独感)を
覚えた。

あたりには、だれもいない……。

ヘエ〜〜〜と思った。
ふ〜〜〜ンと思った。

これから先、こうしたサービスは
どんどんとふえていくだろう。
楽しみというより、ソラ恐ろしさすら
覚える。

興味のある人は、一度、「はてなワールド」を
のぞいてみるとよい。

浜松市あたりに、ポツンと立っているのが、私。
もしそこに私が立っていたら、ぜひ、
声をかけてほしい。

(はてなワールドへは……)

「はてなワールド」を検索。所定の入室
手続きをして、入室。

+++++++++++++++++

●A Great Lady!

About my daughter−in−law

My daughter-in-law is a great lady, I admit. She has been always alive and kind to everyone 
as well as to me. She looks quiet and moderate when I talk with her, but deep in her mind 
she has her own ambition, to which she is always stepping forward. I really respect her. She 
is at this moment a house-wife with two children but she studied hard by herself alone and 
she could pass the examination to a law school with scholarship. Why don't we admire her? 
Can you see such a lady around you? What she is doing now is what I couldn't do even 
when I was young. I had no hesitation to say to her, "Congratulations!" when she let me 
know the result of the examination. She said "Thank you". In her area where she was born 
and raised up, even still now, she is a kind of exceptional lady. But as far as I know she does 
not care about it. So I write to her back, saying, "Freedom means to do what you want to 
do, feeling to be alive. Chase up your own dream. We can't live without a dream but if we 
have a dream we can be alive, even when we have nothing. Be alive with a dream. I really 
respect you and I am really proud of my son who could marry to such a wonderful lady. 
Congratulatitons! And thank you very much for having given me a dream too."

私の嫁は、偉大な女性です。彼女はいつも、(生きている)。そして私のみならず、みなに親切
です。彼女と会って話しているとき、彼女は、いつももの静かで、控えめです。しかし彼女は、心
の奥に野心を秘め、いつもそれに向かって前進しています。私はほんとうに彼女を尊敬してい
ます。彼女は現在、2児の母親であり、家庭の主婦です。が、彼女はそのかたわら、独学で勉
強し、ロースクールへの入学資格と奨学金を手にしました。私たちが彼女を敬わないということ
はありえません。あなたはあなたのまわりで、こんなすばらしい女性を見たことがありますか。
彼女がしていることは、私が若いときでさえ、私ができなかったことです。彼女が試験結果を伝
えてくれたとき、私は、何らためらわず、「おめでとう」と言いました。彼女が生まれ育った地域
では、現在の今でも、彼女は例外的な女性のようです。しかし私が知るかぎり、彼女は、そんな
ことは気にしていません。それで私は、つぎのような返事を書きました。「自由というのは、生き
ているという実感をもちながら、したいことをすることです。私たちは夢なくして生きることはでき
ません。が、夢があれば、何もなくても生きていくことができます。夢をもって、生きてください」
と。私は彼女を尊敬しています。そしてそんなすばらしい女性と結婚した息子を、誇りに思いま
す。おめでとう。そして私にも夢をくれたあなたに感謝します」と。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2431)

●私らしく生きる(I live as I am.)

If someone speak ill of you behind you, what will you do? In may case I cope with such a 
problem, just ignoring him or her. We don't have to be a good friend for all the people. There 
is a saying in England, that we can't be a good man to two people together. In Japan we say 
that those who wish to be a good man to everyone are called "8-direction good man". We 
rather despise this sort of man. This means to be a good man to someone means to be a 
bad man to another man. We are often forced to choose one of them. Moreover the older 
we get, the less time we have. We don't have time to waste but to go forward with good 
people around us. Our life itself is so limited. This is an article I write about it.

+++++++++++++++++

ときとして人との交わりは、わずらわしい。
こちらが望まなくても、災いは、向こうからやってくる。

あなたを悪く言ったり、非難したり、
中傷したりする人がいたとする。

そういう人と、こちら側から、あえて
仲よくする必要はない。

弁解したり、反論したり、言い争う必要もない。
「必要もない」というより、
そういうことをしても、意味はない。

サルはサルと喧嘩する。
イヌはイヌと喧嘩する。
(ちょっと言いすぎかな?)

その相手が気になるということは、
あなた自身も、そのレベルの人間ということ。
あなたが相手を超えてしまえば、
その相手が気にならなくなる。

無視すればよい。
相手が近づいてきたら、それなりに
適当にあしらっておけばよい。

やがて相手は、自らを追いこんでいく。
あなた以上に、苦しんだり、悩んだりする。
いやな思いをする。

つまりは、「根くらべ」ということになる。

その根くらべのできる人を、「丸い人」という。
「賢い人」という。

私のばあいも、あるときから、八方美人で
あることをやめた。
英語の格言にも、「2人の人にいい顔はできない」
というのがある。
年を重ねれば重ねるほど、そうで、人は人を
選んで生きるようになる。

言いかえると、「去る人は追わず」ということか。
そのため友人の数もぐんと減るが、その分だけ、
残り少ない友人たちとの関係が、濃密になる。

・・・というものの考え方に、当初は、自信がなかった。
「広く浅くつきあうことこそ大切ではないか」と
迷ったことも、しばしばある。

たしかにビジネスの世界では、そうかもしれない。
知人の輪は、それが広ければ広いほど、利益につながる。
「名刺の数が多ければ多いほど、金が入る」と説く人もいる。

が、私は、エイズを発症した一人の青年の
手記を読んだとき、私は、自分の考え方が
正しいと確信をもった。その青年は、こう書いていた。

「私の人生は残り少ない」「無駄にできる時間はない」
「だから無駄な人と無駄な時を過ごす時間は、もうない」と。

それを書いたのはアメリカ人の青年だった。
で、それを読んだとき、私もこう思った。
「私にも無駄にできる時間は、もうない」と。

その後、その青年は、半年足らずで亡くなったそうだ。
しかしその青年の半年と、私がまだもっているであろう
10年と、どこがどうちがうというのか。
20年でもよい。
半年を短いといい、20年を長いと、どうして言う
ことができるのか。

この広い宇宙を基準にして考えれば、半年であろうと、
20年であろうと、ともに星がまばたきする瞬間に
過ぎない。どこもちがわない。

しかも20年あるとはかぎらない。明日、交通事故
か何かにあうかもしれない。あさって、不治の病を宣告
されるかもしれない。

だったらなおさら、私には、無駄にできる時間はない。
さらに言えば、無駄な人と無駄に過ごす時間は、ない。

・・・と考えていくと、自と結論が出てくる。

私たちは人を選びながら、生きていく。
当然のことながら、相手も、私という人間を選びながら
生きていくだろう。「あの林はいやなヤツだ」
「あの林とは、もうつきあわない」と。

しかしそれはそれで、かまわない。
かまわないから、私は私で生きていく。
人は、人、それぞれ。

あなたを悪く言ったり、非難したり、
中傷したりする人がいたとしても、気にしない。
言いたいように、言わせておけばよい。

そういう人と、こちら側から、あえて
仲よくする必要はない。ないから、別れる。
古い言い方をするなら、「縁を切る」。
縁を切って、そのまま忘れる。
時の流れに任せる。

どうせ私にしても、あなたにしても、
50年を超えて、生き残ることはない。
100年を超えることは、ぜったいに、ない。

そう考えて、私は私で生きていけばよい。
あなたはあなたで生きていけばよい。

やがて相手は、自らの愚かさの中で、
自らクビをしめていくだろう。
不愉快な思いをするのは、その相手自身ということになる。

(追記)

 私のまわりにも、口だけ出してくる人は多い。しかし口を出すくらいなら、だれにだって、でき
る。しかもこちら事情も知らないで、そう言ってくるから、たまらない。あるいは、どこからか一方
的な情報だけを聞いて、そう言ってくるから、たまらない。

 さらに権威主義というか、1、2歳、年上というだけで、そう言ってくる。私は内心では、「ごちそ
うさま」と思うが、しかしそれは言わない。言っても無駄。それなりの人物なら、まだ相手にでき
る。しかしそういう人にかぎって、そもそも、そういう脳みそをもっていない。

 だから相手にしない・・・ということになる。が、相手にしないでおくと、その相手はますます墓
穴を掘り始める。騒げば騒ぐほど、だれからも相手にされなくなる。

 大切なことは、そういう相手はもちろん、そういうことも忘れて、私は私、あなたはあなたで、
サバサバと生きていくということ。「無視する」というのは、そういう意味。

(追記2)

 この原稿をたまたま横にいたワイフに読み聞かせると、ワイフはこう言った。「冠婚葬祭がそ
うね」と。

 ワイフの姉(=私の義理の姉)は、いつもこう言っているという。「もう何十年もつきあいはない
のに、冠婚葬祭の連絡を受けたりすることがある。うちは本家(ほんや)だから、顔を出さない
わけにはいかない。しかし出るたびに、どうしてこんなつきあいをしなければならないのかと疑
問に思う」と。

 「田舎」と呼ばれる地方では、こうした風習を断ち切るのは容易ではないかもしれない。「親戚
づきあい」という言葉が、いまだに色濃く残っている。しかしみなが、声を合わせていっせいに
断ち切れば、この日本も変わる。

ワ「でも、私たちが断ち切るということは、私たちも相手の人から、断ち切られるということにな
るのじゃない?」
私「そうだね。だからぼくは、たとえばお前の葬式やぼくの葬式には、だれも来なくてもかまわ
ない。息子の結婚式だって、ほんとうに祝ってくれる人だけが集まってくれた。ぼくはそれでい
いと思う」
ワ「孤独にならないかしら?」

私「みんな、ほんとうは、孤独なんだよ。みんなその孤独を、ごまかしながら生きているだけな
んだよ。しかしいくらごまかしても、孤独から逃れることはできない」
ワ「冠婚葬祭に、みなが集まってくれるからといって、孤独がいやされるというものではないわ
ね」
私「そう。孤独というのは、もっと別のところにある。だからもっと別の戦い方をしなければなら
ない。孤独と戦うということは、そんな簡単なことではないんだよ」と。

 私が臨終のときは、ワイフと、もしできれば息子たちがそこにいてくれれば、それでよい。葬
式も、そうだ。派手な葬式など、望むべくもないが、そんなものをしてくれる必要はまったくな
い。

ワ「でも、叔父や叔母の葬儀などは、どうしたらいいの?」
私「そのときの気持ちに、すなおに従えばいい。参列したいと思えば、参列すればいい。そうで
なければ、参列しなければいい。義理にしばられる必要はない」
ワ「でも、相手が、不愉快に思うわよ」
私「そう思うなら思わせておけばいい。どうせその程度の人間関係なんだよ」
ワ「でも反対に、うちの葬式には、だれも来なくなるわよ」
私「ハハハ、それも結構。いいじゃない、それで。どうせその程度の人間関係。うるさい連中
は、こちらから願い下げだよ」と。

(追記3)

 「親戚づきあい」とは言うが、私自身の人生を振りかえってみたとき、たとえばこの私をその
家に一泊させてくれたことがある親戚と言えば、母の実家の1軒しかない。金銭的な援助を受
けた親戚といえば、1軒もない。

 (反対に我が家に泊めてやった親戚となると、何十人もいるぞ!)

 こうした事情は、いまでは、たいていどこの家庭でも似たようなもの。親戚といっても形だけ
(?)。そんな親戚も、少なくない。が、なぜか、日本人は、「親戚」というだけで、その言葉にし
ばられる。

 私たちは今、「親戚づきあい」そのものを考えなおす時期に来ているのではないだろうか。江
戸時代の昔ならいざ知らず、今は、もう「血筋」にしばられる時代ではない。こだわる時代でも
ない。またそうであってはいけない。

 親戚であっても、また親戚でなくても、そこにあるのは、純然たる人間関係。その人間関係
は、中身を見て判断する。形や外見ではない。中身だ。

 (今日の私の意見は、少し、過激かな?)


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●意識のちがい(Toiket and Bathroom)

In western world they have, in most cases, a bathroom and a toilet in one single room. It 
may be a serious problem for us, Japanese. What shall we do if someone comes in when I 
am sitting on a toilet. Why do they have a toilet and a bathroom in one single room?

++++++++++++++++++++

いくら欧米化が進んでも、またいくら
アメリカやオーストラリアの家がすてきと思っても、
どうしても、納得できないものがある。

あのトイレである。

欧米では、バスルームとトイレが同じ部屋にある。
ほとんどの家庭では、そうである。
バスルームへ入っているときも、落ち着かない。
トイレを使っているときも、落ち着かない。

だれかがシャワーを浴びているとき、便意を
もよおしたら、どうすればよいのか。
反対のばあいでもよい。
シャワーを浴びているとき、となりでだれかが
用を足したら、どうすればよいのか。

これは日本人にとっては、大問題である。
実際、向こうで生活していると、そういう場面に、
よく出くわす。

+++++++++++++++++++++++

 意識のちがいというより、生活、文化、風習のちがいは、ときとして、私たちを驚かす。教育
の世界でも、しばしば経験する。それについてはたびたび書いてきたので、ここでは省略する
※。

 要するに、私たちがもっている意識にしても、常識にしても、けっして世界の標準でもなけれ
ば、基準でもないということ。ときには、世界の標準や基準と、大きくかけ離れていることもある
ということ。

 最近でも、こんなことに驚いた。

 今、マスコミの世界では、毒入りギョーザ事件が、大きく騒がれている。それについて今朝(0
8年2月7日)の新聞報道によれば、どうやら製造過程で、だれかが故意に農薬を混入したと
いうことらしい。

 しかし当初から、だれしも、そう思っていた。思っていたが、だれも、この日本ではそれを口に
する人はいなかった。万にひとつの可能性でも残っているなら、そういったことを軽々に口にす
べきではない。ひょっとしたら、日本人のだれかが混入したかもしれない……。

 が、である。当の中国では、「日本人陰謀説」が、流されているという。つまり「中国の発展に
嫉妬した日本人が、中国をおとしめるため、しくんだ陰謀である」(新聞報道)と。

 しかしそんな(陰謀)など、ありえない。ありえないということなら、日本人なら、みな、わかる。
日本にもワルはいるが、そういった陰謀(?)を仕組ほどのワルはいない。つまりここに意識の
大きなズレがある。

 が、問題は、どうしてそれほどまでに大きな意識のズレがこうした問題で、起きるかというこ
と。もちろんそうした背景には、過去の歴史や、それから生まれる悶々とした反日感情がある。
それが被害妄想につながり、それがさらに「陰謀」という言葉を生み出した(?)。

 話が大きく脱線してしまったので、もとに戻す。

 私たちはいつも、私の意識を疑う。国際というレベルの話はもちろんのこと、地域、さらには
個人というレベルの話も、である。風習や文化にいたっては、なおさらである。だからといって、
それを否定したり、排斥せよということではない。

 私たちは自らを疑うことによって、つぎのステップに進むことができる。言いかえると、自分を
疑うことを知らない人は、つぎのステップに進むことはできない。つまり進歩など、もとから望む
べくもない。

 ところでトイレの話だが、こんな話も伝わってきている。2年ほど前、私の家に寝泊まりしたオ
ーストラリア人だが、こうメールで書いてきた。「今度、家を新築することになったが、ヒロシの
家のように、トイレとバスルームを2つに分けた」と。そういう人も、ふえている。

 
Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

教育者が教育カルトにハマるとき  
●教育カルト  
 教育の世界にもカルトがある。学歴信仰、学校神話というのもそれだが、一つの教育法を信
奉するあまり、ほかの教育法を認めないというのも、それ。教育カルトともいう。この教育カルト
にハマった教育者(?)は、「右脳教育」と言いだしたら、明けても暮れても「右脳教育」と言いだ
す。「S方式」と言いだしたら、「S方式」と言いだす。 
 親や子どもを黙らすもっとも手っ取り早い方法は、権威をもちだすこと。水戸黄門の葵の紋
章を思い浮かべればよい。「控えおろう!」と一喝すれば、皆が頭をさげる。「○×式教育法」
などという教育法を口にする人は、たいてい自分を権威づけるために、そうする。宗教だってそ
うだ。あやしげな新興宗教ほど、釈迦やキリストの名前をもちだす。

 教育には哲学が必要だが、しかし宗教であってはいけない。子どもが皆違うように、その教
育法もまた皆違う。教育はもっと流動的なものだ。が、このタイプの教育者にはそれがわから
ない。わからないまま、自分の教育法が絶対正しいと盲信する。そしてそれを皆に押しつけよう
とする。これがこわい。

●自分勝手な教育法 
 教育カルトがカルトであるゆえんは、いくつかある。冒頭にあげた排他性や絶対性のほか、
小さな世界に閉じこもりながら、それに気づかない自閉性、欠点すらも自己正当化する盲信性
など。これがさらに進むと、その教育法を批判する人を、猛烈に排斥するという攻撃性も出てく
る。自分が正しいと思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、相手に向って、「あなたはま
ちがっている」と言う。

はたから見れば自分勝手な教育法だが、さらに常識はずれなことをしながら、それにすら気づ
かなくなってしまうこともある。ある教育団体のパンフには、こうあった。

「皆さんも、○×教育法で学んだ子どもたちの、すばらしい演奏に感動なさったことと思います」
「この方式が日本の教育を変えます」と。あるいはこんなのもあった。「私たちの方式で学んだ
子どもたちが、やがて続々と東大の赤門をくぐることになるでしょう」(ある右脳教育団体のパン
フレット)と。自分の教育法だったら、おこがましくて、ここまでは書けない。が、本人はわからな
い。この盲目性こそがまさに教育カルトの特徴と言ってもよい。

●脳のCPUが狂う?

私たちはいつもどこかで、何らかの形で、そのカルトを信じている。また信ずることによって、
「考えること」を省略しようとする。教育についても、「いい高校論」「いい大学論」は、わかりや
すい。それを信じていれば、子どもを指導しやすい。進学校や進学塾は、この方法を使う。そ
れはそれとして、一度そのカルトに染まると、それから抜け出ることは容易なことではない。脳
のCPU(中央演算装置)そのものが狂う。が、問題は、先にも書いた攻撃性だ。

一つの価値観が崩壊するということは、心の中に空白ができることを意味する。その空白がで
きると、たいていの人は混乱状態になる。狂乱状態になる人もいる。だからよけいに抵抗す
る。ためしに教育カルトを信奉している教育者に、その教育法を批判してみるとよい。「S方式
の教育法に疑問をもっている評論家もいますよ」と。その教育者は、あなたの意見に反論する
というよりは、狂ったようにそれに抵抗するはずだ。

 結論から言えば、教育カルトをどこかで感じたら、その教育法には近づかないほうがよい。こ
うした教育カルトは、虎視たんたんと、あなたの心のすき間をねらっている!


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●権威主義の象徴

 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控えお
ろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう場面を見ると、「痛
快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。オーストラリアの友人はこう言った。「もし水
戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。フランス革命以来、あるいはそれ以前から、欧米で
は、歴史と言えば、権威や権力との闘いをいう。

 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそうだ。長
男夫婦と同居して一五年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がない。別居も何度
か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこぼす。「今の若い者は、
先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身のことか。

一方長男は長男で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に入って二人の
仲を調整しようとしたことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっているわだかまりは、想像
以上のものだった。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかということ。

 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まったくと言
ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人になってもら
った。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そしてことあるごとに、先
祖の血筋を自慢した。Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であっ
た。ふつうの会話をしていても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子
どもたちに向かっては、自分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積
もり積もって、親子の間にミゾを作った。

 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを説明で
きる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければならないのか。
だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。

 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使われ
る。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令と服従、保
護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生まれるはずがな
い。権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。

権威、つまり「私は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへ
と、一方的なものになる。そのため子どもは心を閉ざす。Mさん親子は、まさにその典型例と言
える。「親に向かって、何だ、その態度は!」と怒る、Mさん。しかしそれをそのまま黙って無視
する長男。こういうケースでは、親が権威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。

権威主義的であること自体が、その人の生きざまになっている。それを否定するということは、
自分を否定することになる。が、これだけは言える。もしあなたが将来、あなたの子どもと良好
な親子関係を築きたいと思っているなら、権威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』をおも
しろいと思っている人ほど、あぶない。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●家族主義(1)

 「立派な社会人になりなさい」「社会で役立つ人になりなさい」というのが、出世主義。日本人
は明治以来この出世主義に踊らされ、「個」を犠牲にしてきた。その典型例が、単身赴任。欧
米では単身赴任そのものが、考えられない。先日もニュージーランドからの留学生たちと話を
する機会があったので、そのことについて聞くと、反対にこう質問された。「なぜ日本人は、家
族とバラバラに暮らして、平気なのか」と。

 欧米人は伝統的に、「家族と楽しいときを過ごすために、仕事をする」という考え方をする。学
校の教師も、そのつど子どもたちに、「よき家庭人になりなさい」と教える。そういう視点から
は、単身赴任など、考えられない。ニュージーランドの学生はこう言った。「ぼくなら仕事を変え
る」と。あるいは「ニュージーランドで単身赴任を命じられたら、裁判ざたになる」と言った学生も
いた。ものの考え方の基本に、家族を置く。これを私は出世主義に対して、勝手に家族主義と
呼んでいる。

 出世主義と家族主義。その違いを如実に表しているのが、あの「釣りバカ日誌」である。あの
中で、浜ちゃんとスーさんは、よく釣りに行く。しかし二人が、妻や子どもを連れていくシーン
は、めったにない。子どもたちに聞くと、「ときどき変な女の人が一緒に行く」とのこと。日本の
男性たちは、「仕事のためなら、家族が犠牲になって当然」という考え方をする。だから会社の
同僚とゴルフに出かけたり、飲み食いに出かけたりしても、何も疑問に思わない。

しかし欧米では、たとえばオーストラリアを例にとっても、こういうことはありえない。会社の同僚
とのパーティでも、夫婦同伴が原則。土日に、夫だけが遊びに行ったとしたら、それだけで離婚
事由になる。そのことをオーストラリア人の友人に確かめると、こう教えてくれた。「年配の夫婦
の場合、妻がめんどうがってついて来ないことはある。若い夫婦の場合、たいてい同伴する。
妻が仕事をしているケースもあるが、妻が同僚とパーティに行くときは、一〇〇%、夫が同伴す
る」と。

 この家族主義は、教育にも大きな影響を与えている。日本では出世主義のもと、学歴や肩書
きが重要な意味をもつ。子どもたちが勉強するのも、それを身につけるのが目的だ。しかし欧
米では、子どもたちは「その道のプロになること」を目指す。制度そのものも、大きく違う。

たとえばアメリカでは、前の大学の単位さえそろっていれば、大学生の転入、転籍は自由にで
きる。大学名にこだわらねばならない理由そのものが、ない。私のオーストラリア人の友人は、
大学の一、二年の間は、メルボルン大学で学び、そのあと一年間、北京大学で学び、帰国後
は、大学の四年生になった。そういうこともできる。

 そもそも教育の内容そのものが違う。日本では明治以来、選別主義、能率主義が基本にな
っている。わかりやすく言えば、進学(=人間選別)を念頭に置いた、管理方式による詰め込
み教育。しかし欧米では、「将来子どもたちが役にたつ知識を身につける」ことを基本に、能力
主義が基本になっている。だからアメリカでは、子どもの成績が悪かったりすると、親のほうか
ら落第を頼みに行く。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●家族主義(2)

 日本人は、古来より上下意識の強い国民である。男が上で女が下。夫が上で、妻が下。先
生が上で生徒が下、と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩という関係をつくる。そしてそ
れが組織の秩序となる。

で、この秩序を支えるのが、権威。もともと上下関係には、理由などない。根拠もない。「偉いも
のは偉い」という権威が、その関係を支える。日本人はこの権威に弱い。あるいはその権威に
あこがれを抱く。そのよい例が、「水戸黄門」。

黄門の取り巻きが、葵の紋章を見せて、「控えおろう。これが目に入らぬか!」と一喝すると、
周囲の者が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう世界を「痛快だ」と思う。しかし水
戸黄門は絶対的な善玉だからよいようなものの、もし悪玉だったら、どうする。日本人のことだ
から、それでも頭をさげるに違いない。実際、秀吉や家康といった圧政暴君たちが、この日本
では必要以上に美化され、英雄になっている!

 この権威主義は、教育にも暗い影を落としている。「大学の教授」というだけで、一も二もな
く、日本人は皆、頭をさげる。しかし実際には、大学の教員の世界は、完全に年功序列の世
界。「そこに人がいるから人事」が、長年慣行化している。幼児教育の世界に限ってみても、実
際幼児教育などしたこともないような教授が、その道の権威者になっている。

日本でも有名なA教授は、たった数か月間、幼児の心理を調査しただけ。またN教授は、ラジ
オのトーク番組の中で、ふとこう口をすべらせている。「私は三人の孫で、幼児教育を学びまし
た」と。たった三人である! ある幼稚園で講演をしたときのこと。「S大学附属幼稚園」という
名前がついていたので、「教授たちは来ますか」と聞くと、そこの副園長がこっそりこう教えてく
れた。「たまにね。来てもお客様ですから」と。そういう教授でも、「教授」というだけで、皆、頭を
さげる。

 家族主義というと、小市民的な生き方を連想する人は多い。九九年の春、文部省がした調査
でも、「一番大切にすべきもの」として、約四〇%の人が、「家族」をあげている。が、これに対
して、さっそくその夜、あるテレビの解説者が、「日本人は小市民的になった」と評した。

とんでもない。とんでもない誤解である。家族主義は、新しい国家観、新しい愛国心にもつなが
る。昔の日本人は、国、つまり天皇制という体制を守るために戦場に出かけたが、これからは
もうそういう時代ではない。家族の集合体としての「国」を考える。そしてもし戦争することがあ
るとするなら、私たちは「家族を守るために」戦う。愛国心も、そこから生まれる。

 日本は欧米化したとよく言われるが、それは表面的な部分だけ。日本は日本。しかも旧態依
然のまま。今でも日本は、世界から見ると、「わけのわからない国」ということになっうている。
欧米化が必ずしもよいというわけではないが、世界の人に安心してつきあえってもらえる国民
になるためには、欧米化は避けて通れない。

これからは「家族を大切にします」「一番大切なものは家族です」と、日本人も胸を張って言う時
代になった。家族主義は、決して恥ずかしいことではない。 


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

●初老ブルース(Young Old Men's Blues)

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何もかも、先細り。
仕事はもちろん、体力、健康も。みんな、先細り。
60歳を超えると、とたんに、そこに、70歳の天井が見えてくる。
80歳の天井が見えてくる。

何とか、70歳まではがんばれそう。
しかしその先のことは、わからない。
「それまでの蓄(たくわ)えで、何とかなる」とワイフは言う。
が、そんな蓄えで、どうやって10年を生きられるのか。
蓄えがなくなったら、死ぬときなのか。

が、ここは明るく前向きに生きよう。
ハハハと、笑って過ごそう。
したいことをして、おいしいものを食べて、明日のことは考えない。
今、できることを懸命にする。
結果は、あとからついてくる……。

しかしいくら自分にそう言って聞かせても、そこには乾いた風。
ふと振り返ってみると、そこでヒューヒューとほこりを巻きあげている。
「オ〜イ!」といくら叫んでも、返ってくるこだまは、むなしい。
「そんなことをして、何になる?」と。

釈迦は、こういうとき、こう言った。

「明日のないことを嘆くな。
今まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」(説話)と。

そう、何がどうであれ、また年齢がどうであれ、
私はともかくも今、ここにいて、生きている。
先はどうであれ、私は今は、健康だ。
食事もおいしい。
家族もいる。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。

「これから先、どうする?」とワイフに聞く。
そのたびに、ワイフは、こう言う。
「何とか、なるわよ」と。

そう、何とか、なる。
世の中というのはそういうもの。
やがて雲が風になびくように、
やがて水が低いところを求めて流れていくように、
ものごとは、何とか、なる。

恐らく、私がこの世を去るときも、そうだろう。

あせってみたところで、どうにもなるものではない。
先のことを心配したところで、どうにもなるものではない。

……とまあ、今朝も、自分にそう言い聞かせながら、床から出た。
気分はあまりよくないが、ともかくも、みなさん、
おはようございます。

今日も、がんばります。
がんばるしかないですね。

++++++++++++++++++

●10万件!(10 thousands of readers)

ざっと、つまりドンブリ勘定で計算してみた。
私のHPへのアクセス数が、1日あたり、合計で、1000件を超えている。
マガジンは、週3回発行している。読者数の合計が、3000人。
ほかにBLOGへのアクセス数が、1日あたり、合計で、約1000件。

こうして計算してみると、私、(はやし浩司)へのアクセス数は、1か月、10万件以上ということ
になる。

10万件、だぞ!

「10万件!」と驚いてみたり、「10万件ねえ」と思ってみたりする。
書籍の世界で、1か月に10万部も売れれば、たいへんなこと。
しかしこの世界では、その実感は、ほとんど、ない。
[10万件のアクセスがある]というだけで。それ以上の意味はない。
仕事や収入に結びつくということもない。
「10万」といっても、ただの数字。

インターネットの世界は、ほんとうに、奇妙な世界だ。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●心境の変化(See unseeable stars)

私は、「今」の世界に、期待はしていない。
「今」という世界に、失望しつつある。
何度も裏切られた。

だから私の目は、当然のことながら、未来に向かい始めている。

たとえば昨日も、撮りためたきた写真を、ビデオ化した。
それをYOU TUBEを使って、世界に向かって配信した。

しかしビデオの最後を、私は、こうしめくくった。

「メイ、セイジ、いつか日本へ、おいでよ」と。

メイはまだ1歳。セイジはまだ5歳。
2人の孫たちが、ひとりで日本へ来られるようになるのは、10年先?
しかし私はその10年先に向かって、メッセージを残す。

いつかメイやセイジが、YOU TUBEで、自分の名前を検索するときがやってくる。
そのとき、メイやセイジは、私が書いたメッセージを読む。

これは一例だが、私のものの考え方は、総じてみれば、その方向に向かって進んでいる。
「今」は、もう、どうでもよくなってしまった。

50年後でも、100年後でもよい。
そのとき、たった1人でも、私が書いた文章を読んでくれれば、それでよい。
そのためには、どうすればよいか。
そんなふうに考えることが、多くなった。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb 08++++++++++はやし浩司

●郵便局(Privatizing of Japan Postal Office)

What has been changed after the privatizing of the postal office of Japan? As far as we 
know at the local office, nothing has been changed.)
 
郵便局は郵便局。
実際には、従来の郵便局は、(郵便局)(ゆうちょ銀行)(かんぽ生命保険)(郵便事業)の4事
業体に分割された。
それを統括するのが、「日本郵政」。

……ということで、最近、郵便局へ足を運ぶたびに、どこがどう変わったか、それに関心があ
る。
が、実際には、従来のまま(?)。
「やや親切になったかな?」と感ずる部分はあるにはある。
つい先日も、小包をしばるヒモはありませんか?」と声をかけると、局員の人が、奥の方から、
わざわざヒモをさがしてもってきてくれた(08年2月)。

では、何のための分割だったのか?

言うまでもなく、(ゆうちょ銀行)と(かんぽ生命保険)がもつ、300兆円とも言われる金融資産、
である。
これらの金融資産は、従来は、主に「官」、もしくは「公」に投資されていた。
官僚や役人たちによって、言いように使われていた。
「財投」の名のもと、公団公社の資金源にもなっていた。
当然、その先で、天下り先を形成していた。

その300兆円とも言われる金融資産を、民間に回す。
それが郵政事業の民営化の最大目標である。……あった。
つまり郵便局にせよ、郵便事業にせよ、私たち庶民と直接、接する窓口は、もともとどうでもよ
かった?

で、2007年10月1日以来、つまり郵政民営化会社が誕生してから、何がどう変わったか?
が、おかしなことに、そのリンカクが、いまだに見えてこない。
聞くところによると、民間に投資するといっても、現在のように、ちまたに資金がジャブジャブの
状態では、その投資先を見つけることすら、むずかしいらしい。

その上さらに、株に投資するといっても、それだけの人材が、まだそろっていない。
それまでは、資金は、そのまま財務省(大蔵省)に回していればよかった。

さらに中央と地方の関係もある。
これだけ地方の財政がひっぱくしてくると、公共事業様々(さまさま)ということになる。
今までは、財投が、その公共事業を支えていた。

……となると、300兆円という資金の使い道は、おのずと決まってくる。

私の近所では、昨夜も遅くまで、道路の側溝工事をしていた。
が、まさにムダな工事。工事のための工事。
近く、デジカメで、「before」と「after」を紹介するつもりでいるが、こうしたムダな工事が、今の
今も、全国津々浦々でなされている。

もう少し様子を見てみたいが、今のところ、私の結論は、こうだ。
何のための郵政民営化だったのか?
あるいは郵政民営化そのものが、すでに骨抜きにされてしまっている?


Hiroshi Hayashi++++++++Feb 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2432)

●裁判員制度(Juryman System of Japan)

+++++++++++++++

2009年5月から、日本でも
裁判員制度が始まる。

裁判員に選ばれると、裁判官と
いっしょに法廷に立ち合い、
量刑まで決定しなければならなく
なる。

裁判員は、抽選で選ばれる。

対象となる事件は、「殺人のほか、
強盗致死傷、傷害致死、危険運転致死、
放火、誘拐など」となっている。

民事事件については、適応されない。

で、制度が開始されると、
有識者(市民)の裁判員6人と、
プロの裁判官3人で、事件に関する、
証拠調べなどを行うことになる。

証人や被疑者への直接的な
質問もできるという。

陪審員制度については、アメリカ映画
などで、すでに馴染み深いが、
しかしそうはうまくいくものか?
あるいは、そのメリット、デメリットは
何か?

++++++++++++++++

 欧米、とくにアメリカやオーストラリアのような移民国家では、「民が犯罪者を裁く」という意識
が、その根底にある。それをコントロールするのが、「国」であり、「法律」ということになる。(た
だしオーストラリアでは、大英帝国時代の裁判制度が、そのまま踏襲されている。)

 一方、この日本は、奈良時代の昔から、中央官僚制度。「国が犯罪者を裁く」という意識が、
その根底にある。「(無知で無学な)民は、国のすることに、口を出すな」という意識も、根強く残
っている。

 同じ裁判員制度(陪審員制度)といっても、そこに向かう出発点が、まったく逆なのである。

 そこで賛否両論が、巻き起こっている。

 これは私が法学部の学生だったころからよく言われてきたことだが、法律家というのは、えて
して、法律バカになりやすい。法律のことは熟知しているが、そのため、世俗的な常識から遊
離しやすい。とくに裁判官のように、(世間)と直接的な接点をもたない法律家はそうである。

 それではいけないということで、そのあと、いろいろな改革がなされてはきている。きてはいる
が、じゅうぶんではない……ということで、今度の「裁判員制度」が生まれた。

 表向きは、「市民の社会常識を刑事裁判に反映し、(裁判を)、身近でよりわかりやすいもの
にする」(内閣府)ということになっている。

 一般論から言えば、法律の専門家ほど、この制度に疑問を感じている。一方、選ばれる市民
にしても、これはえらい迷惑(?)。いろいろな模擬裁判があちこちでなされているが、評判は、
たいへん悪い。アメリカの陪審員制度では、有罪か無罪かを決めるだけだが、日本の裁判員
制度では、量刑、つまり刑の内容まで決めなければならない。

(責任、重大だぞ!)

 しかし動き出した以上、やるしかない。これから先、いろいろな試行錯誤はあるだろう。しかし
その一方で、日本人ほど、法に無知な国民も、そうはいない。こうした制度が、日本人の民主
主義意識を高揚させる起爆剤となれば、それはそれで、すばらしい。

 「法律は、私たちが作る」「私たちが法律を守る」と、そんな意識が、日本人の中にも芽生えて
くれば、こんなすばらしいことはない。

 すこし前、京都で教壇に立っている先生から、こんなメールが届いた。掲載許可をもらったの
で、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++++++

京都府に住んでいる、SEという方から、
こんなメールが届いています。

「考える」ことについて、最近の大学生
たちの姿勢を、このメールから読みとって
いただければ、うれしいです。

++++++++++++++++++++
 
●はやし先生へ

先日、T先生のご論文を配信いただきましてから、自分で考える教育と
大学教育について、しばらく考えておりました。考えているうちに、いささか
愚痴めいてまいりました。限界はありながらも、その中で自分の最善を尽く
さねばと思うのですが、はやし先生はいかが、思われますでしょうか。

大学教育の現場では以前から、自分で考える力の不足と基礎概念の
理解の不足が問題とされています。

詰め込み教育の弊害と言った場合、「基礎概念は入っているが、それを操作
できない状態」を言うようなイメージがありますが、現場からは、

(1)基礎概念が入っており、その操作もできる学生
(2)基礎概念は入っているが、その操作はできない学生
(3)基礎概念の理解が不十分な学生。ひどい場合には、専門用語を単語
 として知っているだけ
(4)専門用語を全く知らない学生(学習意欲に、何がしかの問題がある)
と、いくつかの場合が、がみられます(もっと細かくできるかもしれませんが)。

(4)に関しては、「受験競争」を中心に据えられた日本の教育制度の弊害も
現れているのではないかと思われますが、

(1)から(3)に関しては、自分で考える力にも相当の段階があって、
基礎概念の定着においても、自分で考える力が大きな役割を演じている
ということが言えるように思います。(概念の論理を自分で追わないといけない
からだろうと思われます)。

大学側も、対話による授業というものを推奨するようになってきましたが、
基礎概念までも対話で教えろと言うに至っては、なにやらゆとり
教育や総合的学習を想起せざるものがあります。

そこで、大学教育において、何ができるのかですが、何より大切なのは、
T先生がお書きのように、教師が自分で考える姿勢を見せるという
ことなのだと思います。

「考える教育」への転換をゼミだけで行なうのはやはり限界があるようです。

かといって現状の大学を前提にする限り、大講義では学生との応答を主にする
のは不可能ですから、教師の見解を明確に示し、考えることの重要性を絶えず
発信するにとどまるのかもしれません。大学だけで何とかできると考えるのは
傲慢ですから、限界を認めざるを得ないのかもしれませんね。

基礎知識の重要性を軽視するわけではありませんが、基礎概念の理解にも関って
来るわけですから、「考える」ということの意義をもっと早くから教えるべきで
はないのかと、切に感じます。

いささか愚痴めいて参りました。
現在新学期の講義の準備をしているのですが、どうしたら「考えさせる」ことができるか、
考えながら準備をしております。

素直な学生たちなので、できるだけのことをしてあげたいと思います。

++++++++++++++++++++++

【SE様へ】

 実は、私も、法科の出身です。教壇に立っておられるSEさんの話を聞きながら、「私もそうだ
ったのかなあ?」と、当時を思い出しています。

 とくに法学の世界では、基礎概念の「移植」が、絶対的なテーマになっていますから、そもそも
独創的な考え方が許されないのですね。「構成要件の該当性」とか、何とか、そんな話ばかり
でしたから……。

 ですからSEさんの、悩んでおられることは、もっともなことだと思います。

 しかし、ね、私、オーストラリアにいたとき、東大から来ていたM教授(刑法の神様と言われて
しました)とずっと、いっしょに、行動していました。奥さんも、弁護士をしていました。

 たいへん人格的にも、高邁な方でしたが、私はその教授と行動をともにするうちに、法学へ
の興味を、ゼロに近いほど、なくしてしまいました。

 もともと理科系の頭脳をもっていましたから……。何となく無理をして、法学の世界へ入った
だけ……という感じでした。それで余計に早く、法学の世界を抜け出てしまったというわけで
す。

 そのM教授ですが、本当に、まじめというか、本当に、研究一筋というか、私とはまったく、タ
イプがちがっていました。そういうM教授のもとで、資料を整理したりしながら、「私はとても、M
教授のようには、なれない」と実感しました。

 で、M教授のことを、恩師のT先生も、よく知っていて、ずっとあとになって、その話をT先生に
すると、「そうでしょうねえ。あの先生は、そういう方ですから」と笑っていました。学部はちがっ
ても、教授どうしは、教授どうしで、集まることもあるのだそうです。

 話をもどしますが、SEさんが、言っていることで、興味深いと思ったのは、こうした傾向という
のは、すでに高校生、さらには、中学生にも見られるということです。

 たとえば中学生たちは、成績に応じて、進学高校を決めていきます。そして高校生の80〜9
0%前後は、「入れる大学の、入れる学部」という視点で、大学を選び、進学していきます。夢
や目標は、とうの昔に捨てているわけです。

 もちろん希望も、ない。

 だから大学へ入っても、法学の世界でいえば、法曹(検事、弁護士、裁判官)になりたいとい
う学生もいますが、大半は、ずっとランクの下の資格試験をねらう。いわんや、純粋法学をめ
ざして、研究生活に入る学生は、もっと少ない(?)。

 このあたりの事情は、SEさんのほうが、よくご存知かと思います。

 つまりですね、もともと、その意欲がないのです。「学ぶ」という意欲が、です。ただ私のばあ
いは、商社マンになって、外国へ出るという、大きな目標がありました。(当時は、外国へ出ると
いうだけでも、夢になるような時代でした。今では、考えられないと思いますが……。)

 そのための法学であり、成績だったわけです。おかげで、「優」の数だけは、学部で二番目。
行政訴訟法だけ落としてしまい、司法試験をあきらめた経緯もあります。成績はよかったか
ら、I藤忠と、M物産に入社が内定しました。そのあと、オーストラリアとインドの国費留学生試
験にも合格しました。

 (結果として、オーストラリアのM大へ留学し、そのあとM物産に入社しました。)

 まあ、自分としては、オリンピック選手まではいかないにしても、国体選手のような活躍をした
時代だったと思います。

 が、何しろ、法学を選んだのが、まちがいでした。私は、子どものころから大工になりたかっ
た。大学にしても、工学部の建築学科に進みたかった。そういう男が、法学ですから、役割混
乱もいいところです。もうメチャメチャでした。

 ですからSEさんのメールを読みながら、私はそういう意味では、器用な男でしたから、(1)の
タイプかもしれませんが、こと法学に関しては、自分で考えるという姿勢は、まったくなかったと
思います。

 私にとっては、法学というのは、方程式のようなもので、無数の定義をくっつけながら、結論
(解)を出していく……。それが私にとっての法学だったような気がします。(ご存知のように、勝
手な解釈をすること自体、法学の世界では許されませんから……。)

テレビ番組の「行列のできる法律相談所」を見ながら、今になって、「結構、おもしろい世界だっ
たんだなあ」と感心しているほどです。)

 ただSEさんが、ご指摘のように、対話形式の講義というのは、英米法の講義では、ふつうだ
ったように思います。教授が、あれこれと質問をしてきます。質問の嵐です。よく覚えているの
は、こんな質問があったことです。

 「カトリック教会の牧師たちは、小便のあと、3度までは、アレ(Dick)を振ってもよいそうだ
が、4度はダメだという。それについて、君は、どう思うか」とか、など。

 そういうところから(教条)→(ルール)→(法)へと、学生を誘導していくのですね。ハハハと笑
っている間に、講義だけはどんどんと進んでいく。

 また日本の法学の講義とはちがうなと感じたのは、それぞれの教授が、ほとんど、法学の話
などしなかったこと。(私の英語力にも限界がありましたが……。)「貧困」だとか、「公害」とか、
そんな話ばかりしていたような気がします。

 日本の短期出張(=単身赴任)が、話題になったこともあります。つまり基礎法学は、自分で
勉強しろという姿勢なのですね。学生たちは、カレッジへもどり、そこで先輩たちから講義を受
けていました。

 自分のことばかり書いてすみません。何かの参考になればと思い、書きました。

 以上のことを考えていくと、結局は、結論は、またもとにもどってしまいます。T先生は、つぎ
のように書いています。

「日本のようにこれ以上は教えなくていいなど、文部科学省の余計な規制が、なぜ必要なのだ
ろうか。今はもう横並びの時代ではない。現場の先生は厚い教科書の全部を教えることはもち
ろんない。場合によってはここを読んでおけ、でもいい。生徒のレベルに応じて先生が好きなよ
うに教えればいいのである。その方が生徒も先生も個性を生かせてもっともっと元気が出る
し、化石化してしまった現在の化学が生き返る」と。

 つまりは教育の自由化、ですね。子どもたちがおとなになるためのコースを、複線化、複々線
化する。ドイツやイタリアでしていることが、どうして、この日本では、できないのでしょうか。

このがんじがらめになったクサリを解かないかぎり、SEさんの問題も含めて、日本の教育に
は、明日はないということではないでしょうか。

 返事になったような、ならないような、おかしな返事になってしまいましたが、どうか、お許しく
ださい。

 今日はワイフが風邪気味で、ひとりで5キロ散歩+自転車で7キロを走りました。そのあと、
昼寝。夕方になって、頭が少しさえてきました。頭のコンディションを保つだけでも、たいへんで
す。ますます使い物にならなくなってきたような感じです。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb 08++++++++++はやし浩司

●行列のできる法律S談所

+++++++++++++++++++

ただし一言。

法律は、あくまでも紛争解決の手段として
用いられるもの。

「はじめに法律ありき……」という
発想は、そもそも、法の精神に反する。
よい例が、あの『行列のできる法律S所』
というテレビ番組。

で、改めて、考えてみる。

法律が先か、それとも法律はあとか、と。

法律が先に立つ世界は、まさに闇。

『行列のできる法律S談所』という
番組には、そんな基本的な認識すら
ないのでは?

+++++++++++++++++++

 ときどき、『行列のできる法律S談所』という番組を見る。が、あの番組を見るたびに、「?」と
思ってしまう。法律の基本そのものが、わかっていない(?)。

 昨夜(3・5)の番組では、こんなテーマが取りあげられていた。

 結婚前は美しい女性だった。が、結婚後、ガラリと妻の様子が変わった。化粧はせず、だらし
ない生活。夫の返事にも、おならで答えるという。しかも新婚1月後で、である。こういう妻のば
あい、離婚はできるかどうか、と。

 いつもの番組である。で、弁護士たちが、「できる」「できない」と議論する。たしか4人の弁護
士のうち、3人は「できない」。1人は「できる」ではなかったか。

 が、この発想そのものが、基本的な部分でまちがっている。私も元、法科の学生。その立場
で、一言、意見を書いてみたい。

 法律があるから、それに人は従うのではない。とくに民法は、そうである。何かの紛争が起き
たとき、その紛争を解決手段として、法律がある。「はじめに法律ありき」という姿勢は、本来の
法の精神に反する。仮に法律に反していても、たがいにそれで納得し、満足しているなら、法
の出る幕はない。

 しかしあの番組では、いつも先に、法律ありき……という姿勢が目立つ。その影響だろうが、
私の教室でも、私が何かをするたびに、「慰謝料請求するぞ」「行列のできる法律S談所に訴え
てやる」と言う子どもがふえてきた。

 たとえばその慰謝料にしても、「これこれこういうことをしたから、慰謝料が請求できる」という
のではない。「私は、精神的損害をこうむった。それをつぐなってもらうにはどうしたらいいか」と
考えたあと、法律が登場する。そこではじめて慰謝料を請求するという話が出てくる。

 弁護士の世界のことは知らないが、こんなことは、法学の世界では、常識。どうしてそういうこ
とをきちんと言う学者が、あの番組には、出てこないのか? あの番組を見ていると、かえって
まちがった法律意識を、子どもたちに植えつけてしまうことになりかねないのではないかと心配
する。

 で、夫の会話に、おならで答える妻についてだが、「おならで答えたから、離婚事由になる」
「ならない」という発想そのものが、ナンセンス。もっと基本的な部分はどうなのかというところま
で見て、はじめて、離婚の話になる。民法で定める離婚事由は、つぎのようになっている(民法
770条、法定離婚事由)。

++++++++++++++

夫婦の一方は、左の場合に限り、離婚の訴を提起することができる。

1、配偶者に不貞な行為があったとき。
2、配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3、配偶者の生死が3年以上明かでないとき。
4、配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込がないとき。
5、その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。

2 裁判所は、前項第1号乃至第4号の事由があるときでも、一切の事情を考慮して婚姻の継
続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

+++++++++++++

 つまり(妻のおなら)が、5の「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するか
どうかということ。これについては、たとえば裁判所でも、もろもろの状況を総合的に判断して、
結論を出す。おならだけを見て、判断するということはない。

 で、そのおならで返事をする妻についてだが、すでに夫婦関係が冷え切ってしまっているとい
うことが考えられる。その冷え切った理由が、妻側にあるとするなら、離婚は可能であろう。お
ならは、その一部にすぎない。

 が、冷え切った理由が、妻側に存在しないときは、どうか? 妻にしてみれば、ごくふつうの
人間として、ふつうの生活をしているつもりかもしれない。化粧をしないということでも、それ自
体は、何でもないこと。夫は、そのふつうの様子が理解できないだけということになる。で、この
ばあいは、離婚事由にはならない。むしろ夫のわがままということになる。

 どちらにせよ、ことの細部をとりあげて、「これは離婚できる」「これは離婚できない」と論ずる
のは、先にも書いたように、ナンセンス。こんな形で法が運用されたら、それこそ、この世界
は、闇。めちゃめちゃになってしまう。弁護士にもなった人たちだから、そんなことは、百も承知
のはずと、私は思うのだが……。

 ただ刑法のほうは、そうとばかり言えない面がある。しかし刑法においても、法は、あとに来
るべきではないのか?

 たとえばこんな事例で考えてみよう。

 一旦停止の4つ角がある。その角の少し入ったところで、2人の婦警たちが、ミニパトカーを
止めて、見張っている。そして一旦停止しないで、4つ角に進入してきた車のドライバーに対し
て、つぎつぎと違反キップを渡している。

 よく見かけるシーンである。

 このばあいでも、婦警たちは、まず法律ありきという姿勢で、違反者を見張っているのがわか
る。もし本当に、交通ルールをドライバーに守らせようとするなら、運転者がその前にわかるよ
うに、一旦停止線のところに立って、見張るべきである。

 では、なぜ、一旦停止で車は止まらなければならないのか。それはルールというより、ドライ
バー自身の安全のためである。相手の車に、迷惑をかけないためである。ルールは、それを
裏から、補強する。一旦停止の線が描いてなくても、一旦停止が必要と感ずれば、ドライバー
は、そこで一旦停止する。一旦停止の線がないからといって、本線に一旦停止しないで、飛び
出してよいというものではない。

で、仮にそのあたりで、何かの交通事故があったときはじめて、法律が登場する。「あなたは一
旦停止すべきだったのに、一旦停止しなかった。一旦停止して、左右の安全の確認をすべき
だった。が、それをしなかった。つまりあなたのほうに過失がある」と。

 ふつうの人が、ふつうの生活をしていれば、また、それができれば、本来、法などというもの
は、必要ないのである。仮に、法(民法)に反していても、それで当事者たちが、納得していれ
ば、これまた法などというものは、必要ないのである。

「配偶者の生死が3年以上明かでないとき、離婚事由になる」という項目についても、「3年たっ
たら、だれしも離婚すべき」というのではない。中には、夫の帰りを待ちながら、10年でも、20
年でも、妻のまま待っている人だっているはず。本来、ユートピアというときの理想世界では、
そういう世界をいう。

 しかしそこで何か紛争が起きる。争いが起きる。そのときはじめて、法が前に出てくる。それ
が法なのである。

 はじめに法ありきという発想が、どういうものか、これで理解してもらえただろうか。……という
ことで、あの番組には、私は以前から、少し疑問に思うところがあった。あなたも、一度、そうい
う視点から、あの番組を見てみるとよい。

【補足】

 法的正義とは何かといえば、それは人間が本来的にもつ良識をいう。良識ある人が、良識あ
る行動をしていれば、本来、法など、いらない。不要。が、人間の世界には、良識ある人ばかり
ではない。ときとして、その良識ある人が、何かのトラブルに巻き込まれることがある。そのと
き、その良識ある人を守るために、法が、前に出てくる。それが法律である。

(悪人を守るためにあるのではないぞ!)

 「〜〜したら、離婚できる」「〜〜したから、慰謝料が請求できる」というように、教条的に法を
運用するのは、本来の法のあり方ではない。「良識ある妻が、夫と別れられなくて困っていま
す。どうしたらいいでしょう」「良識ある人が、ひどいめにあって苦しんでいます。どうしたらいい
でしょう」という問題が提起されたとき、法的正義が発揮される。法律が前に出てくる。

 法は、決して、悪人の味方をしてはいけない。そういう意味でも、法律を、教条的に解釈する
のは、たいへん危険なことでもある。

 繰りかえすが、ああいう番組を見て、子どもたちが、法律というのはこういうものだと、まちが
った先入観をもつのは、たいへん危険なことである。「法に触れなければ、何をしてもよい」とい
うふうに、法を解釈するようになるかもしれない。あるいは法の抜け道をさがすようになるかも
しれない。もし法律が、そういう形で利用されるようになったら、この世の中は、どうなる。小ズ
ルイ悪人ばかりの世界になってしまう。それを、私は、「闇」という。
(はやし浩司 離婚 離婚事由 離婚論 法的正義)

●良識ある善人を守るための法律が、良識ある善人を苦しめるための道具として機能すると
き、その世界は、闇となる。(はやし浩司)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 裁判員制度 陪審員制度 法 
法とは 法律とは)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2433)

●今朝・あれこれ(2月9日)

Now my friends are in Tokyo, whete it is snowing according to the weather report of today. 
They must have been very happy with snow, since in Australia they seldom have snow-falls.

++++++++++++++++

今、オーストラリアの友人たちは、
東京にいる。

天気図を見ると、現在、東京は雪。
今ごろは、「雪だ!」「雪だ!」と
はしゃいでいるにちがいない。

オーストラリアでは、雪は、めったに降らない。

「スキーをしている」などと言うだけで、
金持ちと見られる。

++++++++++++++++

●救急車

 昨日、センターから連絡があった。母の様子がおかしいという。あわててワイフと行ってみる
と、私が見たところ、とくに変わったところはない。ヘルパーさんの話では、昨日の朝、ベッドか
ら起きあがれなかったという。

 で、午後1時に救急車に来てもらい、そのままE病院へ。検査は、半時間ほどですんだ。「ど
こも悪くありませんから、お帰りください」ということだった。薬も、もらえなかった。

 しかし郷里から回ってきた、ケアマネ(ケア・マネージャー)の報告書を見ると、母は、脳梗塞
を経験し、アルツハイマー病にかかっていることになっている。が、昨日の検査では、脳梗塞を
起こしたあとはないとのこと。もちとんアルツハイマー病でもない。だれかが、どこかで、いいか
げんな報告をしたためらしい。

 だれだ、こんないいかげんな診断名を、口にしたヤツは!

 そうそう私の母は、若いときから、みなの同情を買うために、わざと弱々しく演じて見せること
があった。今は、それがますますはげしくなってきたようだ。


●日本の家

 本来、日本の家は、夏を主体として考えられている。徒然草(吉田兼好)の中にも、そういう
一節がある。「住まいは夏を旨とすべし」と。

 だから冬の寒さに弱い。少なくとも、今までの家は、そうだった。

 しかしここ20年、日本の家は、大きく様がわりした。ふつうの家屋でも、マンション風の家が
多くなった。窓が小さくなり、その分だけ、密閉性が高くなった。エアコンの普及が、それに拍車
をかけた。

 しかし私は、個人的には、ガサガサの家のほうが好き。どこからともなく、すきま風がスース
ーと入り込んでくるような家のほうが、落ち着く。夏などは、そういう家のほうがよい。

 一方、そういう家は、冬には向かない。そこで日本人は、暖房にはいろいろ気をつかった。コ
タツもそのひとつ。

 で、そのコタツだが、今では、コタツのない家も多いとか。子どもたちに聞いても、コタツのあ
る家は、10軒に2、3軒程度。ときどき「うちには掘りゴタツがある」と言う子どももいるが、それ
は例外。

 私は、コタツが大好き。最初に建てた家でも、最初に注文をつけたのが、その掘りゴタツだっ
た。今も、自分での書斎では、掘りゴタツを使っている。

 ところで、そのコタツだが、外国人には、たいへん評判がよい。アメリカ人のS君などは、日本
へ来たとき、コタツ一式を買って、アメリカへもって帰っていった。よほど気に入ったらしい。

ここにも書いたように、今ではコタツを知らない子どももふえている。少しさみしい気がするが、
これも時代の流れか?


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2434)

●心気症

++++++++++++++++++

ささいな病気を、ことさら大げさに
考えて、心配する。不安になる。

「もしや……?!」と思って、悩む。

そういうのを「心気症」という。

何を隠そう、私がその心気症なのだア!

++++++++++++++++++

 病気でもないのに、自分の心身のささいな変調にこだわり、苦痛を訴える症状を、心気症と
いう(「心理学用語辞典」・かんき出版)。

 つまりささいな病状を、ことさら大げさに考えて、あたふたと心配する。「もしや……!?」と思
うこともある。つまり「がんではないか?」と。そういう症状を、心気症という。

 「心気症」という用語があるほどだから、かなり一般的な症状と考えてよい。不安神経症、あ
るいは強迫神経症の仲間と考えてよい。とくに病気と結びついた不安神経症、あるいは強迫神
経症を、「心気症」という。

 程度の差もあるのだろうが、何を隠そう、私が、その心気症なのだ。実は、数日前もあった!

 夜中に目が覚めると、のどが乾いたようになって、痛い。が、よく観察してみると、右側の奥
歯が痛い。ズーンとした痛み。その痛みが、のどから、上の歯のほうまで、響く。

 その奥歯は、治療して、金冠がかぶせてあるはず。指を口の中に入れて、その歯をさわって
みる。が、さわった感じでは、どうということはない。もっと奥のほうから痛みが骨のほうに伝わ
っている。そんな感じがする。

 「風邪で、歯が痛むというようなことはあるだろうか?」と、最初は、そう考えた。しかしそんな
ことはありえない。

 夜、ふとんの中で、暗い天井を見あげながら、いろいろ考える。考えては、それを打ち消す。
「しかし……。もしや……?」と。

 数年前に、脳腫瘍で死んだ、友人のことを思い浮かべる。その彼は、こう言っていた。私が、
「ぼくも、よく頭痛に悩むよ」と言うと、「林、何を、バカなことを言っているんだ!
あのな、脳腫瘍の痛さは、想像もつかん痛さだよ」と。

 どんな痛さだろうと考えながら、口の中から伝わってくる痛さに、静かに耐える。眠れないほど
の痛さということでもないが、しかし安眠できるような状態でもない。

 「しかし、初期症状というのもあるだろう。初期症状のときは、それほど、痛くないのかもしれ
ない。だんだんと痛くなって、やがて耐えきれなくなる……」「このまま、痛みがどんどんひどくな
ったら、どうしよう?」と。

 横を見ると、ワイフが軽い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思って、じっとそのままにして
いる。10分、20分……。と、そのとき、ワイフの寝息が止まった。モゾモゾと体を動かした。す
かさず、話しかけた。

 「なあ、風邪みたいだよ……」
 「風邪……?」
 「なあ、歯が痛いよ……」
 「薬をのんだら……?」
 「うん……」と。 

 私は起きあがって、台所へ行くと、バナナとジュースをお湯に溶かしたものをもってきた。枕
元にはいつも、薬が一式、置いてある。湿布薬に頭痛薬、睡眠薬に精神安定剤、そのほかも
ろもろの漢方薬にハーブなどなど。もちろん風邪薬も置いてある。

 「どれにしようか?」
 「風邪薬にしたら?」
 「でも、歯が痛い……」
 「だったら、バッファリンがいいんじゃない?」
 「うん、……ノーシンではだめだろうか?」
 「じゃあ、それにしたら」
 「うん」と。

 私はバナナを食べながら、ジュースを飲んだ。時計を見ると、午前4時を少し回ったところ。
時計を見ながら、粉薬を口に入れた。

 「なあ、がんじゃないだろうか?」
 「どうしてがんなの?」
 「骨の奥が痛い……」
 「どんなふうに?」
 「ズーン、ズーンと痛い」
 「きっと虫歯よ」
 「だって、ちゃんと治療したところだよ」
 「金冠の中で、虫歯になることだってあるわよ」
 「そうかなあ……?」と。

 この世界には、骨まで腐るという、恐ろしいがんもあるそうだ。詳しい病名は知らないが、昔、
そんな病気になった女性の映画を見たことがある。私はそれかもしれないと思った。思いなが
ら、「ああ、これでぼくも死ぬ……」と思った。

 「このまま死んだら、どうしよう?」
 「死なないわよ」
 「どうして?」
 「バカねえ、虫歯で死んだ人の話なんか、聞いたことないわよ」
 「虫歯かねえ……?」
 「虫歯よ。ハーッて息を吐いてみたら」
 (ハーッ)
 「……おかしいわね、虫歯臭くないわよ」
 「だろ、虫歯じゃあ、ないよ」と。

 不安で、心臓がドキドキするのがわかった。いやな気分だ。ただほかに風邪の症状もあった
ので、それに希望をつないだ。「風邪だ、風邪だ。これは風邪による症状だ」と。しかし風邪で
歯が痛くなったという話は、聞いたことがない。そう考えたとたん、また不安になった。

 で、その朝は結局、そのまま起きた。ふだんならそのまま書斎に入って原稿を書くのだが、そ
んな気は起きなかった。「まだ、やりたいことはあるのに……」「まだ、58歳じゃ、ないか」「がん
とわかっても、ぼくは治療しない。そのままオーストラリアへ行く」などと、あれこれ考える。

 が、しばらく体を起こしていると、痛みがやわらいできた。薬がきいてきた。

 こういうとき、私のような心気症の人間は、頭の中で、2人の人間が戦うような状態になる。ボ
クシングで言えば、デス・マッチのようなもの。どちらか一方が死ぬまで、戦う。

 「風邪だ、虫歯だ! お前は、バカだ。いつもの取り越し苦労だ!」
 「何だと! 油断していると、命取りになるぞ。これはがんだ。がんの初期症状だ!」
 「前にも、似たような痛みがあったではないか。虫歯の治療のときを思い出してみろ!」
 「あったかもしれないが、その歯は、たしか神経を抜いているはず」と。

 「何でもない!」という私。「がんだ」という私。そういう2人の私が交互に現れては、消える。お
まけにのども、痛い。のどの奥に痰がからんでいる感じ。何度も、うがいを繰りかえす。

 これは生への執着によるものか、それとも死がもたらす絶望感との戦いによるものなのか。
……わけがわからない状態で、朝を迎え、その日が始まった。

 「どう、具合は?」と、のんきな様子で、ワイフが起きてきた。「起きたら、痛みが収まってき
た」と私。「でしょ、心配ないわよ」とワイフ。

 そのときになって、恐る恐る、手鏡をもってきて、口の中をのぞく。「もし、大きな病変でもあっ
たら……」と、不安になる。心臓の鼓動が高まる。が、押しても引いても、歯はビクとも動かな
い。(動くはずもないが……。)とくに変わった様子もない。

 歯間ブラシを歯と歯の間に入れてみる。「がんなら、出血があるはずだ」と。以前、どこかの
病院で、ドクターがそう言っていたのを思い出していた。「がんだとね、組織が破壊されますか
ら、出血があるはずです」と。

 しかし出血はなかった、が、よく見ると、金冠の下、つまり歯ぐきと、金冠の間のすき間に、小
さな薄茶色の穴が見えるではないか! 虫歯! そうだ、虫歯! 歯の側面から、虫歯になっ
ていた!

 とたん、安堵感で、胸のつまりが消えた。「ナーンダ、虫歯だア!!」と。

 「虫歯だよ、これは!」
 「でしょ、だったら、歯医者へ行ってきたら?」
 「うん、そうだな。風邪の様子をみてから行くよ」
 「そうね」と。

 で、その日は、歯医者へ行かなかった。昨日も、行かなかった。で、そのまま今日になった。
時計は、午前8時、少し前。あれからも、ずっと、ズーン、ズーンとした痛みが、ときおり、つづ
いている。これから行きつけの歯医者に電話をして、そこへ行くつもり。

 しかし心気症というのは、いやなもの。いつも早合点と、取り越し苦労。この繰りかえし。とき
どきこう思う。「死神よ、そんなにぼくをいじめるなら、さっさと殺しに来い!」と。

 が、ひとつだけ、変化がある。若いころとくらべると、「死」への恐怖感が、変わってきたという
こと。若いころは、一度心気症になると、居ても立ってもおられなかったが、つまりそのままあ
わてて病院へ駆けこんだものだが、今は、ちがう。

 「勝手にしろ」という、どこか投げやりな気持ちも生まれてきた。「まあ、今まで健康に生きてこ
られたのだから、文句はないだろう」と、自分をなぐさめる気持ちも生まれてきた。多少、「死」
への覚悟もできてきたということか。

 そして今。私は、改めて健康で生きている自分が、うれしい。「今日こそは、悔いのない人生
を、思う存分生きてみる」と、そんな思いさえわいてくる。心気症というのは、悪いばかりではな
いようだ。
(はやし浩司 心気症 不安神経症 強迫神経症)

【追記】

 やはり虫歯だった。金冠の中の詰め物が、欠けていたという。そこから虫歯が進んだらしい。

 で、その治療中、正確には、麻酔をかけられ、歯科助手の若い女性が、歯の間の歯石を取
ってくれている間、不思議な経験をした。

 それはうっとりとするほど、気持ちのよいひとときだった。カリコリ、カリコリと、歯石を削る音
がする。そのたびに、その女性の胸が、頭に触れる。強いライトが、春の陽気を思わせる。縁
側で日なたぼっこをしているような気分にさせる。

 そのときだ。私の目の中に、女性の性器が、超リアルに浮かんできた。最初は、まぶたの模
様が、強いライトで、そう見えたのかと思った。しかしそのうち、それがより鮮明になってきた。
たしかに女性の性器だった。何度も確かめたが、女性の性器だった。

 いつものような卑猥(ひわい)感は、まったく、なかった。もちろん美しいとか、美しくないとか、
そういう感じもなかった。ただどういうわけか、女性の性器が、至近距離で、超リアルに見えて
きた。どうリアルだったかということについては、ここには書けないが、ともかくも、リアルだっ
た。

 あるいはひょっとしたら、胎児のころの記憶が、麻酔の作用で、呼び起こされたのかもしれな
い。……しかし、胎児はまだ目が見えないはず。

 麻酔のせいだろうか? それとも私に頭にときおり触れる女性の胸のせいだろうか? それ
とも強いライトのせいだろうか? 私は、半分、夢を見ていたのかもしれない。ともかくも、それ
は不思議な経験だった。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「きっと麻酔のせいよ」と言った。そしてこう言っ
た。「あなた、そんなことマガジンに書いてはだめよ」と。

 「しかしね、これは不思議な経験だ。だれかが書きとめておかないといけない。きっと、同じよ
うな経験をしている人は、多いはずだよ」
 「でも、へんね。どうしてそんなものが見えたのかしら?」
 「女性だとね、きっと、ペニスか何か、そんなものが見えてくるのかもしれないね」
 「そんなこと、ないわよ。絶対に!」と。

 春は近い。そのあと家に帰ると、強い睡魔に襲われた。それはまちがいなく、かけられた麻
酔のせいだと思う。コタツに入ると、そのままウトウトと眠ってしまった。

【補記】

●強迫神経症(こだわり)

 何かのことで不安になると、その不安が、ペッタリと頭にくついてしまう。そしてその不安を消
すために、(そんなことでは決して消せないのだが)、何か儀式的な行為を何度も何度も繰りか
えすようになる。

 子どものよく見られる、手洗いぐせ(潔癖症)も、そのひとつ。「手にばい菌がついた」「手のば
い菌が、取れない」などと言って、手を洗ってばかりいる。トイレから帰ってきた父親に対して、
「パパは、きたないからさわらないで!」と泣き叫んだ子ども(年長女児)もいた。その子ども
は、手の皮膚が破れるほどまでに、暇さえあれば、繰りかえし、石鹸をつけて手を洗っていた。

 こうした症状を、強迫神経症という。心理学の本などによると、不安神経症のひとつに位置づ
けられている。大きなちがいは、何かの儀式的行為をともなうこと。宗教の世界でも、同じよう
なことを経験する。

 ある女性は、毎日3〜5時間、仏壇の前に座って、念仏を唱えていた。また別の女性は、同じ
ように、目をさましているときは、手に数珠を握って、それを指先でクルクルと、何やら呪文の
ようなものを唱えながら、回していた。そうすることによって、不安を紛らわしているというより
は、そういう行為そのものが、やめられないといったふうであった。念仏を唱えていた女性は、
「やめると、バチがあたって、地獄へ落ちる」と本気で信じていた。

 こうした症状を示す子どもの特徴としては、何かのものやことに対して、(こだわり)をもつこ
と。その(こだわり)の内容は、そのときどきによって、変化することもある。母親が、ベッドの位
置をほんの少し動かしただけで、「精神状態がおかしくなってしまった」(母親談)子ども(中学
男子)もいた。

 この先のことはよくわからないが、今では、(こだわり)を和らげるための、新しい薬も開発さ
れているとのこと。症状があまりひどいようであれば、一度、心療内科か精神科のドクターに相
談してみるとよい。
(はやし浩司 手洗い癖 潔癖症 強迫神経症 不安神経症 こだわり はやし浩司 子供の
こだわり)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2435)

●今朝・あれこれ(2月11日)

●死亡率64%(The Death Rate is 64%!)

A Department of Health announced that two high cause of a disease bird influenza (H5N1) 
infection people were confirmed newly for four days. According to WHO, as for the total of 
the infection person, the number of dead persons was 229 people 359 people.(Feb. 5th 
2008). This means 64 % of people die from bird influenza.

++++++++++++++++++

弱気と強気の交錯する中、
昨日は、ワイフと2人で、浜松市内を散策した。

市内から、浜松城へ、美術館を回り、そのあと
鴨江神社へ。

観光用のビデオを収録した。

「家の中で、悶々としていると、心が腐る」ということで、
そうした。

このところ、弱気と強気が、交互に心の中にやってくる。

「もう、だめかな?」という弱気。
「人生、これからだ!」という強気。

「とにかく、生きているんだから」とワイフは言う。
「元気で、生きているんだから、感謝しなくちゃア」とも。

一方、「そこまで自分を落とさなければならないのか」という私の思い。
「生きているだけでいい」という思いで、生きるのも、つらい。

途中、浜松城公園のベンチに座って、弁当を食べた。
寒さもゆるみ、どこか春めいた風。
気持ちよかった。楽しかった。

で、家に帰ると、足が痛かった。
たっぷり、7キロは歩いた。
歩数にすれば、1万歩以上。

夜は、ワイフと、ゴア元副大統領が制作したという、
『不都合な真実 (an inconvenient truth) 』というDVDを見た。
地球温暖化の問題は、ますます深刻化している。
いろいろ考えさせられた。

ところで、こんな恐ろしい話も伝わってきている。

中国で鳥インフルエンザ(高病原性鳥インフルエンザ)が流行するのは、
もはや時間の問題ということらしい。

仮に日本で1人の患者が発生すると、1週間後には、
数千万人の人が罹患するという。
死亡率は、2%以上。日本だけでも、100万人単位の
人が、それで死ぬかもしれないという。

WHOの報告(08年2月5日)によれば、
全世界で、すでに359人が感染し、229人が
死亡しているという。

WHOの、この数字で見るかぎり、死亡率は、ナント、64%
ということになる。

(64%だぞ!)

初期症状について、「ヤフー・ヘルスケア」には、つぎのようにある。

『……従来のインフルエンザと同様に、突然の高熱、悪寒、筋肉痛や関節痛がみられます。こ
のほかに、咳や息切れといった呼吸器症状や、下痢などの消化器症状がみられます。これ
は、従来のインフルエンザウイルスが鼻やのどなどのいわゆる上気道に感染しやすいのに比
べ、鳥インフルエンザウイルスは、上気道のみならず気管支や肺などのいわゆる下気道に至
る呼吸器全般にのみならず、小腸などの消化器に至る広い範囲に感染するためとされていま
す。

このようにヒトの体の至るところに感染が起こった結果、過剰に起こった炎症反応が、ウイルス
のみならず肺などの自分の臓器までも障害することにより、呼吸不全をきたし、時に死に至る
と考えられています。

鳥インフルエンザは1997年香港にて集団発生があり、その後2004年頃から再び世界中で散発
的な発生が確認されていますが、その臨床症状は年次を追うことに激烈となり、とくに呼吸障
害の発生率は高まっています。このことから、鳥インフルエンザウイルスの変異に伴う病原性
は次第に高まり、感染時の症状も激烈なものになっていることが考えられます』と。

また農林水産省は、つぎのような報告書を出している。

『……保健省は(2月)4日、新たに2人の高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)感染者を確認し
たと発表した。うち、バンテン州出身の29歳の女性はすでに死亡している。感染者の累計は
126人、死者数は103人となった。

一方、先月29日にH5N1で死亡した男性(32)の遺族は4日、入院していた2病院を告訴した。
訴えによると、男性が24日に入院した同州タンゲランのバクティ・アシ・タンゲラン病院ではデン
グ熱と誤診された上、デング熱治療に必要な輸血も受けられなかった。また、26日に転院した
東ジャカルタのプルサハバタン病院では、手術の同意を求められなかったにもかかわらず、遺
体には胸や腹部に切開のあとがあるという』と。

 日本のどこかで鳥インフルエンザの患者が発生したら、即、臨戦態勢。

(1)マスク、手洗い、手の消毒(エタノール消毒)は、かならず、励行。
(2)食料品を、ある程度買いだめをしておく。
(3)外出をひかえ、人との接触を少なくする。

 弱気な私だが、まだまだ死にたくない。やりたいことは、山のようにある。
(08年2月11日記)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2436)

●底なしのサブプライム・ローン問題
The sub-prime loan problem is becoming serious without the bottom. 

++++++++++++++++

さらに底なしの様相を見せ始めている、
アメリカのサブプライム・ローン問題。
金額を言われてもピンとこないが、金融機関
や証券業界がかかえる損失は、株価の暴落
という副次的被害も含めて、当初の予想の
10倍以上とも言われている※。

日本円にして、1000兆円以上(某
経済誌)。

日本の国家予算が、50〜60兆円の幅だから、
その額は、まさに天文学的数字。

「当初から日本の比ではない……」とは、
思っていた。そのことは、アメリカの大都市の
郊外を散歩してみれば、わかる。

日本でいう、大邸宅が、当たり前のように
並んでいる。そしてそれほどたいした仕事を
していない人たちまで、日本では考えられ
ないほど、リッチな生活を楽しんでいる。

土地や住宅価格が上昇しつづけている間は、
そうした生活の可能だったかもしれない。
しかしひとたび、下落に転じたとたん、
この始末。

銀行は、サブプライム・ローンを債権化して
証券業界や金融機関に売りつけた。その債権に
世界中の証券業界や金融機関が、高金利につら
れて、群がった。

が、今や、その債権は、10分の1の値段でも
買い手がつかないという(同誌)。

今朝のニュースによれば、またまたアメリカの
株価は、100ドル近くも値をさげたという
(2月11日)。

アメリカ発の大激震は、この日本の土台まで
揺るがしている。「だいじょうぶか、日本?」と
書きたいが、本当は、「いつまでもちかたえる
ことができるか?」というところかもしれない。

(注※)
08年2月、アメリカの投資情報会社・スタンダード&プアーズ社の統計によると、今年1月世界
各国の証券市場の株価は下落、時価総額は合計で5兆2000億ドル(559兆円)減少したとい
う。

++++++++++++++++++

●高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)
The death rate is 64%~82%. H5N1 has been spreading out without doubt.

昨日も書いたが、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)
が、じわじわと、不気味な広がりを見せつつある。
年を追うごとに、「臨床症状は激烈となり」(ヤフー・
ヘルスケア)とある。

WHOの報告では、死亡率は、64%。
(359人が感染、229人が死亡。)

日本の保健省の報告によれば、126人が
感染し、死亡者は、103人とか(2月4日)。

保健省の数字で計算すると、死亡率は、
82%ということになる。

82%といえば、がんによる死亡率を
はるかに超える。

しかしこの不気味な静けさは、いったい、
何なのか?

だれもがそこにある脅威を肌で感じつつ、
だれも、何ごともないかのような顔をして、
生活している。

が、ここで待ったア!

仮にこの日本で1人の感染者が出たとすると、
その感染者の潜伏期間のうちだけで、すでに
数万人から数10万人の人に、H5N1は
広がっているとみる。

そしてそれらの人がH5N1を発症するころ
には、さらにその数万倍の人たちにH5N1が
広がっていることになる。

感染力は、従来のインフルエンザどころでは
ない。

だからこの日本で感染者が出てから対策を
考えても遅い。

ただ今のところ、「家禽(かきん)と、濃密な
接触のあった人だけが感染している」という
ことだから、それほどあわてる必要はない
かもしれない。

しかしそれも「時間の問題」とか。
「鳥インフルエンザが、人インフルエンザに
変異するのは、時間の問題」(WHO)と。

こんな恐ろしい病気が流行したら、世界は
どうなるか。経済活動そのものが崩壊する。
医療機関そのものも崩壊するかもしれない。

私たちの健康は、私たち自身が守るしかない。
私も今日から、外出するときは、マスクがけを
励行する。
February 12, 2008

(補注)

こうした問題がつぎからつぎへと起こると、
悲観的な見方から、一気に、自滅的な見方に
拡大する人が出てくるかもしれない。

「世界は、これでもう、おしまい」とか何とか。
あるいは人の不安につけこんで、わけの
わからないことを言う人が出てくるかもしれない。
すでにその種のカルト教団が、動き出している。
「天罰」「神の裁き」とか、何とか。

しかしそれは、まちがっている。

たしかに今、私たちは大きな問題をかかえて
いる。が、どれも解決できない問題ではない。
私たちがやるべきこと、できることは、山の
ようにある。

けっして自暴自棄になってはいけない。
また自暴自棄になっている人に、耳を傾けて
はいけない。

私たちは戦う。その戦うところに、生きる
意味がある!


+++++++++++++++++++

●人獣共通感染症(ズーノーシス)

「人獣共通感染症」というのがある。何もH5N1だけが
人獣共通感染症というわけではない。

ざっと並べてみる。

ニパウィルス
ハンタウィルス
SARSコロナウィルス
西ナイル熱
ラッサ熱
エボラ・マールブルグ・出血熱
出血性大腸菌症
肺ペスト
レプトスピラ病、ほか。

現在1709種類の感染症が確認されているが、
そのうちの約半数が、人獣共通感染症と言われている。

もともとは自然宿主である、特定の獣とだけに共存していた
ウィルスが、地球温暖化や環境の変化により、変異して、
人間を襲うようになったと考えるとわかりやすい。

SARSコロナウィルスもそのひとつだが、今ではあの
ときの騒動を覚えている人は、少ない。

しかしこれで驚いてはいけない。

この自然界には、「生きていて代謝機能を維持しているが、
培養できない状態の菌」(藤田紘一郎・日本の論点08)が、
まだ「いっぱい、いる」という。

「これらの中には、よく知られた病原性大腸菌O157や
コレラ菌」がある、と。

こうした菌が、ひとたび人類を襲い始めたら、人類は
どうなるか。「まさに絶滅の危機に迎えるという」(同氏)。

地球温暖化は、何も、環境だけの問題ではすまないと
いうことらしい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●友、逝(ゆ)く

昨夜遅く、30年来の友が、急逝(きゅうせい)した。
その連絡が、友の妻から、今朝、入った。
「突然でした・・・」と、妻は言った。
「ぼくも覚悟していましたが・・・」と言ったきり、言葉がつづかなかった。

10年ほど前、脳梗塞で倒れ、それ以来は、ずっとリハビリをつづけていた。
つい先週、施設から病院へ移ったという。
そんな連絡を受けたばかりだった。

その友との思い出が、走馬灯のように、頭の中を横切る。

手紙を出すたびに、かならず返事をくれた。
脳梗塞をしてからというもの、文字は乱れ、傾いたままだった。
読みづらい文字だった。

で、たまたま遊びに行ったときのこと。
偶然、道端で、その友に会った。
「どこへ行くの?」と声をかけると、「ちょうど、あなたのところに手紙を出すところです」と。

私は、友の体を支えて、ポストまでいっしょに歩いた。
「ここで手紙を渡してもいいのですが、切手を張ってしまいましたから」「ポストへ入れます」と。
私と友は、大声で笑った。

今夜は、通夜。
葬儀は明日。

ポーランドのボランスキー博士という人物に傾注し、その学者の本を何冊も翻訳している。
ポーランドで、厚生大臣を務めたこともあると聞いている。
私はそのボランスキー博士に2度ほど、会ったことがある。
その友が紹介してくれた。

・・・などなど。こうして私のまわりから、また大切な人が、1人、消えた。

今は、さみしいというより、まだその事実を受け入れられないでいる。

おかしなことに、ほんとうに、おかしなことに、目の前の時計だけは、相変わらず、カチカチと音
をたてて回っている。空は青く、空気は澄んでいる。

こういう現実を、どう理解したらよいのか。

2008年2月11日


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●逝った人

逝(い)った人は、静かだ。
ほんとうに静かだ。
まるで何ごともなかったかのように、この世を去っていく。
そして時だけは、何ごともなかったかのように、過ぎていく。

だれのことでもない。
それは私のこと。
あなたのこと。

いつか私やあなたも、この世界を去る。
しかしこの世界は、何も変わらない。
そしてそのときから、時だけは、何ごともなかったかのように、過ぎていく。

その不思議さ。
その深淵さ。

逝った人は、ほんとうに静かだ。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●グレグ・ケッツ

実は、もう一人、昔の友が逝った。

オーストラリアの別の友人から、連絡が入った。
名前を、グレグ・ケッツという。
マッド・レンガ(泥レンガ)の研究者で、
その世界では、よく知られた人物である。
何冊か、本も書きのこしている。

「ケッツ」というのは、聞きなれない名前だが、
お父さんが、中国人だったからだそうだ。

「2年前に死んだ」と、その友人は言った。

「若すぎるのに(So young?)」と言うと、
「そうだ(Yes)」と。

グレグの思い出というより、グレグのガールフレンドのほうが
印象に強く、残っている。

かなりはげしい気性の女性で、何か気に食わないことがあると、
ギャーギャーと騒いだ。怒ったり、泣きわめいたりした。

そんなガールフレンドをグレグはもてあましていたが、
別れることもしなかった。

そのあとその女性と結婚したかどうかは、知らない。

グレグの話をしながら、頭の中ではあのガールフレンドの
ことを思い浮かべていた。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●生きている人

いくつか悲しみが重なった。
そんな思いで、子どもたちに会うと、
子どもたちは、いつもの子どもたち。

明るく、屈託がない。
ワイワイと、いつものように騒いでいる。
そこはまったくの別世界。
生きる力が、満ちあふれている。

その落差。
信じられないほどの落差。
その落差は、どうすれば、心の中で
埋めることができるのか。

「この子たちも、いつかは死ぬのか?」と
思ったところで、思考が止まってしまった。

こちらはこちらの世界。
あちらはあちらの世界。

そう割り切ることの、残酷さ。
ニヒリズム。

死んでいく人は、ほんとうに静かだ。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2437)

●友の死を悼む

My friend over 30 years has passed away and I had an honor to say good-bye to him in his 
funeral party. I could hardly say words with too much tears but I did.

++++++++++++

30年来の友が逝った。
弔辞を読ませてもらった。
あふれ出る涙を、必死で
こらえながら、そして
声をふりしぼりながら、
私は、弔辞を読んだ。

涙を出すつもりはなかった。
しかし友の遺影と対峙したとき、
万感の思いが、のどを詰まらせた。
私は原稿を下にたらした。
そして私の心の中にあるもの
を、遺影だけを見つめながら、
友に語った。

私はあふれ出る涙を、どうする
こともできなかった。

2008年2月12日

++++++++++++

弔辞

○○大先生へ

時の流れは、風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、そしてまたどこかへと去っていく。
「時よ、止まれ」と何度、その風をつかんでも、
その風は、指の間をすりぬけて、またどこかへ行ってしまう。

○○先生、あなたは、今、その風に乗って、天上界へ行かれたのですね。
古来より、善き人は、金の橋を渡って、天上界へ行くと言われています。
先生は、今ごろは、その金の橋の上から、私たちを、見おろしておられるのですね。
心から、ご冥福を、お祈り申し上げます。

○○先生からいただいた思い出は、数多くあります。
岐阜県M市の平田先生を、共通の師とあおぎ、ときに激論を戦わせたこともありますね。
私の山荘でいっしょに過ごした日々、ポーランドのボランスキー博士を紹介してもらったことな
どなど。

しかしこんなことがありましたね。

ある日私が先生のところへおうかがいしようと、路地を回ったときのこと、
そこで先生を見かけました。
「どこへ?」と声をかけると、「角のポストにハガキを出しにいくところです」と。

見ると、私あてのハガキでした。そこで私が、「ここでいただきましょうか」と言うと、先生は、軽
やかに笑いながら、「切手が張ってありますから」「運動になりますから」と。

私たちはたがいの体を支え合いながら、ハハハ、ハハハと笑いながら、そのまま歩きました
ね。
春の、のどかな一日でした。

この小さなできごとの中に、先生のお人柄、温もり、やさしさ、まじめさ、すべてが集約されてい
るように思います。

身分も立場も、まるでちがうにもかかわらず、先生は私のことを、最後の最後まで、「先生」「先
生」と呼んでくださいました。

ありがとうございました。

こうして先生の弔辞を読ませていただくことを、光栄に思います。
最後になりますが、重ねて先生の、ご冥福をお祈り申し上げます。
先生、長い間、ごくろうさまでした。

どうか、心安らかに、お眠りください。


浜松市
はやし浩司

February 13, 2008


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2438)

【子育て・ワンポイント】(One Point Advices for Young Mothers)

●作文の前に、速書きの練習を

計算力は、算数の力の基礎である。計算力があるからといって、算数の力があるということに
はならない。しかし計算力がないと、算数の力を下へ引っ張ってしまう。同じように、速書きは、
作文力(表現力)の基礎である。速く書くことができるからといって、作文力があるということに
はならない。しかし速く書くことができないと、作文力を発揮できない。小1〜2レベルで、15分
間に、100〜150文字を筆写できるようにするのを目標とする。


●国語力が、学力の基礎

理科は、理科的な国語、社会は、社会的な国語と考える。国語力(読解力、理解力、表現力)
のあるなしは、すべての科目に大きな影響を与える。「本を読む」、つまり読書の重要性は、今
さら説明するまでもない。方法としては、大きな図書館で、子どもを自由に遊ばせてみるとよ
い。それを定期的な習慣にする。


●会話は、正しい日本語で!

「ほら、バス、バス、バスよ」ではなく、「もうすぐ、バスが来ます。あなたは外に立って、バスを待
ちます」と言う。こうした正しい言い方が、子どもの国語力の基礎となる。子どもの国語力は、
親、とくに母親が決める。なおこうした語りかけは、生後直後から始める。赤ちゃん言葉(ウマ
ウマ、ブーブーなど)、幼稚語(ワンワン、ニャーゴなど)は、避ける。


●思考は作文力で

これだけ視覚情報(テレビやゲーム)が多い中、さらにその上、右脳教育をあえてする必要は
ないのではないか。それよりも大切なのは、分析力、論理的な思考力。こうした能力は左脳が
司っていると言われている。その分析力、思考力は、左脳が司る。分析力、思考力を養うに
は、作文が第一。作文に始まって、作文に終わる。ものを書くという習慣を大切に。


●思考と情報を分ける

もの知りだからといって、その子どもに思考力があるということにはならない。かけ算の九九を
ペラペラと口にしたからといって、その子どもに算数の力があるということにはならない。思考と
情報は、いつも分けて考える。思考力のある子どもの目つきは、いつも深く、静かに落ち着い
ている。


●「文化」は、心の体力

その人(子ども)の精神的な深みは、日ごろの文化性で決まる。何かの事件に遭遇したとき、
あわてふためいて、ボロを出す人もいれば、そうでない人もいる。そのためにも、子どもには、
日ごろから、本物を見せておく。絵画でも音楽でも、さらに子どもが読む絵本にしても、本物を
見せておく。そういう日ごろの姿勢が、子どもの中の文化性を高める。それが精神的な深みと
なって、その人(子ども)を側面から支える。


●反面教師のゴーストに注意

あなたの周囲にも、反面教師と呼んでよいような人がいるかもしれない。ひょっとしたら、あな
たの親が、そうであるかもしれない。人は(子どもも)、反面教師を教師として、自分を高めるこ
とができるが、対処のし方を誤ると、あなた自身が、いつかその反面教師そっくりの人間になる
こともある。これを「ゴースト」という。反面教師がいても、批判のための批判だけに終わっては
いけない。どこかでその人を乗り越える努力を忘れてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2439)

●復刻版(Reprinted Edition of Books)

+++++++++++++++++

日本だけのことかと思っていたら、
世界でも、そうだという。

欧米で、Pブックスと言えば、知らぬ
人はいない。

そのPブックスでも、復刻版だけが、
この出版不況下にあって、売り上げを
伸ばしているという。

復刻版というのは、著作権の切れた、
日本でいう、古典的な本をいう。
たとえば夏目漱石の本とか、森鴎外の
本など。

オーストラリアのPブックスの支店に
勤める、Tさん(女性)が、そう話して
くれた。

++++++++++++++++++

●私のおしゃれ(My Fashion)

私には私流のおしゃれのし方がある。
たとえば映画『大脱走』に出てくる、スティーブ・
マクウィーンの服装をまねるとか、
『タクシードライバー』に出てくる、
ロバート・ディニーロの服装をまねるとか、など。

今日は、ロバート・ディニーロの『タクシー
ドライバー』の服装で決めた。

髪の毛は、ぼさぼさ。赤いチェックのシャツに、
タンク兵のジャンパー。もちろん左肩には、
「キング・コング」のワッペン。

「キング・コング」というのは、戦車部隊の名前である。
またジャンパーの背中には、「BICKLE.T」の文字も
印刷されている。
『タクシードライバー』の中の主人公の名前である。

それを着て、オーストラリアの友人に会うと、すかさず、
「Are you talking to me?」(君は、オレに話しかけて
いるのか?)と。

「それは何だ?」と聞くと、「ロバート・ディニーロが、
映画の中で言った、セリフだ」と。

知らなかった!

すかさず私がまねをして、「Are you talking to me?」と
言うと、「そんなやさしい言い方ではだめだ。
もっと、相手を脅かすような言い方をしろ」と。

さすが、本場。日本でこの服装をしていても、それに
気づく人は、まず、いない。

右手を伸ばし、相手を指差しながら、そう言うのだ
そうだ。

ナルホド!
また新しいことを学んだ。
これからは、その服装をしたら、みなの前で、
こう言ってみよう。

「Are you talking to me?」と。

+++++++++++++++++++++++

●ジョーク(Who is the President of China?)

アメリカのブッシュ大統領が、ライス国務長官に
こう聞いた。

「中国の主席は誰だ?」(フー・イズ・・・?)と。

それに答えて、ライス国務長官がこう答えた。

「フー(胡)が、中国の主席です」(フー・イズ・・・・)と。

わかるかな、このジョーク。

日本では、「コ・キントウ」と、音読みにする。
しかし正しくは、「胡」は、「フー」だそうだ。

わかるかな、このジョーク。

++++++++++++++++++++

●毒入りギョーザ事件(Poisoned Chinese Food)

中国政府が、とんでもない声明を発表した。
「ギョーザに毒を入れたのは、中国側ではない」
「中国側で、毒を入れるのは、不可能」(2月13日)と。

結構!

そういう声明を出すらなら出すで、かえって
日本人は、中国食品に不信感をもつだけ。

買うか、買わないかを決めるのは、この私たち。

どうぞ、ご勝手に!

「だれが、ギョーザに毒を入れたか?」(Who put poison into Gyo-za?)
「フーが、ギョーザに毒を入れた」(Ho put poison into Gyoza.)


●捕鯨反対(What is "Research Whaling"?)

オーストラリアの友人が、こう言った。
オーストラリアでは、連日、日本の捕鯨船の話が、
新聞のトップ記事になっている。

が、日本へ来てみて、それがまったく話題になって
いないのに、驚いた、と。

オ「どうして、日本政府は、捕鯨を容認しているのか?」
私「どこかの地方の利権問題とからんでいるからだ」
オ「オーストラリアでは、大問題だ」
私「おおいに問題にして、日本の捕鯨船団を、追い出せばいい」
オ「いいのか?」
私「かまわない。だいたい調査捕鯨という名前が、おかしい。
『調査』といいながら、実際には、クジラを殺して、肉を取っている。
その肉は、東京の赤坂あたりでは、珍味として、もてはやされている。
つまり政治家の胃袋に入るだけ」と。

日本も、もう、こういうインチキなことはやめようではないか。
何が、「調査」だ? 「調査捕鯨」だ?
笑わせるな!


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2440)

●鳥インフルエンザ

+++++++++++++++++

あれほど騒いだ鳥インフルエンザも、
今は、話題のひとつ?

しかし恐ろしさは、変わらない。
エイズにしても、そうだ。
当初は、たった1人の発病者に、
日本中が、動転した。
しかし今は、病気のひとつ?

鳥インフルエンザは、すぐそこまで
迫っている。

インドネシア保健省の発表によると、
同国の感染者は、127日(2月14日
現在)。死亡者は、103人(同日現在)。

死亡率は、ナント、81%!

人から人への感染は、まだ確認されて
いないが、しかし「時間の問題」(WHO)
とか。

ひとたび感染力をもったら、中国本土だけで
「最悪のばあい、2800万人もの死者が
出るだろう」(オーストラリア政府)と
いわれている。

「日本はだいじょうぶ」と考えるのは、
早計。「むしろ日本のほうが、あぶない」と
いうことらしい。

「清潔好きなのはよいが、その分、
免疫性がないから」だ、そうだ。

東京で1人の発症者が出たら、その翌週には、
数万〜数百万人以上もの感染者が発生するだろう
といわれている。

++++++++++++++++

●日本経済新聞は、つぎのように伝える。

【ジャカルタ=代慶達也】インドネシア保健省は14日、ジャカルタに住む母親と娘が鳥インフル
エンザに感染したことを明らかにした。同国の感染者は127人(死者は103人)で世界最多。
今回は人から人への感染の疑いもあるため、同省と世界保健機関(WHO)が感染経路の調
査に乗り出す。 

 感染したのは西ジャカルタの38歳の母親と14歳の娘。2月3日に母親が感染、11日に娘
の感染が確認された。2人は鶏を放し飼いにしている祖母の家で感染した可能性が高いが、
「従来型の鳥から人への感染か、新たな人から人への感染かについては調査中」(同省)とし
ている。 

 インドネシアでは06年にスマトラ島北部で人から人への限定的な感染が起こったケースが報
告されているが、ジャカルタのあるジャワ島での報告例はまだない。同国の感染死者は全世界
の4割を超え、今年に入っても9人が死亡している。 (00:28)
(日本経済新聞2月14日)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2441)

●ゆとり教育

産経新聞(2月17日)は、「未来像…学力低下はさらに進む!!」と題して、つぎのように伝え
る。

『昨年12月下旬、福島県相馬市から県立S高校の2年生14人が、元文部大臣の有M朗人氏
(77)を東京に訪ねてやってきた。

 生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業
で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」
…。資料には有M氏を詰問するかのような学力低下の"分析結果"が並んでいた』。

+++++++++++++++++

私が過去に書いてきた原稿を集めて
みた。

+++++++++++++++++

【日本の教育】

●英語教育

++++++++++++++++

外国人の客が、私の家にいるときは、
みな、英語で話すようにしている。

ワイフも、カタコト英語だが、懸命に
英語で話す。

それは客に不安感を与えないための、
最低限のマナーではないのか。

++++++++++++++++

●英語教育に「待った!」をかけた、文科相

 I文科相は、こう言った。「私は、(小学校での英語教育を)必修化する必要は、まったくないと
思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と。

 こういうのを、パラドックスという。わかるかな?

 『張り紙を刷るな』という張り紙を張る。
 『私は逆らっていない』と言って、相手に逆らう。

 『美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ』と言って、きたない日本語を
話す。

 「外国の言葉をやったってダメ」? ……美しい日本語では、「外国の言葉を学んでも、意味
がありません」という。

 もう10数年も前から、同じような論理で、小学校での英語教育に反対している教授がいる。
しかし今どき、「英語教育が必要ない」なんて……!!

●予定では…… 

中央教育審議会の外国語専門部会は、2006年3月、「小学5年生から、週1時間程度、英語
教育を必修化する必要がある」という提言をまとめた。が、それに「待った」をかけたのが、ほ
かならぬ、I文科相だった。それが冒頭に書いた言葉である。

「やったって、ダメ」と。

 そこで各小学校では、総合学習の時間を利用して、英語教育というよりは、英語活動をする
ようになった。英語でゲームをしたり、リズム運動をしたりしている。結果、文科省の調べによ
れば、公立小学校の93・6%が、何らかの(英語の活動)を、授業の中に取り入れている。

 しかし現実には、過半数の学校では、月1回か、それ以下だという(以上、「朝日キーワード」
2007)。

●現実はどうか?

 日本が国際社会で勝ち抜き、生き残るためには、国際語としての英語教育は、MUST! 
数年前に書いた原稿を、そのままここに転載する。

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●遅れた教育改革

 2002年1月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの36社。この数は
ピーク時の約3分の1(90年は125社)。さらに2002年に入って、マクドナルド社やスイスの
ネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、コスト高
の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用しない国だか
ら、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)による
情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとすれば。今
どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ2を争うしま
つ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試験で、日本人の成績
は、一六五か国中一五〇位・九九年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や理
科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。今では分
数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題で、正
解率は59%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそうだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、1000近い分析
方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、1つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本に
は数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない(2002年時)。

ちなみにアメリカだけでも、250人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。「日本
の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たいへんお粗
末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の参観日(小
1)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まるでプロレスの授業でし
た」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立高校
の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを言った。
いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。すると別の教師
が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのがいる」と。そこで私が
「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「みんな、自動車の教習本を読んで
いる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう15年以上も前のこと。日本では
大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。
「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり
何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。

もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊す
る。確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査で
も、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、26%もいる(2000年)。98年の調査よ
りも8%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌクと
生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護
送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、20年先、30年先を見越して、「形」を作らねば
ならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに10年以
上も前から、小学3年生からコンピュータの授業をしている。

メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイ
ツ語、インドネシア語、日本語の中から、一科目選択できるようになっている。もちろん数学、
英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピュータの科目も
ある。

芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。もう一つ
「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科目の一つとのこと
(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減して
いるという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教えてくれた。
「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを閉鎖した学校もあ
ります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っているのだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。もっと
はっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方に任
す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかしい。
日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、それこそまさ
に世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をのさばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良な会社
人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために
命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、こ
れからはそういう時代ではない。日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められ
るためには、今までのような教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもし
れない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日本
語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。

つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日
本もまだよく旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていない
のに、火星に探査機を送るのはムダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで
英語を教える必要はない。しっかりとした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くは
ない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校で
は、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、4歳児から子
どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立大学で講師をしている
知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、教育の目
標だ」と。事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べてい
る。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること」(長野県経営者協会
会合の席)と。

オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたちは学校が
終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語を教える必要は
ない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文法
学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者になる
には、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。

もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。こう
いう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわいそ
うだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分
の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかりに
こだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学一年の入学時に
は、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、
「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なものな
のか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切なものな
のか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのか。こう
した教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。

「社会生活を営む上で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほしい。「な
ぜ中学1年で一次方程式を学び、3年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか」
と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子どもた
ちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなければいけ
ないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーション・「第3回学習基本調
査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こ
ういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語を教え
たい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもがいる。早くから
学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。早くから教える必要
はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生がやる気をなくし
てしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから家庭教育まで押しつけられ
て、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。ある教師(小学5年担任、女性)はこう言っ
た。

「授業中だけが、体を休める場所です」と。「子どもの生きるの死ぬのという問題をかかえて、
何が教材研究ですか」とはき捨てた教師もいた。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそれができ
る環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で
考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。教師は
学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたないという制度が
徹底している。教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えない(バンクーバー
市)。

だからたとえば親がその教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。するとし
ばらくすると、教師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいのか悪いのかにつ
いては、議論が分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほうが多いことも忘れては
いけない。

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 「英語を学んだから、日本語がおろそかになる」というのは、根拠のない、まったくのデマ。ウ
ソ。たしかに乳幼児期に、バイリンガルの環境で子どもを育てると、言語中枢そのものの発達
に、支障をきたすという報告は、しばしば耳にしている。しかし満5、6歳以上の子どもには、そ
うした影響はない。むしろこの時期のほうが、発音にせよ、感覚的に言語をとらえるため、すな
おに身につけてくれる。

 さらに言えば、「美しい日本語」というのは、母親の会話能力によって決まる。母親が、子ども
に向って、「テメエ、殺すぞ!」(実際、ある人がコンビニで耳にした会話)というような言い方を
していて、どうして子どもが美しい日本語を話すようになるというのか。

 文章能力(=作文力)にいたっては、英語を学ぶことによって、よい刺激を受けることはあっ
ても、それで文章がへたになるということは、ない。

 I文科相の発言を聞いていると、「日本もこの程度」と思うと同時に、「日本も、ここまでだな」と
思う。

 ちなみに、現在、アジアの経済の中心地は、東京から、シンガポールに移動している。アメリ
カでも、日本の経済ニュースですら、シンガポール発で、配信されている。

 ついでに日本の子どもたちの学力について。5年前に書いた原稿だが、その後、日本の子ど
もたちの学力が、よりさがったという話は聞くが、あがったという話は、聞いていない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
英語教育 日本の英語教育)

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【公立小中学校・放課後補習について】

 文部科学省は、公立小中学校の放課後の補習を奨励するため、教員志望の教育学部の大
学生らが児童、生徒を個別指導する「放課後学習相談室」(仮称)制度を、二〇〇三年度から
導入する方針をかためた(〇二年八月)。

 文部科学省の説明によれば、「ゆとり重視」の教育を、「学力向上重視」に転換する一環で、
全国でモデル校二〇〇〜三〇〇校を指定し、「児童、生徒の学力に応じたきめ細かな指導を
行う」(読売新聞)という。「将来、教員になる人材に教育実習以外に、実戦経験をつませる一
石二鳥の効果をめざす」とも。父母の間に広まる学力低下への懸念を払しょくするのがねらい
だという。具体的には、つぎのようにするという。

 まず全国都道府県からモデル校を各五校を選び、(1)授業の理解が遅れている児童、生徒
に対する補習を行う、(2)逆に優秀な児童、生徒に高度で発展的な内容を教えたり、個々の学
力に応じて指導するという。

 しかし残念ながら、この「放課後補習」は、確実に失敗する。理由は、現場の教師なら、だれ
しも知っている。順に考えてみよう。

第一、学校での補習授業など、だれが受けたがるだろうか。たとえばこれに似た学習に、昔か
ら「残り勉強」というのがある。先生は子どものためにと思って、子どもに残り勉強を課するが、
子どもはそれを「バツ」ととらえる。「君は今日、残り勉強をします」と告げただけで泣き出す子
どもは、いくらでもいる。「授業の理解が遅れている児童、生徒」に対する補習授業となれば、
なおさらである。残り勉強が、子どもたちに嫌われ、ことごとく失敗しているのは、そのためであ
る。

第二、反対に「優秀な児童、生徒」に対する補習授業ということになると、親たちの間で、パニ
ックが起きる可能性がある。「どうしてうちの子は教えてもらえないのか」と。あるいはかえって
受験競争を助長することにもなりかねない。今の教育制度の中で、「優秀」というのは、「受験
勉強に強い子ども」をいう。どちらにせよ、こうした基準づくりと、生徒の選択をどうするかという
問題が、同時に起きてくる。

 文部科学省よ、親たちは、だれも、「学力の低下」など、心配していない。問題をすりかえない
でほしい。親たちが心配しているのは、「自分の子どもが受験で不利になること」なのだ。どうし
てそういうウソをつく! 新学習指導要領で、約三割の教科内容が削減された。わかりやすく
言えば、今まで小学四年で学んでいたことを、小学六年で学ぶことになる。

しかし一方、私立の小中学校は、従来どおりのカリキュラムで授業を進めている。不利か不利
でないかということになれば、公立小中学校の児童、生徒は、決定的に不利である。だから親
たちは心配しているのだ。

 非公式な話によれば、文部科学省の官僚の子弟は、ほぼ一〇〇%が、私立の中学校、高
校に通っているというではないか。私はこの話を、技官の一人から聞いて確認している! 「東
京の公立高校へ通っている子どもなど、(文部官僚の子どもの中には)、私の知る限りいませ
んよ」と。こういった身勝手なことばかりしているから、父母たちは文部科学省の改革(?)に不
信感をいだき、つぎつぎと異論を唱えているのだ。どうしてこんな簡単なことが、わからない!

 教育改革は、まず官僚政治の是正から始めなければならない。旧文部省だけで、いわゆる
天下り先として機能する外郭団体だけでも、一八〇〇団体近くある。この数は、全省庁の中で
もダントツに多い。文部官僚たちは、こっそりと静かに、こういった団体を渡り歩くことによって、
死ぬまで優雅な生活を送れる。……送っている。そういう特権階級を一方で温存しながら、「ゆ
とり学習」など考えるほうがおかしい。

この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。なぜそうなのかというところ
にメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもムダ。ああ、私だって、この年齢になっ
てはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった! 死ぬまで就職先と、年金が保証さ
れている! ……と、そういう不公平を、日本の親たちはいやというほど、思い知らされてい
る。だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はいつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を支配
する時代は終わった。教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボ
ロボロ。何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。その教育改革にしても、ドイツやカナ
ダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。学校は自由選択制の単位制度にして、午後
はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自治体にカリキュラム、指導方針など任せれ
ばよい(アメリカ)。設立も設立条件も自由にすればよい(アメリカ)。いくらでも見習うべき見本
はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。オースト
ラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしている。しか
し検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定してはいけ
ないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。たとえばアメリカでは、大学入学後
の学部、学科の変更は自由。まったく自由。大学の転籍すら自由。まったく自由。学科はもち
ろんのこと、学部のスクラップアンドビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯事。なのになぜ日本の
文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れるのか? あるいは自分た
ちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改革」と
いうよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。もうすでに日本の教育は
にっちもさっちもいかないところにきている。このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教
育レベルは、アジアでも最低になる。あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校
の話ではない。大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとんど勉強
などしていない。していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。そ
の文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、教育
学部系の学生である。このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。い
わんや私立大学の学生をや! そういう学生が、小中学校で補習授業とは!

 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう
言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本の場合、疲弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受
験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の
学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、「教育は悪い方
向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふ
えた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅れ
た。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世界はどこま
で進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くはな
い」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数の足し算、引
き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」
(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)(※2)だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語
検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績
が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。オースト
ラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本には数え
るほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人
もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘)。

 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、この
日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政である。
私はその改革について、つぎのように提案する。

(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。

 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不公平
である。この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといって
よいほど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平社
会の温床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。今の状
態で教育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復活すること
になる。

 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじめて「改
革」と言うにふさわしい。ここにあげた「放課後補習制度」にしても、アメリカでは、すでに教師の
インターン制度を導入して、私が知るかぎりでも、三〇年以上になる。オーストラリアでは、父
母の教育補助制度を導入して、二〇年以上になる(南オーストラリア州ほか)。

大半の日本人はそういう事実すら知らされていないから、「すごい改革」と思うかもしれないが、
こんな程度では、改革にはならない。少なくとも「改革」とおおげさに言うような改革ではない。
で、ここにあげた(1)〜(8)の改革案にしても、日本人にはまだ夢のような話かもしれないが、
こうした改革をしないかぎり、日本の教育に明日はない。日本に明日はない。なぜなら日本の
将来をつくるのは、今の子どもたちだからである。
(02−8−28)※
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(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答
えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する
学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを
見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判し
た意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようが
ない。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子ども
が、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。

反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいな
い。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていな
い。少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というの
は、もはや幻想でしかない。

+++++++++++++++++++++

(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったとい
う。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研
究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平
均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年
生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学力
 日本の子どもの学力 子供の学力 英語力 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教
育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer 
Japanese essayist 教育の自由化 ゆとり教育 ゆとり教育の弊害 逆行する日本の教育 自
信をなくす日本の若者たち)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●教育の自由化

++++++++++++++++++++

アメリカの教育は、実用的。その基礎を
つくったのが、ジョン・デューイ。

アメリカを代表する、哲学者、兼、教育者である。

++++++++++++++++++++

 アメリカの教育を考えるとき、ジョン・デューイをはずして語ることはできない。1859〜1952
年の人物である。彼は、「哲学と教育は密接に関連性をもつべきだ」と考え、哲学を教育の場
で実践しようとした、最初の教育者であると考えてよい。

 彼は、日常経験を最重要視し、教育もまた、実用的(道具的)であるべきだと主張した。それ
以前、つまりちょうど彼が生まれたころ、アメリカは、法律によって、「実用的なことを教えること
が教育」であると、自らの教育の方向性を定めている(1862年)。その方向性に、デューイ
は、まさに理論的根拠を与え、補強したことになる。そののち、アメリカには、農業、工業など、
実用的な教育を目ざした学校が、無数に設立された。

 どうして教育は、実用的であってはいけないのか?

 一方、この日本では、明治時代までの本山教育が、教育の基礎になっている。「寺子屋」とい
う教育システムそのものが、それを踏襲したものと考えてよい。小僧を教育する本山では、毎
日、一方的な詰めこみ教育が、その柱となっていた。その本山教育に、ドイツ流のアカデミック
教育が混入した。

 それが今にみる、日本の教育の原型と考えてよい。

 が、今、日本の教育は、大きな転換期を迎えつつある。おおざっぱに言えば、アカデミックな
教育から、実用的な教育へと脱皮しつつある。もっとわかりやすく言えば、アメリカ流実用主義
的教育へと、脱皮しつつある。よい例が、英語である。

 日本の英語教育は、将来、英語の文法学者になるためには、すぐれた体系を整えていた。
それもそのはず。もともと日本の英語教育は、その道の学者たちによって組み立てられていた
からである。だから、おもしろくない。だから役にたたない。だいたい、子どもたちの中で、将
来、英語の文法学者になるのは、何%いるのだろうか? そこで今の、小学校における英語
教育が始まった。実用面に重きをおいた、英語教育である。

 数学教育も、理科教育も、同じ。さらに歴史教育も、同じ。暗記につづく、暗記。その方式こそ
が、本山における小僧教育そのものと言ってよい。明けても暮れても、修行という名目の、読
経、写経。

 なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去の経験を、未来に生かすためである。年表を暗
記し、登場人物を暗記するような歴史教育に、どんな意味があるというのか。たとえばスペイン
の小学校では、1年をかけて、1つのテーマについて、子どもたちは学ぶという(スペイン在住
の読者より)。その報告を寄せてくれた人の子どもは、1年をかけて、フランス革命について勉
強をしているとのこと。

 こうした教育が、なぜ、この日本では、できないのか?

 デューイは、とことん日常的経験にこだわった。そしてやがて「概念は、道具である」という、
ある意味で、当然とも言えるべき結論に達した。わかりやすく言えば、道具にならない概念に
は、価値がない、と。空理空論だけでは、人は生きてはいかれない。またそういう幻想を、教育
にいだいてはいけない。

 アメリカの中学校では、たとえば中古車を買うというテーマで、数学の授業を始める。そのテ
ーマを通して、金利計算、損得の計算、少数の計算などなどを教える。ついでに小切手の使い
方まで、教える。学んでいることが、そのまま社会に出てからも役立つ内容となっている。

 重要なのは、自ら考える子どもを育てること。知識ではない。自ら考える子どもである。

 日本の教育の最大の欠陥といえば、自ら考える子どもを育てないこと。いまだに明治以来
の、「もの言わぬ従順な民づくり」が、教育の柱になっている。またそのワクから一歩も、抜け
出ていない。むしろこの日本では、考える子どもを、異端視する傾向が強い。そういう子どもを
嫌う傾向すらある。

 何も考えないで、受験勉強だけをしていれば、それでよいのか? またそういう子どもを、優
秀な子どもと言ってよいのか?

 ジョン・デューイ流教育論にも、問題がないわけではない。しかしなぜ今、デューイかと言え
ば、この混沌とした混乱状況を見ればわかる。それもそのはず。旧態依然の教科書教育の上
で、それをねじまげながら、ただ何とかしようともがいている。たとえて言うなら、歌舞伎という
舞台の上だけで、現代映画を作ろうとするようなもの。この方式には、おのずと、無理がある。

 どうしてこの日本は、アジアのほかの国に先がけて、(検定)教科書を撤廃しないのか。

 今は、どう考えても、もう、そういう時代ではない。中央で作った教科書を、地方がありがたく
いただきながら、子どもたちを教育する。そんな時代ではない。日本以外の先進国で、どの国
が、検定教科書など、使っているか? 文科省は、「日本の教科書は、検定であって、中国や
韓国のように国定ではない」という、どこか「?」な答弁を繰りかえしている。検定も、国定も、ど
こもちがわない。

 自由なる教育こそが、日本を発展させる。

 これから先のことはわからないが、しかしなぜ今、アメリカがアメリカであるかといえば、そこ
に自由な教育があったからにほかならない。ホームスクール(日本のフリースクール)をはじめ
として、アメリカでは、学校の設立そのものが、完全に自由化されている。もちろん失敗も多い
という話も伝わってきているが、そのダイナミズムこそが、一方で、アメリカの原動力にもなって
いる。

 ジョン・デューイが、すでに100年前の人と知って、改めて、私は驚く。この100年間の間に、
日本の教育は何を学んだのか。日本の文部省は、何を学んだのか。ほかの省庁が、戦後こぞ
って欧米化を推し進めたのに対して、日本の文部省だけは、あえてそれに背を向けた。なぜ
か? どうしてか? 

 われわれはもう、文科省が心配しているような愚民ではない。
(はやし浩司 デューイ 日本の教育 教育の自由化)

【付記】

 韓国や中国が、日本の教科書にいちゃもんをつけてきたら、日本は、こう言えばよい。「日本
には、もう、そんなものは、ありませんヨ〜」と。「そんなものを使っている国は、全体主義国家
だけだヨ〜。ハハハ」と。

 気持ちいいだろうな。もし、そう言えたら、さぞかし、気持ちいいだろうな。

 それに教科書という名称は、もうやめたらよい。「テキスト」でじゅうぶん。で、オーストラリアに
も、テキストの検定制度というのがあるには、ある。しかしその検定をするのは、純然たる民間
団体。しかも検定するのは、暴力と性についての描写のみ。歴史については、検定してはいけ
ないことになっている(南オーストラリア州など)。

 自由とは、「自らに由る」こと。日本が真に自由な国となるためには、まず教育から、自由化
すること。子どもたちの世界から、自由化すること。なぜなら、この国の未来は、その子どもた
ちがつくるのだから。

 で、中には、「教科書がなければ、国がバラバラになる」と説く人がいる。それがどっこい。も
しそうなら、アメリカやオーストラリアは、とっくの昔にバラバラになっているはず。ちがいます
か?

 さらについでに、「日本の天皇制がなくなれば、日本人の心はバラバラになる」と説く人もい
る。「日本人のアイデンティティは、天皇制にある」と説く人さえいる。

 本当に、そうかな? そう思いこまされているだけではないのかな?

 もしそうなら、中国や韓国は、とっくの昔にバラバラになっているはず。国の歴史ということに
なれば、中国や韓国のほうが、日本のそれより、はるかに長〜イ。日本だって、中国の歴史の
一部にすぎない。「東洋史」という考え方は、そういう視点においた歴史観をいうのですね。少
なくとも、世界の歴史学者たちは、そう見ている。

 日本の歴史を、1500年とするなら、中国の歴史は、5500年。線で表現すると、こうなる。も
とから、かないっこない。

 日本***************(15)
 中国************************************
*******************(55)

 日本人も、ここらで、そろそろ意識革命する時期にきているのではないのかな? そう、意識
革命。おかしな復古主義にこだわるのではなく、未来に向かって、前向きに進んでいく。そのた
めの意識革命。

 それができたとき、日本は、アジアの中でも、真の先進国になれると思うのだがなあ……。
(つぶやきでした。)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●学歴信仰は、迷信?(有M文部大臣への反論)

 大学の教授は、高校の先生より、エライ。
高校の先生は、中学の先生より、エライ。中学の
先生は、小学校の先生より、エライ。
小学校の先生は、幼稚園の先生より、エライ。少なくと
も、大学の教授は、幼稚園の先生より、エライ。
誰しも、心の中でそう思っている。こういうのを
学歴信仰という。

 家計がひっくり返っても、親は爪に灯をともしながら、
息子のために学費を送り続ける。が、
肝心の息子様はそんな親の苦労など、どこ吹く風。
少しでも仕送りが遅れたりすると、ヤンヤ
の催促。それでも親は、「大学だけは出てもらいたい」と思う。
そしてそれが「親の務めだ」と思
う。こういうのを学歴信仰という。

 浜松にもA高校からD高校まで、ランクがある。
やっとの思いでD高校へ入れそうになると、親
は「C高校を」と希望する。そしてC高校が合格圏
に入ってくると、今度は「A高校。それが無理
なら、何とかB高校を……」と希望する。親の希望には
際限がないが、そういう思いが、誰にで
もある。こういうのを学歴信仰という。

 新聞記事だけなので、有M文部大臣の発言の真意は
わからないが、文部大臣が、母校のA
高校へ来て、「学歴信仰があるというのは迷信」と
述べたとか(99年2月)。つまり「日本には
学歴信仰はない」と。東大の総長という学歴の頂点に
立ったような人が、しかもその信仰の総
本山の、そのまた法主の立場にある有M文部大臣が、
そういう発言をするところに、日本のこ
っけいさがある。学歴信仰がなかったら、誰も、
受験勉強などしない。誰も自分の息子を塾や
予備校に通わせない。もし本当にないのなら、
成績に関係なく、東大の学生を入学させたらい
い。あるいは文部省は、学歴に関係なく、役人を雇ったらいい。

 学歴のある人には、学歴は不要だ。しかし学歴のない人は、
それを死ぬほどほしがる。お金
と同じだ。金持ちが、いくら「お金では幸福は買えません」と
言ったところで、その日のお金に困
っている庶民には、説得力はない。私もある時期、
自分の学歴にしがみついて生きていた。特
にこの教育の世界ではそうで、もし私に学歴がなかったら、
私の教育論になど、誰も耳を傾け
てくれなかっただろう。反対に肩書きや地位がないため、
いかに辛酸をなめさせられたことか。

 話は変わるが、ニュージーランドのある小学校では、
その年から手話を教えるようになったと
言う。教室の壁には、手話の仕方が描いた絵が、
ペタペタとはってあった(テレビ番組より)。理
由は、その年から、聴力のない子どもが入学してきたからだという。
こういう姿勢、つまりその
子どもに合わせて、学校が自由にカリキュラムを組むという姿勢の中に、
私は学校の本来、あるべき姿を見た。

反対にもし日本の小学校で、こういう身体に障害のある子どもが
入学してきたら、教師や父母は、どのように反応するだろうか。
さまざまな問題が起きるであろうし、その起きる背景に、
学歴信仰がある。天下の文部大臣にさからって恐縮だが、
文部大臣ももう少し庶民の側におりて、ものを考えてほしいと
思う。(以上、01年記「子育て雑談」)

(付記)

 この原稿を書いた時点(01年)と今では、
障害児に対する考え方が、大きく変わってきた。
15年ほど前のことだが、ある小学校(静岡県)で、
1人の身体に障害のある子どもを入学させようとしたことがある。
そのとき、「そういう子どもが入ってくると、
子どもたちの勉強の進度にさしさわりが出る」と、
反対運動を起こした親たちがいた。テレビなどでも、
報道されたので、覚えている人も多いと思う。

 たった15年前には、日本はまだそういう国だった。
が、今、そんな反対運動をすれば、反対に、その親たちが
袋叩きにあうだろう。日本の教育というより、
親たちの意識が、たしかに今、変わりつつある。
(はやし浩司 学歴信仰 学校神話 受験カルト)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●「公」について(What is "Public"?)

 以前、教育改革国民会議は、つぎのような報告書を、中央教育審議会に送った。いわく「自
分自身を律し、他人を思いやり、自然を愛し、個人の力を超えたものに対する畏敬(いけい)の
念をもち、伝統文化や社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心や態度を育てるとともに、社会
生活に必要な基本的知識や教養を身につけることを、教育の基礎に位置づける」と。

 こうした教育改革国民会議の流れに沿って、教育基本法の見なおしに取り組む中央教育審
議会は、〇二年一〇月一七日、中間報告案を公表した。それによれば、「国や社会など、『公』
に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)することが大切」とある。

 一読するだけで頭が痛くなるような文章だが、ここに出てくる「涵養(かんよう)」とは何か。日
本語大辞典(講談社)によれば、「知識や見識をゆっくりと身につけること」とある。が、それに
しても、抽象的な文章である。実は、ここに大きな落とし穴がある。こうした審議会などで答申さ
れる文章は、抽象的であればあるほど、よい文章とされる。そのほうが、官僚たちにとっては、
まことにもって都合がよい。解釈のし方によっては、どのようにも解釈できるということは、結局
は、自分たちの思いどおりに、答申を料理できる。好き勝手なことができる。

 しかし否定的なことばかりを言っていてはいけないので、もう少し、内容を吟味してみよう。

 だいたいこの日本では、「国を守れ」「国を守れ」と声高に叫ぶ人ほど、国の恩恵を受けてい
る人と考えてよい。お寺の僧侶が、信徒に向かって、「仏様を供養してください」と言うのに似て
いる。具体的には、「金を出せ」と。しかし仏様がお金を使うわけではない。実際に使うのは、
僧侶。まさか「自分に金を出せ」とは言えないから、どこか間接的な言い方をする。要するに
「自分を守れ」と言っている。

 もちろん私は愛国心を否定しているのではない。しかし愛「国」心と、そこに「国」という文字を
入れるから、どうもすなおになれない。この日本では、国というと、体制を意味する。戦前の日
本や、今の北朝鮮をみれば、その意味がわかるはず。「民」は、いつも「国」の道具でしかなか
った。

 そこで欧米ではどうかというと、たとえば英語では、「patriotism」という。もともとは、ラテン語
の「パトリオータ(父なる大地を愛する人)」という語に由来する。日本語では、「愛国心」と訳す
が、中身はまるで違う。この単語に、あえて日本語訳をつけるとしたら、「愛郷心」「愛土心」とな
る。「愛国心」というと反発する人もいるかもしれないが、「愛郷心」という言葉に反発する人は
いない。

 そこで気になるのは、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かん
よう)することが大切」と答申した、中教審の中間報告案。

 しかしご存知のように、今、日本人の中で、もっとも公共心のない人たちといえば、皮肉なこと
に、公務員と呼ばれる人たちではないのか。H市の市役所に三〇年勤めるK市(五四歳)も私
にこう言った。「公僕心? そんなもの、絶対にありませんよ。私が保証しますよ」と。

とくに長年、公務員を経験した人ほどそうで、権限にしがみつく一方、管轄外のことはいっさい
しない。情報だけをしっかりと握って、それを自分たちの地位を守るために利用している。そう
いう姿勢が身につくから、ますます公僕心が薄れる。恐らく戦争になれば、イの一番に逃げ出
すのが、官僚を中心とする公務員ではないのか。そんなことは、先の戦争で実証ずみ。ソ連が
戦争に参画してきたとき、あの満州から、イの一番に逃げてきたのは、軍属と官僚だった。

 私たちにとって大切なことは、まずこの国や社会が、私たちのものであると実感することであ
る。もっとわかりやすく言えば、国あっての民ではなく、民あっての国であるという意識をもつこ
とである。とくに日本は民主主義を標榜(ひょうぼう)するのだから、これは当然のことではない
のか。そういう意識があってはじめて、私たちの中に、愛郷心が生まれる。「国や社会など、
『公』に主体的に参画する意識」というのは、そこから生まれる。

 これについて、教育刷新委員会(委員長、安倍能成・元文部大臣)では、「本当に公に使える
人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない。それが今まで、
日本に欠けていたのではないか」(哲学者、務台理作氏)という意見が大勢をしめたという(読
売新聞)。私もそう思う。まったく同感である。言いかえると、「個人」が確立しないまま、「公」が
先行すると、またあの戦時中に逆もどりしてしまう。あるいは日本が、あの北朝鮮のような国に
ならないともかぎらない。それだけは何としても、避けなければならない。

 再び台頭する復古主義。どこか軍国主義の臭いすらする。教育の世界でも今、極右勢力
が、力を伸ばし始めている。S県では、武士道を教育の柱にしようとする教師集団さえ生まれ
た。それを避けるためにも、私たちは早急に、務台氏がいう「個人の確立」を目ざさねばならな
い。このマガジンでも、これからも積極的に、この問題については考えていきたい。
(02−11−4)

(読者のみなさんへ)
 私の意見に賛成してくださいそうな人がいたら、この記事を転送していただけませんか。みな
さんがそれぞれの立場で、民主主義を声を高くして叫べば、この日本は確実によくなります。
みんなで、子孫のために、すばらしい国をつくりましょう!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 公僕意識 公教育 道徳教育)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●明治の偉勲たち(Our leaders in Meiji Period)

 明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847〜1889年の人である。教育家
でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評され
たこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。
その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定
し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運
動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ち
ょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)この日本は、本当に変わっ
たのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。
中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったこ
とを忘れ、あたかも自分たちが、武士であったかのような理論を展開するから、おかしい。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そん
なことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかること。それを、反省すること
もなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時
代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れ
てはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓
蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本は、封建時代の負の遺産を、ひきずっ
ている。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。た
とえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となる
と、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、それが精神的バ
ックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなか
ったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡し
てしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎ
り、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人
にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人
には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせて
しまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知
ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建
時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 負の遺産 復古主義 教育の復
古主義 武士道 封建主義の亡霊 封建主義的教育)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2442)

【民主主義一考】
What is the Democracy for the Japanese? 

+++++++++++++++

日本人にとって、民主主義とは何か?
私たちが「民主主義」と思っているものは、
それは外国から見れば、まるで異質のもの。

+++++++++++++++

私たちがもっとも恐れなければならないのは、独裁政治。
戦前の日本を見るまでもない。
現在の北朝鮮を見るまでもない。

そこで民主主義ということになるが、
「選挙をしているから、民主主義」ということにはならない。
むしろこの(選挙)こそ、魔物。
ときとして、世俗的愚衆が、国の進むべき道を誤らせることもある。
1人の代表者が、選ばれたことをよいことに、
好き勝手なことをすることもできる。
つまり選挙そのものが、独裁者の道具として利用されることもある。
戦前の日本を見るまでもない。
現在の北朝鮮を見るまでもない。
北朝鮮の正式な国名は、「朝鮮民主主義人民共和国」である。
「民主主義」という言葉が、そこにあることに注目してほしい。

そこでギリシア時代のアテナイでは、官職は、くじ引きで選ばれていた。
民イコール、国であり、国イコール、民であるという考えに根ざす。
つまり民主主義という制度は、制度の問題ではなく、その構成員である、
民衆の意識の問題ということになる。

その意識のない国民に、いくら民主主義の重要性を説いても、無駄。
その意識のない国民が、いくら選挙をしても、無駄。
まさにネコに小判(失礼!)。

よい例が、今の日本。

どこかのお笑いタレントが、知名度を利用して、いきなり、
どこかの県の知事になったりする。

あとはお祭り騒ぎに、バカ騒ぎ。
先日も私の近くに住む知人が、あのM県へ行ってきた。
どこかの観光地に行ったのだが、そこにたまたま、あの知事がいたという。
そこでその知人は、その知事と記念撮影。
その知人は、その写真を誇らしげに(?)、みなに、見せていた。

方向こそ逆だが、あの北朝鮮で、「金xx様、金xx様」と騒ぐ民衆と、
どこがどうちがうというのか。

民主主義に対しする一片の畏敬の念すら、ない。
あればそんなバカなことはできない。
私は何も、お笑いタレントが知事になってはいけないと言っているのではない。
そういう人を選ぶ、選挙民が、どうかしていると言っている。
いや、そういう知事に対して、批判的な人も多いはず。
しかしそういう声は、巨大な知名度の前では、ブルドーザーに立ち向かう、
立て札程度の力しかない(※1)。

そこで「思想」ということになる。
選挙について言えば、「弁論」ということになる。
しかしこの弁論ほど、これまたアテにならないものはない。

たいていは美辞麗句。うそにインチキ。大衆にとって心地よい言葉の羅列(られつ)。
へたをすれば、政治そのものが、個人の立身出世主義の道具として利用される。
つまりここにも、選挙がもつ限界が、潜む。

では、どうすればよいのか?

結局は、(考える力)ということになる。
たとえば政治家にしても、思想に思想を重ね、議論に議論を重ね、
その結果として、練りに練られた状態で、政治をめざすなら、よい。

知名度は、あくまでも、あとからついてくるもの。
が、この日本では、それが逆。
まず知名度を利用して、政治家になる。政治家になったあと、
思想らしきものを用意する(?)。

当のM県では、「観光客がふえた」とか、「新婚旅行客がもどってきた」とか言って
喜んでいるそうだが、それを喜ぶのは、まさに世俗的愚衆。
もし日本中の、あちこちの県が、それをまねたら、この日本は、どうなる?
すでに、その兆候は、あちこちに、見え始めている。

私たちは、あの戦争で何を学んだのか?
あの戦争の、どこをどう反省したのか?
アメリカという外圧によって与えられたものかもしれないが、民主主義という
ものを、どう理解しているのか?

民主主義というのは、攻撃的な姿勢で守って、はじめて守れるもの。
そこにある空気のようなものだと思っていたら、おおまちがい。

たとえば言論の自由とはいうが、この日本では、バカなことを
言ったり書いたりする自由は、ある。
しかし宗教団体や皇室、さらには建設業界や官僚を批判したら、
たちまち猛攻撃にさらされる。命の保証すらない。
仕事すら回ってこなくなる。

ちなみに、日本の報道の自由度は、先進7か国の中では最低の42位(※2)。
42位だぞ! 

いいのか、日本! このままで!

(注※1)

●知名度

かつて、こんな調査がなされた。「上司としてふさわしいのは、どんな人物か?」と。

その結果、テレビでの知名度順に、お笑いタレントたちが、ズラリと名を連ねた。それもそのは
ず。

こういう例で考えてみよう。

A氏、知名度90%。1億x0・9=9000万人の人がその名を知っている。

B氏、知名度10%。1億x0・1=1000万人の人がその名を知っている。

しかしA氏に対して嫌悪感を抱いている人は多い。約80%の人が嫌悪感をいだいているとす
る。で、残りの20%の人が、A氏を支持したとする。結果、支持者の数は、9000万x0・2=1
800万人となる。

一方B氏のほうは、反対に約80%の人が好感をもっていたとする。従ってその支持者の数
は、1000万x0・8=800万人となる。

A氏の支持者は、嫌悪感をいだく人が7000万人もいたとしても、1800万人。
B氏の支持者は、そのほとんどが好感をもっているとしても、800万人。

もしこういう計算が、選挙にも働くとしたら……。A氏とB氏が、同じ選挙区で立候補したら、そ
の勝敗は、選挙の前に決まっていることになる。それがここで私が言う、「ブルドーザーに立ち
向かう立て札程度」という意味である。

(注※2)

●報道の自由度、42位

パリ発10月26日の時事通信によれば、日本の報道自由度は、昨年と比べわずかにランクア
ップしたものの、先進7カ国中最低の42位だったという。報道の自由の擁護を目指す国際団
体、「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は、世界167カ国の報道の自由度の順位を発表し
た。

 最上位は、デンマークやアイルランドなど北欧を中心とする欧州8カ国。最下位はランクづけ
発表当初から3年連続で、北朝鮮だったという。 

 日本では、一応、報道の自由が確保されているかのように見えるが、国際的にみれば、どう
も、そうではないということのようだ。

 くだらないゴシップ記事のような報道については、たしかに、自由はある。何を書いてもよいと
いう、つまりは無責任な姿勢はある。しかし報道の自由といっても、あくまでも、そのレベル。

 日本の外で、よく問題にされるのが、皇室報道。さらには官僚批判。私も、いろいろなテーマ
についてものを書くが、こうしたテーマでものを書くときは、いつもどこかで、何かしらの(息苦し
さ)を覚える。

 この(息苦しさ)こそが、日本の報道の自由の限界ということになる。日本は、世界に名だた
る、官僚主義国家。日本の中だけに住んでいる人には、それがわからない?

 あのK国が最下位だったということについては、異論はない。しかしあのK国の人たちは、自
分たちではそうは思っていない。「外の世界のほうが狂っている」と思っている。その国の人が
もっている、意識というのは、そういうもの。

 しかしそれにしても、42位とは! この数字には、いろいろ考えさせられる。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●はびこるカルト信仰(Cult)

  ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、
三〜四名の若者があと追い自殺をした。

家族によって闇から闇へと隠された自殺者は、もっと多い。自殺をする人にはそれなりの人生
観があり、また理由があってそうするのだろうから、私のような部外者がとやかく言っても始ま
らない。しかしそれがもし、あなたの子どもだとしたら……。

 一九九七年の三月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメ
リカで起きた。「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。

当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とラン
デブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。結果、三九人の若者が犠牲になった。

この種の事件でよく知られている事件に、一九七八年にガイアナで起きた人民寺院信徒によ
る集団自殺事件がある。この事件では、何と九一四名もの信者が犠牲になっている。なぜこん
な忌まわしい事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起きない」と考える
のは早計である。子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現実と空想の混濁が、そ
れである。

あの「たまごっち」にしても、あれはただのゲームではない。あの不可解な生きもの(?)が死ん
だだけで、大泣きする子どもはいくらでもいた。そして驚くなかれ、当時は、あのたまごっちを供
養するための専門の寺まであった。ウソや冗談で供養しているのではない。本気だ。本気で供
養していた。中には手を合わせて、涙を流しているおとなもいた(NHK『電脳の果て』)。

さらに最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。今はまだ娯楽の範囲だ
からよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。

仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、二一世紀は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに
従ってしまう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなど
と、のんきなことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるに
すぎない。

 さて世紀末。旧ソ連崩壊のときロシアで。旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞれカルト教団
が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをなくしたとき、こ
うしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。

終戦直後の日本がそうだったが、最近でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけて、
急速に勢力を拡大しているカルト教団がある。あやしげなパワーや念力、超能力を売りものに
している。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡するときには、天国へ入れる」とか教えるカルト
教団もある。

フランスやベルギーでは、国をあげてこうしたカルト教団への監視を強めているが、この日本で
はまったくの野放し。果たしてこのままでよいのか。子どもたちの未来は、本当に安全なのか。
あるいはあなた自身はだいじょうぶなのか。あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。

このあたりで一度、腰を落ちつけて、子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●日本人の依存性を考えるとき(Dependance of the Japanese) 

●MSの『おくふろさん』

 MSが歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし…
…。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日本
人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たちは、
子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日本で
は昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独立心
が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

●保護と依存の親子関係

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意
識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男
児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもちろん
のこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室に戻って
きたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできな
い。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてく
れるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼ
したミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭で
は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え
方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこ
と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき
た。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの
よ。じゃましないでね」と。

●子育ての目標は「よき家庭人」

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させる
こと」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどう
だろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、そ
れである。

たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だから何
とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依
存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題をやりなおしなさい」、子「ケシで消して
からするのですか」、私「そうだ」、子「きれいに消すのですか」、私「そうだ」、子「全部消すので
すか」、私「自分で考えなさい」、子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児と
した会話である。こういう問答が、いつまでも続く。

 さてMSの歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ…
…」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、日
本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

+++++++++++++

 この記事についての、批評、批判は少なくなかった。こうした日本の名曲を評論するのは、実
際のところ勇気がいる。書くほうとしては、それだけのインパクトをねらって書くが、ばあいによ
っては、読者の逆鱗に触れる。で、この記事はその逆鱗に触れた。今日、からんできた人も、
その一人だ。

 が、ここで改めて、日本人の依存性について書くつもりはない。それについては、もうあちこち
で、何度も書いてきた。だからここでは、その先について、書く。

 こうした原稿を読んで、不愉快に思うなら、それはそれでよいのでは……? 私は、MSの
『おふくろさん』のファンの人に、攻撃をしかけたわけではない。「こういう見方もある」という立
場で書いた。それが逆鱗に触れたからといって、つまり私を個人攻撃しても意味はない。そう
いう攻撃を受けたからといって、私は一度書いたものについての意見は曲げない。(自分で訂
正することはある。)また私が自説をひっこめたところで、どうにかなる問題でもあるまい。ある
いは私が、「あの原稿の中で書いたことはまちがっていました」と書くとでも、思っているのだろ
うか。しかもその記事を発表してから、すでに一年半以上もたっている。アフターサービスという
考え方からしても、すでに保証期間(?)は過ぎている。

 私はまったくフリーの立場にいて、公的な役職も、責任も、まったくない。要するに、私の意見
に同意できなければ、「同意できない」ですむ話である。それをああでもない、こうでもないと批
判するなら、その人はその人で、自分の意見を書いて、世に問えばよい。それが言論の自由と
いうものではないのか。

 ときどき自分でも、「どうしてこんな仕事をしているのだろう」と思う。「私にとって、メリットは何
か」とも。地位や肩書きなど、私にはもとから無縁だし、名誉といっても、地位や肩書きのように
「中身」がはっきりしない。金銭的な利益といっても、こうして地方に住んでいると、ほとんど、な
い。ここに「仕事」と書いたが、仕事にはならない。

 いや、もう少し若いころは、有名になりたいと思ったこともある。しかし今からでは遅過ぎる。
そういう気力そのものが、消えた。いや、有名になることの虚しさが、自分でもわかるようになっ
た。そしてそれにかわって、私はこの世の中に生きてきた痕跡(こんせき)を残したいと思うよう
になった。よく私は、「自分の書いたものは、墓石のようなもの」と書くが、それは本心である。
私はワイフや息子たちに、「死んでも墓はいらない。私の書いたものを墓と思ってくれ」と言って
いる。遺言のようなものだが、これも本心である。

 だから私は書く。思ったこと、考えたこと、それを書く。それが評価されるか、されないかは、
他人が決めることであって、私の問題ではない。
(02−8−20)※


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

【考える人】(Independent Thinker)

●「考える」こと

 「考える」ということと、「動物的」ということとは、反比例する。これを計算式で、表現すると、
(考える)=(定数)/(動物的)ということになる。(こんな公式を作っても、意味ないが……。)

 つまり人間は考えれば考えるほど、動物的ではなくなるということ。動物が動物であるのは、
考えないから。一方、人間が人間であるのは、考えるから。だから公式にするまでもなく、こん
なことは当然といえば、当然。

 そこで改めて、「考える」ということは、どういうことなのかを、考えてみる。……と考えて、最初
に思いつくのが、「言葉」。私のばあい、(おそらく、ほとんどの人にとっても、そうではないかと
思うが……)、言葉があるから考えられる。もっとも言葉がなくても、考えることはできる。絵画
や音楽、さらに芸術の世界では、言葉というのは、それほど重要な意味をもたない。

が、私にとっては、「考える」ことイコール、「言葉」ということになる。たとえば今、私はこうして文
を書いているが、「書く」ということが、「考える」ということになる。実際、こうして書いているとき
以外、私はほとんどものを考えない。……考えることができない。ヒラメキのようなものは、しば
しば感ずるが、しかしそれは「考え」ではない。

●考える人 

 考える人からは、考えない人が、よくわかる。(多分、考えない人からは、考える人がわから
ないだろうが……。)たとえば、考えない人は、どこか動物的。ものの考え方が、短絡的。直感
的。浅い。それにすぐ感情的になる。子どもでも、「スベリ台を、下からあがってきた子がいま
す。どうしますか?」と聞くと、「そういうヤツは、ぶん殴ってやればいい」と答える子どもがいる。
原因はいろいろあるが、そういうような発想をする。

 一方、考えない人は、その分、反応が鈍くなる。子どもでもそうで、考える子どもは、どこか様
子が重い。「重い」というのは、何かテーマを与えたりすると、それを頭の中で反芻(はんすう)
するようなしぐさを見せる。もっとも、それは相対的なもので、考えない子どもと比較してみて、
はじめてわかる。考えない子どもは、ペラペラと調子はよいものの、中身がない。

 ……となると、「考える・考えない」は、能力の問題というよりは、習慣の問題ということにな
る。あるいは教育の問題といってもよい。たとえば日本では、学校の授業でも、「わかった
か?」「では、つぎ!」が、教え方の基本的な形になっている。しかしアメリカでは、「君はどう思
う?」「それはいい考えだ!」が、教え方の基本になっている。この「形」は、家庭でも同じで、こ
うした形の違いが、やがて独特の日本人像をつくったともいえる。つまり日本人は、その構造
からして、もともと、考える人間をつくる構造になっていない。

●違った意見

 日本人が、考えない民族であることは、世界へ出てみると、よくわかる。あるいは、小学生で
もよい。外国の小学生とくらべてみてもわかる。ひとつの基準として、それぞれの子どもが、ど
の程度、違った意見をもっているかが、ある。それを知れば、それがわかる。

 たとえばオーストラリア人の子どもに、「将来、何になりたい?」と聞くと、それぞれが、てんで
バラバラなことを言い出す。中には、「イタリアの女王様になりたい」と言う子ども(女児)もい
る。おそらく一〇人に聞けば、一〇人の意見が出てくるのでは……。しかし日本では、子どもの
意見というのは、そのときどきにおいて、流行に流される。そして子どもたちのものの考え方
は、ある一定のパターンに集約される。……することができる。

 少し話がそれるが、この私の意見を補足するために、こんなことを書いておきたい。

 七〇年代に、中国の北京大学へ留学したオーストラリア人の友人がいた。その友人が、北京
から帰ってきて、こう言った。「向こうでは、みな、テープレコーダーみたいだった」と。つまりど
の学生も、同じ意見しか言わなかったというのだ。こうした傾向は、独裁国家ほど、顕著にな
る。ほかの意見をもたせない。もつことを許さない。つまりそもそも考える人間を必要としていな
い。

 では、日本はどうか。日本はどうだったか。日本も戦前は、今の北朝鮮のようなものだった。
あるいは江戸時代は、今の北朝鮮以上に北朝鮮的だった。こうした傾向は、私が子どものとき
ですら、何かにつけて、まだ色濃く残っていた。よく覚えているのは、政府を批判しただけで、父
や母から、それをとがめられたこと。あるいは「天皇」と呼び捨てにしただけで、父に殴られたこ
と。岐阜県の田舎のほうでは、言論の自由はもちろん、思想の自由すらなかった。

●考える人間にするために

 こう考えると、日本人が考えない民族であることは、民族性というよりも、長くつづいた封建時
代と、そのあとの君主(天皇)官僚制度の中で、「ものを考えない国民」に飼育されたためという
ことになる。しかもそれがあまりにも長くつづいたので、「考えない」ということが、社会のスミズ
ミまで、根をおろしてしまった。あるいは、脳の構造そのものにまで、影響を与えてしまった。

 言いかえると、日本人を考える国民にするということは、同時に、こうした過去の亡霊との決
別を意味する。またその決別なくして、日本人を考える国民にすることはできない。教育の世
界では、いかにして、中央による思想管理を排除するかということにもなる。家庭においては、
いかにして、価値観の多様性を、親がもつかということになる。

たとえば教科書問題をひとつ取りあげても、いまどき、検定制度があること自体、おかしい。国
としては、「まちがったことを教えたくない」という意図があるのだろうが、それは同時に、「思想
統一」につながる。繰り返すが、中央政府が、思想を統一しようとすればするほど、それは国
民から考える力を奪うことになる。

 今、この日本で大切なことは、たとえば「A」というテキストで学んだ子どもと、「B」というテキス
トで学んだ子どもが、たがいに自由に意見を対立させ、討論することである。「考える」という習
慣は、そういう軋轢(あつれき)の中から、生まれる。

 家庭においても、同じで、今のように、「学校以外に道はなく、学校を離れて道はない」と親が
考えているような状態の中で、どうやって子どもの個性を伸ばすことができるというのか。親自
身が、ガチガチの思想にこりかたまっていて、子どもに向かって、「個性をもて」「もっと考えろ」
は、ない。

●「考える」こと

 「考える」というテーマは、実は、このように奥が深い。そしてそのテーマは、個人の問題とい
うだけではなく、社会や家庭など、あらゆる部分にからんでくる。もちろん「考える」ことによっ
て、人間は、より人間らしくなる。つまり「人間とは何か」というテーマにもからんでくる。

 ……と書いても、こんなことは、実は、常識。識者の意見を並べてみる。

 よく知られているのが、パスカル(一六二三〜六二、フランスの哲学者、数学者)。『人間は考
えるアシである』(「パンセ」)と書いた、あのパスカルである。『人間は一本のアシにすぎない。
自然のうちで、もっともひ弱いアシにすぎない。しかし、それは考えるアシである』と。彼は、同じ
本の中で、こうも書いている。『思考が人間の偉大さをなす』と。「考えるから、人間は人間であ
り、そこに人間の偉大さがある」という。

 そのパスカルと、どこかで接点があったのかもしれない。さらに思考の重要性を、完結させた
のが、デカルト(一五九六〜一六五〇、フランスの哲学者)。『われ思う、ゆえにわれあり』(「方
法序説」)という、有名な言葉を残している。「私は考えるから、私はここに存在するのだ」と。も
うこの言葉を疑う人は、だれもいまい。

 「考えること」を、決して、粗末(そまつ)にしてはいけない。生きることの「柱」にしてもよいほ
ど、重要な問題と言っても、決して言い過ぎではない。
(02−12−18)

【追記】

●一般論として、人間は、そのレベルに応じて、自分のまわりに仲間をつくる。そこで、では、
そのレベルとは何かということになると、思考の深さということになる。思考の深い人は、深い
人どうしで集まる。思考の深い人は、浅い人の間にいると、落ち着かない。同じように、思考の
浅い人は、浅い人どうしで集まる。思考の浅い人は、深い人の間にいると、落ち着かない。実
は、子どもの世界もそうで、もしあなたがあなたの子どもを客観的に、どういう子どもであるか
を知りたかったら、あなたの子どもが、今、どんな友だちとつきあっているかを見ればよい。

●それはさておき、子どもでも、考える子どもと、考えない子どもは、かなり早い時期に分かれ
る。小学一年生くらいの段階で、かなりはっきりしてくる。考える子どもは、考えることそのもの
を楽しむ。そうでない子どもは、考えることから逃げる。こうした子どもの違いは、かなり早い時
期に決まるのでは。おそらく生後まもなくからの、親の接し方によって決まる? 要するに、子
どもを考える子どもにしたかったら、親の過干渉などで、子どもを振りまわさないこと。いつも親
のほうが一歩、退いて、子どもが自分で自分の考えを言うまで、待つ。この「待つ」という姿勢
が、子どもを、考える子どもにする。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●言論の自由(Freedom of Speech)

 週刊「B」が、発刊停止処分になった。元国会議員の娘の記事が問題になった。が、それに
対して、東京高裁は、発刊停止を、無効とした。当然である。

 言論の自由は、あらゆる権利の中でも、神聖不可侵な権利である。国民の権利として、最大
限尊重されねばならない。たかがこの程度の離婚問題で、言論の自由が制限されたら、たま
らない!

 しかしなぜ、その娘の記事が、週刊「B」に載ったか? 理由など、述べるまでもない。それが
わからなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 あなたの周辺にも、離婚した人がいるだろう。しかしそういう人の記事が、週刊「B」に載るこ
とはあるだろうか? ぜったいに、ない! その娘の記事が週刊「B」に載ったのは、あの元国
会議員のT氏の娘だからである。

 娘は公人か、公人でないかという議論もある。しかしその娘のことは、私でさえ、よく知ってい
る。母親のT氏と、よくマスコミにも、顔を出してきた。一方で、そうしてマスコミをさんざん利用し
ておきながら、「私生活を暴かれた」は、ない。

 ただ私にも、言いたいことはある。

 週刊「B」側は、言論の自由を盾(たて)にとって、自分たちの正当性を主張している。しかしこ
ういうくだらない記事は、「言論の自由」というときの言論とは、意味がちがう。ただのゴシップ
記事。そういう記事が問題になったからといって、言論の自由が侵害されたと騒ぐのも、どうか
している。

 週刊「B」側は、著名な文士をズラリと並べ、反論記事を掲載した。どの文士も、週刊「B」の
息のかかった、イエスマンばかりである。東京あたりで、週刊「B」に嫌われたら、メシを食って
いかれない。

 言論の自由。

 本当に、この日本には、言論の自由はあるのかという議論から、始めねばならない。もちろ
ん、くだらないことを、そのレベルで、ギャーギャー騒いでいる間は、問題ない。元国会議員の
娘の離婚記事など、その範囲の話題でしかない。

 しかしその範囲をひとたび超えて、たとえば、天皇制の問題、国歌、国旗の問題となると、そ
うはいかない。さらに日本にはびこる宗教団体の問題。政治と宗教の問題となると、さらにむ
ずかしい。

 こうした問題について、率直な意見を書いたりすると、私のところでさえ、いやがらせの電話
などがかかってくる。教室へ怒鳴り込んできた人さえいる。

 まあ、あえて言うなら、週刊「B」も、もう少し、高い視点から、日本をながめたらよいというこ
と。今回の事件は、週刊「B」が、くだらないゴシップ記事を載せた。だから、書かれた人が、待
ったをかけた。それだけの事件である。

 それを仰々しく、「言論の自由が侵害された」と、おおげさに騒ぐことのほうが、おかしい。週
刊「B」は、たくみに問題をすりかえようとしている。しかし、そうはいかない。

 こうした軽薄なゴシップ記事を書かれた人は、ウソやまちがいがあれば、そのつど、名誉毀
損(きそん)か何かで、出版社をどんどん訴えればよい。それは正当な権利である。決して、泣
き寝入りしてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●ボランティア精神・段階論(Regarding Volunteer activities)

 何らかのボランティア活動を始めると、ふつうでは経験しない、心の変化を感ずる。その変化
を段階的に考えてみた。

【第一段階・とまどい】

 たいていは、何らかのきっかけでボランティア活動を始める。だれかの指導によることもあ
る。仕事や趣味の延長で始めることもある。

 「何となくしている」と言った感じで、始まることが多い。同時に、やり始めたころは、他人の目
が気になる。少し油断をすると、「してやっている」「してあげている」という思いにとりつかれる。

【第二段階・快感】

 他人が喜ぶのを想像することは、楽しい。実際、喜ぶかどうかは、別にして、想像するだけ
で、楽しい。

 しかしそういう思いをしたことがない人には、それはわからない。あるいはなかなかこの第二
段階まで、くることができない。

 が、一度、どこかでそれを経験すると、別のボランティア活動をしても、意外と簡単に、この段
階まで、くることができる。思考プロセスが、できあがっているためと考えられる。

【第三段階・葛藤】

 しばらくつづけていると、「何のために?」「どうして?」という疑問がわいてくる。みながみな、
活動を正当に評価してくれるわけではない。

 草を好意で刈っていたら、そこへ見知らぬ他人がやってきて、「もっときれいに刈れ」と言わ
れるようなことは、この世界ではよくある。

その相手も、何らかのボランティア活動をしていたというのなら、まだ納得できるが、そうでない
人のほうが、多い。そういう人たちの、心ない言動で、キズついたりする。

【第四段階・無我】

 意識しないまま、つまりボランティア活動をしているという意識がないまま、自然な形で、そうし
た活動ができるようになる。

 何も考えず、何も求めず、何もキズつかず、無私の状態で、それができるようになる。それ自
体が、生活の一部になる。

 以上、私の憶測も含めて、段階論を書いてみた。私自身、何か大きなボランティア活動をして
いるわけではない。あえて言えば、電話相談、講演会、子育て相談などが、そうした活動の一
部ということになる。

 ただ講演会というと、多額の報酬を想像する人も多いと思うが、それは中央で活躍する有名
人の話。

 いかに少ない額かは、近くのPTAの役員の人たちに聞いてみるとよい。もし金額のことを考
えるなら、講演会の講師を務める人など、いないだろう。私は、講演を、ボランティア活動の一
つと考えながら、している。

 電話相談や子育て相談は、もちろん無料である。

 しかしそうした活動についても、あれこれ文句を言ってくる人がいる。ときどき、やりきれなくな
るときがある。

 理由の一つとして、こうしたボランティア活動そのものが、日本の社会に定着していないこと。
つぎに、それをしている人が、まだまだ少数派であること。ボランティア活動をしている人を、お
人好しのバカと見る風潮さえある。

 こうした日本人の意識を変えないかぎり、日本人全体は、成長しないと、私は思う。

 しかし、ボランティア活動には、その活動を超えた、何かがある。たとえて言うなら、ボランティ
ア活動をしていない人は、小さな画用紙の中で、絵を描いているようなもの。が、ボランティア
活動をしている人は、その画用紙をかぎりなく大きくすることができる。

 このことは、あなたの近所に住む、高齢者たちを見ればわかる。

 自分のことしかしない。自分のことしかできない。自分勝手でわがままな高齢者を見ている
と、その(小ささ)に驚くことがある。

 一方、地元の世話役などになり、無私で活動している高齢者を見ると、反対にその(大きさ)
に驚くことがある。私がここでいう「画用紙」というのは、そういう意味である。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2443)

●うつ(Depression as to my case)

I am often depressed and feel dull. Why do people get depressed and how can we get out of 
the depression. This is an article about it.

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うつについて考えてみる。
考えてみるというより、私自身に
ついて書いてみる。

何を隠そう、私は、そのうつ型人間
なのだア!

ハハハ!

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●一時的な問題

「うつ」にもいろいろある。
軽いうつから、重いうつまで。

そのときどきに、うつになる人もいれば、慢性的にうつ状態の人もいる。
そういうちがいはあるが、うつのメカニズムは、それほど、複雑ではない。

こんな例で考えてみよう。

たとえば会いたくない人と、会わなければならない状況になったとする。
仏教の世界にも、『怨憎会苦(おんぞうえく)』という言葉がある。
四苦八苦のひとつにあげられている。
会いたくない人と会うというのは、それだけでも、たいへんな苦痛である。
大きなストレスとなる。

(会いたくない)という思いと、(会わなければならない)という状況の中で、
人は大きく葛藤する。

心は緊張状態に置かれる。

よく誤解されるが、情緒不安というのは、情緒そのものが不安定になることではない。
心が緊張状態に置かれることを、情緒不安という。
そういった状態のとき、不安や心配が入り込むと、それを解消しようと、
心は、一気に不安定になる。
情緒が不安定になるのは、あくまでもその(結果)である。

ささいなきっかけでそうなる。

たとえば先の例で考えるなら、会いたくない人に会わなければならないという
ような状況になると、心は、緊張状態に置かれる。
そういうとき、あなたなら、あなたの子どもが、公園でけがをして帰ってきたとする。
頭から血が出ている。
それを見て、あなたは、いつも以上に、パニック状態になる。
ふだんのあなたなら、冷静なまま、子どもを病院へ連れていくことができる。
しかしそのときは、そうでない。
ワーワーとわめき散らす。

……という状況が、一時的なものであれば、問題はない。
会いたくない相手かもしれないが、会うことで解決する。
会うことで、たがいの関係が好転するということもありえる。

が、こうした状況が、毎日のようにつづいたら、あなたはどうなるだろうか。
来る日も、来る日も、会いたくない人と、会わなければならないとしたら……。

●何もしたくない

原因はさまざまだが、うつになると、脳の機能そのものが、変調する。低下する。
脳間伝達物質が、慢性的なストレスなどが原因で、正常に機能しなくなる。
つまりやる気を喪失する。

もう少し正確には、脳間伝達物質(セロトニンやノルアドレナリン)が、情報をつぎの
神経細胞に伝達する前に、もとの細胞に、取りこまれてしまう状態になる。
結果として、神経細胞どうしの情報の伝達が、スムーズに進まなくなってしまう。
そういう状態を、「うつ状態」という。

で、私もよくうつ状態になる。
そのときどきによって、きっかけはさまざまだが、うつ状態になると、
(1)行動面と、(2)精神面に、影響が出てくる。

行動面では、体がだるくなる。行動が鈍くなる。
精神面では、何もしたくなくなる。考えるのも、めんどうになる。

もちろん人に会うのもおっくうになる。
とくに理由はないのだが、とにかく、おっくうになる。
つまりこの段階で、私は、先に書いた、(会いたくない人と会う)というのと、
同じ状況になる。

相対的に、どの人とも、会いたくなくなる。
行動面についても、同じ。

実際、(何もしたくない)という状況のとき、それをしなければならないというのは、
苦痛である。

もう少し具体的に考えてみよう。

たとえば親しかった友人が、亡くなったとする。
通夜だ、葬儀だと、それなりに忙しく、自分を忘れることができる。
が、それが一段落したとき、どっと疲れが表に出てくる。
(何もしたくない)状態になる。
だれかが話しかけても、上の空。
ぼんやりと空を見つめている。

そういうとき、だれかに会って、仕事の段取りを決めなければならなくなったとする。
本当なら、家にいて、ぼんやりとしていたい。
しかし、仕事をしなければならない。

このとき、(したくないこと)と、(しなければならないこと)の間で、葛藤する。

●心の葛藤

いつもなら(したいこと)でも、脳の機能が低下してくると、(したくないこと)になる。
いつもなら(会いたい人)でも、脳の機能が低下してくると、(会いたくない人)になる。

繰りかえすが、相対的に、したくないことをし、会いたくない人と会うのと、
同じ状況になる。

一度、こうなると、あなたは、心の中で、慢性的に葛藤するようになる。
常に、(したくないこと)と戦わねばならなくなる。
これは先にも書いたように、相当なストレスとなって、はねかえってくる。
つまり心は、常に、ある種の緊張状態に置かれる。
ピンと張りつめたような状態になる。

たとえばこんなケースで考えてみよう。

受験勉強の最中(さなか)にある子どもがいる。
受験塾では、毎週のようにテストが繰りかえされる。
順位も張り出される。
その子どもなりにがんばってはいるが、成績は思うように伸びない。
その子どもは日常的に悶々とした状態になる。

そんなとき、母親が、「今度の成績は、どうだった?」と声をかけたとする。
母親は、軽いあいさつ程度のつもりでそう言う。
が、子どもは、そうではない。
その言葉を聞いて、突然、激怒する。
ふつうの激怒ではない。
狂人のような叫び声をあげながら、こう怒鳴る。
「ウッセー!」「バカヤロー!」と。

●反応

一度うつ状態になると、心はそれを解消しようと、さまざまな反応を示す。

基本的には、(何もしたくない)状態になる。
が、それをしなければならない。
それから生まれる不平不満は、妄想へとつながりやすい。

「こんなことをさせるのは、あいつが悪い」
「こんなに苦しんでいるのに、だれもわかってくれない」と。

あるいは、「こんな自分にしたのは、あいつだ」と思うこともある。

つまり(したくない)自分を棚にあげて、そういう自分を正当化しようとする。

これはある知人(女性)の例だが、母親の介護をするようになったときのこと。
毎日のように、あちこちに電話をかけ、こう言っていた。

「介護で時間が取られて、内職ができなくなった」
「町内会の仕事ができなくなった」
「送り迎えの自動車のガソリン代がかかるようになった」
「弟がいるが、何も助けてくれない」と。

要するにその知人は、介護をしたくなかった。
しかし「介護をしたくない」とは、言えない。
そこでその介護をしたくないという気持ちを正当化する(=ごまかす)ため、
こうした不平不満を、あちこちにぶつけた。

心理学の世界でも、こうした心理的反応を、「置き換え」と呼ぶ。
防衛機制(心を守るための心理的反応)のひとつである。
わかりやすく言えば、八つ当たりのこと。

●自責から他責へ、

うつを理解するためには、反対の心理状態を考えてみればよい。

たとえば(したいこと)を、している子どもを見れば、それがわかる。
したいことをしている子どもは、生き生きとしている。
輝いている。

さらにその状態が進むと、しなくてもよいようなことまで、するようになる。
他人の仕事まで引き受けたり、ばあいによっては、他人の責任まで、自分のものとする。

話は少し脱線するが、人は(子どもも)、大きく、2つのタイプに分けられる。

(1)自責型人間と、(2)他責型人間である。

何かあるたびに、「ごめん」「ごめん」と、自分の責任にしてしまうのを、
自責型人間という。

反対に、何かあるたびに、「あなたが悪い」「私は悪くない」と、自分以外の人やものの
責任にしてしまうのを、他責型人間という。

たとえば台の上にあった花瓶を不注意で、落としたとする。
そのとき、「ごめん」とすぐあやまるタイプが、自責型人間。
「こんなところに花瓶を置いておく人が悪い」と、だれかに責任を転嫁するタイプが、
他責型人間ということになる。

他責型人間は、うつになりにくいという。
しかしひとたびうつになると、それまでは自責型人間であった人まで、
他責型人間になる。

話をもとにもどす。

生き生きと活動している子どもは、総じてみれば、自責型人間と考えてよい。
「ごめん」「ごめん」と言いながら、さらにその先を、自分でしようとする。

●私の場合

先にも書いたが、私も、しばしばうつ状態になる。
たとえば数日前もそうで、きっかけは、友人の死であった。

何とも重苦しい気分に包まれた。
何を考えても、悲観的。消極的。
加えて被害妄想だけが、どんどんとふくらむ。

原稿としてはボツにしたが、そのとき、「先細り人生」と題した原稿も書いた。
(あとで読みなおしてみて、あまりにもうつ的だったので、ボツにした。)

基本的には、「うつ型人間」と考えてよい。
ここでいう自責型か他責型かと問われれば、完全に自責型。
何があっても、まず、「ごめん!」という言葉が先に出てくる。

だからうつになりやすい。
が、うつになったとたん、今度は、他責型に変身する。
まるで自分の中に、2人の自分がいるよう。
ときに、そう思うことがある。

たいていは、ワイフに八つ当たりをする。

が、私には、すばらしい救世主がいる。
子どもたちという救世主である。

その子どもたちに接したとたん、私のばあいは、もとの私に戻ることができる。
そういう意味では、私にとっては、職場が、ストレス発散の場所になっている。

おとといも、昨日も、実は、仕事には行きたくなかった。
(行きたくない)という自分と、(行かなければならない)という自分が、私の中で、
はげしく対立した。

が、何とか、自転車にまたがり、仕事に出かけた。
とたん、いつもの私に戻ることができた。

……ということで、今のところは、かろうじて、自分を支えている。
が、いつまでつづくかわからない。
そのうちさらに症状がひどくなるかもしれない。

休みたい。休みたいが、休めば休んだで、自分がどうかなってしまいそう。
今は、そういう状態。

+++++++++++++++

みんさんも、うつには、どうか、お気をつけください。

なおWHO(世界保健機構)の統計によれば、約3〜5%の人が、
うつ病の有病率だそうです。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist うつ うつ病 うつ状態)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2445)

●信頼関係
To trsut to each other is essential between Parents and Teachers. Otherwise education 
itself would be collapsed.

++++++++++++++++

教育は、信頼関係で、成り立つ。
改めて、それを思い知らされる事件が
あった。
「事件」というほど、おおげさな
ものではないが……。

しかし「大切なのは、信頼関係」。

Nさん、ほんとうに、ありがとう!

++++++++++++++++

ことの発端は、こうだ。
このところ反抗期に入って、何かとうるさくなってきた。
ああ言えば、こう言う式の反論を繰りかえす。
こちらの言葉尻をつかまえ、これまたああでもない、
こうでもないと言い返す。
頭もズバぬけてよいから、かなり知能的。

N兄(小3)君のことだ。

で、おとといの夜のこと。
そのクラスは、いつも午後7時ごろまでする。
本来は、6時50分に終わるクラスである。

が、その夜は、ワイフと映画を見に行くことになっていた。
で、子どもたちにこう言った。

「今夜は、6時50分に終わらせてね。
映画を見に行くから」と。

私はこういうとき、ぜったいに、ウソはつかない。
映画を見に行くから、映画を見に行くと言った。

が、翌日、N兄君の母親から、電話があった。
「うちの子が言うには、先生は、映画を見に行くから、
今夜は10分早く終わると言った。
先生がそんなことをするはずはないから、電話を
してみた」と。

いつもは7時ごろまでしているので、その子どもは、
10分、早く終わると誤解したらしい。
もしそうなら、つまり通常のレッスンを、勝手に
短縮すれば、親のひんしゅくを買って当然である。

私が親なら、怒る。
「映画に行くために、勝手に短縮するとは、何だ」
「不謹慎だ」と。

しかしN兄君の母親は、電話をしてくれた。
これが、私と親との信頼関係である。

私「N兄君は、このところ、私の悪口ばかり言っているでしょう?」
母「反抗期ですからね」
私「私が何をしても、気に入らないみたいです」
母「うちでも、そうです」と。

ついで、N弟君(小1)の話になった。
N弟君も、今、同じクラスに来ている。

母「N弟が言うには、先生は、教えてと言っても、先生は、
知らぬ顔をしていると言っています」
私「ハア〜? N弟君は、私の真横で勉強していましたから、
そんなはずはありません。私の右手が当たるところに、N弟
君のノートがありましたから……」
母「そうですよね」
私「フィクションのような気がします」と。

この時期の子どもは、平気でウソをつく。
そのウソで、親や先生を操る。
ウソが悪いわけではない。
子どもはウソをつくことで、親や先生をコントロールし、
それでもって、おとなのもつ優位性を、破壊しようとする。
自立を図る。

こんな例もある。

いつも忘れ物ばかりしてくる女の子(小4)がいた。
そこで私がその女の子にこう言った。

「今度、忘れたら、お母さんに言いつけるよ」と。

が、その女の子は、先手を打った。
家へ帰ると、母親にこう言った。
「林先生は、問題ができないと、棒で私の頭をたたく」と。

それを聞いた母親が、びっくりした。
びっくりして、私に電話をかけてきた。
その女の子は、母親がまさか電話するとまでは思っていなかったらしい。

で、その女の子のウソは、そこでバレた。

……というようなケースは、この世界では多い。
日常茶飯事と考えてよい。

で、大切なのは、信頼関係ということになる。
その信頼関係があるから、母親たちは、私に電話をしてくれる。
が、もし、その信頼関係がなければ、そこで私とその子どもたちの
関係は、終わる。

N兄君について言えば、「林は、なんて、不謹慎な男だ」ということになる。
N弟君について言えば、「ひどい教室だ」ということになる。
さらにその女の子について言えば、「とんでもない教師だ」ということになる。

では、どうするか?

私の教室のばあい、教室は、全回、例外なく公開している。
参観は、いつでも自由。
どのクラスも、いつもたいてい1〜2人。
幼児教室では、6〜8人の親たちが参観している。
親たちは、いつも私の教え方や、姿勢を見ている。

信頼関係は、そういうところから生まれる。

もちろん失敗例もある。

+++++++++++++++++++++

●冗談は、ほどほどに

 夏の暑い日だった。幼稚園へ着いて、麦茶を飲んでいると、子どもたちがやってきて、こう聞
いた。「先生、何を飲んでいるの?」と。そこで私はウイウウイと酔ったフリをしながら、「これは
ウィスキーと言って、命の水だよ」と。

しかしこの一言が、大問題になろうとは! 父母の間で、「あのはやしは、授業中に酒を飲んで
いる」という噂(うわさ)が、たってしまった。私の耳に入るころには、当時の園長の耳にも入り、
私はそれこそ、こっぴどく叱られてしまった。最近でもこんなことがあった。

 年中児でも乱暴な子どもは、乱暴だ。Kさん(五歳女児)もそうだった。「おはよう」と言いなが
ら、その場で、私を足で蹴っ飛ばす……。そのときもそうだった。そこですかさずKさんに、私は
こう言った。「ぼくは、君のような乱暴な女の子とは結婚しないからな。結婚するなら、丸山さん
のような女の子がいい」と。

たまたま最前列に座っている丸山さんが、目に入った。が、それから一週間ほどたったときの
こと。別の母親から、こんな話を聞いた。何でも丸山さんが、私の話を真に受けてしまったとい
うのだ。それで「私はおとなになったら、はやし先生と結婚する」と言って、真剣に悩んでいる、
と。

で、何とかしなければならないと思っていたら、そのまた数日後のこと。丸山さんの父親が、丸
山さんを迎えにきていた。そこで私は父親をつかまえて、こう言った。「いやあ、先日は丸山さ
んに、結婚すると言ってしまいましたが、あれは冗談です。丸山さんの心をからかったみたい
で、ごめんなさい」と。

私はこの道に入ってから、子どもの名前はすべて、名字で呼ぶようにしている。それがまずか
った。その夜遅く、丸山さんの父親と母親が、私の自宅へ押しかけてきた。「どういうことだ!」
「きちんと説明してほしい!」と。父親は、私と母親が、ただならぬ関係にあると誤解してしまっ
た。失敗は続く。

 私はよく(虫)を食べたフリをする。(泣き虫)(怒り虫)(ジクジク虫)など。得意なのは、(オカマ
虫)に(暴力団虫)。その日も怒り虫を食べたフリをして、子どもに怒ってみせた。プリントを丸
めて、それで子どもたちをポンポンと叩いてみせた。が、これがいけなかった。

その夜遅く、Mさん(年長女児)の母親から電話がかかってきた。いわく、「先生は、授業中に
虫を食べているそうですね。うちの娘が、気味悪がって泣いています。そういうことはやめてく
ださい。それに先生は、体罰反対ではなかったのですか。うちの娘は、何も悪いことをしていな
いのに、先生に叩かれたと言っています。きちんと説明してほしい」と。

 この事件のときは、説明するのに時間がかかったことといったらなかった。母親はいきりたっ
ているため、私の話を聞かない。

私「いやあ、あれは怒り虫です。ハハハ」
母「何がおかしいのですか。笑いごとではすまされないでしょう!」
私「それを食べてみせてですね……」
母「みせた?」
私「だから、それを食べたフリをしたのです」
母「フリでも、そういうことをしてもらっては困ります。あなたは頭が、少しおかしいのではありま
せんか」
私「冗談です」
母「冗談で通る話と、そうでない話があるでしょ」
私「……」と。

 子どもに言う冗談には、くれぐれも気をつけましょう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 信頼関係 親と教師の信頼関係
 教育の基本 教師と親の信頼関係)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2446)

●22人の脱北者(22 North Koreans who escaped from the country)
22 North Koreans might have been already executed after they were sent back to North 
Korea. These people, including children and women of some families, escaped from North 
Korea and captured by South Korean Navy ship. They were sent back to North Korea less 
than in three hours. In case they had been executed already, the present President of 
South Korea should have whole responsibility for it. 

2008年2月8日、未明、22人の脱北者と思われる
北朝鮮の人たちが、韓国側の海域で漂流していたところ、
韓国軍によって、身柄を確保された。

北朝鮮では、船に女や子どもを同船させることは禁じられて
いるという。脱北を防ぐためである。
そんな常識を知ってか知らずか、その22人の脱北者と思われる
人たちは、その3時間後には、韓国軍兵士によって、北朝鮮へ
と送り返されてしまった。

その後の報道によれば、その22人たちは、すでに処刑されて
しまったという。

また韓国軍がそれらの人たちを送り返した理由として、北朝鮮側から、
遭難連絡があったからだという。すみやかにそれらの人たちを保護し、
北朝鮮へ送り返すよう、ホットラインを通して、要請があったからだという。

これに対して、韓国国内はもとより、世界中から、非難の声があがって
いる。「10年にわたる左翼政権の結果」(韓国紙)という記事も
目にとまった。

北朝鮮といっても、問題となっているのは、あの独裁者。そしてそれを
取り巻く小数の為政者たち。ほとんどの民衆は、その犠牲者にすぎない。

そういう人たちが、北朝鮮を逃れて、韓国へやってきた。
「3時間」という時間は、「即座」に近い。
事情を聞かれることもなく、即座に、北朝鮮へ送り返されてしまった。
しかし今の今も、まだ韓国は、ノ政権下にある。
言うなれば、これら22人の北朝鮮の人たちは、もしすでに
処刑されているとするなら、ノ大統領によって、殺されたと言っても、
過言ではない。

いつかかならず、あの独裁国家は、崩壊する。
そして金xx一派が、歴史の中で、見なおされる日がやってくる。
そのとき、それを助けたノ大統領たちも、無事ではすまないだろう。

心のどこかで、「これは北朝鮮の問題」と割り切ろうとするが、
どうも、スッキリしない。
が、「かわいそう」だけで、すますこともできない。怒りの向け先もない。
たとえて言うなら、ヌカに釘をさすかのような歯がゆさを覚える。

怒るに怒れないというか、金xxにしても、ノ大統領にしても、さらに
言えば、あの金大中にしても、どうも得体がつかめない。

韓国に亡命した、脱北者の一人(ホン氏、元北朝鮮外交官)は、こう言っている。

「漂流してきたといっても、みな韓国へ来た同胞でありお客さんだ。それほど忙しいわけでもな
いのに、その日のうちに22人全員の調査を終えて送り返すというでたらめなことをやる国が、
韓国以外に一体どこにあるというのか」(朝鮮N報・080219)と

+++++++++++++

(以下、朝鮮N報・2月19日版より)

今月8日に西海(黄海)上で漂流していたところ、韓国船に救助された北朝鮮住民22人が北へ
送り返された事件に関し、脱北者の団体でつくる「北朝鮮民主化委員会」の副委員長で、北朝
鮮の元外交官のホン・スンギョン氏(写真)は18日、「その日のうちに北朝鮮へ送り返すという
のは、一言で言って韓国の国家機関の"職務放棄"だ」と述べた。
 
 ホン氏はタイの北朝鮮大使館に勤務していた当時、亡命を図ろうとして北朝鮮の工作員に捕
らえられ、連行される途中に車が転覆して、九死に一生を得た経験を持つ。そのホン氏は「北
朝鮮では、韓国側から漂流してきた人に対しては数カ月間調査を行い、北朝鮮の社会主義の
優越性について教育を施した上で送り返している。これはどこの国でも行われていることだ」と
した上で、「漂流してきたといっても、みな韓国へ来た同胞でありお客さんだ。それほど忙しい
わけでもないのに、その日のうちに22人全員の調査を終えて送り返すというでたらめなことを
やる国が、韓国以外に一体どこにあるというのか」と批判した。

 また、ホン氏は国家情報院の調査の内容についても不満をあらわにした。北朝鮮の法律
上、家族はもとより親戚と一緒に船に乗ることも禁止されているため、複数の家族が一緒に漂
流してきたのは、どう見ても亡命の意図があるとみるべきだ、というわけだ。

+++++++++++++++

(以下、朝鮮N報2月20日版)

  「北朝鮮民主化委員会」(ファン・ジャンヨプ委員長)など、脱北者や北朝鮮の人権問題に関
する21の団体は19日、ソウル・世宗路の政府中央庁舎の前で集会を開き、今月8日に西海
(黄海)上で漂流し、韓国の艦艇に救助された北朝鮮の住民22人をその日のうちに北へ送り
返した事件について、「真相究明と関係者の処罰」を求めた。

 各団体は「処刑されたといううわさも出ている22人の安否からまず確認するべきだ。火のな
い所に煙は立たないはずだ」と主張した。

 また、北朝鮮民主化委員会のソン・ジョンフン事務局長は「今回の事件について、北朝鮮が
いまだにコメントしていないことから考えると、22人に対して危害が加えられた可能性が高い」
と述べた。許可なく中国へ行ってきただけでも処罰されるという状況で、韓国へ密航しようとし
て送り返されたのだから、無事でいられるはずがないというわけだ。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●月刊「現代」(3月号)を読む(Reading "Gen-Dai" (March Issue)
"Gen-dai", a monthly issued magazine, is reporting about the problem of the Social 
Insurance Agency of Japan. My brain was filled with anger when I read the column, written 
by Tatsuya Iwase. Why can we remain calm when we know this fact? They should be 
punished but who must be punished? This is our bureaucracy system of Japan. Japan is not 
a country of democracy. Japan is a country of loyal bureaucracy. This fact lets us know it 
again.

月刊「現代」3月号で、社会保険庁問題が取り上げられていた。
題して「年金統合・大崩壊の現場」(岩瀬達哉)。
それを読んで、久々に、頭にカーッと血がのぼるのを感じた。

そのまま紹介させてもらう。

「……年金官僚たちは、われわれが納めた年金保険料をこれまで
7兆円も中抜きした上、グリーンピア(大規模年金保養基地)などの
拡充に浪費し、数百カ所にのぼる天下り先を確保して、2515名
ものOBを養っていたのである。

しかもそうした新たな職場では、キャリア官僚OBで、約2000万円、
ノンキャリアOBでも、500〜1000万円近い年俸が、年金保険料
を使って支給されている」(P28)と。

で、その社会保険庁問題は、いっこうに解決のきざしが見えてこないという。
この怠慢。この無責任。このデタラメさ。

現在、「宙に浮いた年金記録5000万件」(民主党・長妻昭)が問題に
なっている。5000万件といえば、日本の人口の約半数ということに
なる。

が、だれも責任を取らない。第一、その追及の矛先(ほこさき)を、
どこへ向けたらよいのかさえ、わからない。

官僚制度の弊害、まさにここに極まれりといった感じがする。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●大人旅(「GD」3月号より)(Long Vacation after Retirement)
Some enjoy a long vacation after they retire from their work. Some visit whole cities of 
Japan and others visit whole peninsulas of Japan. But what for? We have something that we 
should do, which is different from what we would like to do. To think about what we should 
do is a key point in which we can live after we retire from the work. 

定年退職をしたあと、長期の旅行にでかける人がふえているという。
「GD」(3月号)に、その特集記事が載っていた(P188)。

読んでおもしろかった。楽しかった。しかしそのあと、「私には
できないな」と思ってしまった。なぜだろう?

++++++++++++++

大人旅……いろいろなキーワードをたよりに、自分流の大旅行を
する。たとえば全国の「裸祭り」を旅する、全国の「市」を旅する、
全国の「岬」を旅する、など。

全国に裸祭りは、160か所もあるそうだ。
市については、651市。
岬については、2900以上。

さらに国際的な大人旅をしている人も、紹介されていた。

ヨーロッパの全国々(33か国)、アメリカの州都すべて(48州)
を旅した人、など。

「フ〜ン」と思ったり、「ヘ〜エ」と思ったり。

しかしそのあと、つまり読み終えたあと、「私には、とてもできないな」
と思ってしまった。それにかなり辛辣な意見に思う人もいるかもしれないが、
こうも感じた。

大人旅もけっこうだが、「だからといって、それがどうしたの?」(ゴメン!)と。

こう書くからといって、大人旅をするのがどうとか、それをして
いる人について、どうこう言うつもりはない。
そんな失礼なことを言うつもりはない。

そういう大人旅を経験した人は、その分だけ、スケールの大きな人物に
なるのかもしれない。
そこは私の知らない、未知の世界。
実際、そういうふうに変化した人の話も載っていた。

しかし同じ立場にある(私)に当てはめてみたばあい、
「私には、とてもできないな」と思ってしまった。

人生は、人、それぞれ。それぞれが何かの生きがいを見つけ、
それぞれが自分流の生き方をすればよい。しかし私が感じた
空しさは、何か?

ある男性の話が紹介されていた。

「……T県警の元警視は、退職後の無為徒食の日々にうんざり
しながらも、八方ふさがりの状態から抜け出せないでいた。
しだいに気力も失われ、屍(しかばね)のようになっていく。
その日が限界に達したのであろう。ある日突然、『カネがなくても、
テントがあれば、日本一周も不可能ではない』と思い立った……」と。

「無為徒食」とはいうが、私などは、死ぬまで働かねばならない。
「うらやましい」とは思わないが、「ぜいたくな話だな」と思った。
「カネ」の話になれば、私には、もっと、カネがない!

それに日本一周の旅といっても、個人的な享楽の追求でしかないのでは?
そのときは自分を忘れることができるかもしれない。
が、それが終わったあと、その人は、どうなるのだろう?
達成感は、あるのだろうか?

退職後……私たちはどう生きたらよいのか? 何に生きがいを
求めたらよいのか? それについては、心理学の世界では、
統合性の確立こそ重要であると説く。

つまり(すべきこと)を見出し、それを(現実にする)。
それを一致させていく。それを「統合性の確立」という。
(したいこと)をするのは、統合性の確立ではない。
では、その(すべきこと)とは、何か? 

去年(07年)の9月に書いた原稿を、読みなおしてみる。

++++++++++++++++++++

●老後が不安?

++++++++++++++

数日前の新聞(中日新聞)に、
「70%近い人たちが、老後に不安を
覚えている」というような記事が
載っていた。

あまりにも当然と思われる内容だったので、
むしろそちらのほうに驚いた。

「不安か、不安でないか」と聞かれれば、
だれだって「不安」と答える。不安で
ない人などいない。

もし「不安でない」と答える人がいたとする
なら、よほど恵まれた人か、それとも
何も考えないノー天気な人と、思って
よい。

あるいは、バリバリと仕事をこなしている
若い人?
 
++++++++++++++

 介護施設の職員は、はっきりとは言わない。言わないが、介護度によって、介護施設では、
フロアが分けられている。たとえば要介護度4前後の人は、1階の西、要介護度4〜5の人
は、1階の東、要介護度5の人は、2階の西、さらに重度の人は、2階の東、と。

 母は、一番重度の人たちが集まる、2階の東にいる。同じ部屋の隅には、鼻から管(くだ)を
通して、一日中眠っている人もいる。

 介護施設で見る老人たちの姿は、そのまま私たち自身の近未来図である。私たちは段階的
に老化し、そして最終的に、死を迎える。

私「君たちは、幼稚園(ヨーチエン)か? ぼくは、もうすぐ要支援(ヨーシエン)だ」
子「先生、ヨーシエンではなくて、ヨーチエンだよ」
私「フーン。でね、幼稚園が終わったら、どこへ行くの?」
子「小学校だよ」
私「ぼくは、要介護(ヨーカイゴ)学校だよ」

子「ヨーカイ(妖怪)? そこはヨーカイが住んでいるの?」
私「住んでいるよ。とてもこわい学校だよ。みんなね、自分のウンチで、粘土細工をして遊んで
いるよ」と。

 私が教室でよく使うギャグである。

 が、後ろ向きに考えてばかりいては、いけない。老後はだれにでもやってくる。が、それまで
は、老後ではない。老後などというものは、心の戸棚の、その一番奥に押し込めておけばよ
い。

 大切なのは、それまでどう生きるかということ。老後について言えば、すべきことを、どう、しな
がら、生きるかということ。したいことではない。すべきことを、だ。これを心理学の世界では、
「統合性」と呼ぶ。

 したいことをしているだけでは、やがて自ら、限界にぶつかる。これを「自由の限界」(サルト
ル)と呼ぶ。そこで人は、やがて自分は何をすべきかを模索し始める。そのターニングポイント
は、心理学の本によれば、「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後だという。

 この時期から人は、その基盤と方向性を模索し始める。そしてそれから後、10年とか20年
とかいう長い時間をかけて、それを熟成させる。「自己の統合性」は、青年期の「自己の同一
性」とちがい、一朝一夕にできあがるものではない。熟成期間が必要である。

 が、ここから先は、人によって、みな、ちがう。

 老後を迎えて、(すべきこと)と、(現実にしていること)を一致させる人もいれば、そうでない人
もいる。そのレベルも内容も、これまた人によって、みな、ちがう。しかしひとつのヒントとして、
つまり老後を心豊かに生きるためのヒントとして、この統合性の問題がある。

 自己の統合性をその時期までに確立した人は、心豊かな老後を、老後と意識することなく、
過ごすことができる。そうでない人は、そうでない。

 たとえば恩師のT先生は、80歳前後で、ある国際学会の長となっている。フランスで開かれ
た大会には、世界中から2000人もの、最先端をいく学者が集まったという。つい先日は、アメ
リカの化学の本を翻訳出版している。そして80数歳という年齢にありながらも、天下国家を論
じ、日本の教育についてあちこちで意見を発表している。講演活動もしている。

 私たちが見習うべき老人というのは、T先生のような人をいう。生き様そのものが前向きとい
うよりは、自己の統合性をしっかりと確立している。で、そのことを先日会ったときに、直接先生
に話すと、先生は、「統合性ねエ?」と言った。

 T先生のような人にしてみれば、統合性など、ごく当たり前のことということになる。もう40年
近いつきあいになるが、その40年前から、先生は、自分のすべきことを、しっかりと自覚して
いた。

 私がある日、「先生、食糧危機がきたら、人類はどうなるのですか?」と聞いたときのこと。当
時は、地球温暖化の問題よりも、人口爆発による食糧危機のほうが深刻な問題となっていた。

 が、それに答えてT先生は、こうはっきりと断言した。「そのために私たち科学者がいるので
す」と。「いざとなったら、合成タンパク質だって、できるのです」とも。

 私は20歳そこそこの学生だったが、その言葉に、感動した。視野そのものが、私の想像で
きないほど、広く、大きかった。たしかに食糧危機の問題は、遺伝子工学の驚異的な進歩によ
って、今のところ、何とかなっている。さらにT先生がめざしていた、水を水素と酸素に分解する
触媒の研究にしても、かなりのところまできているという。

 もし水を触媒によって、つまり電力を使わないで分解できるようになったら、それこそ人類
は、無公害のエネルギーを無尽蔵に手にすることになる。

 といっても、何度も書くが、「すべきこと」には、常に、苦労と困難がつきまとう。その苦労と困
難を乗り越えることなしに、統合性の確立は、ありえない。簡単に言えば、したいことだけをし
て、楽な生活をしている人には、統合性など夢のまた夢。その老後もまた、あわれでみじめな
ものとなる。

 そこで……実は私自身も含めてだが、「老後が不安」などと言っている人は、それだけで甘い
人間ということになる(失礼!)。本来なら、そんなことを考えるヒマなど、ないはず。楽天的な
言い方をすれば、そのときがきたら、また、そのとき考えればよい。

 ……ということで、私は、今日もがんばる。これから熱海まで行き、夕方は、伊東市の小学校
で講演をしてくる。明日も袋井市での講演会が待っている。体の調子はあまりよくないが、電車
の中で眠っていけば、だいじょうぶだろう。

 2007年9月10日、みなさん、おはようございます!


林様:

  「老いる」ということは「生きている」ことです。 「老いて初めて老いを経験 
するのです。 若いうちは分からなかったことを。 それだけ「学ぶ」ことになるの 
です。 めきめき老いながら、毎日感謝です。 有り難うございました。

  田丸謙二

++++++++++++++++

私たちはそのときがきたら、自分の命を、つぎの世代の人たちに
還元していく。
「還元」という言葉は、藤沢市に住むI氏がよく使っている
言葉である。すばらしい言葉である。

孫の世話と庭いじり……それだけで老後を終えてはいけない。また
そんな老後を、けっして理想の老後と思ってはいけない。

大切なのは、私たちが得た知恵と経験を、つぎの世代の人たちに
伝えていくこと。つぎの世代の人たちが、それぞれ、よりよい
人生を送ることができるようにするために、である。

それを「還元」という。

「大人旅」については、また別の機会に考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2447)

●介護(Care Service)
The other day my mother was carried to a hospital abd received a medical check. But it 
was just a check. They did not pay any attention to what my mother complains about her 
condition. As the number of old men and women grows, we can receive less and less care 
service in the future. Now is just the beginning of the tragedy.

++++++++++++++++

団塊世代よ、
これからの老後は、ますます
きびしくなるぞ!

++++++++++++++++

先日、母が、救急車で病院へ運ばれた。
幸い、検査の結果、なにごともなかった。が、そこでのこと。
病院側の、あまりに、無神経な対応に、驚いた。

脳梗塞の疑いがあるということで、センターは、救急車を呼んでくれた。
そのこともあって、病院では、検査は、脳梗塞に関するものだけ。
脳のCTスキャンを撮影しただけ。
で、その心配がないとわかると、「何ともありません」と。
母は、そのまま、返された。
ふつうのタクシー、で!

ワイフが、寝台つきのタクシーを呼んでくださいと頼んだが、
「今の時間は、あいていません」と。

現に、右半身に力が入らない。
まっすぐ体を立てて座っていることができない。
食欲がなく、体の随所の痛みを訴えている。

そういう母の症状には、一顧もしない。
要するに、「どうでもいい」という姿勢。それが、見え見え。

「老人医療というのは、そういうものかな?」とは思ったが、
それにしても……?

母には、命あるかぎり、できるだけ長く生きていてほしい。
母には、つらい毎日かもしれないが、それでも、私はそう思う。
しかし現実は、そうは甘くない。

今、母が入居しているセンターにしても、入院治療が必要になった
ときには、出なければならない。
看護師は何人かいるが、医師はいない。

そんな話を、知人(60歳、女性)にすると、その女性はこう言った。

「そんなの、まだいいほうですよ。
うちの父のときは、『もう平均寿命を過ぎていますから』といって、
満足な検査すらしてもらえませんでした。

認知症になった母のときは、『私の病院では、治る見込みのある
患者さんを治療します』と言われました」と。

つまり「治る見込みのない患者は、治療しない」と。

こう書くからといって、病院や医師を責めてはいけない。
これが現実だということ。
そしてその現実は、年を追うごとに、ますますきびしくなってきている。
現在の介護制度を見て、「私たちも同じような介護を受けられるはず」と
あなたが思っているとしたら、とんでもないまちがい。

私たちは、やがてゴミのように、捨てられる?
そんな時代が、すぐそこまで来ている。

ところでその母のことだが、会うたびに、「帰りたい」と言う。
「どこへ?」と聞くと、「(郷里の)K村へ」と。

何度か連れて行くことも考えたが、今の母には、無理。
中型の寝台つきのバスのような車を借りれば、何とか可能だが、
そういうバスはあるのか?

もっとも、今の今でも、母は恵まれている。
三食は、母の健康に合わせて、献立されている。
一年を通して、室温は一定。
24時間態勢で、手厚いケアを受けられる。

そういう母を見ながら、私とワイフは、いつもこう言い合う。

「ぼくたちがああなったときは、とてもこんな介護サービスは
受けられないよね」と。

やがてそのときがくるだろう。
そのときは、静かに死を受け入れる。
いや、これは母のことではない。
私自身のことだ。

現実がどうであれ、そういう現実をつくったのは、ほかならぬ、
この私たちなのだ。
文句を言うほうが、おかしい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2448)

●Stop the Concert at Pyong Yang for Kim Jong Il!

ピョンヤンでの、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの公演に、抗議の念をこめて、
強く反対します。

We are strongly to oppose here against the Concert held in Pyong Yang for Kim Jong Il on 
Feb. 26th. The concert means nothing but to show the obedience to the tyrant for his 
profits. Mrs Rice and Mr. Hill, wake up your eyes and see the fact lying there in fron of you. 
You are to be utilized by him.

平壌で26日に行われるニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの公演で、北朝鮮の金
正日(キム・ジョンイル)総書記はオープニングから観覧せず、演奏途中の休憩時間に姿を見
せるものとみられる。北京の北朝鮮消息筋が21日に明らかにしたもので、公演を貴賓室で最
初から最後まで観覧することは多分ないだろうとしている(ヤフー・ニュースより)。

North Korean Kim Jong Il General Secretary doesn't see it at the concert of New York 
Philharmonic orchestra held in Pyongyang on the 26th from the opening, and it is seemed 
that he will appear in the rest period in the middle of the performance.
2008/02/23記


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2449)

【今朝・あれこれ】(2月22日)

●友人の離婚

++++++++++++++

オーストラリアの友人のひとりが、
離婚した。

離婚したのは、昨年の夏ごろだが、
財産分与で、もめているらしい。
英語では、「Legal Seperation」と
いう。

たがいに収入があったため、財産を
どう分けるかが、問題になっている?

そのため日本へ来る予定が、延びて
いる。
私も3月に会いに行く予定だったが、
少し延期した。

よい奥さんだった。
37年もつきあっていると、私と
その友人、私と奥さんの距離は、
ほとんど、同じ。

友人が離婚したことによって、私と
その奥さんとの関係は切れた。

本来なら、私と友人の関係は、私と
友人の関係、私と奥さんの関係は、
私と奥さんの関係と、割り切って
つきあえばよいのだが、日本人の
私には、それができない。

いくらたがいと親しくても、こと
夫婦の問題となると、私のような
他人が入り込むようなスキはない。
成り行きを静かに見守りながら、
現実を受け入れるしかない。

その友人は、「昨年(07)は、
ひどい1年だった」とメールの
最後に書いていた。

改めて、「夫婦って、そういうもの
かなあ」と、考えさせられた。

+++++++++++++++

●作曲

このところ、自転車に乗るたびに、何かのメロディーを口ずさんでいる。
歌詞はできているのだが、どうもそれをメロディーに載せることができない。

I am alive(私は生きている)

I can run.(私は走ることができる)
I can walk.(私は歩くことができる)
I can see.(私は見ることができる)
I can hear.(私は聞くことができる)
I can feel your warmness of love.(私はあなたの愛の暖かさを感ずることができる)
I can feel I am here and I am alive.(私はここにいて、生きているのを感ずることができる)
What else can I want to get?(ほかに何を得ることができるのか)
In this world.(この世界で)
In this universe.(この宇宙で)
Whatever I am and whatever you are,(私が何であれ、あなたが何であれ)
I love you. (私はあなたを愛する)
Yes, I do love you.(そうとも、私はあなたを愛する)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2450)

●大人旅(2)(A long journey after the retirement)

Those who have lived in the same generation as mine have felt some kind of burdens on our 
shoulders all the time while we were working. It is a kind of freedom in a water tank. We 
mistake it for the freedom. But it is a fake freedom. A man started a long journey after he 
retired from his job. I can understand why he did it.

+++++++++++++++

私たちの世代は、いつも何かを
犠牲にしながら生きてきた。

「自由」と言いながら、その自由
というのは、「しくまれた自由」(尾崎豊)
でしかなかった。

まじめに(?)生きることが美徳とされ、
そのワクの中だけで生きてきた。

「会社人間」「組織人間」と呼ばれた
人ほど、そうではなかったか。

だから定年退職とともに、社会の外に
放り出された人の衝撃も、これまた
大きい。

昨日、ある男性の話を書いた。
月刊GDに載っていた記事である。
元警視だったその男性は、こう
言ったという。

「……退職後の無為徒食の日々にうんざり
しながらも、八方ふさがりの状態から抜け
出せないでいた。
しだいに気力も失われ、屍(しかばね)の
ようになっていく……」と。

しかし程度の差こそあれ、それは私やあなた
の現実の姿でもある。

だからその男性は、ある日、突然の長旅
に出る。
それまでの呪縛から、自らを解き放つかのように……。

誤解があるといけないので、もう一度
確認しておく。

私はそういう大人旅が、無駄だとか、
意味がないとか、そんなことを書いたの
ではない。

その男性はその男性なりの方法で、自分を
取り戻そうとした。「私」の再発見といって
もよい。それを目指した。

ただ私とは立場が大きくちがうのは、
私は、20代のはじめから、自由に生きて
きたということ。
呪縛そのものを受けつけなかった。
組織とも肩書きとも、無縁の世界を生きてきた。

したいことをした。
20代のうちに、世界中のほとんどの国を
見て回った。
「旅」というよりは、「仕事」でそうしたが、
立場は、あくまでもフリーターだった。

一方、その男性は、元警視。
警察機構の中で、順当に仕事をこなし、それ
なりの地位についた人である。
つまりその分だけ、組織の中で、がんじがらめに
なっていたにちがいない。

だから爆発力も大きかった(?)。
だからそのような大人旅ができた。

一方、私には、その爆発力は、あまりない。
「私にはできないな」と思った理由は、
そんなところにある。

決して、大人旅を、どうこう批判するために
そう書いたのではない。

どうか、どうか、誤解のないように!


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●これから講演(Speech)
I am going to have a speech this afternoon at a near-by school. I become more nervous 
when I do it near to my neighbourers. They know me. I know them. I will talk about myself 
exactly as I am.

+++++++++++++++++

これから講演に行ってくる。
地元のO小学校である。
自転車で、10分ほどのところ。
地元であるだけに、かえって緊張する。

昨日も、近くの銀行へ行ったら、
窓口の女性に、「林先生ですね」と
言われてしまった。

こわ〜イ!

で、どんな話をするか?
大筋は決めてあるが、あとはその場の
雰囲気。

いや、今日は、子どものウソ、悪口、
盗みかの話から入るつもり。

気取った話は、やめよう。
気取ってもしかたない。
みな、私の正体を知っている。

ただコンディションはあまりよくない。
昨夜1単位、今朝1単位、サイクリングを
した。(1単位=40分の運動)

なまった体では、講演はできない。
が、少し、無理をしたかな?
かえって疲れが表に出てしまった。

++++++++++++++++

●たった3部が、1億円!(300 million yen =abt 3 million US dollars 
only for 3 copies of booklets)

(The National Government paid 300 million yen for 3 booklets, issued by "Association of 
Internatuional Construction Technonogy", which is an assistant organization of The Ministry 
of Land, Infrastructure of Japan. Moreover these booklets were issued, copying other 
materials officially issued in overseas. But who paid 300 million yen only for these copies?)

またまた驚いた。
たった3部で、1億円!

国土交通省が、社団法人「国際建設技術協会」(=もちろん国交省の天下り先)
に発注した報告書が、たった3部で1億円ものコストがかかったという。

しかも、……驚かないで、読んでほしい。中日新聞の記事(08年2月23日)
をそのまま紹介する。

「……海外の道路関係情報などに関する調査で、『海外の道路関係情報』などに
関する調査で、費用は、9200万円。3か月間で、報告書を作成した。
しかし製本したのは、たったの3部だけで、報告書の半分は、世界銀行
などのデータの引用だった。

 ウィキペディアの流用とみられる部分も、4、5か所みつかり、インターネット
上の文書を自動翻訳したともられる意味の通じない部分もあったという。

 同協会の常勤役員3人は、全員、国交省からの天下りで、理事長は、年収約
1800万円。同様に国交省から約6000万円で受注した別の報告書では、
前年度の報告書の引き写しが相当部分を占めたという」(同紙)と。

しかしみなさん、こんなのはまさに氷山の一角の、そのまた一角。しかも
こうしたインチキが、今の今も、全国津々浦々でなされている。

さらにこうした事件が明るみに出たからといって、だれも責任を取らない。
責任を追及されても、職員はそのまま、別の組織に配置換え。クビになることは、
ぜったいにない。方法がさらに巧妙になるだけ。

日本が、なぜこうまで高コスト社会なのか? 世界的な標準からみても、2倍
は高い。その理由は、こんなところにもある。つまり不必要なところで、不必要な
費用を払っている。

もしそれらの費用が、一般庶民に還元されたら、日本人は、今より、2倍は、豊かな
生活ができるはず。

今より2倍、大きな家に住み、2倍、豪華な車に乗り、2倍、おいしいものを
食べられるはず。

しかしそれにしても、3部で、1億円とは! おったまげた! 驚いた! そして
怒った!

官僚どもよ、いいかげんにしておけよ、ほんとうに!
日本政府は、日本国民の名のもとに、関係者を詐欺罪で、告発すべきではないのか。


****************以上 2450****************
              2008年  2月  23日終了



































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