最前線の子育て論byはやし浩司(12)

最前線の子育て論byはやし浩司
(2100  〜  )
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最前線の子育て論byはやし浩司(2100)(07年7月19日)

●造話テスト法(子どもの心理)

 
(日本文芸社・「臨床心理学」(稲富正治著)より転載)

 BW教室でも、造話テストをよくする。子どもの作文力を訓練するには、たいへんすぐれた方
法である。

 それを心理学のレベルまで高めたのが、P−Fスタディと呼ばれるテスト法である。「投影法
の1種で、(絵画欲求不満テスト)とも呼ばれています」(「臨床心理学」・稲富正治著)とある。

 そのテストを、そのまま、私の教室でも実施してみた。結果、たいへん興味深い事実がわか
った(07年7月)。

 まず、子どもたちが書いた回答を、紹介する(原文のまま)。

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★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったんだ。ほんと
うに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いったんだよ。ボ
クのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるいじゃん。それに、キミ 
めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)


★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだって、あそび
たかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかった」(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができなかったんでし
ょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶんがわるくな
るんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってから べんきょ
うすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他責・固執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他責・固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よかったじゃ
ないか」(他責・固執型)

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 ざっと読んだところ、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにして、どこまでも自分には責任
がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だが、A君
は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、思慮深く、静か
な落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、相手を責め
まくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反対の回答を書いたと
しても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかという点
で、たいへん興味深かった。

 なおこの(P−Fスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分けて考える
(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおもしろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのものである。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 P−F
スタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト) 


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子どもの欲求不満については、たびたび
とりあげてきた。

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子どもの欲求不満を防ぐ法・(スキンシップでなおせ!)

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。

私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで
私に飛びかかってきた小学生(小4男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけ
て肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小5)もいた。こうした
攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱
い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考える。

(2)退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

(3)こだわり・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(こだわり性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩ん
だりする(執着性)。

ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近多く見られるの
が、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす。

ある男の子(小5)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そうに
カバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言っ
た。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの
未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは
幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。

その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男児)はそれ
までは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったということで、別の部屋で寝
るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その子どものケースでは、目つき
が鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。

子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで…
…」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。

そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不満症状
が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決する。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2101)

【老後の統合性】

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(何をしたいか)ではなく、(何をすべきか)。

その(何をすべきか)を見出し、
現実の自分を、それに一致させて
いく。

それが老後を豊かに生きるための
秘訣ではないか。

そんなわけで、ここでもう一度、
老後の統合性を考えてみたい。

ただ、この老後の統合性を考える
上で、ひとつだけ条件があるとするなら、
それは大前提として、無私、無欲でなければ
ならないということ。

そこに功利、打算が入ったとたん、
統合性は、霧散する。

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●青年時代の同一性

 若いときは、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)を一致させれば、それですんだ。
(と言っても、それとて簡単なことではないが……。)

 よく「私、さがし」とか、「自分、さがし」という言葉を使う人がいる。そういう人たちは、結局は、
(自分のしたいこと)がわからない。(自分はこうあるべき)という「像」がつかめない人とみてよ
い。あるいは(自分のしたいこと)と、(していること)を一致させることができない人とみてよい。

 だから、迷う。悩む。苦しむ。

 もう少し心理学的に説明すると、(自分はこうあるべき)という像を、「自己概念」という。そして
そこには、(現実の自分)がいる。その現実の自分を、「現実自己」という。この両者が一致した
状態を、「自己の同一性」という。

 自己の同一性を確立した若者は、(何も若者にかぎらないが)、それなりに強い。ひとつの目
標に向かって、自分を燃焼させることができる。そうでない若者は、そうでない。

 私も、実は、高校2年の終わりまで、工学部の建築学科をめざして、勉強していた。さらにそ
の前はといえば、大工になりたかった。しかし高校2年から3年にかけて、半ば無理やりに進路
を変えられてしまった。

 それはたとえて言うなら、好きでもない男性と、不本意な結婚をした女性の気持に似ている。
顔を見るのもいや、においをかぐのもいや。肌に触れられるのは、もっといや。そういう男性と
結婚した、女性の気持ちに似ている。

 私は生涯において、そのとき、もっとも息苦しく、精神的にも不安定な時期を迎えた。

 つまりここで私は、いわゆる「同一性の危機」を迎えたことになる。わかりやすく言えば、リカ
ちゃん人形のコスチュームを着せられ、踊りたくもないのに、舞台の上で踊らされたようなも
の。そのとき私は、私でなくなってしまった。

 が、やがて水が低いところを求めて流れていくように、私は私なりの道を見つけ、今の私にな
った。しかしそれとて、10年単位の時間がかかった。今でも悔やまれるのは、あのとき、どうし
て私はもっと自分を主張できなかったかということ。「そんな有名な大学でなくてもいい」「私は
工学部へ進みたい」と。

●何をすべきか

 話が脱線したが、今でも、心のどこかに不完全燃焼感がないわけではない。「何か、やり残し
た」という思いである。しかし年齢とともに、私はもっと大きな問題をかかえるようになった。

 が、ここで誤解しないでほしいのは、(年齢)という数字が、問題ではないということ。「40歳」
「50歳」という、(数字)には、ほとんど意味がない。問題なのは、(命の限界)である。加齢とと
もに、その(命の限界)を強く感ずるようになる。

 もっと端的に言えば、「死」である。「死」をそこに感ずるようになる。とたん、今まで見てきた
風景が一転する。つまりそれまでは、(自分のしたいこと)をすること、で、自分を満足させるこ
とができる。しかしそういう自分に対して、「……だから、それがどうしたの?」と、問いかけるよ
うになる。

 おいしい料理を食べた……だから、それがどうしたの?
 すてきな旅館に泊まった……だから、それがどうしたの?
 性能のよい新車を買った……だから、それがどうしたの?、と。

 そこで心理学者たちは、「統合性」という言葉を生み出した。同一性の問題が、(自分のした
いこと)と(現実にしていること)を一致させることだとするなら、統合性の問題は、(自分のすべ
きこと)と(現実にしていること)を、一致させること、ということになる。

 (したいこと)と(すべきこと)は、基本的な部分で、大きくちがう。自分の欲望のおもむくまま、
享楽的に何かをすることを(したいこと)という。(したいこと)をしているときは、だれしも、楽し
い。時の流れることさえ、忘れることができる。

 しかし(すべきこと)には、多くのばあい、苦痛や苦労がともなう。さらにほとんどのばあい、
(すべきこと)は、(したいこと)ではない。(できればしたくないこと)であることのほうが、多い。

 しかも(すべきこと)というのは、無私、無欲でしなければ意味がない。功利、打算を考えたと
たん、(すべきこと)は、そのまま霧散してしまう。

●「死」という限界状況の中で

 が、「死」をそこに感ずるようになると、(したいこと)の魅力が急速に薄れ、それにかわって、
「私は、最後に何をなすべきか」を考えるようになる。もっと言えば、(自分という人間の存在の
意味)を考えるようになる。

 それがわからなければ、仮に私やあなたが、何かの大病を患ったばあいを想像してみれば
よい。医師から、「あなたの命は、あと1年です」と宣告されたようなばあいでもよい。

 たった1年だぞ!

 そうなったとき、あなたはどういう心理的反応を示すだろうか。たった1年しかないことを嘆き
悲しみ、取り乱して、ワーワーとわめきつづけるだろうか。それとも(自分のすべきこと)を自覚
して、それに向かって、つき進むだろうか。もちろん、その中間もあるだろう。

 少なくとも、(したいこと)をしたからといって、ポッカリとあいた心のすき間を、それで埋めるこ
とはできない。さらに言えば、(死という限界)を感じるようになると、名誉、地位、肩書きのむな
しさを、思い知る。山のように積まれた札束とて、ただの紙くずになる。

 そこで改めて、私やあなたは、こう考える。「私は、なぜ、ここにいるのか?」と。

 ここで寿命を1年と書いたが、それが20年でもかまわない。30年でもかまわない。もうすぐ
私は満60歳になるが、どうがんばっても、あと30年前後しか生きられない。しかも「健康寿命」
というのもある。平均寿命から10年ほどを引いた年齢を、健康寿命という。

 言いかえると、晩年の10年は、(不健康との戦い)ということになる。脳梗塞、認知症、持病
の悪化などなど。家庭医学書に書いてある、無数の病気が、そこで私やあなたを待ちかまえて
いる。してみると、私の命などというものは、長くみて、あと20年。20年もあれば、御(おん)の
字ということになる。

 1年でも寿命なら、20年でも寿命である。

 しかしここでおかしな錯覚にとらわれる。「1年だと短いが、20年だと長い」という錯覚であ
る。1年と宣告されると、あわてる人は多い。が、そんな人でも、20年と宣告されれば、あわて
ない。「ひょっとしたら、100歳を超えても、自分だけは健康で生きられるかもしれない」という、
ばくぜんとした期待感が、自分から死の恐怖を遠ざけてくれる。

 そういうことはある。

 しかしそれが、「私は、なぜ、ここにいるか?」という問題の答になるわけではない。わかりや
すく言えば、今、そこにある問題を、先延ばしにしているだけ。

●真の自由

 ところで(自由)には、2つの意味がある。行動の自由と、魂の自由である。行動の自由はと
もかくも、魂の自由は、ハイデッガー流に考えるなら、死の恐怖から解放されてはじめて、自分
のものとすることができる。

 死は、私やあなたから、すべてのものを奪う。そういう意味で、「死は不条理なり」という。つま
りいくら「私は自由だ」と叫んでも、「死」を前にしたら、「私」など、空中に浮かぶ、かげろうほど
の意味もない。事実、死ねば、私やあなたは煙のごとく、この世界から消える。

 そこで実存主義を信奉する哲学者たちは、「無私」という言葉に行きついた。「私」があるから
こそ、死は恐怖となる。が、もし「私」がなければ、失うものは、何もない。つまり死の恐怖から、
解放される。無一文の人は、泥棒を恐れない。無肩書きの人は、地位を失うことを恐れない。
それと同じに考えてよい。

 (すべきこと)には条件があると書いた理由は、ここにある。私やあなたは、(すべきこと)をす
ることによって、真の自由を手に入れることができる。またそれが(すべきこと)の最終目標とい
うことになる。

●あるべき老後とは

 話がこみいってきたので、結論を急ぐ。

 老後を心豊かに生きるためには、(自分のしたいこと)だけをしても、意味はない。よく、「老後
は孫の世話と庭の手入れ、それに旅行三昧(ざんまい)の生活をしたい」と言う人がいる。しか
しそうした生活は、けっして老後のあるべき姿ではない。またそれをしたところで、心のすき間
を埋めることはできない。
 
 私やあなたは、(自分がすべきこと)をする。個人によってテーマはちがうかもしれない。が、
(自分がすべきこと)を知り、それに向かって、前に進む。

 が、ここで重大な問題にぶつかる。(自分がすべきこと)というのは、そうは簡単には見つから
ない。またそれを見つけるにしても、下準備というものが、必要。その下準備が熟成されて、そ
れが(すべきこと)につながる。

 ユングの「ライフ・サイクル論」によれば、40歳前後から、人は、(人生の正午)を過ぎ、中年
期、さらには老年期へと向かうとされる。その年齢を、40歳とした。なお「自己の同一性(アイ
デンティティ)」という概念は、エリクソンという学者が考えたものである。

ユングの説によれば、つまり発達段階論によれば、そのころから、(自分のすべきこと)の下準
備をしなければならないことになる。しかし40歳でも、早すぎるということはない。30歳でも、早
すぎるということはない。

 先に書いた統合性の問題は、何も、老人たちの問題ではないということ。むしろ、「死の限
界」を感ずるようになってからでは、遅いということ。そのことは定年退職していく人たちを見れ
ば、わかる。

 私の友人、知人たちは、今、いっせいに、その定年退職を迎えつつある。それぞれ老後の夢
をもっている。「日本中を車で一周する」「農地を買って、百姓をする」「本を1冊、書く」とかな
ど。中には、どうしてそういうジジ臭いことを考えるのかよくわからないが、「四国八十八か所め
ぐりをする」と言う人もいる。

 しかしみな、それまでのキャリアを、その時点でへし折られることになる。私も、その1人だ
が、「今までの私は何だったのか」と、それを思い知らされる。あるいは「今まで私は、何をして
きたのか」でもよい。

 老後という乾いた道には、何もない。恐ろしいほど、何もない。しかもその道は、先へ行けば
行くほど、細くなる。左右は、断崖絶壁。その下では、「死」が、「おいで、おいで」と手招きして
いる。で、せいぜい私たちができることと言えば、その道を、ただ黙って、静かに歩くこと。

 ……というのでは、あまりにも悲観的すぎる。そこで再々度、「統合性」の問題ということにな
る。

 私やあなたは、何をすべきなのか? またその(自分がすべきこと)を、どうすれば、現実の
自分と一致させることができるのか? あるいは私やあなたには、その下地があるのか? ど
うすれば、その下地を発展させることができるのか?

 私はあと数か月で、満60歳になる。まさに正念場を迎えることになる。

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少し前に書いた原稿を、少し
手直しして添付します。

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【老齢期の絶望】

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老齢期は老齢期で、
自分のアイデンティティを
確立しなければならない。

自分を真剣の見つめなおさなければ
ならない。

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●自分を受け入れる

 老齢が近づいたら、それまでの自分を受け入れ、肯定すること。エリクソンは、それを「(人生
の)統合性」と呼んだ。

「老齢」といっても、50代、60代のことではない。ユングの「ライフ・サイクル論」によれば、40
歳前後から、人は、(人生の正午)を過ぎ、中年期、さらには老年期へと向かうとされる。

 この時期までに、その人のアイデンティティ(=自己同一性)は、おおかた決まってくる。が、
中には、そのアイデンティティをかなぐり捨ててまで、別の人生を歩もうとする人がいる。

 こんな話を耳にした人は多いと思う。

 「第二の人生」と踊らされて、退職後、田舎暮らしを始める人たちの話である。私が知るかぎ
り、こうしたもくろみは、たいてい失敗する。たとえば浜名湖の北に、Aという村があった。退職
者たちが集まってつくった村である。

 当初はマスコミにも騒がれ、それなりに注目されたが、それから15〜20年。今は見る影もな
い。荒れ果てた原野に逆戻り。地元の小学校で校長をしている男性に理由を聞くと、こう話して
くれた。

 「周囲の村の人たちと、うまく溶けこめなかったからです」と。

 それも理由のひとつかもしれないが、心理学的に言えば、アイデンティティの崩壊が起きたか
らと考えるのが、正しい。つまり、それまでに自分がつくりあげてきたアイデンティティを放棄し、
別のアイデンティティを求めても、うまくいかないということ。生命力にあふれた成人前期(ユン
グ)でも、アイデンティティの確立はむずかしい。いわんや、中年期においてをや。

 人生の正午を過ぎると、精神力、体力は急速に衰えてくる。それ以上に、「死」をそこに感ず
るようになる。時間の限界を覚えるようになる。言うなれば、断崖絶壁の上に立たされたような
状態になる。

 そういう状態で、それまでの自分を否定する。それまでの自分とはまったく別の人生を歩もう
とする。が、それはそのまま、想像を絶するストレッサーとなって、その人にはねかえってくる。

 たいていの人は、この段階で、もがき、あがき、そして苦しむ。自己否定から、絶望する人も
少なくない。

 もっとも、だからといって、たとえばここに書いたような田舎暮らしに、みながみな、失敗すると
いうわけではない。中には、それなりにうまく、田舎に溶けこんでいく人もいる。

●屋久島に移り住んだ知人

 たとえば私の姉の義理の叔父は、50歳を過ぎるころまで、名古屋市内で事業を営んでい
た。が、そのころ会社を他人に売り払い、そのまま、屋久島に移り住んだ。九州の南にある、
あの屋久島である。5、6年前に80数歳の歳で亡くなったが、その人のばあい、30年以上、そ
の屋久島で、田舎暮らしをしたことになる。

 それには理由がある。

 姉の義理の叔父は、それまでも、つまり若いときから、年に数回は屋久島に旅をつづけてい
た。屋久島に心底、惚れこんでいた。そういう下地があった。だからうまくいった。うまくいったと
いうよりは、移住した時点で、(自分がしたいこと)と、(現実の自分)を一致させることができ
た。

 そういう例なら、私にも理解できる。しかしそれまで都会でサラリーマンをしていた人が、突
然、田舎へ移り住んで、それでうまくいくということは、心理学的に考えても、ありえない。いくら
それが(自分がしたいこと)であっても、それに合わせて、(現実の自分)をつくることは、たいへ
んなこと。並大抵の努力ではできない。遊んでいても暮らせるならまだしも、農業を職業とする
となると、なおさらである。

 では、どうするか?

●生の縮小

 大切なことは、冒頭にも書いたように、老齢が近づいたら、それまでの自分を受け入れ、肯
定すること。あるいはそれまでの人生の延長線上に、自分を置くこと。ユングは、「生の縮小」と
いう言葉を使った。が、だからといって、それは敗北を意味するのではない。「生の縮小」とは、
自分の限界を認めること。「ああ、私はこんなものだ」「私の人生は、こんなものだ」と。

 そしてその範囲の中で、自分ができることを模索する。そういう意味では、ユングも言ってい
るように、この時期こそ、自分を真剣に見つめなければならない。またその努力を怠ってはい
けない。

 私も、もうすぐ満60歳になる。定年退職ということはないにしても、心の中では、すでに老齢
期の過ごし方を準備している。しかしその過ごし方は、今の私とまったく別のものではない。「6
0歳を過ぎて、何をすべきか」「70歳になったら、何をすべきか」という視点で、ものを考える。

 でないと、自分がバラバラになってしまう。へたをすれば、先にも書いたように、自己否定か
ら、絶望へと進んでしまう。が、何としても、それだけは避けなければならない。そのためにも、
今こそ、私は、自分を真剣に見つめなおさなければならない。

 ついでに一言。

 私はときどき、ふと、こう思う。もし神様か何かが、私にこう言ったとする。「お前を、奇跡によ
って、もう一度、青春時代に戻してやろうか?」と。

 しかし多分、私は、こう答えるだろうと思う。「これからも健康でいたい。長生きをしたい。その
ために努力はする。しかし同じ人生をもう一度歩めと言われるなら、それは断る。人生は、一
度でたくさん」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 老齢
期の統合性 アイデンティティ アイデンティティの確立 人生の正午 生の縮小)

【補記】

この恐ろしいほどのニヒリズムは、
どこから来るのか?

地球温暖化の問題にしても、ふと、
「私には関係ない」と思ってしまう。

「少なくとも、私が死ぬまでは、
だいじょうぶ」と。

あるいは政治の問題にしても、
「勝手にしろ」と思ってしまう。

「どうせ、なるようにしかならない」と。

私のワイフですら、ときどき、
こう言う。

「あなた、1人くらいが悩んだところで、
どうにもならないのよ」と。

が、その一方で、その私を、急(せ)きたてる
ものがある。

「急げ、急げ、急がないと、間に合わないぞ」と。

それが今、こうしてものを書く原動力に
なっている。

そこに何があるか、私にもわからない。
なぜ、こうして毎日ものを書いているのかさえ、
私にもわからない。

しかし今の私が、今までの私の結果であると
するなら、今の私は、今の私をそのまま
受け入れるしかない。

今さら、ゴビの砂漠で、ヤナギの木の苗を
植えろと言われても、できるものではない。

老人介護センターで、ヘルパーのボランティア
活動をしろと言われても、できるものではない。

またしたところで、満足感を得られるもの
ではない。私は、その下準備をしてこなかった。

つまり私は私で、今の私を、貫くしかない。

「そのうちいいこともあるだろう」という程度の
淡い期待感でしかないが、悪いことばかりではない。

昨日も、1通の礼状が届いた。私はそれを
ポケットに入れたまま、そのつど、何度も
読み返した。うれしかった。励まされた。

私がしていることが、どこか知らないところで、
知らない人に、小さな感動を与えている!

私のすべきことは、こんなところにあるのかも
しれない。

あとは、それに向かって、前に進むだけ。
もう迷っている暇はない。

だれが何と言おうとも、私の知ったことではない。
私は、私の道を進む。

それが私にとっての、(統合性の一致)という
ことになる。

++++++++++++++++++

先日、磐田市のN公民館でした講演会についての感想が届いています。これをお送りください
ました、館長、ならびに担当のTさん、どうもありがとうございました。昨日から今日にかけて、
ポケットから取り出し、何度も読み返しました。うれしかったです。手紙がくしゃくしゃになってい
るのは、そのためです。

 


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2102)

【今日・あれこれ】(7月21日)

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昨夜は、仕事が終わると、そのまま
山荘へ。

一晩、そこで泊った。

朝、早く、小雨が降る中、
ヒグラシが鳴き始めた。

静かな声だった。
やさしい声だった。
心の奥にしみいる、
澄んだ声だった。

カナカナカナ……、と。

私はヒグラシの声が大好き!

横で眠っているワイフを
起こした。

「聞こえるか?」と。
ワイフは、うんと返事をしたあと、
体を上に向け、静かに目を閉じた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……。

++++++++++++++

●雨

 おとといと、昨日は、計4単位以上も、運動をした。自転車で、40分x4単位。プラス、5キロ
近くを、早足で歩いた。

 おかげで今朝は、体がだるい。おまけに雨。山荘から帰ってきてからは、うたたね、また、う
たたね。

 ところで、「早足」か、「速足」か?

 時刻が早いことを、「早い」という。「早」という字は、もともとは、草の上に太陽(日)がのぼっ
ている様子を文字にしたものだそうだ。

 しかし速度が速いことを、「速い」という。もともとは、口をたばねて、走っている人の様子を文
字にしたものだそうだ。

 (このあたりのことは、私は詳しいぞ! 私は若いころ、そういう本を編集、制作したことがあ
る!)

 しかし「早足」というのも、おかしい。正しくは、「速足」のはず。速度をあげて歩いたのだか
ら、「速足」? しかし時間を短縮して歩いたのだから、「早足」でもよい。

 そこで愛用の『日本語大辞典』を開いてみる。結果、正しくは、「早足」だそうだ。「速足」という
のは、馬術における走法のひとつ、とある。

 日本語って、本当にむずかしい。いまだに、「早」なのか、「速」なのか、よく迷う。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司※

【今朝・あれこれ】(7月22日)

++++++++++++++++

昨夜、N先生と電話で、1時間
近く話す。

蝶の観察に、北海道まで行って
きたとか。しかしあいにくの雨。
結局、蝶のハシクレすらも
見ることができなかったとか。

そのころ台風4号が、北海道
近辺を北上していた。

それもあって、このところ毎日
のように、天気がめまぐるしく
変わる。

昨日は、一日中、雨。が、今日は、
一転、ほどよい晴れ。

昨夜寝る前、ワイフが、「明日は
どこかへ行こう」と言ったので、
今日は、そのつもり。

そうそう8月5日に、スティーブン・
スピルバーグ監督の、
『トランスフォーマー』(Transformers)
が、封切りになる。

今日、その予約チケットを、
購入してくる。

楽しみ! 私がああいう映画が
大好き。ワイフも長男も、大好き。

N先生は、蝶。
私は、トランスフォーマー。

人、それぞれ。

+++++++++++++++

●ホルネイ

 アメリカにK・ホルネイという学者がいた。1885年生まれ、1952年に他界している。1952
年といえば、私が5歳のとき。

 私はその学者は、ずっと、男性だと思っていた。しかし実は、女性だった! もともとはドイツ
からの移民。精神分析医として活躍した人物である。

 ホルネイについては、たびたび書いてきた。彼女は、(これからは「彼女」と書く)、「普遍的な
正常者はいない」という前提で、心理学を考えていた。つまり正常かどうかは、そのときの社会
的背景や文化が決めるものだ、と。

 よい例が、不登校児。

 少し前まで、「不登校は悪」「だから不登校児は問題児」という前提で、学校側も、そして親側
も考える傾向が強かった。だから自分の子どもが、学校へ行かなくなったりすると、親は錯乱
状態になったりした。学校側は学校側で、それこそ、首に縄でもつけるかのようにして、その子
どもを、学校へ引っ張り出したりしていた。

 しかし事情が変わった。「事情」というより、「意識」が変わった。

 不登校を悪として考えるのではなく、学校へ行くか行かないかは、「選択」の問題にすぎない
と考えるようになった。不登校児についても、問題児と決めつけて考えるのではなく、不登校児
自身の立場になって、ものを考えるようになった。

 わかりやすく言えば、学校へ通う子どもは正常で、そうでない子どもはそうでないという(常
識)が、ここで崩れた。むしろ逆に、今のような狂乱した教育事情に、あえて背を向ける子ども
のほうが正常ではないかと考える人たちも、ふえてきている。

 何も学校だけが、(コース)というわけではない。そのコースからはずれたからといって、問題
児と決めつけて考えるほうが、おかしい。

 話がそれたが、ものの見方をほんの少し変えるだけで、それまで(正常だったもの)が、そう
でなく、反対に、それまで(正常でなかったもの)が、正常になったりする。だから「普遍的な正
常者はいない」となる。

 ナルホド!

 さらにホルネイは、こう説いた。「社会不安が増大すれば、親たちも育児に不安をもつように
なる」(「現代の神経症的性格」)と。つまり社会情勢がそのまま、親たちに心理的影響を与え
る、と。

 これについても、思い当たる事実が、いくつかある。

 1995年ごろから、減少傾向がつづいていた、塾数、塾の講師数が、2000年に入ってから
は、増大する傾向を見せ始めている(通産省調べ)。2000年といえば、ちょうど貧富の格差が
広がり始めた時期でもある。

 親たちは、何か得体の知れないザワザワとした不安感を覚え始めている。そしてそれが、再
び、子どもたちをして、受験勉強に向かわせ始めている。それが「今」ということになる。

 で、こうした社会不安が増大すれば、ホルネイの説にしたがえば、神経症的性格をもった親
がふえ、ついで、神経症的性格をもった子どもが増大するということになる。

 ともかくも、この世界、何が正常で、何がそうでないか、よくわからなくなってきた。この私と
て、一見、正常者に見えるかもしれないが、私は自分では、そうは思っていない。一方、正常で
ないという人たちを見ていると、そういう人たちのほうが、実は正常ではないかと思うようなこと
も多い。

 話をもどすが、たとえば不登校児の子どもと話していると、むしろ不登校を起こす子どものほ
うが正常ではないかと思うことが、しばしばある。若いときに書いた原稿なので、少し過激な部
分もあるかもしれないが、以前、こんなことを書いたことがある。(教材新聞、中日新聞、掲載
済み)

+++++++++++

●人間選別の手段?(皆が一〇〇点でも困る)
 
「浩司が英語を読めるぞ」と、私の祖父は心底喜んでみせてくれた。私がはじめて「バイシクル
(自転車)」という英語の文字を読んでみせたときのことである。

しかし、今、こういう感動が、ない。喜んでみせる前に、「点は何点だった?」と聞く。そして点が
悪いと、「何だ、この点は!」と子どもを叱る。親自身が、勉強は子どもが、子ども自身のため
にするということを認めていない。もっと言えば、勉強が、人間選別の手段になってしまってい
る。諸悪の根源は、すべてここにある。

 皆が100点だと困る。差がわからないから。しかし皆が0点だと、もっと困る。差がわからな
いから。これが日本の教育の柱になっている。

そうでないというのなら、なぜ中学1年で1次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか。
なぜ中学3年で2次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか。それをきちんと説明でき
る人はいるだろうか。

私など文科系の大学を出たこともあり、社会人になってからこのかた、2次方程式はおろか、1
次方程式すら、日常生活で使ったことは、ただの1度もない。こういう知識を、人間の成長に不
可欠な知識と信じ込まされ、日夜苦しんでいる子どもたちの姿を見ると、あわれにすらなる。

たとえばオーストラリアでは、中学1年レベルで、2桁かける2桁のかけ算を学習している。日
本ではそれを小学3年生のときに学ぶ。こういう一部の比較をもとに、「日本の教育は進んで
いる」と言う人がいる。しかしそれは正しくない。

オーストラリアでは、科目数そのものが多い。中学1年レベルで、外国語にしても、ドイツ語、フ
ランス語、インドネシア語、中国語それに日本語の中から1科目を選択できる。美術にしても、
音楽、絵画、演劇、写真などが、それぞれ独立した科目になっている。キャンプも必須科目だ。
環境保護や宗教の科目もある。

南オーストラリア州では、もう10年以上も前から、しかも小学3年生から、コンピュータの授業
をしている。オーストラリアで教授をしている友人はこう言った。「子どもたちが学校を卒業した
とき、多様な社会に適応できるようにするのが教育」と。

わかりやすく言えば、子どもたちにとって、将来、役にたつ知識を教えるのが教育だ、と。

しかし日本にはそういう視点がない。教育者自身にもない。高校2年で、微分と三角関数を学
ぶ。高校3年で、その三角関数の微分まで学ぶ。一体こんな知識が、何の役にたつというの
か。教えている私のほうが、バカバカしくなる。

しかも大学の入試問題ときたら、それをさらに二つも三つもひねったような問題ばかり。仮に平
均点があがれば、問題はもっと難しくなるだけ。さがれば簡単になるだけ。

 日本は江戸時代の身分制度の亡霊を、いまだに引きずっている。仕事によい仕事もない。
悪い仕事もない。上下もない。あるはずがない。人間にも、そして学校にも、あるはずがない。

にもかかわらず、日本人はそれを意識している。そしてそれを基準に、人間を選別している。
勉強は、まさにその選別の手段というわけである。が、しかしもう、こんな愚かなことはやめよ
う。あなたや私は、今の受験制度の中で苦しんだ。それでもう十分。どうしてこんな制度を、次
の世代に残さなければならないのか。(1999年記)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●新学力観という、観点(役に立つ教育)

++++++++++++++

役に立つ教育が、どうして
悪いのか?

「基礎学力」という言葉に
だまされてはいけない。

++++++++++++++

 「地面に立てたポールを利用して、太陽の高度を調べるにはどうしたらよいか。図解して説明
せよ」という問題がある。

文部省が実施した「新学力テスト問題」の一つだが、中学一年生での正解率は、たったの10・
4%(99年)。

しかしこんなことは、教育が始まる以前から、人間には常識だった。昔の人間は、皆、太陽の
位置や影の長さで時刻を知った。今の子どもたちは、そんなことも知らないのかということにも
なるし、裏を返せば、今の教育は一体、何を教えているのかということにもなる。

 教育の基本は、「将来、子どもたちが生きていく上で、役にたつ知識や経験を、分け伝えるこ
と」ではないのか。そういう視点がないと、受験教育に代表されるように、教育がただ単なる点
数稼ぎのための道具にされてしまう。

もっと言えば、教育が人間選別の道具にされてしまう。

ちなみに中学生にこう聞いてみればよい。「君たちは、なぜ勉強するか」と。大半の子どもたち
は、こう答える。「高校へ入るため」「大学へ入るため」と。親にしてもしかり。勉強をしない子ど
もを叱るとき、「そんなことでは、いい大学へ入れないぞ」と叱ることはある。

しかし「将来、必要な知識が身につかないぞ」とは言わない。こうした教育がさらにいびつにな
ると、幼稚園でかけ算の九九を暗記させたり、漢字の読み書きを教えたりするようになる。

 一方、これは当然のことだが、子どもたちはその必要性を感じたとき、実に生き生きと学習し
始める。私はときどき、「お金儲けごっこ」をするが、そのときもそうだ。それはこうして遊ぶ。

 まず子どもたち(年長児)に、紙で作ったお金を渡す。そしてそれで折り紙を買わせる。大小
さまざまな大きさの折り紙があって、それぞれ値段が違う。子どもたちはその買った折り紙で、
いろいろなものを作る。絵を描く子どももいる。で、それができたら、今度はこちら側(教師)
が、そのできたものを買いあげてあげる。じょうずにできたのは、高い値段で。そうでないの
は、安い値段で。あとはこれを繰り返す。

ときどき、ほかの子どもが作ったものを、別の子どもに売ってあげることもある。20円で買いあ
げたものを、40円で売りつけたりすると、子どもたちは「ずるい、ずるい」と言うが、「これが資
本主義の原理だ」などと、わざと難しい言葉で言ってやると、たいてい静かになる。さらに慣れ
てくると、子どもたちどうしで、ものの売買をし始めるようになる。

 こうした動機づけがあると、あとは放っておいても、子どもたちは自ら、足し算や引き算をする
ようになる。多い、少ないの判断も、そして損得の判断もできるようになる。さらに「労働するこ
との喜び」もわかるようになる。

 文部省の新学力観では、「知識の獲得量ではなく、自分で考え、表現する力を重視する」とな
っている。私はこれには大賛成だが、ただし一言。こういう指導が全国一律になされるところに
も、問題がある。中央官僚の一声で、全国の先生たちが、同じように行動する。それこそまさ
に全体主義ではないのか。私はむしろそちらのほうを心配する。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【不安の構造】

+++++++++++++

どうして親たちは、不安に
なるのか。

ざわざわとした得体の知れない
不安。

親たちは、今、それをいつも
心のどこかで感じている。

+++++++++++++

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ
れる。

受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、「将来
への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受験期
にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学1年生をもつ父母が、2人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「1学
期の期末試験で、数学が21点だった。英語は25点だった。クラスでも40人中、20番前後だ
と思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的に
は穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。

……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思った
ら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働か
ない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものた
め」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(2001年)によれば、中学生で、い
やなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、39・1%しかいなかった。

これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、78・4%。
子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは
親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの6・8%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければな
らない先生が、たったの6・8%とは! 

先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、
同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろう
か。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷
静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあ
なたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しな
いためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。(中日新聞
にて発表済み)


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2103)

●鳥獣戯画

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鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)の
作として知られる、「日本最古の漫画」(ウィキ
ペディア百科事典)が、「鳥獣戯画」と呼ばれる、
絵巻物である。

制作年代は、12世紀〜13世紀(平安時代末期〜
鎌倉時代初期)と言われている(同)。

作者がだれか、またいつの時代のものかは
別として、鳥獣戯画を通して、その作者は、当時の
世相を、痛烈に風刺した。

実は、私も、このところ、バカな人(頭ではない。
バカなことをする人を、バカという)を見ると、
どこか動物に思えてくる。と、同時に、あの
鳥獣戯画を、頭の中で思い浮かべる。

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 映画『フォレスト・ガンプ』の中で、フォレストの母は、フォレストに、こう言う。「バカなことをす
る人を、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。

 そのバカな人は、多い。どういう人がそうであるかは、ここには書けない。書けないが、あなた
の周囲にも、何人かはいるはず。

 そういう人を見ると、このところ、そういう人が、ウサギか、サルか、カエルに見えてくる。まさ
に鳥獣戯画の世界である。またそう思うことで、私はその人のことを忘れるようにしている。

 が、それには条件がある。

 私自身が、その人よりも、数段、「上」にならなければならないということ。「上」というのは、知
識や経験はもちろんのこと、人間的にも……という意味である。そうすると、相手が、自然と、
そのウサギか、サルか、カエルに見えてくる。

 総じて言えば、人は、何か特別の努力でもしないかぎり、満35〜40歳を境に、知力は急速
に衰えてくる。ほとんどの人は、高齢になればなるほど、人間的な完成度が高まると考えてい
る。が、それはまったくの誤解。ウソ。幻想。

 自分がその(年齢)になってみて、それがよくわかった。むしろ事実は逆で、満35〜40歳を
境に、人は、保守的になり、がんこになり、ついでに、バカになる。人によっては、脳みその底
に、穴があいたような状態になる。

 だから年配者をみるときは、いつも、その人が、どういう努力を、その裏でしているかを見ると
よい。その努力を感ずる人には、敬意を払う。しかしそうでなければ、無視。あるいは相手にし
ない。適当につきあって、それでおしまいにする。

 ……というのは、言いすぎだということは、私にもわかっている。しかし人は生きていく過程
で、いろいろなトラブルに巻き込まれる。これは生きていくことにまつわる宿命のようなもので、
それを避けることはできない。

 仕事上の関係。近隣者との関係。親類との関係。友人との関係などなど。

 そういうトラブルに巻き込まれたら、ここに私が書いたようにするとよい。それなりの人なら、
相手にすればよい。そうでなければ、無視。あるいは相手にしない。適当につきあって、それで
おしまいにする。

 と、同時に、相手を、ウサギか、サルか、カエルだと思えばよい。それは実に楽しいことでも
ある。少し訓練すると、それが簡単にできるようになる。……というようなことを、あの鳥羽僧正
は考えながら、鳥獣戯画を描いたのではないか。「風刺画」というのは、そういう意味である。

 
Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●私の家の居間

++++++++++++++

白い日差しがまぶしい、
久々のよい天気。

今日は日曜日。貴重な日曜日。

どこか体はだるいが、それも
気持ちよい。

++++++++++++++

私の家では、居間と台所が、ひとつの部屋でつながっている。全体で、ちょうど20畳の広さが
ある。建てたときは、ずいぶんと広い部屋に思えた。建ててくれた大工も、そう言った。しかし今
では、この程度の広さは、標準的という。

 その居間の南側には、1間半のハバのある掃き出しのガラス戸が2つある。だから居間の私
の席にすわると、そのまま庭が一望できる。私はそこから見る景色が好き。心が落ち着く。何
もしないときは、その席から体を倒し、横になって休む。

 その庭には、大きな栗の木が1本、ある。友人の結婚式から帰った日に植えたので、その日
のことはよく覚えている。私がちょうど30歳のときのことである。

 私の親指ほどの太さしかなかった木だが、今では、直径が、軽く30センチは超えた。大木
で、一度は、大屋根を越える高さにまでなった。そのあと、4、5年おきくらいに、切っているの
で、今は、大屋根にやっと届くか届かないかという高さで、止まっている。

 夏はこうして涼しい日陰を与えてくれる。冬は葉を落とすので、そのまま暖かい日差しを投げ
入れてくれる。何度か切り倒そうと思ったことはあるが、そのつどワイフが反対したので、やめ
た。

 3人の息子たちは、よくこの栗の木の下で、こんな歌を歌った。「♪大きな栗の木の下で…
…。私とあなた……」と。そんな思い出が、この木には、無数にしみこんでいる。

 で、その向こうは、キーウィの棚。これも30年近く、そこにある。多いときは、ダンボールで数
箱分のキーウィが収穫できた。今は老木だが、それでも毎年、食べきれないほどの実をつけて
くれる。

 あとは小さな畑と、数本の木をのぞいて何もない。ただの広場になっている。ときどき雑草が
伸びるが、それは除草剤で始末している。

 そうそう庭にやってくる小鳥たちのことを忘れていた。私は子どものころから、鳥が好き。鳥と
いうより、飛ぶものは、何でも好き。飛行機、風船、しゃぼん玉、凧など。もし生まれ変わること
ができたら、私はつぎには、鳥に生まれ変わりたい。たいした鳥でなくてもよい。スズメでもよ
い。山鳩でもよい。できればトビか、カモメになりたい。

 そんなわけで、こうして小鳥たちがやってくるのを、ぼんやりと見つめているのも好き。ときど
き、……というか、餌の少ない季節には、庭に、餌をまいてやる。毎年、2月から4月にかけて
の時期である。それから親鳥が子どもを連れてくるようなときにも、まいてやる。今が、その時
期である。

 その私は、今、こうしてパソコンのキーボードをたたいている。たった今、古いノートパソコン
の修理をしたところ。ワードで文書を書いていると、CDトレイが勝手に作動し始め、止まらなく
なってしまう。調べてみると、システムファイルの中に、破損ファイルが見つかった。それを修復
した。つまり、これは試し打ちというわけ。今のところ、サクサクと気持ちよく動いている。

 パソコンの裏を見ると、「2000年9月19日購入」とある。もう7年も使っていることになる。P
社製のレッツ・ノートという機種である。キーボードの感触がやわらかく、指で触れているだけ
で、気持ちよい。やわらかい女性の肌のような感じがする。

 このパソコンは、ほぼ世界を一周している。外国へ行くときは、いつもこのパソコンを持ち歩
いている。もう一台、T社製のダイナブックという小型ノートをもっている。が、これは国内旅行
用。電車の中でも文字を打つことができる。

 ワイフは、先ほどから、「どこかへ行く?」と私に聞いている。でかけたい気分もあるし、このま
まのんびりと過ごしたい気分もある。半々というところか。見たところ、白い光線がまぶしく、外
は暑そう!

 居間の中では、扇風機一台で、心地よく過ごせる。実のところ、このままうたた寝をしたい。し
かしワイフが、多分、それを許してくれないだろう。私のまわりで、うろうろしている。「行こう
か?」と声をかけると、すぐさま、行動に移すだろう。そういう雰囲気が、よくわかる。だから、私
はあえて、だまっている。

 久しぶりに晴れわたった、日曜日の午後。やや強い風が、庭の端にあるクルミの木の葉を大
きく揺らしている。スズメのさえずる声。ときおりブーンと音をたてる冷蔵庫の音。ワイフは、あ
きらめたのか、私の横で新聞を読み始めた。

 いろいろ考えるが、煙のようで、まとまらない。書きたいこともあるが、それもまとまらない。こ
こで指を休めたら、私はそのまま眠ってしまうかもしれない。そんな日曜日。日曜日の朝。時刻
は、午前10時を少し回ったところ。

 「パソコンの調子、よくなった……」と声をかけると、「よくなった? 掃除をしたから?」とワイ
フが言った。

 「どこかへ行こうか?」「うん」と。

 そんなわけで、このエッセーは、ここまで。みなさんも、よい日曜日を!

+++++++++++++++

 近く、息子のEが帰省する。何でも今日から休暇とかで、成田から沖縄へ向かうらしい。その
帰りに、浜松へ寄ってくれる。「早く、会いたいね」とワイフに言うと、ワイフは、「うん」と。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●無私、無欲の老後生活

++++++++++++++++

老後を、いかに美しく生きるか?
そのヒントとなるのが、統合性の
問題である。

死の限界を感じたら、(すべきこと)を
(現実にする)。この両者を一致させる。

そういうひたむきな姿から、老後の
美しさが生まれる。もちろん、その
人自身の生きがいも、そこから生まれる。

ヒントは、無私、無欲。功利、打算が
入ったとたん、統合性は、霧散する。

++++++++++++++++

●ある男性

 たとえばここに1人の男性がいる。年齢は80歳。55歳で、官職を退任してからというもの、
ほとんど毎日、庭いじり三昧(ざんまい)。1人、娘がいるが、東北のある都市に嫁いでからとい
うもの、数年に1度、あるいは、5、6年に1度くらいしか、帰ってこない。帰ってきても、子ども
(その男性にとっては孫)もつれてこない。その男性とは、会話らしい会話もしない。

 妻はいるが、数年前に腰を痛めてからというもの、籍を、近くの老人養護施設に移している。
ときどき男性のもとに帰ってきて、洗濯や部屋の掃除をする。しかしやはり妻も、その男性との
間では、会話らしい会話をしない。

 ここに書いた男性というのは、架空の男性である。ひとつの例として、私が考えた。

●軽蔑すべき自己愛者たち

 自己中心性が強いということは、EQ論(人格完成論)に従えば、それだけ人格の完成度が
低いということになる。その自己中心性が肥大化した状態を、「自己愛」という。

 自己愛というのは、軽蔑されるべきものであって、けっして、賞賛されるべきものではない。そ
の男性について言うなら、その男性は、自分のしたいことをしているだけ。一見、優雅な老後生
活に見えるが、心の中は、からっぽ。乾いた秋の風が、その中でカラカラと吹いている。

 そういう男性のことを「自己愛者」という。

 そこで統合性の問題。このところ、この問題についてばかり書いているので、うんざりしてい
る人も多いかと思う。そこでここでは、さらにその先について考えてみたい。

●心豊かな老後生活

 統合性の問題は、いかにして老後を、心豊かに生きるべきかという問題と直結している。統
合性を確立した人は、老後になっても、前向きに生き生きと、自分の人生を過ごすことができ
る。ただしそれには、条件がある。

 無私、無欲。

 ほとんどのばあい、(自分がすべきこと)には、苦労や苦痛がともなう。(できればしたくないこ
と)のほうが、多い。ボランティア活動を例にあげるまでもない。

 ボランティア活動にしても、そこに功利、打算が入ったとたん、ボランティア活動は、ボランティ
ア活動としての意味を失う。無私、無欲でするから、ボランティア活動なのである。

 では、趣味は、どうか?

 先の男性は、毎日、庭いじり三昧の生活をしている。自宅の裏には、100坪程度の畑ももっ
ている。しかし先にも書いたような人だから、訪れる人もいない。その季節になると、庭中に、
美しい花が咲き誇る。が、それを愛(め)でる人もいない。近所の人でさえ、その男性の家に
は、近寄らない。遠回りをして歩く。視線を合わせるのが、いやだからである。

 先にも書いたように、ここに書いた男性というのは、架空の男性である。話の内容をわかりや
すくするため、人物像を極端化してみた。しかしこういうタイプの老人は、少なくない。ひょっとし
たら、あなたの周囲にも、1人や2人、いるかもしれない。要するに、自分の老後を、自分のた
めだけに生きているような老人である。自己満足のためだけに生きているような老人である。

 つまり趣味に生きるというのは、あるべき老後の姿ではないということが、これでわかる。ま
たそういう老後を送っているからといって、その老人が充実した毎日を送っていると考えるの
は、正しくない。

 そればかりか、そういう生活からは何も生まれない。もっと言えば、1年を1日にして生きてい
るだけ。10年を1年にして生きているだけ。さらにもっと言えば、「ただ生きているだけ」。

●一方、こんな女性も

 一方、私の近所には、こんな女性がいた。「いた」というのは、現在、体をこわし、もう1年近く
入院したままの生活を送っているからである。実在の女性である。年齢は、今年、98歳になる
と聞いている。

 その女性の近くに中学校がある。その女性は、毎日、ハサミをもって、中学校のまわりの草
を刈っていた。(あの小さなハサミで、だぞ!)もちろんゴミも拾っていた。そのためその中学校
のまわりは、いつも清潔だった。雑草、1本、生えていなかった。

 そういう女性を見かけると、自然と頭がさがる。実際、私はその女性だけには、あいさつを欠
かしたことがない。エンジン付の草刈り機を使えば、半日ですむかもしれない。しかしその女性
は、毎日、少しずつ、ハサミで雑草を刈っていた!

 つまり統合性を確立した人の生き様は、それだけで、それを見る人に感動を与える。その感
動が、人からまた別の人へと伝わっていく。そしてその「輪」が広がるたびに、それぞれの人
に、生きる喜びを与える。

 けっしておおげさなことを言っているのではない。その喜びがまた、その女性の生きがいとな
って、はねかえってくる。統合性の問題には、そういう意味も含まれる。つまり統合性の問題
は、個人の問題ではないということ。個人というワクを超えて、他人を感化する力をもっている。

●私なりの結論

 さて自分の老後を、どう組み立てるべきか。長い間、私は、この問題について考えてきたが、
ここに書いたことが、そろそろ、その結論ということになる。

 私たちは、40歳を過ぎたら、(私は何をすべきか)を考える。(したいこと)ではない。(すべき
こと)を考える。そしてその基礎を作り始める。こうした基礎は、一朝一夕にはできない。10年
単位の熟成期間が必要である。

 そして老後を迎えたとき、その基礎があってはじめて、私たちは、その上に、統合性を確立す
ることができる。何度も繰りかえすが、(すべきこと)には、苦労や苦痛がともなう。しかも無私、
無欲でなければならない。

 それが心豊かな老後生活を送るための、必要条件ということになる。もちろん基礎となるテー
マは、みな、ちがう。ちがって当然。それぞれがそれぞれの道で、自分の統合性を確立すれば
よい。

 ある女性は、80歳を過ぎてから、乳幼児の医療費無料化の問題に取り組んでいた。
 べつの女性は、今、スイスに住み着いて、着物の着付けの普及活動に取り組んでいる。
 さらに別の女性は、大通りに、手作りの店を開いている。身体障害者の人たちが作った作品
などを、積極的に並べ、販売に協力している。

 ……この問題を考えるようになって、もう1年近くになる。とくに年老いた母が私の家にやって
きてからは、真剣に考えるようになった。母を介護しながら、私は、毎日、そんなことばかりを
考えていた。

 あとは、自分の定めた目標に向かって進だけ。道は見えた! がんばろう。


はやし浩司++++++++++July 07+++++++++Hiroshi Hayashi

●K国問題

+++++++++++++++++

6か国協議を終えた、K国の代表が
こう言った。

「われわれは、重油を飲む寄生虫では
ない」※と。

よくわかっていらっしゃる!

すばらしい。だれもそんなことを
言っていない。が、自分から、そう
言った。

心の貧しさというか、人というのは、
貧しくなると、そこまで言うように
なる(07年7月)。

+++++++++++++++++

 その6か国協議。老朽化して使い物にならない、Yビョンの核開発関連施設について、K国
は、作動を停止した。(停止しただけだぞ!)IAEAの査察官も、入った。とたん、今度は、「(解
体してほしかったら)、軽水炉をよこせ」と。

 言っていることが、もう、メチャメチャ。常軌を逸している。が、問題は、なぜ、そこまで常軌を
逸しているかということ。

 実は、そこに(貧しさ)の問題が隠されている。

 (貧しさ)というよりは、その(貧しさ)から生まれる、ねたみ、嫉妬、羨望、ひがみ、劣等感が、
心をゆがめる。心そのものを、貧しくする。前にも書いたが、一度、そういう状態になると、「オ
レたちが貧しいのは、お前たちが悪いからだ」という論理(?)を振りかざすようになる。

 心の貧しい人たちは、独特の論理(?)をもっている。自分の努力不足や、才能不足を棚に
あげ、責任を、他人に転嫁する。たとえばこんな例で考えてみよう。

 あなたはその日の生活費にも困るほど、貧しい。自分の子どもたちに食べさせるものすら、じ
ゅうぶんに買うことができない。そんなとき、ふと、隣の家の中をのぞくと、そこには、山のよう
に積まれた食べ物がある。話を聞くと、夏休みには、家族でオーストラリアで休暇を過ごすとい
う。

 そういうときあなたは、そういう隣人を見て、どう思うだろうか。「うらやましい」と思うのは当然
としても、自分たちの努力不足を反省し、それを明日へのエネルギーへと昇華することができ
るだろうか。

 そういう人もいるが、貧困が長くつづいた人ほど、ものの考え方が卑屈になる。そしてこう言
う。「お前たちが、オレたちの分まで横取りするから、オレたちは貧しいのだ」と。

 ……こう書くからといって、何も、あのK国を擁護しているのではない。ただ日本の論理だけ
でものを考えても、彼らの心の奥底を読むことはできないということ。K国は、あまりにも貧し
い。アジアどころか、世界の中でも、1、2を争う最貧国である。

 K国ウォンは、対外的には、紙くず同然。平均的労働者の1か月の収入は、1、2米ドルにも
ならない。今月(7月)に入ってから、北部地域では、餓死者が出ているという報告も届いてい
る。

 貧しいといっても、貧しさのレベルがちがう。

 だから……。私たちは、K国を笑う前に、なぜそうなのかを、一歩抜き出て、考えなければな
らない。つまりそうすることによって、私たちは、彼らの前を歩くことができる。わかりやすく言え
ば、あんな国を、本気で相手にしてはいけない。またその価値もない。

 不遜な笑みを浮かべて、偉そうに、実に偉そうにふんぞり返って歩く、K国の代表たち。私た
ちは、そこに、人間がもつ、本来的な愚かさをみる。

 では、どうするか?

 遅かれ早かれ、K国は崩壊する。金xxの健康状態も、かなり悪化している。韓国やK国の政
府が、あせっているのは、そのためと考えてよい。

 だから日本は、静観していればよい。またそれ以外、今のところ、日本が取るべき選択肢は
ない。今度も、K国が軽水炉問題を取りあげた。これで少しはヒル氏も、(現実)を見るようにな
るだろう。

 それにしても、「われわれは原油を飲む、寄生虫ではない」とは! もしそんな言葉を、他の
国のどこかが口に出したとしたら、それだけで戦争になったかもしれない。さすが、K国の代
表。

 自分のことが、たいへん、よくわかっていらっしゃる! ホント!

(注※)……、「核問題の解決のために重要なのは、重油ではなく、(米国が)政策を変えるこ
と。われわれは重油だけを食って生きる寄生虫ではない」と話した(朝鮮N報・7月22日)。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司※

【今朝・あれこれ】(7月23日)

●日本の福祉政策

++++++++++++++

母子家庭の子どもが、194万人、
父子家庭の子どもが、27万人
(03年度)。

政府は「福祉よりも雇用」と、母親の
就労支援事業を進めているというが、
常用雇用に結びついているのは、
「ほんの一部」(中日新聞)にすぎ
ないとか。

02年度から公的支援制度が変わり、
公的手当は、実質、減額されることに
なった。

さらに08年4月から、受給開始から
5年後の減額も決定。

母子家庭の母親たちは、ますます
きびしい状況に置かれることに
なる。

++++++++++++++

 日本の福祉政策は、どこか、おかしい。たとえば私の住んでいる地域は、旧国鉄村と呼ばれ
るほど、旧国鉄の退職者たちが多く住んでいる。みな、満55歳で退職した人たちである。

 そういう人たちが、月額33〜35万円前後の年金を受け取っている。その額は、旧三公社五
現業の中でも、最高である。話を聞くと、旧国鉄職員だけは、退職日を、3月31日ではなく、4
月1日にずらしている。つまりたった1日ずらすことによって、1年分、就労年月を長くしている。

 (だからといって、旧国鉄職員の人を責めているのではない。私は制度がおかしいと言ってい
る。誤解のないように!)

 で、最近、近所の男性が亡くなった。85歳でなくなったが、55歳で定年退職してからというも
の、働いたのはただの1日だけ。1日だけ勤めて、そのままその仕事をやめてしまった。つまり
この30年間、何もしなかったことになる。

 で、それで年金の支給が終わったわけではない。残された妻には、「転籍特権」という特権が
ある。夫が亡くなっても、妻がいれば、その妻に、連続的に年金が支払われる。

 まさに至れり尽くせりの、年金制度である。

 その一方で、母子家庭への支援制度は、削減につづく削減。(全国母子世帯等調査)によれ
ば、母子家庭の平均年収は、212万円だそうだ。

 内訳は、就労収入、162万円。それに児童手当、養育費、仕送りなどで、50万円、つまり計
212万円! たったの212万円だぞ。

 旧国鉄職員のばあい、月額37万円も年金を受け取っている人もいるという(某郵便局長の
話)。年収でみると、444万円ということになる。

 このおかしさこそが、日本の福祉政策の矛盾ということになる。

 3年前に書いた原稿を、そのまま掲載する。

++++++++++++++++++

●年金、この不公平!

 官民の年金の不公平さについては、いまさら、言うまでもない。しかし、金額だけの問題では
ない。こんな事実も指摘されている(「文藝春秋」04・5月号・伊藤惇夫氏)。

 公務員には、「転籍特権」という、特権がある。

 たとえば公務員のばあい、それを受給していた夫が死亡したようなとき、その遺族が、ひきつ
づき、その年金の4分の3程度を、「遺族年金」として受給することができる。妻が亡くなって
も、その遺族年金の権利は子供(18歳迄)や父母にも引き継がれる※。

 わかりやすく言えば、夫が死んだあとも、遺族年金を受け取ることができるということ。が、そ
れだけではない。さらに妻が死んでも、子どもが18歳未満のときは、今度はその子ども、もしく
は、父母が、その遺族年金を受け取ることができる。

 そんなわけで、「官民格差は、死んでからも、生きている」(伊藤惇夫氏)と。

 もちろん、一般企業のサラリーマンや、自営業者には、こんな転籍特権はない。本人が死ん
だら、それでおしまい! ゼロ! 遺族は、1円も、もらえない。

 だれでもおかしいと思う。おかしいと思うが、何もできない。日本には、そういうしくみが、でき
あがってしまっている。官僚主義国家という「しくみ」である。

 こうしたしくみの中で、もっとも、「?」なのは、あの「審議会」という「会」。

 ほとんどの審議会は、担当の役人が、開く。方法は簡単。まず、イエスマンや、その道のド素
人だけを集める。人選に関する基準など、どこにもない。その指針もない。座長には、たいてい
著名人を起用する。

 審議会はたいてい数回程度で終わる。重要案件でさえも、10回を超えることは、まずない。

 シナリオは、最初から、役人によって用意されている。たいていは、「資料」という形で、委員
に配布される。あとは、それに添って、審議していくだけ。一応、議論という形をとるということも
あるが、ほとんどのばあい、一人の委員の発言は、一回、5〜10分程度。ふつうは議論にな
る前に、審議打ち切り。

 (議論になりそうな案件については、委員の数を多くする。こうして各自の発言時間を少なくす
る。)

 こうした審議会に多く参加してきたことのある、M東大元教授ですら、こう言っている。「テレビ
タレントやスポーツ選手ばかりを集めて、何が、審議会だ」と。もともと議論らしい議論ができる
雰囲気ではない。

 で、こうした審議会から出される「答申」は、抽象的であればあるほど、よい。わけのわからな
いものであれば、あるほど、役人にとっては、よい。自分たちのつごうのよいに、どのようにでも
解釈できる。

 で、あとは、役人たちは、その答申に従って、やりたい放題。まさにやりたい放題。

 ……これが、日本の官僚主義の基本になっている。そしてその結果が、今の日本である。年
金の官民不公平などは、氷山の一角の、そのまた一角にすぎない。

私「まさに、日本は、官僚主義国家。最終的には、『天皇』という最高権威をもちだすことで、民
を従わせる。この図式は、奈良時代の昔から、まったく変わっていない」
ワイフ「じゃあ、この日本を変えるには、どうしたらいいの?」
私「無理だろうね。与党の党首も、野党の党首も、皆、元中央官僚。主だった県の県知事も、
副知事も、皆、元中央官僚。大都市の市長も、皆、元中央官僚。そんな日本を変えるとなる
と、それこそフランス革命のような革命でも起こさないかぎり、無理」

ワイフ「役人の権限を小さくするとか、そういうことはできないの?」
私「それこそ、絶対に無理。国家公務員や地方公務員だけでも、今の今でさえ、ふえつづけて
いる。その数、450万人。日本には、このほか、準公務員と呼ばれる人たちが、その数倍は、
いる」
ワイフ「給料はどうなっているの?」

私「いまだかって、地方自治体ですら、その手当て額を公表したことがない。しかし予算から逆
算すると、公務員は、一人あたり、800〜1000万円の年収(伊藤惇夫氏)ということになるそ
うだ」
ワイフ「すごい、高額ね」
私「そうだよ。大企業でさえ、平均して、650万円程度だからね」

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなたも、公務員かもしれない。あなたの家族の中
に、1、2人に公務員がいるかもしれない。私は、何も、そういう一人一人の公務員が悪いと言
っているのではない。

 ただ、こんなバカな政治をつづけていたら、遅かれ早かれ、日本は、本当にダメになってしま
うということ。今の「あなた」は、それでとりあえずは、よいとしても、あなたの子どもは、どうす
る? あなたの孫はどうする? そういう視点で、日本の未来を考えてみてほしい。

ワイフ「公務員の人たちって、死んでからも、年金がもらえるなんて、知らなかった……」
私「そうだね。ぼくも、驚いた。そういうような、つまり、自分たちにとって、どこかつごうの悪い情
報は、絶対に公表しないからね……」
ワイフ「でも、ずるいわ。議会は何をしているのかしら? 日本は民主主義国家なんでしょ」
私「一応ね。しかし議会の議員は、もっと手厚く保護されている。いろいろな恩恵にもあやかっ
ている。だから、官僚主義社会を批判できない。批判したとたん、その世界から、はじき飛ばさ
れてしまう」と。

 私の親しい知人のS市(50歳)は、ある都市で、ある役職のある仕事をしている。そのS氏
が、こう言った。

 「林さん、市議会の議員たちね、自分で作文できる人は、まずいないよ。議会での質問書も、
それに対する答弁書も、みんな、ぼくたちが書いてやっているんだよ。ぼくたちに嫌われたら、
議場に立つことすらできないよ」と。

 日本のみなさんは、こういう現実を、いったい、どこまで知っているのだろうか。
(040417)

++++++++++++++

 ものを言うことすらできない、母子家庭の母親たち。組織もない。知識もない。力もない。しか
もだ、これからの日本を支える子どもたちを支援するために、たったの、1〜4万円(月額)と
は!!

 (母1人、子ども1人のばあいの手当て支給額、07年実績、中日新聞7月22日)

   所得           手当の額(月額)
   57万円         41720円
  130万円         28270円
  220万円         11690円

 その一方で、リストラも、首切りも、転勤もない世界で、仕事をしてきた人たちが、満額の退職
金を手にしたあと、毎月33〜35万円の年金とは!!

 しばらくこの怒りは、収まりそうもない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 母子
家庭 支援制度 児童扶養手当 福祉制度 転籍特権)

(注※、「国民新聞」より)

通常、夫が亡くなった時、厚生年金の場合は、妻に夫の老齢年金の報酬比例部分の4分の3
相当が遺族厚生年金として支払われる。その妻が亡くなればその時点で終了する。

 ところが公務員は違う。妻が亡くなっても、その遺族年金の権利は子ども(18歳まで)や父母
にも引き継がれる。民間に比べ、公務員は死んだ後まで手厚く保護されている。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●おかしいものは、おかしい!

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 おかしいものは、おかしい。
 勇気をもって、それを口に出す。
 その勇気が、社会を変え、日本を変える。

 さてさて今度の日曜日は、
 参議院議員選挙。

 私は浮動票の王様。
 自分ではそう思っている。
 私が1票を入れた人は、いつも、
 大量得票で当選する。
 1票を入れた政党は、いつも、
 大躍進する。

 方法は簡単。
 おかしいものは、おかしい。
 勇気をもって、それを口に出す。
 その勇気が、社会を変え、日本を変える。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

+++++++++++++++

●初乗りが、1000円!

++++++++++++++

円安がつづいている。
そのため、フランスのパリで
電車に乗ると、
初乗りが、日本円に換算すると、
何と、約1000円!

このあたりでは、バスの初乗りは、
100円。1000円は、
その10倍ということになる。

いつまでつづく、円安。
どうなる、日本経済。

++++++++++++++

 円安であることについては、悪いことばかりではない。円安になればなるほど、輸出産業が
息を吹き返す。(これに対して、隣の韓国は、ウォン高で、今、輸出産業は、青息吐息。)

 しかしそれにしても、初乗りが1000円とは!

 現在1ユーロは、168円(7月23日)。初乗りを日本並みの200円にするには、その5分の1
の、1ユーロ、30〜40円でもよいはず。言いかえると、それだけ、日本の円が、ジャブジャブ
に、世界にばらまかれているということになる。

 今は、まだよい。何とか、がんばっている。しかしその円が、日本へ逆流してきたら、この日
本は、どうなる? 日本中が円の札束で埋まってしまう。もしそうなれば、日本は、ハイパーイン
フレに見舞われることになる。物価が、一気に、10倍とか20倍になる。あるいはもっといくか
もしれない。

 だいたい、ゼロ金利政策などという、政策がおかしい。日本の経済をよく病人にたとえる人が
いる。ゼロ金利政策というのは、臨終を迎えた病人に、カンフル液(=強心剤)をどんどんと注
射するようなもの。まともな経済政策ではない。

 しかし、今の日本には、それしか選択肢がない。ないから、ゼロ金利政策をつづけるしかな
い。ということで、初乗りが、とうとう1000円になってしまった!

 実は私も、数年前、ユーロ建ての国際債券を、xx万円、購入した。当初はボヤボヤしていた
が、途中から、まさにウナギ上り。先日、買ったときの値段の約2倍で、売りぬけることができ
た。

 もう一つ、ある国の国債を、xx万円で購入した。こちらも現在、時価評価額が、1・5倍近くに
まで上昇している。加えて数か月おきに、xx万円の利息。満期は、来年(08年)だが、これも、
そろそろ売りどき。

 つまりこうして世界にばらまかれた円が、日本に逆流し始めている。一時的には「得をした」と
いうことにはなっても、長い目で見れば、日本沈没の第一歩ということになる。

 そのターニングポイントは、この秋にも予想されている、利上げ。無担保コール翌日物、つま
り短期市場における政策金利の利上げが、どの程度なされるかが、ポイント。この舵取りをあ
やまると、日本経済はそのまま奈落の底へと転落していく。

 このままでも、日本経済は沈没。さりとて、金利をあげることも、ままならない。今ごろ日銀の
総裁たちは、世界中から流れてくる数字を見つめながら、冷汗をタラタラと流しているはず。一
日とて、気の休まる日はない。

 ……ところで、その秋にも予想されている利上げを予想してか、この1週間、ジリジリと円高
が進みつつある。直接の引き金は、アメリカの株価の下落だが、不気味といえば、不気味。

 私の予想では、(あくまでもド素人の予想だが)、一時的に円高になったあと、つまり日本の
輸出産業が壊滅的打撃を受けたあと、猛烈な勢いで再び、円安に進むはず。その流れをしっ
かりと見きわめないと、大損をするハメに。

 みなさんも、くれぐれも、ご注意のほどを!


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●他責型人間vs自責型人間

+++++++++++++++++

何か問題が起きると、すぐ「あいつが
悪い」「こいつが悪い」と訴える人がいる。

このタイプの人を、他責型人間という。

一方、何か問題が起きると、すかさず、
「ごめんなさい」「すみません」と、
謝る人がいる。

このタイプの人を、自責型人間という。

「他責型人間」「自責型人間」というのは、
私がつけた名前である。

+++++++++++++++++

 先日、「P−Fスタディと呼ばれるテスト法」について、原稿を書いた。投影法の一種で、心の
中の欲求不満がどこにあるかを調べるための、テスト法である。

 私の教室でも、30〜40人の子どもについて、それを調べてみた。結果、おもしろいことがわ
かった。

【テスト法】

 「昨日はキミが遊びに来たから、今日のテストはできなかった」と友だちが言ったことに対し
て、あなたなら何と答えるかを質問。回答を、口頭で言わせたり、作文させたりする。

 このテストで、

(1)他責型人間は、どこまでも相手が悪いと主張し、自分への責任を回避する。
(2)自責型人間は、自分の非をすなおに認めて、自分に責任があるとして謝罪する。

 その間にあって、だれの責任でもないとあいまいにしてすませてしまうタイプを、無責任型人
間というが、ここでは考えない。

 このテストは、別名「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著)とも呼ばれている。
つまり心の奥底に潜む、欲求不満の原因が、どこにあるかを、このテストを通して、知ることが
できる。

 たとえば悶々と、いつ晴れるともわからない気分でいたとする。何かわからないが、モヤモヤ
している。不平、不満も多い。すっきりしない。そういうとき、このテストをしてみるとよい。その
原因がどこにあるかを知ることができる。

 欲求不満の原因が他人にあるときは、他人に向かって責任を求める。たとえばこのテストで
は、こう書く。

 「あなたが遊びに来いと言ったから、来た。それをどうして私のせいにするの。そんなのはあ
なたの勝手よ」と。

 一方、欲求不満の原因が自分にあるときは、自分に向かって責任を求める。たとえばこのテ
ストでは、こう書く。

 「ごめんなさい。テストがあるって、私は知らなかった。言ってくれれば、じゃましなかった。気
がつかなくて、ごめん」と。

 このテストをしてみて、とくに私の注意をひいたのは、双子の兄弟(男児と女児、小3)であ
る。見た感じででは、性格は対照的なほど、大きくちがう。

 男児をA君とする。女児をBさんとする。

 A君は活発で、行動派。わんぱく盛りといった子どもである。自己主張もはげしく、どこかわが
まま。いつもどこか、ガサガサしているといったふう。

 それに対してBさんは、慎重派。理知的で、繊細な感覚をもっている。人格の完成度も高い。
聡明。いつも静かに落ち着いている。

 A君は、このテストでは、あきらかに自責型人間と出た。一方、Bさんは、そのB君とは対照的
に、あきらかに他責型人間と出た。私は当初、この結果にとまどった。しかしやがてすぐ、その
背景が理解できた。

 当然のことながら、A君とBさんは、いつも行動をともにしている。通っている学校も同じ。クラ
スも同じ。きわめて接近した関係にある。

 そういう関係の中で、何かにつけて、A君はBさんに、やりこめられている。勉強という面で
は、いつも負けている。

 一方、Bさんは、A君という兄弟をもちながら、いつも手を焼いている。内心では、「あまり自慢
できない弟(兄)」と思っているのかもしれない。A君を、やんちゃな弟とするなら、Bさんは、でき
のよい姉ということになる。(実際には、双子だが……。)

 こういう関係の中で、A君は、自分に対する評価(=自己評価)をさげていった。一方、Bさん
は、自分に対する評価をあげていった。結果、A君は、自責型人間になり、Bさんは、他責型人
間になった。

 わかりやすく言えば、2人の間で何か問題が起きるたびに、A君は、「どうせ、ぼくが悪い」「ぼ
くの責任」と思うようになった。一方Bさんは、「何でも、あなたが悪い」「あなたの責任」と思うよ
うになった。そのちがいが、このテストで、顕著に現れた。

 が、問題がないわけではない。

 他責型人間は、欲求不満の原因を、いつも他人のせいにする。それゆえに、自分の非を認
めない。タイプとしては、姉御(あねご)タイプ。あるいは親分タイプということになる。

 一方自責型人間は、欲求不満の原因を、いつも自分のせいにする。それゆえに、ときとして
自分を必要以上に、過小評価してしまう。子分タイプ。あるいは隷属タイプということになる。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではない。このテストは、あくまでも、心の奥底をのぞくた
めのもの。だからといって、A君に、こうしなさいとか、Bさんに、こうしなさいとかいう類(たぐい)
のものではない。

 しかしこのテストを通して、私は、たいへん興味深いことを発見した。見かけでは、A君は他責
型人間、Bさんは、自責型人間に思っていたからである。つまり心の奥底というのは、その見
かけでは、わからないということ。

 あなたも一度、このテストをして、自分の心の奥底をのぞいてみたらよい。

 ところで、私は自責型人間。私のワイフは他責型人間である。先のA君とBさんの関係と、た
いへんよく似ている。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2104)

●ダンボール紙入りの肉まん事件(続報)

++++++++++++++++

北京テレビが報道した、「ダンボール
紙入りの肉まん事件」は、テレビ局の
ヤラセであったという。

一応、そういう形で、決着(ケリ)が
ついたが、その「決着」そのものが、
これまたヤラセであったのではないか
という疑惑が、浮上している。

実際、そのあたりで問題の肉まんを
口にした市民は多い。

それについて、朝鮮N報は、つぎの
ように報じている(7月23日)。

++++++++++++++++

 『客たちがこの肉まんを口にすると、たまに何か固い段ボールが歯に当たるため、「これは何
だ」と問い合わせると、店の主人は「肉のくん製だ。良い肉だ」と強弁していたという。ある新聞
は、「放送後に区が取り締まりに乗り出したが、露天商はすでに現場をあとにし、当局は後に
なって無許可の餃子店を貸し出していた建物の所有主を立件して調査している」と報じた』と。

 こうしたニセ食品に対して、朝鮮N報(同日)は、ほかにも、つぎのような事実をあげている。

(1)04年4月には安徽省でニセの粉ミルクを飲んだ赤ん坊13人が死亡するという事件が発
生した。

(2)昨年11月には卵に赤みをつけて新鮮に見せるため、生きた鴨に発がん物質の入った染
料を食べさせるという事件が発覚した。

(3)さらに今年(07年)に入って輸出用の動物飼料や歯磨き粉などから、人体に有害な化学
物質が検出され、中国産食品と薬品に対する不振は国の内外にさらに大きく広まった。

(4)コメは数年前の古米にツヤをつけて高く売るケースがほとんどだ。コメの表面にツヤを出
させるには工業用光沢剤やワックスで加工処理しなければならない。工業製品の製造に用い
られる光沢剤は食品の製造に使うことはできず、人体に入ると消化器系や神経系に悪影響を
及ぼす。ひどい場合には命を落とすこともある。

(5)小麦粉は滑石を混ぜたものやグルテンが除去されたものが、一般の小麦粉と混ぜた状態
で流通している。グルテンとは麦などの穀類に含まれる不溶性たんぱく質で、表面積を増加さ
せ、パンなどをよく膨らませる性質がある。

(6)小麦粉を白くするために過酸化水素などの漂白剤を使用する。この薬品は皮膚や粘膜に
炎症を引き起こし、長期間摂取し続けると肝臓や脳神経に致命的な障害を引き起こす可能性
がある。

(7)またサツマイモのでん粉、はすの根の粉、もち米の粉などにも異物が混ざった不良食品が
市場で堂々と売られている。この小麦粉で麺類を作ると、細くすることができない

(8)コメや小麦粉などで加工されたパン、麺類、菓子などにもニセモノが氾濫している。粗悪な
小麦粉を使用した麺類はもちろん、酸敗して食べることのできない麺類を細かくして、正常な小
麦と混ぜて作った麺類もある。

(9)ケーキを作る時も食用ではない色素や糖分が混ざっていたり、賞味期限が過ぎてカビの
生えたケーキを粉末にし、再び菓子として焼き上げるケースもある。

(10)牛乳、粉ミルク、豆腐、卵、魚にもニセモノが多い。正常な牛乳から脂肪分を抽出し、そ
こから粉ミルクを作って販売する。また一般の粉ミルクに何の栄養もない粉末を混ぜた粗悪粉
ミルクも製造されている。

(11)中国では数年前にニセ卵が流通し、問題になったこともある。コメの粉や小麦粉などに
色素を混ぜて作ったニセの卵は、本物のように白身と黄身でできているため、だまされやす
い。

(12)ニセ豆腐もあって、不良豆腐は石灰を混ぜることにより普通の豆腐よりも固くなってい
る。

(13)05年末に香港では中国から輸入したニセの鮎が摘発された。硫化ゴムで作られたこの
ニセ鮎を見た消費者が、内臓がないのをおかしく思い当局に通報したことにより明らかになっ
た。 

(14)それ以外にも「中國吃網」によると、中国人が毎日食べる食品の中にもニセモノや不良
食品が多いという。洗剤が混ざった揚げ物菓子、豆の油が混ざったごま油、粗悪塩の入った
調味料、水の混ざったビールや酒、赤い色素や糖分を注射したスイカなど、すべてを書き出す
こともできない。

以上(4)〜(14)は、「中國吃網」(中国の食べ物)より。

 まさにあるは、あるはの、ニセモノ世界だが、それにしても、ニセ卵に、ニセ鮎とは! ニセ鮎
にいたっては、何と、硫化ゴムで作られていたという。

 そういう中国だから、ダンボール紙入りの、ニセの肉まんがあったところで、おかしくない。…
…ということで、「報道は、北京テレビのヤラセであった」とする当局の発表そのものが、ヤラセ
ではなかったのかという疑惑が生じている。つまりダンボール紙入りのニセの肉まん事件は、
本当にあった?

 が、中国ばかりを非難していてはいけない。

 この日本でも、たとえばミカンなどを着色するため、その時期になると、特殊な肥料をミカン
の木の周辺にまくことは、よく知られている。あるいはツヤをよくするため、表面にワックスをか
けている業者もいるという話を聞いたこともある。

 そう言えば、最近のスイカは、どれも甘い? 以前は、当たりはずれがあって、甘いスイカも
あれば、そうでないスイカもあった。しかしこのところ、そういったハズレが、ほとんどない。やは
りその時期になると、特殊な肥料を与えて、糖度をあげるのだそうだが、これにも(?・マーク)
を、1個つけたい。

 また米にワックスをかけるという話も、一度、考査してみる必要がある。私たちも、店頭で米
を選ぶとき、ツヤを見て選ぶ。だから中には、米にワックスをかける業者がいたとしても、おか
しくない。

 中国人と日本人。基本的には、小ズルサという点では、そうはちがわない。こういう事件を知
ると、日本人は大騒ぎするが、しかしこの日本でも、つい最近、牛肉の中に、古いブタ肉やニワ
トリの肉を混ぜて売っていた業者が問題になった。その前には、ニセ食品ではないが、K国産
のアサリを、日本産アサリと偽って売っていた業者が摘発された。そういう意味では、日本の業
者のほうが、より巧妙になっているとも考えられる。

 「食」は、健康の「要(かなめ)」である。多少、見栄えは悪くても、本物をつくり、本物を売ると
いう姿勢が、何よりも重要だと思う。一度、このあたりで、日本も、私たちの食生活全般を、洗
いなおしてみる必要があるのではないか。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●ぜいたくに育つ子ども

++++++++++++++++

ずいぶんと昔の話だが、レッスン中、
突然、「タクシーを呼んで!」と
叫んだ、女の子(中6)がいた。

理由はわからなかったが、あまりの
あわてように驚いて、私は、言われる
ままタクシーを呼んでやった。

で、あとで、話を聞くと、母親は
こう言った。

「うちの子は、よそのトイレを使う
ことができないのです」と。

ナルホド!

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 ここ数年、とくにふえてきたのが、(ぜいたくな子)。ぜいたくであることが当たり前になってい
て、おかしなセレブ意識をもっている。それで私は、そういう子どもを、「セレブ娘」と呼んでい
る。概して、女児に多い。

 机が汚れていると言って、不快な顔をする。「掃除をしたか?」と言って、怒る。
 貸し出しの教科書に、ほこりがついているといって、怒る。
暑くて勉強できないと言って小言を言う。クーラーをつけろと言う。
 蚊を退治するため、スプレーをかけると、服が臭くなると言って怒る。
 蚊取り線香をたくと、髪の毛が臭くなると言って怒る。

 身につけているものはといえば、言わずと知れた、ブランド品。ブランド品ばかり。友人どうし
で、それを競いあっている。たまに、(自分より下?)と思っている子どもが、同じブランドの服を
着ていたりすると、露骨に不快な表情をしてみせる、などなど。

 冒頭に書いた、よそのトイレは使えないという女の子にしても、そうだ。生活に対する耐性
が、極端に弱い。で、なぜ子どもが、そういう子どもになるかと言えば、今さら、理由など、ここ
に書くまでもない。

 しかし一度、子どもでもそういうセレブ意識をもってしまうと、(かえって、子どものほうがタチ
が悪いが)、結局は苦労するのは、その子ども自身ということになる。社会人になってからも、
それだけの生活が維持できればよいが、そうでないとき、その子ども自身が、社会から、はじ
き飛ばされてしまう。社会そのものに、同化できなくなってしまう。

 さらに悲劇的なことに、そういう子どもにしながら、親自身にその自覚がないということ。親自
身も、セレブ意識が強く、たとえば娘に、つぎつぎとブランド品を買い与えながら、それが親とし
て、当然である(?)と考えている。

 で、先にも書いたように、この数年、このタイプの子どもが、急速にふえている。あのバブル
経済期にも、同じような現象が見られたが、最近は、さらにそれに磨き(?)がかかった。一見
何でもなく見えるTシャツだが、一着、数万円というシャツを着ていたりする。ジーパンにしても、
そうだ。靴にしても、そうだ。

 が、私は、あえて言う。

 「子どもは、質素に育てたほうがよい」と。以前『質素を旨(むね)とすべし』という格言を考え
たこともある。今から15年も前に書いた本の中で、である。そのときの原稿を、そのまま転載
する。

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●ガツガツした子どもは生き残る

 ガツガツすることに抵抗を感ずる人は多い。しかし日本はそのガツガツすることによって、こ
こまでの経済大国になった。もしここでガツガツすることをやめたら、日本はあっという間に、世
界の大波にのみこまれてしまうだろう。「スキあらば……」と日本をねらっている国はいくらでも
ある。

 しかし日本の子どもたちを見る限り、日本の将来はお先真っ暗。このままでは日本はアジア
でもごくふつうの国、あるいはそれ以下になってしまう。ロンドン大学名誉教授の故森嶋氏も、
「2050年には本当に日本はダメになってしまう」と警告している。

 ……というのはマクロ的な見方だが、個人というミクロ単位でみても、同じことがいえる。これ
からの日本や世界で生きていくことができる子どもは、ガツガツした子どもである。ぬるま湯に
どっぷりとつかり、のんきに過ごしている子どもには、未来はない。言いかえると、どうすればそ
のガツガツした子どもを育てられるかということ。それがこれからの子どもをどう育てるかのヒ
ントになる。そこで……。

(1)子どもにはぜいたくをさせない……子育ては質素を旨とする。与えるもの、着せるもの、食
べさせるもの、あらゆる面で質素にする。中には「高価なものを買い与えることが、親の愛のあ
かし」と考えている人がいるが、これはとんでもない誤解である。

(2)子どもの言いなりにならない……結局は子どもの言いなりになってしまうという甘い環境
が、子どもをドラ息子(娘)にする。そのためにも、生活の場では、子どもを中心に置かない。い
つも脇に置く。食事の献立でも休日の過ごし方でも、親は親で、親中心の生活を組み立てれば
よい。

(3)子どもは使う……「子どもは使えば使うほどいい子になる」と心得る。使えば使うほど、子
どもは忍耐力を養い、生活力もそこから生まれる。「子どもに楽をさせることが親の愛のあか
し」というのも誤解。使えば使うほど、他人の苦労もわかるようになり、その分だけ、子どもはや
さしく思いやりのある子どもになる。

 ガツガツする子どもを嫌う人も多いが、本来子どもというのは、ガツガツしているもの。またそ
れが子どものあるべき姿ということになる。今この日本では、どこかナヨナヨし、従順で、満足
げにおっとりしている子どもほど、「いい子」と見る風潮がある。しかしそういう子どもは、これか
らの世界で生き残ることはできない。

●叱るときは恐怖感を与えない

 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖感を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの耳』と
覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そ
うしているのではない。こわいからそうしているだけ。親が子どもを日常的に叱れば叱るほど、
子どもはいわゆる「叱られじょうず」になる。頭をさげて、いかにも反省しているといった様子を
見せる。しかしこれはフリ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るときは、次のことを守る。

●叱るときの鉄則

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)

(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」
と覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。

(3)相手が幼児のときは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないた
め)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固
定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。とくに頭部への体罰は、
タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。

(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、

(5)叱ったことについて、子どもが守られるようになったら、「ほら、できるわね」と、ほめてしあ
げる。ちなみに私が調査したところ、相手が幼児のばあい、約50%の母親が何らかの体罰を
加えているのがわかった(浜松市にて調査)。

げんこつ、頭たたき、チビクリ、お尻たたきなど。ほかに「グリグリ(げんこつで頭の両側をグル
グリする)」「ヒネリ(げんこつで頭をひねる)」など。台所のすみで正座、仏壇の前で正座という
ものもあった。「どうして仏壇の前で正座なのか?」と聞いたら、その子ども(中一男子)はこう
話してくれた。「お父さんが数年前に死んだから」と。何でもとても恐ろしいことだそうだ。体罰で
はないが、「(家からの)追い出し」というのも依然と多い。

●ほめるときは、おおげさに

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛はおおやけ
に』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのとき頭
をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔や
スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て
くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に
する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

●励まし方

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。いつもプラスの暗示をかけるようにして、励
ますとよい。「あなたはこの前より、すばらしくなった」「去年よりずっとよくなった」など。またすで
に悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。
意味がないだけではなく、かえって子どもを袋小路へ追い込んでしまう。「やればできる」式の
励まし、「こんなことでは!」式の脅しも、タブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなと
きはなおさら、「あなたはよくがんばった」式の前向きな姿勢で、子どもを温かく包んであげる。

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ついでにもう1作。

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子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、スポイ
ルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。

そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教
えてくれた。「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけ
ない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。
つまり、「日本の子どもは何もしない」と。

反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こ
うでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝って
いる」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を
定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を
楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分
勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動す
ることができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しかし一度この
時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ドラ
娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因があるか
らである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねの
けてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。

友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。話を聞くと、「トイレ
が汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないために
も、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが2〜4歳のときが勝負で、それ以後になる
と、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。

たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。こ
んな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋さ
んが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされ
ると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1)生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦
労がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみ
んなが困るのだ」という意識をもたせる。

(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。

(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。

(4)生活のルールを守らせる。

(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。

(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ドラ息
子、ドラ娘 質素 セレブ娘 子供とぜいたく ドラ息子症候群 子どもの耐性 子供の耐性)


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2105)

【今朝・あれこれ】(7月24日)

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今朝の私の精神状態は、
よくないようだ。

今朝は、悪夢で目が覚めた。

映画の見すぎかもしれない。
どこかの国。瓦礫(がれき)の山。
核戦争で、そうなったのだという。

ぼうぜんと立ち尽くす人々。
壊れたビルから、這い出てくる
人々。

いやな夢だった。
私は床から体を起こし、
枕元にあった水を飲んだ。

で、そのまま本当に
目が覚めてしまった。

時刻は午前4時。

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●核戦争

 K国だけではない。世界中の国々が、核兵器をもとうとしている。インド、パキスタンにつづい
て、アルゼンチン、イランなどなど。アルゼンチンがもてば、当然、ブラジルも、ということにな
る。イランの核兵器開発は、アラブ地域でも、すでに連鎖反応を起こし始めている。

 こうした武器が、テロリストたちに渡ったら、どうなるか? それこそ想像するだけでも、ぞっと
するような地獄絵図が、そこで繰り広げられることになる。

 そこで1957年、原子力の平和利用を推進するため、(同時に、核兵器開発を監視するた
め)、国際原子力機関(IAEA)が誕生した。

 IAEAは、原子力の平和利用を推進するほか、核物質の軍事転用を防止するため、各国の
原子力開発機関への査察を行っている。

 現在、140か国前後の国々が、IAEAに加盟している。が、そのIAEAそのものが、K国に例
をみるまでもなく、有名無実化しようとしている。たとえば韓国にしても、本気でK国の核兵器開
発を阻止しようと考えているかといえば、それは疑わしい。「失われた13年」とも言われている
が、この13年間、韓国は、結果的にみれば、K国の核兵器開発を黙認し、援助してきたことに
なる。

 「K国が核兵器をもつことは、統一後の南北朝鮮にとっては、有利」と説く政治家も多い。現
在のN大統領も、その1人と考えてよい。

 もしそうなら、日本も……、ということになる。東京都知事のI氏も、そう主張している。しかしそ
れこそ、まさに核のドミノ倒し。だれかが、どこかで、そのドミノ倒しを食い止めなければならな
い。

 ゆいいつの被爆国ということでもないが、それが日本であっても、私は反対しない。仮に韓国
や、台湾が核兵器をもったとしても、日本は、もたない。もたないで、すます。いつか自分のエッ
セーに、こう書いたことがある。

 「他国の立場で、他国の視点から見て、平和を保障してこそ、真の平和を守ることができる」
と。

 わかりやすく言えば、他国に脅威を与えない。それこそが、日本という国の真の平和につな
がる。

 それにしても、いやな夢だった。ああいう夢は、2度と見たくない。


●トランスフォーマー

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悪夢の原因は、今度封切りになる
「トランスフォーマー」という
映画かもしれない。

数日前、その予告編を、インターネット
で見た。

夢の中の光景が、どこかよく似ている。

そのトランスフォーマーについて……。

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 私はインターネットで配信されている程度の予告編しか見ていない。そういう前提で、この原
稿を書く。

 つまり、映画を見る前に、それがどういうストーリーかを想像する。どういう結末で終わるか
を、想像する。それがけっこう、楽しい。称して、「トランスフォーマーを10倍、楽しむ法」。

 トランスフォーマーというのは、宇宙からやってきた生物のこと。その生物が、地球上の無機
物を生命体に変えて、人類を攻撃する。それが映画の柱になっている。

 しかし人類が滅んでしまったのでは、映画にならない。そこで何らかの形で、人類は、そのト
ランスフォーマーを退治するということになる。しかし、その方法は?

 このあたりで、恐らく制作者も、いちばん頭を悩ましたにちがいない。ありきたりの方法では、
観客は満足しない。それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

 「きっと勇気のある人が、トランスフォーマーの核心部分に、爆弾か何かをもって、入っていく
のよ」と。

 しかしそれでは、『インディペンデス・デイ』と同じ。

 また細菌、もしくはコンピュータ・ウィルスを使って滅ぼすというのは、『宇宙大戦争』と同じ。

 そこで私なりの想像力を働かす。私は学生時代、SF小説の大ファンだった。その種の本を、
片っぱしから、読みあさった。当時、早川なんとかいう出版社があった。(今でも、あるかな?)
その出版社が、そういう本や雑誌を、専門に出していた。

 で、はやし浩司風、『トランスフォーマー』。

●どうやって、トランスフォーマーを退治するか?

 人間がもつ最大の武器は、(感情)。相手が機械だとするなら、(感情)で対抗するしかない。

 つまり感情をもった人間が、トランスフォーマーの中に、そのまま入る。トランスフォーマーた
ちを内部からコントロールしながら、再び、宇宙に果てに送り出す。

 しかしこの方法も、いつか見た映画にあった。宇宙探査機のボイジャーが、宇宙を航行して
いる間に進化して、再び地球へやってくるという映画である。

 となると、やはり、コンピュータ・ウィルスかな? それを使って、退治する? しかしこの方法
は、先にも書いたように、陳腐。

 「霊」を登場させるのも、おかしい。で、考えられるのは、トランスフォーマーたちを、仮想現実
の世界に誘いこむという方法。『マトリックス』のような仮想現実の中に誘いこみ、そこへ閉じ込
めてしまう。

 そのヒント、つまりトランスフォーマーを退治するヒントとなったのが、子どもがもっていたゲー
ム機器。一匹のトランスフォーマーが、子どものもっていたゲーム機器に入りこむ。とたん、そ
のゲームの中の主人公となって、画面上で暴れ始める。

 それを知ったコンピュータ技師たちが、巨大なゲーム機器をつくり、そこへトランスフォーマー
たちを誘いこむ。トランスフォーマーたちは、自分たちがゲーム機器の中に入ったということも
気づかず、そこを現実の世界と思いこむ。好き勝手に暴れ出す。しかしもちろん、人間には実
害はない。

 そのゲーム機器を、最終的には、ロケットか何かに載せて、太陽に向けて放出する。映画
は、そこで、おしまい。

 ……さあ、どうだろう? 私の空想は当たるだろうか? 楽しみだ。封切りは8月5日。

(追記)

 この話を、BW教室(小5)の子どもたちにすると、1人の子ども(男児)がこう言った。

 「でもさあ、どうして人間を攻撃するのさア? 人間が何か悪いことでもいたというの?」と。

 そうだ、それについても考えておかねばならない。

 人間を攻撃する以上、何か、理由がなければならない。彼らがそれだけ怒るには、それなり
の理由がなくてはいけない。その理由づけは、どうするのだろう。

 で、たとえば、こんなストーリーはどうだろう。

 ある日、トランスフォーマーの家族が、地球へ遊びにきた。それぞれが勝手気ままに遊んで
いた。しかし彼らの子どもの一人が、ふとまちがえて、人間の子どものもっていたゲーム機器
の中に入ってしまった。

 そこでトランスフォーマーの家族たちが、必死になって、自分たちの子どもをさがし始める。人
間が、自分たちの子どもを誘拐(ゆうかい)したと思って、人間に攻撃をしかける。

 ……しかしこの話は、どこか、幼稚。

 ところで先日、トランスフォーマーのチケットを買いに行ったら、「2日前からでしか、予約でき
ません」とのことだった。8月5日に封切られるから、チケットは、8月3日から販売になるという
ことらしい。

 
Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●釈迦が説いた、自由論

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釈迦はクシナガラの郊外、シャーラ
(沙羅)樹の林の中で、最後の教え
を説いたという(仏教聖典)。

弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、
自らを灯火(ともしび)とし、
自らをよりどころとせよ、
他を頼りとしてはいけない。

この"法"を灯火とし、よりどころと
せよ。他の教えをよりどころとしては
いけない。

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●自由

 「自由」という言葉がある。この言葉は、もともとは、「自(みずか)ラニ由(よ)ル」、あるいは
「自ラニ由ラセル」という意味である。

 つまり、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)ことを、「自由」という。

 釈迦は、仏教聖典(仏教伝道協会発行)によれば、最後に、まさにその「自由」について説い
たことになる。

 ついでながら、私が知るかぎり、釈迦が、「前世」とか「来世」とか、そんなことを説いた形跡
は、どこにもない。あるとすれば、釈迦滅後、数百年を経て書かれた経典の中だけである。そ
うした経典は、ヒンズー教の影響を、モロに受けている。

 それはともかくも、釈迦は、つぎのようにつづける。

『わが身をみては、その汚れを思って、
貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみも、
ともに苦しみの因(もと)であると思って、
ふけらず、わが心を観(み)ては、その
中に「我」はないと思い、それらに
迷ってはならない。そうすれば、すべての
苦しみを断つことができる。
わたしがこの世を去った後も、このように
教えを守るならば、これこそわたしの
まことの弟子である』と。

●煩悩(ぼんのう)

 釈迦によれば、私たちの心というのは、基本的には、「汚れている」ということになる。だか
ら、その汚れた心のまま、「貪ってはならない」と。つまり貪欲になってはいけない、と。もっとわ
かりやすく言えば、情欲の命ずるまま、貪欲になってはいけない、と。

 そしてそれを受けて、『苦しみも楽しみも、ともに苦しみの因であると思って、それにふけって
はいけない』と。

 同じようなことが、東洋医学のバイブルとも言われる、(黄帝内経・素問・上古天真論篇)の中
にも書いてある。「(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る」と。

 つまり「楽しいから」といって、享楽的に、それにふけってはいけないということ。それはそのと
おりで、1人の人の(楽しみ)は、どこか別のところで、別の人の(苦しみ)の上に成り立っている
ことが多い。あるいは享楽的に生きれば生きるほど、その反動は、かならず、自分自身にやっ
てくる。

またつぎの『わが心を観(み)ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷ってはならない』の
部分は、フロイトのリピドー論を重ねてみると、意味がよくわかる。

 私たちを根源的な部分で動かしているのは、リピドー、つまり性的エネルギーである。さらに
つっこんで言えば、「子孫存続本能」ということになる。もちろん私たちはそれだけで生きている
わけではないが、しかし私たちの日常的な行動すべては、どこかでその本能と結びついてい
る。

 それがわからなければ、ほかの動物や植物をみればよい。私たち人間も、その一部でしか
ない。

●どこまでが「私」?

 釈迦は、「私たちの中には、『私』という部分は、本当はないのだ」と説いている。つまり「私は
私」と思っている部分にしても、そう思っているだけで、実際には、私ではない、と。

 たとえば若い女性が、化粧をする。その女性は、「私は自分の意思で化粧をしている」と思っ
ているかもしれないが、その意思とて、作られたものにすぎない。結婚前の女性であれば、まさ
に「子孫存続」のための、その準備行動をしているにすぎない。

 実際、私の中の「私」をみつめてみると、どこからどこまでが、「私」で、どこからどこまでが
「私」でないか、それがよくわからないときがある。たとえばもうすぐ60歳という、この年齢にな
っても、性欲は残っている。ときどきエロビデオを見たいという欲求もわいてくる。

 しかしそう思うのは、ここでいう(私であって私でない部分)ということになる。だからつづく行
動、たとえばエロビデオ店へ行って、見たいエロビデオを選んだり、買ったりするのも、(私であ
って私でない部分)ということになる。

 しかしこんなことをおおっぴらに言えば、(すでにおおっぴらに言っているが)、「教育評論家と
呼ばれている男が、何を言うか!」と、非難される。だから私は、こういうことは隠そうとする。
「私は、そういうエロビデオは見ていません」というフリをする。

 「私」がかろうじてあるとすれば、その(隠そうという)部分、もしくは(フリをしている)部分にで
しかない。

●苦しみは煩悩から

要するに、私たちが日常生活でいうところの(苦しみ)などというものは、総じてみれば、(私で
あって私でない部分)から生じている。だから釈迦はこう言う。『私の中に、「我」はないと思い、
それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことができる』と。

 もう一歩先を言えば、「私は私」と思うから、そこから苦しみが生まれる。「私の財産」「私の名
誉」「私の地位」と。ならば、最初から、運命を受け入れ、それに従えばよい。へたに「私」にこ
だわるから、人は苦しむ。悩む。釈迦もこう言っている。

 『……いたずらに悲しむことはやめて、
 この無常の道理に気がつき、人の世の
 真実のすがたに眼をさまさなければ
 ならない。

 変わるものを変わらせまいとするのは、
 無理な願いである。

 煩悩(ぼんのう)の賊(ぞく)は、
 常におまえたちのすきをうかがって、
 倒そうとしている。

 もしおまえたちの部屋に毒蛇が住んで
 いるのなら、その毒蛇を追い出さない
 かぎり、落ちついてその部屋で、
 眠ることはできないであろう。

 煩悩の賊は追わなければならない。
 煩悩の蛇(へび)は、出さなければ
 ならない。

 おまえたちは慎(つつし)んで、
その心を守るのがよい』(同書)

 あとは、その瞬間、瞬間を、懸命に生きること。ただひたすら懸命に生きること。それがどん
な結果で終ろうとも、それも運命。そのときはそのときで、その運命を、静かに受け入れれば、
それでよい。

 釈迦が説いた「自由」とは、まさに「私」を求める戦いであったということになる。わかりやすく
言えば、「私」を、「私の中の私でない部分から解放させる」。それが真の自由につながる、と。
釈迦は、それを説いた。

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黄帝内経・素問・上古天真論篇
について書いた原稿を、添付
します。(中日新聞発表済み)

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●子育ては自然体で

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわからない。
そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。これは
健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨
み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの
崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的に
も悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。難解な文章だが、これ
を読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、スパルタ主
義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめ
る」と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。

よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、子どもの趣味を奪ってしま
うこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常
的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義
というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈
な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は私」
「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。

あなたの子どものできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、
見え、メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解放
されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけない。
「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくてもいけない。必要な
ことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。実際どんな子どもにも、自
ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。子育てを一言で言えば、そう
いうことになる。

さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、それ
に背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だ
が、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなければ、そうで
ない」ということになる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目的とし
て、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は害せられる。
精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せられる。栄養過多も
いけないが、栄養不足もいけない。

子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがしないでも
ないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2106)

●親離れ、子離れ

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子どもの親離れを、じょうずに
導く。

それが賢い親ということになる。

けっして依存心をもたせてはいけ
ない。

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 子どもは小学3、4年を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。気づ
かないまま、親意識だけをもち続ける。またそれをもって、親の深い愛情だと誤解する。つまり
子離れできない。親子の悲劇はここから始まる。

あの芥川龍之介も、「人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる」(侏儒の言
葉)と書いている。

 息子が中学1年生になっても、「うちの子は、早生まれ(3月生まれ)ですから」と言っていた母
親がいた。

娘(高校生)に、「うす汚い」「不潔」と嫌われながらも、娘の進学を心配していた父親もいた。

自らはほしいものも買わず、質素な生活をしながら、「あんなヤツ、大学なんか、やるんじゃな
かった」とこぼしていた父親もいた。あるいは息子(中2)に、「クソババア! オレをこんなオレ
にしたのは、テメエだ」と怒鳴られながら、「ごめんなさい。お母さんが悪かった」と、泣いてあや
まっていた母親もいた。

しかし親子の間に、細くとも一本の糸があれば、まだ救われる。親はその1本の糸に、親子の
希望を託す。しかしその糸が切れると、親には、また別の悲劇が始まる。親は「親らしくしたい」
という気持ちと、「親らしくできない」という気持ちのはざ間で、葛藤する。これは親にとっては、
身をひきちぎられるようなものだ。

ある父親はこう言った。「息子(19歳)が暴走族の1人になったとき、『あいつのことは、もう構
いたくない』という思いと、『何とかしなければ』という思いの中で、心がバラバラになっていくの
を感じた」と。

もう少しズルイ親だと、「縁を切る」という言い方をして、子育てから逃げてしまう。が、きまじめ
な親ほど、それができない。追いつめられ、袋小路で悩む。苦しむ。

 子どもというのは、親の期待を1枚ずつはぎ取りながら、成長する。中には、最後の1枚まで
はぎとってしまう子どももいる。年ごとに立派になっていく子どもを見る親は、幸せな人だ。しか
しそういう幸運に恵まれる親は、一体、何割いるというのだろうか。

大半の親は、年ごとにますます落ちていく(?)子どもを見せつけられながら、重い心を引きず
って歩く。「そんな子どもにしたのは、私なんだ」と、自分を責めることもある。しかしそれとても
とをただせば、子離れできない親に、問題がある。

あの藤子F不二雄の『ドラえもん』にこんなシーンがある(18巻)。タンポポの種が、タンポポの
母親に、「(空を飛ぶのは)やだあ。やだあ」とごねる。それを母親は懸命に説得する。しかし一
度子どもが飛び立てば、それは永遠の別れを意味する。タンポポの種が、どこでどのような花
を咲かせるか、それはもう母親の知るところではない。しかし母親はこう言って、子どもを送り
出す。「勇気をださなきゃ、だめ! みんなにできることがどうしてできないの」と。

 子どもの人生は子どもの人生。あなたの人生があなたの人生であるように、それはもうあな
た自身の力が及ばない世界のこと。

言いかえると、親は、それにじっと耐えるしかない。たとえあなたの息子が、あなたの夢や希
望、名誉や財産、それを食いつぶしたとしても、それに耐えるしかない。外から見ると、どこの
親子もうまくいっているように見えるかもしれないが、それこそまさに仮面。子育てに失敗してい
るのは、あなただけではない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【非行から犯罪へ】

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子どもの問題には、
かならずといってよいほど、
2番底、3番底がある。

今、見せている子どもの状態を、
「最悪」と思ってはいけない。
最悪の下には、さらに最悪、
さらにその下には、また
別の最悪がある。

最終的には、子どもは、
(犯罪の世界)にまで、
落ちる。落ちるときには、落ちる。

しかし親にはそれがわからない。
子どもが何か問題を起こすと、
そこが「最悪」と思い、子どもに
向かって、無理をする。

この無理が、子どもを、2番底、
3番底に落す。

が、子どもは、家族の(代表)に
すぎない。家族というより、
それまでの生い立ちの(結果)
にすぎない。

親が、子どもを包む環境を
猛省せずして、子どもを
正すことはできない。

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●2番底、3番底

 前にも書いたが、子どもが門限を破ったとする。すると親は、子どもをはげしく叱る。「門限を
守れ!」と。

 しかしそのとき対処のし方をまちがえると、つぎに子どもは、外泊をするようになる。「家に帰
って、ガミガミ言われるくらいなら、外泊したほうがいい」と。

 再び、親は、外泊から帰った子どもをはげしく叱る。「どうして約束を守れないのか!」と。

 あとは、この繰りかえし。悪循環。(親は、ますますはげしく子どもを叱る)→(連泊する)→(子
どもを探し回る。探して、ますますはげしく叱る)→(家出)→(ますますはげしく叱る)、と。

 が、この段階ですめば、まだよいほう。この段階でさらに対処のし方をまちがえると、非行の
レベルを超えて、犯罪の世界へと入ってしまう。

 しかしその1歩手前で、2つのタイプの子どもに分かれる。

 非行を重ねながらも、最後の一線を、しっかりと守るタイプ。もうひとつは、非行を繰りかえす
段階というより、そのずっと前の段階で、モラルの崩れてしまうタイプ。非行に走るようになるの
は、あくまでも結果。当然のことながら、後者のタイプは、それだけ犯罪の世界へと入りやすく
なる。

 ただ犯罪といっても、援助交際(=売春)のレベルから、窃盗、傷害、暴行のレベルまで、い
ろいろある。犯罪でありながら、たとえば援助交際をしている子どもなどは、罪を犯していると
いう意識そのものがない。万引きにしても、そうだ。

 さらに「反社会的行為」といっても、何が社会的行為で、何がそうでないかを的確に判断でき
ない子どももいる。

●N君の例

 N君(小4男児)という子どもがいた。かなり問題のある子どもだった。しかし小4なら、まだ抑
えられる。体格もそれほど大きくない。威圧すれば、それなりに静かになる。

 が、ある日、騒いだ。それで私はN君の横に座った。座ったとき、こう言った。「今度騒いだ
ら、君の手にチューする。先生(=私)は、注意(チューイ)しない。チューだ」と。

 するとN君が突然、キレた。表情が変わった。そしてたまたま使っていた大型の三角定規の
先を、私に向かって突き出した。「テメエ、ヤルゾ!」と。

 すさんだ声だった。三角定規といっても、30センチまでの目盛りがついている。先は刃物の
ようにとがっている。

 こういうとき、教える側、つまり私は、ぜったいにひるんではいけない。恐れたり、慌てたりす
ると、それが引き金になることが多い。私は前を向いたまま、それを無視した。つまりN君にし
てみれば、スキだらけのポーズをとったことになる。三角定規で私を刺す気なら、いつでも刺せ
る。首でも、横腹でも。

 瞬間だったが、ピンとした緊張感が走った。私はゆっくりとN君のほうへ首を回し、こう言っ
た。「そんなもので人を刺したら、その人は死ぬかもしれないよ」と。N君は、ゆっくりと三角定
規を下に置いた。

 そのN君だが、4年生から5年生になるとき、学校を転校した。それまでの小規模校から、そ
うした子どもを指導できる、大規模校へと、である。恐らく学校も、N君の指導をもてあましてい
たにちがいない。それでそうなった。

 そのN君について。

(1)まじめな会話ができない。……こちらが真剣な表情で話しかけても、茶化すというより、す
りぬけてしまう。

(2)おとなの心を読むのが早い……相手が自分にとってやさしいと判断すると、すかさず、そ
のスキを攻めてくる。

(3)キレやすく、乱暴……自分勝手で、わがままな行動を繰りかえしながらも、心はいつも緊張
状態にあって、ささいなことでカッとなりやすい。

(4)享楽的……その場だけ楽しめば、それでよいたいった行動を繰りかえす。したいことはす
るが、したくないことは、いっさい、しない。

(5)行動の粗放化……わざと目立った行動をする。教室の壁に、ボールを投げて、キャッチボ
ールをするなど。 

 家庭環境について言えば、そのときの父親は、再婚相手であったこと。母親は、短気で乱
暴。N君に対して、日常的に体罰を加えていた。私がN君について何かを話そうと思ったときで
も、私の話を最後まで聞かないうちに、「今日から、しっかりとしつけてみます」「私のしつけが
足りなくてすみません」などと言ったりした。

 が、何よりも残念だったのは、そういう母親でありながら、N君の言い分だけを一方的に、鵜
のみにしていたこと。N君は、家に帰ると、学校の悪口や担任の先生の悪口を言った。だから
私に対しても、「うちのNは悪くありません」「ウソをつくような子ではありません」「先生に問題が
あります」と。

 こうした母親の盲目性が、ますます指導をむずかしくした。実際には、私の教室ですら、蹴飛
ばすようにしてやめていった。たぶんN君は、私の悪口も、同じように話していたにちがいな
い。あるいは母親自身が、子育てをすることについて、(心の余裕)を、喪失していたのかもし
れない。

 そののちN君は、お決まりの非行コースをたどり、何とか高校へは入学したものの、1年のと
きに無免許でバイクに乗り、道路脇の山に激突。幸いけがは軽くてすんだが、うしろに同乗して
いた女の子は顔に、大きな傷あとを残してしまった。

 もちろんそのまま高校は退学。しばらく家でぶらぶらしたあと、東京方面に家出。消息が取れ
ない状態になっている。少年院に入ったという、うわさを耳にしたこともある。

 ただここで誤解してほしくないことは、だからといって、このままN君が、(ダメ)になってしまう
ということではない。そういう状況から脱け出て、そののち、社会人として自立していく子どもは
多い。むしろこの時期、N君のようにサブカルチャ(=下位文化)を経験し、それからうまく脱し
た子どもほど、あとあと常識豊かな子どもになるということは、よく知られている。

 しかし……。できれば子どもには、子ども時代には、心豊かな生活を経験させてやりたい。美
しい経験というか、純粋な感動に満ちあふれた生活である。そういう生活が理想と言うのでは
ない。ただ子ども自身にとって、振りかえりやすい子ども時代を用意してやるのは、親やその
周囲の人たちの義務ではないのか。

 子ども時代というのは、その子どもにとっては、(心の基盤)となる。それがよいものであれ
ば、それでよし。しかしそうでなければ、その子どもは生涯にわたって、重い鎖を引きずって歩
くことになる。

 それぞれの家庭には、それぞれ、言うに言われない事情というものがある。それはわかる。
わかるが、できればそういう経験、つまり重い鎖を引きずって歩くような経験だけは、させない
ですませたい。

(補記)

 「二番底論」「三番底論」は、用語も含めて、はやし浩司のオリジナルの子育て論です。最
近、これらの用語を流用して書いた本を見つけました。私は、だれにも流用、転用を許可した
覚えはありません。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 二番
底 二番底論 三番底 三番底論)


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●三男が帰省

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今日、三男が会社から、
休暇をもらって
家に帰ってきた。

ワイフは、古い恋人にでも
会ったかのように、
はしゃいでいる。

私もうれしい。三男から
飛行機の話を聞くのが、
何よりも楽しい。

+++++++++++

 親子の(質)は、思い出の数で決まる。もちろん楽しい思い出である。最初に断っておくが、子
どもを受験勉強で追いまくったような思い出というのは、その(質)をさげるだけ。

 一方、(子どもを信じた)という思い出は、時の流れの中で、時間ととともに、輝きをます。そ
のときは苦しくても、その苦しさを共有したという思い出が、親子のきずなを太くする。

 だからといって、私と三男のきずなが太いというわけではない。そんなうぬぼれは、みじんも
ない。どこの家でもそうだろうが、子どもに好かれる父親というのは、まずいない。あのフロイト
ですら、「血統空想」という言葉を使って、それを説明している。母子の関係と父子の関係は、
けっして、平等ではない。

 ただ三男のばあいは、私自身も三男であったこと。それに三男のときは、「これで私も、父親
として、最後の子育て」という意識を、いつももっていた。だから三男とは、休みがあれば、惜し
まず、旅行に出かけたりした。

 三男が小学校を卒業したとき、私は、はっきりとこう意識したのを覚えている。「私の三男ほ
ど、遊びまくった小学生はいない」と。

 つまりそれくらい三男は、よく遊んだ。遊びに、遊んだ。
 
……ということで、今でも、気が合う。話がはずむ。

 それに、生まれたときは、小さな赤ん坊だった。平均的な赤ん坊より、はるかに小さかった。
私はその三男を、いつも、ひざの上に置いて、あやしていた。ひざといっても、三男の頭を私の
ひざの位置に置くと、両足が、私の腹の上に乗った。

 そんな三男が、キャッキャッと喜んだ。つまり三男というと、そんな思い出が、何よりも先に思
い出される。そんな三男もいつしか、私の身長を超えた。今は、180センチもある。

 ……三男が、コンビニから帰ってきた。だからこの話は、ここまで。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●参議院議員選挙

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週刊文春の今日の新聞広告によれば、
あの片山さつき氏が、相変わらず、
「土下座行脚(あんぎゃ)」を
つづけているという。

私の選挙区から出た衆議院議員である。
その片山さつき氏は、東京へ帰ったあと、
こう言ったという。

「私が土下座なんてしたら、
この辺の田舎者は、イチコロよ」と。

「この辺の田舎者」というのは、
まさに、この私たちのことをいう。

++++++++++++++

 まず、昨年6月に書いた
エッセーをそのまま紹介する。

++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年になる。同じ自民党
の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片山さつき氏である。城内実氏は、
郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片山さつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客という
ことになる。片山さつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県7区から立候
補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、たいへん気になる記事を書いて
いる。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪ではない、
媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務省キャリア」と
いう自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土下座なんてしたら、この
辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、自分が客
観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もはやお手上
げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イ
チコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田真由美氏
に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話は、当
時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんてしたら、この
辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした発言はな
い。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないかとは疑ってい
たが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは何か?
 あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、まさに
選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだけ利用して
おきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に帰って
きて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞いてみたが、ワイ
フも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言えば、自
己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、まかり通
ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、落下傘のように、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字
も知らない。もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけ
をくぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の代表
なのか?

 そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話題をふ
りまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元の利益につな
がったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知らない。

+++++++++++++++

 その片山さつき氏が、愛も変わらず、土下座行脚(あんぎゃ)を繰りかえしているという(週刊
文春・本日発売号・7月26日)。

 土下座という、実に日本的な、しかもインギンブレイ、かつ、卑屈な謝罪方法は、ない。それ
を選挙運動に使うというのであれば、徹底的に相手、つまり選挙民を、「下」に見なければでき
ないはず。でなければ、自分の自尊心を守ることはできない。言いかえると、多少でも自尊心
があり、多少でも選挙民に敬意をもっているなら、とても土下座などできるものではない。

 土下座をするという行為そのものが、選挙民をバカにした行為ということになる。

 それにしても、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」とは!
いったい自分は何さまのつもりでいるのか?


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2107)

●Kさんのお母さんへ

+++++++++++++++++

Kさん(中2・女子)は、人格の
完成度も高く、きわめて聡明な
子どもである。その上、正義感も
強く、自分の意思を明確に表現する。

母親に似て、美しく、顔立ちもよい。
仲間には、「モデル系」と言われて
いる。

そんなKさんについて、母親は、
いつも不平をこぼす。「あれが
ダメ」「これが悪い」と。

それで私が、ある日、Kさんの
母親に、反発した。「お母さんは、
いったい、Kさんのどこが気に入ら
ないのですか!」と。

++++++++++++++++

 どんな親も、それぞれの基準をもっていて、その基準で、自分の子どもをみる。それもそのは
ず。ほとんどの親は、自分の子どもしか知らない。自分の子どもだけを見て、それが(基準)と
思いこんでしまう。

 Kさんという女の子(中2・女子)がいる。人格の完成度も高く、きわめて聡明な子どもである。
非の打ちどころがない子どもというのは、Kさんのような子どもをいう。

 その上、正義感も強く、自分の意思を明確に表現する。母親に似て、美しく、顔立ちもよい。
仲間には、「モデル系」と言われている。

 そんなKさんだが、Kさんの母親は、私と会うたびに、こう言う。「あれがダメ」「これが悪い」
と。そこである日、私のほうがキレた。Kさんの母親に反発した。

私「あのね、お母さん、いったいあなたは、Kさんのどこを見ているのですか?」
母「いろいろ問題がありましてね……」
私「だから、たとえばどんな問題ですか?」
母「学校でもね、いじめられっ子の味方ばかりして、それで友だちと衝突ばかりしています」
私「ハア〜。それはすばらしいことではないですか!」

母「でもねエ、先生、ああいう性格の子でしょ。もう少し穏やかにしていてほしいと思います」
私「それは、無理でしょ。今さらそういった性格は、変えることはできません」
母「だから、衝突するのです。何もいじめられっ子の側に立つことはないと思います」
私「それが、Kさんのいいところでしょ。Kさんは、人一倍、正義感の強い子ですから。まちがっ
たことが許せないのです」と。

 ほかにもKさんの母親は、Kさんの悪口を並べた。「学校から帰ってくると、寝てばかりいる」
「勉強をほとんどしない」「弟を、からかってばかりいる」などなど。

 言い忘れたが、Kさんには、6歳年下の弟がいる。Kさんにとっては、ペットのような存在らし
い。そういうKさんを、母親は、いかにももてあましているといったふう。おかしなことだが、Kさ
んの母親は、子育てに、どこか疲れ切ったというような表情さえしてみせた。

私「どうして、あんなすばらしい子どもを、お母さんは、すなおにすばらしいと思わないのです
か?」
母「すばらしい? 私には、そうは思えません」
私「私があなたなら、毎日、自分の娘を自慢して歩きますよ」
母「そうですかア?」
私「そうですよ。私にも息子がいますが、息子が、Kさんのようなガールフレンドを連れてきたら
いいのになと思うことが、しばしばあります」と。

 が、そのうち、私はあることに気づいた。Kさんの母親は、Kさんの欠点を指摘しているので
はない。Kさんの母親は、自分自身の中の欠点を、Kさんに投影し、それを問題にしているだ
けだ、と。

 こういうケースは、多い。

 たとえばケチな人(A)がいたとする。その人はケチでいながら、自分がケチだということを、よ
く知っていた。だから努めて他人の前では、気前のよいフリをしていた。

 で、ある日、その人(A)が、自分と同じような、別のケチな人(B)と会ったとする。すると、そ
のケチな人(A)は、ことさら別のケチな人(B)を嫌ったりする。あれこれと悪口を言ったりする。
「あのBさんは、ケチでいやな人だ」「ああいうケチな人は、大嫌い」と。

 つまりAさんは、自分の心の中をBさんに投影し、それを嫌っていたことになる。

私「お母さんは、Kさんを嫌っているのではない。自分のいやな面を嫌っているだけです」
母「どういうことですか?」
私「それを知るためには、あなた自身の子ども時代にもどらなければなりません。たぶん、あな
たは子どものころ、言いたいことも言えず、親の前では、借りてきたネコの子のようにおとなし
かったはずです。つまりいつも仮面をかぶって、いい子ぶっていた」
母「エエッ、どうしてそんなことが先生にはわかるんですか?」

私「タネを明かせば簡単なことですよ。つまりね、あなたはそういう自分が、ずっといやだった」
母「でも、うちの子は、私の子どものころとは、正反対ですよ。言いたいことを言い、したいこと
をしています」
私「そこなんですよ。いいですか、あなたは、子どものころ、そういうことができなかった。一方、
平気でできる友だちかだれかを、うらやましいと思いつつ、心底、嫌っていた。嫌っていたという
よりは、うらんでいた。またそういう友だちかだれかを、いつも『できの悪い子』と思っていた」

母「そうかもしれません」
私「つまりね、あなたはKさんを嫌っているのではない。自分の中の自分を嫌っているのです。
しかし自分を嫌うことはできない。それでKさんを嫌っているのです。わかりやすく言うとです
ね、自己嫌悪をどうすることもできず、Kさんに向かって、八つ当たりしているだけです」
母「八つ当たりですか?」
子「そうです。八つ当たりです。あなたの子どもは、すばらしい子どもです。まず、それをすなお
に認めることです。それで問題のすべては解決します。いや、その前に、あなた自身も、私は
すばらしい人間と思いなおすことです」

 そこで私は先日来、教室の子どもたちにしているテストを、Kさんの母親にぶつけてみた。

私「こんなテスト法があります。いいですか、もしあなたが、友だちのだれかに、こう言われたと
します。『昨日、あなたが遊びにきたから、私は、今日のテストができなかった』と。そう友だち
に言われたら、あなたは、何と言いますか?」
母「……、そうですねエ……?」
私「あまり考えないで答えてください」
母「ごめんなさい。……私が悪かった……ごめんなさい、ですか?」

私「そうでしょ。あなたはすぐ自分を責める。そこなんですよ」
母「どういうことですか?」
私「何があっても、まず、最初に、自分が悪いという前提で考えてしまう。つまり欲求不満の原
因は、あなた自身の中にあるのです。その不満を、子どものKさんに向けているだけです」と。

 こういうケースは、多い。親子であるがゆえに、密着度も高い。自分に対する欲求不満を、そ
のまま、自分の子どもにぶつけてしまう。Kさんの母親のばあいは、こうだ。

 Kさんの母親は、子どものころ、本当の自分を、いつも心のどこかで押しつぶしていた。一
方、親や人の前では、明るくふるまい、いい子ぶることで、自分の立場をとりつくろっていた。し
かしKさんの母親は、それが「私」と思いこんでいた。

 が、Kさんは、ちがった。自由奔放で、言いたいことを言い、したいことをしている。そういうK
さんの姿を見ながら、Kさんの母親は、無意識のうちにも、Kさんを否定するようになった。

 もしKさんを認めてしまうと、それはそのまま自己否定につながってしまう。「今までの私は、
何だったのか?」と。わかりやすく言えば、抑圧された(自分)が、無意識のうちにも、(抵抗)を
繰りかえしていることになる。その(抵抗)が、Kさんの悪口となって、具体化した。「あれがダ
メ」「これが悪い」と。

母「では、どうすればいいのですか?」
私「簡単なことです」
母「簡単?」
私「この瞬間から、Kさんのことを、いい子と思うのです。思って、Kさんに向かって、『あなたは
すばらしい子です』を繰りかえせばいいのです」
母「……そんなこと、できません」
私「するのです。最初は苦しいかもしれません。しかしするのです。最初は、ウソでもかまいま
せん。つまりね、こうして自分の心を、だますのです」

母「だますのですか?」
私「だますのです。それを3か月とか、半年もつづけると、自然とそれを口に出して言うことがで
きるようになります。ほら、日本語でも、『魚心あれば、水心』と言うでしょ。子どもというのは、
自分を信じてくれる人の前では、いい面を見せようとするでしょ。それをうまく利用するのです」
母「私に、できるでしょうか?」
私「それはね、あなた自身との戦いでもあるのです。あなた自身の中に潜む、(わだかまり)も、
それで消すことができるのです」と。

 何度か、「私にできるでしょうか?」「できますよ」の、押し問答がつづいた。しかしこの問題
は、Kさんの母親とKさんの間の問題に見えるかもしれないが、実際には、Kさんの母親自身
の問題である。Kさんの母親自身が、自分を解放しないかぎり、この問題は、解決しない。

私「もっと肩の力を抜いて、子育てを楽しむのです」
母「楽しむ、ですか?」
私「私はすばらしい娘をもっている。バンザ〜イ、とです」
母「本当に、そうですか?」
私「わかっていないですね。Kさんは、まれに見るすばらしい子どもですよ。そんな子どもをもっ
て、喜ばない手は、ない。すなおに喜べばいいのです。そして子どもといっしょに、人生を楽し
めばいい。私なら、そうします」と。

 ……ということで、あなたも、もし、自分の子どものことで、何か問題をかかえたら、一度、そ
れはあなた自身の問題でないかということを疑ってみたらよい。もっとわかりやすい例では、学
歴コンプレックスがある。

 日ごろ学歴コンプレックスをもっている人ほど、無意識のうちにも、自分の子どもに受験勉強
を強いたりする。子どもが家の中でゴロゴロしていたりすると、それだけで言いようのない不安
を覚えたりする。そしてこう悩む。ノイローゼになる人も多い。

 「うちの子は、勉強しない」「このままでは、たいへんなことになる」と。Kさの母親についても、
同じ。そこで大切なことは、まず、自分の中の(わだかまり)に気づくこと。気づけばよい。

 あとは時間が解決してくれる。Kさんの母親についても、同じ。Kさんの母親は、今、自分を知
るために、一歩、前に踏み出したことになる。

 がんばれ、Kさんのお母さん! あなたの子どもは、すばらしい子どもですよ!!


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司
●ブツブツ、ひとり言

++++++++++++++++++

暑い一日だった。高知では、38度を
記録したという。

私はそんな暑い中、1単位だけ、
自転車をこいだ。

このところ運動を、サボっている。
体が思うように、動かない。

「負けるかア!」の心意気。

しかし、本当のところ、もう負けそう。
だいたい、暑いと、頭が働かない。
パソコンに向かうのも、おっくう。

++++++++++++++++++

●『ソーラー・ストライク』を見る

 「新作」という言葉にだまされた。パッケージの写真にだまされた。DVDショップで、『ソーラ
ー・ストライク』というDVDを借りてきた。見た。居間で、ワイフと寝転んで見た。星は、1個もむ
ずかしい、ダ作。超ダ作。

 何度も「時間のムダ」「見るのをやめよう」と思ったが、どこかで地球温暖化の問題とダブっ
た。「地球温暖化が進むと、こうなるのかな?」と。しかし内容は、矛盾だらけ。映画の設定も、
チャチ。

映画は、1個の隕石が地球に接近するところから始まる。その隕石を、10メガトンの核兵器を
使って、破壊する。そんな操作を、1人、2人の科学者が、自分たちだけで決定して、する。し
かし、そんなことは、ありえない。

 が、その隕石は3個に分裂。うち一個が、地球をかすめる。その影響で、地球の軌道が変わ
り、太陽に接近する。結果、地球の気温が、一気に、10%(?)も、上昇する。映画の中では、
65度になったというシーンもあった。

 私は、その映画を見ながら、こんなリドル(クイズ)を考えた。

 「北海道の気温が、今日、昨日の気温の100倍になりました。しかしだれも死にませんでし
た。みんな今日も、元気で仕事をしています。なぜでしょう?」と。

 つまり「気温が10%上昇した」という表現のし方そのものが、おかしい。気温が、10倍になる
とか、10%上昇するなどいうことはありえない。(絶対気温を基準にすれば、話は別だが…
…。しかし絶対気温などというものは、存在しない。)

 で、なぜ北海道の人は、気温が100倍になっても、だれも死ななかったのか。理由は、簡
単。昨日の気温は、0(ゼロ)度だったから。だから0x100=0、つまり、今日も、0度。

 この映画の脚本を書いた人は、科学的知識がほとんどゼロの人と見てよい。私は科学者で
はないが、しかしそれでも、「よくもまあ、こんなアホな映画を作ったものだ」と思った。人間は、
50度以上の気温には、耐えられないはず。風呂でも、43度を超えたら、足を入れることすら
できない。

で、主人公たちは、北極への脱出を試みる。その過程で、いろいろなドラマを展開する。が、そ
のドラマもチャチ。見るに耐えないほど、チャチ。お金も、ほとんどかけていない。

 ……が、最後まで、見てしまった。先にも書いたように、地球温暖化の問題と、ダブったか
ら。「この地球も、やがてああなるのかなア?」と。

 気温が仮に、45度以上になったとする。すると脳細胞は正常な機能を停止する。確たる数
字は知らないが、経験的に、私はそう思う。35度でも、むずかしい。つまりその時点で、人間
のモラルは、崩壊する。

 地球温暖化の問題で、いちばん、深刻なのが、この点である。人間が絶滅するとしても、そ
れはまさに自業自得。しかしその前の段階で、人間は、地獄絵図の世界そのものを経験す
る。それが怖い。

 映画の最後は、地球が、ほかの惑星の引力の補正作用を受けて、もとの軌道にもどる(?)
というところで終わる。つまり、ハッピーエンド。ハハハ。


++++++++++++++++++++

●株価暴落

 ニューヨーク市場の平均株価が、先週末、2日つづきで暴落。計500ドル近くさがった。

 それを受けて東京市場でも、金曜日(27日)、400円近くもさがった。が、その一方で、急激
な円高。現在(7月28日、午後5時現在)、1ドルが118円前後になっている。

 多くの輸出企業は、1ドル=115円程度を採算ラインとしている。仮に115円以上になったり
すると、輸出すればするほど、赤字ということになる。

 問題は、週明けの7月30日(月曜日)、世界で最初にマーケットが開く東京市場が、どう反応
するか、だ。ニューヨーク市場の流れを受けて、またまた暴落ということにでもなれば、それこ
そそれが世界同時株安のきっかけになってしまうかもしれない。

 ところで株取引の世界には、こんな言い伝えがある。「子どもを背負ったオバチャンが、証券
会社の窓口に並ぶようになったら、大暴落のきざしとみてよい」と。その言い伝えを引用しなが
ら、つい数日前の韓国の東亜N報は、こう書いていた。

 「そういうジンクスはあるが、韓国だけは、だいじょうぶ。株価も2000ポイントを超えた」と。
つまり「健在だ」と。

 その韓国は、金曜日だけで、80ポイント近くもさげている。日経平均株価は、2・36%のさげ
だったのに対して、韓国のKOSPIは、4・09%のさげである。26日分のさげも含めると、約1
20ポイントのさげ。2日間のさげは、約6%ということになる。

 が、ここでとんでもないことが起きた。朝鮮N報は、つぎのように伝える。

『この日(=26日)の株式市場は戦いの場となった。外国人投資家が8400億ウォン(約108
0億円)の過去最大の売り越しに出ると、個人投資家は7100億ウォン(約913億円)という過
去最大の買い越しに出た。シュレーダー投信運用のチャン・ドゥクス専務は、「到底説明しがた
いことが市場で起きている」と語った』と。

 わかりやすく言えば、外人投資家が逃げたのに対して、韓国の個人投資家たちが、その分だ
け、いっせいに買いに出たというのだ。いわゆる(オバチャン軍団)の出場とみてよい。 

 「株価上昇」という(甘いエサ)につられて、いっせいに、株取引の知識がほとんどない一般市
民までもが、証券市場になだれこんできた。外人が売った株を、「安い」と思いこんで、それに
群がった。が、それは同時に、株価大暴落の予兆とみてよい。

 こうした人たちは、わずかな損金が出ただけで、サイフのヒモをかたく締めてしまう。あるいは
自己破産する人も出てくる。それが悪循環となって、株式市場は、一気に奈落の底へと落ちて
いく。

 週明けからそうなるとはかぎらないが、しかし目が離せない。そのカギをにぎるのが、30日
の東京市場ということになる。さあ、どう出るか?

 ただこういうときというのは、私のようなド素人の直感のほうがよく当たる。ふつうなら、株価
暴落のあとは、(買い)のチャンスとみる。が、今度だけは、そういう触手が動かない。

 私なら、様子をみる。つまりここは慎重に動いたほうがよい。マクロな見方をすれば、それだ
け一般投資家たちも、萎縮しているとみてよい。つまり株価は、さらにさがる。さがるというよ
り、暴落する。ここ2日の動きは、その前兆にすぎない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【意識論】

++++++++++++++

自分がもっている(意識)ほど、
アテにならないものはない。

「私は私」と思っていても、
そのほとんどは、(作られたもの)。
本当の「私」など、どこにもない?

++++++++++++++

●日本の商社マンは、軽蔑されている?

 今から、40年も前のこと。日本には、まだ綿棒もなかった。バンドエイドもなかった。乾燥機
もなかった。ほとんどの家では、まだボットン便所を使っていた。

 そんなとき、私は、オーストラリアのメルボルン市へと渡った。人口300万人(当時)のメルボ
ルン市ですら、日本人の留学生は、私1人だけだった。そんなある日のこと。ある友人(顔は覚
えているが、名前をどうしても思い出せない)が、私にこう言った。

 「ヒロシ、日本の商社マン(ビジネスマン)は、オーストラリアでは、軽蔑されている」と。「軽蔑
(despise)」という言葉を、はっきりと使った。

 その少し前にも、仲のよかったD君もそう言った。それで気になって、その友人に、私はこう
聞いた。

 「いったい、君は、日本の商社マンのどこを見て、そう思うのか?」と。すると、その友人は、こ
う話してくれた。

 その友人の父親も何かのビジネスをしていたらしい。そしてあるとき、日本の商社マンと知り
あいになった。その商社マンを、食事に招待した。向こうの人たちは、少し親しくなると、自宅へ
食事に招待する習慣がある。

 で、いっしょに食事をしているときのこと。日本の商社マンは、家の中をあちこち見まわしなが
ら、目ざとく日本製を見つけ、「これは日本製」「あれも日本製」と言いだした。日本の商社マン
にしてみれば、親近感をもってもらいために、そう言ったのかもしれない。が、オーストラリア人
であるその父親にしてみれば、不愉快だった。

 しかしそれで終わったわけではない。食事がすむと日本の商社マンは、大きなバッグから、
何かの繊維見本を見せて、「これを買わないか?」ともちかけたという。その父親は、取り扱い
分野がちがうからという理由で、それを断った。するとすかさず、今度は、何か別の商品を取り
出し、「これはどうだ?」と迫ったという。

 ……つまり、そういう経験から、その友人の父親は、日本の商社マンを軽蔑するようになった
という。それでその友人は、そう言った。

●しかし……

 しかし当時の私は、その話を聞いて、日本の商社マンのそうした行為が、どうして「軽蔑」につ
ながるのか、それが理解できなかった。私自身も、日本の商社への入社が内定していたことも
ある。その上、当時の日本の経済は、高度成長期へと突入しつつあった。日本中が、「マネー」
「マネー」の大合唱に揺れていた。

 それに羽田―シドニー間の航空運賃(往復)だけでも、42、3万円の時代である。大卒の初
任給が、やっと5万円を超えた時代である。しかもオーストラリアドルは、1ドルが、400円に固
定されていた。

 オーストラリアでの生活費は、日本での生活費の、10倍、もしくはそれ以上だった。オースト
ラリアへやってきた商社マンたちも、それゆえ、必死だった。

 今でこそ、日本は豊かになった。しかし当時の日本人のだれが、日本がここまで豊かになる
と予想しただろうか。私はあるとき日記に、こう書いたのを覚えている。「日本が、オーストラリ
アに追いつくためには、50年かかる。あるいは、100年でも不可能かもしれない」と。

 ほとんどの学生は、車をもっていた。学生の親たちは、別荘をもっていた。農場を経営してい
たT君(南オーストラリア州)の父親の年収は、1400〜1500万円(当時)もあった。ごくふつう
の、平均的な農場主である。

 「1400〜1500万円」と聞くと驚く人もいるかもしれないが、1ドルを400円で計算すると、そ
うなった。とくにリッチな生活をしていたわけではないのだが……。

●作られる意識

 一方、私たちはどうかというと、みな、就職といえば、迷わず、銀行、証券会社、商社の道を
選んだ。またそれが学生が進むべき道として、正しい方向と信じていた。

 私も三井物産という会社と、伊藤忠商事という会社の2社の入社試験に合格した。しかし「大
きいほうがいい」ということで、三井物産という会社にした。

 日本でいえば「商社マン」だが、オーストラリアでは、「ビジネスマン」。その商社マンが、軽蔑
されていると知って、心底、驚いた。私は、商社マンは尊敬されることはあっても、軽蔑される
存在などとは、考えたこともなかった。

 が、こうした意識も、同じように外国からやってきた留学生たちの意識とくらべてみると、作ら
れたものだということがわかった。たとえばフィリッピンからやってきた留学生は、こう言った。

 「ヒロシ、君は、どうして日本の軍隊に入らないのか?」と。

 当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になること、イコール、出世コースということにな
っていた。(今も、基本的にはそうだが……。)彼らがもっていた、軍事としてのエリート意識に
は、相当なものがあった。

 一方、私は私で、ほかに自慢できるものがなかったこともあり、ことあるごとに、私は、「日本
へ帰ったら、ミツイ&カンパニーの商社マンになる」と、言っていた。が、先の友人は、こう言っ
た。

 「ヒロシ、そんなことを言うのは、もうよせ。君は知らないかもしれないが、日本の商社マン
は、ここオーストラリアでは、軽蔑されている」と。

●それから40年

 それから40年。私ももうすぐ60歳になる。三井物産という会社は、どうにもこうにも肌に合わ
なくて、入社後半年を待たずして、やめた。

 理由はいろいろある。が、その前に、私の意識そのものが変わってしまった。その話はとも
かくも、今度は、反対の立場で、似たような経験をすることになった。

 いきさつはともかくも、ある女性から、ある日、電話がかかってきた。「どうしても会いたいの
で、会ってほしい」「お伝えしたいことがある」と。

 二男が高校生のとき世話になった友人の母親からのものである。私はその申し出をていね
いに受けた。そして食事に招待することにした。

 私はその母親と会うことについて、かなり緊張した。そのとき二男はすでにアメリカに渡って
いた。内心では、二男が何かトラブルでも起こしたのではないかと心配していた。

 が、食事は始終、よい雰囲気のままだった。私はほっとした。が、そのあとのこと。私がおも
むろに、「で、大切な話というのは何ですか?」と切り出した。

 とたんその母親の表情が、さらに緩(ゆる)んだ。その母親は、こう言った。

 「林さん、こういう健康食品がありますが、興味ありません?」と。

 その母親は、ズラズラと、テーブルの上に健康食品を並べた。とたん、私はむっとするような
不快感を覚えた。「私に会いたいというから会ったが、こんな話で会いたかったのか!」と。

 利用されたという不快感。金儲けに利用されたという不快感。そういう商品を売りつけられる
という不快感。そうした不快感は、その女性が、「漢方」という名前を出したときに、頂点に達し
た。

 漢方(東洋医学)の「カ」の字も知らない女性が、私に漢方の説明をし始めた。そしてこうも言
った。

 「林さんは、お顔も広いようですから、ほかに買ってくださる方を紹介してくださったら、1個に
つき、xx%のマージンをさしあげます」と。

 私は、そのときは、はっきりとこう言った。その少し前にも同じような経験をしたこともあった。
「お帰りください。あなたが話があると言ったから、こういう場を用意しました。しかしモノを売り
つけるために、こんな場を利用するなんて、失敬でしょ!」と。

 私は、その瞬間、40年前の、あのオーストラリアの友人の言った言葉を思い出した。

●意識

 私たちがもっている(意識)ほど、アテにならないものはない。40年前のその少しあと、私は、
三井物産という会社をやめ、そのあとしばらくして、幼稚園の講師になった。それについても、
当時の私を知る人たちは、みな、こう言った。

 「あの林は、頭がおかしくなった」と。

 たしかに私の頭はおかしい。今も、おかしい。それはわかる。しかしそうした私を支えてくれた
のは、実は、オーストラリアの友人たちだった。私が幼稚園で働いていると手紙に書くと、み
な、こう言った。

 「ヒロシ、すばらしい選択だ」と。

 今でこそ、私のような生き方をする人がふえてきた。だから商社マンをやめて、幼稚園の講
師になった人がいたとしても、それほど目立たない。しかし当時は、ちがった。私の母ですら、
電話口の向こうで泣き崩れてしまった。「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と。

 けっして母を責めているのではない。母は、母で、当時の常識をもとにして、そう言った。「常
識」というよりは、「意識」と言ったほうがよいかもしれない。

 で、この話の結論。

 私たちは、無数の意識をもっている。しかしその意識にも、2種類ある。意識的に意識する意
識と、無意識のまま意識しない意識である。

 脳みその活動をもとにすると、私たちが意識できる(意識)というのは、脳みそ全体の数10
万分の1にもならないという。あるいは、もっと少ないかもしれない。

 つまり人間の脳みその中には、無意識のまま意識しない意識のほうが、絶対的に多いという
こと。ほとんどがそうであるとみてよい。

 この無意識のまま意識しない意識が、実は、私たちの意識を、ウラから操る。が、その操ら
れる私たちは、それに気づかない。操られていると知ることもなく、操られている。実は、ここ
に、(意識)のおもしろさというか、恐ろしさがある。

 ……ということで、この話は、おしまい。今までに「意識」について書いた原稿を、ここに添付
する。

+++++++++++++

●指で鼻をさす(教育のダークサイド)

 子どもたち(小学生)は、「自分」を表すとき、指で鼻先を押さえる。欧米では、親指で自分の
胸を押さえる。そこで私はいつごろから、子どもたちが自分の鼻を押さえるようになるかを調べ
てみた。「調べた」というのもおおげさだが、授業の途中で、子どもたちにどうするかを聞いてみ
た。

結果、年長児ではほぼ全員。年中児でも、ほぼ全員。年少児になると、何割かは鼻先を押さえ
るが、ウロウロと迷う子どもが多いということがわかった。そんなことで、こういう習慣は、四歳
から五歳ぐらいにかけてできるということがわかった。つまりこの時期、子どもたちは誰に教え
てもらうわけでもなく、いつの間にか、そういう習慣に染まっていく。

 私は何も、ここでジェスチャについて書くつもりはない。私が言いたいのは、教育には、常に
「教えずして教える」という、ダークサイドの部分があるということだ。これはジェスチャという、ど
うでもいいようなことだが、ものの考え方や道筋、思考回路などといったものも、実はこのダー
クサイドの部分でできる。

しかもその影響は、当然のことながら、幼児期ほど、大きい。この時期に論理的なものの考え
方を見つけた子どもは、ずっと論理的なものの考え方ができるいようになるし、そうでない子ど
もは、そうでない。そればかりではない。

この時期に、人生観や価値観の基本までできる。異性観や夫婦像といったものまで、この時期
に完成される。少なくとも、それ以後、大きく変化するということはない。そのことはあなた自身
を静かに観察してみれば、わかる。

 たとえば私は、今、いろいろなことを考え、こうして文を書いているが、基本的なものの考え方
が、幼児期以後、変わったという記憶がない。途中で大きく変化したということは、ないのだ。
今の私は、幼児期の私であり、その幼児期の私が、今の私になっている。それはちょうど金太
郎飴のようなもので、私の人生は、どこで切っても、「私」にほかならない。幼児期に桃太郎だ
った私が、途中で金太郎になるなどということは、ありえない。

 もうわかっていただけると思うが、幼児教育の重要性は、実はここにある。この時期に作られ
る「私」は、一生、「私」の基本になる。あるはその時期にできた方向性に従うだけである。中に
は幼児教育イコール、幼稚教育と考えている人がいるが、それはとんでもない誤解である。

 ……と書いたところで、今、ふと、別のことが頭の中を横切った。実は今、ある男の子(小二)
のことが気になっている。彼は男の子なのだが、言い方、ものごしが、女の子っぽいというよ
り、その女の子を通り越して、同性愛者ぽい。まちがいを指摘したりすると、「イヤーン」と甘っ
たるい声を出したりする。いくら注意してもなおらない。

で、私が悩んでいることは、このことではなく、それを親に言うべきかどうかということだ。もうこ
の傾向は、ここ1年以上続いている。
なおそうとしてもなおるものではないし、さりとて放置しておくわけにもいかない。放置しておけ
ば、彼はひょっとしたら、一生、そのままになるだろう。近く、結論を出すつもりでいる。(以上、
01年記「子育て雑談」)

(付記)

 教えずして教えてしまうこと。実は、これがこわい。ユングも、「シャドウ」という言葉を使って、
それを説明した。

 たとえばあなたが、本当は邪悪な人間であったとする。その邪悪さをおおいかくして、善人ぶ
っていたとする。そのときその邪悪さが、その人のシャドウとなる。子どもは、あなたの近くにい
るため、そのシャドウをそのまま引き継いでしまう。

 要するに、ウソやインチキ、ごまかしや仮面で、いくら善人ぶっても、子どもはだませないとい
うこと。子どもは、あなたのすべてを見ている。

 そういう意味で、子育ては怖いぞ〜オ!

++++++++++++++

内容が少しダブりますが、
こんな原稿を書いたこともあり
ます。
(中日新聞、掲載済み)

++++++++++++++

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう30年も前のことだが、私がメルボルン大学に留学し
ていたときのこと。当時、あの人口300万人と言われたメルボルン市でさえ、正規の日本人留
学生は私1人だけ。(もう1人、Mという女子学生がいたが、彼女は、もともとメルボルンに住ん
でいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、1通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、「君
を外交官にしたいから、面接に来るように」と。

私が喜んで、「外交官ではないか! おめでとう」と言うと、その友人は何を思ったか、その手
紙を丸めてポイと捨てた。「アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国は、行きたくない」
と。考えてみればオーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとは
まったく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本へ帰った
ら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本では軍隊はあまり人気
がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ入らないのか」と、やんや
の非難。

当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コースというこ
とになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼくは日本
へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言っていた。が、あ
る日、1番仲のよかったデニス君が、こう言った。「ヒロシ、もうそんなことを言うのはよせ。日本
のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。彼は「ディスパイズ(軽蔑する)」という言葉を
使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社マ
ンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかなかった。こ
の友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなたの夫はど
のような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこれだけは言え
る。

こうした職業観、つまり常識というのは、決して絶対的なものではないということ。時代によっ
て、それぞれの国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるということ。大切なこと
は、そういうものを通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があるということ。

私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩
れてしまった。「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア〜」と。母は母の時代の常識にそってそう
言っただけだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。

しかしあなたとあなたの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これからは、もうそう
いう時代ではない。あってはならない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●古い写真

+++++++++++++

BW教室の子どもたちの、古い
写真が出てきた。

昭和51年8月8日という日付が
あるので、1976年、私が満
28歳のときの写真である。

そこには、70〜80人近い生徒
たちが写っている。
みんな、なつかしい子どもたちで
ある。

そのほとんどが、そのあと、5〜
10年近く、私の教室に通って
くれた。

そういうこともあって、私は、その
生徒たちの名前を、1、2人を
のぞいて、すべて知っている。

そののち、どうなったかという
消息も、知っている。

私には、貴重な写真の一枚である。

「なつかしい」というより、そこに
私自身の「命」の一部を見る。

あのころの私は無鉄砲で、自信家。
日本の教育を、私ひとりで変えて
やろうと、そんなことまで考えて
いた。

+++++++++++++++++

 若いころは、生徒たちをつれて、よくあちこちに出かけた。当時、「サマーイン」と呼んでいた
宿泊学習も、そのひとつ。親たちも、よく協力してくれた。そんな写真が、1枚、出てきた。

 日付を見ると、昭和51年とある。1976年。私が満28歳のときのものである。その写真で、
いちばん左端に、メガフォンをもって立っているのが、私。「私」というより、別人の私を見てい
るよう。顔などは、今とは、まったくちがう。

 で、その写真を見ながら、こう思った。「よくもまあ、今まで、無事に、こうして仕事ができたも
のだ」と。

 写真には、「BW教室・第1回サマーイン」とある。BW教室という名前にしてから、1回目の宿
泊学習ということになる。それまでは、「林才能教室」と呼んでいた。つまりその年に、当時、主
婦と生活社で編集長をしていた井上清氏のアドバイスを受けて、「BW教室」とした。井上氏
は、こう言った。「林教室ではつまんないねエ。もっと、らしい名前にしないと」と。それで知恵を
しぼって、「BW教室」とした。

 「Brain Work」の頭文字をとって、「BW教室」とした。

 その前後も含めると、37年もの間、今の仕事をしてきたことになる。病気らしい病気は、ほと
んどしなかった。この10年は別として、それまでは、教室を休んだことがない。台風の日だっ
て、休んだことがない。まじめと言えば、まじめ。まじめというより、クソまじめ。

 で、その私も、今年、満60歳になる。まあ、いろいろあった。あったが、無事、今まで今の仕
事をつづけることができたというだけで、ありがたい。これから先のことはわからない。このまま
あと10年? それとも5年? それまで元気で、今の仕事がつづけられれば、うれしい。

 そう思いながら、今も、しみじみと、その写真をみつめている。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●スケベ力、バンザ〜イ!

++++++++++++++++++++

スケベであることは、悪いことではない。
スケベを、「悪」と決めてかかってはいけない。

何もフロイト学説をもち出すまでもなく、
スケベ力は、人間のあらゆる行動の、
エネルギー源となっている。

もしスケベ力を否定する人がいたら、
その時点で、その人は、人類の絶滅を宣言
するようなもの。

大切なことは、スケベ力を、どう使うか
ということ。あるいは、どういう方向に
向かって、発散させるかということ。

++++++++++++++++++++

 幼稚園児(年長児)に聞いた。「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。するとみな、照れ
くさそうな顔をして、「嫌いだよオ〜」と。

 そこで私は、怒鳴りつけてやった。「ウソをつくな!」「好きだったら、好きだと言え!」と。

 すると子どもたちは私の迫力に負けて、「……好きだよ……」と答えた。 

 スケベ力を「悪」と決めてかかってはいけない。スケベ力は、人間のあらゆる行動のエネルギ
ー源になっている。そればかりか、このスケベ力が、さまざまなドラマを生み出し、人間の生活
を潤い豊かなものにしている。

 あの映画『タイタニック』にしても、もしジャックとローズがいなかったら、ただの沈没映画。記
録映画で終わってしまっていただろう。

 そこで大切なことは、いかにすれば、スケベ力を、明るい日なたに向けることができるかとい
うこと。高校生でも日常的にコンドームを持ち歩く時代である。進学校と呼ばれる高校でも、放
課後の教室は、どこもラブホテルのようになっている。それがここ数年、さらに低年齢化する傾
向をみせはじめている。

 浜松市の中心部にあるC中学校(全校生徒250人)でも、「毎年、中絶手術をする女子が、1
〜3人はいます」(某教師談)とのこと。しかしこれはほんの氷山の一角。実際には、中絶手術
をしている子どもは、その数倍はいるとみてよい。

 この問題だけは、抑えつければおさえつけるほど、陰湿化する。また抑えつけても、意味はな
い。それがわからなければ、自分自身の過去を反省してみるとよい。「私は品行方正でした」
と、自信をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろうか。もしいたとしたら、その人は、
ふつうでないという前提で考えたほうがよい。

 では、親である私たちは、どう対処したらよいのか?

 そこで登場するのが、「夢・希望・目的論」である。

 夢と希望、さらにそれから生まれる目的をもった子どもは、強い。多少の誘惑くらいになら、
ビクともしない。よく誤解されるが、「いい高校論」「いい大学論」は、けっして、子どもの(目的)
には、つながらない。そんなことは、エリクソンの『自我同一性論』をもちださなくても、わかるこ
と。

 もちろんそれなりに(いい中学?)から(いい高校?)へと進み、さらに(いい大学?)から(い
い職業?)につく子どももいる。しかしその過程で、進学に失敗し(?)、コースからはずれてい
く子どもは、ゴマンといる。

 成功する可能性より、失敗する可能性のほうが、はるかに高い。その失敗(?)したとき、子
どもの心は、いわゆる無防備状態になること。そのままスーッと、誘惑に負けて、「悪?」の世
界に入ってしまう。

 ……とまあ、話が脱線したが、だからといって、私はそうした子どもが、ダメになっていくとか、
そんなことを言っているのではない。だから「失敗」という言葉のうしろに、(?)マークをつけ
た。

 だから私は、もう10年前から、提唱している。子どもたちにも、正しいセックスのし方を教える
時期に来ているのではないか、と。もちろん全員の教える必要はない。希望者だけでよい。

教師「君たちは、セックスが好きか?」
生徒たち「YES!」と。

 そんな会話が自然とできるようになったとき、私たちはスケベ力を、明るい日なたに引きずり
出したことになる。いや、その前に、親たち自身が、意識改革をする。

 子どもに向かって、「セックスって、楽しいよ」「パパとママは、毎晩しているよ」と言う。そういう
前向きな姿勢が、子どもたちのスケベ力を、明るく、楽しいものにする。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司※

【今朝・あれこれ】(7月30日)

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激しい雨と雷鳴。雨が庭の木々の葉を
たたきつける音。今朝は、それで目が覚めた。

急いで、あちこちの部屋の窓をしめる。
時計を見たのは、そのあと。午前7時。

こういうときは、パソコンに電源を
入れたくても、それができない。
しかたないので、居間のノートパソコンを
使う。これなら停電しても、だいじょうぶ。

空は暗い。レーダー天気図を見ると、
浜松市上空には、寒気+低気圧、
局地的な豪雨を示す、赤印がついていた。

++++++++++++++++

 昨夜は遅くまで、選挙速報を見ていた。今度の参議院議員選挙では、民主党が60議席、自
民党が37議席。民主党の大勝利というよりは、自民党の惨敗。これで参議院では、与党(自
民党+公明党)と野党の勢力が、逆転した。

 自民党の直接の敗因は、年金問題、閣僚たちの不適切発言、それに不透明な金の問題…
…などなど。国民の怒りが、爆発した。今朝のニュースを読むと、安倍内閣は、そのまま「続
投」のようだ。「憲法改正をめざす」と中日新聞には、ある。

 しかし、どうして今、憲法改正なのか? (1)天皇の元首制、(2)第9条の改正、(3)愛国心
の高揚などなど、どれを取りあげても、右寄りというよりは、極右的。教育問題は、その前座問
題にすぎない。

 天皇の元首制にしても、どうして「象徴制」であっては、いけないのか? どうして今、戦前の
日本にもどらなければならないのか? しかしそれこそ、王政復古ではないのか? もっと言え
ば、どうして今、日本の民主主義を、後退させなければならないのか? 象徴制であるにせ
よ、(元首制なら、なおさら)、私たちは、子どもたちに向かって、それがあるがために、声を高
くして、「人間は、みな、平等です」と言えないでいる。

 いや、その前に、天皇自身が、それを望んでいるのか? 「私は象徴なんて、いやだ。元首
にしてくれ」とでも、言っているのか? 天皇という(本人)の意思を無視して、政治家たちだけ
の思惑で天皇の地位や立場を決めてしまうというのは、それこそ、人権問題と考えてよい。

 愛国心の高揚(国旗、国歌の問題)にしても、そうだ。もし自民党に愛国心があるのなら、な
ぜ、選挙日を、7月29日という日にしたのか? 7月29日(昨日)になってはじめて気がついた
が、子どもたちは夏休み。行楽に出かけた人も多い。つまりその日を選んだのは、投票率をさ
げるために与党がしくんだ、小細工としか言いようがない。

 投票率がさがればさがるほど、与党、とくに公明党には有利になる。なぜ有利になるかという
ことについては、みなさん、すでにご存知の通り。

 ……が、結局は、自民党の惨敗で終わった。ただここで誤解してほしくないのは、だからとい
って、国民が民主党の支持に回ったわけではないということ。民主党の議員たちは、「勝った」
「勝った」とはしゃいでいる。が、そういう姿を見て違和感を覚えているのは、けっして私1人だ
けではないと思う。

 要するに私たちは、自民党の暴走にブレーキをかけたかった。それが今回の選挙結果という
ことになる。もし自民党がそれを謙虚に反省しなければ、自民党はさらに支持を失うことになる
だろう。一方、民主党にしても、それなりの成果を出さなかったら、つぎはない。
(07年7月30日記)


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【雑感】

●冷蔵庫

 夏場になると、うちの冷蔵庫は、おかしな音をたてる。
 店の人に聞いたら、「コンプレッサーが故障しているのでは?」とのこと。

 今年は、その音がさらにひどくなった。冷気がもれるのか、中のものが、それほど冷えない?

 そこで買いかえ。

 店の人に「11年目です」と告げたら、1も2もなく、「そりゃあ、買いかえたほうがいいですね」
と。

 今までは息子たちもいたから、400リットルタイプのものでよかった。しかしこれからは、そん
な大きな冷蔵庫はいらない。店で選んだのは、330リットルタイプ。やや小さいかな(?)という
感じ。値段は、x万円だった。ホーッ!


●おかしな電話

 先ほど、おかしな電話がかかってきた。「ハヤシ・コージさんのお宅ですか?」と。ワイフが、
「どちら様ですか?」と問いかけると、そのまま電話を切ってしまった。

 自宅の電話番号は、電話帳に載せていない。

私「どんな声だった?」
ワ「明るい声だったわ」と。

 悪人ほど、下心を隠すため、わざと明るい声を出してみせる。声にだまされてはいけない。

 私は、(ハヤシ・ヒロシ)だ。(ハヤシ・コージ)ではない!


●性意識

 今朝、朝食のとき、ワイフとこんな会話をした。

私「どうして人間は、性器だけにとくべつの関心をもつのだろうか?」と。
ワ「そうねエ……」と。

 性器を隠して歩くのは、人間だけ。ほかの動物たちは、性器を、マルマルと、見せて歩く。へ
たに隠すから、おかしな感覚が生まれる。

 性器だけが、とくべつな形をしているというわけでもない。唇や耳のほうが、性器より、見方に
よっては、ずっとセクシー。

 ただ性器は、排泄器官に近い。ウンチやオシッコが出る。だからそういうところは、見せたくな
いのかもしれない。しかしその排泄器官にしても、ほかの動物たちは、みな、マルマルと、見せ
て歩く。

 女性の乳房にしても、そうだ。男のほうは、平気で乳を見せる。しかし女のほうは、それを隠
す。

 ……つまり、こうして順に考えていくと、私たちがもっている(性意識)ほど、いいかげんなもの
はない。それがわかる。つまり(性意識)などというものは、人間が勝手につくりあげた意識とい
うことになる。はっきり言えば、幻覚。

 だから時代が変われば、当然、(性意識)も変わる。変わるという前提で、ものを考える。

 やがてこんな時代がくるかもしれない。学校へ出かける子どもに向かって、親が、こう言う。

 「あなた、ハンカチは、もったの? ティッシュペーパーは? それにコンドームは?」と。

 それを話すと、ワイフは、クスクスと笑った。

 
●株価

 先週、株価について書いた。

 ニューヨーク市場で、株価は、2日連続して暴落した。それを受けて世界の株価が暴落した。

 で、今朝の日本。

 やはり、暴落? 日経平均は、200円前後さがったところで、ボヤボヤしている。(台湾、香
港、シンガポール株は、軒並み、株価をさげている。)ひとり元気なのは、上海B株。2/319
ポイント高で、先ほど市場が始まった。

 韓国株は、7/1876ポイント安(午前10時半)程度で収まっている。この10日間、韓国で
は外人投資家たちが、いっせいに市場から逃げ出している。それを必死で食い止めているの
が、個人投資家たち。つまりオバチャン軍団。

 韓国のバブル経済の崩壊は、近い?

 ……それにしても、先のサッカー日韓戦(アジアカップ杯、3位決定戦・7月28日)で見せた、
韓国選手たちのあの(敵意)は、何? (敵意)というよりは、(憎しみ)丸出し。スポーツをして
いるというよりは、(憎しみ)を日本にぶつけているだけ。

 結果的に0対0のまま、PK戦で日本は敗れたが、それにしても、イヤな国。日本が憎いのは
わかるが、あそこまで露骨になるのも、どうかと思う。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(7月31日)

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今日(7月31日)から、
マガジン9月号の原稿を書く。
9月3日号である。

ちょうど1か月先ということになる。

そのころ、日本は、どうなっている
だろうか?

9月期決算を迎えて、輸出産業が
大きな打撃を受けるまで、円高は
進むだろう。

原油は1バレル70ドル台をキープ。
あるいは80ドル台に上昇する
かもしれない。

もしそうなれば、それがきっかけで、
物価は上昇。インフレは加速するだろう。

今までは中国様々。中国特需のおかげで、
日本は、経済破綻を免れることができた。

しかしこれからは、そうはうまくいか
ない。

そこでねらうは、インド、ブラジルというこ
とになる。

安倍総理大臣が8月下旬にインドを訪問
するのには、それなりの理由がある。

インド特需をねらって、すでに
韓国は本格的に戦略を始動させている。
N大統領は、すでにインドを訪問して
いる。

乗り遅れるな、日本!
がんばれ、日本!

経済の国際試合。つぎの開催地は、
インドと決まった!

9月3日になれば、おおかたの流れ
が、わかってくるはず。

そうそう日銀が政策金利をどの程度
あげるかによってもちがうが、
金利の上昇幅が、予想を超えた
ばあいには、世界にバラまいた(円)が
日本に逆流することになる。

舵取りをまちがえると、それがきっかけ
で、ハイパーインフレから、円安へ。
一気に、なだれをうって、進むかも
しれない。

9月になれば、その動きも、わかるはず。

まあ、国内政治は、今のままだろう。
参議院で過半数を取ったからといって、
今のところ民主党は、身動きは取れないはず。

へたに解散風を吹かそうものなら、
民心は、民主党から離れる。私たちは何も、
国会を解散させるために、民主党に1票を
入れたわけではない。

民主党は、ここは、地盤固めをしたほうが
よい。……ということを、民主党もわかって
いるはず。

9月……6か国協議も、大きな進展がないまま、
様子見といった感じになるだろう。

教育改革は、ここで足踏み。つづく
憲法改正論議も、しばし棚上げ。
そんな状態で9月を迎え、10月に
向かうだろう。

++++++++++++++

●織田信長

 昨日、小5のM君と、織田信長について、話をした。織田信長を理想の指導者として称える
人も多い。郷里の岐阜県岐阜市では、毎年、信長祭りなるものをしている。M君も、そうした視
点で、つまり信長は偉人であるという視点で、信長について調べていた。

私「織田信長は狂っていたというテーマで、夏休みの宿題を書くといいよ」
M「そんなことを書いたら、賞はもらえない」
私「何だ、賞をねらっているのか?」
M「そうだよ……」と。

 しかし信長は、どこからどう調べても、おかしい。狂っていた。14歳で初陣に出たときから、
殺戮(さつりく)と焼き打ちの繰りかえし。特筆すべきは、一向宗の弾圧である。一向宗の信徒
を一か所に集め、兵糧攻めにしたあと、信長は一人残らず殺している※。

 もちろん信長は、民衆のために戦った人ではない。民主主義や、自由、平等を求めて戦った
人でもない。「日本を支配する」という己(おのれ)の、野望を満足させるために戦った人にすぎ
ない。大義名分など、どこにもない。わかりやすく言えば、信長は我利我欲のかたまりのような
人だった。

 もちろん歴史は歴史だから、そうした人物であっても、そらなりの評価は必要である。しかし、
信長という人物を一方的に美化するのは、たいへん危険なことでもある。以前、どこかの県知
事は、信長を称え、「今の日本に必要なのは、信長のような人物である」と、新聞や月刊誌など
で述べていた。

 もしその県知事が、ほんの少しでも信長について勉強したら、そんな言葉は、口から出てこな
かっただろう。あるいは信長が活躍した(?)ような、まさに恐怖政治の時代が、「理想の時代」
とでも言うのだろうか。

 同じようなことが、徳川家康についても言える。ただ家康については、その後つづく300年と
いう江戸時代に、国策として徹底的に美化される一方、家康について都合の悪い記録は、そ
れ以上に徹底的に抹消された。だから家康にまつわる、都合の悪い記録は、今、ほとんど残っ
ていない。

 が、それ以上に残念なのは、こうした問題について、この日本では、自由に討論する雰囲気
さえないこと。とくにこの静岡県では、徳川家康は、「大偉人」として評価されている。家康の悪
口を書いただけで、袋叩きにあう、そんな雰囲気さえある。

 これでいいのか、日本!、……と問いかけたところで、この話は、おしまい。私ひとりくらいが
叫んだところで、この流れを変えることはできない。これから先、何十年も、何百年も、織田信
長にせよ、徳川家康にせよ、「偉人」と評価されていくのだろう。

 ちなみに、中学校の教科書では、こうなっている。

「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業
ができるようにしました」(帝国書院版)と。

注※1……北陸における一向一揆は、1488(長享2)年に、一向宗の門徒らが守護の富樫政
親を攻め滅ぼしたのが始まる。以後、加賀は「百姓の持ちたる国」と呼ばれ、織田信長によっ
て1582(天正10)年に鳥越城が落城するまでつづいた(参考:「織田信長BLOG」)。

++++++++++++++

信長について書いたわけではないが、
以前、こんな原稿を書いたことがある。
(中日新聞発表済み)

++++++++++++++

「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たような言葉だ
が、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉い人」と言うとき
は。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人とは言わない。一方英語で
は、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう
言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信
長は天下を統一したから」と。

中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、
楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、
信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ恐
怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生活
を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者
すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と
呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

家康にしても、その後300年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、こ
れまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた
自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが
地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心
のどこかで引きずっていることになる。そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がは
びこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用さ
れると、とんでもないことになる。

「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義
は完成しない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2108)

●市街地活性化について、ひとり言

+++++++++++++++

ここ10年、とくに中心部にあった
Mデパートが倒産してからというもの、
「市街地活性化」が、そのつど
問題になる。

莫大な市の予算も、投下された。

が、何かが、おかしい。へん。
ピントがズレている。

一市民の立場で、市街地活性化の
問題について、考えてみたい。

+++++++++++++++

 まず、買い物。「街へ行く」といえば、私たち夫婦のばあいは、「外食」を意味する。ほかに「映
画」。モノは、めったに買わない。「街は高い」という先入観が固定化されてしまっている。

 それに街は、若者に占領されてしまった。夕方から夜にかけて、街を歩いてみると、それがよ
くわかる。私たちの年代のものには、居場所すら、ない。何もかも「豪華」だが、肝心の「心」が
ない。このことは、たとえば滋賀県の長浜の町と比較してみると、よくわかる。

 長浜の町には、いたるところに「楽しさ」がある。その「楽しさ」が、リピーターを生む。「また行
きたい」という気持ちをかきたてる。市街地を活性化させるということはどういうことか、それを
知りたければ、一度、長浜の町を歩いてみるとよい。そこでは若者たちが、アルバイトの店員と
してではなく、「町の一員」として、働いている。その意気込みというか、熱気が、ガンガンと伝
わってくる。

 市街地が活性化することには、異議はない。それはそれで結構なこと。しかしばく大な税金を
使わなければそれができないというのであれば、「?」マークということになる。今のように、税
金をタレ流さなければ、活性化が維持できないというのであれば、活性化など、もうあきらめた
ほうがよいのでは? 世の流れ、人の流れは、その時代、時代の人々が、自分で決めること。
いつまでも「城下町思想」に固執するほうが、おかしい。

 外国など、どこを歩いても、駅前などというのは、どこも閑散としている。「駅前」にこだわる必
要は、ない。

 が、それでも活性化、ということであれば、ここでいう「楽しさ」を創出するしかない。が、官製
であってはいけない。たとえばE鉄道の高架下を利用して、ラーメン横丁なるものが数年前に
できた。まさに「官製横丁」だが、今では、閑古鳥が鳴いている。「高い」「まずい」のほか、作り
がいかにも、「官製」。このことも、あの長浜の町と比較してみると、よくわかる。

 否定ばかりしていてはいけない。

 で、私たち夫婦のような者が、街へ行くようにするためには、どうしたらよいか?

 ひとつには、先にも書いたように、「居場所」を作ってほしい。たとえば仙台市は、「杜(もり)の
都」と呼ばれている。そのことからもわかるように、その居場所がいたるところにある。中年や
老年の人たちでも、平気で座って休めるような場所が、ある。

 ……しかしここまで書いて、「ちょっと待てよ」という、ブレーキが働いてしまった。

 実は、その逆。つまり、市は、あの手この手を使って、私たちを、市の中心部に集めようとし
ている。コンサートホールにしても、映画館にしても、街の中心部にしかない。さらに法務局を
はじめ、国や県の出先機関にしても、すべて街の中心部に集めた。しかし私たちはそれを「不
便」と感じている。(実際、かえって不便になってしまった!)

 できれば、コンサートホールや映画館を、郊外へ移してほしい。国や県の出先機関にしても、
そうだ。そのほうが、ずっと便利。冒頭で「外食」のことを書いたが、外食にしても、郊外のレス
トランのほうが、「安い」「うまい」。

 街が街でなければならない理由など、逆立ちしても出てこない。行きつくところは、結局は、
「城下町思想」ということになる。「城下町思想」が転じて、「駅前思想」となった。しかし城下町
にしても、「お上(かみ)」が音頭取ってつくるようなものではない。それを決めるのは、やはり、
私たち、市民ということになる。

 ♪あなたは、スカボロー祭りに行くのか?
  パースレイ、セイジ、ローズマリー、&タイム……
  そこで会った人に、よろしくネ。
  なぜって、彼女は、かつてはぼくの真の恋人だったから……。

 どういうわけか、この原稿を書いているとき、サイモンとガーファンクルが歌って有名になっ
た、「スカボロ−・フェア」(Scarborough Fair)を思い出した。

 どうしてだろ?

 スカボローは、中世の時代から、イギリス中の商人の重要な交易場であった。そこには道化
師や手品師が集まり、毎年8月15日から、45日という長期間にわたって、無数の「市」が開か
れたという。昔は、イギリスはもちろん、大陸からも商人たちが集まったという。

 そのスカボローへ、香辛料を馬車か何かに積んで運んでいた人がいたのだろう。パースレ
イ、セイジ、ローズマリー、タイムというのは、香辛料の名前である。それを運んでいた人に、失
恋した男が、「スカボローに住む元恋人に、よろしく」と、語りかけている……。この歌は、そうい
う情景を歌ったものである。

 ……つまり、そういう「楽しさ」が、ない。悲しいかな、今の浜松市の「市街地」には、ない。「市
(いち)」そのものが、ない。私など、街を歩くたびに、「こんなに税金をムダに使って……」という
怒りばかりが、先に立つ。またそう思っているのは、私だけではあるまい。「豪華」といえば「豪
華」だが、あそこまで豪華にする必要はないのではないか。

 ……ということで、この話も、ここまで。ただ一言。もうこれ以上、税金をムダに使うことだけ
は、やめてほしい!

 なおついでながら、市は、JR浜松駅を中心に、約150ヘクタール(150ヘクタールだぞ!)
を、「中心街地活性化重点地区」とし、その基本計画の認定を、国に申請している。この申請
が通れば、国は法律にもとづき、市を重点的に支援してくれるという。

 うむ……。何度も書くが、浜松市はかつては、工業の町だった。どうして工業の再生をもくろ
まないのか? 市街地が活性化するかどうかは、その結果として、決まること。私が市長なら、
「郊外地工業活性化重点地区」の認定を、国に申請するのだが……?


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2109)

【子どもたちとの会話】

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小2の子どもたちと、
昨日、こんな会話をした。

昨日は、みな、それぞれ
学校の宿題をもってきた。

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●おしゃべり

私「うるさいから、静かにしろ!」
S「林こそ、うるさいよな」
T「そうだよな」
私「うるさくするのは、私の仕事だ」
S「そんなの、おかしいよな」

私「静かにしないと、チューするぞ」
S「虐待だ」
私「虐待じゃない。愛の体罰だ」
K「虐待だよ」

私「じゃあ、やめた。ハンマーでたたく」
S「そんなの痛くないよ」
T「ぜんぜん、痛くない」
S「やれるもんなら、やってみな」

私、プラスチックでできたハンマーを手にして、ツバをペッとかける。

私「じゃあ、やってやる」
S「……」
T「……」
K「……」

私「さあ、手を出せ。少し痛いけど、がまんしろ。骨の2本や3本、折れても死ぬことはない」
S「……」
T「……」
K「……」
S「そんなことしたら、パパに言ってやろ」

私「ああ、いいよ。どうぞ、どうぞ」
S「こんな恐ろしい教室、やめてやる」
私「どうぞ、どうぞ」
T「でもなあ、うちのママ、やめさせてくれないと思うよ」
S「うちも、そう」
私「ぼくのほうから、うまく話してやろうか」

T「何て?」
私「私もジジイになりましたから、お宅の息子たちのような、できそこないを教えることができな
くなりましたとか、何とか、言えばいい」
S「だめ、そんなこと言っては!」
T「ジジイは、ジジイだ」

私「パンツにウンチがついていると、子どもは、おしゃべりになる」
K「そんなの、関係ない」
私「ある」
K「ない」

私「お前のウチは、シャワートイレか」
S「そうだよ。でも、ぼくは使ったことがない。お尻がビショビショになる」
私「そうか。あれでお尻を洗っていると、口の中でゴボゴボって、音がするときがある。つまり
ね、お尻と口は、つながっているということ」
S「そんなこと、知っているよ」

私「だから、お尻が汚い子どもは、よくしゃべる」
S「ちゃんと、拭いているよ」
私「拭いたくらいでは、きれいにならない。洗わなくちゃ」
S「今日は、ついてない」
私「じゃあ、いつもはついているのか?」

S「ついてない」
私「そう。じゃあ、見てやるから、こっちへ来なさい」
S「何を?」
私「君のパンツだ」
S「林って、ヘンタイだ」
T「ヘンタイだ」

 ……が、そのうち、静かになった。少しあと、ノートをチェックすると、こう落書きがしてあった。
「林は、ポリゴンだ」と。

私「何だ、このポリゴンというのは?」
S「Kコミックに出てくる。林にそっくりだ」
私「かっこいい人か」
S「ゼンゼン。バカで、アホで、ドジだ」
私「じゃあ、ぼくに似ていない」
T「そっくりだ」

 T君のノートにも、K君のノートにも、「林は、ポリゴンだ」と書いてあった。

私「一度、そのポリゴンというのを、もってこい」
S「わかった。もってきてやる」と。

 夏休みの昼下がり。日本列島の上にどっかりと居座った冷気のせいか、扇風機だけで涼し
い。和は、こういうひとときが、いちばん、好き。楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(今日から8月)

+++++++++++++++

今日から8月。涼しい朝だ。
ここ数日、軽い片頭痛が、
現れては消える。

どうしてだろ?

気が緩んだとき、片頭痛は
起きる。血管が緩んで、周囲の
神経を刺激するからだそうだ。

少し気が緩みすぎている?

+++++++++++++++

●従軍慰安婦問題

 どうして政府のおバカさんたちは、おかしなことにこだわるのか。南京虐殺事件についても、
そうだ。「殺したのは、30万人ではない。3万人だ」とがんばる。

 30万人でも、3万人でも、同じだろ!  3000人でも問題。300人でも問題。30人だから
いいとか、3人だからいいという問題でもない。「三光作戦」※というのは、天皇の勅印のある、
正式の作戦名だぞ。

 従軍慰安婦問題にしても、そうだ。「強制連行はしていない」とがんばる。しかしあの時代に、
強制がなかったと考えるほうが、おかしい。おまけに、アメリカの大新聞に、一面を借りて反論
記事まで掲載した。

 悪いことをしたら、「ごめんなさい」と、すなおに、謝ればよい。へたにメンツにこだわるから、
話がおかしくなる。

 政府の言っていることと、そこらの右翼団体が言っていることは、同じ。おまけに国旗だの、
国歌だの、そんなことばかりに、こだわっている。

 国旗はともかくも、国歌は、あれはだれが見ても、天皇家の歌なの。それを歌うから、愛国心
があるというわけでもないだろ。歌わないから、愛国心がないというわけでもないだろ。

 そんなに愛国心の(証明)とやらがほしかったら、K国のように、バッジ制にすればいい。みん
な、胸に、天皇の肖像を載せたバッジをつける。つけてない連中は、即刻、逮捕、投獄! ハ
ハハ。そのほうが、ずっと、わかりやすい。

 おかしな国粋主義に、これまたおかしな民族主義。安倍内閣は、まわりを、極右派の連中
で、かためてしまった。そして何を言い出すかと思っていたら、「対米追従外交反対」の大合
唱。文科省大臣は、「英語教育は必要ない」と言う。防衛大臣は、「原爆はしょうがなかった」と
言う。「女は子どもを産む機械(=ロボット)」と言った大臣もいたし、アメリカの大統領の一般教
書演説の翌日に、「アメリカのイラク政策はまちがっていた」と発言した大臣もいた。外務大臣
にいたっては、イラク戦争を、「(アメリカの)ドンパチ」と揶揄(やゆ)してみせた。

 おかげで、日米関係は、今、修復不可能なほどまでに、破壊されてしまった。

 その結果が、今度の従軍慰安婦問題。政府は「冷静に対処する」と、ノー天気な発言を繰り
返している。向こうが「謝罪しろ!」と怒っているのに、「冷静」はない。このばあい、「冷静」は、
「無視」につながる。アメリカは、ますます怒るだろうな。今度は、上院で、非難決議が採択され
るだろう。そうなれば、それこそ、万事休す。

 Y神社参拝問題にしても、しかり。たしかに300万人もの日本人が死んだ。それはわかる。し
かしその日本人は、同じく、300万人の外国人を殺している。そういう事実を無視して、「英霊」
だの何だのと、がんばる。戦争責任ということになれば、当時の天皇まで話が行ってしまう。

 官僚主義国家日本としては、それは、まことにもってまずい。だから、がんばる。

 しかしもう、こんなバカげた議論は、やめよう。「日本は悪いことをした」。その事実は、どうが
んばっても、ねじ曲げることはできない。その結果、天皇にまで責任論が及んだとしても、し方
のないこと。冒頭に書いた「三光作戦」にしても、そうだ。

 つまりね、こんないいかげんなことばかりしているから、日本は、拉致問題にしても、正義を
口にすることができないの! 「お前たちだって、もっとひどいことをしたではないか」と言われ
れば、それでおしまい。

 だから6か国協議にしても、小さくなって、コソコソしているだけ。日本の外務省は、先の、日
本の国連安保理入り運動のために、アフリカだけでも1兆円ものお金をバラまいた。そんなお
金があったら、慰安婦だった人たちを、もっと手厚く補償してやればいい。

 国連そのものが、外務省の天下り先機関になっている。……とまあ、話がどんどんと拡散し
そうなので、ここまで。

 たしかに韓国の人たちの言っていることには、被害妄想的な部分もないわけではない。しか
し同時に、なぜ彼らがそこまで怒るのか、被害者の立場でそれを考えてやるのも、大切なこ
と。そしてくり返しになるが、日本も反省すべきところは、反省する。

 こんな問題を、つぎの世代の子どもたちにまで、ズルズルと引きずってはいけない。

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三光作戦について、
3年前に書いた原稿を
添付します。

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●K首相のY神社参拝

あえて、告白しよう。

私の実姉の義父は、A級戦犯で、処刑されている。I国の捕虜収容所で、捕虜を、虐殺したとい
う罪で、である。

 しかしこれは濡れ衣(ぎぬ)である。完全な、濡れ衣である。義父の上官だった人が、罪を義
父になすりつけて、自分は、逃げてしまった。義父の友人(同僚戦友)が、義父の死後、一冊の
本を書き、それを証明した。

 それについては、いつか詳しく、検証してみたい。

 で、その義父は、今、あのY国神社に、祭られているという。そのことについて、姉に、「Y国神
社に参ったことはあるの?」と聞くと、「一度も、ない」とのこと。

 「お墓は、ちゃんと、こちらにあるから」と。

 04年11月。

 日本のK首相は、ビエンチャン市内で中国の温家宝首相と会談した。

温首相は小泉首相の靖国神社参拝問題について「歴史認識の問題があり、靖国神社の問題
がある。靖国問題を適切に処理していただきたい」と参拝中止を要求した。これに対し小泉首
相は「(参拝は)心ならずも戦場で倒れた人への慰霊の気持ちからであり、不戦の誓いを新た
にするものだ」と重ねて説明した。

人格の完成度は、その人の自己中心性をみて、判断する。自己中心的であればあるほど、そ
の人の人格の完成度は低いとみる。EQ論では、他者への共鳴性で判断する。

 国家としての人格の完成度も、同じと考える。いかに相手の立場で、ものを考えることができ
るか。その視点の深さで、国家としての完成度も、決まる。

 その日本。戦前、いかに周辺の国の人たちに、多大な恐怖を与えたかということは、今さら、
改めてここに書くまでもない。その一例として、南京虐殺事件がある。

(南京虐殺事件)

 日華事変の最中、1937年(昭和12年)の12月12〜15日。当時のK内閣は、南京攻略に
対して、三光作戦を展開していた。

 三光作戦というのは、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)という作戦をいう。

 その結果、日本軍は、中国全土で、強姦、虐殺、略奪をほしいままにした(エドガー・スノー
「アジアの戦争」)。その「アジアの戦争」によれば、南京だけで、4万2000人以上、また南京
への進撃途中で、30万人以上が、日本軍に殺されたという。

(「進撃途中」で、である。南京虐殺はなかったと主張する人たちは、「南京で」という言葉にこ
だわり、「南京で30万人も殺したという話はウソ」と主張する。)

 うち、そのほとんどが、「無抵抗の婦人、子どもであった」(同書)という。

 どうやら、このあたりが、最大公倍数的な事実のようである。これについて、10年ほどまで、
こんなことを言ってきた女性(当時、35歳くらい)がいた。

 「先生、どうして中国人は、ああまで日本を悪く言うのですか! 私は許せません。日本軍が
南京で殺したのは、30万人ではありません。せいぜい、3万人です!」と。

 そこで私が、「3万人でも、問題でしょう。3000人でも、300人でも問題でしょう。どうしてそ
のとき、日本軍が中国にいて、三光作戦を展開したのですか」と。

 あれこれ議論をしたあと、最後に、その女性は、こう叫んだ。「あんたは、それでも、日本人
か!」「即刻、教育者をやめろ!」と。

 もちろん南京虐殺事件だけではない。中国全土はもちろん、東南アジア(マレーシア、シンガ
ポール)でも、日本軍は同じようなことをしている。しかし日本は、一度だって、アジアの人たち
に向って、その戦争責任を認めたことはない。ナーナーですませてしまった。

 戦争責任ということになれば、その責任は、天皇まで行ってしまう。天皇を最高権威として、
つまり日本国憲法の象徴としていだく日本としては、これはまことに、まずい。

 が、しかし、ものごとは、逆の立場で考えてみようではないか。

 あるとき、平和に暮らしていた日本に、となりの軍事大国K国が、侵略してきた。強大な軍事
力をもつ、K国である。

 そしてそのK国が、K国の言葉を強要し、金XX神社参拝を強要し、それに従わない日本人
を、容赦なく処罰した。三光作戦とやらで、大阪の人たちが、30万人近く、殺された。そのほと
んどが、婦人や子どもたちである。

 ……という私のような意見を、現在の文部科学省大臣は、「自虐的史観」と言うらしい。「日本
人が、どうして日本を悪く言うのか」と。

 しかしどう冷静に考えても、私はK首相の言っていることのほうが、おかしいと思う。わかりや
すく言えば、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことを繰りかえしなが
ら、「不戦の誓いを新たにするものだ」とは! そんな詭弁(きべん)が、はたして、通るのだろ
うか。(少なくとも、韓国、中国の人たちは、そう見ている。)

 だいたいにおいて、私の姉夫婦ですら、父親がY神社の祭られている(?)にもかかわらず、
一度も、Y神社を参詣していない。むしろ、無実の罪で、処刑させられたことを、うらんでいる!
 それを「不戦の誓い」とは……!?  むしろ、K首相の行為は、中国人や韓国人の逆鱗に
触れ、戦争の火種にすら、なりかねない。

 日本軍による大陸侵略戦争を、肯定する人は、いまだに多い。「日本が、道路や鉄道を敷い
てやった。学校や公共施設を作ってやった」「日本のおかげで、中国や韓国は発展したではな
いか」と。

 しかしもし、こんな論理がまかり通るなら、日本よ、日本人よ、逆に、その反対のことをされて
も、文句を言わないことだ。あの中国にしても、5500年の歴史がある。韓国にしても、2000
年以上の歴史がある。

 私たちが使っている言葉は、韓国を経由して日本へ入ってきた。漢字は、まさに中国語。そ
の漢字から、ひらがなが生まれ、カタカナが生まれた。文化の優位性ということを言うなら、日
本は、中国や韓国に、もとから、かないっこないのである。

 ……私は、今、かなり過激な意見を書いている。自分でも、それがよくわかっている。

 しかしこれだけは、よく覚えておくとよい。

 もしこれだけの警告にもかかわらず、K首相が、Y神社を参拝するようなことがあれば、日中
関係や日韓関係はおろか、アジアの国々からも、日本は、総スカンを食らうだろうということ。
いや、総スカンどころでは、すまないかもしれない。先にも書いたように、「戦争の火種」にす
ら、なりかねない。K国に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。

韓国のN大統領ですら、公式の場で、K首相のY神社参拝に触れ、「日本人よ、いい気になる
な」(04年春)と、K首相を口汚くののしっている。

つまり、この問題は、それくらいデリケートな問題だ、ということ。

 日本の首相がすることだから、あなたや私も、その責任を負うことになる。「私には関係ない」
ではすまされない。

 最後に一言。K首相は、「心ならずも戦場で倒れた人への慰霊の気持ち」と述べている。だっ
たら、なぜ、「心ならずも日本人に殺された人への慰霊の気持ち」と言わないのか。たしかに3
00万人もの日本人が、あの戦争で死んでいる。

 それは事実だが、しかしその日本人は、同じく300万人もの外国人を殺している。しかも、日
本の外で!

 先週も、韓国の新聞は、慰安婦問題についての最高裁判決、日本の文部科学大臣の、「(教
科書から日本批判の記事が減って)、よかった」発言などを、トップで紹介している。が、日本で
は、それを知る人すら、少ない。

 それでもK首相が、Y神社参拝をつづけるというのなら、どうぞ、ご勝手に。私は、もう知らな
い! 知ったことではない! 

 ついでに、もう一言。H元首相の1億円政治献金問題がある。日本S医師連盟から、旧H派
への1億円の小切手が渡された。だれがどう見てもワイロなのだが、H元首相は、「記憶にな
いが、事実なんだろう」(041130)と逃げてしまった。

 そういう政治家を見るたびに、私は愛国心とは何だろうと、考えてしまう。いざ、戦争ともなれ
ば、若者たちを戦場に立たせ、自分たちは、イの一番に、その戦場から逃げてしまう。H元首
相の、ニンマリと笑った顔を見ていると、そんな感じがする。

そういう政治家の大の仲間が、「正義」だとか、「不戦の誓い」だとか言うから、おかしい。本当
に、おかしい。
(04年12月1日記)

(補記)

 この記事を、マガジンに載せるのは、年があけて、1月3日ということになる。そのころ、日本
のK首相は、Y神社を参拝しているのだろうか。それとも、していないのだろうか。

 しかし……。この無力感は、いったい、どこから来るのか? 「もう、考えるのも、いやになっ
た」という思いすら、ある。

 何も「不戦の誓い」くらいなら、Y神社へ行かなくても、できるはず。だいたいにおいて、「不戦
の誓い」とは、何か? 私には、K首相が、まったく、理解できない。

(補記)

 日本S医師会(日歯)側から自民党旧H派への1億円ヤミ献金事件で、政治資金規正法違反
(不記載)の罪に問われた同派政治団体「HS研究会」(平成研)の元会計責任者・TT被告(5
5)の判決が12月3日、東京地裁であった(04年)。OD裁判長は禁固10月、執行猶予4年
(求刑・禁固10月)を言い渡した。

 義父に罪をなすりつけ、自分は逃げた、上官。そして部下に罪をなすりつけ、自分は逃げ
た、H元首相。ともに、やることは、よく似ている。

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この原稿を書いて、もう3年になる。
で、この3年間、日本を取り巻く状況は
悪くなるだけ。

日本としては、ほとぼりが冷めるのを
待っているつもりなのかもしれないが、
そうは、うまくいくかどうか?

私は、それを危惧する。

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Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●横断歩道で

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時として、人は、道端の
一輪の花を見て、感動する。

そんな思いを書いてみました。

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 横断歩道で、立ち止まって、信号が変わるのを待つ。しかしそんな信号など、守る人は、今、
ほとんどいない。みんな左右を見て、車がこないとわかると、さっさと渡っていく。

 年配の男性も女性も。そして若い人も高校生も!

 そういうのを見ていると、私は、つくづく自分のしていることが、バカらしく思えてくる。いや、実
際、私は、バカだ。

 本当の私は、「バカヤロー」と叫びたい。世界中に向って、そう叫びたい。しかしそうすることも
できず、毎日、悶々とした気分で、過ごしている。仮面をかぶって、善人ぶっているだけ。「私」
が、どこにもいない。

 ああ、私も、みなと同じように、赤信号を無視して、横断歩道を渡りたい。めんどうなことは考
えず、自分の思ったように生きたい。体を、がんじがらめにしているこのクサリを、はずしてみ
たい!

 ときどき、気の小さい自分が、いやになる。勇気もない。度胸もない。毎日が、欲求不満のか
たまり。先日もあれこれムシャクシャしたから、パソコンでも買ってやろうと、街に出た。

 しかしいざ買うときになると、家計を心配したり、子どもの学費を心配したりして、それができ
なくなってしまった。そういう自分を知るたびに、いやになる。情けなくなる。

 が、希望がないわけではない。昨日のことだが、こんなことがあった(11−30)。

 仕事で、街に向うときのこと。やはり赤信号で、自転車を止めた。小さな路地だった。

 見ると、反対側に、小さな子どもを連れた母親。母親は、子どもの手をしっかりと握っている。
その親子が、横断歩道の向こう側で、同じように、立って、信号が変わるのを待っていた。母親
は、左右を、何度か見ていた。

 私は、いつその親子が、信号を無視して渡り始めるだろうかと、そんなことを考えていた。車
はない。道路は閑散としていた。のどかな陽だまりが、道路を白く照らしていた。

 5秒、10秒……。ジリジリと時間が過ぎていくのがわかった。私は、おかしな緊張感に包まれ
た。「今に歩き出すぞ……」と思った。しかしその親子は、じっと、そこに立ったままだった。

 横の信号が、青から黄色になった。赤になった。が、まだその親子は、動かなかった。そして
つぎの瞬間、私たちの信号が青になった。とたん、緊張感が体から抜け、私は、自転車のペダ
ルに力を入れた。同時に、その親子も、歩き始めた。

 親子と、横断歩道の上で、すれちがった。私はふりかえって、その親子を見た。「よかった」と
思った。ついで、「いい母親だな」と思った。

 少ないが、そういう人もいる。まだいる。だからまだ希望を捨ててはいけない。……と、そのと
きは、そう思った。

 ……と書いたが、どうしても、このエッセーのしめくくりが書けない。「バカヤロー」と叫びたい
気持ちはそのまま。体のクサリを解き放ちたい気持ちも、そのまま。私は、相変わらず、バカだ
と思う。その気持ちも、そのまま。

 ただその親子が、ゴミが散乱する砂浜に咲いている、一輪の花のような感じがした。それが
今の私にとっては、希望なのかもしれない。今は、そう思って、自分をなぐさめている。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【不登校児についての相談】

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くりかえし相談があるのが
この問題。

つまり不登校児についての
相談。

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 広島県H市に住んでいる、MEさん(母親)から、二男の不登校に
ついて、相談がありました。MEさんから、掲載許可をいただきまし
たので、紹介します。

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【MEさんから、はやし浩司へ】

 今年の7月10日から二男(小6)のGDが不登校になりました。夏休み明けから、資料室登校
を何日か続けていましたが、狭い資料室で一日を過ごすという異常な学校生活だったためか、
なかなか教室に戻ることが出来ずにまた不登校になり、現在に至っております。

 このホームページを拝見するようになったのは5日ほど前です。書かれてあるとおり、私は半
狂乱になり、どうにか登校してくれるように刺激した結果、底だと思っていた底にもっと底があ
り、次々と子どもといっしょに別の底へも落ちていきました。

 私は腹をくくり、……とは言っても、毎日くくった紐はほどけ絞めなおし、それを繰り返している
毎日です。

 二男はテレビゲームとパソコン三昧の怠惰な生活を続けています。幼稚園のころからKK
式、4年生になって中学受験を目標にN研へ変わり、そこそこの成績で地元のトップばかりを
集めた中央の本校へと変わり、広島でも難関の、RA中学、HU附属中を目指しておりました。

 本人が負担に思っていたのにもかかわらず、バカな親でした。こうした生活からそうなってい
ったのではないかと思います。夏休みから、塾は一切やめて、隣町の小学校へ転校しようとし
ていたのですがうまくいかず、今では転校しても登校しそうにありません。

 このまま何もせず、ゲーム三昧の日々をだまって見ているのがいいのでしょうか。本人は毎
日「悲しい、僕は僕で悩んでいろいろ考えている、学校へ行くことを考えると緊張する」と言いま
す。

 土日は主人とキャッチボールやバッティングセンターに、楽しんでいっていました。先週主人
と小学校で見た、地元のソフトボールチーム(小学生の)に入りたいと言い出して、今頃から入
部してもどうだろうかと思ったのですが、お願いして練習に体験入部させてもらいました。

 やはり、思ったとおりには行かず、4時間の練習時間でしたがすることもわからず、困惑した
状態で終わってしまいました。自信をなくしたようで、翌日は少し荒れていました。家の中でゴロ
ゴロしているのが、私にはたまらなく耐えられないのですが、それでいいのでしょうか。
(広島県H市 MEより)

+++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司から、MEさんへ】

 メールの様子からして、つまり二男の方の症状からして、このタイプの不登校は、かなり長く
つづくと思います。半年とか、1年ではなく、数年以上になるということです。

 いただいたメールの中で、もっとも気になるのは、MEさんが、二男の様子について、「怠けて
いる」という表現を使っておられる点です。

 二男のGD君は、怠けているのではありません。そう見えるだけです。心は、いつも張りつめ
た緊張感でおおわれています。その緊張感をほぐすために、やむをえず、自ら心をいやしてい
るのです。その方法として、テレビゲームをしたり、パソコンをしたりしている……。

 風邪をひいて、家でゴロゴロしている子どもを、あなたは、「怠けている」と言うでしょうか。言
わないですよね。それと同じです。

 風邪のように、熱が出るとかいう症状がないため、外からはわかりにくいのが、この不登校
の特徴です。(私のHPの不登校の記事を参考にしてください。グーグルか何かで、「はやし浩
司 学校恐怖症」を検索してくださると、いくつか、ヒットするはずです。)

 そしてつぎに大切なことは、「なおそう」と思わないこと。「今の状態を、今以上に悪くしないこ
とだけを考えて、様子をみる」です。

 ときどきこまかい周期(数週間から1か月単位)で、症状が改善したかのように見えたり、悪く
なったかのように見えることがありますが、そういった変化に、一喜一憂しないこと。半年単位
で、様子をみます。

 ……と書くと、「学校はどうする?」「受験はどうする?」となりますね。

 答えは、簡単。あきらめなさい。あきらめるのです。

 MEさんが、「まだ何とかなる」「うちの子にかぎって」と思っている間は、この問題は、解決し
ません。MEさんのもっている緊張感が、そのままGD君に伝わってしまうからです。この緊張
感が、症状を長引かせます。

 この問題は、一見、子どもの問題に見えますが、実は、親の問題です。親自身が、学歴信
仰、学校神話という呪縛から、いかに自分を解き放つかということです。もし今、MEさんが、
(恐らく、そうだろうと思いますが……)、「学校とは行かねばならないところ」「学校へ行かなけ
れば、うちの子はダメになる」と思っているなら、そういう考えは、捨てることです。

 といっても、簡単なことでないことはよくわかります。カルト教を信じている、信者のようなもの
です。しかもあなたが子どものときから、あなたの親によって、徹底的に叩きこまれている。そ
のカルトを体から、抜くことは、たいへんなことです。よくわかっています。しかし、抜くのです。

 この問題は、あなたがそのカルトから抜け出たとき、解決します。今は、カガミの向こうの世
界のようで、信じられないかもしれませんが、カガミの向こうは、実に広く、ゆったりとした、おお
らかな世界です。

 今は、学校だけがすべてという時代ではありません。無数の選択肢も用意されています。ま
た不登校児になったからすべておしまいというより、むしろ、不登校を起こす子どもほうが、(ま
とも)なのです。

 たしかに原因の一つとして、過負担、親の過剰期待などがあったと思います。いわゆる子ど
もが、オーバーヒ−トしてしまったというわけです。燃え尽きたのかもしれません。あるいは何ら
かの原因で、集団に対して恐怖心をもったためかもしれません。このあたりの子どもの心理
は、複雑で、簡単には説明できないことが、多いです。

 で、これから先、どうしたらよいかということですが、いくつかのポイントがあります。

(1)おどし、励ましは、タブー。

 「こんなことでは、将来、ダメになる」式のおどし。「がんばれ」式の励ましは、禁物です。あくま
でも、子どもの立場で、考えます。

 「あなたもつらい思いをしたのね」「よくがんばったのよ」式の、ねぎらいの言葉を多くかけてあ
げてください。

(2)ほどよい親、暖かい無視 

 やりすぎず、しかし、やるべきことはする。そして子どもを暖かく、無視する。子どもが愛情の
より所を求めてきたら、すかさず、いとわず、愛情表現をしてあげてください。添い寝、抱っこな
ど。

 年齢的にむずかしいかもしれませんが、入浴なども、子どもがいやがらなければ、いっしょに
してあげてください。

 症状が改善に向かい始めると、一度、幼児がえりを起こすかもしれません。赤ちゃんぽくなっ
て、お母さんのおっぱいを求めるなど。いとわず、応じてあげてください。

(3)キーワード、ターゲットに注意

 子どもがとくにいやがるキーワードなどがあれば、努めて、その話題から遠ざかります。「受
験」、「入試」、「不合格」など。子どもによって、とくに気にしている言葉がありますので、それに
ついては、触れないようにします。

 またこの時期、子どもは、あれこれ理由らしきことを言いますが、そうした言葉にまどわされ
てはいけません。「A君がいじめる」「先生が怒った」など。これをターゲット(標的)といいます。
この時期、子どもが口にする、ターゲットは、いろいろ変化します。

 しかしもともと、理由などないのです。ですから理由を聞いたり、原因をさがしても、意味はあ
りません。

(4)退屈作戦

 とにかく、退屈にさせます。退屈で、退屈でしかたないといった状況にします。しばらくすると、
子どものほうから、何かアクションが始まります。そのアクションを、じょうずに、引き出していき
ます。

 このタイプの子どもがよく見せる症状は、幼児期からの「成長の再現」です。一度、赤ちゃん
ぽくなって、幼児期に使っていた本や玩具を取り出して遊んだりすることがあります。そういう意
味では、勉強にあけくれた少年期で、幼児期から今の時代に、間が抜け落ちてしまったのかも
しれませんね。

 もし幼児がえり的な現象が見られたら、「ここからやりなおし」と思って、暖かく見守ってあげて
ください。

(5)CA、MGの多い食生活

 わかりやすく言えば、海産物主体の食生活にします。心を安定させるためです。不安や心配
ごとが入り込んでも、動揺しないようにします。リン酸食品などは、避けます。私のHPのどこか
に、詳しく書いておきましたので、また参考にしてください。

 最後になりましたが、MEさん自身の学歴信仰などと戦うためには、私のマガジンを、また読
んでください。ところどころで、それについて書いています。

 お気づきのように、今が、まだ「底」ではありません。ですから、今の状態を悪くしないことだけ
を考えて対処してください。無理は禁物。半日、資料室登校をしたら、「よくがんばったわね。3
時間も行かなくてもいいのよ。2時間で帰ってきなさいよ」と言ってあげてください。

 この親の心の余裕が、子どもの心を溶かします。

 あとあと、よい思い出になりますよ。この時期は、遅々として進まないように見えるかもしれま
せんが、終わってみれば、あっという間のこと。今こそ、あなたとお子さんの、暖かいドラマを、
しっかりと思い出の中に、刻むときです。

 暗くて長いトンネルに見えるかもしれませんが、終わってみると、あっという間のできごと。こ
の時代を光り輝かせることができるかどうかは、あなたがGD君を信じきったかどうか、決まり
ます。

 あなたの子どもを信じてあげてください。不登校など、いろいろな問題がありますが、何でもな
い問題です。いつか必ず、笑い話になります。「ようし、私も、十字架の一つや二つ、背負って
やる」「嵐がこなければ、航海もおもしろくない。来るなら、来い!」と、あなたも、前向きに、そう
怒鳴ってみてください。

 心が、ずっと軽くなりますよ。

 では……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 不登
校 対処 し方 仕方 対処の仕方 親の心構え 学校恐怖症 不登校 不登校児 相談)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司※

●仮面

++++++++++

教師だって仮面をかぶる。
しかし大切なことは、
それを仮面と意識すること。

仮面を脱ぎ忘れると、自分が
自分でなくなってしまう。

それがこわい。

++++++++++

(教師のもつ仮面性)

 教師には、聖職意識というものがある。程度の差はあるが、みなある。使命感とも言うべき
か。教師としての、使命感である。

しかし意識だけでは、聖人には、なれない。そこで、教師は、「先生」「先生」と言われるうちに、
自ら、仮面をかぶるようになる。まじめな教師ほど、そうだ。親や子どもの期待に答えようとす
る。だから仮面をかぶる。意識的にかぶることもあるが、たいていは、無意識のうちに、かぶる
ようになる。

 こうして教師の人格は、分離し始める。(本当の自分)と(仮面の自分)である。

 こうした分離は、しかし、教師の世界だけに、起きるものではない。たとえばデパートの店員
を見てみよう。

 あなたが客としてデパートに入ると、店員は、深々と頭をさげる。にこやかな笑顔をつくって、
「いらっしゃいませ」とあいさつをする。

 しかしその店員が見せる笑顔は、いわば営業用の笑顔。決して、あなたをすばらしいと思っ
て、そうしているのではない。あなたに好意をいだいているというわけでもない。だから、そうい
う笑顔を見たからといって、あなたは、その店員を、朗らかで、明るい人だとは、思わない。(そ
ういうふうに誤解する人も、多いが……。)

 同じように、俗世間では、教師という立場の人間を、何かにつけて、特別な目で見やすい。相
手が子どもであるにせよ、人間を指導するのだから、それなりの人格者と思いやすい。

 しかし教師とて、サラリーマン。サラリーマンであるというのが悪いというのではない。しかし現
実に、たとえば大学の卒業という時点においては、ほかの学生と、ちがう点は、どこにもない。
とくにすぐれた人格者が、教師になるというわけではない。

 が、教壇に立ったとたん、「先生」と呼ばれる。教師自身も、「自分は先生」と、気負う。この気
負いの中から、いわゆる反動形成が始まる。(そうであってはいけない自分)を、ことさら、演出
するようになる。「反動形成」というのは、本来の自分を偽りながら、それとは別の人格を形成
することをいう。

 教会の牧師が、ことさらセックスの話を嫌ってみせたりするのが、その一例である。あるいは
長男、長女が、親の前では、下の弟や妹に対して、ものわかりのよい兄や姉を演ずるのがそ
れである。

 こうして教師は、自分の中に、二重構造性をもつようになる。三重構造性でも、四重構造性で
もよい。要するに、自分をごまかして生きるようになる。

 たとえば教師の世界には、教師言葉というのがある。奥歯にものがはさまったような、遠まわ
しな言い方の言葉をいう。学習面に問題がある子どもでも、「君は、学習面で問題がある」とは
言わない。言えば、たいへんなことになる。

 そこで教師は、独特の言い方をする。「君は、運動面では、すばらしい。勉強も、同じようにが
んばってみなさい」と。親から、「どうしてうちの子は、勉強ができないのでしょう?」と、聞かれ
たときもそうだ。

 決して、「お宅の子は、頭が悪いから」とは言わない。言えば、たいへんなことになる。

 そこで教師は、あれこれ指導方法を話したあと、こう言う。「本気を出してくれれば、もっと伸
びるのですが、まだ本気ではないようですね」とか。あるいは「私の指導能力の足りなさが原因
です。ごめんなさい」とか言うかもしれない。

 こういうことを繰りかえしているうちに、教師は、どこからどこまでが(本当の自分)で、どこか
ら先が、(営業用の顔)か、わからなくなってしまう。

 しかしこれは、教師にとって、きわめて危険なことでもある。へたをすれば、人格が分離してし
まう。実は、このことは、私が経験したことである。

(私のばあい)

 私が自分の中の仮面性に気づいたのは、30歳くらいのときのことではなかったか。私は、そ
のころ、子どもに教えることについて、毎回、ものすごい疲労感を覚えるようになっていた。

 原因は、すぐわかった。私は、参観する親の前で、いつも別の「私」を、演じていた。「よい教
師でいよう」「よい教師に見せよう」という、気負いばかりが先行していた。いわば教室という場
で、私はいつも演技をしていた。

 だから親たちの評判は、それなりによかった。しかしそのうち、自分の子どもに対する態度
と、他人の子どもに対する態度が、ちがうことに気づいた。本来の私は、ぞんざいで、乱暴。い
いかげんで、ずぼら。怠け者で、めんどうくさがり屋。

 その私が、教室では、品行方正の聖人を装っていたのだから、たまらない。こんなことがあっ
た。

 私が「道路を歩いていたら、お金が落ちていました。あなたは、そのお金を拾いました。拾っ
たお金は、どうしますか?」と、子どもたち(幼稚園児)に聞いたところ、みなは、「交番へ届け
る」などと答えた。

 が、一人だけだが、「もらっちゃうよオ」と言った子どもがいた。私は、その子どもを見つめな
がら、どうしても、その子どもを叱ることができなかった。学生時代、私は、拾ったお金を、使っ
てしまったことがある。

 そのとき、私は気がついた。「もらっちゃうよオ」と答えた子どものほうが、ずっと私に近いこと
を、である。が、表面的には、いかにもそういうことはしませんというような顔をして、「拾ったお
金は、交番へ届けましょう」などと、言う。しかし本当の私は、そんなことを、するだろうか。

 いや、その少し前、本当に、サイフを拾ったことがある。が、そのときは、たまたま私の息子
がそばにいたので、その持ち主に電話をして、サイフを取りに来てもらった。もし息子が見てい
なかったら、サイフを自分のものにしてしまっていたかもしれない。自信がなかった。

 こうした矛盾が、無数に重なり始めた。私が、はげしい疲労感を覚えるようになったのは、そ
のためだったと思う。

(居直なおり)

 私は、あるときから、自分に居なおり始めた。「ええい、ままよ」とか、「どうにでもなれ」という
心境になった。ありのままをさらけ出すことに、努めた。が、しかしそれには大前提がある。

 さらけ出してもよいような土台を作っておかねばならない。その土台もないまま、さらけ出して
しまったら、それこそ、たいへんなことになる。もともと、私の「性(しょう)」は、それほどよくな
い。育ちも育ちだし、戦後直後に生まれた団塊の世代でもある。

 言うなれば、戦後のドサクサの中で、私は、生まれ育った。

 小ズルくて、道徳心や倫理観に欠けていた。忠誠心も弱かった。生活力はそれなりにあった
が、どこか無鉄砲。計算高く、功利主義。その上、利己的で、自分勝手。わがまま。なお一層
悪いことに、短気で、けんか早い。暴力的で、すぐキレる。

 まさに言いことなし。加えて、スケベ。(これはおまけ。)

 だから一時期は、それなりに努力した。座禅をするために禅道場へ通ってみたこともある。
仏教やキリスト教も、それなりにかじった。しかしどれも中途半端なまま、終わってしまった。
 
 そういう私が、親の前では、聖人づらをしていた。そしてその仮面を、あえて脱ごうとしてい
た。今から思うと、実に、それはおかしなことだった。いや、本当の理由は、そのころ、私は偏
頭痛に悩まされていた。神経を使う分だけ、脳みそが影響を受けた。

 そういったこともあって、私は、できるだけ、ありのままの自分をさらけ出そうとした。飾らな
い、偽らない、ウソをつかない、など。こうして自分のことを、ウソ隔しなく、書くようになったの
も、そのひとつということになる。

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以前、こんな原稿を書きました。
私の学生時代の経験です。

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●善人ぶる

 私はいつから、こうまで善人ぶるようになったのか。とくにそれを強く感ずるのは、講演に招
かれたときだ。講師として、演壇の横にすわり、紹介されるのを待つ。主催者のあいさつのあ
と、講師紹介が始まり、そしてそれが終わると、演壇に登る。そのとき、私は、ふと、「どうして
私がここにいるのか」と思う。

 善人ぶることなら、だれにだってできる。簡単なことだ。それほど大きな努力はいらない。さも
知っているという顔をして、柔和な笑みを浮かべ、静かにしていればよい。何かを聞かれても、
きれいごとだけを並べていればよい。

しかし本当にむずかしいのは、自分の中の悪と戦うことだ。堕落(だらく)から、身を守ること
だ。あのトルストイも、『読書の輪』の中で、こう書いている。「善をなすには、努力が必要。しか
し悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」と。

前にも書いたが、よいことをするから、善人というわけではない。悪いことをしないから、善人と
いうわけでもない。人は、悪と戦って、はじめて善人になる。

 たとえば道路に、大金の入っているサイフが落ちていたとする。一〇〇万円とか二〇〇万円
でよい。まわりにはだれもいない。あなたがそれをもって帰っても、見つかることは、まず、な
い。しかもあなたは今、お金に窮している。その日に食べる食事代もない。そういうとき、あなた
は自分の中の邪悪さと戦うことができるか。それが、ここでいう「悪と戦う」ということである。

 こうした悪と戦う場面は、実は、日常生活の中では、頻繁(ひんぱん)に起こる。そういう意味
では、人間はまさに社会的な動物である。人と会っただけで、いつもそういう立場に立たされ
る。

そこで大切なことは、まずささいな悪と戦ってみる。ウソをつかない。ゴミを捨てない。ルールを
守る。インチキをしない。そういうささいな戦いを通して、戦い方を身につける。自分を鍛える。
私のばあい、いちいち考えて行動するのがめんどうだから、自分で教条的に、それを決めて従
うようにしている。

たとえばウソにしても、一度ウソをつくと、あとがたいへん。つじつまを合わせるために、つぎつ
ぎとウソをつかねばならない。気をめぐらさなければならない。考える力があったら、もっとほか
のことに使いたいという思いもある。だからウソはつかない。が、それでももし、大金の入った
サイフが落ちていたら……。

 そんな「私」を知るひとつの手がかりとして、こんな事件があった。

 私が大学三年生のときのこと。夜、バス停でバスを待っていると、足もとに1000円札が落ち
ているのに気がついた。私はとっさに、なぜそうしたかはわからないが、それを足で踏みつけて
隠した。

うしろはたまたま交番だった。私はそのままの姿勢で、じっと立った。今でもそのときの気持ち
をよく覚えているが、私はそれを、何かのワナではないかと思った。手でつかんだとたん、うし
ろから警官がやってきて、「逮捕する」とか何とか。私はつぎつぎとやってくるバスを見送りなが
ら、時間にして、30〜40分はそのまま立っていた。

 1000円といっても、今でいう、5000円ほどの価値がある。その上、当時の私は貧乏学生。
一度でよいから、あのトンチャン(焼肉)を、腹いっぱい食べてみたいと思っていた。

が、どうしても手をのばしてそれを拾うことができなかった。私は法科の学生だった。そういう自
負心もあった。だからそのまま立っていた。が、多分、不自然な位置だったと思う。あとから並
んだ人が、けげんそうな顔つきで私をながめながら、横を通り過ぎ、バスに乗り込んでいったの
を覚えている。

 私は善人か。それとも善人ではないか。そこでこういう話を、中学生にぶつけてみた。「君た
ち、交番の前で、5000円を拾ったら、どうする?」と。6人の中学生がいた。すると、全員が、
「交番に届ける!」と。そこですかさず、「君たちは、本気か? きれいごとを言っているだけで
はないのか?」と聞くと、また「交番へ届ける!」と。ひとり、「どうせそういうお金は、自分のもの
になるよ」と。

 そこでまた私は考えてしまった。中学生でもわかる論理が、当時の私にはわからなかったの
か、と。いや、頭の中でシミュレーションするのと、実際、そういう立場に立たされるのとでは、
受けとめ方はまるでちがう。中学生の言葉をそのまま信ずることもできない。

そこで話を変えて、「1000円だったら、どうする?」「500円だったら、どうする?」と聞いてみ
た。すると、「1000円なら、もらってしまうかな」「100円だったら、ぼくのものする」と。どうや
ら、こうした善悪は、金額によって決まるようだ。……ということは、彼らがもっている論理は、
倫理ではない。

 それが倫理であるかどうかは、つまりその人の行動規範であるかどうかは、人が見ていると
か、見ていないとかいうこととは関係ない。このケースで言えば、金額の大小ではない。あくま
でも自分の問題なのだ。

たとえばゴミにしても、「大きなゴミは、道路に捨てないが、小さなゴミなら捨てる」というのは、
倫理ではない。たとえガムの食べかすでも、道路へ捨てない。そういうふうに、自分を律する力
が、倫理なのだ。

 私はしかし、中学生たちが、「1000円なら、拾ってもらってしまうかな」と言ったとき、正直言
って、ほっとした。理由は簡単だ。

 私はそのあと、うしろの交番に目をやりながら、その1000円札を拾って、すかさず自分のポ
ケットにつっこんだ。そしてあとは一目散に、その場を走って逃げた。うれしかった。本当にうれ
しかった。そして私は今でも、はっきりと思えているが、その1000円で、喫茶店でお茶を飲ん
だあと、あのトンチャン屋へ足を運んだ。ライスが100円。トンチャンが一皿、150円。それを
腹いっぱい食べた。

 そんな私が、今、善人ぶって、みなの前に立つ……? いつか私を講演会で見る人がいた
ら、ぜひ、このエッセーを思い出してみてほしい。そしてこう思ってほしい。「あの、林め、偉そう
な顔して、善人ぶっているが、どうしてあんな男が、ここにいるのか?」と。

そう思ってもらったほうが、私にとっては、ずっと気が楽になる。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2111)

●被害妄想

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うつになるから妄想が生まれるのか。
それとも妄想が重なるから、うつに
なるのか。

うつと妄想は、いつも同時進行の形で
その人を襲う。

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 ありもしない恐怖や脅威を、ことさら心の中で肥大化させ、被害者意識をもつ。それを被害妄
想という。

 その被害妄想にも、いろいろある。

 よく知られた例に、追跡妄想や被毒妄想がある。追跡妄想というのは、いつもだれかに追跡
されているのではないかという、妄想観念をいう。被毒妄想というのは、だれかに毒をもられて
いるのではないかという、妄想観念をいう。

 しかし、こういう被害妄想もある。

 X氏(65歳)は、ある日、隣のY氏(50歳)と、けんかした。「お前は、いつもオレのうちをのぞ
いている!」「のぞいていない!」と。

 X氏は、それをさかのぼること、数年前から、隣のY氏が気になり始めた。最初のきっかけ
は、ささいなことだったというが、それについては、私は知らない。

 そこでX氏は、自分の家のまわりに木を植えた。しかし冬になると、葉が落ちる。そこでブロッ
クの塀の内側に、さらに、木の塀をとりつけた。

 が、それでは足りない(?)。今度は、X氏は、Y氏の家に面している窓ガラスを、すべてすり
ガラス(型ガラス)にかえた。部屋のすべてに、厚手のカーテンをつけ、さらに、家の中で電気を
つけるときは、雨戸をすべて閉めるようになった。

 被害妄想である。

 Y氏は、私が知るところ、隣の家をのぞくような人ではない。だいたいにおいて、X氏の家な
ど、のぞいてもしかたない。X氏は、妻と2人暮らし。

 ……と、このように、「家の中をのぞかれている」「いつも監視されている」というような、妄想
観念をもつことを、注察妄想という。この注察妄想をもつ人は、多い。

 Aさん(45歳、女性)も、そうだ。「道をはさんだ、向かいのBさん(女性)が、私の家をいつも
監視している」と、悩んでいる。

 が、それだけではない。ある日、私にこう言った。

 「私が、新しいバックででかけるとき、Bさんが、『いつも、新しいバックを買って、バカみたい』
と言って笑っています」と。

 しかしこの話は、おかしい。Aさんは、どうしてBさんが、そう言っているのを知ったのか? そ
こで私が、「本当にBさんが、そんなこと言っているのですか?」と聞くと、「私には、Aさんの言
っている声が、聞こえます。目つきや、顔の表情を見れば、それがわかります」と。

 こうした被害妄想は、つぎつぎと、新しい妄想を生む。そしてあとは、底なしの妄想地獄。

「では、どうしたらいいか?」ということになるが、脳の機能の問題とからんでいるだけに、こと
は簡単ではない。先のX氏にしても、Aさんにしても、どこか、うつ的。X氏は、異常に几帳面(き
とうめん)なところがあるし、Aさんは、反対に、生活習慣が、きわめて怠惰(たいだ)。だらしな
い。日常の生活そのものが、ふつうではない。

 言いかえると、被害妄想をもちやすい人は、あらゆる面で、そうした妄想観念をもちやすい。
大切なのは、まず、自分がそうであることを知ること。日ごろから、思い過ごしや、取り越し苦労
をしやすい人は、それだけ被害妄想をもちやすいということになる。

 もちろんうつ病タイプの人は。要注意! あれこれと悶々と悩み始めたら、できるだけ早く、
気分転換をしたほうがよい。そしてそのことを忘れる……。

 (しかし実際には、忘れようとすればするほど、かえって、深みにはまってしまう。私のばあい
は、周囲の状況や、自分の心の中を、徹底的に分析することで、こうした妄想観念と戦うように
している。わかりやすく言えば、相手を乗り越えるということ。相手が、自分よりバカに見えたと
き、はじめて、その妄想観念から抜け出ることができる。)

 どんな人でも、ふとしたことから、妄想観念をもちやすい。そしてそれが被害妄想になり、ここ
でいう注察妄想になったりする。くれぐれも、ご注意!

 ちなみに、広辞苑には、こうある。

 被害妄想……自分が他から迫害されていると信ずる妄想。多くは精神分裂病に見られる、
と。ゾーッ!
(はやし浩司 妄想 被害妄想 被毒妄想 追跡妄想 注察妄想 妄想観念)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●子どもを楽しませる

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子どもを伸ばすコツは、
子どもを楽しませること。
笑わせること。

私の教室では、最初の10分ほどを
遊びの時間にあてている。

たった10分だが、その10分の
おかげで、そのあと、子どもたちは
生き生きと学習してくれる。

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 子どもを伸ばすコツは、楽しませる、こと。笑わせる、こと。心を開放させる、こと。すべては、
そこから始まり、そこで終わる。

 理由など、改めて、ここに書くまでもない。

 昨日(12・2)は、年中児から中学2年生まで、教えた。どのクラスも、みな、子どもたちは、1
時間、笑いっぱなし。ウソではない。参観の親たちが、いつもいるので、ウソは書けない。私
は、親たちにいつも、こう言っている。

 「ストレス解消になるから、参観においでなさい」と。

 子どもと一緒に笑っているだけで、ストレス解消になる。

 昨日も年中児(10人)を教えていたら、1人の子どもが、こう言った。「ぼく、男の先生より、女
の先生のほうが、いい……」と。

 そこで私は、こう言った。「ぼくの頭には、便利なスイッチがついているよ。これを押すと、女
の先生になるよ」と。

子どもたち「押して、押して!」
私「いいのか? 後悔するよ」
子どもたち「いいから、押して、押して!」
私「わかった、押すよ。でもね、スイッチは2つある。若い女の先生と、年をとった、女の先生
だ」
「年をとった、先生がいい!」と。

 私は、頭のスイッチを押したフリをしたあと、突然、けわしい表情にし、しわがれ声で、こう叫
ぶ。

 「あんたたち! 女だと思って、バカにすんじゃ、ないのよ! わかってんの! 私がね、結婚
できないのは、世の中の男が、みーんな、バカだからよ。わかってんの! そこの○○君、あ
んた、男!? クヤシ〜〜イ」と。

 子どもというのは、一度、笑いのリズムにのせてしまうと、あとは、どんなことをしても笑う。そ
れこそ、風が吹いても、ペンが落ちても、笑う。笑って、笑って、笑いまくる。

 それが私の教え方である。「直す」とか、「治す」とかいう言葉は使えないが、しかし多少の心
の問題なら、笑わせることで、「なおす」ことができる。

 すると、今度は、子どもたちは、「やっぱり、若い先生のほうがいい……」と。

私「若い、女の先生?」
子どもたち「そうだよ」
私「いいよ、若い先生で、いいんだね?」
子どもたち「そう」「そう」と。

 同じように頭のスイッチを押すマネをする。反対側にそのスイッチを回す。

 私は、手鏡と、赤ペンをサッと取り出し、(こういう小道具は、無数にもている)、口紅をつける
マネをしながら、こうつぶやく。子どもたちのほうは、無視。

 「私的にはサ〜。幼児教育なんて、サ〜。どうでも、いいって、カンジ〜イ。あんたらさア、近く
に、いい男、いない〜? いい男いたらさ、教えてくんない? そこの△△さん、あんたんとこ、
兄貴いるでしょう? 一度、紹介してくんなア〜イ?」と。

 実は、こうして子どもを笑わすには、もう一つ、重要な目的がある。

 私の教室は、すべて公開している。つまり公開しているということは、すべてをさらけ出すとい
うことになる。

 幼児教育の特質というか、この時期、母親たちは、たいへん神経質になる。指導のし方がま
ずいと、親たちの競争の場になってしまう。(それでも、ときどき、ピリピリとした親が出てくるが
……。)

 こうした神経質な雰囲気は、まことにまずい。子どもたちが萎縮してしまう。私も、教えにくい。
つまり、そういう雰囲気を、やわらげる役目がある。子どもを通して、親たちも笑わせる。楽しま
せる。

 子どもを教えることは、楽しい。そういう実感を、親たちにもわかってもらう。つまり、親は子ど
もを育てるのではない。子どもといっしょに、もう一度、人生を楽しむ。少し生意気な意見かもし
れないが、親たちに、それをわかってもらう。

 それが私の教え方。やり方。そしてBW教室! ウソじゃ、ないぞ!!!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●揺さぶられっ子症候群

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近くのショッピングセンターで、
乳母車に乗せた赤ん坊を見た。

見ると、まだ生後数か月?
もっと幼い?

「いいのかなあ?」と思いながら、
その場を通り過ぎた。

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 母子健康手帳の中に、「未発達な脳に出血を生じさせ、脳に障害を起こす場合があるので、
新生児や6ヶ月以下の赤ちゃんを、強く揺さぶるのを避けましょう」という記述がある。

 02年度の改正版から書き加えられた。

 いわゆる、「揺さぶられっ子症候群」の予防のためである。このところ、親に強く揺さぶられる
ことが原因で、脳内出血を起こす子どもがふえている。当然、部位にもよるが、そのあと障害
が残ることもある。

 新生児のばあい、脳の大きさが、頭蓋骨より小さいため、いわば水の中に、脳が浮いている
状態になっている。そのため強く揺さぶると、脳と外をつなぐ静脈が、切れやすいというわけで
ある。
 
「揺さぶられっこ症候群は、1974年に米国で最初に報告されました。米国の統計によると、揺
さぶられたことが原因で脳内出血した赤ちゃんの死亡率は、25〜50%、後遺症が残る確率
も30〜50%にのぼります」(日本私立病院ネット)とのこと。

 症例としては、強く揺さぶられたため、けいれんを起こした子ども(長野県)や、硬膜下血腫で
死亡した子ども(愛知県)などが報告されている(同ネット)。

 生後、6か月まで(母子健康手帳)、(日本私立病院ネットでは、1歳半くらまで)、子どもは、
静かに安静状態で、育てるのがよい。

 新生児を車に乗せて、ドライブをしてはいけない。
 新生児を突然、抱きあげては、いけない。
 新生児には、はげしい上下運動や回転運動を与えてはいけない。
(はやし浩司 母子健康手帳 揺さぶられっ子症候群 揺さぶられっこ症候群 母子手帳)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2112)

●性癖

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Uという大学教授が、電車内で
痴漢行為を働いたという理由で、
起訴され、その7回目の公判が
開かれた。

そのときの検察官とのやりとりが、
報道された(「スポーツ報知・新聞」)。

読んで、「すごい」というか、「あき
れる」というか……。

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 まず、そのやりとりから……。

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検察官(以下、検)「A(実名を挙げ)という女性を知っていますね。『もしキミがミニスカートをは
いて電車に乗っていたら痴漢されたい? きっと気持ちいいだろうね』と言ったことは」
 植草被告(以下、植)「記憶してないが…はい」

 検「B(また実名で)という女性を知っていますね。セーラー服を着せて性交渉したことは」
 植「1、2回あったかと」

 検「逮捕後、100万円渡さなかったか」
 植「弁護士を通じて渡した」

 突然出された女性の実名に驚いたのか、U被告は紺色のハンカチを握りしめ、不自然にま
ばたきを繰り返すなど、動揺を隠せなかった。

 検「痴漢プレーをすることが好きか」
 植「一般的に言えば性的な関心の中にはあるが、特にこだわっているわけではない」

 検「女性にセーラー服を着せて痴漢プレーをしたことがあるか」
 植「何度かある」

 検「後ろからか前からか、どちらから触るか」
 植「はっきりと覚えていないが、後ろだったような気がする」

 検「洗面台の前で、紺色のスカートをまくり、パンティーの上からお尻をなでまわしたことは」
 植「昔にはあったかと思うが…」

 検「ベッドルームでチェック柄のスカートをはかせ、スカートの中に手を入れるプレーは」
 植「昔はあったかも」

 検「その様子をデジカメで撮影したことは」
 植「最近はそれほど多くないが、昔は少しあった」

 検「証拠とかを見ると、7回ぐらいはある?」
 植「それぐらいかも」

 U被告が答えると、検察官は間髪入れずに次の質問をぶつけ続けた。U被告の耳は真っ赤
になり、何度も鼻の下を指でこするしぐさを見せた。

 検「平成11年、12年に、神保町で電車内の痴漢を題材にしたビデオを買ったか」
 植「古いことだが、あったと思う」

 検「不忍池近くのアダルトショップで制服を買ったか」
 植「買ったと思う」

 検「1万2000円から1万3000円か」
 植「値段は覚えていない」

 検「人目を避けようと、帽子をかぶってマスクをつけて変装したか」
 植「あったかもしれない」

 裁判の最後に、裁判長が「検察の質問は、女性が検察官に対して述べたことに対して質問し
ている。明確に記憶に反することはあるか」と問うと、U被告は「なかったです」と力なく答えた。

 次回公判は6月18日。弁護側は、事件の目撃者を証人として呼ぶ予定だ。この日は押され
気味だったU被告だが、目撃者の証言が"反撃"材料となるかが注目される(スポーツ報知)。

++++++++++++++

 男には、それぞれ、特有の「性癖」というものがある。男だからみな、同じというわけではな
い。女性の方には、理解しがたいことかもしれないが、Uという大学教授がそうだかからといっ
て、私も含めて、「男はみな同じ」とは、どうか、思わないでほしい。

 たとえば男というのは、まず視覚で刺激を受ける。それについても、乳房や裸体で感ずる男
も多いが、女性の太ももや、お尻で感ずる人も多い。私が若いころ出会った男は、「女性の大
きな尻に感ずる」と言っていた。しかも「ブヨブヨに大きければ大きいほどいい」と。真顔だった。

 さらに性癖となると、それこそ千差万別。

 U大学教授は、「痴漢プレーフェチ」ということになる。フロイト流に解釈するなら、発達段階
で、「固着」が起きたことが原因と考えてよい。つまり正常な精神的発達を阻害する、何かがあ
った。それを原因とする抑圧感が、ゆがんだ(?)性癖を引き起こしたと考えられる。

 そのことはU教授の略歴を見れば、わかる。わかるが、ここでは省略。メチャメチャ頭のよい
人だったかもしれないが、精神の発達が、それにともなわなかった?

 で、その性癖だが、ここにも書いたように、千差万別。私のばあいは……、とは、ここでは書
けないが、私にもある。消去法的に書けば、私は、痴漢プレーには、興味がない。卑猥な空想
はよくするが、痴漢プレーは、ない。

 つぎに、セーラー服願望もない。……まわりくどい言い方はやめよう。たとえば私が見る卑猥
な夢は、99%、思春期のころから、いつも内容が同じ。こんな夢だ。

 私がどこかの温泉に入っている。そこへ女性たちが素っ裸で、ドヤドヤと入ってくる。私は見
て見ぬフリをする。ドキドキする。そう言えば、私のばあいは、(女性の裸体)と(風呂)が、性癖
の(核)をなしているように思う。

 で、その理由だが、一度、中学生のときにそういう経験をしたことがあって、それが、性癖の
タネになっているように思う。そのとき相手の女性たちは、私を「子ども」と見ていたようだ。私
がひとりでどこかの風呂に入っていたら、数人の若い女性たちが、素っ裸で、中に入ってきた。

 「正常」という言葉ほど、この世界ではアテにならないものはない。しかしこと「性」について
は、私は意外と、明るい世界を歩いてきた。若いころ、私とセックスした女性は、みな、異口同
音に、こう言った。「あんたとセックスすると、スポーツみたい」と。ラブホテルへ行っても、そこで
飛んだり、跳ねたりして遊ぶほうが、楽しかった。

 つまり色気がなかったということか? 

 しかし、U教授という人は、すごい人だ。あんなまじめな顔をして、……つまり、そういうことに
は、まったく興味はありませんというような顔をして、裏でそういうことをしていたとは! 人とい
うのは、外からわからないもの。

 この公判でのやりとりを読んで、私はそう思った。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今朝・雑感】(8月2日)

++++++++++++++

平和な日々。穏やかな日々。
何ごともなく過ぎていく日々。

そんな日々に、ふと退屈さを
覚える。

しかし私とて、いろいろ
問題をかかえている。しかし
見て見ぬフリ。知らぬフリ。

「まあ、こんなもの」と、自分で
自分を納得させる。考えない
ようにしている。

どうせ、なるようにしか、なら
ない。そのときは、そのとき。
そのときがきたら、そのとき、
考えればよい。

思いすごしと、取り越し苦労。
そんなことをするヒマがあったら、
一歩でも、前に向かって進んで
いく。

おはようございます!

++++++++++++++

●老後

 老後を考えたら、だれだって、ゆううつになる。何もよいことはない。今より、よくなることもな
い。そう言えば、先日、車の中から、1人の男性を見かけた。以前、町内会の仕事などで、いっ
しょに活動した人である。

 年齢は、私より1歳、年上。ごく最近まで、ある会社の部長をしていた。何かの催し会場でも、
よく出会った。が、その変わりように驚いた。ワイフが、「退職したのかしら?」と言った。そんな
感じだった。

 かつての精悍(せいかん)さは、どこにもなかった。大きく出た腹に、たるんだ体つき。大通り
の歩道を、ヨタヨタと歩いていた。車ですれ違っただけなので、声をかけることはできなかった。
急に、10歳ほど、老(ふ)けてしまった。私は、そんな印象をもった。

 つまりそれが私自身の近未来像でもある。40歳を過ぎると、まわりの景色は、急行列車にで
も乗っているかのように早く、流れていく。それが50歳を過ぎると、今度はそれが、特急列車
になる。「何とかして、時間を止めたい」と思う。しかし気がついてみると、その日は終わる。そ
の週は終わる。その月は終わる。

 こうして、私は、老後の世界へと否応なしに、入っていく。

 今、あるものは、何か? それをひとつずつ数えながら、それにしがみつく。家族、健康、財
産などなど。どれも、自分で守るしかない。たとえば健康にしても、大病を患ったとしても、世間
の人たちは、「そういうもの」「老人だから、しかたない」と、冷めた目で私をみる。仮に明日、私
が死んだとしても、みなは、こう言うだろう。「59歳か。少し若いかなあ」と。つまり、その程度。

認知症か何かになれば、なおさらである。「老人はそういうもの」という目で、私たちを判断す
る。だから、「自分で守るしかない」。が、それは同時に、私たちが断崖絶壁の上にある、細い
道に立たされることを意味する。

老後を生きるということは、そういうこと。何ともさみしい世界だが、それが今の私が直面する
(現実)ということになる。

●生きがい

 何度も書いてきたが、老後の(生きがい)は、統合性で決まる。今までの自分を認め、その延
長線上に自分をおく。そして(すべきこと)と、(していること)を、できるだけ一致させる。

 しかし(すべきこと)は、一朝一夕には決まらない。それこそ10年単位での基礎づくりが必
要。「老後になりました。だから明日からボランティア活動をします」というわけには、いかない。
私について言えば、こうしてモノを書くことが、(すべきこと)かもしれない。しかしそれとて、今の
私を支えるだけの力はない。

 書いていても、どこかもの足りない。「こんなことをしていていいのか」という疑問ばかりが、先
に立つ。「やるべきことがちがうのでは?」と思うこともある。しかしそれが生きがいになってい
ることも、事実。

 数日前は、パソコンのモニターを新しいのにかえた。この世界は、まさに日進月歩。パソコン
雑誌は、毎週のように買っている。今、ほしいものを並べたら、キリがない。使っているソフト
の、バージョンアップ版となると、それだけで10個くらいになる。つまり今の私から、それを取り
除いたら、私は、ただのもぬけのカラ。

 私は私で、とにかく、前向きに生きていくしかない。迷っているヒマはない。体をきたえ、脳み
そを刺激し、わずかな財産だが、それを運用していく。

 ……というような中身のない文章しか書けないが、しかしこんな文章でも、ひょっとしたら、だ
れかの役にたつことがあるかもしれない。そう思うことが、回りまわって、私の(生きがい)にな
る?

●今日の目標 

 そこで今日の目標。前から一度、してみたいと思っていたことがある。

 私は毎日、楽天のほうで、日記を書いている。その日記へのアクセス数が、少し前、20万件
を超えた。そのあとも、毎日、200〜300件ほどある。

 楽天の日記というのは、日記を書いてアップロードすればするほど、アクセス数がふえる。た
とえば1日に、3〜4回、アップロードすれば、200件ほど。5〜6回、アップロードすれば、300
件ほどになる。

 どこかで「新作」として、紹介されるためではないか。

 そこで今日こそ、本当に今日こそ、それを500回にしてみたい。500回を超えれば、アクセ
ス数で、トップ10に入ることができる。記録に残って、どこかで紹介される。

 たまたま今日は、昼までヒマ。台風が近づいてきているから、外出もしない。だから500回に
挑戦するには、よい機会だ。

 やってみよう! おもしろそうだ!

 ……ということで、それが今日の目標になった。

●老後

 老後を考えたら、だれだって、ゆううつになる。しかし、そんな自分に負けていても、しかたな
い。とにかく私は、今、ここで生きている。生きている以上、生きていくしかない。そしてどうせ生
きるなら、前向きに、楽しく生きていく。

 「前向き」ということは、何でも先取りで、という意味である。けっして、あと回しにはしない。とく
に楽しいことは、どんどん先取りしていく。

(1)映画『トランスフォーマー』が、4日、封切りになる。今日からチケットが発売になる。だから
今日、それを買いに行く。

(2)株価の動向を見ながら、世界経済についての原稿を書いてみる。もし円高がさらに進んだ
ときには、外債は、(買い)。株は、(塩づけ)。

(3)昼食は、ワイフと外食。外食といっても、どこかでパンを食べたい。佐鳴湖の近くに、よいレ
ストランがある。そこへ行く。

 ……いつものように、「老後なんて、クソ食らえ!」と叫んで、ともかくも、今日も始まった。時
刻は、午前5時半! 朝食までに、数本、原稿が書けそう。バンザ〜イ!

 今日も健康だ。家族も元気だ。脳みそも快調。ワイフとの関係も良好。

 みなさん、おはようございます! 私もがんばります。ですからみなさんも、がんばってくださ
い。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2113)

●夫婦の相補性

++++++++++++++

夫婦が円満に暮らすためには、
相補性が必要である。

たがいにたがいを補いあう。それ
を「相補性」という。

++++++++++++++

 仲のよい夫婦を観察してみると、そこにはひとつの共通点があるのがわかる。「相補性」とい
う共通点である。たがいにたがいを補いあう。それを「相補性」という。

 たとえば1人の人間には、得意な点もあれば、不得意な点もある。良点もあれば、欠点もあ
る。そうしたもろもろの(点)を、たがいに補いあう。それが歯車のように、しっかりとかみあう。
それが「相補性」ということになる。

 もし夫婦のどちらも、勝ち気で社交的ということになれば、衝突から離婚……ということにな
る。タレントどうしの結婚を例にあげるまでもない。が、そういう夫婦でも仲良くやっているという
ケースもなくはないが、しかしよくよく観察してみると、ここでいう相補性があることがわかる。

 反対に言うと、夫婦が円満であるためのコツは、いかにしてその相補性をつくるかということ
にもなる。

 これは私たち夫婦のばあいだが、私は車の運転免許証をもっていない。いろいろ理由はあ
るが、私は車には、興味がない。だからワイフが近くにいないと、身動きが取れない。たとえ夫
婦げんかの最中でも、頭をさげなければならないときは、さげる。しかたないから、さげる。これ
も相補性のひとつということになる。

 車を運転できない私を、ワイフが補ってくれる。

 つまり夫婦というのは、たがいに無数の相補性をもっている。結婚生活が長ければ長いほ
ど、歯車の数もふえ、そしてそれぞれの歯車が、しっとりとかみ合うようになる。私が担当すべ
きところは、私が担当する。半面、ワイフに任すべきところは、ワイフに任す。一方、身を引くと
ころは、引く。

 車の運転を例にあげるなら、車の運転は、ワイフに任せておけばよい。こうしてたがいの相
補性を、さらに濃密にしていく。

 が、それだけではない。

 相補性には、それぞれの分野で、主従関係をもつ。車を運転するワイフが、(主)であるとす
るなら、乗せてもらう私は、(従)ということになる。一方、仕事、収入という面では、私が(主)で
あるとするなら、家計を管理するワイフは、(従)ということになる。

 この主従関係をうまくつくるのも、相補性を考える点で大切である。「夫が主で、妻が従」とい
うのではない。それぞれの分野で、主従関係をつくる。つくるというより、自然にできる。もっと
も、だからといって、私たち夫婦が、仲がよいというわけではない。

 要するに、私はワイフなしでは生きていかれないし、一方、ワイフは、私なしでは生きていか
れない。そういうたがいの関係が、ときに(あきらめ)につながり、ついで(妥協)につながる。総
じていえば、結婚生活などというものは、そういうもの。またそれができる夫婦のことを、「仲の
よい夫婦」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 夫婦
の相補性 仲のよい夫婦 仲の良い夫婦)


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●没個性化時代

+++++++++++++

私のように実名を公表して
日記を書いている人は、少ない。

楽天日記のほうでも、実名を
公表して日記を書いている人は、
いない。

少なくとも、私は、そういう人を
知らない。

みな、偽名か、ハンドル名を使って
書いている。

「あとあとのトラブルを避ける
ため」ということらしい。

+++++++++++++

 実名を公表して日記を書くのと、実名を伏せ、どこのだれかもわからないようにして日記を書
くのとでは、(責任)という意味で、内容がまるでちがってくるのでは?

 私自身は、匿名でモノを書いたことがないので、反対に匿名でモノを書く人の気持ちが理解
できない。匿名ということは、「私」を伏せること。つまり匿名でモノを書くということは、どこかで
私自身を否定することになる(?)。

 そこまでおおげさに考える必要はないのかしれないが、どうせモノを書くなら、実名で、堂々と
書けばよい。……と私は、思う。

 しかし現代社会は、まさに匿名の時代。個性を一方で主張しながら、他方で、没個性化が進
んでいる。その両者が、奇妙なバランスを保っている。わかりやすく言えば、みなの目の届くと
ころでは、個性化が進み、目の届かないところでは、没個性化が進んでいるということ。ここに
あげた楽天日記も、その一例ということになる。

 もちろん問題がないわけではない。なぜ匿名を使うかといえば、「あとあとのトラブルを避ける
ため」ということらしい。しかしこのことを反対に考えると、「匿名を使えば、何だって書ける」とい
うことになる。しかしこの考え方は、フェアではない。また匿名で書かれた意見には、ほとんど
価値がない。

 ただ、こと私に関して言えば、こうして実名を公表して日記を書いていることについて、今のと
ころ、大きな問題が起きたことはない。この世界には、「炎上」という言葉すらある。何かへたな
ことを書いて、不特定多数の人たちから袋叩きにあうことをいう。

 そういう例は多い。そのためマガジンを廃刊にした人もいる。HPを閉鎖した人もいる。週刊
誌でたたかれ、そのまま息をひそめてしまった人もいる。

 私も、ときどき、そういう抗議めいたメールをもらうことがある。悪口を書いたわけではない
が、人によっては、悪口に見えるときもあるらしい。「父の実名を出すな」とか、「おやじの悪口
を書くな」と言ってきた人もいた。

 しかしそんなことを、いちいち気にしていたら、モノなど書けない。モノを書くということは、この
広い宇宙で、しかもその宇宙の一瞬を生きたという、私自身の証(あかし)を残すこと。だれが
どう思おうが、そんなことを気にしてはいけない。気にするほうがおかしい。

 もちろんだれかを誹謗(ひぼう)したり、中傷したりすることは許されない。そんなことは常識。
その常識さえ踏みはずさなければ、何も心配することはない。で、私のばあい、つぎのような鉄
則を自分に対して、言い聞かせている。

(1)他人を批判するときは、実名はぜったいに書かない。(政治家のような公人は別。)
(2)批判したことがある人とは、縁を切る。(一方で批判しながら、他方で仲よく(?)交際する
などという器用なことは、私には、できない。)
(3)教育論を書くときは、いくつかの話をまぜたり、あるいは分断したりして書く。(これも常
識。)

 ただ相手の人は私のことが気になるのか、私の日記を読んだりしている。しかしそれはその
人の勝手。楽天日記のほうでは、いつ、何時何分に、だれが読んだか、それがわかるしくみに
なっている。それを見て、「ああ、またあの人が読んでいるな」と、私はわかる。

 ……というわけで、私はこれからも、「はやし浩司」の名前で、書く。書いて書いて、書きまく
る。私と「討論」ならぬ、「書論」したいという人がいたら、いつでも受けて立つ。匿名でモノを書く
ような、卑怯なことは、私はしない。したくない。

 没個性化ということは、私にとっては、時間の無駄以外の、何ものでもない。

(付記)ここまで書いて、楽天日記へのアクセス数は、午前7:10で、96件になった。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【キレる子ども】(特集)

+++++++++++++

夏場になると、キレる子どもが
多くなる。

暑いせいか?

しかしそれだけとは言えない。

以前書いた原稿を、手なおして
して、ここに掲載する。

+++++++++++++

●暴れまわる子ども(キレる子ども)

++++++++++++++++++

アメリカのBLOGサイトに、こんな
相談があった。

預かっている子どもについての相談だが、
暴れまわって、困るという内容のもの。

Bulletin Board for EDSPC 753より転載。

+++++++++++++++++++

We have had custody of my 6 year old stepson for 9 months now, and I am truly worn out 
and need help ASAP. I went to the school today to pick him up for a doctor appointment 
(for his behavior & yes he is on medications for this)and upon seeing me in the hallway he 
became hysterical and ran in the oposite direction screaming. The principal and I caught up 
with him and he began punching, kicking, slapping, biting, and pulling several handfulls of my 
hair out of my head before the principal could restrain him. When he seemed calmed a bit i 
tried to calmly let him know that I was just picking him up for his doctor's appointment, at 
that point he kicked me in the face and continued to scream as loud as he could, disrupting 
several classrooms. The principal tried to carry him out to my vehicle, but once in he began 
kicking the daylights out of my car, he then got out and threw himself on the ground 
screaming. Please tell me what in the world to do and how should this be handled if it should 
occur at school again. The only facts we know about his life with his real mother is that she 
admitted in court to having heavily used methamphetamines daily throughout the 
pregnancy. I am not a teacher, but I fell terrible that the staff at his school had to go 
through this. He had an episode eight weeks ago where he did the same thing to his teacher 
that he did to me, I am in fear that his abuse will only escalate. He is scheduled for a psych 
evaluation in Tacoma in 2 weeks, please give me advice for the mean time, we have 5 other 
well behaved children in our home, how do I keep them safe?

6歳の子どもを預かるようになって、9か月になる。私は本当に疲れた。今日も、ドクターの診
察を受けるため、学校へ子どもを迎えに行った。

玄関で私を見るやいなや、子どもはヒステリックになり、反対方向へ走って逃げていった。校長
と2人で、追いついたものの、殴ったり、蹴ったり、ひっぱたいたり、髪の毛を引っぱったりし
た。少し落ち着いたところで、今日は、病院へ行くだけだと話して聞かせた。

そのときも、私の顔を蹴り、大声で泣き叫び、いくつかの教室の授業を混乱させてしまった。ど
うしたらよいのか、どうか、教えてほしい。また学校で同じようなことが起きたら、どうすればよ
いのか。8週間ほど前も同じようなことをしたとき、このままエスカレートしたら、どうしようかと悩
んだ。

彼は、タコマで、心理教育を受けることになっている。この間、どうすればよいのか、教えてほし
い。私のところには、ほかにも5人の子どもを預かっているが、みな、行儀がよい。

++++++++++++++++++++

ある教育者からの返事

++++++++++++++++++++

It sounds like you are dealing with an extremely difficult situation. So far the other 
suggestions posted by Dina and Bear should be helpful. I have two more techniques that 
may be helpful for your stepson. One technique that you might want to try is creating a 
behavior contract with your stepson. First, you can figure out what behaviors you would like 
to see him exhibit in school and at home. Some suggestions would be he needs to draw 
when he is feeling angry or he needs to follow directions the first time that they are given. 
Set a time frame for each time you or the teacher will be evaluating his behavior. Start 
small to encourage his success with the technique. You might want to say, if you can do this 
for 30 minutes you will receive a reward. And, keep track of whether or not he is exhibiting 
this behavior every 30 minutes. You will talk to him about what kinds of rewards he is willing 
to work for. If he loves to play with his toy trucks maybe you can use extra play time as a 
reward or getting to watch a favorite movie. It is important to figure out what rewards 
matter to him. You can find more information on using behavior contracting on this website. 
Go to the main behavioradvisor.com screen and you will find the link for contracts. 

たいへん困難な状況にあると思う。先にコメントを書いた、DさんやBさんの意見も、役に立つ
でしょう。で、私は、役にたつであろう2つの技術をもっている。

1つは、まず試してみるべきことは、その子どもとの、(行動契約)を結ぶこと。まず、学校や家
で、彼がどうあるべきかを、あなたがそれを具体的に頭の中で描いてみる。彼が怒っていると
きや、最初に指示に従う必要にあるとき、どうするかを決めるのもよい。それぞれのときに、時
間のワクをつくれば、先生が、子どもの行動を(客観的に)評価するだろう。

もし30分以内にできれば、ほうびを与えるなどとする。30分ごとに、その契約が守れるかどう
かを、観察する。またその子どもがどのようなほうびを求めているかを、子どもと話しあう。たと
えばおもちゃのトラックと遊びたいとか、好きな映画を見たいというのであれば、それらをほうび
とする。その子どもが何をしたがっているかを知ることが、重要。

このサイトで、(行動契約)についてのさらなる情報を、手に入れることができる。そちらを訪問
してみたらよい。

The second technique that you might want to try is having your stepson self monitor his 
own behavior. You will start out when he is calm to identify a behavior that you would like to 
encourage. Be confident in his ability to master this technique. It may sound unlike you, but 
give him excessive amounts of your confidence that he can master this behavior. Many 
children take their cues from the adults in their lives. Once you have figured out what 
behavior you will be working on, create a sheet with smily faces and frowning faces. At 
designated times, ask him to circle the smiling face if he is exhibiting this behavior or the 
frowning face if he is not. This will build his own motivation to exhibit appropriate behaviors. 
And, celebrate when he is improving!!! I know this can be difficult to do, as some of the 
improvements will seem small in relation to the problems; however, it is good for you and 
him to recognize when changes are occuring. 
It seems like you are really commited to helping this child and he is lucky to have such a 
stable adult in his life. Good luck with this situation. 

Keely

2番目の技術は、子ども自身の行動について、自己監視させること。子どもがあなたから見
て、落ち着いていて、好ましい状態にあるときから、始める。この技術をマスターするための能
力が子どもにあると、自信をもつこと。

子どもが自分で自分を管理できると、あなたが、(今のあなたには、そうではなくても)、自身を
もっていることを、子どもに強く印象づける。多くの子どもたちは、彼らの生活において、おとな
たちから、その手がかりを得る。どんな様子が望ましいかがわかったら、(ニコニコマーク)と
(しかめっつらマーク)を描いたシートを用意する。

このことで、子どもに自覚を促す。そしてうまくいったときは、その子どもをほめたたえる。この
ことはむずかしいことは、わかっている。この問題に関しては、進歩は、少ないだろう。しかしあ
なたとその子どもにとって、変化が起きつつあることを気がつくためには、よい。その子どもに
とって、あなたのような安定したおとなをもっているということは、すばらしいことだ。

++++++++++++++++++

●子どもの過剰行動性について

 子どもの突発的な過剰行動性、いわゆるキレる子どもについては、いろいろな分野から考察
が繰りかえされている。

 大脳の微細障害説、環境ホルモン説、食生活説など。それらについて、数年前に書いた原
稿を、ここに添付する。

++++++++++++++++++

【子どもがキレるとき】

●ふえるキレる子ども

 2000年、全国の教育委員会から報告された校内での暴力行為は、前年度より11.4%
ふえて、34595件に達したことがわかった(文部科学省)。「対外的に問題の見られなかった
子どもが、突発的に暴力をふるうケースが目立つ」と指摘。同省・児童生徒課は、キレる子ども
への対応の必要性を強調した(中日新聞)。

 暴力行為が報告された学校の割合は、小学校が全体の2・2%だったが、中学校が35・
8%、高校が47・3%にのぼった。また学校外の暴力行為は、小中高校で、計5779件だっ
た。私が住む静岡県でも、前年度より210件ふえて、1132件だった。マスコミで騒がれること
は少なくなったが、この問題は、まだ未解決のままと考えてよい。

 こうしたキレる子どもの原因について、各方面からさまざまな角度から議論されている。教育
的な分野からの考察については言うまでもないが、それ以外の分野として、たとえば(1)精神
医学、(2)栄養学の分野がある。さらに最近では(3)環境ホルモンの分野からも問題が提起さ
れている。これは、内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)が、子どもの脳に影響を与え、それ
が子どもがキレる原因の一つになっているという説である。以下、これらの問題点について、
考えてみる。

(1)精神医学の分野からの考察

●躁状態における錯乱状態 

 キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」と位置づけられてい
る。躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・1856〜1926)だが、一般的には
躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって交互に、あるいはケースによって
は、重複して起こることが多いからである。それはそれとして、このキレた状態になると、子ども
は突発的に攻撃的になったり、大声でわめいたりする。

(これに対して若い人の間では、ただ単に、激怒した状態、あるいは怒りをコントロールでき
なくなった状態を、「キレる」と言うことが多い。ここでは区別して考える。)私にもこんな経験
がある。

●恐ろしく冷たい目

 子どもたち(小3児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君は、まっ
たく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が突然、暴れ出し
た。突然というより、激変に近いものだった。ギャーという声を出したかと思うと、周囲にあった
机とイスを足げりにしてひっくり返した。瞬間私は彼の目を見たが、その目は恐ろしいほど冷た
く、すごんでいた……。

●心の緊張状態が原因

 よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定な状態そのものを問題にする人がいる。し
かしそれはあくまでも表面的な症状に過ぎない。情緒が不安定な子どもは、その根底に心の
緊張状態があるとみる。その緊張状態の中に不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一
挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。先のF君のばあいも、「問題が解けなかった」とい
う思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状態のところに、「先生に何かを言われるのではない
か」という不安が入りこんで、一挙に情緒が不安定になった。

言いかえると、このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を許さな
い。
周囲に気をつかうなど。表情にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、そ
の裏
で心をゆがめる子どもは少なくない。

これを心理学の世界では、「遊離」という。「遊離現象」というときもある。心(情意)と表情がミス
マッ
チを起こした状態をいう。一度こういう状態になると、教える側からすると、「何を考えているか
わか
らない子ども」といった感じになる。

 その引き金となる原因はいくつかあるが、その第一に考えるのが、欲求不満である。欲求不
満が日常的に続くと、それがストレッサー(ストレスの原因)となり、心をふさぐ。その閉塞感が、
子どもの心を緊張させる。子どもの心について、こんな調査結果がある(98年・文部省調査)。

 「いらいら、むしゃくしゃすることがあるか」という質問に対して、小学6年生の18.6%が、
「日常的によくある」と答え、59.8%が、「ときどきある」と答えている。その理由としては、

(1)友だちとの人間関係がうまくいかないとき……51.8%
(2)人に叱られたとき……45.7%
(3)家族関係がうまくいかないとき……35.5%
(4)授業がわからないとき……34.1%
(5)意味もなくむしゃくしゃするときがある……18.5%

また「不安を感ずることがあるか」という質問に対しては、やはり小学六年生の7.8%が、「日
常的によくある」と答え、47.7%が、「ときどきある」と答えている。その理由としては、

(1)友だちとの関係がうまくいかないとき……51.0%
(2)授業がわからないとき……47.7%
(3)時間的なゆとりがないとき……29.3%
(4)落ち着ける居場所がないとき……22.4%
(5)進路、進学について……20.4%
 
 この調査結果から、現代の子どもたちは、およそ20人に一人が日常的に、いらいらしたり、
むしゃくしゃし、10人に一人が日常的にある種の不安を感じていることがわかる。

●子どもの欲求不満

 子どもの欲求不満については、その原因となるストレスの大小はもちろんのこと、それを受け
取る子ども側の、リセプターとしての問題もある。同じストレスを与えても、それをストレスと感じ
ない子どももいれば、それに敏感に反応する子どももいる。そんなわけで、子どものストレスを
考えるときは、対個人ではどうなのかというレベルで考える必要がある。それはさておき、子ど
もは自分の欲求が満たされないと、欲求不満になる。この欲求不満に対する反応は、ふつう、
次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態あ
り、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と
話しかけただけで、包丁を投げつけた女の子(年長児)がいた。

私が「今日は元気?」と声をかけて、肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりに
した女の子(小5)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言
を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考えることが
できる。

(2)退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったりする(退行性)。あるいは誰かに依存しようとする(依存
性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱
るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

(3)固執・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったりする(固執性)。あるいはささいなことを気にして、悶々と悩ん
だりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。
最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえ
りを起こす。ある男の子(小5)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、ま
だ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子ど
もはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」
と。

 ものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすための代償行為と考えるとわかり
やすい。よく知られているのに、指しゃぶりや、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで指の
快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。

 キレる子どもは、このうち、(1)攻撃・暴力タイプということになるが、しかし同時に退行性や
依存性、さらには固着性や執着性をみせることが多い。 

●すなおな子ども論

 補足だが、従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しかしそれ
は誤解。教育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している子どもを、す
なおな子どもという。うれしいときにはうれしそうな表情をする。悲しいときには悲しそうな表情
をする。しかし心と表情が遊離すると、ここに書いたようにそれがチグハグになる。ブランコを
横取りされても、ニコニコ笑ってみせたり、いやなことがあっても、黙ってそれに従ったりするな
ど。

中に従順な子どもを、「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、よく
できた子どもというのは、いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの子どもは大き
なストレスを心の中でため、そのためた分だけ、別のところで「心のひずみ」となって現われる。
よく知られた例として、家庭内暴力を起こす子どもがいる。このタイプの子どもは、外の世界で
は借りてきたネコのようにおとなしい。

●おだやかな生活を旨とする

 キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追いこまないように、穏やかな生活を何よ
りも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、(1)濃厚な
スキンシップをふやし、(2)食生活の面で、子どもの心を落ち着かせる。カルシウム、マグネシ
ウム分の多い食生活にこころがけ、リン酸食品をひかえる。リン酸は、せっかく摂取したカルシ
ウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。もちろんストレスの原因(ストレッサー)
があれば、それを除去し、心の負担を軽くすることも忘れてはならない。

●子どもの感情障害

 ほかに自閉症やかん黙児、さらには小児うつ病など、脳に機能的な障害をもつ子ども、さら
に近年問題になっている集中力欠如型多動性児(ADHD)は、感情のコントロールができない
ことがよく知られている。これらのタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、突発的に(1)
激怒する、(2)興奮、混乱状態になる、(3)暴言を吐いたり、暴力行為に及ぶ。攻撃的に外に
向って
暴力行為を及ぶタイプを、プラス型、内にこもり混乱状態になるのをマイナス型と私は分けてい
る。どちらにせよその行動は予想がつきにくく、たいていは子どもの「ギャーッ」という動物的な
叫び声でそれに気づくことが多い。こちらが「どうしたの?」と声をかけるときには、すでに手が
つけられない状態になっている。

(2)栄養学の分野からの考察

●過剰行動性のある子ども

 もう20年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によ
るナイフの殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取り
あげられたことがある(98年)。

日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、この分野の研究者
として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。話
を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱していて、
その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意すると、
H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動性も
気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興奮
状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなった。
私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。

仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親
から質問されてもそれを口にすることは許されない。診断については、診断基準や治療方法、
あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクタ
ーを紹介することはあっても、その段階で止める。この過剰行動児についてもそうで、内心で
は過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げること
は、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次
の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

 ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気
力、(3)疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという
(朝日新聞98年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子ども
にも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞っ
たとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。この二つの命令がバランス
よく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低血糖になると、このうちの抑
制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。先のH君
の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、
それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度
激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。体内のカ
ルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の発育が不
良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた回復が遅く
なるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カ
ルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいとい
うのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」81年7号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる問題
行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている白
砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知
り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰
ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫ん
だというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それ
から数日後。今度はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、
ちょうど一週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応が
まるでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょう
か」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒス
テリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与するだけでなおる」(「マザーリング」81年7
号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与
えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本
与えるということは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを4本は
飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。
 
●多動児(ADHD児)との違い

 この過剰行動性のある子どもと症状が似ている子どもに。多動児と呼ばれる子どもがいる。
前もって注意しなければならないのは、多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)の診断基
準は、2001年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏ら委託し
て、そのひな型が作成されたばかりで、いまだこの日本では、多動児の診断基準はないという
のが正しい。つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということにな
る。一般に多動児というときは、落ち着きなく動き回るという多動性のある子どもをいうことにな
る。そういう意味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここでは区別して
考える。

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」)
は、次のようになっている。

(チェック項目)
1行動が幼い
2注意が続かない
3落ち着きがない
4混乱する
5考えにふける
6衝動的
7神経質
8体がひきつる
9成績が悪い
10不器用
11一点をみつめる

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる……1点、
当てはまらない……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動児が
多動児なのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。教師による抑えがきけば、
多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動児は行動が突発的に過剰になるとい
うだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別される。また活発型の自閉症
児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状であって、主症状ではないという点で、こ
の多動児とは区別される。またチェック項目の中の(1)行動が幼い(退行性)は、過保護児、
溺愛児にも共通して見られる症状であり、(7)神経質は、敏感児、過敏児にも共通して見られ
る症状である。さらに(9)成績が悪い、および(10)不器用については、多動児の症状というよ
りは、それから派生する随伴症状であって、多動児の症状とするには、常識的に考えてもおか
しい。

ついでに私は私の経験から、次のような診断基準をつくってみた。

(チェック項目)
1抑えがきかない
2言動に秩序感がない
3他人に無遠慮、無頓着
4雑然とした騒々しさがある
5注意力が散漫
6行動が突発的で衝動的
7視線が定まらない
8情報の吸収性がない
9鋭いひらめきと愚鈍性の同居
10論理的な思考ができない 
11思考力が弱い

 このADHD児については、脳の機能障害説が有力で、そのために指導にも限界がある……
という前提で、それぞれの市町村レベルの教育委員会が対処している。たとえば静岡県のK
市では、指導補助員を配置して、ADHD児の指導に当っている。ただしこの場合でも、あくまで
も「現場教師を補助する」(K市)という名目で配置されている。

(3)環境ホルモンの分野からの考察

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった一八名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)な
ものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではな
く、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会的適応
性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。

つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。が、これで驚いて
いてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の発達を阻害す
る。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を引き起こす。
多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の
生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具
体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーン
ピース・JAPAN)のだそうだ。

 この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳
に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す
る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

(4)教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。しか
しながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないままキレる子ど
もの議論だけが先行している。ただその原因としては、(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応
する子どもの過負担。(2)学歴社会、そしてそれに呼応する受験競争から生まれる子ども側
の過負担などが、考えられる。こうした過負担がストレッサーとなって、子どもの心を圧迫する。
ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性である。最近の子どもは、飽食とぜいたくの

で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わずかな負担だけで、それを過負担と感じ、
そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させてしまう。親の期待にせよ、学歴社会にせ
よ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度は容認されるべきものであり、こうした
環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできない。これらを整理すると、次のようにな
る。

(1)環境の問題
(2)子どもの耐性の問題。

 この二つについて、次に考える。

●環境の問題
●子どもの耐性の問題

終わりに……

以上のように、「キレる子ども」と言っても、その内容や原因はさまざまであり、その分野に応じ
て考える必要がある。またこうした考察をしてのみ、キレる子どもの問題を正面からとらえるこ
とができる。一番危険なのは、キレる子どもを、ただばくぜんと、もっと言えば感傷的にとらえ、
それを論ずることである。こうした問題のとらえ方は、問題の本質を見誤るばかりか、かえって
教育現場を混乱させることになりかねない。
(はやし浩司 キレる子ども 過剰行動性 突発的に暴れる子供 暴れる子ども)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2114)

●原油価格が1バレル、77ドル!

++++++++++++++

昨日(8月1日)、原油価格が、
1バレル、77ドルを記録した。

今日(8月2日)は、1ドルさがって、
76ドル。

一時は、30ドルを超えただけで
世界中が、大騒ぎした。

40ドルを超えただけで、
世界中が、大騒ぎした。

しかし今は、だれも騒がない?

77ドルだぞ!

おかしいぞ!

++++++++++++++

 原油価格が、77ドルになったということは、つまり、それだけドルの価値が下落したというこ
と。少し前まで30ドル近辺をウロウロしていたのに、あっという間に、77ドル! つまりドルの
価値が、半減したということ。ついでに日本の円の価値も、半減したということ。

 今、貯金を100万円もっている人も、国際市場での価値は、以前の50万円分しかない。わ
かるかな? 「半減した」というのは、そういう意味。つまりドル安と円安が、同時進行の形で、
今、進んでいる。

 これは日銀や巨額の赤字国債をかかえる政府にとっては、まことにもって、都合がよい。つ
いでに輸出産業にとっても、都合がよい。ただ困るのは、私たち、雲の下でうごめく、一般庶民
だけ。貯金が日に日に目減りしていることにさえ、気がつかないでいる。

 ああああ……。

 もう少し正確にデータを見てみよう。

 実は2006年7月に、一度、1バレル、78ドルを記録している。04年の半ばごろまでは、40
ドル前後だったので、このとき原油価格が、ほぼ2倍になったことになる(アメリカ・ニューヨー
ク・商業取引所)。

 それ以後原油価格は乱高下をつづけ、現在に至っている。そして昨日、再び、77ドル。

 理由はいろいろある。

 ひとつには、中国、インドでの需要が急速に高まっていること。つぎに石油輸出機構(OPE
C)が、06年の10月に、2年ぶりの減産を決定。「価格がさがれば、減産する」と言明したこと
などがあげられる。

 つまり原油価格は、さがらない! おかげで市中のガソリン価格も、目下、高騰中。現在1リ
ットルあたり、144〜145円前後(レギュラーガソリン)かな。石油価格があがれば、少し間を
おいて、物価もあがる。すでに石油価格を、商品価格に上乗せしている企業も出始めている。

 こういうとき私たちは、どうやってわずかな資産を守ったらよいのか? タンス預金など、愚の
骨頂。数年後には、札束が蒸発して、半分になると思ったほうがよい。

 では、どうすればよいのか? 円高が頂点になったころを見計らって、外債を購入する。ある
いは貴金属に投資する。不動産屋を営んでいる友人は、さかんに「土地を買え」と言っている。
が、土地は、投資には向かない。売買するたびに、税金(短期で40%前後、長期で20%前
後)がかかる。

 固定資産税にしても、約20年で、土地の価値と同じになる。つまり20年間固定資産税を払
いつづけたら、土地分の価格になるということ。もっとわかりやすく言えば、20年間土地を買っ
て放置しておいたら、それだけで、投資分はゼロになるということ。

とにかく政府(=財務省)は、あの手この手を使って、庶民の貯金を吸いあげようとしている。

 彼らは頭がいいぞ。だったら、私たちは、それ以上に頭をよくするしかない! つまり知恵くら
べ。

 フランスのパリで電車に乗ったら、初乗りが1000円だそうだ。つまり日本の円は、その程度
の価値しかない。原油が1バレル、77ドルになったというのは、そういうこと!

 そうそう、だからといって、あやしげな投資には手を出さないこと。つい数日前には、フィリッピ
ンでのエビ養殖に関する詐欺事件が発覚した。こうした詐欺事件は、間をおいて、定期的に
(?)、つぎつぎと起こる。

 みなさんも、くれぐれもご用心のほどを!
(8月2日記)

(付記)今日は午前中、原稿書きに時間を費やすことができた。楽天へのアクセス数は、現在
(午前11:50)、202件になったところ。やはり1日で、500件は無理のよう。このままだと、今
日も400件どまり。記録を作るのは、むずかしい。ホント!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【日韓経済戦争・最終ラウンド】

●韓国の2回目のデフォルト(国家破綻)に備えよ!

++++++++++++++++

韓国から外資が逃げ始めている。

株式市場でも、7月13日から
13取引日の間、売り越しが
つづいている。

同期間、外国人投資家は5兆
4100億ウォン以上を売り投げた
という(東亜N報)。 

そのため、韓国の株価は、暴落に
つづく暴落。

8月1日のコスピ指数は、
指数基準では史上3番目の規模で急落。

(7月27日、80ポイント下落。
8月1日、77ポイント下落。8月
2日現在、コスピ指数は、1856
ポイント。)

日韓経済戦争も終盤戦。
サッカーにたとえるなら、後半40分
というところか。

力では、日本が、はるかにまさるが、
闘志がちがう。韓国は、反日の旗印の
もと、反則フレーをものともせず、
日本陣営につっこんできた。

スコアは、0対0。

がんばれ、日本! 負けるな、日本!

++++++++++++++++

●外資が逃げ出している韓国

 ここへきて、韓国から外資が急速に逃げ出している。8月1日、韓国の株価は、77ポイントの
下落を記録した。アメリカの株価の下落の影響を受けたものだが、その前、韓国では理解に
苦しむ、奇妙なことが起きた。

 外人売りがつづいたにもかかわらず、株価は、ほとんど下落しなかった。

 これについて韓国の新聞は、いわゆる「(オバチャン軍団)の出動」と書きたてた。つまり民間
資金が株式市場に流れ込んだ、と。実際、韓国証券業協会は、先月31日付けで、韓国、国内
の証券市場での活動口座数は1000万9800口座と集計され、初めて1000万口を超えたこ
とを明らかにした。

 しかしこの説は、どう考えてもおかしい。現在、韓国の家計にしめる借入残高は、72兆円(韓
国銀行、06年度)にも達している。民間に、株価の暴落を下支えする余力は、ないはず。

 とすると、何か? 何が、韓国の株価を下支えしているか? 実は、ここに韓国経済の謎が
ある。韓国というと、完成された民主主義国家と見ている人は多い。しかし内情は、K国とそれ
ほどちがわない。とくに現在のN大統領率いるN政権は、イコール、K国と考えたほうがよい。

 実は、韓国では、ぞれぞれの企業が、株価がさがり始めると、自社株を買うという、日本では
到底考えられないようなことが、平気で行われている。(日本でもそれをすることはあるが、あく
までも株主の利益のために、する。)

 インサイダー取引などという、なまやさしいものではない。つまりこうして自社株の暴落を防
ぎ、それでもって投資家をだますという手口が、日常的になされている。

 こうして景気低迷にもかかわらず、韓国の株価は、つい先月(07年7月)、大台の2000ポイ
ントを超えた。しかしそれは、まさに一時の夢。ここにも書いたように、自社株購入という粉飾に
よるもの。それを知っているから、韓国から現在、外資は、猛烈な勢いで逃避し始めている。

●景気低迷化におけるウォン高

 韓国経済の実態は、現在、最悪の状態を迎えつつある。にもかかわらず、ウォン高。これは
どう考えてもおかしい。常識で考えれば、経済実態が悪くなれば、その国の通貨は下落する。
が、「ウォン高のまま」(韓国紙)。

 しかももっと不思議なことに、ウォン高になれば、韓国の輸出産業は打撃を受けるはず。現
に打撃を受けている。

 にもかかわらず、韓国政府は、ウォンを買い支えている。つまり韓国政府が、自ら、ウォン高
を下支えしていることになる。

 なぜか?

 実は、今、ウォン安になると困ることがあるからである。

 韓国は、今、外資の導入なしでは、にっちもさっちもいかない状態に追い込まれている。その
外資の中でも、日本の円(=円キャリー)なしでは、外資を釣るエサも手に入れることができな
い。

 韓国の企業や銀行は、日本から金利の安い(円)を借り入れて、それを国内で運用してい
る。今ここで、ウォン安、つまり円が円高に振れると、外資がいっせいに逃げ出す。そればかり
か、借りた金(マネー)は当然、返済しなければならない。その金利負担に耐える余力は、今の
韓国には、ない。

 韓国政府としては、金利を高止まりにした上で、(つまりウォン高にした上で)、外資を国内へ
呼び込まねばならない。わかりやすく言えば、高い金利をエサに、外資を呼び込んでいる。ウォ
ン安にしたとたん、外資は逃げる。

 だからウォン安にすることもできない。

●好調な貿易高、しかし国民の生活は苦しい

 韓国の貿易高(=輸出入額)は、規模では、日本の約2分の1にまで迫っている。N政権は、
お祭り騒ぎまで演出してみせた。

 しかしこれも、どうもおかしい。それほどまでの好景気にわいているなら、国民の生活はもっ
と楽になってもよいはず。が、実際には、先にも書いたように、韓国の国民1人あたりの借金額
は、ここ数年、うなぎ上りにふえている。(06年度は、05年度より、11%も増加。)

 数字だけを見ると、韓国の人たちは、借金に借金を重ねながら、現状を維持していることに
なる。しかし実際に、そんなことがありえるだろうか。

 実は、ここにも、韓国独特のカラクリ、つまりインチキが隠されている。

 たしかに貿易額は大きいが、収支は悪化している。とくに貿易外収支と呼ばれる部分が、悪
化している。たとえば韓国では、子どもを外国の大学や学校に留学させる人が多い。そうした
子どもも含めると、毎年、8万人近い韓国人が、韓国を捨てて外国に渡っている(2005年)。
日本の人口規模になおすと、24万人ということになる。(日本の人口は韓国の人口の約3
倍。)

 つまり貿易高、つまり経常収支では、日本の2分の1程度にまで迫ったが、資本収支を含め
てみると、そうは喜んでばかりはおれない。一応、資本収支は、全体としてみると、180億ドル
(06年)の黒字だが、そのほとんどは、外国からの短期借入金が占めている。

 わかりやすく言えば、外国(とくに日本)からの借金まで、資本収支に組み込んでしまってい
る。しかしこんなバカげた国が、ほかにあるだろうか。

 もし今、ここでウォン安、株安にでもなれば、またその兆候がみられれば、外資は、いっせい
に韓国から逃げ出す。

 つまり今が、そのとき。つまり、韓国の2回目のデフォルト(国家破綻)は近い。

●韓国の国家破綻に準備を!

 韓国の国家経済は、今まさに、デフォルトに向かって、まっしぐらにつき進んでいる。世界広し
といえども、5、6年のうちに、マンションや土地の価格が、3〜4倍になる国というのは、そうは
ない。(かつての日本が、そうだったが……。)

 しかもその資金は、外国(とくに日本)からに借入金でまかなっている。どこかで何かがコケれ
ば、ドミノ倒しのドミノのように、韓国の国家経済は、奈落の底へと落ちて行く。(これに対して、
日本のばあいは、当時、外国からの借り入れ金は、5%以下だったと聞いている。)

 実際、韓国の人たちは、土地を担保にお金を借り、そのお金でまた別の土地を買う。さらに
その土地を担保に、またお金を借り、つぎの土地を買うということを繰りかえしている。

 その平均金利は、200%(ハンギョレ新聞・07年1月)にもなるとか。

 ゾーッ! 200%だぞ! 日本では、サラ金規制法などにより、年間利息は、10数%前後に
抑えられているが、韓国では、年間66%まで、OK!

 そこで日本だが、韓国がデフォルトすれば、日本も影響を受ける。日本とて無事ではすまな
い。しかし、今度こそ、日本は、韓国に安易に助け船を出してはいけない。97年のデフォルト
のときは、日本は、IMF、世界銀行なども動かし、総額で500億ドルという金額で、韓国を助け
た。

 しかし、そんな恩義など、韓国には通用しない。しないことは、その後の韓国を見れば、わか
る。そればかりか、「利息をつけて返した」と威張っている。

 韓国は、日本にとっては、もっとも近い国かもしれないが、しかし日本にとっては、反日国家
であることも、忘れてはいけない。とくに現N政権は、最悪と評してもよい。

 さあ、日本よ、日本人よ、韓国のデフォルトに備えよう!

(付記)

 今朝(8月3日)の韓国の新聞によれば、次期大統領候補たちは、DNA鑑定まで受けている
という。「日本人の血が流れていないかどうかを、チェックするため」とか!

 韓国が国内で何をしようと、韓国の勝手。しかしもし日本が、反対の立場で同じことをしたら、
韓国の人たちは、どう反応するだろうか。在日朝鮮人の人たちでもよい。おそらく「差別!」と、
体をひっくりかえして、騒ぐにちがいない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 韓国
 デフォルト 国家破綻 国家破たん)

 
Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●奇妙な会見

++++++++++++++

今回の参議院議員選挙で、自民党は
大敗した。

その謝罪というわけでもないだろうが、
閣僚たちによる会見(?)が行われていた。
大臣が一列に並んで、テレビカメラの
前に座っていた。(7月31日)。

1人ずつ、カメラの前に出て、
それぞれが敗因を述べた。
ほとんどが謝罪めいた言葉を口にした。

異様な会見だった。私はそれを見ながら、
その途中で、ふと、「おや?」と思った。

「なぜ、閣僚たちが、1人ずつ、謝罪
するのか?」と。

++++++++++++++

 みんな、なぜ政治家になるのだろう? なりたがるのだろう? 選挙のときは、「お願いしま
す」「お願いします」と言って、街頭に立つ。そこを歩く人たちに頭をさげる。

 そんな商売(仕事)が、ほかにあるだろうか? どんな商売でもよい。会計士でも弁護士でも
よい。医師でもよい。そういう人たちが、街頭に立って、「お願いします」「お願いします」などと
言うようなことは、あるだろうか。

 第一にプライドが許さない。それに「お願いします」と言っても、何を願うのか、それすら、よく
わからない。「お金を儲けさせてくれ」という意味なのか。

 が、政治家たちは、見た目には平気で、街頭に立って、それをする。またそれをしなければ、
選挙に勝つことはできない。政治家たちは街頭に立ち、自分の意見を述べる。が、この段階で
も、政治家たちは、「私を政治家にしてください。お金をたくさん儲けたいです」とは、ぜったい
に、言わない。「権力がほしいです。政府専用機に乗って、世界を飛びまわりたい」などとも、ぜ
ったいに言わない。

 政治家たちは、みな、こう言う。「日本をよくしたい」と。だれかが、「選挙に出てくれ」と頼んだ
わけではない。自分から、選挙に出て、そう言う。

 すばらしいボランティア精神ではないか。「私」がどこにもない。つまり政治家という仕事は、
無私、無欲でなければ、とてもできない。だから街頭に立つことを、みじんも恥じない。堂々とそ
れができる。(ホントかな?)

 で、そこで選挙ということになるが、そういうボランティア精神が基盤にあれば、仮に選挙で敗
北しても、しかたのないこと。わかりやすく言えば、もとからゼロの人が、ゼロになっただけのこ
と。ボランティア活動に行こうとしたら、先方のほうから断ってきた。「来なくていいです」と。そう
いうとき、その人は、謝罪などするだろうか。

 だから謝罪すること自体、おかしい。謝罪されるほうも、困る。私が「おや?」と思った理由
は、こんなところにある。

 言いかえると、政治家たちが演出する、無私、無欲というのは、まやかしということになる。本
音の本音を言えば、彼らは自分のために政治家になっただけ(?)。中にはそうでない人もい
るかもしれない。しかしそういう人は、政治の世界では、最初の段階ではじき飛ばされてしま
う。

 たとえば以前、土建業から身をおこし、最後は建設大臣にまでなった人がいる。その人はさ
らにそのあと、収賄罪で逮捕、起訴され、有罪判決を受けている。最初から最後まで、どこかイ
ンチキ臭い男だった。つまりその人は、出世の道具として、政治を利用しただけ。

 皮肉なことに、そういう人のほうが、むしろ、わかりやすい。またそういう人なら、謝罪というこ
ともありえる。「すみませんでした。みなさんからせっかくワイロをいただきましたが、それにうま
く、お応えすることができませんでした」と。

 ……と考えていくと、政治家と呼ばれる人たちがしていることは、奇妙な仕事ということにな
る。何が目的なのか、それさえ、よくわからない。金(=マネー)でなければ、権力ということにな
る。しかし……。

 そんなに楽しそうな仕事にも見えない。政治家としての給料も、知れたもの。(実際には、どう
いうわけか、みなさん、莫大な財産を蓄えるようだが……。事務所経費という名目で、10年間
で9000万円も手に入れた大臣もいた。)

 ともかくも、私には奇妙な会見だった。私なら、「謝れ」と言われても、謝らない。どうして謝ら
なければならないのか。一生懸命尽くしたのだから、感謝されこそすれ、謝らなければならない
理由は、どこにもない。

 考えれば考えるほど、おかしな会見だった。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【子どもとストレス】

++++++++++++++

精神的なストレスが慢性的に
つづくと、それが原因となって、
脳の機能に変調をきたすことが
ある。

わかりやすい例に、子どもの夜尿症
がある。

夜尿症についても、最近では、
(と言っても、もう10年近くも
前からのことだが……)、大脳生理学
の分野で説明されるようになって
いる。

脳みそというのは、睡眠中は、尿の
生産を停止する。睡眠のさまたげに
なるからである。

その停止機能が変調して、夜尿症に
つながると考えるとわかりやすい。

+++++++++++++++

●子どものおねしょ(夜尿症)とストレス

 いわゆる生理的ひずみをストレスという。多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが
多い。

たとえば急激に緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキ
ドキし、さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発にな
る。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振や性機
能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」(新井康
允氏)という。こうした現象はごく日常的に、子どもの世界でも見られる。

 何かのことで緊張したりすると、子どもは汗をかいたり、トイレが近くなったりする。さらにその
緊張感が長くつづくと、脳の機能そのものが乱れ、いわゆる神経症を発症する。

ただ子どものばあい、この神経症による症状は、まさに千差万別で、定型がない。「尿」につい
ても、夜尿(おねしょ)、頻尿(たびたびトイレに行く)、遺尿(尿意がないまま漏らす)など。

私がそれを指摘すると、「うちの子はのんびりしています」と言う親がいるが、日中、明るく伸び
やかな子どもでも、夜尿症の子どもはいくらでもいる。(尿をコントロールしているのが、自律神
経。その自律神経が何らかの原因で変調したと考えるとわかりやすい。)同じストレッサー(スト
レスの原因)を受けても、子どもによっては受け止め方が違うということもある。

つまり子どもによって、それぞれ認知プロセス(=ストレスに対する耐性)は異なる。

 しかし考えるべきことは、ストレスではない。そしてそれから受ける生理的変調でもない。(ほ
とんどのドクターは、そういう視点で問題を解決しようとするが……。)

大切なことは、仮にそういうストレスがあったとしても、そのストレスでキズついた心をいやす場
所があれば、それで問題のほとんどは解決するということ。ストレスのない世界はないし、また
ストレスと無縁であるからといって、それでよいというのでもない。

ある意味で、人は、そして子どもも、そのストレスの中でもまれながら成長する。で、その結果、
言うまでもなく、そのキズついた心をいやす場所が、「家庭」ということになる。

 子どもがここでいうような、「変調」を見せたら、いわば心の黄信号ととらえ、家庭のあり方を
反省する。手綱(たづな)にたとえて言うなら、思い切って、手綱をゆるめる。一番よいのは、子
どもの側から見て、親の視線や存在をまったく意識しなくてすむような家庭環境を用意する。

たいていのばあい、親があれこれ心配するのは、かえって逆効果。子ども自身がだれの目を
感ずることもなく、ひとりでのんびりとくつろげるような家庭環境を用意する。子どものおねしょ
についても、そのおねしょをなおそうと考えるのではなく、家庭のあり方そのものを考えなおす。

そしてあとは、「あきらめて、時がくるのを待つ」。それがおねしょに対する、対処法ということに
なる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
の夜尿症 おねしょ 頻尿 子どものおねしょ おねしょう)

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以前書いた原稿を、参考までに
添付します。

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●ストレス学説 

 ストレスというのは、もともとは「圧力」を意味する(セリエ)。その圧力が、心理的負担になり、
心理的反応を示した状態を、「ストレス」という。「生理的ひずみ」と考えると、わかりやすい。

 しかしそのストレスの受け方には、ここにも書いたように、個人差がある。たとえば同じストレ
ス(圧力)でも、人によって、それを重圧に思う人もいれば、そうでない人もいる。そこで今で
は、ストレスに個人差、つまり個人変数を加えて考えるのが常識になっている(ラザラスとフォ
ルクスマン)。

 同じストレスであるにもかかわらず、人によって個人差が出るのは、それぞれの人がもつ認
知プロセスがちがうからと考えられている。わかりにくい言葉だが、要するに、その人が置かれ
た環境、心理状態、精神状態、経験などにより、その処理方法が異なるということ。

 たとえばある男性(40歳)は、こう言った。「オレは、借金がないと仕事をする気が起きない」
と。

 また別の男性(40歳)は、こう言った。「オレは、借金に追われるようになると、仕事が手につ
かなくなる」と。

 同じ(借金)でも、それを受け取る側の認知プロセスによって、ストレスにするかしないかが決
まってくる。こうしたストレスへの対処方法を総称して、「コーピング(coping)」と呼ぶ学者もい
る。

●では、どうするか?

 ストレスと戦うためには、2つの方法が考えられる。ひとつは、そのストレスそのものと戦うと
いう方法。もう1つは、自分の住む世界を、より広く、大きくすることによって対処するという方
法である。

 つまり心理的圧力となるような原因を取り除くのが、前者。広い海のような心をもち、小石が
落ちたくらいでは、ビクともしない。そういう状態にもっていくのが、後者ということになる。

 で、私のばあいは、ストレスの原因となるようなストレッサー、とくに冒頭にあげた負のストレ
スを、心のどこかで感じたばあいには、できるだけ早い段階で、それを解消するように努めて
いる。もともとあまりストレスに強い精神構造にはできていない。

 つぎに、できるだけ広い心を用意する。具体的には、さまざまな経験をすることによって、広
い心をもつようにする。そのためには、情報が重要な役割をになうことが多い。そういう意味で
は、無知、無学は、ストレスの大敵と考えてよい。

 ほかに、たとえば、心の防衛機制に準じて、(1)合理化、(2)反動形成、(3)同一視、(4)代
償行動、(5)逃避、(6)退行、(7)補償、(8)投影、(9)抑圧、(10)置換、(11)否認、(12)
知性化という方法などがある。

どう反応するかは、もちろんそれぞれの人によって異なる。が、人というのは、それをストレスと
感じたときから、それに長く耐える力は、あまりない。これは幼児のばあいだが、日中、ほんの
5〜10分間程度ストレスを感じただけで、精神疲労症状を起こす子どもは、少なくない。

 子どもによっては、頭痛、腹痛を訴えることもある。吐く息が臭くなったり、下痢症状を示すこ
ともある。それが周期的に長くつづいたりすると、心をゆがめることも少なくない。神経症を発
症したり、さらに情緒障害、精神障害に発展することも珍しくない。

 話が脱線したが、今、あなたが何かのストレスを感じているなら、まずその中身を知る。敵を
知る。それがストレスと立ち向かう、第1歩ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ストレ
ス、ストレッサー ストレス学説 正のストレス、負のストレス)

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もう1作、参考までに……。

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【子どもが自慰をするとき】

●ある母親からの質問

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。6歳
になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなって
いるのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるよ
うに感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。

こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(32歳母親)と。

●罪悪感をもたせないように

 フロイトは幼児の性欲について、次の3段階に分けている。(1)口唇期……口の中にいろい
ろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に
興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満4歳くらいから、性器に特別の関心
をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。

子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為をする。これを代償行為という。指
しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと考える。

つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)
となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎ込み、ぐずぐ
ず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多い。そ
のため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を悪化させることもある
ので注意する。

●スキンシップは大切に

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自
分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情
緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこ
とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する
そぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
の性教育 性教育 子供の性 性 自慰 子供の自慰 自慰行為)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2115)

【雑感・あれこれ】

●老齢期の性

++++++++++++++

男性器の性能は、

(1)硬さ、
(2)太さ、
それに
(3)持続力で決まる。

(4)に長さということになるが、
長さは、それほど重要ではない。

私の自己採点によれば、
私は、ほぼ満点。

毎日、自転車で太ももを鍛えて
いるせいではないか。

温泉などで、鳥のガラのようになった
足の男性と見かけると、「あの人も
もう少し、自転車に乗って、足を
鍛えればいいのに」と、
思わず思ってしまう。

ふとももと、男性器は、密接な
関連性がある。

……という話を、昨日も、ワイフ
とした。

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 何度も書くが、スケベであることは、何も悪いことではない。スケベ力こそが、生きる力と説く
学者もいる。フロイトもその1人。

 スケベ、おおいに結構。そのスケベが、生きることに、うるおいを与え、生きることを楽しくす
る。無数のドラマもそこから生まれる。

 で、男性器の性能は、(まさに「性」能だが……)、(1)硬さ、(2)太さ、それに(3)持続力で決
まる。私はこのことを、オーストラリアで学生生活をしているときに、発見した。

 私のそれは、彼らの間では、「ペンシル・ペニス」と呼ばれていた。「ヒロシのは、ペンシル・ペ
ニスだ」と。

 そこである日、それを言っている学生を私の部屋に招いた。そしてこう言った。「君のと、ぼく
のと、どちらが性能がいいか、調べてみよう」と。

 この話のつづきは、「世にも不思議な留学記」(HPに収録)に書いた。興味のある人は、そち
らを読んでほしい。で、そのとき私たちは石膏で自分たちのそれを型取った。型取るつもりだっ
た。

 しかしこれは失敗。石膏が陰毛にからんで固まってしまい、そのあと、たいへんなめにあっ
た。で、それはそれとして、そのあと、私のそれを、ペンシル・ペニスと呼ぶ連中は、いなくなっ
た。

 ……それから40年近くになる。

 誤解している人も多いかと思うが、老人になったから、性への関心が薄らぐということはな
い。自分がこの年齢になってみて、それがわかった。ただ、衝動的な興奮性は、たしかに激減
した。若いころは、女性の胸もとや太ももを見ただけで、歩けなくなってしまったことがある。

 最近は、それが肉のかたまりに見える。あえて言うなら、肉欲が消えたということか。だからヌ
ード写真などを見ても、とくに感ずるということはない。ほとんどないと言っても、さしつかえない
のでは?

 では、どういうときに色気を感ずるのかということになる。

 しかしこれには、個人差がある。千差万別と言ってもよい。それぞれの男性の性癖と結びつ
いているため、一概にどうこうと言うことはできない。

 私のばあいは、前にも書いたが、(女性の裸体)と(風呂)が、深く結びついている。だからふ
だんは何も感じないワイフでも、ワイフが風呂に入っているようなとき、別人のように新鮮に感
ずることがある。「それって、のぞき趣味じゃない?」とワイフは言うが、そうかもしれない。そう
でないかもしれない。

 油がギラギラと光っているような女性より、風呂あがりの、清潔さを漂わせる女性のほうがよ
い。またそういう女性だと、ビンビンと感ずる。これはあくまでも私の(好み)ということになるが
……。

 この世界には、「正常」という言葉は、存在しない。しかし私は、まともなほうだと思う。同性愛
的な趣向は、まったくない。あの植K教授のような、痴漢プレーフェチもない。中には、油がギラ
ギラと光っているような女性がいいという男性もいるようだが、私は、ダメ。そういう女性は、受
けつけない。

 ほかにもいろいろあるが、こうした記録を正直に書いて残しておくことは、大切なことかもしれ
ない。あまりみな、こういう話は書きたがらない。書きたがらないから、情報不足から、誤解を
生む。「老人だから、性への関心がない」「性欲もない」と。しかしそう考えるのは、まちがい。

 私の印象では、60歳になっても、基本的には、20代のころの自分と同じではないかと思う。
とくに性能では、ほとんど変化はない。もちろん回数や、量(?)は、激減したが……。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2116)

【ひぐらし】

●8月3日

今朝は、山荘に一泊した。
昨夜、10時ごろ、ここに着いた。

しばらくテレビを見たあと、
床についた。

ワイフは、ひとり、缶ビールを
飲んでいた。

ワイフと約束しあう。

「ひぐらしの声を聞いたら、起こしてよ」と。

私は、ひぐらしの声が大好き。
「明日こそは、声を録音してみるよ」と、
ワイフに告げる。

日本海を通り過ぎる台風のせいか、
どこかむし暑い。

扇風機のやわらかい風を感じながら、
そのまま眠る。

……

●8月4日

朝、起きる。時計を見ると、午前4時。
ワイフが、「鳴くのは、いつも4時半ごろね」と
言っていたのを思い出す。

私はカメラを手にして、居間へ行く。
下ばきをはいて、外に出る。

まだ暗い。足元もよく見えない。
どんよりとした重い雲を、すぐ上に感ずる。
「今日は遅いかもしれない」と。

谷底の小川を流れる水の音。
昨夜の雨で、増水したらしい。

やることもないので、そのまま庭に生えた雑草を、
何本か抜く。ひんやりとした手ざわり。朝のツユ。

1週間もこないと、夏の庭は、そのまま雑草に
おおい包まれてしまう。「いやだな」と、心の
どこかで、そう思う。

再び居間にもどって、電気を消す。

5分、10分……。

●ひぐらし

気のせいか? 遠くで、ひぐらしの声を聞いたような
気がした。

気のせいか? 耳鳴りの音のようにも思えた。

耳をすます。心を落ち着ける。

潮騒のようでもある。しかしそれは
ひぐらしの声だった。

ザザーッ、ザザーッ、と。

突然、右手にある林の中で、ひぐらしが
鳴き始めた。

カナカナカナ……、と。

しかしそれはすぐやんでしまった。
仲間への合図だったのか。
それとも寝ぼけたひぐらしの一声だったか?

しばらくすると、谷の下からいっせいに、
ひぐらしの声が聞こえ始めた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

●撮影

私はカメラをセットした。
庭の台の上に置いた。

しかしいくらシャッターを押しても、
カメラが作動しない。

あわてて庭園灯をいくつかつける。
動画撮影には暗すぎた? 

その庭園灯めがけて、カメラをセットする。
ゆっくりとシャッターを押す。

30秒、40秒……。

あたりは足元もよく見えないほど、まだ暗い。
時刻は午前4時30分を、少し回っていた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

ひぐらしの声には、高低がある。それがいくつか
重なって、ときにハーモニーをかなでる。
ひぐらしには、そういう才能があるのかもしれない。
近くの相手に合わせて、音の高さを調整する?

それがときに、ちょうどオーケストラのような
演奏のようになる。自然のオーケストラ。
まさしく自然のオーケストラ。

静かで、単調な音楽だ。しかし何にもまして
すばらしい。聞くものを、穏やかなやすらぎで、
包んでくれる。

私は夏先から夏にかけて、この山荘に泊まるときは、
何よりもひぐらしの声を楽しみにする。
ワイフも、そうだ。

だからその時刻になると、ひぐらしが鳴き始める前に
目をさまし、それを待つ。

私の特技か?
それともただの初老性の早朝覚醒か?

●朝もや

カメラのモニターの数字を、ゆっくりと読む。
あいにくと、そのカメラには、音声録音機能がなかった。
録画と同時に、音声をそこに取り入れる。

「うまく録れているかな?」と、思う。
それを心配しながら、場所をかえて、
ひぐらしの声に近づく。

何度目かにシャッターを押したときには、
あたりは、ほんのりと明るくなっていた。

今度はカメラを高感度設定にして、スチール写真を
撮る。

ピッ、ピッ、ピッ、と。

暗く沈んだ空の下に、緑を帯びた山々の景色が浮かんできた。
白いモヤに、ぼんやりと包まれている。

遠くで、ヒヨドリの一声が聞こえた。
しばらくすると、今度は、ウグイスがそれを追いかけた。

私は居間にもどり、お茶を飲む。
たった今撮ったばかりの録画を確かめる。

音は入っていた。よかった。

ひぐらしの声を聞いていたときには気がつかなかったが、
カメラは、小川の水が流れる音を、大きく拾っていた。

ザーッと、雨が降るような音だった。その音を背景に、
ひぐらしが元気よく鳴いていた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

ひぐらしの声も、しっかりと録音されていた。

よかった。再び、そう思った。

●おはようございます

頭の中で、ビデオの編集を考える。
画像をスライド風に紹介しながら、そのバックに
ひぐらしの声を入れる。

まだ暗い朝の様子から、少しずつ明るい景色にする。
エンディングは、朝の景色。

ひぐらしの声が泣き止んだのは、午前5時20分ごろ。
遠くで鳴いていると思ったつぎの瞬間には、
カラスの鳴く声で、それが消された。

朝だ。
8月4日、土曜日。

みなさん、おはようございます。

今朝撮った写真と、ひぐらしの声は、
YOU TUBEのほうで配信させてもらいます。

お楽しみに!


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(8月4日)

++++++++++++

今朝は、山荘で、ひぐらしの
声を録音した。

楽しかった。

「一度はしてみたい」と思っていた。

夢(?)が、かなった。

ただ初夏のころよりは、元気が
なかったように思う。

ひぐらしの季節も、そろそろ終わりか?

ひぐらしは、夕方、あるいは早朝の
半時間ほどしか、鳴かない。

そうして小鳥に襲われるのを
防いでいるのかもしれない。

++++++++++++

●日米関係

 今度、アメリカに住む二男が、転職するかもしれないという。先日、電話でそう言っていた。
「ウォルマート社か、グーグル社にする」と。

 ウォルマート社は、ラスベガスに本社があるらしい。グーグル社は、カルフォルニア州に本社
があるらしい。会社というよりは、どちらに行くかで悩んでいる。「ラスベガスは、物価が高いか
ら……」と言っていた。

 内心では、「カルフォルニア州にすればいい」と思ったが、それは言わなかった。三男も、もう
すぐ訓練で、カルフォルニア州に移り住む。今は、成田空港で地上勤務をしている。「どんな仕
事だ?」と聞いたら、「チケットを切る仕事だ」と。

 今の私にとっても、また日本にとっても、アメリカはアメリカ。今の日本は、アメリカなしでは、
何もできない。これは現実。

 06年、経済評論家のT氏は、太った体をもてあましながら、テレビや新聞で、「対米追従外交
反対」をさかんに唱えていた。三井物産での社員時代、かつての同僚だった。しかもデスクが
私の隣だった。よくいっしょに、新入社員訓練にでかけていった。

 そんなT氏だから、肩をもちたい気持ちも大きいが、しかし、彼の意見は極端すぎた。自民党
右派の連中に、そのまま利用されてしまった。

●最悪の日米関係

 戦後の日米関係で、今ほど、最悪になったことはない。時系列的に並べてみると、自民党右
派の、民族主義的な発想が、日米関係に最初にキレツを入れた。文科大臣の「(小学校での)
英語教育は必要ない」発言に、それが代表される。

 これを受けて、『国家の品格』という本が、大ベストセラーになった。恩師、T先生の娘婿氏の
F氏が書いた本だから、これにも肩をもちたい気持ちも大きかった。しかし、彼の意見もこれま
た、極端すぎた。

 こういう流れの中で、安倍総理大臣は、「美しい国」という言葉をさかんに使うようになった。

 しかし日米関係に、何よりも大きなキレツを入れたのは、あのおバカ大臣たちの、失言であ
る。言葉の使い方すら知らない。しかし本当の原因は、そうした失言に、過剰までに反応した、
アメリカのR国務大臣ではないのか?

 頭の切れる人らしいが、どこか心に余裕がない。短気。カッとなりやすい。白黒を、はっきりと
つけすぎる。一連の6か国協議の流れを見ていても、それを強く感ずる。

 恐らくR国務大臣とヒル国務次官補の間で、一度は、こんなやる取りがなされたにちがいな
い。「日本を切れ」「日本に思い知らせてやれ」と。

 結果、それはアメリカの裏切り、つまり日本はずしとなって加速した。が、日本人とてバカでは
ない。こうしたアメリカの動きを横で見ながら、それまでグズグズしていた自らの心に、「反米」
の火をつけてしまった。

 相乗効果? それとも思わぬ副産物? どうであるにせよ、日本人もまた、反米に向かって、
大きく舵を切ってしまった。

 しかし……。

 そこに今ある、現実を忘れてはいけない。日本のすぐとなりには、最悪の反日国家が、2つ
も、3つもある。核兵器はもちろんのこと、経済発展をうしろ盾に、強力な軍隊を擁しつつある。

 今の日本には、悲しいかな、こうした国々と、まともにやりあう外交能力はない。ないことは、
拉致問題ひとつあげてもわかる。竹島問題ひとつあげてもわかる。尖閣諸島問題ひとつあげ
てもわかる。北方領土問題となると、さらにそれがよくわかる。

 中東の石油問題にしても、そうだ。アメリカからそっぽを向かれたら、原油の輸入すら、日本
はままならなくなってしまう。

 「追従国家」「金魚のフン」と揶揄(やゆ)されようが、今の日本は、アメリカにすがるしかない。
悲しいかな、これが日本の今、置かれた現実である。でないというなら、今の日本からアメリカ
軍が消えたときのことを想像してみればよい。「この時ぞ」とばかり、K国は日本を攻めてくるだ
ろう。

 軍事力では負けないにしても、たった一発でも核兵器が日本で爆発すれば、そのとき日本の
経済は、それこそ太平洋の海溝へとたたき落とされることになる。

 円の暴落、株価の暴落、外債の逃避、貿易の縮小、国家の混乱などなど。仮に日本が反撃
に出れば、韓国が、そして中国が、K国を支援する。

 そうなったとき、日本は、どうするのか? 中には、ノー天気な学者がいて、「1発や2発、核
兵器などこわくない」と説く人もいる。軍事的にはそうかもしれない。そうでないかもしれない。し
かし日本の「経済」は、確実に影響を受ける。

 が、ここにきて、民主党が参議院銀選挙で、大勝利をした。かたや安倍内閣の支持率は、2
0〜30%程度にまで低下してしまった。直接的には、社会保険庁の起こした年金問題が発端
だが、しかし同時に、それは現在の日米関係の終焉を意味する。「とどめの一発になった」と考
えてもよい。

 民主党は、かねてより、自衛隊のイラク派遣に反対してきた。

 ときとして国際政治は、あれよあれよと思う間もなく、とんでもない方向に進んでいってしまう
ことがある。今が、そのときかもしれない。

 では、どうするかだが、この問題だけは、結局は、「なるようにしか、ならない」。いつもその時
点で、その先のことを考える。こと私のことについて言うなら、日本とアメリカは、仲よくしてほし
い。

 二男のためにも、三男のためにも、そして孫たちのためにも……。

 今日は、それを忘れて、映画『トランスフォーマー』を見てくる。思いっきり、楽しんでくる。アメ
リカ映画は、やっぱり、おもしろい。


●年金問題

 その社会保険庁の年金問題だが、ここにきて、さらに底なしの様相を見せ始めた。社保庁の
連中、(もう「連中」と呼んでもさしつかえないと思うが)、その連中が、市民が納めた保険料を
ネコババしていたというのだ。

 そればかりか、自分の父親の勤続年数を書きかえたり、あるいは死んだ人になりすまして、
年金を二重取りしていた人もいたという。しかもこうした不正が、日常茶飯事的に、みながして
いて、その記録さえ残っていないという。

 つい最近まで、「記録を紛失した」と言っていたが、こうしたインチキを隠すために、だれか
が、故意に記録を破棄したという疑惑も浮かんできた。

 中には、そのため懲戒免職になったり、自殺した人もいるという。しかしそれでも、「氷山の一
角」(報道)とか。とくに96、7年以前のことになると、その記録さえ残っていないという。

 もうメチャクチャ。本当にメチャクチャ。そこで政府は、監視役として外部監査組織制度を導
入したが、遅々として、調査は進んでいないという。あまりのだらしなさに驚いて、「かつての旧
国鉄末期の職員みたいだ」と批判した監査役もいた。

もっとも社保庁の連中に言わせれば、「外部との対応に追われて、それどころではない」という
ことらしい。しかしその言い訳も、今となっては、白々しい。

 私は10年以上も前から、年金の一元化、さらに社保庁の解体を訴えてきた。社保庁そのも
のが、「格差社会」の元凶になっていると言ってもよい。

 だれしも職種や身分に関係なく、その年齢(満60歳なら、60歳でもよい)になったら、、一定
の年金(平均して月額10万円なら、10万円でもよい)、受け取ることができる。それ以上に年
金がほしい人は、各個別々に、民間の保険会社と契約して、その費用を積み立てればよい。
それが欧米先進国では常識だし、日本だけ、それができないというのは、どう考えても、おかし
い。

 つまり社保庁など、もとから、不要な組織なのである。わかりやすく言えば、社保庁という組
織は、いかに民間から資金を吸いあげ、それをいかに官僚や役人につごうがよいように使う
か、そのために機能している組織ということになる。

 「そうではないのかな?」とは思っていたが、しかしここまでひどいとは、私も思っていなかっ
た。外国でこんな事件が起きたら、暴動に発展しているかもしれない。つまり今の年金問題
は、それくらい腹立たしい問題ということになる。

 それにしても安倍総理大臣は運がよかった。不正支給問題が選挙前に発覚していたら、さら
に自民党は大敗していただろう。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(韓国を捨てる若者たち)8月4日版

++++++++++++++++++

今年の4月、アメリカのバージニア工科大学で、
韓国人の留学生が、32人を射殺したという
事件が起きた。

その事件も悲惨さもさることながら、AFP電によれば、
「バージニア工科大学には、大学院生を含み
約2万6000人の学生が在籍しており、
そのうち韓国人留学生や韓国系アメリカ人を含む韓国系は、
合計500人ほどで、中国系は400人から500人、
日系は20数人だ」だそうだ。

韓国系の留学生が、合計で500人。単純に計算しても
日系の留学生の、約40倍ということになる。

なぜか?

+++++++++++++++++

 実は、韓国では、毎年8万人近い子どもたちが、韓国を捨てて、海外に流出している(06
年)。大学生だけではない。下は小学生から上はおとなまで。アメリカのバージニア工科大学
で、32人を射殺した韓国人にしても、9歳のときに渡米している。

 ここで注目すべき点は、なぜ、それほどまでに、韓国系留学生が多いかということ。韓国側か
らみると、なぜそれほどまでに多くの韓国の若者たちが、韓国を捨てて、外国に向かうかという
こと。

 理由は明白。韓国のゆがんだ教育姿勢にある。

 信じられないような話だが、韓国の(学校)では、K国の主体思想を教えているという。妄想に
近い反日思想をたたき込む一方、金日成や金xxをたたえる教育もなされている。結果、あの
朝鮮動乱(南北軍事衝突)にしても、韓国のほとんどの子どもたちは、「日本が攻めてきたから
起きた」と信じているという(朝鮮N報)。

 金大中、N大統領による左翼政権ができて、この傾向は、さらに極端化した。日本の日教組
も、かつては左翼の中心的存在だったが、今は、すっかり様変わりした。しかし韓国の韓教組
は、ものすごい! 少し前、K国で使っている教科書をそのまま使っていた学校さえあった。

 こうした教育を総称して、「平準化教育」という。わかりやすく言えば、「いちばんできない子に
あわせた教育」ということ。行き過ぎた受験戦争に対する反省とも考えられるが、韓国の若者
たちが韓国を捨てる理由は、どうもそれだけではないようだ。

 韓国の大学の学費は、日本に学費より、全体的に高額とみてよい。ウォン高もある。しかし
大卒の就職率は、50%以下。子どものときから左翼思想をたたき込まれ、高い学費を払って
も、就職さえままならない。大学へ行かない若者たちを待っているのは、徴兵制度。

 子どもというよりは、子どもをもつ親たちが、子どもを海外へ留学させたがる気持ちは、これ
でわかる。結果、毎年8万人もの若者たちが、韓国を捨てている。8万人だぞ! 日本の人口
規模に換算すると、何と、24万人!

 ふつう留学というと、それがすめば、母国に帰ることを意味する。しかし韓国では、「国を捨て
ること」を意味する。まず母親が子どもを連れて、海外に渡る。学資を送金するのは、父親の
役目。そして子どもが独立するころを見計らって、父親も、韓国を捨てる。

 現在、韓国では、このパターンが一般化している。

 そのため、全体としてみると、韓国の貿易収支は、07年度前半、赤字に転落した。(とうとう
赤字だぞ! 韓国政府は、貿易高だけをあげて、「韓国経済は拡大している」と、大ウソをつい
ている。しかしウソはウソ。)

 しかもだ、前回も書いたように、韓国では、外国からの借金まで、貿易外収支に組み込んで
いる。わかりやすく言えば、外国から借金(とくに日本の円の借金=円キャリー)しながら、それ
を外国からの(投資)と置きかえている。(韓国のおバカ大統領たちは、「投資」と「借金」の区
別もつかないらしい。)

 その借金が、雪だるま式に、今、猛烈な勢いでふくれあがっている。韓国の土地、マンション
価格の高騰が、その一例。

 しかし借金は借金。いつかは返済しなければならない。そこで韓国政府は、ウォン高を意図
的に誘導しながら、(ウォンをさげるにさげることもできず)、外国(とくに日本)から、借金に借
金を重ねている。

 わかるかな?

 韓国は、まさに自転車操業に陥っている。もう少し、わかりやすく説明しよう。

 あなたはどこか頭のおかしい韓さんだ。金xxというあの独裁者を、心のどこかで信奉してい
る。

 家計は、赤字状態。一応、派手な商売はしているが、利益は年々、薄くなっている。子どもは
現在、アメリカに留学中。留学を終えても、あなたのもとに戻ってくるつもりはない。あなたも戻
したくない。

 こういう状態だから、何とか借金をしなければならない。しかしそうは簡単に、貸してもらえな
い。そこでおいしい金利を見せびらかしながら、お金を借りる。

 現在、ウォン高になっているのは、韓国政府が、目一杯、政策金利を高く設定しているからで
ある。低くしたくとも、それもできない。しかしウォン高であればあるほど、韓国の製造業は、輸
出力を失う。現に失いつつある。

 だったら、ウォンを切り下げればよいということになるが、そんなことをすれば、外資がいっせ
いに、韓国から引きあげてしまう。(現に今、そうなりつつあるが……。)

 日本のバブル経済がはじけたときには、日本の外資依存率は、5%程度だったと聞いてい
る。しかし韓国は、ちがう。かつては20数%もあった貯蓄率が、現在は、数%近くにまで低下
している。

 つまり国内に金(=マネー)がない!

 バブル経済がはじけたら、それこそ、とんでもないことになる。わかるかな?

 日本のバブル経済崩壊は、いわば一家の長、つまり父親がとんでもないバクチをして、その
息子や娘たちが、それをかぶった。大損をした。しかし被害は、その家庭(=日本)の中だけ
で、すんだ。一方、韓国の現在のバブル経済は、外国からの借金の上に成りたっている。はじ
けたとたん、外国から、何百人という取り立て屋がやってくる。つまり、ただではすまない!

 さあ、どう出るか、韓国!

 日韓経済戦争は、先が見えてきた。もしここで日本が、政策金利を、1%でもあげたら、とた
んに韓国経済は、破綻する。日本もそれなりのキズを負うことになるが、韓国やK国という最悪
の反日国家を生き延びさせることを考えたら、そのほうがマシ。サッカーにたとえるなら、ケガ
を覚悟で、ゴールにボールをねじ込む。

 さあ、日本の債権者の人たちよ、今こそ、韓国から、債権を引きあげようではないか。何度も
繰りかえすが、経済戦争は、サッカーの試合とはわけがちがう。日本そのものの浮沈にかか
わる重大な問題である。

 勝つか、負けるか。日本が負けたときには、日本の将来はない。今こそ、日本の底力を見せ
つけてやろうではないか。

 ……韓国の若者たちが、韓国へ捨てて外国に向かう。日韓経済戦争は、この1面だけを見
ても、日本の勝ちということになるのだが……。


(付記)

●韓国系の学生が、32人を射殺

 昨日(日本時間、4月17日)、アメリカのバージニア工科大学で銃乱射事件が発生した。
犯人は、韓国人留学生だったという。韓国側のメディアによれば、「9歳で渡米し……」と
あるが、アメリカ側のメディアによれば、「最近留学してきた……」とある。

 さっそく朝鮮N報の記事を読んでみる。が、どこにも謝罪の文言はない。見出しも、「報
復を恐れる韓国人留学生」とある。

『今後は韓国から来た韓国人とは言えなくなった。だれかが尋ねれば当分は中国人か日
本人と言うしかない』と語り、韓国人に対する偏見が高まることを心配した。さらに他
の学生たちも「こんな大惨事を引き起こしたのが韓国系という事実に驚いた」「今後は米
国人学生の冷たい視線に苦しむだろう」「偏見のためにアジアからの留学生が不利益を受
けないか心配だ」などと語った。……。キム氏は「これまで築きあげてきた韓国人への
信頼が一気に崩れ去ってしまった。昨日の報道では犯人は中国系とされたのである意味
安心していたが、今後は韓国人に対する冷たい視線にどう対応すればいいかわからない」
とため息をついた』(以上、朝鮮N報)と。

 もし逆にこんな事件が韓国で起きたら、韓国の人たちは、どのように反応するだろうか。
今のN大統領にしても、1人の女子中学生がアメリカ兵によってひき逃げされたという事
件がきっかけとなって、政権の座についたようなもの。それからもう5年近くになるが、
毎年、いまだにその命日には、ローソクをもった人たちによって、追悼供養が行われてい
るという。

 言いかえると、「自分たちなら報復するだろう」という思いが、逆に、「報復されるので
はないか」という心配に、置きかわっているのではないだろうか。朝鮮N報の記事を読ん
でいるとき、そんな印象をもった。

 余談だが、AFP電によれば、「バージニア工科大学には、大学院生を含み約2万600
0人の学生が在籍しており、そのうち韓国人留学生や韓国系米国人を含む韓国系は、合計
500人ほどで、中国系は400人から500人、日系は20数人だ」ということだそう
だ。

 韓国系が500人! 韓国の学生たちが海外へ流出しているという話は、よく耳にする。
が、こうまで多くなっているとは、私も思っていなかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(8月5日版)

+++++++++++++++

さりげない報道の中でも、
読み方によっては、ギョッとする
ものもある。

もちろん、韓国のことを心配して、
そう感ずるのではない。

日本がこの戦争に敗れれば、
日本の未来に明日はない。

日本はその気でなくても、
向こうは、その気でいる。
日本を叩き落とそうと、
必至。

ある時期は、毎日、閣議の前に、
その種の報告会(?)を開いていた
という情報を耳にしたこともある。

いよいよ日韓戦争も終盤戦。
勝つか、負けるか?

ここにきて、韓国側のおかしな
大本営発表ばかりがつづく。

それはまさに、韓国のあがきと
考えてよい。

韓国のクレジットカード利用額が、
この7月、史上最高額を記録した。

それについても、朝鮮N報は、
「景気回復などへの期待感に
後押しされ……カード
利用額がふえた」(8月5日)と
報道している。

++++++++++++++

 まず、朝鮮N報、8月5日の経済記事を、そのまま紹介しよう。

 いわく、『景気回復への期待感などに後押しされ、1カ月当たりのクレジットカード利用額が、
史上最高額を記録した。

 カード業界が3日(=8月3日)に発表したところによると、先月韓国国内でのカード利用額
(海外での利用と現金サービスは除外)は、21兆5220億ウォン(約2兆7519億円)で、これ
までの最高額だった昨年12月の21兆4780億ウォン(約2兆7462億円)を、7か月ぶりに更
新した。

昨年同期比でも18・4%増となり、昨年9月(20・8%)以降、最も大きな伸びを見せた』と。

 韓国では、先月(07年7月)のカード利用額が、21兆ウォンを記録したというのだ。日本円に
なおすと、約3兆円! 

 その理由として、朝鮮N報は、「景気回復などへの期待感などに後押しされて……」と書いて
いる。

 どうしてこういうウソを、平気で書けるのか?

 2006年度の韓国の家計における借入残高は、72兆円に達している。わかりやすく言え
ば、借金が、72兆円ということ。その額は、97年のデフォルト(国家破綻)のときの3倍以上で
ある。韓国民1人あたりになおすと、約200万円ということになる。が、韓国人の貧富の差は、
日本の比ではない。

 大企業で働くサラリーマンは、日本の大企業で働くサラリーマン以上の賃金を手にする一
方、そうでない人の大半は、月収5〜6万円の世界で生きている。そのため現在韓国で、高利
の借金に手を出し、借金苦にあえいでいる人は、700万人近くもいるとされる。

 (700万人だぞ! 総人口4700万人の中の、700万人だぞ! そのうち「不法金融利用
者」(ハンギョレ新聞)だけでも、564万人!)

 そういう人たちが、今日を生き延びるために、借金に借金を重ねながら、カードを利用してい
る。私のような経済ド素人にでも、そんなことはわかる。

 韓国は、安い金利で日本から(円)をどんどんと借り、それでもって、それを(投資)と位置づ
け、まさに自転車操業をつづけている。しかも皮肉なことに、それが不動産バブルを引き起こ
し、一般の人たちの生活を、ますます苦しいものにしている。

 「景気回復に後押しされて……」というのは、とんでもないウソ。ウソであることは、韓国人な
らみな、知っている。こういうウソに、みなさんも、くれぐれもだまされないようにしてほしい。

(注意)

 韓国新聞の報道を読むときは、みなさんも、くれぐれも注意してほしい。とくに日本向けに書
かれた日本語版の記事は、信用しないほうがよい。私も何度か、だまされた。こうした大本営
発表記事を堂々と載せて、韓国内のみならず、世界を、堂々と煙に巻いたりする。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2117)

●ニヒリズムの原点

+++++++++++++

昨夜遅く、いつもの通りを歩いて
帰ると、そこに、いつものホームレス
の男性が、道路わきで、三角座りで
座っていた。

見ると全身(露出した腕、脚)に、5円玉
大の斑点が現れていた。

斑点の色は、血が死んだように
黒かった。

私は、心底、ゾーッとした。本当に、
ゾーッとした。

私は子どものころから、斑点模様を
見ただけで、鳥肌が立つ。色の淡い
水玉模様でもだめ。体が、生理的に
受けつけない。

しばらくしてから、つまり通り過ぎてから
しばらくしてから、その男性は、そういう
形で、自分の病状を訴えていたのでは
ないかと思った。

+++++++++++++

●ニヒリズム

 もし道路わきで、1人の病人が倒れていたら、そしてもしあなたが、それを見たとしたら、あな
たはどうするだろうか。どう思うだろうか。

 当然、あなたは声をかけるにちがいない。「どうか、しましたか?」と。

 しかしもしそれが、いつも見慣れたホームレスの人だったとした、どうだろうか。私ははからず
も、そういう場面に、昨夜遅く、出くわした。ワイフと深夜の映画を見て、駐車場にもどる途中の
ことだった。

 そこには1人の男性がいた。その男性の様子は、冒頭に書いたとおりである。私はその男性
の様子を、今、思いだすだけでも、ゾーッとする。理由も、そこに書いた。

 しかし私は、あえて自分の心を押し殺して、足早にして、その場から離れた。離れながら、そ
の男性のことを忘れようとした。

 こういうのをニヒリズムと呼ぶ。「虚無主義」と訳す。「無関心で冷酷な様」(日本語大辞典)と
ある。

●ニヒリズムの原点

 私たちは日常的に、(欲望)と(反欲望)の世界で生きている。(〜〜したい)という欲望と、(〜
〜したくない)という反欲望。(〜〜したくない)というのは、(〜〜してはだめ)という、「抑制」と
はちがう。

 たとえば「お金がほしい」というのは、(欲望)。「人のものを盗んではいけない」というのは、
(抑制)。それに対して、「めんどうなことはしたくない」というのは、(反欲望)ということになる。

 その反欲望の世界で、私たちはいつも、自分を犠牲にして生きている。たとえば仕事。

 好きでその仕事をしている人もいるかもしれない。しかし大半の人は、生活のため。したくも
ない仕事をしながら、じっとがまんしている。

 このがまんから、ニヒリズムが生まれる。もう少し先を言えば、がまんから解放されたいという
欲求から、ニヒリズムが生まれる。

 たまたま昨夜も、こんなことがあった。

 家に帰ると、留守番電話が入っていた。夜中の12時半ごろだった。それを聞くと、兄が入院
したという、姉からの連絡だった。兄は、このところ数か月おきに、肺炎を起こしている。何か
のことで咳きこんだとき、肺のほうへ食べ物を送ってしまうためらしい。

 しかし兄の世話は、今に始まったことではない。私は23、4歳のときから、自分の収入の約
半額を、実家に納めてきた。親子関係や兄弟関係が良好であれば、まだ救われる。しかしそ
の関係にキレツが入った状態で、それをするのは、つらい。

 経済的負担はともかくも、それから受ける精神的負担には、相当なものである。私は身をも
って、それを体験した。

 だから母はともかくも、仕事らしい仕事もせず、のんべんだらりとした生活をしている兄を見る
と、いつも心のどこかで腹立たしく思っていた。ほんの1、2年前のことだが、兄の健康診断書
を見たときも、驚いた。

 頭こそ、ボケてしまってどうしようもないが、それを除けば、数値は、すべて「健康」を示してい
た。9歳若い私より、すべてよかった。それを見たとき、ワイフも思わず、こう言った。「兄さん
は、苦労してないから……」と。

 起きたいときに起き、寝たいときに寝る。めんどうなことは、いさい、しない。もちろん「苦労」と
は無縁。30代のころから、まさに年金生活者のような生活をしていた。

 そういう兄だから、姉から入院したという連絡を受けたときも、「そう……」「また何かあった
ら、連絡してほしい」で終わってしまった。こういうケースのばあい、「兄弟だから……」という『ダ
カラ論』ほど、アテにならないものはない。私は子どものころから、兄といっしょに遊んだ記憶す
らない。

 つまり私は、こと兄とのことに関して言うなら、反欲望の世界で生きてきたことになる。それが
今の私のニヒリズムにつながっている。

●ホームレスの男性

 私たちは今の生活を維持するために、懸命にもがいている。それだけで精いっぱい。そして
その一方で、いつも何かを、自分の中で押し殺している。

 ときどきふと、こう思う。「ホームレスのような人の生き方をしたら、どんなに気が楽になること
か」と。本当はそうではないのかもしれない。ホームレスの人たちは、ホームレスの人たちなり
に、もがいているのかもしれない。苦しんでいるのかもしれない。

 それは別として、その(押し殺している部分)で、私たちは、ホームレスの人たちに、ある種の
ニヒリズムをもつようになる。ときにふと、あまった小遣いを分けてやろうと思うことはあるが、
(実際、若いころは、よくそうしたが……)、それに自らブレーキを、かけてしまう。

 「そんなことをしたら、かえって彼らのためにならない」と。

 しかしこれは自己弁護にすぎない。もし本当に彼らがもつ孤独感やさみしさを理解できたとし
たら、そんな言いわけ程度で、自分を正当化することは無理だろう。やろうと思えば、この私に
だって、ホームレスの人たちを救済する運動なり、活動ができるはず。

 食事の炊き出しだってよい。

 しかし実際には、私は、何もしていない。何もしない。ただそういう人たちを見て見ぬフリをし
て、その場を立ち去るだけ。

●博愛とは……

 ニヒリズムを「悪」と位置づけるなら、その反対側にあるのが、「博愛」ということになる。それ
を教えたのが、イエス・キリストということになる。私たちは、そんなわけで、いつも心の中で、ニ
ヒリズムと博愛のはざまで、迷う。行ったり来たりする。「揺れ動く」と表現してもよいのかもしれ
ない。

 今の私がそうだ。

 兄は現在、グループホームに身を寄せているが、その費用だけでも、月額12〜3万円はか
かる。入院したりすれば、さらにかかる。すべて私の負担である。加えて母の介護費用もある。
けっして楽な額ではない。

 姉は心のやさしい女性だから、それを連絡しながらも、「あなたも心配でしょう」と、言外でそ
れをにおわす。しかし、今の私は、そういう気持ちは、ほとんどない。あるとすれば、何かあれ
ば、母のほうが心配するだろうから、そういう心配を、母にはかけたくないという思いだけ。

 仮に兄に万が一のことがあったとしても、私は母には、そのことを話さない。

 かといって、自分の心を偽るのも苦しい。それほど心配もしていないのに、口じょうずに、そ
れを表現するのもつらい。心配しているというフリをするのは、さらにつらい。だから私はだまっ
て、姉の報告を聞くだけ。

 一方、「そうであってはいけない」という自分が別のところにいて、自分を責める。「お前の家
族ではないか」「もしお前の息子だったら、どうする」と。

 こんなとき私は、ニヒリズムと博愛の間で、揺れ動く。「なるようにしかならない」という思いと、
「弟としてお前は冷たい人間だ」と自分を責める思い。その間で揺れ動く。

 博愛……同じく日本語大辞典には、こうある。「だれでも平等に愛すること」と。

 しかしそんなことは、本当に可能なのだろうか。博愛でないにしても、(部分愛)でもよい。少な
くとも身内や、道路で見かけた人でもよい。その範囲の人を、自分のワイフや息子たちと同じよ
うに、愛することでもよい。

 しかし今の私には、その自信はない。つまり私も、その程度の人間ということか。

 欲望と闘うことは、むずかしい。しかし反欲望と闘うことは、もっとむずかしい。いま、それを再
発見した。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 欲望
論 反欲望論)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2118)

●映画『トランスフォーマー』

++++++++++++

劇場で、映画『トランスフォー
マー』を見た。昨日が、その
封切り日だった。

ウム〜ン……。

星は、2つの、★★。

率直に言えば、がっかり。

期待が大きかっただけに、
がっかり。

めまぐるしいアクションシーンの
連続で、それなりのおもしろさ
はあったが、そこまで。

「映像革命」と前評判は
高かった。たしかに、
映画としては、すごい。

その一言に尽きる。

++++++++++++

 映画としては、わかりやすい。善玉のトランスフォーマー(ロボット)と、悪玉のトランスフォーマ
ー(ロボット)が戦う。最後は、善玉のトランイフォーマが勝つ。昔あった、日本のアニメそのま
ま。そう、アニメをそのまま映画化したような映画。

 ガンダムファンなら、(あるいはガンダム世代なら)、心を震わせて感動することだろう。しかし
私の子どものころには、まだガンダムはなかった。

 まさに娯楽映画……ということで、コメントはなし。二作目もすでにうわさにあがっているが、
二作目は見ない。私には、そういう映画だった。ゴメン!


●暑い

++++++++++++

せっかくの日曜日だったが、
外出先から、途中でUターン。

「今日はドライブもやめた」と。

つまり、今日は、それくらい
暑かった。

気温は、この浜松でも35度
近かったのではないか。

気温計を見ていないので、
正確な数字はわからない。

++++++++++++

 今年のはじめ、オーストラリアはたいへんな干ばつに襲われた。が、今は、中国の北部、ハ
ルビン市周辺が、たいへんな干ばつに襲われているという。

 大陸で起きることは、スケールがちがう。日本がすっぽり、何個も入ってしまうような規模で、
干ばつが起きる。しかも気温が40度とか、45度にまで上昇する。

 本当に日本人は、ラッキーだと思う。島国日本は、四方を海に囲まれ、北海道から九州ま
で、3000メートル級の山々を連ねている。

 この地理的な恩恵によって、温暖化による影響を最小限に食い止めている。もちろん巨大化
した台風や、季節はずれの台風、それによる大雨などの被害はある。しかし今、中国の北部で
起きている干ばつとくらべたら、何でもない。

 中緯度地帯にあるということも幸いしている。あと数十年あまりで、日本も現在の台湾なみの
気候になると言われている。しかしその程度。もしそうなれば、ヨーロッパ大陸も、アメリカ大陸
も、メチャメチャになっているはず。もちろん中国大陸も!

 そうなればもっと真剣に、温暖化対策に、みなが取り組むようになる。よく「地球温暖化で、最
後まで生き残るのは、日本人だろう」と言われる。その理由は、こんなところにもある。

 だからといって、日本が何もしないというのは、おかしい。そういう国であるなら、なおさら、世
界に向かって、リーダーとして、地球温暖化の防止のために活動をしなければならない。

 そんなことを考えながら、家に帰ってきてから、1、2時間ほど、昼寝をした。扇風機をブンブ
ンと回して、昼寝をした。

 少し前に起きたところ。頭はまだボーッとしている。ドカッとした熱気も、まだ残っている。

 今年もクーラーなしで、がんばるぞ!


●誘引行為

++++++++++++++++

先日、メルマガの編集部から、
お叱りを受けた。

「コマーシャルをクリックしてほしい」と書いた
私の記事が、誘引行為に当たるというのだ。

知らなかった。
認識不足だった。

だからさっそく、8月6日号の配信分から、
その文言を消した。

++++++++++++++++

 「誘引行為」。この聞きなれない言葉が、メールで届いた。私の書いた文言が、その誘引行
為に当たるという。つまり「アンフェアな行為である」と。

 さっそく、8月6日号の配信分から、その文言を消した。

 みなさんが、コマーシャルを1回クリックしてくれると、私のところに、20ポイント(=20円)、
入る仕組みになっている。しかしその希望も、これでツユと消えた。

 この世界で、お金を稼ぐのは、本当にむずかしい。改めて、それを知った。まあ、気が向いた
人がいたら、どうか、コマーシャルをのぞいてみてほしい。1回クリックしてくれると、私のほうへ
20円入る仕組みになっている。

 (これも誘引行為かな?)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2119)

●いじめ、一考

+++++++++++++++

世間で言われているほど、いじめの
構造は、単純ではない。

世間では、いじめられる側を、絶対的な「善」、
いじめる側を、絶対的な「悪」と
とらえる傾向が強い。

たしかにいじめは、深刻な問題である。
いじめられる側は、そのつど、大きく、
心が傷つけられる。

いじめはなくさねばならない。

それはそれとして、だからといって、
「善」と「悪」の間に、明確な一線が
引けるというわけではない。

少し前、こんなことがあった。

+++++++++++++++

 ある母親から、そのとき小5になる女児について、電話がかかってきた。その女児の名前を、
Aさんとしておく。

 Aさんが、学校でいじめにあっているというのだ。話を聞くと、かなり深刻な内容である。みな
から、仲間はずれにされる。制服が汚される。カバンがナイフで切られる、など。そのためAさ
んの母親は、「転校も考えている」と。

 しかしそのAさんについて、べつの母親から、ちょうど同じころ電話がかかってきた。べつの
母親の女児の名前を、Bさんとしておく。AさんとBさんは、クラスはちがうが、同じ学校に通って
いた。部活も同じ。

 その部活で、何と、「Aさんは、みなに、嫌われている」「Aさんは、友だちを平気でキズつける
ような言葉を言う」「乱暴」「勝気」「気が強い」と。その上で、「Aさんが、Bさんを、いじめている」
というのだ。Bさんの母親は、こう言った。

 「Aさんが、みなと言い合わせて、うちの子(Bさん)を、無視したり、仲間はずれにしたりする」
と。

 私は、最初、この話が信じられなかった。Aさん自身も、学校でいじめにあっている。そのAさ
んが、今度は部活という場で、Bさんをいじめている!

 ……というような例は、多い。あるいは、いじめられるのがいやで、わざといじめグループに
加担している子どももいる。あるいはいじめられる前に、先手を打って、いじめに走る子どもも
いる。さらにいじめといっても、内容はさまざま。

 多いのは無視、差別、仲間ハズレだが、もの隠し、中傷、非難、いじわるなどもある。仲がよ
いフリをしながら、相手をいじめるというケースもある。子どもの世界は、表面的な様子からだ
けでは、わからない。

 ここに書いた、もの隠しにしても、たいていそれをする子どもは、される子どもの近くにいる。
仲がよいフリをする。またいじめる側の子どもにしても、「いじめる」という意識がないまま、いじ
めるというケースもある。本人は、ちょっとした悪ふざけのつもり、というケースも多い。

 一方、いじめられる側が、被害妄想を肥大してしまうというケースもある。ちょっとした事件で
も、おおげさにとらえたりする。相手があいさつをしなかっただけで、「仲間はずれにされた」と
訴えたりする。うつ状態になると、それがさらにひどくなる。

 で、いじめる側が絶対的な悪かというと、そうとも断言できない。受験勉強などの過負担か
ら、それを解放しようと、いじめをはけ口にするケースもある。冒頭にあげたAさんにしても、そ
のとき受験を目的に、いくつもの塾に、かけもちで通っていた。そうした抑圧感が、Aさんの心を
ゆがめていたとも考えられる。Aさん自身も、はげしい受験競争の犠牲者ということになる。

 またいじめられていると訴える子どもにしても、(学校へ行くのがいや)という気持ちを、合理
化すためにそうするというケースもある。こういう子どものばあい、「Xさんがいじめるから、学校
へ行きたくない」と訴えるから、Xさんを排除してやると、今度は、「Yさんがいじめるから、学校
へ行きたくない」などと言いだしたりする。

 子どものいじめを考えるときは、こうした複雑な「糸」を、一本ずつほぐさなければならない。
その上で、純粋な(?)いじめと判断されるときには、適切に対処する。もちろんそういうケース
も多い。そういうばあいは、最終的には、転校も、ひとつの選択肢ということになる。

 もう一言つけ加えるなら、こういうこともある。

 家では、借りてきたネコのようにおとなしい半面、学校という場で、陰湿きわまりないいじめを
繰りかえす子どももいる。だからだれかから、「おたくの子が、うちの子をいじめています」など
と言われたりすると、そういう子どもの親ほど、それに猛烈に反発したりする。

 「うちの子は、そんなことをする子ではない!」と。親自身が、子どもの外での様子を知らな
い。

 反対に、いじめられながらも、家では、つまり親の前では、表面的には、明るく、なにごともな
いかのように振る舞う子どももいる。

 ……などなど。子どもの世界は、おとなたちが考えているより、ずっと複雑。いじめも、そのう
ちのひとつ。だから単純に考えることはできない。また単純に考えてはいけない。そういうふう
に考えて対処すると、たいてい失敗する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 いじ
めの構造 いじめ)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ダジャレ文化

+++++++++++++++

まず、ダジャレと思考を区別しよう。
この日本では、ダジャレが、花盛り。
そのダジャレをもって、思考と、
みな、誤解している。

+++++++++++++++

 「はやし・ひろしが、パーになった。ぱやし・ひろし」
 「はやし・ひろしが、貧乏になった。はやし・せまし」
 「はやし・ひろしが、かけっこで、ビリになった。おそし・ひろし」と。

 こういうのをダジャレという。言葉の遊びの一つだが、それはたとえて言うなら、脳ミソの表面
をかけめぐる、乱信号のようなもの。脳ミソのあちこちを刺激するには、それなりに効果がある
かもしれないが、思考とは、まったく異質のもの。

 思考には、論理性と、連続性と、普遍性がなければならない。

 論理性というのは、「法則的なつながり」(広辞苑)をいう。連続性というのは、「夕日は赤い」
「赤いのは、光の屈折によるもの」「屈折は、空気中のチリが原因で起こる」というように、その
論理が、つながっていることをいう。

 突発的に、「夜は暗い」「暗いから、さみしい」「さみしいのは、心の問題」と思いつくのは、思
考ではない。論理性も連続性もないからである。

 さらに思考が思考であるためには、普遍性がなければならない。「昨日と今日とでは、言うこ
とがまるでちがう」というのは、思考ではない。また「アメリカ人と日本人とでは、言うことがまる
でちがう」というのも、そうだ。

 今、この日本では、そのダジャレ文化が、花盛り。どこもかしこも、ダジャレ一色。そう言って
も過言ではない。

 テレビのダジャレ番組に始まって、日常生活のありとあらゆる分野に、そのダジャレが、入り
こんでいる。子どもの世界、教育の世界とて、例外ではない。親も子どもも、「思考する」という
ことそのものを、放棄してしまっている。そんなようにさえ感ずる。

 そもそも、「進学率の高い学校、イコール、いい学校」という発想そのものが、ダジャレ。どうし
て(いい成績)が、(いい進学率)につながり、さらに(いい学校)という評価につながるのか。(い
い……)という言葉だけで、それぞれがつながっているだけ。(いい……)という意味もおかし
い。つまり論理性がまったく、ない。

で、あとはすべてが、このダジャレを基盤にして、成りたっている。教育も、子育ても……。その
典型的な例が、進学塾。

 進学塾の経営者と話をしていると、どこか狂信的でさえある。そう思うのは私だけかもしれな
いが、「いい大学を卒業することだけが、幸福への道」とさえ考えているフシすら、ある。もっと
言えば、「有名大学を出た人だけが、人間」と。

 そこはまさにダジャレの世界。しかし、そのダジャレに気づく人は少ない。たとえばテレビのダ
ジャレ番組を見て、ゲラゲラ笑う。ダジャレ・クイズ番組を見て、それが思考と錯覚する。思考と
ダジャレの区別すら、できない。できないまま、さらにダジャレの世界に、溺れてしまう。

 視点を変えて、この問題を考えてみよう。

 報道の自由という言葉がある。その報道の自由について、毎年、その自由度が、ある団体か
ら発表される。「国境なき記者団」(NGO)という団体がそれだが、その団体の調査によれば、
デンマークを1位として、フィンランド、アイスランド、アイルランド、オランダ……とつづく。

 日本は、世界でも37位。あのK国は、ビリ。「(K国には)、言論らしきものが存在しない」(同
NGO)、そうだ。

 報道の自由イコール、言論の自由。言論の自由イコール、思考力ということにはならないが、
しかしこの「37位」という数字に、私たち日本人は、もう少し謙虚に、耳を傾けるべきではない
だろうか。

 たとえばテレビのダジャレ番組を見る。そこではいつも、実に軽薄そうな若い男女が、意味の
ないダジャレを飛ばしあっている。「お前、バカか?」「おれは、バカや!」と。そして相手の頭
を、何かで、ポカンとたたいてみせる。

 しかしこういうのは、報道の自由とは言わない。つまりこの日本では、意味をもたないことを、
ギャーギャーと騒ぐ自由はあるが、それは本来の、報道の自由というものとは、異質のもので
あるということ。ひるがえって、K国についての報道番組を見る。

 首都P市でも、市民たちは、それなりに会話をしているようだ。最近の報道によれば、ハンバ
ーガーショップもできたそうだ。もちろん市民が読む新聞もあれば、テレビもラジオもある。恐ら
くK国の人たちは、自分たちは、(自由な人間)と思いこんでいるにちがいない。

 だからだれかが、K国の人たちに、「あなたがたの国は、報道の自由度では、ビリですよ」と
言っても、K国の人たちは、それを信じないだろう。あるいは反対に、こう反論するかもしれな
い。

 「くだらないダジャレを報道することが、報道の自由と言うのか。それがわからなければ、日
本のバラエティ番組を見ろ。見るからに軽薄そうなタレントたちが、ギャーギャーと騒いでいる
だけではないか」と。

 同じように、今、「日本は、37位」と言われても、ピンとこない人は多いのではないだろうか。
驚くなかれ、あの韓国は、日本を抜いて、34位という。つまりこと、報道の自由に関しては、韓
国のほうが、日本より進んでいる、と!

 しかしこのことも、「思考」というレベルから考えると、納得できる。「日本人は、自ら考える国
民か?」と問われれば、答は、「ノー」ではないか。そしてその傾向は、年々、ますます強くなっ
てきている(?)。つまり日本人は、ますます考えない国民になりつつある(?)。その結果の1
つが、国境なき記者団(NGO)の発表した、「37位」という数字ということになる。

 何だか話がこみいってきたが、要するに、ダジャレは思考ではないということ。そしてそのダ
ジャレを連発することを、言論の自由とは言わないということ。今、日本そのものが、そのダジ
ャレに包まれてしまっていて、何が思考で、何が思考でないかさえも、わからなくなってしまって
いるということ。

 そこで私たちがすべきことといえば、まず、ダジャレがどういうものであるかを知り、そのダジ
ャレを、思考と区別すること。すべては、そこから始まる。さらに思考をみがくのは、そのあと、
ということになる。

 でないと、日本人は、ますます考えない国民、つまりケータイをもったサルになってしまう。
(はやし浩司 思考 思考力 ダジャレ論 ダジャレ 国境なき記者団 報道の自由 言論の自
由)

【付記】

 昨日、新しいラジオを購入した。ライト付きの小さなラジオだった。

 さっそくAM放送に、耳を傾ける。私にとって、ラジオを聞くのは久しぶり。しかしそのラジオを
聴いて、あまりの軽薄さに驚く。

 世界に住む日本人たちの夏休みの様子を紹介していた(8月6日)。「ヨセミテ自然公園で散
策しました」「上海の海をみました」「……(忘れた!)……」と。

 聞いた瞬間、脳みその穴から、外へ出てしまう。そういう情報を、「情報」と錯覚する悲しさ。
「知識」と錯覚する悲しさ。さらに「思考」と錯覚する悲しさ。まさに意味のない情報の洪水。「だ
から、どうなの?」という部分が、何もない。

 これもダジャレ? 「夏休み」という言葉にかこつけた、ダジャレ? 夏休みにかこつけて、ジ
ャレあっているだけ。私には、そう思えた。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●韓国のひがみ節(2)

++++++++++++++

アメリカのワイントン・ポスト紙が、
日本を批判した(?)記事を掲載した。

日本の新聞社で、その記事を
取り上げたところは、ひとつもない。

しかし韓国の朝鮮N報だけは、別。
「日本が大国?」というタイトルつき。

++++++++++++++

朝鮮N報の記事を、そのまま紹介する。

++++++++以下、転載

 日本がアジアの新たな大国? それは誤解に過ぎない

アメリカのワシントン・ポスト紙が、8月5日、「日本に対する五つの根拠のない話」という寄稿文
を掲載した。

 アメリカのメディア・グループ、ナイトリーダー社の東京特派員を務めていた、マイケル・ジレン
ジガー氏が寄稿したこの文は、「日本が北朝鮮の核問題解決のため米国をサポートすると考
えるのは誤解だ」としている。以下はこの寄稿文が指摘する5つの誤解だ。

(1)日本はアジアの新たな大国に浮上するだろう

 米国は日本がアジアの大国に浮上し、中国をけん制することを期待した。また、日本が海外
派兵を増やすなど、アジアで米国の代理をするものと思っていた。こうした考えは先日、安倍首
相が参院選で敗れたことから「風前のともしび」となった。

(2)日本は不景気から脱した

 日本は15年間という長期にわたる不景気から脱したように見えるが、国内消費はまだ「貧
血」症状を示している。日本銀行はかろうじて黒字を維持し、消費者価格は下がり続けてい
る。国内消費の需要は弱く、実質金利は事実上ゼロだ。

(3)周辺国と不都合な関係を清算した

 まだ清算はできていない。日本がアジアの中心国家になれないのは、周辺国との「歴史問
題」を解決できていないからだ。日本の教科書は南京大虐殺や韓国の占領、旧日本軍による
「慰安婦」連行など、第2次世界大戦時の惨状について、若者たちにきちんと教えていない。安
定したアジアのために良い兆候ではない。

(4)北朝鮮の核問題で日本が米国をサポートするだろう

 もともと米国と北朝鮮は核の放棄を条件に国交正常化を行う方針だった。そうすれば日本が
北朝鮮の経済を支援し、北朝鮮を21世紀の国家に引き上げるという構想だ。だが、日本の指
導者たちは、「米国は日本の宿願である北朝鮮拉致被害者問題を解決せず、北朝鮮と妥協す
るため日本を捨てた」と考えている。安倍首相は参院選惨敗で、今後米国の怒りを買ってでも
さらに強硬な姿勢を示すほかない立場に立たされている。

(5)日本政府は企業のように長期ビジョンを持っている

 ホンダやトヨタは次世紀に何をすべきか頭を悩ませているが、日本政府自体はどのような国
になるかを考えていない。

以上、転載++++++++++

 そこで私は、ヤフー(USA)の検索エンジンを使い、30分ほど時間を費やし、ワシントン・ポス
ト紙を調べてみた。しかし8月5日付の新聞にも、また念のため8月4日付の新聞にも、それら
しいタイトルのコラムはなかった。

 ワシントン・ポスト紙のHPには、記事のタイトルしか並んでいない。さらに内容を読みたいば
あいには、メールアドレスと、パスワードを入力することになっている。

 目立ったのは、従軍慰安婦問題の記事。「日本に弁解の余地なし」「日本は謝罪しない」と。
それについては、一日本人として、おおいに反省しなければならないと思っている。

 私が調べたかぎりでは、あくまでも「寄稿」。(それとも「投書」?)少なくとも、HPにズラリと並
んだタイトルの中には、そういう記事はなかった。それを疑う人は、自分で調べてみたらよい。

 http://www.washingtonpost.com/

 日本関連の記事としては、8月4日に、アベ・シンゾウが、広島に向かって旅立ったという記
事、それにトヨタが、アメリカで最高益をあげたというニュース。それだけ。(8月5日付、ワシン
トン・ポスト)。

 朝鮮N報のこの記者は、ワシントン・ポスト紙のどこで、このような記事を手に入れたというの
だろうか。

 それによく読むと、タイトルは、「日本に対する五つの根拠のない話」であって、「日本がアジ
アの新たな大国? それは誤解に過ぎない」というのは、朝鮮N報が勝手につけたタイトルであ
ることがわかる。

 だいたい、「日本が新たな大国?」という見出しそのものがおかしい。今も、過去も、日本は、
アジアの大国である。

 貿易収支と所得収支の黒字だけでも、この円安環境の中にあっても、毎年10兆円近くもあ
る。貿易高だけをみて、「日本は中国に負けた」と騒ぐ人は多いが、少なくとも今のところ、日本
は大国である。その地位は、みじんも揺るいでいない。赤字に悩む韓国とはわけがちがう!

 そこで改めて、ワイントン・ポスト紙にそういう記事があったとして、この記事に反論を加えて
みたい。

(1)日本はアジアの新たな大国に浮上するだろう

 アジアでアメリカの代理をしないからといって、日本が大国ではなくなったというのは、論理そ
のものが、ズレている。反論の価値なし。

(2)日本は不景気から脱した

 赤字で苦しむ韓銀とは、わけがちがう。わずかでも黒字であるだけでも、御(おん)の字。だい
たい日本銀行が黒字という表現そのものがおかしい。日本銀行は紙幣を印刷するだけの組
織。営利を目的とした、企業体ではない。

 一方韓国では、韓銀そのものが、おかしな国債まがいの証券(「通貨安定証券」なる証券)を
発行して、市中から、お金を借り上げている。こんなバカげた国が、ほかにどこにある?

(3)周辺国と不都合な関係を清算した

 まだ清算はできていない。日本がアジアの中心国家になれないのは、周辺国との「歴史問
題」を解決できていないからだ。日本の教科書は南京大虐殺や韓国の占領、旧日本軍による
「慰安婦」連行など、第2次世界大戦時の惨状について、若者たちにきちんと教えていない。安
定したアジアのために良い兆候ではない。

……という部分については、日本もおおいに反省すべき。私も同感。

(4)北朝鮮の核問題で日本が米国をサポートするだろう

 これについては、ブッシュ大統領というより、R国務長官が、日本人の心を完全に読み誤った
と言える。日本がアメリカをサポートできない状態をつくったのは、R国務長官自身ではないの
か。

 K国にすり寄り、韓国にすり寄った。中国を誇大視化すると同時に、日本を切り捨てた。その
責任は、日本にあるわけではない。

 紙屑になりつつあるアメリカドルを今まで、買い支え、その資金でこれまたアメリカの国債を
買い支えてきたのは、この日本である。わかりやすく言えば、(引き出し不能)の貯金を、アメリ
カという銀行に対してしてきた。

 そういう恩義は、どこへ消えたのか?

(5)日本政府は企業のように長期ビジョンを持っている

 ホンダやトヨタは次世紀に何をすべきか頭を悩ませているが、日本政府自体はどのような国
になるかを考えていない。

そんなことは、日本の勝手。何も安倍総理大臣を支持するわけではないが、他国の評論家に
あれこれ言われるべき筋合のことではない。そんなことを心配をするなら、まずアメリカ自身の
心配をしたらよい。

 ……以上が、この記事に対する反論ということになるが、本当は、この反論先は、この記事
を大きくとりあげた、朝鮮N報に対するものということになる。

 もし日本の大新聞社が、ワシントン・ポスト紙で、韓国を批判記事、(批判記事というより、ヤ
ユに近いが)、それを報道したら、韓国の新聞は、どう反応するだろうか。日本の大新聞社な
ら、そんなことはしない。しても、意味がない。だいたい韓国など、相手にしていない。

 つまりこういう記事をとりあげて、自国で報道するということ自体が、韓国独特の(ひがみ節)
ということになる。わかるかな?

 韓国にとって、日本の悪口ほど楽しいものはないのかもしれない。その気持ちは、ヨ〜ク、わ
かる。しかし同時にそれは、韓国が、小さな、どこまでも小さな国であることを意味する。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●今度は筑波大学准教授!

++++++++++++++

またまた痴漢行為で、1人の
准教授が、逮捕された。
今度は、筑波大学の准教授。

しかも講演先の、四国のT県で。
そのT県から、となりのK県にある、
某大学へ向かう途中の電車の中での
ことだったという。

いったい、この世界、
どうなっているのだ?

+++++++++++++

 またまた痴漢行為で、1人の准教授が、逮捕された。今度は筑波大学の准教授、50歳。8
月5日のことだった。電車の中で、若い女性の体や胸をさわりつづけたという。

 こういう事件を聞いて、真っ先に思い浮かぶのが、脳みその病気。認知症でもよい。たびた
びとりあげてきた、ピック病もそのうちのひとつ。

 しかしその准教授のばあい、ひとつの大学で講演をしたあと、つぎの大学での講演に向かう
途中でのことだったという。専門は物理学。かなり名の知られた学者だったという。認知症で
は、いくらなんでも、講演はできない。私は、「ヘエ〜」と驚いたところで、つぎの言葉が出てこな
くなってしまった。

 しかし、だ。私もケア・センターに通うようになった、人の見方が、少し変わった。少し前なら、
「何という教授だ」と、一方的に、その教授を責めたかもしれない。しかし脳の病気は、症状も
いろいろ。一方で物理学の講演をしながら、他方で、自己管理能力を失うというケースも、考え
られなくはない。実際、そういう老人もいる。

 こんな話を近くに住む、Y氏(54歳)から聞いたことがある。

 その人の家の隣には、数百坪の空き地がある。しかし地主は、東京都内に住んでいて、ほと
んどといってよいほど、浜松のほうへは来ない。そのため雑草が生え放題。その季節になる
と、夏草が、道路の3分の1くらいまでおおってしまう。

 そこでその人は、手紙を書いた。現場の写真を添え、「何とかしてほしい」と。

 しかしそれに答えて、その地主は、こう言って怒鳴りこんできたという。「受益者が費用を負担
すべきだ」「自分のほうで、草を刈れ」と。その地主は、定年退職をするまで、あの天下のT大
学で教授をしていた人である。名詞には、「T大学名誉教授」とある。言い忘れたがその教授
の、そのときの年齢は80歳くらいだったという。

 ここでいう「受益者負担」というのは、「草を刈ることで、利益を受ける人が、その費用を負担
すべき」という考え方をいう。つまり、「自分で金を出して(=自己負担で)、草を刈れ」と。

 しかも、だ。そのときその地主(=元教授)は、肺がんを患っていて、闘病生活中だったとい
う。そんなわけで、何からなにまで、私の常識では理解できない話だった。

 が、この話も、脳の病気を重ねあわせてみると、納得がいく。冒頭に書いた認知症でもよい。
ピック病でもよい。あるいは微細脳梗塞でもよい。こうした脳の病気にかかると、言っているこ
とはまとも(?)だが、しかし全体としてみると、どこかおかしい……、といった様子になる。

 だから、やはり私は、どうしてもその准教授に同情してしまう。一方的に責めることができな
い。何もむずかしい話ではない。ふつうの常識が備わっている人なら、電車の中で痴漢行為な
ど、しない。それなりの人格者だったからこそ、筑波大学の准教授になれた。もし「?」マークの
つく人だったら、選考会議の席で、落とされていたはず。また各大学を、講演などして回らな
い。

 何があったのだろう……?、と疑問に思ったところで、この話は、おしまい。ひょっとしたら、
明日は、わが身かもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●同等化現象

+++++++++++++++

今日(8月6日)、子どもの、おもしろい
心理を発見した。

なんと年中児の子どもたちが、私の
ことを、「子ども」と言うのだ。

私が、「私はジイさんだ。子どもではない」
と言うと、こう反論した。

「だって、先生には、お父さんがいるでしょ。
お母さんがいるでしょ。だったら先生は
子どもだ」と。

ナルホド。

が、そのあとのこと。私がたまたま参観していた
母親たちのほうを軽く指さして、「では
あそこに座っている人たちは何んだ?」と
聞くと、みな、こう言った。

「あそこに座っているのは、おとなだ」と。

そこでさらに私が、「では、ぼくはおとなでは
ないのか?」と聞くと、「先生は、おとなでは
ない。子どもだ」と。

教える私と、教えられる子どもが一体化すると、
こういう現象が、ときどき起こる。

たとえば私が、「1、2、3……。3のつぎは
何だったけエ?」と声をかけると、子ども
たちは、「4だ」と真顔で教えてくれる。

私自身を、自分たち子どもと同等の立場に置く。

これを名づけて、「同等化」という。
私が考えた言葉である。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2120)

【さあ、夏休み!】

++++++++++++++

今日(8月7日)、1日仕事をすれば、
私は、夏休みに入る。

バンザ〜イ!

夏休みの間、講演が1つと、旅行が1つ。
あとは予定なし。

いや、この夏休みを利用して、書斎を
改造する。

あとは予定なし。

++++++++++++++

●イスラム教

++++++++++++++

キリスト教とイスラム教は、たいへん
よく似ている。よく「兄弟」にたとえられるが、
おおかた、まちがっていない。

ちょうど1000年を経て、ほぼ同じ場所で
生まれたという点も、「よく似ている」。

唯一の大きなちがいは、
キリスト教では、イエス・キリストを、
「神の子」と位置づけているのに対して、
イスラム教では、ムハンマドを、
「Messenger(予言者)」と位置づけて
いる点である。

イスラム教では、イエス・キリストもまた、
「Messenger(予言者)」と位置づけている。

++++++++++++++

 韓国のキリスト教徒の一団が、アフガニスタンで、現地の反政府勢力(タリバン)に拉致され
て、すでに20日間近くになる。すでにうち2人が、殺害されている。

●イスラム原理主義

 このところ、毎日のように書店へ立ち寄っては、イスラム教の本を読む。興味がある。もっと
知りたい。私にとっては、決して、無縁の世界ではない。留学時代の友人の何割かは、そのイ
スラム教徒であった。イランについて言えば、原油との関係において、日本人にとっては、決し
て、無縁の国ではない。

 イスラム教の世界にも、近代化の波が押し寄せたことがある。その筆頭にあげられるのが、
トルコ。

 トルコは、第一次大戦に敗北し、オスマントルコが解体されたあと、近代化の道を歩んだ。そ
れまでの政教一致の国家体制から、政教分離の国家体制へと、大変革した。

 こうしてアラブの世界にも、つぎつぎと、近代国家が生まれていった。アルジェリア、シリア、エ
ジプト、それにイラクもそうだ。

 が、これに対抗する勢力も生まれてきた。それが、ハサン・アル・バンナー(1906〜49)率
いる、『イスラム同胞団』である。イスラム同胞団は、イスラム教に基づく、国家建設こそが、ア
ラーの教えに従ったものだと、民衆に向かって説いた。

 私たちが今、「イスラム原理主義」と呼んでいるのは、それをいう。が、そのイスラム同胞団
は、そののち反英闘争と結びつき、さらに最近では、反米闘争へと結びついていった。

 つまり歴史が長い。長いから、ここらあたりで、ちょっと日本がでかけて行って……というよう
なやり方で、理解できるような問題でもないし、解決できるような問題でもない。今回のイランの
核開発問題にしても、そうだ。

 アメリカは、一時、単独でも、イランの核開発施設を攻撃する構えを見せたが、言うなれば、
これはアメリカ型合理主義と、イスラム型原理主義の対立と考えてよい。そのイランは、1979
年のホメイニ革命によって、政教一致の国家体制を築いている。

 しかしここで注意しなければならないのは、私たちがイスラム教に対してもっている、偏見と
誤解である。ものの考え方が、どうも西欧的というか、西欧の立場でしか、イスラム教の世界を
みない。たとえばここでいうイスラム同胞団にしても、「原理主義はおかしい」というふうに、すぐ
考えてしまう。またそういう前提で、ものを考えてしまう。

 しかしもとを正せば、イスラム同胞団にしても、イギリスの植民地政策への反発から生まれた
ものである。事実、イギリスは、イスラム同胞団を、徹底的に弾圧したこともある。そういう歴史
があることも忘れて、今ここで、「イスラム原理主義は……」と論ずることは、危険なことでもあ
る。

 が、しかし皮肉なことに、こうした原理主義は、国家の近代化の足かせとなるだけではなく、
ばあいによっては、国家そのものの近代化を後退させる原因ともなりかねない。イランについ
て言えば、国家が目ざした工業などの近代化は、ことごとく失敗。原油を売るだけの国になって
しまった。わかりやすく言えば、西欧との差をますます広げている。

 そこで今回のイランの核兵器開発問題について言えば、そうした(あせり)が、イランをして、
核開発に向かわせたとも考えられなくはない。このままでは、イランは、アラブ社会の中でも、
「顔のない国」になってしまう。イランは、それを恐れた(?)。

 ところでイランの核兵器開発問題は、決して日本とは無縁の問題ではない。もし国連の安保
理で、経済制裁ということにでもなれば、日本は、この地域から、最大の油田開発の1つを失う
ことになる。(すでに実質的に、失っているが……。)アザデガン油田が、それである。日本に
与える影響は、甚大である。

話をもとに戻す。

現在、アフガニスタンで拉致された、韓国のキリスト教徒の問題は、大詰めを迎えつつある。

「捕虜と交換しろ」と主張するタリバン側。「ぜったいにならぬ」とがんばる、政府側。その間に
あって、アメリカ批判を強める韓国側。水面下では、お金で解決しようという動きもあるという。

ただこうしたタリバン側の行動に対して、タリバンに対する風当たりが、このところ一段ときびし
さをましているという。それまではタリバン・イコール、反政府勢力というふうに考えていた人た
ちが、タリバン・イコール、ただの強盗集団と考え始めたという。

……ということで、この話は、ここまで。つづきは、キリスト教徒たちが無事、解放されてから書
いてみたい。

【補記】

 現実の数字。

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
              2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

 中東の政治的安定は、日本にとっても、死活問題なのである。こうした現実を無視して、「イラ
ン問題は、日本には関係ない」と、どうして言うことができるのか。

 04年2月、日本とイランが開発に合意した、「アザデガン油田」は、推定埋蔵量260億バレ
ルで、世界第二の大油田ともくされている。

 もし、イランの核疑惑問題がこじれるようなことがあると、日本は、この油田の利権すらも失う
ことになる。すでに日本は、5年前、アラビア石油のカフジ油田の利権の半分を、失っている。

 悲しいかな、ここは、中東最大の宗主国であるアメリカに、日本は、泣きつくしかないのであ
る。アメリカの機嫌をそこねたら、アザデガン油田はもちろんのこと、日本は、中東から原油を
輸入することすら、ままならなくなる。

 日本の立場は、きびしい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 イスラ
ム教 モハメッド ムハンマド マホメッド イスラム原理主義)


Hiroshi Hayashi++++++++++FEB. 06+++++++++++はやし浩司

●A外務大臣について

++++++++++++++++++

またまた8月15日が近づいてきた。

安倍内閣は、先の参議院議員総選挙での
敗北をふまえ、内閣改造を考えているという。

その動きの中で、現在外務大臣をしている
A氏を、今度は、幹事長に抜擢(ばってき)する
という話がもちあがってきた。

幹事長というのは、いわば、大番頭のようなもの。
次期、総理大臣の椅子に一番、近い距離に
就くことになる。

いいのか、日本!

昨年、書いた原稿をそのまま再録する。

昨年(06年、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、
日本のA外務大臣の発言に対して、

「扇動的な発言からは、誠実さも賢明さもうか
がえない」と、批判した。

当然である。

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アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、2月13日、日中関係や靖国神社参拝などをめぐり、A
外相の最近の歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうかがえな
い」と批判する社説を掲載した。

 社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」と述
べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言を取りあ
げ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判。(以上、毎日新
聞)

 A外務大臣の発言に対しては、私も、まったく同じ印象をもった。それについて書いた原稿
を、そのまま、もう一度、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

●A外務大臣

++++++++++++++++++

A外務大臣が、靖国神社参拝問題に関連し、
「天皇陛下による参拝が一番だ」と述べた
という。

「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば
言うだけ、行かざるを得なくなる。

『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ。

黙っているのが、一番』と、も。
(中日新聞・06年・1・29)

++++++++++++++++++

 A外務大臣は、こう述べた。

 「(靖国神社に)まつられている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と言った
のであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです。だったら、天皇陛下の参拝、それが一番」
「天皇陛下による参拝が一番だ」と。

 この発言には、いくつかの重大な問題が隠されている。それらを順に考えてみたい。

(1)天皇は、外務大臣のあやつり人形なのか?

 この発言を聞いて、一番驚いているのが、天皇自身ではないのか。A外務大臣が、天皇の意
思や意向を聞いた上で、こうした発言をしたのなら、まだわかる。しかしそういったプロセスを、
何も経ないで、いきなり「天皇陛下による参拝が一番だ」とは!

 もしあなたが天皇なら、何と答えるだろうか。どう考えるだろうか。あるいはもっと卑近な例で
考えてみよう。もしだれかがあなたに、「子育ての最中にあるのだから、あなたに、菅原道真
(すがわらのみちざね)の神社を参拝してもらいます。それが一番だ」と言ったら、あなたは、ど
う答えるだろうか。

 天皇の内心のことは、私にもわからない。しかし天皇のほうから、そういった希望でも出され
ているのなら、まだしも、そういった希望を確認しないまま、外務大臣(ごとき)が、そういう発言
をすることは、許されない。少なくともそういった天皇自身の希望は、外の世界の私たちには、
届いていない。

(2)天皇の戦争責任を追及した言葉にならないのか?

「天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです」という
発言は、そのまま、天皇に対する戦争責任を追及した言葉になってしまう。自民党政権として
は、絶対に容認できない発言のはず。わかっていても、それを口にしたら、おしまい……という
のが、この発言である。それを、A外務大臣は、公(おおやけ)の場で、堂々と口にしてしまっ
た。

 A外務大臣のみならず、K首相は、この発言に対して、どう責任を取るつもりなのだろう? 
軽率といえば、軽率。

 私が知るかぎり、戦場の日本兵たちは、多くは、最後は、「お母さん!」とか、「お父さん!」と
か言って死んでいったという。「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった兵隊は、少なかっ
たという。

 が、それでも「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった日本兵がいなかったわけではな
いだろう。が、そのことには、歴代の戦後政権は、あえて触れないで、今までやってきた。もし
それが事実と認めてしまうと、その戦争責任は、まっすぐ、天皇に向かってしまう。

(3)『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ、とは?

 人格の完成度は、自己管理能力などによって決まる。自己管理能力のある人を、人格の完
成度の高い人という。

 が、A外務大臣は、「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば言うだけ、行かざるを得なくなる。
『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ」(中日新聞)と。

 新聞記事なので、不正確かもしれない。しかし「『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたく
なるのと同じ」という日本語は、正しくない。正しくは、「『たばこを吸うな、吸うな』と言われると、
かえって吸いたくなるのと同じ」である。

 それはともかくも、この自己管理能力のなさこそが、問題である。私やあなたのような凡人で
はない。外務大臣という、日本を代表する人物である。そういう人物が、自己管理能力のなさ
を、やはり堂々と自ら公表している。このおかしさ。この奇怪さ。

 しかも、中国や韓国に対して、「黙っているのが、一番!」とは! わかりやすく言えば、A外
務大臣は、中国や韓国に対して、「ごちゃごちゃ言わずに、黙っていろ」と発言したに等しい。こ
の、ごう慢さ。この、高慢さ。

 おかげでこれから先、しばらく、日中関係、日韓関係は、ますます冷えこむことになるだろう。
私の知ったことではないが、しかし、外務大臣ともあろう大臣が、率先して、近隣諸国との関係
を悪化させるとは! 私も、ここまで日本の政治家たちの知的レベルが低いとは、思ってもみ
なかった。

(3)靖国神社参拝問題

 「英霊」「英霊」と言うくらいなら、今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、
何でも、しかけたらよい。それが「英霊」の意思を尊重する、もっともわかりやすい方法である。
先の戦争では、300万人以上もの日本人が死んでいる。しかもその大半は、アメリカ軍を中心
とする連合軍によって殺されている。

 しかしA外務大臣ですら、ひょっとしたら、英霊意識など、どこにもないのではないか。「英霊」
ということにしておかないと、まずいから、そう言っているだけではないのか。もっとわかりやすく
言えば、あの戦争は、勝ち目のない、愚かな戦争だった。

 あの戦争では、多くの日本人がだまされ、(だまされたのだぞ!)、戦場に駆り出され、そして
その犠牲者となっていった。つまり「英霊」という言葉は、当時の軍部たちが、自分たちの責任
を覆い隠すために使った言葉にすぎない。「英霊」と祭りあげることによって、「戦争を起こした
のは、国民であって、政府ではない」という形をつくった。つまり戦争責任を国民に、押しつけ
た!

 それを今になってもち出して、あの戦争を肯定することは、許されない。中には、「あのとき戦
争をしなかったら、日本は、欧米諸国の植民地になっていた」と説く人もいる。「ソ連の進攻を
食い止めるために、日本軍は中国で戦った」と説く人もいる。

 なら、百歩譲って、もしそうなら、戦後の今の日本は、何かということになる。GHQによって、
完全に占領され、アメリカの植民地以上の植民地になってしまった。だから私はまた同じことを
言う。

 「今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、何でも、しかけたらよいのでは
ないか」と。A外務大臣、あなたがまず、その見本を見せてほしい。

 ……と、どうも、この問題を考えていくと、頭の中が混乱してくる。わけがわからなくなってく
る。みなが、何かをごまかすために、あるいは何かを隠すために、ものごとを遠巻きに議論し
ている。そんな感じさえする。

 あえて言うなら、今の皇太子妃の例を見てもわかるように、「天皇」「天皇」と、何もかも、その
負担を、天皇家に押しつけないことこそ大切ではないのか。「天皇だってふつうの人間」という
部分をねじまげて、あれこれと議論するから、話がおかしくなる。これ以上、天皇や天皇家の
人々を苦しめて、どうする。今度のA外務大臣の発言の底流には、そんな問題も隠されてい
る。

+++++++++++++

自民党は、もう少し謙虚に、今回の参議院議員選挙での敗北をとらえてほしい。何が左派で、
何位が右派か、混とんとしていて、よくわからない世相になってきたが、現在の自民党は、あま
りにも右に偏(かたよ)りすぎている?

 おかしな民族主義に、おかしな国粋主義。どうして今、この日本で、天皇を元首にしなければ
いけないのか? どうして「象徴」であって、いけないのか?

 またまた8月15日が、近づいてきた。今一度、A外務大臣の発言を、私たちは吟味してみる
必要があるのではないだろうか?

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2121)

●日韓経済戦争(8月7日版)

+++++++++++++++

昨日、韓国の株価は、20ポイント
前後、下落した。

日本も一時的に300円近く下落したが、
終値で、もちなおした。

サッカーにたとえるなら、日本側が
ボールをキープし、ミッドフィルダーが、
フォワードにボールをパスしようと、
そのボールを足元で、ころがしている
ような状態というところか。

とき折しも、韓国のN大統領は、公の
場で、こう言い放った。

「これからは日本と対決していく!」
(8月6日)と。

がんばれ、日本! 負けるな、日本!

+++++++++++++++

 円高になれば、本来なら、韓国の株価は、あがるはず。しかしその韓国からの外資の流出は
止まらない!

 なぜか? つまりは、それだけ韓国は、借金漬けということ。何しろ、外国からの借金(=短
期外債)まで、資本収支に組み入れてしまうような国である。まともな投資家なら、恐ろしくて韓
国の株には、手を出さない。

 しかもその借金(短期外債)は、円キャリーによって、日本から調達したもの。円高にふれた
瞬間から、返済額が膨(ふく)れあがる。もう少し、わかりやすく説明しよう。

 近くに日本の銀行がある。あなたはそこから安い金利で、1億円を借りる。その1億円は、そ
のままでは使うことができない。そこであなたは、1億円を、一度ドルにかえたあと、そのあと、
自国の通貨単位である、ウォンに交換しなければならない。

 わかりやすくするために、1ドルを100円、1ウォンを0・1ドルとして計算してみる。

 円を、一度ドルに替えたあと、ウォンに替える。

 すると、1億円は、100万ドル、つづいて1000万ウォンとなる。あなたはこの1000万ウォン
を使って、土地を買う。マンションを買う。

 が、ここで円高になる。

 1ドルが仮に50円になったとする。そうすると最初に借りた、1億円は、200万ドルということ
になる。あなたは日本の銀行から借りた借金を返済するために、まずドルを買わなければなら
ない。その金額が、200万ドル。つまり借りたときの2倍ということになる。

 円高になったとたん、韓国の返済額が膨れあがるという理由は、これでわかってもらえたと思
う。

 ……ということで、今、外資が急速に逃げ始めている。(もっとも「外資」といっても、短期外
債、つまり借金のことだが……。)

 円高になれば、もちろん日本とて、無傷ではすまない。韓国がデフォルト(国家破綻)すれば、
なおさらである。しかしこれはまさに「戦争」。「経済戦争」。共存共栄などということは、戦場で
はありえない。「戦争」という言葉に問題があるなら、「試合」でもよい。

 勝つか、負けるか。

 今朝の日経新聞によれば、日銀と政府が、政策金利の調整をどうするかで、対立していると
いう(8月7日)。

 「金利水準を調整を、これ以上遅くすることはできない」とする、F日銀総裁。かたやO経済財
政担当相は、「脱デフレが、後ズレしている(から、金利水準の調整を、先にのばせ)」と。政府
は、経済成長を、下方修正したばかりである。

 金利をあげれば、円高に振れる。輸出産業が打撃を受ける。しかしこのまま今のような低金
利政策をつづければ、「資源配分のゆがみ」(O日銀総裁)が生ずる。「資源配分のゆがみ」と
は、ジャブジャブにまかれた日本の円が、日本の社会構造そのものを狂わすという意味であ
る。

 もちろん日本は、日本の利益を最優先にして、ものを考えればよい。韓国といっても、あくま
でも世界の一部。しかし今の情勢からみると、金利水準の調整(=政策金利の値上げ)は、避
けられそうにもない。同時に円高も避けられそうにない。韓国にとっては、まことにもって、お気
の毒としか言いようがないが……。

(付記)

 日本の株価のこの1か月の下落…約1万8000円から、1万7000円に(日経平均)
 韓国の株価のこの1か月の下落…約2000ポイントから、1850ポイントに(KOSPI)

 日本は、5・5%前後の下落幅であるのに対して、韓国は、7・5%も下落したことになる。この
下落率が加速するようにことにでもなれば、韓国の2回目のデフォルト(国家破綻)は近いとい
うことになる。注視!
(以上、07年8月7日現在)

【DATA】

●サービス収支の赤字

韓国のサービス収支の赤字規模が昨年1年間で187億6300億万ドル、世界3位を記録した
ことが明らかになった。 

とりわけ、今年の第一四半期(1〜3月)はサービス赤字規模が61億8000万ドルにのぼり、
世界2位につけたことがわかった。 
これを受け、国内サービス産業の競争力を強化しなければ、貿易収支の黒字をサービス収支
の赤字が食いつぶし、経常収支が悪化する恐れがあるという憂慮が出ている。 

●マンション価格の暴騰

全国のマンション価格が、3.3平方メートル(1坪)あたり、平均800万ウォンを超えた。 
不動産情報会社の「不動産サーブ」では6日、全国583万2489戸のマンションの価格を調査
した結果、1坪あたりの平均価格が801万ウォンと集計されたことを明らかにした。 

分譲価格の自主化などのあおりで、01年から03年まで大幅に値上がりしたマンション価格
は、03年の総合不動産税を骨子とする10・29対策が発表され、翌年は0.19%下落した。
 
しかし、供給不足で05年は9.91%、昨年は22.87%、それぞれ急騰した。

(以上、東亜N報(8月7日版)より)
 

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2123)

●受験戦争から脱落する子どもたち

++++++++++++++

ほんの8、9年前まで、この浜松は
無風地帯だった。

しかし市内に、公立の中高一慣校が
できたとたん、様子が、一変した。

まず、それまであった私立高校が、
息を吹き返した。

それまでは、私立高校といえば、
公立高校の受験に失敗した
子どもたちの受け皿として機能して
いた。

女子専門の私立の中高一貫校は
あるにはあったが、影は薄かった。

そうした学校が、中等部を拡充させた。
新たに男女共学の中高一貫校を開設
した学校もある。それまでの学校名すら
変えた学校もある。

こうしてこの浜松にも、(受験の嵐)が
吹き荒れるようになった。

それは恐ろしいほどの変化だった。

それまでは、「受験」と言えば、中学からの
受験勉強を意味した。

それが今では、小学4、5年生からの
受験勉強をいう。進学塾は、「このときぞ」と
ばかり、それまでの受験クラスを、
おおむね2〜3年、下にさげた。

とたん受験塾も息を吹き返した。

夕方の早い時間帯で教えられる
小学生の存在は、ありがたい。それだけでも、
教室を、2倍に活用できる。

が、肝心なことを忘れていた。
「子どもの心」である。

子どもといっても、人間。親のロボット
ではない。またそうは、うまくいかない。

その途中でキズつき、もがき、そして
受験競争から脱落していく子どもは、
多い。全体の半数以上、あるいは、
もっと多いかもしれない。

が、「脱落」程度ですめば、まだよいほう。
心を痛め、精神を病む子どもさえいる。
さらにそれが引き金で、親子関係そのものを
破壊してしまう子どももいる。

ところで、この世界には、「10%の関門」
という言葉がある。

クラスの中で、10%の子どもが進学塾に
通うようになると、とたんに、クラス全体が
騒がしくなる。

みなが、「ワレも、ワレも……」と、進学塾に
通うようになる。

小学5年生になるころから、ほとんどの
子どもたちが、そのため進学塾に
通うようになる。

しかし……?

++++++++++++++

 親にしてみれば、自分の子どもだけを通して、この世界を見る。それはそれでしかたのないこ
とかもしれない。しかし結論を先に言えば、親は、自分で子育てに失敗してはじめて、失敗と気
づく。それまではわからない。もっとはっきり言えば、失敗するまで、自分が失敗したとは思わ
ない。あるいは失敗した段階でも、「まだ何とかなる」「うちの子に限って……」「そんなはずはな
い」とがんばる。

 が、私には、わかる。すでにその子どもが「失敗」というコースに乗って、失敗に向かってまっ
しぐらに進んでいるときに、それがわかる。しかしそれを口にするのは、タブー。それを親につ
げることは、親自身がもつ(教育観)を否定することに等しい。

 教育観には、その親自身の、全哲学、全価値観、そして過去から現在までの人生観が集約
されている。だからそれを批判したとたん、親自身が大混乱する。しかもその混乱が、親の範
囲のうちだけで収まっていればよいが、ほとんどのばあい、それはそのまま子どもの世界にま
で、飛び火する。

 こうして日夜、「勉強しろ!」「ウルサイ!」の大乱闘を繰りかえしている親子は、この世界に
は、ゴマンといる。

 が、「受験の失敗」だけですめば、まだよいほう。先にも書いたように、その途中で、心を痛
め、精神を病む子どもさえいる。さらにそれが引き金で、親子関係そのものを破壊してしまう子
どももる。が、この段階でも、それを「失敗」と気づく親は少ない。少ないというより、まず、いな
い。

 この世界にも、二番底、三番底がある。もともとは、株取引の世界の用語だが、それはそっく
りそのまま、子どもの世界にも当てはまる。

 大きく分けて、プラス型とマイナス型に分けられる。

 攻撃的になり、態度が粗放化するタイプを、プラス型という。一方、幼児がえり的な症状を見
せ、ものの考え方が退行的になるタイプを、マイナス型という。さらに分析すると、依存型や服
従型、同情型などもある。

 どうであるにせよ、そこで「力」は止まる。進学塾へ通っても、時間ツブシ、時間殺し、それに
その場しのぎのカンニングがうまくなるだけ。「好きな勉強をしていい」などと指示すると、やらな
くてもいいようなムダ勉、ダラ勉、あるいはフリ勉を繰りかえす。もちろん成績は急降下。

 さらに低度が進むと、精神を病む子どもも出てくる。精神を病まないまでも、そのまま非行の
世界に走る子どもも少なくない。

 しかしこの段階でも、学校の教師も、もちろん進学塾の教師も、知っていても、知らぬフリを
する。この世界には、もうひとつ、大鉄則がある。『触(さわ)らぬ神に、たたりなし』。よほど慎
重に接しても、たいての親は、その瞬間、大爆発する。親自身も、心の中は、緊張状態にあ
る。

 「他人の子どものことだと思って、よくも言いたいことを言うものだ!」と怒鳴られたことがあ
る。「あんたは、だまって勉強だけみていてくれればいい」と言われたこともある。それ以上に、
こうした「指導」(もう「教育」ではないぞ!)で、そのあと感謝されることは、まずない。

 受験に成功しても、また失敗すればなおさら、そのまま、さようなら! そういう現実を、こうし
た教師たちは、いやというほど、知っている。思い知らされている。経験のある教師なら、なお
さらである。

 こんな症状が子どもに現れたら、要注意!

★おとなや親の価値観を否定する。あるいは受け入れない(プラス型)。
★ぞんざいな態度、粗放的な生活姿勢、反抗的なものの言い方(プラス型)。
★無口、無視、冷淡な様子。親が困っていても、平気な様子(マイナス型)。
★時間ツブシ、時間殺し、フリ勉、ダラ勉、ムダ勉を繰りかえす(マイナス型)。

 本来なら、一度勉強をあきらめ、親が子どもの受験競争から手を引くのがよい。だが、もちろ
んそれを受け入れる親は、まずいない。少なくとも、私は知らない。

 大切なのは、(子どもの心)。その心を親が守らずして、だれが守るというのか。否定的なこと
ばかりを書いたが、今、その渦中にある親子の、ひとつの救いになればと思って、この原稿を
書いた。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●幼稚な合理化

+++++++++++++++

従軍慰安婦問題について、私の
BLOGのほうに、

「どこの国でもやっていること」
「韓国だって、ベトナム戦争でしていた」
「戦争には、略奪、強姦はつきもの。
アメリカだってやっている」と。

さらに「公娼制度のある韓国が
何を言うか」などの書き込みが
あった。

こういうのを、幼稚な合理化という。

どこかの泥棒が、警察につかまった
とき、「うちも泥棒に入られたことが
ある」と弁解するようなもの。

あるいは子どもが茶碗を割ったことに
ついて、「ママだって、割っただろ」と
言いかえすのと同じ。

だからといって、自分の非が正当化
されるというものではない。

こうした幼稚な合理化を繰りかえす
人は多い。

日本の右翼と呼ばれる人の中には、
とくに多い。

+++++++++++++++

 以前、私が、ある雑誌に、「伯父は満州で、中国兵と戦ったことがある」と書いたことがある。
本当は、蔑視語で、「満xx」と言ったが、私はあえて、「中国兵」と書いた。

 それについて、ある新聞社の男性が、こう抗議してきた。「当時は、満州には中国兵はいな
かった。中国兵ができたのは、文化革命以後のことだ。満州は当時、だれの土地でもなかっ
た。だから日本が侵略したという話は、正確ではない」と。

 名刺には、関西に本部を置く、「M塾卒業生」とあった。

 こうした幼稚な合理化は、ほかでもよく耳にする。

 「日本は、朝鮮半島に鉄道網を強いてやった」「道路も作ってやった」「法を整備してやった」
などなど。

 「韓国はベトナム戦争で、30万人という兵隊を送って、外貨を稼いだ」
 「オランダはインドネシアで、イギリスはインドで、略奪と搾取を繰りかえした」
 「日本は防衛的な近代戦をしたにすぎない」というのもあった。

 だから「いつまでも日本は、はいつくばって謝罪など、する必要はない」と。

 とくにこの最後の「防衛的な近代戦をしたにすぎない」という表現に注意してほしい。これは、
右翼的な団体や評論家が好んで用いる用語である。口頭で、私も、そう言われたことがある。

 ならば私は言う。

 「もしこれらの論理が正しいとするなら、日本よ、日本人よ、これから先、日本がどこかの国
に、反対に同じようなことをされても、文句を言うなよ!」と。

 もしあなたが「日本は、だいじょうぶ。力もある。武器もある」と思いこんでいるなら、それはま
さしくそれは、一時の「夢」。明日の日本がどうなるかということはだれにも、わからない。そうい
う前提で、この問題を考えてみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(8月8日)

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昨夜は、「熱帯夜」だった。一晩中、
ムシムシと暑かった。寝苦しかった。
何度も扇風機をつけたり、向きを変
えたりした。

そんなわけで、よく眠られなかった。

やはりクーラーなしの生活は、むずか
しい?

しかしクーラーというのは、一度、
使いだすと、もうやめられない。
毎年、それを経験している。

ここはがまん。

「夏は、暑い」。こんなことは、当り前
のことではないか。

+++++++++++++++

●エロ本

昨日、小学生が読んでいる雑誌を見せてもらった。「KRKR」という、雑誌だった。その中に出
てくる、「ゴリポン」というキャラクターが、私にそっくりだという。

 が、その雑誌を見て、驚いた。別のところだが、少女のヌードが出てくるコミックがあった。雰
囲気的には、藤子Fのドラえもんに出てくるヌードによく似ていた。ドラえもんの中にも、ときどき
しずかちゃんの入浴シーンが出てくる。30数巻までの中に、3〜4シーンあったと記憶してい
る。しかも巻を追うごとに、ヌードは過激になり、最終的には、乳首まで表現してあったと記憶し
ている。

 そんな話を、そのあとのクラス(小5)でふと口にすると、子どもたちが私にこう聞いた。「先生
は、エロ本を読んだことがあるか?」と。私はすなおに、「あきるほど読んだ」と答えた。この時
期、子どもたちは、性への関心を急速に高める。頭の中は、そういう話でいっぱいになる。

 私はそういう質問があったときには、正直に答えるようにしている。

子「何歳のころから、読んだ?」
私「おとなの読む雑誌に、女性のヌードの写真が載っていて、それを読んだ」
子「何歳くらい?」
私「……よく覚えていないけど、中学生くらいのときではなかったかな」

子「先生は、エロ本をどこに隠したの?」
私「ぼくは、自分の部屋には隠す場所がなかったので……」
子「どうして?」
私「いつも母が平気で、ぼくの部屋や机の中をのぞいたからね」

子「じゃあ、どこに隠したの?」
私「だから、屋根の瓦の下に隠したよ」
子「そんなとこに?」
私「だからいつかその本が腐ってね……。それが原因で雨漏りするようになった」
子たち、ハハハ、と。

 失敗談もいくつか話してやった。それについては、前にも書いたので省略するが、子どもたち
は、そういう話になると、目を輝かせて聞く。大切なことは、「性」に対して悪い印象をもたせな
いこと。とくに陰湿な印象をもたせてはいけない。明るく、さわやかに話す。「性」を、一度、明る
い日なたに、引きずり出してやる。

 それには子どもたちの質問に、サラサラと答えてやるのが、いちばんよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【思考と情報】

++++++++++++++++

思考と情報が別のものであると知るだけでも、
あなたは(考えること)がどういうことか、
わかるはず。

情報が多くもっているからといって、その人が
考える人ということにはならない。

それがわからなければ、電車の中で、ペラペラ
と話しつづける女性の話に、(男性の話でもよいが)、
耳を傾けてみることだ。

彼らは脳みその表層部に飛来する信号を、
音声に変換しているだけ。

++++++++++++++++

●思考

 人間の脳が、ほかの動物と、大きく違うところは、「連合野」と呼ばれる部分が、広いこと。こ
の連合野は「思考作用の座」と考えられ、「新・新皮質」と呼ぶこともある。

 この連合野は、(1)前頭連合野、(2)側頭連合野、(3)頭頂連合野の三つに分けられる。

これらの連合野でいちばんよく知られているのが、言語機能。この連合野のある部分が、何ら
かの原因でキズつけられると、「他人の言う言葉は理解できても、自分ではしゃべれなくなりま
す」(新井康允氏)という。この言語中枢は、「大部分の人は左半球にあり、とくに右利きの人で
は、90〜96%が、左半球にあります」(同)という。

 この言語中枢の働きからもわかるように、連合野の働きは、「入ってきた生の情報を、理化
し、解釈し、判断し、ばあいによっては、行動に移す働きをもち、運動野や感覚野より、次元の
高い働きをもっていると考えられています」(同)と。

たとえば前頭連合野は、大脳皮質の約25%をしめ、「この部分が損傷を受けると、移り気にな
り、責任感も薄く、野心もなくなり、節度に欠け、人格が以前とまったく変わってしまうこともあり
ます」(同)と。そしてその結果、「複雑な行動が時間を追って、順序よく組み合わせて行うこと
ができなくなります」という。新井康允氏はこうした働きを総合して、「いうなれば前頭葉は行動
のプログラマー」と結論づけている(「脳のしくみ」、日本実業出版社)。

●記憶

 一方、情報の蓄積は、「記憶」と呼ばれ、その記憶は、記憶の内容により、(1)認知記憶(一
度読んだことがある本の内容を覚えている)と、(2)手続記憶(パソコンのキーボードを、あまり
考えずにたたくことができる)、さらに、記憶している時間から、(3)短期記憶(短い時間、記憶
している)と、(4)長期記憶(古い過去のことを記憶している)に分けられる。

 これらの記憶は、脳の機能の分野でも、先の思考をつかさどる「大脳連合野」とは、まったく
別の部分で、蓄積される。新井康允氏は、アメリカであった例をあげて、こう説明している。

「側頭葉内側部を海馬を含めて両側を削除された患者がいました。しかしこの手術の結果、そ
の人は、日常生活でのできごとがまったく記憶に残らず、起こるそばから忘れてしまいました。
ただ昔の記憶は残っていて、話すことはできます。そのため現在では、このような手術は行わ
れていません」(同書)と。

 わかりやすく言えば、(3)短期記憶は、海馬でなされるということ。もし海馬が破壊されると、
短期の認知記憶ができなくなるということ。それにひきかえ、手続記憶は、体の運動能力とも
関連し、「海馬とは無関係でなされ、小脳を中心とした神経回路でなされる」(同)ということらし
い。となると、問題は、「では、短期の認知記憶はどこに蓄えられるか」ということ。

 これについては、「大脳連合野に蓄えられると考えられていますが、大脳連合野といっても、
非常に広く、さらなる研究が必要です。おそらく認知のタイプによって、異なった場所が関与し
ているのでしょう」(同書)とのこと。

●思考の深さ

 脳の分野でも、思考と記憶は、まったく別の分野でなされるということ。さらにその思考は、大
脳皮質でなされるものの、成長とともに、厚くなることが知られている。しかしここで注意しなけ
ればならないことは、人間の神経細胞は生まれたときから、約100万個でそれ以後、ふえるこ
とはないということ。その神経細胞がふえないのに、大脳皮質が厚くなるのは、個々の神経細
胞が大きくなり、それにともなう「シナプス(配線)」が、より成長し複雑になることによる。

たとえば一個の神経細胞には、それぞれ、約10万個のシナプスがある。そこで100万掛け
る、10万で、約10の15乗のシナプスがあることになる。つまり1000兆個のシナプスがある
ことになる。

この数は、DNAの遺伝子情報の、10の9乗〜10乗よりも多いことになる。実は、ここに思考
の深遠さがある。つまり人間の思考は、わかりやすく言えば、DNAの遺伝子情報の外にあると
いうこと。さらにわかりやすく言えば、この「自由度」が、人間の思考のハバと深さを決めるとい
うことになる。

●思考と情報 

 思考と情報が質的にまったく異質のものである。田丸謙二先生は、有機ゴム開発の例をあ
げて、つぎのように説明している。

「以前に大阪大学の有機化学のK先生が話しておられた。昔から天然ゴムを人工的に作ろうと
してどれだけの一流の有機化学者たちが時間と労力とを費やして努力をしてきたかわからな
いと言う。(ことに第一次世界大戦の頃マレイシアからの天然ゴムが、イギリス海軍の海上封
鎖によりドイツに輸入できなくなり、車のタイヤなどのゴム製品にこと欠いて大変な努力を傾け
たが成功しなかったそうである。) 

しかし、その後第二次大戦中にデュポンで合成ゴムの製造に成功したのであるが、それを知っ
て、大学院生にやらせてみたら、3か月で立派にできてきたという。

最初の物を作り出すのには膨大の努力を長年かけてきたものでも、一旦知ってしまえば、それ
とは全く比較にならない少ない努力で大学院生でも簡単に作れるのである」

 私たちは思考と情報、つまり「もの知り」(田丸謙二先生)を、同列において、それを混同する
傾向が強い。とくにこの日本では、「『学問をする』ことをマナブというし、マネブともいう。真似
(まね)をすることが学問の本質とされてきたわけである」と。そして知識偏重型の教育システ
ムが生まれた。田丸謙二は、さらにつぎのように述べている。

 「わが国での教育はおのずから知識偏重の傾向が生まれ、全体を支配してきたのであリ、そ
の傾向は現実に現在も強く支配的に残っている。学問をすることは知識を取り入れることであ
って、自分の頭で考えだすことではないと決めてかかっていた部分が少なくなかった。それは
正に何千年来の歴史から来る所産なのである。「物知り」が珍重され、「学力」と言うとどれだけ
の知識があるか、が問われるのである。

したがって、学校の入学試験もそのように仕組まれ、その結果として自分で考える能力よりも
暗記の強い人が、成功者として、出世をする仕組みになっていて、その意味での学閥もおのず
からできあがってくる。 教育界の指導者たちも、現場の教師たちも、おのずから自分たちの
持ちあわせている「学力」をつけさせることが教育であると無意識的に考え、学校での勉強もお
のずから『解ったか、覚えておけ』の一方的な教え込み方式になるのである」 

 少し話が脱線したが、思考(考える力)と情報(知識の量)は、まったく異質のものであり、そ
れゆえに、思考力のあるなしと、情報量(記憶)の多い少ないは、まったく異質のものである。
言いかえると、情報量が多いからといって、頭がよい(思考力がある)ということにはならない。
反対に情報量が少ないからといって、頭が悪いということにもならない。私たちが子どもの教育
を考えるとき、まずもって、思考と情報を分けて考えなければならない理由は、ここにある。

参考……田丸謙二先生(2001年度、日本学士院賞受賞者)「文明の後進国であった日本の
これから」
新井康允氏(人間総合科学大学教授)「脳のしくみ」(日本実業出版社)

++++++++++++++

ためしにバラエティ番組を見てみるとよい。「知能サプリ」とかなんとか呼ばれる番組でもよい。
ささいな情報にこだわり、出演者たちが、ギャーとか、ワハハとか、騒いでいる。最近ではNHK
までが、そういう番組を好んで放送している。

あなたも情報と思考のちがいが、それでわかるはず。

++++++++++++++

【思考と情報を混同するとき】 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』と
も。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出し
ているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の
九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはな
らない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私
が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう
言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思
う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっていると
かいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしている
の?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生ま
れるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子ども
なりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なの
である。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだとは思わない
が、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから
考えるという習慣を奪ってしまう。

もっと言えば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。いくら知識があって
も、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭のよし悪しも関係ない。映画
『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人のことを、
バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでく
る。私はそれを心配する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育
である。

つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子
どもをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になって
いる。戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていな
い。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常
識。

ロンドン大学の故森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。
自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判
断のできる人間を育てなければ、2050年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」・98
年、田丸謙二氏指摘)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考え
ていない。

思考というのは、本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本
当に頭が痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのた
め考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考えること
自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残す
という方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。私にとって生きるというこ
とは、考えること。考えるということは、書くこと。

モンテーニュ(フランスの哲学者、1533〜92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書
いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。ものを書くということには、そ
ういう意味も含まれる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思考
と情報 情報と思考 思考力 情報力 考える子供 考える子ども)

++++++++++++++++++++++++

以上の原稿を田丸謙二先生に
送りましたら、早速、返事を
いただきました。
(2007年8月8日)

それを紹介します。

「考える」ことを、もう一度、
考えなおしてみてください。

++++++++++++++++++++++++

林様:

  メール有り難うございました。お元気そうで何よりです。 こちらは日に日 
に衰えてきます。 貴方の「日記」面白く読ませて頂きました。 

  私のホームページの(1)の中の「クリエイティブな教育を」の中にある川上先 
生の言葉も使えます。 

  「考える理科」は小中学校の頃から身につけないとダメです。 私が 繰り 
返し言っているように、私の孫の例でもよく分かります。 アメリカでは 「幼児は生 
まれ ながらの自然科学者である」と言われる通りです。 自分で考 え、疑問を持 
ち、 自然科学者なのです。 「利口な子を利口でない子にするの が日本の教育で 
す」 「利 口でなくしてから」幾ら利口にしようとしても大変 に 無理があります。 
 「子供は皆 同じ、何も知らない」から考えれない、考え るには先ず知識を詰め込 
むのが必要であ る。 こうして日本の教育は始まります。 「何も知 らない子は考 
えることが出来な い」と言うのです。 西欧の educationは子供なりに皆 個性的 
に、自分で考えること が出来る素質を持って> いる、と言うことから始まります。  
自分なりに考えて疑問を 生み、疑問から > 知識を求めます。「生まれながら自然科 
学者」として、考える資質を 育てるの です。

  先々週千葉県立高校に行って2時間半授業をしてきました。 「考える教 
育」と称してやさしい話をしました。 私が言うのも変ですが、大変に好評でした。 
 丁度孫の年頃の子と話し合いながらの授業でした。

  くれぐれもお元気で。
  田丸謙二

  アメリカの化学会が「総力を挙げて大学初年度の教科書」を作りました。
初めから終わりまで「考えさせる問題に満ちています。 一応「監修」をしたこなっ 
て先月売り出されました。 Chemistry(叡智を育てる)という題です。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2124)

●ある弁護士のおかしな理屈(?)

+++++++++++++++

栃木県S市の保険金目的の殺人事件で
逮捕された男性が自殺した。

それについて、担当のM弁護士は、その可能性を
事前に、被疑者から知らされていたという。
遺書の隠し場所も知らされていたという。

しかしM弁護士は、それを誰にも言わなかった。
結果、その被疑者は、自殺してしまった。

弁護士が接見を終えたのは、当日の午後
8時前。被疑者が自殺したのは、その直後の
8時半ごろと推定される(TBS−i)。

担当のM弁護士は、「死ぬ、死なないは
人間の究極の尊厳。本人意思を尊重した」
として県警に伝えなかったという(毎日新聞)。

しかしこんな屁(へ)理屈が、通るだろうか?

++++++++++++++

栃木県S市の保険金目的の殺人事件で、妻殺害容疑で再逮捕された自動車修理販売業、K
容疑者(58)が、8月6日夜、県警宇都宮中央署内で首つり自殺した。それについて担当M弁
護士が、6日の時点で同容疑者の自殺の意思を把握していたことが分かった。

M弁護士は「死ぬ、死なないは人間の究極の尊厳。本人意思を尊重した」として県警に伝えな
かったという(毎日新聞)。

 K被疑者は6月、保険金約600万円を詐取するため自宅近くの物置兼住宅を全焼させたと
して、非現住建造物等放火の疑いで、会社の部下ら4人とともに県警に逮捕された。

M弁護士は10分間の接見を終え、面会室を出たのが午後8時前。そして午後9時過ぎ、K被
疑者が死亡しているのを署員が発見された。接見が終わった直後、1時間ほど経ったあとのこ
とだった。(TBS−i)

 この記事を読んで驚いたのは、「死ぬ、死なないは人間の究極の尊厳。本人意思を尊重し
た」というM弁護士の言葉。一弁護士の立場で、被疑者の生死にかかわる問題を、黙認しても
らっては困る。もしこんなバカげた論理がまかり通るなら、ではいったい、弁護士とは何かとい
うことになってしまう。さらに「法とは何か」、その問題にまで発展してしまう。

 弁護士は、「裁き」そのものを否定したことになる。もっと言えば、被疑者の立場に立って、弁
護するという、弁護士の義務そのものを放棄したことになる。被疑者の法的権利、法的人権を
守る、守らないという以前の問題である。それ以前の段階で、被疑者を自ら消すことに力を貸
してしまったことになる。

 こんなのは、被疑者の権利を守ることでもなんでもない。黙秘権ともちがう。弁護士の守秘義
務ともちがう。方法はいくらでもあったはず。署員に、「自殺の可能性があるから、注意してい
てほしい」くらいのことは、告げるべきだった。

 わかりやすく言えば、M弁護士が、K被告の自殺に手を貸したことになる。法律用語を使え
ば、「不作為による自殺ほう助」ということになる。

 それでもわからない人がいたら、こう考えてみたらよい。

 もしあなたが、身内のだれかから、自殺を予告されたら、どうするだろうか。そして予告通り、
自殺してしまった。そのときあなたは、こう言うだろうか。「死ぬ、死なないは人間の究極の尊
厳。本人意思を尊重した」と。そして自殺したあと、遺書のあり場所を、警察に通告するだろう
か。

 「被疑者は、身内でない」とあなたは思うかもしれない。であるなら、なおさら、弁護士として、
何らか手を打つべきだった。被疑者自らが、弁護の権利を抹消するような行為に手を貸しなが
ら、弁護も何もあったものではない。それともM弁護士は、こう考えたとでも言うのだろうか。

 「あなたはどうせ、死刑だ。弁護のしようがない。だから死んでも仕方ない。そのほうが、楽」
と。

 弁護士というのは、被疑者の法的権利を守るのが第一の仕事であるとしても、同時に、社会
的正義を追求するという使命も負う。ときには被疑者の意思に反して、犯罪の中身を外にえぐ
り出すこともしなければならない。それが結局は、社会的正義の追求につながる。わかりやすく
言えば、被疑者の法的権利と、保険金殺人という社会的犯罪性は、どこかで切り離して考え
る。

 K被疑者が自殺してしまったのでは、保険金殺人という社会的犯罪性は、うやむやのまま終
わってしまう。

 どこかの医師、患者が自殺してしまったことに対して、「死ぬ、死なないは人間の究極の尊
厳。本人意思を尊重した」と。

  どこかの教師、生徒が自殺してしまったことに対して、「死ぬ、死なないは人間の究極の尊
厳。本人意思を尊重した」と。

 どこかの親、自分の息子が自殺してしまったことに対して、「死ぬ、死なないは人間の究極の
尊厳。本人意思を尊重した」と。

そして どこかの弁護士、担当被疑者が自殺してしまったことに対して、「死ぬ、死なないは人
間の究極の尊厳。本人意思を尊重した」と。

 ……みんなが、こんなこと言い出したら、この世の中は、どうなる? それにしても常識ハズ
レな弁護士ではないか。「究極」とか、「尊厳」、「尊重」という、美しい言葉にだまされてはいけ
ない。いろいろな意見はあるかと思うが、少なくとも、私は、そう思う。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2125)

●SG様へ

こんにちは!

ご無沙汰しています。
お元気ですか?あれからもう5、6年に
なるのでは?

マガジンの読者はやっと計2300人ほどに
なりました。

長い道のりでした。杉本さんのマガジンも、
やめられる前には、たしか読者の数は、2300人
くらいでしたね。いつも頭の中に
目標として、2300という数字が
ありました。

まったくの無料奉仕です。
(有料マガジンも出していますが、
月額300円で、読者は今のところ27
人くらいです。2年間、27人のまま
です。)

で、よく迷います。
どうしてこんな馬鹿なことをしているのだろうとです。

明らかに私の(子育て観)をパクリながら
本を出している人もいます。新聞などで
広告も出ます。

子育て観などというものは、フィーリングの
問題なので、そのフィーリングが一致する
ということはまずないのですが……。

いやですね。

そういうことが重なると、書く気力も
うせます。つまりそういうのとも心の
中で戦わねばなりません。

まあ、今のところ元気でやっています。
1000号までがんばります。とっくの昔に
電子マガジンの世界は終わっているのですが……。

乗り遅れた上に、降り遅れたという感じです。

SGさんのアドバイスはたいへんありがたがったです。
2300人と簡単に言いますが、私には天文学的
な数字に思えました。

当時、読者数は、100〜200人前後では
なかったかと思います。

ショッパーの中で書いてもらったように、
今は、(少なくとも今は)、私の生きがいに
なっています。

朝起きたとき、まっさきにやりたいことがある
というのは、すばらしいことです。

体が動かなくなって、ケア・センターに入ってから
でも、この生きがいが持続できればと
願っています。

もちろん認知症か何かになったら、おしまいですが……。

久しぶりにメール、ありがとうございました。

またいつかどこかでお会いできればと思っています。

はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

●ちょっと、待ったア!

+++++++++++++++

給食のおかずの注文数を、
学校の先生が、まちがえた。

うなぎのかば焼きか、トンカツか、と。
その注文数をまちがえた。

が、希望に反して、7人の子どもが、うなぎの
かば焼き(うなぎのかば焼きだぞ!)
を食べることになった。

そこでその先生は、おわびのつもりも
かねて、まちがえて注文を出してしまった
子どもに、ポケットマネーから、100円ずつ
渡した。

しかしそれが大問題に!

+++++++++++++++

 ヤフー・ニュースの記事をまず、読んでほしい。読みやすくするために、番号を私のほうでふ
った。

『(三重県)T市内の公立小学校で7月、4年生を担任する50代の男性教諭が、(1)給食のお
かずを選択できる「リザーブ給食」で、(2)おかずの数を間違えて注文し(3)、児童7人に「誰
にも言わないように」と100円ずつ渡していたことが8日、わかった。

 T市教委学校教育課によると、教諭は7月13日にあった「うなぎのかば焼き」か「トンカツ」を
選択できる「リザーブ給食」で、担当する児童32人に、事前に希望を聞いた際、おかずの数を
取り違えて注文した。

希望に反して「うなぎのかば焼き」を食べることになった児童のうち給食に、手をつけなかった7
人を後で呼び、自分の財布から100円ずつ渡したという。

 帰宅した児童から話を聞いた保護者が学校に問い合わせて発覚した。学校は当日と翌日に
かけて、(4)教諭の担当クラス全員の保護者を訪問して謝罪し、(5)同16日に学級保護者会
を開いて説明した。(6)校長の事情聴取に対して、教諭は反省を示し、おかず代を返す意味
合いもあったと説明しているという。

 同課は(7)「不適切な指導で、子どもや保護者に迷惑をかけ申し訳ない。教諭の処分は早急
に検討する」と話している』と。

 事件(?)のあらましを整理してみよう。

(1)リザーブ給食なるものがある。生徒がおかずを選択できる。
(2)先生がおかずをまちがえて注文した。
(3)生徒7人に、口止め料(?)として、100円ずつ払った。
(4)先生は、クラス全員の父母を訪ねて謝罪した。
(5)学級保護会を開いて、説明した。
(6)校長が事情聴取した。
(7)その先生の処分を、これから決める。

 私はこの記事を、数回、読んだ。読んだが、どうしても納得できない。どういうわけか、納得で
きない。私の常識がおかしいのか、それとも世間の常識がおかしいのか。

 しかもだ、(うなぎのかば焼き)か(トンカツ)だぞ。今どきの給食では、こんな豪勢な昼食がで
るのか! 私はまず、それに驚いた。

 さらにそんな雑用まで、先生の仕事なのか? それにも驚いた。雑用といっても、たいした雑
用ではないかもしれない。たぶん教室の中で、先生は、こう言った。「うなぎのかば焼きと、トン
カツ、どちらを食べたいですか?」「うなぎのかば焼きを食べたい人は、手をあげてください」「ト
ンカツを食べたい人は手をあげてください」と。

 その程度のことだったはず。そういうとき子どもたちにしても、深く考えて手をあげる子ども
は、まず、いない。軽い気持ちで、「うなぎのかば焼き!」「トンカツ!」と言って、手をあげたは
ず。

 どちらでもいいではないか。それに先生だって、この程度のことなら、しょっちゅうまちがえ
る。(私だって、まちがえる。親たちだって、まちがえる。)

 そこで7人の子どもたちが、意に反して(?)、うなぎのかば焼きを食べることになった。(報道
では、手をつけなかったとある。)それについても、「ごめん」だけですんだはず。またそれです
ませて、どうしていけないのか?

 うなぎのかば焼きだぞ! 

 で、先生は、7人の子どもたちに100円ずつ渡した。報道だけを読むと、口止め料として渡し
たようにも聞こえるが、たかが100円ではないか。先生にしても、それほど深く考えていなかっ
たはず。50代の男性教諭ということだから、自分の子どもに謝るように、100円を渡したのか
もしれない。

 どこの親だって、その程度のことはしているではないか! 私だって、していたぞ! よく覚え
ていないが、レストランで注文をまちがえるようなことも、あったと思う。

 が、問題は、このあと。上の(4)〜(7)をよく読んでみてほしい。私はバカげていると思う。本
当にバカげていると思う。

 クラス全員の父母を訪ねて謝罪した!?
 学級保護者会を開いて、説明した!?
 校長が事情聴取した!?
 さらにこれから処分を決める!?

 子どもにしても、「手をつけなかった」だとオ!? これについても、「ぜいたく、言うな!」と私
は、言いたい。

 あのね、こういうバカなことばかりしているから、先生は疲れるの! 先生が委縮するの! 
教育が元気をなくすの! どうしてこんな程度のことは、笑ってすませないのか!? ……私は
むしろ、そちらのほうに驚いた。

 こんなことまで全国紙に載るような大事件になるようだったら、もうだれも教育など、し・な・
い! こわくてできない。

先生「ハハハ、注文をまちがえちゃったア。ごめん、ごめん」
生徒「だめだなア、先生」
先生「ごめん、ごめん。今日はうなぎのかば焼き、食べてよ」「あるいはだれか、うなぎのかば
焼きでもいいよっていう子はいないかア?」
生徒「いいよ、今日は、うなぎのかば焼きを食べるヨ」と。

 だからあえて言う。

 T市のその先生よ、そんな程度のことで、謝るな! 学級保護会を、開くな! 校長よ、事情
聴取などするな! 教育委員会よ、処分などするな! そんなことをしていたら、学校は本当に
死んでしまうぞ!

 もっとも報道内容のことだけしか私は知らないので、こうして断言するのは、危険なことかもし
れない。その先生と生徒、生徒の父母たちの間に、それまでに、いろいろな確執があったのか
もしれない。その結果として、こういう事件が起きたのかもしれない。

 しかしこの報道を読むかぎり、また何度読み返しても、私の結論は、ここにきてしまう。「そん
なことをしていたら、学校は本当に死んでしまうぞ」と。

 最後に、100円を渡したことについて。

 父母たちは、その点を問題にしているかもしれない。学校だからこそ、無謬性(=むびゅう・
一点のにごりも、まちがいもないこと)が求められるのかもしれない。しかしたかが100円では
ないか。


100円と言えば、冗談の範囲。誤差の範囲。私だって、何かのことでわびるときは、缶ジュー
スくらい、買ってやる。が、どうして、それがいけないのか。「口止め料」などという、おおげさな
ものではないはず。

もしそんなことで怒るエネルギーがあるなら、敵をもっと大きなものに求めたらよい。政治家た
ちが日夜、手にしているワイロ、あるいは建設業界の談合でもよい。官僚たちが天下りを繰り
かえすたびに手にする高額な退職金でもよい。公務員たちが手にする、不公平な年金でもよ
い。

 そういう不正と、外の世界で戦ったらよい。外の世界で、だ。お金を渡したことは問題かもし
れない。しかしその程度のことは、笑ってすませ! それは車のハンドルの(遊び)のようなも
の。その余裕があるから、私たちは車を運転することができる。

 それにしても、「リザーブ給食」とは!? 今どきの子どもたちは、そこまでぜいたくに育てら
れているのか。私なんか、昼は、400円前後の弁当か、おにぎり2個だぞ! 子どもたちのみ
ならず、今の若い親たちは、戦後のあのひもじい時代を知らなさすぎる。「ひもじい」という言葉
の意味すら、知らない。

 私は学校の給食が、大好きだった。クリームシチューとか、大学イモとか、さらにクジラの肉と
か、家では食べられないものばかりだった。

実は、うなぎのかば焼きについては、私は、よく食べた。川で、しかけを作っておくと、そこへう
なぎがよく入った。しかしトンカツは、ちがう。食べてもコロッケ。トンカツなど、年に何回、食べ
られるか食べられないかという、ぜいたくな料理だった。(家で、食べた記憶はないぞ!)

 私の意見に反発する親もいるだろう。が、そういうことも重ね合わせて、この問題を考えてほ
しい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(8月9日)

●昆虫の脳みそ(分析力)

+++++++++++++++

山荘で、草刈りをしたあと、
ぼんやりと庭を見ていたら、
一匹の大きなアリが、そこを
歩いていた。

体長が、1〜1・5センチもある、
大きなアリである。
頭と胸は黒く、腹はやや茶褐色という
感じだった。

私は何気なく、そのアリのうしろの地面を
自分の足で叩いてみた。

とたんアリは動きを早め、そのまま
近くにあった枯草の下にもぐった。

「頭隠して、尻隠さず」という隠れ方
だった。

私は「おもしろい」と思った。

そこでつぎに私は、その枯草を指で
取り除いてみた。

アリは、また一目散に、逃げ始めた。
そして同じように、つぎの枯れ葉の
下に、もぐるように隠れた。

私はまた枯草を取り除いてみた。
取り除きながら、ついでに、今度は、
アリの前方をふさぐ形で、立ちはだかってみた。

しかしアリは、私が行く手の前にいる
にもかかわらず、私の足のほうに向かって
つき進んできた。

私は何度か地面を蹴って、アリが進んで
くるのを、さまたげようとした。

が、それでもアリは、私の足のほうに
向かってきた。
アリは、どうしてもそちらの方向、つまり
土手がある方向に行きたいらしい。
「がんこな性格だ」と、私は思った。

そこで今度は、地面の土ごと、アリを
私の足で蹴り飛ばしてやった。

アリは、そのつど、10〜30センチほど、
飛んだ。進んでいる向きも、それで
変わった。

「直進性があるなら、アリは進む
方向を変えるはず」と、私は思った。

しかしそれでもアリは、進む方向を
変えようとしなかった。土手の方向に
向きを変えると、またそちらに向かって
つき進み始めた。

「がんこな性格だ」と、私は、またそう
思った。

「私なら、目の前にいる人間に向かっては
進まない」と。人間から遠ざかるように逃げる
のが、こういうばあいは、常識。

しかしそこは昆虫。昆虫には昆虫程度の
脳みそしかない。方向を探知する能力は
あるらしい。しかし自分に及ぶ危険の内容
までは、分析できない。

だから土手のほうへ進もうとする。その進み
方を見ていると、「どんなことがあっても、
土手のほうへ!」という進み方である。

そこで私は、ひとつのことに気づいた。

分析力は、融通性で決まる、と。
言いかえると、がんこで、かたくなに
なるというのは、それだけで分析力を
失っていると考えてよい、と。

もっとわかりやすく言えば、「状況を分析
する能力は、柔軟な融通性があるか
ないかで、決まる」ということになる。

そのあとアリは、私がじゃまをしなくなった
ことを幸いに、そのまま土手のすみの
枯れ草の中に、姿を消した。


++++++++++++++++

最前線の子育て論byはやし浩司(2126)

●不登校児・DATA

++++++++++++++

小中学校の不登校児が、5年ぶりに
増加した。

その数、12万6764人(06年)。

++++++++++++++

文部科学省の学校基本調査速報による。

今年(07年)5月1日現在で、全国の国公私立小中学校を対象に調査。不登校は前年度より
3.7%(4477人)増え、小学生は同4.9%増の2万3824人、中学生が同3.4%増の10万
2940人だった。
 不登校の小学生の割合は「302人に1人」(0.33%)。中学生では過去最高だった01年度
より0.05ポイント上回った。小中学生合わせた不登校は「85人に1人」(1.17%)となる。文
科省は「人間関係づくりが不得手な子供が増えているほか、家庭の教育力が低下した」などと
も指摘している。

 不登校のきっかけ(複数回答)は、

(1)非行や無気力など、「病気以外に本人にかかわる問題」……31.2%
(2)「いじめをのぞく友人関係」……15.6%
(3)「親子関係」……9.3%

今回選択肢に加わった「いじめ」は、3.2%。前回調査より学業不振や家庭内の不和の増加
が目立つ(毎日新聞)。

 不登校が継続している理由(複数回答)は、

(1)情緒的混乱……31.7%
(2)無気力……24.8%
(3)いじめをのぞく友人関係……11.2%

前年度から不登校が続いている小中学生は、6万1125人。中学生の場合、不登校の生徒の
半数は、前年度から続いている。

 学校内外で専門的な相談や指導などを受けた小中学生は、不登校の児童・生徒の65.6%
にあたる8万3153人で、学校内のスクールカウンセラーや養護教諭などによる相談が多かっ
た。指導の結果、登校するようになった小中学生は30.4%の3万8572人だった(同)。

+++++++++

 今回の調査結果の特徴は、不登校を(心の問題)と深く結びつけている点にある。不登校の
きっかけとして、非行や無気力、いじめをのぞく友人関係を合計すると、47%になる。

 また不登校が継続している理由として、情緒的混乱、無気力、いじめをのぞく友人関係を合
計すると、66%にもなる。

 ほぼ10年前には、考えられなかったことである。私のようなものが、「いじめには、心の問題
がからんでいる」と書いただけで、抗議の嵐が殺到した。「うちの子は、いじめが原因で、学校
へ行けなくなった」「心の問題とは何だ!」と。

 さらに「うちの子が不登校児になったのは、うちの子の責任ではない」と言ってきた人もいた。
「いた」というより、ほとんどの親たちは、そう言った。

 だから10年ほど前のこと。ある会合でこの問題が、先生たちとの間で、話題になったことが
ある。そのときも、こういう申し合わせになった(S県M市における、ある教員研修会)。

「親たちは、不登校イコール、いじめが原因と決めつけて、かかってくる。そういう形でも作って
おかないと、立場がなくなってしまうからです。ですから、親たちの前では、(心の問題)が原因
などと、言ってはいけません」と。

 実際、学校の先生たちには、(心の問題)についての診断権はない。わかっていても、わから
ないフリ、知っていても、知らないフリをして、この問題に対処するしかなかった。

 しかし今回の調査では、(心の問題)を、真正面からとりあげた。たいへん大きな変化と言え
る。画期的と言ってもよい。「情緒的混乱」という言葉も、そのひとつ。繰り返しになるが、ほん
の10年前に、この言葉を口にしたら、その先生は、(私も)、親たちの袋だたきにあっただろ
う。

 このデータの内容については、いろいろな見方があると思う。それについては、また別の機
会に考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2127)

●国際経済のイロハ

++++++++++++++

経済の勉強を、いっしょに
しませんか?

このところ書店へ行くと、
その種の本ばかり読んでいます。

この世界、おもしろいですね。
奥が深いというか、
私の知らないことだらけ。

先週も、中学生たちにこんな
ことを教えました。

そのとき使った、自作テキストです。

(私立中学入試レベルの問題を
考えてみました。)

++++++++++++++

【なぜ円高は、輸出に不利?】

 たとえば1000円で、モノを売りたいとしますね。そのとき1ドルが、200円だと、そのモノの
値段は、外国では、5ドルということになります。1000÷200=5、ですね。外国の人は、「安
い」と思って、それを買います。

 しかし1ドルが、100円になったら、どうでしょうか。1000円のモノは、10ドルになります。1
000÷10=10、ですね。今度は、外国の人は、「高い」と思って、買うのをためらうことになり
ます。

 1ドルが200円から100円になる。これが「円高」ということになります。

【円安になると、困ることは?】

 今度は反対に、外国から、何かモノを買うばあいを考えてみましょう。原油でもいいです。たと
えば原油を1バレル買いたいと思います。

 値段は、1バレル50ドル。そのときもし1ドルが100円だと、50X100=5000で、5000円
ということになります。

 しかし円安になり、1ドルが200円になると、50X200=10000で、1万円ということになり
ます。円安になればなるほど、外国からモノを買うとき、値段が高くなるというわけです。ですか
ら、円安になればなるほど、何かモノを輸入するとき、値段が高くなるということになります。

【だれが調整しているの?】

 お金という紙幣を、たくさん印刷して、市中へ出せば出すほど、そのお金の価値はさがります
ね。マジギャザのカードだって、そうでしょ。よく出るカードは、弱いし、安い。でもレアモノは、高
い。

 反対に、お金という紙幣を、出し渋れば、そのお金の価値はあがりますね。

 それを調整しているのが、「政策金利」と呼ばれているものです。金利が安ければ、みながお
金を借りに来る。市中へお金がドンと出る。

 一方金利が高くなれば、みなはお金を借りるのをしぶる。市中へ出るお金が、少なくなる。

 それを決めるのは、日本銀行というところですが、金利は、いわば(蛇口)のようなものと考え
るとよいかもしれません。金利をさげれば、お金が市中に出回る。つまり円の価値がさがる。
円安なる。

 一方、金利をあげれば、お金が市中に出回らなくなる。つまり円の価値があがる。円高にな
る。

【どういうとき、蛇口を開けるの?】

 みんなのお父さんは仕事をしていますね。そのお父さんの仕事が、元気ないときに、蛇口を
開けます。つまりね、日銀というところが、お金をばらまくわけです。「みなさん、どんどんとお金
を使ってください」とね。

 でもお金をばらまけばばらまくほど、先にも書いたように、お金の価値がさがります。今まで、
1個100円で買えたアイスクリームが、200円になるわけです。こういう状態になることを、「イ
ンフレ」と呼んでいます。みんな、元気になるかもしれませんが、しかしモノの値段があがるの
も、困ります。

 そこで今度は、日銀は、蛇口を閉めにかかるというわけです。

【外国の投資家たちは、何をしているの?】

 お金をどこかで借りて、そのお金を、別のところに投資しながら、お金をもうける人を、「投資
家」と呼んでいます。

 そこで今度は、あなたが投資家になったつもりで考えてみてください。

 お金は、どこで借りますか? 金利の安い日本銀行ですか? それとも金利の高いオースト
ラリア銀行ですか? 当然、金利の安い日本銀行ということになりますね。

 1億円借りても、日本銀行で借りれば、年間20万円の利息を払えばいい。でもオーストラリア
銀行で借りれば、年間100万円の利息を払えばいい。

 どちらにしますか?

当然、日本銀行ということになりますね。

 反対に、今度は、そのお金を、どこへ投資しますか? 中国へ1億円投資すれば、1年間に5
00万円の利益が生まれます。ニュージーランへ投資すれば、1年間に100万円の利益が生
まれます。

 投資するなら、当然、中国ということになりますね。だって、ニュージーランの5倍もの利益が
得られるんですから……。

【さあ、ここでいよいよ、今日の問題!】

 あなたは日銀から、1億円、借りました。そのお金を、一度、アメリカのドルと交換したあと、
韓国のウォンに交換し、韓国の銀行に預けました。あなたは、1年間で、いくら儲(もう)けること
ができますか?

 現在、1ドルは、100円。1ウォンは、0・001ドル。日本の貸し出し金利は、5%。韓国の預
金金利は、10%として計算しなさい。

 なお1年後には、1ドルは90円、1ウォンは、0・002ドルになっていると予想されます。

+++++++++++++++

ここで10分ほど、子どもたちに
計算させる。

子どもたちは、ワイワイ言いあいながら、
計算する。

+++++++++++++++

 1億円をアメリカのドルに交換すると、1億÷100=100万、つまり100万ドル。それを韓国
のウォンに交換すると、……? ここからがやっかいですね。

 1ウォンは、0・001ドルですから、100万÷0・001=10億ウォンかな。だから韓国で、1年
間、10億ウォン預けておくと、利息が、10%の、1億ウォンつくことになります。

 あなたは11+1=11、つまり11億ウォンを手にすることになります。

 そこで今度は、つまり1年後、一度、その11億ウォンを、アメリカのドルに交換しなければな
りません。

 1年後には、1ウォンは、0・002ドルになっていますから、11億ウォンX0・002=220、つま
り220万ドル、さらにその220万ドルを円に交換すると、1ドルが90円ですから、220万x90
=1億9800、つまり1億9800円ということになります。

 日銀に支払う利息は、1億円x0・05=500万円ですから、借りたお金もいっしょに返すと、1
億9800円―1億500万円=9300万円、つまり、9300万円が、あなたの儲けということに
なります。

 ハハハ。何もしなくても、あちこちでお金を借りたり、預けたりしているだけで、9300万円も
儲かるのですよ。もちろん、反対に、損をすることもありますが……。

 ついでに、どんなときに損をするか、1つのモデルケースを考えて、あなたの意見をここに書
いてください。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●南北首脳会談?

++++++++++++++++++++++++++++

突然、世界中を、メガトン級(韓国・東亜N報)のビッグ・ニュースが、
世界中をかけめぐった。この8月28日から3日間、K国のP市で、
韓国のN大統領と、K国の金xx(拉致問題が解決するまで、抗議の
念をこめて、金xxとする)の、首脳会談が開かれるという。

「列車に乗って行く」だのと、「K国の核開発問題は一気に解決して
みせる」だのと、はしゃぐ、韓国政府。「開城工業団地をいっしょに
訪問」という話まである。しかしそうは、うまく、いくものか?

失政につづく失政で、韓国の経済は、現在、マヒ状態。つい先日も、
韓国銀行(日本の日銀)は、2か月連続で、日本でいう政策金利
(短期コール翌日物)を、引きあげた。外資の流出を食い止めよう
と、韓国政府は、必死。

今日も今朝から、韓国のKOSPI(日本の日経平均株価)は、60
ポイント近く値をさげている。下げ幅は、3%。日本の株価も暴落
しているが、それでも2%前後(8月10日、午前10時現在)。

一方、K国の国家経済は、ないも同然。破たんしようにも、破たん
するだけの元(もと)もない。

要するに派手なパフォーマンスで、決死挽回を試みる両者。ねら
うは、ジャパン・マネー。

金xxが、まともな指導者なら、この会談は、うまくいくかもしれない。
それこそ劇的な結末を迎えるかもしれない。しかし忘れてはいけ
ない。金xxは、まともではない。たった一晩で政策が180度、ひ
っくり返るということもしばしば。

会談の発表があってから4日目。すでに日本の朝鮮S連は、「P
市は冷静」というコメントを流し始めている。「会談の内容は、韓
国側のみやげしだい」ということか?

韓国の大統領が訪問したくらいで、K国の金xxが、核兵器という
(本尊)を、手放すはずがない。そんなことは、第1回目の南北
首脳会談の結果をみればわかること。あのとき金大中は、裏金
として、5億ドル(600億円)という大金を、金xxに手渡している。

そのあと金大中は、ノーベル平和賞を受賞しているが、まさに、
金で買ったノーベル平和賞ということになる。それはともかくも、
それでも金xxは、動かなかった。

するとしても、6か国協議での範囲内程度の内容。あるいはその
確認。せいぜい「停止」「凍結」「遺訓」という言葉が飛び出す程度。

韓国の野党、H党は、「警戒」という言葉を使っている。韓国側の
負担になるような約束ばかりさせられるのではないか、と。

つまり両者の下心は、すでに見透かれている! となると、よほど
のことがないかぎり、会談は会談程度で終わってしまうはず。

めぐみさんの遺骨と称して、ニセ遺骨を手渡したK国。まさに一事
が万事。金xxが、南北首脳会談だけ、誠実に応ずるなどということ
は、ありえない。表面的には派手なパフォーマンスをしてみせる
だろうが、その(派手さ)に、けっして、だまされてはいけない。

が、日本の意に反して、この南北首脳会談を機に、N政権側の
与党勢力が、一気に勢いづくことは、じゅうぶん、考えられる。
今のところ、野党H党のほうが有利ということになっているが、
逆転するかもしれない。その可能性は、5分5分。

となると、日本は、何としても南北首脳会談の成功を阻止しなけ
ればならない。仮に共和制ということにでもなれば、日本は、
最悪かつ巨大な反日国家を誕生させてしまうことになる。

サッカーの試合にたとえるなら、11人対11人でプレーしていた
ところに、敵陣がさらに11人加わってくるようなもの。いくらなん
でも11人対22人では、日本も勝てない。

今の日本の武器は、「経済」。だったら今、その経済戦争を発動
するしかない。日本とて無事ではすまない。しかし肉を切らせて
骨を切る。それくらいの覚悟は必要である。

戦争?

戦争はいやだからといって、戦争から逃げて回るのは、平和主義
でも何でもない。ただの卑怯(ひきょう)という。私は平和主義者と
言って、何もしないのも、そうだ。

いざとなったら、平和のために戦うというのを、平和主義という。も
ちろん、(殺しあい)の戦争はいけない。が、経済戦争は、そういう
戦争とはちがう。「戦争」という言葉がいやなら、「試合」でもよい。

経済試合だ。

勝つか負けるか。まさにここが正念場。日本よ、日本人よ、この
試合に負けたら、日本の明日はない。(少しおおげさかな?)
韓国は、政策金利を、先日0・25%あげた※。ならば日本も、同
じ、0・25%だけあげたらよい。韓国に遠慮する必要はない。
また韓国に相談する必要もない。

それだけでも韓国にとっては、メガトン級の威力をもつはず。

負けるな、日本! がんばれ、日本!

【付記】(注※)(東亜N報・8月10日より)

『韓国銀行の金融通貨委員会(金通委)は8月9日、長短期市場金利の目安になるコール(金
融会社同士の超短期資金の取引)金利を、年4.75%から5.00%へ、0.25%ポイント、引
き上げた。金通委が2か月連続コール金利を引き上げたのは、コール金利を基準金利に導入
した1999年5月以後初めてであり、コール金利が5%台に進入したのは、2001年7月以後
6年ぶりのことである』。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【一事が万事論】

++++++++++++++

人間の脳みそは、それほど器用に
はできていない。

ひとつの場面では誠実で、別の場面
ではそうでない……というようなことは
本来、ありえない。

ひとつの場面で不誠実な人は、あらゆる
場面で、不誠実と考えてよい。

これを私は、勝手に、『一事が万事論』
と呼んでいる。

3年前に書いた原稿を、手直してして、
ここに添付します。

++++++++++++++

●正直

 京都府にある、A農産F農場(養鶏場)で、鳥インフルエンザが発生した。同時に、大量のニ
ワトリが、死んだ。

 その農場では、そのときすでに数千羽のニワトリが、不審な死に方をしていたにもかかわら
ず、それをあえて無視して、ニワトリを出荷しつづけたという※。そのため、その二週間後に
は、鳥インフルエンザウィルスは、ほぼ西日本全域に広がってしまった(3月2日朝刊※)。

 当の責任者は、「まさか鳥インフルエンザだとは思わなかった」「静かに眠るように死んでいっ
たので、おかしいなとは思っていたが……」などと、テレビの報道記者に答えている。

 しかし同じころ、つまりその養鶏場で、ニワトリが不審な死に方をしていたころ、私の地元の
小学校でも、鳥インフルエンザの話は、子どもたちでさえ知っていた。学校で飼っていたニワト
リが死んだだけで、学校は、そのニワトリを、保険所へ届けていた。いわんや、養鶏場のプロ
が、そんなことを知らぬはずはない。「おかしいな?」ではすまされない話なのである。

 ……という話を、書くのがここでの目的ではない。

 人間の正直さは、どこまで期待できるかという問題である。朝食をとりながら、ワイフと、それ
について話しあった。

私「もしぼくだったら、正直に届け出ただろうか?」
ワ「いつ?」
私「最初にニワトリが死に始め、鳥インフルエンザにかかっているかもしれないと思ったときだ」
ワ「むずかしいところね」と。

 新聞の報道によれば、「通報の遅れが、被害を拡大させた」(Y新聞)ということらしい。そして
農水省の次官も、「(通報が遅れたのが)残念でならない」とコメントを出している。さらに京都
府の知事は、「被害について、県のほうで補償することになっているが、しかし(補償するのは)
考えざるをえない」と述べている。

 「不正直もはなはだしい」ということになるが、本当に、そうか?

 はっきり言えば、日本人は、子どものころから、そういう訓練を受けていない。アメリカの親な
どは、子どもに、「正直でありなさい(Be honest.)」と、日常的によく言う。しかしこの日本で
は、そうでない。むしろ「ずるいことをしてでも、うまく、すり抜けたほうが勝ち」というような教え
方をする。そのさえたるものが、受験競争である。

 それはさておき、今でも『正直者は、バカをみる』という格言が、この日本では、堂々とまかり
とおっている。『ウソも方便』という言葉さえある。「人を法に導くためには、ウソも許される」と。
どこかの宗教団体の長ですらも、「ウソも100ぺんつけば、本当になる」などと言っている。

 これらのことからもわかるように、世界的にみても、日本人ほど、不誠実な民族は、そうはい
ない。ほかにも、たとえば、日本人独特の、「本音(ほんね)と建て前論」がある。

 つまり口で言っていること(=建て前)と、腹の中(=本音)は、ちがう。またそういう本音と建
て前を、日本人は、うまく使い分ける。だから反対に、アメリカ人やオーストラリア人と接したり
すると、「どうしてこの人たちは、こうまで、ものごとにストレートなのだろう」と思う。

 つまりそう「思う」部分だけ、日本人は、正直でないということになる。

 誤解がないように言っておくが、「建て前」とういうのは、「ウソ」ということ。とくに政治の世界
には、この種のウソが多い。

 本音は「銀行救済」なのだが、建て前は、「預金者保護」。本音は「官僚政治の是正」なのだ
が、建て前は、「構造改革」などなど。言葉のマジックをうまく使いながら、たくみに国民をだま
す。

 が、その原因を掘りさげていくと、戦後の日本の金権体質がある。もともと金儲けの原点は、
「だましあい」である。とくに商人の世界では、そうである。そういう「だましあい」が、集合して、
金権体質になった。(……というのは、少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、大きくみれ
ば、そういうことになる。)

 というのも、この話になると、私より古い世代の人は、みなこう言う。「戦前の日本人のほう
が、まだ正直でしたよ」と。「正直というより、「純朴」だった? どちらにせよ、まだ温もりを感じ
た。

 私が子どものころは、相手をだますにしても、どこかで手加減をした。が、今は、それがな
い。だますときは、徹底的に、相手をだます。それこそ、相手を、丸裸にするまでだます。

 つまり「マネー」万能主義の中で、日本人は、その「心」を見失ったというのだ。

 いろいろ意見はあるだろが、もしあなたなら、どうしただろうか。飼育していたニワトリが何千
羽も死んだ。行政側に報告すれば、処分される。鳥インフルエンザではないかという疑いはあ
る。しかしはっきりしているわけではない。今なら、売り逃げられる。うまく売り逃げれば、損失
をかなりカバーできる。そんなとき、あなたなら、どうしただろうか。

 正直に、行政側に報告しただろうか。それとも、だまってごまかしただろうか。

 こうした一連の心理状態は、交差点で赤信号になったときに似ている。左右の車はまだ動き
出していない。しかし今なら、走りぬけることができる、と。それともあなたは、交差点で、信号
を、しっかりと守っているというのだろうか。

 もしそうなら、あなたは多分、F農場のような立場におかれても、行政側に報告したかもしれ
ない。報告するとはかぎらないが、報告する可能性は高い。

しかし赤信号でも、「走れるうちは走れ」と、その信号を無視するようなら、あなたは100%、行
政側に報告などしないだろう。あなたは、もともとそういう人だ。

つまりこれが、私が前から言っている、『一事が万事論』である。

 日々の行いが月となり、月々の行いが年となる。そしてその年が重なって、その人の人格と
なる。そしてそれが集合されて、民族性になり、さらに人間性になる。

 その日々の行いは、「今」というこの瞬間の過ごし方で決まる。

私「ぼくなら、F農場の責任者のように、だまっていたかもしれない。もともと、そんな正直な人
間ではない」
ワ「でも、やはり正直に報告すべきよ」
私「わかっている。だからぼくは、できるだけ、そういう状況に、自分を追いこまないようにして
いる」と。

 おかしな話だが、私は、道路を自転車で走っているときも、サイフらしきもの(あくまでも、…
…らしきもの)が落ちていても、拾わないで、そのまま走り去ることにしている。拾うことにより、
そのあと迷う自分がこわいからだ。正直に交番へ届ければ、それですむことかもしれない。
が、それもめんどうなことだ。

 だからそのまま見て見ぬフリをして、走り去る。「あれは、ただのゴミだった」と。

 だから私は、F農場の責任者を、それほど責める気にはなれない。責める側に立って、さも
善人ぶるのは簡単なことだが、私には、それができない。「とんだ災難だったなあ」「かわいそう
に……」と、同情するのが、精一杯。

それが私の本音ということになる。
(040302)(はやし浩司 正直)

※……「同農場は2月20日から鶏の大量死が始まっていたのに、府に届けず、25、26日に
は生きた鶏計約1万5000羽を兵庫県の食肉加工会社処理場に出荷、感染の拡大につなが
り、強い批判を浴びていた」(中日新聞)

「当初、行政側が把握していた情報は、結果的にどれも誤りでした。実際にはA農産の養鶏場
から大量死が発覚した後の、先月25日と26日に、あわせておよそ1万羽の生きたニワトリが
兵庫県八千代町の鳥肉加工業者「AB」に出荷されていました。
 
 「AB」で加工された1万羽は、京都、兵庫、島根など14の業者に出荷され、ほとんどは返品
されたり、業者が廃棄しましたが、少なくとも150キロの肉がスーパーや飲食店などに、卸され
ていました」(TBS inews)と。

●『金によってもたらされた忠実さは、金によって裏切られる』(セネカ「アガメムノン」)

【追記】

 正直に対する、国民の意識は、国によって、かなりちがう。オーストラリアでは、親は、いつも
子どもに向かって、「正直でいなさい」と言っている。うるさいほど、それを言っている。

 しかしこの日本で、私は、親が子どもにそう言っているのを、聞いたことがない。「あと片づけ
しなさい」とか、「静かにしなさい」というのは、よく聞くが……。

 これは「誠実さ」に対する感覚が、国によってちがうためと考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 一事
が万事 一事が万事論 正直 誠実)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●赤ちゃんがえりのあとに……

+++++++++++++

子どもの赤ちゃんがえりを、
決して軽くみてはいけない。

嫉妬という、原罪的な問題
にからむだけに、一度こじ
らせると、あとがやっかい。

+++++++++++++

 下の子どもが生まれると、上の子どもが、赤ちゃんがえりを起こすことは、よくある。それはそ
れだが、そのとき、上の子どもが、下の子どもに、執拗な攻撃性を示すことがある。

 ふつうの攻撃性ではない。「殺す」寸前のところまでする。そのため、下の子どもが、上の子
どもに、恐怖心さえもつようになることがある。

 ……という話は、この世界では常識だが、今日、こんなメールを、ある女性(埼玉県U市在
住、TEさん)から、もらった。

 その女性は、三人兄弟(上から、兄、自分、妹)の、まん中の子どもだった。兄とは、4歳ちが
い。妹ととは、1歳ちがいだった。いわく……。

 「私は、もの心つくころから、兄にいじめられました。そんな記憶しかありません。父や母に訴
えても、相手にしてもらえませんでした。兄は、父や母の前では、借りてきたネコの子のように、
おとなしく、静かだったからです。

 で、私は毎日、学校から家に帰るのがいやでなりませんでした。兄は、父や母の目を盗んで
は、私と妹を、(とくに私を)、いじめました。何をどういじめたかわからないようないじめ方でし
た。意地悪というか、いやがらせというか、そういういじめ方でした。

 よく覚えているのは、私が飲んだ牛乳に、兄が、何かへんなものを入れたことです。おかしな
味がしたので、すぐ吐き出したのですが、かえって母に叱られてしまいました。『どうして、そん
なもったいないことをするのか!』とです。

 で、私が中学生になったとき、とうとうキレてしまいました。兄ととっくみあいの喧嘩になり、兄
の顔に、花瓶をぶつけてしまいました。そのため兄は、下あごの骨を折ってしまいました。

 たいへんな事件でしたが、それ以後は、兄のいじめは止まりました」と。

 ……と書いて、私は、今、おかしな気分でいる。

 今の仕事を35年近くもしてきたにもかかわらず、こういう問題があることに気づかなかった。
自分の盲点をつかれた感じである。赤ちゃんがえりを起こした子どもについては、よく考えてき
た。が、しかし、その赤ちゃんがえりを起こした兄や姉の下で、いじめに苦しんだ、弟や妹のこ
とについては、考えたことがなかった。

 つまり赤ちゃんがえりを起こす子どもの側だけで、私は、ものを考えてきた。そして赤ちゃん
がえりを起こした子どもについて、「被害者」という前提で、その対処法を書いてきた。しかしそ
の赤ちゃんがえりを起こした子どもは、一方で、下の子どもに対しては、加害者でもあった。

 実際、このタイプの子どものいじめには、ものすごいものがある。ここにも書いたように、(下
の子どもを殺す)寸前までのことをする。そういう意味で、動物がもつ嫉妬という感情は、恐ろし
い。人間がもつ本性そのものまで、狂わす。

 弟を、家のスミで、逆さづりにして、頭から落とした例。自転車で体当たりした例。シャープペ
ンシルで、妹の手を突き刺した例。チョークをこまかく割って、妹の口の中につっこんだ例など
がある。

 このタイプのいじめには、つぎのような特徴がある。

(1)執拗性……繰りかえし、つづく。
(2)攻撃的……下の子を、殺す寸前までのことをする。
(3)仮面性……上の子が、親の前では、仮面をかぶり、いい子ぶる。
(4)計画的……策略的で、「まさか」と思うような計画性をもつ。
(5)陰湿性……ネチネチと陰でいじめる。

 この中で、とくに注意したいのが、(3)の仮面性である。もともと親の愛情を、自分に取りかえ
すための無意識下の行為であるため、親の前ではいい子ぶることが多い。そのため下の子ど
もが、上の子どものいじめを訴えても、親が、それをはねのけてしまう。親自身が、「まさか」と
思ってしまう。

 で、さらに一歩、踏みこんで考えてみると、実は、こうした陰湿な攻撃性をもつことによって、
上の子ども自身も、心のキズを負うということ。将来にわたって、対人関係において、支障をも
ちやすい。こうした陰湿な攻撃性は、外の世界でも、別の形で現れやすい。

 たとえば学校などで、陰湿ないじめを繰りかえす子どもというのは、たいてい、長男、長女と
みてよい。

 そういう意味でも、人間の心は、それほど、器用にはできていない。結局は、その子ども自身
も、苦しむということになる。

 さらにいじめられた下の子どもも、大きな心のキズをもつ。たとえば兄に対してそういう恐怖
心をもったとする。その恐怖心が潜在意識としてその人の心の中にもぐり、その潜在意識が、
自分が親となったとき、自分の子どもへのゆがんだ感情となって、再現されるということも考え
られる。

 実はここに書いた、埼玉県のTEさんも、そうだ。最初は、「上の兄(8歳)を、どうしても愛する
ことができない」という悩みを、私に訴えてきた。その理由としては、TEさん自身の子ども時代
の体験が、じゅうぶん、考えられる。断定はできないが、その可能性は高い。

 何度も今までにそう書いてきたが、決して赤ちゃんがえりを、軽く考えてはいけない。この問
題は、乳幼児期の子どもの心理においては、重大な問題と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 赤ち
ゃんがえり 赤ちゃん返り 下の子いじめ 攻撃性)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●負の性格

++++++++++++++

人間には、「表の性格」と、「裏の性格」
がある。

おおげさに言えば、二重人格性という
ことになるが、人格障害とはちがう。

表の性格はつねに、裏の性格に操ら
れる。たいていは、負の方向に、その
人をひっぱるから、私は勝手に、「負の
性格」と呼んでいる。

++++++++++++++

 「負の性格」という言葉は、私が考えた。

 その人がもつ、好ましくない性格を、「負の性格」という。たとえば、いじけやすい、ひがみやす
い、つっぱりやすい、ひがみやすい、くじけやすい、こだわりやすいなど。

 こうした性格は、その人を、長い時間をかけて、負の方向にひっぱっていく。他人との関係
で、いろいろなトラブルの原因となることもある。

 問題は、こうした負の性格があることではなく、そういう負の性格に気づかないことである。気
づかないまま、その負の性格に、操られる。そして自分では気づかないまま、同じ失敗を繰り
かえす。

 こうした現象は、子どもたちを見ていると、よくわかる。ひとつのパターンに沿って、子どもは
行動しているのだが、子ども自身は、自分の意思でそうしていると思いこんでいる。
 
 ただここで注意しなければならないのは、仮にひがみやすい性格であっても、その子どもが、
いつも、そうだということにはならないということ。

 相手によっては、素直になることもある。明るく振る舞うこともある。そういう意味で、人間の
心というのは、カガミのようなものかもしれない。相手に応じて、さまざまに変化する。

 言いかえると、子どもを伸ばそうと考えたら、この性質をうまく利用する。こうした変化は、子
どもほど、顕著に現れる。そして仮に負の性格があっても、それをなおそうとは考えないこと。
簡単にはなおらないし、また「それが悪い」と決めてかかると、子ども自身も、自信をなくす。

 で、問題は、私たちおとなである。

 こうした子どもの問題を考えていくと、その先には、いつも、私たちがいる。「私たち自身はど
うか?」と。

 考えてみれば、私も、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみやすい。そういう負の性格
をいっぱい、かかえている。で、そういう性格が、おとなになってから、なおったかというと、そう
いうことはない。今でも、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみやすい。

 ただ、そういう自分であることを知った上で、じょうずにつきあっている。どこか、ふと袋小路
に入りそうになると、「ああ、これは本当の私ではないぞ」と思いなおすようにしている。「自分を
知る」ということは、そういうことをいう。

 だれしも、二つや三つ、四つや五つ、負の性格をもっている。ない人は、いない。要は、それ
といかにじょうずにつきあうかということ。そういうこと。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 負の
性格 いじけやすい ひがみやすい)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2128)

●日韓経済戦争(8月10日版)

+++++++++++++++

8月8日、南北首脳会談開催の決定を
受けて、韓国のKOSPIは、44ポイント
上昇した。

中央N報は、「南北(韓国・北朝鮮)首脳
会談開催の決定と米国株式市場の上昇
を受け、6日ぶりに1900pを回復した」と
報道している。

が、その喜びもつかの間、8月10日、
今度は、一転、80ポイントと急落。
この日、終り値は、1828ポイント。
約4・4%の下落率ということになる。
(下落額/終り値)

だいじょうぶか、韓国経済?

+++++++++++++++

8月8日、南北首脳会談開催の決定を受けて、韓国のKOSPIは、44ポイント上昇した。中央
N報は、「南北(韓国・北朝鮮)首脳会談開催の決定と米国株式市場の上昇を受け、6日ぶり
に1900pを回復した」と報道している。

 しかし問題は、その中身。つづく報道には、つぎのようにある。

  「南北首脳会談の消息にもかかわらず、化学業種を中心に外国人の利益確定売りはつづ
き、個人も2477億ウォンの売り越しとなった。 一方、機関は6415億ウォンの買い越しとなっ
た」と。

 わかるかな?

 44ポイント株価は上昇したが、(1)外国人の利益確定売りは、相変わらずつづいているとい
うこと。その数日前、「外国人売りは、14日連続……」と報道していた。

 つまりこの日も、相変わらず、外国人売りがつづいたということ。また(2)個人も、2477ウォ
ンの売り越しになっている点にも注意してほしい。つまり株価を44ポイントもあげたのは、外国
人でも、また個人でもない、ではだれか? 言わずと知れた、「機関(投資家)」たちであった。

 だれかが、韓国国内の機関(=証券会社など)を通して、株を買っている。……という遠まわ
しな言い方はやめよう。韓国では、自社株買いが、ごくふつうのこととして、なされている。会社
が自分の会社の株を買う。

 が、さすがにこうした動き、つまり外国人投資家の(逃げ)に危機感をいだいたのか、9日、韓
銀は、日本でいう政策金利を、0・25%あげて、5・0%とした。つまり外国人投資家たちに、エ
サをばらまいた。

 が、突然の株価、暴落。

 8月10日は、世界の株式市場に特筆すべき日となった。ニューヨーク・ダウ株価指数が、38
7ドルの暴落を記録した。この流れを受けて、アジア市場においても、各国の株価は、暴落。

 台湾……       ―251  8931
 シンガポール……  ―54  3359
 韓国……       ―80  1828
 日本……       ―404   16764

 これらの数字を並べてみただけでは、よくわからない。大切なのは、その中身。つまり暴落
率。それを調べてみると、(下落額/終り値)でみると、

 台湾……        ―2・8%
 シンガポール……   ―1・6%
 韓国……        ―4・4%
 日本……        ―2・4%

 つまり韓国だけが、他の国々の2倍以上も値をさげているのがわかる。つい先月には、「20
00ポイントの大台に乗った」とはしゃいでいた韓国の新聞だが、2000ポイントのときと比べる
と、8・6%も下落したことになる。

 これはたいへん、まずい。

 各国の中央銀行(もちろん日銀)も、信用不安を解消するため、緊急に市中に資金を放出。
が、韓国だけは、10日、「午後2時から、(政府による)緊急経済会議を開く」と。

 この「緊急経済会議」という文言に注意してほしい。つまり、それだけ韓国政府は、危機感を
つのらせたということになる。

 あぶないぞ、韓国! バブル経済崩壊は、近い。

 それを示す数字が、たまたま10日、公表された。同じく中央N報は、つぎのように伝える。

「この1年間、ソウルでマンションの価格が最も大きく上昇した所は、竜山区漢江路(ヨンサン
グ・ハンガンノ)1街で、3.3平方メートル(1坪)あたり約743万ウォン(約84万円)急騰したこ
とが、調査により分かった。不動産情報会社・スピードバンクが10日に発表したもの。 

  同社は、ソウル地域のマンションを対象に、この1年間にわたる洞別の価格上昇を調べた。
それによると、竜山区漢江路1街が06年6月下旬・1坪=1910万ウォンから今年7月下旬現
在2653万ウォンへと743万ウォンも上昇し、トップになった。第2位は、江南区逸院洞(カン
ナムグ・イルウォンドン)で1年前の1坪=2347万ウォンから現在2977万ウォンへと、630
万ウォンが上昇。 

  続いて、竜山区孝昌洞(ヒョチャンドン)が981万ウォンから1578万ウォンへと597万ウォン
が、江南区開浦洞(ゲポドン)が3853万ウォンから4416万ウォンへと563万ウォンが、竜山
区元曉路(ウォンヒョロ)4街が1483万ウォンから1982万ウォンへと499万ウォンが、それ
ぞれ上昇した」と。

 数字が並んでいるので、よくわからないが、マンション価格が、この1年で、1910万ウォン
(1坪あたり)から、2653万ウォンに上昇したというのだ(竜山区漢江路1街)。つまり743万
ウォンの上昇。率でみると、39%の上昇ということになる。

 たった1年で、39%! 

 坪単価も高い。平均的な30坪前後のマンションですら、これで計算すると、2653万x30=
7億9590万ウォンということになる。今日の為替相場によれば、1ウォン=0・127円だから、
これで計算すると、約1億円ということになる。

 江南区のマンションにいたっては、何と、坪単価が、4416万ウォン! 日本円で、561万
円! 30坪のマンションで、1億6830万円!

 日本でもバブル経済のころ、「億ション」と呼ばれるマンションが続出したが、現在、同じこと
が、韓国で起こりつつある。

 が、日本のバブルと韓国のバブルの大きなちがいは、2つある。

(1)日本のバブルは、銀行が先導して、起こした。そのためバブルがはじけたとき、銀行は軒
並み、信用不安を招いた。これに対して、韓国では、個人が、バブル経済を起こしている。個
人の負債額は、70兆円(70兆円だぞ!)を超えた(06年)。

(2)日本のバブルは、いわば身内のバブル。親父が、借金をして、その息子や娘たちが、その
借金をかぶった。これに対して、韓国では、親父が、外、つまり外国から借金をしている。

 これだけ読んでも、韓国のバブル経済の深刻さがわかっていただけるものと思う。バブル経
済がはじけたとたん、外国から債権者がどっと押し寄せる。

もちろんこんなバカげた経済運営がいつまでもつづくはずがない。韓国のバブル経済崩壊は、
近い。と、同時に、韓国は、1997年につづいて、2度目のデフォルト(債務不履行=国家破
綻)を経験することになる。

 ……と書いても、私は何も韓国の国家経済を心配して、そう言っているのではない。日本は
日本。韓国は韓国。それぞれ自分の道を歩めばよい。

 さて、週明けから、世界の市場は、どう動くか。ますます目が離せない。
(以上、8月10日、夜、記す。)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2129)

【今朝・あれこれ】(8月11日)

+++++++++++++++

毎朝、畑に水をまく。今朝もまいた。
見ると、40センチ以上もある巨大な
キュウリがころがっていた。

驚いた!

ワイフにそれを見せると、「昨日、取った
けど、そこに置き忘れた」と。

それにしても巨大。

それ一本だけでも、ゆうに一食分はある。

+++++++++++++++

●レバレッジ

 私の趣味は、周期的に変化する。昔からそうだ。ある一定期間、ひとつのことに凝(こ)ると、
それに徹底的に没頭する。が、ひととおり、それをやりこなすと、今度は別のものに移動してい
く。

 興味の対象もそうだ。今は、「経済」がおもしろい。私がほとんど経験しなかった分野だけに、
おもしろい。今朝は、「レバレッジ」という単語を覚えた。レバレッジというのは、少ない資金を元
に借り入れを行い、借り入れを使って投資した商品を担保にして、さらに借り入れと投資を繰り
返し、投資額を増やしていく手法だそうだ。

 今回のアメリカで起きた、サブプライム・ローンの焦げつきは、このレバレッジが原因だったと
いう。そう言えば、あのバブル経済のころ、この日本でも、土地投機を舞台に、このレバレッジ
をしていた人が、私のまわりにも、何人かいた。

 G氏という名前の人も、そのうちの1人。私の友人だった。

 そのG氏も、レバレッジなるものをしていた。方法は簡単。まず土地を買う。そこに小さなアパ
ートを建てる。その土地とアパートを担保に、別の土地を買う。同じようにアパートを建てる。そ
の土地とアパートを担保に、さらに別の土地を買う。同じようにアパートを建てる……。

 これを繰りかえす。当時は、毎年のように土地の価格があがっていった。「土地神話」という
のもあった。土地は値下がりしないと、誰もが信じていた。そのため土地を買うたびに、担保価
値が高くなり、G氏は、あれよあれよと思う間もなく、大資産家に変身した。当時、G氏は、43、
4歳ではなかったか。

 超高級車に乗り、浜松市内でも一等地とされる団地に、豪邸を建てた。「高級車に乗るの
は、交通事故から命を守るため」「大きな家に住むのは、経営会議をそこでするため」と、私に
はそう説明した。

 私も、何度か勧められたことがある。私は、「自宅だけは、抵当に入れない」とがんばった。
今も、昔も、私は1円たりとも借金をしたことがない。

 が、土地の価格が下落し始めたとたん、つまりバブル経済が崩壊し始めたとたん、今度は反
対に、ドミノ倒しのドミノのように、つぎつぎと負債が膨らみ、結果的には、会社は倒産。G氏自
身も、自己破産に追いこまれた。

 その当時を思い出しながら、「あれがレバレッジだったのか」と。ひょっとしたら、そういうの
は、レバレッジとは言わないのかもしれない。ともかくも、そういうのが破たんして、結果的に、
今回、世界的な株価暴落を引き起こしたということらしい。

 今のところ、世界の中央銀行が市中にお金をばらまき、銀行の信用不安は沈静化に向かっ
ている(日経新聞)ということだが、まだわからない。日経新聞のコラムニストのY氏は、つぎの
ように書いている。

 「1点目のリスクは、ヘッジファンドなどの投資実態が分からないだけに読みにくいが、市場で
は、今回損失が明らかになったベアスターンズ傘下のヘッジファンドほどの規模でレバレッジを
かけ、サブプライム関連のリスクを抱え込んでいるファンドは少ないとの見方が多い。実際、も
し破綻に瀕した大規模なファンドが数多くあるならば、既に現時点で明らかになっているだろ
う」(8月11日付け)と。

 ついでながら、「レバレッジ」とは、英語ではどう書くのだろう? 手持ちの「Collins Australi
an Pocket Dictionary」をあちこち調べてみたが、わからなかった。……いや、あった! 
「R」ではなく、「L」で始まる単語だった。

 "leverage"とつづるのだそうだ。意味は、"the action of a lever, the mechanical advantage 
gained by using a lever, strategic advantage" (レバーのアクション、レバーを使って得られた
機動的な利益、戦略的な利益)だそうだ。

 ナルホド! 「戦略的な利益」のことか! 今朝も、またまた新しい発見でスタート! ……し
かしレバレッジをしている人たちから見ると、私のようにコツコツと働いている人は、バカに見え
ることだろう。さらに無料でマガジンを発行している人は、バカに見えることだろう。


●韓国

 話は韓国にもどるが、韓国では、個人の負債額が、70兆円を超えた(06年)。「景気回復に
押されてカード利用者がふえた」とか、「南北首脳会談を成功させれば、国際的評価が高まる
はず」と、韓国の新聞は書きたてていたが、その数日後に、今回の株価の大暴落。8月10
日、1日だけで、コスダックの店頭市場で、何と43兆ウォンも、時価総額が減った。

 43兆ウォン=約5兆5000億円!

 日本の人口規模に換算すると、2・5倍にして、約14兆円! しかも外資の流出が止まらな
いという状況の中で、今回の暴落が起きた。

 東亜N報は、つぎのように伝える。

 「政府は10日、財政経済部、韓国銀行、金融監督院の関係者が参加した中で対策会議を
開いたのにつづいて、13日、金融政策協議会で具体的な市場安定化策をまとめることにし
た」と。

 韓国政府の狼狽(ろうばい)ぶりが、この記事からも、よくわかる。

 危うし、韓国経済!

 何も私がそう言っているのではない。数字が、そう言っている。

 2005年……短期外債(外国、とくに日本からの借金)……660億ドル
 2006年……第2四半期までだけでも、(つまり半年分でだけで)、……940億ドル
 
 まさに「雪だるま」式に借金がふえている。2007年3月までに、借金は、1200〜1400億ド
ルに達しただろうと言われている。アジアで再び、通貨危機が訪れる可能性が、いちばん高い
国として名指しされているのが、実は韓国なのである(ESCAP・2007年4月)。

 ただ忘れてならないのは、韓国がデフォルトすれば、日本にも大きな影響を与えるだろうとい
うこと。韓国との貿易で、日本は毎年、200〜300億ドルも稼いでいる。この稼ぎ(=黒字)
が、パーになる。日本国内の製造業者に与える影響は、甚大である。

 さらに韓国だけのデフォルトですめばまだよい。ほかのアジアの国々に飛び火、ということに
でもなれば、さらに日本への影響は深刻なものとなる。

 しかし……。

 これはまさに戦争。日本だけが無傷で、この戦争に勝つことはできない。私たちは、それを今
から覚悟しておく必要がある。

【付記】

 今回のアメリカで発したサブプライム・ローンの焦げつきは、確実に、韓国を直撃していると
みてよい。

 実はウリ銀行をのぞいて、他の大手銀行は、アメリカ資本によるアメリカの銀行だからであ
る。外国資本率をみればそれがわかる。あの国民銀行にいたっては、外資比率が、86%にも
なっている。ハナ銀行にしても、72%! (ウリ銀行は11%程度。)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2130)

●脳の多重性

++++++++++++++

今、パソコンの世界では、
「デュアル・コア」、つまり、脳みそが
2つくっついたようなCPU(中央演算装置)
をもつパソコンが常識になりつつある。

それが今度は、さらに進んで、
「デュアル・コア・クアッド」、つまりCPUが
4つくっついたようなパソコンが現れた。

この世界は、まさに日進月歩だが、実は、
これに似たような話が、脳の世界
にもある。

私は勝手に、「脳の多重性」と呼んで
いる。

人間私がその多重性に気づいたのは、
どこかの会場で、講演をしている
ときだった。

私は講演をしながら、「何を話すか?」と
考えている「私」と、「あと時間は、xx分」
「急げ」「この部分は省略しろ」と、そのつど
「私」をコントロールしている、別の「私」
がいることを知った。

ここでいう複数の「私」というのが、つまり
脳の多重性ということになる。

私たちの脳は、けっして一元的な構造に
はなっていない。同時にその働きもまた
一元的なものではない。いつも複数の
脳が、同時進行の形で、働いている。

++++++++++++++

●脳の多重性

 脳梗塞(のうこうそく)という恐ろしい病気がある。その脳梗塞だが、脳のどこで梗塞が起きる
かによって、症状は、みな、ちがう。

 K氏は、40歳を少し過ぎたところで、血栓性の脳梗塞を起こした。そのK氏は、こう言った。
「どうしても時計が読めなくなりました」と。

 N氏は、70歳のときに、やはり血栓性の脳梗塞を起こした。N氏のばあいは重症で、通りを
歩いていても、自分のいる場所がわからなくなってしまったという。自宅のほんの10メートル先
まで来ても、そのあたりをウロウロしているだけ。どこか自宅かわからなくなってしまった。

 こうしたことを考え合わせてみると、私たちは無意識のうちにも、複数、あるいはさらにもっと
多くの脳を、同時に働かせて生きていることがわかる。たとえば自転車で運動をしながら、あれ
これと考えている最中にも、無意識に時間のことを気にしたり、自宅への方向を考えたりしてい
る。

 「5時までには帰ろう」とか、「こちらの道のほうが、楽だ」とか、など。

 私がこうした脳の多重性に気づいたのは、どこかの会場で、講演をしているときだった。私は
講演をしながら、「何を話すか?」と考えている「私」と、「あと時間は、xx分」「急げ」「この部分
は省略しろ」と、そのつど「私」をコントロールしている、別の「私」がいることを知った。

ここでいう複数の「私」というのが、つまり脳の多重性ということになる。

私たちの脳は、けっして一元的な構造にはなっていない。同時にその働きもまた一元的なもの
ではない。いつも複数の脳が、同時進行の形で、働いている。

●いじけやすい子ども

 さらにこんなことがあった。

 ある子ども(小5・女児)と話しているときのこと。その子どもは、何かにつけ、いじけやすい子
どもだった。で、ある日、その子どもが、いつものように(?)、何かのことでいじけたときのこ
と。私は、その子どもをしばらく観察してみることにした。

 その子ども(小2・男児)は、いつものように突然、グズグズ言い出した。その少し前に、母親
に冷たく説教されたのが原因らしかった。

 その子どもは、「勉強しなければならない」という自分と、「したくない」という自分と、同時に戦
っているようだった。もう少し正確に言えば、「勉強しなければならない」という自分が基礎にあ
って、それを「勉強したくない」という自分が、じゃまをしているような感じがした。

 こうなると、「同一性の危機」というほど大げさなものではないにしても、子どもの心は、(おと
なの心もそうだが)、心の中は、ピンと張りつめた緊張状態に置かれる。複数の自分が、心の
中で葛藤するようになる。

 その証拠に、どちらの心をつついても、それぞれ別人のように反応する。

私「勉強したくなかったら、うしろで、マンガの本でも読んでいたら」
子「……読みたくないよ!」

私「じゃあ、あきらめて、勉強しなよ」
子「……勉強なんか、したくないよ!」

私「じゃあ、どっちなんだ?」
子「……うるさいなあ。お前なんか、だまっていろよ」と。

 こういうケースのばあい、子どもの心を図式化して考えるとよい。先にも書いたように、(基礎
となる心)と、その上で、(それをコントロールする心)の2つを考える。だから指導する側は、
(それをコントロールする心)を無視する。表面的な様子だけをみて指導すると、「何だ、その態
度は!」となってしまう。

 たいていしばらくすると、そのまま静かに落ち着く。

●あなた自身のこと

 脳の多重性に気づくと、さらに「私」とは何か、それがよくわかってくる。私という「私」は、いつ
も同時進行の形で、いろいろな私にコントロールされている。

 意識する私もあれば、意識しない私もある。そうした複数の私が、一方向を向いて一致して
いれば、「私」は落ち着く。が、そうでなければ、そうでない。イライラしたり、怒りっぽくなったり
する。心配や不安が、増幅することもある。

 私のばあい、脳の多重性を強く意識するのは、ワイフとけんかしたときである。そういうとき、
私は、私の中には、たしかに2人の自分がいることを知る。

 「あんな女、離婚だ!」と息巻く私と、「またやっているのか! もうよせ!」と自分をたしなめ
る私。その2人の私が、交互に現れては消え、あるいは同時進行の形で、そのときの「私」を支
配する。ときにどちらの私が、本当の私か、わからなくなるときがある。

 このことはワイフにしても、同じ。ふだんのワイフは、やさしくて親切だが、言い争いになったと
たん、ささいなことでも、つぎつぎと、つっかかってくる。過去のことをあれこれと言いだしたりす
る。ときに別人になったかのように感ずることもある。

 おそらくワイフはワイフで、そういうとき、複数の「私」の中で、葛藤しているにちがいない。

 さて、あなた自身は、どうか? 「私は単純な人間」と思っている人でも、実際には、そうでは
ない。あなた自身の中にも、無数の(あなた)がいて、同時進行の形で、あなたをコントロールし
ている。一度、そういうあなたを、静かに観察してみるとよい。方法は簡単。

 静かに目を閉じて、「本当の自分はどこにいるか?」、それをさぐってみればよい。たいてい
は穏やかで、動きのない自分がそこにいることを知る。それはたとえて言うなら、まだ何も描か
れていない白い画用紙のようなもの。(実際には、モヤモヤとした黒いものに感ずることが多い
が……。)

 その白い画用紙の上に、つぎつぎといろいろなものが現れては消える。そしてそれぞれが、
あなたの意思とは関係なく、勝手にいろいろなことを考えているのを知る。「気分が悪いぞ」「セ
ミがうるさいぞ」「今朝は、食欲がないぞ」「今日の予定は……」と。これがここでいう複数の
「私」ということになる。

 むずかしい話になってしまったが、脳の多重性に気づくだけでも、より「私」が鮮明にわかって
くるようになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 脳の
多重性)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2131)

●大本営発表

++++++++++++++

今日は、8月13日、月曜日。
朝、5時。

最大の関心ごとは、株価の値動き。
今日の動きを見れば、これから
1週間の、世界情勢のおおかたの
見当がつく。

さあ、どう出るか、アメリカの
サブプライム・ローンの問題!

……ということで、韓国の朝鮮N報の
経済欄をのぞく。

しかし……。こういうのを大本営
発表というのだろう。私のような
ド素人にも、明らかにウソをわかる
記事ばかり。

経済は数字に始まって、数字に
終わる。

++++++++++++++

●朝鮮N法のウソ記事

 まず、朝鮮N法の記事を読んでみてほしい。8月11日付きの記事をそのまま紹介する。(朝
鮮N報の記事のばあい、署名入りの記事は、たいていデタラメなウソ記事と考えてよい。さすが
良心がとがめるのか、あとあとの責任のがれのためにそうするのだろう……と、私は解釈して
いる。)

++++++

 『今回のサブプライム・ショックは、株式や不動産、消費など韓国経済全般に悪影響を及ぼす
ものとみられる。しかし、1997年のアジア通過危機のような大規模危機へと進展する可能性
は低い、という分析が出ている。

 何よりも、問題となったサブプライム・ローンによる韓国の直接的な損失規模がそう大きくは
ない。金融監督院の関係者は10日、「一般投資家が加入した海外の債券ファンドのうち、ごく
少数が、米国のサブプライム・ローンに投資した可能性があるが、分散投資されているため、
特に問題はない」と語った。

 ただ、ウリ・外換・新韓・国民・産業銀行や農協など、一部の銀行と保険会社がサブプライム・
ローン関連の債券に計8億4000万ドル(約994億3080万円)投資しており、6月末基準で
投資額全体の4・5%に当たる約3800万ドル(約44億9800万円)の損失を出した。しかし、
これらの金融機関の資産規模が、それぞれ数十から数百兆ウォンに達するという点を考慮す
ると、大きな打撃にはならないといえる。

 しかし、株式市場は相当な打撃を受けるものとみられる。今回の事態で、世界の投資家たち
が危険を回避し、安全な資産を選好する現象が広がるにつれ、韓国をはじめとする新興市場
で、株式を売りに出す可能性が高いためだ。特に、今年に入り韓国の株式市場の上昇率が相
対的に高かったため、世界の株式市場が下落した場合、韓国はさらに大きな下落率となること
も考えられる。グローバル株の低調が長期化する場合、海外ファンドの加入者も損失を免れな
くなる。

 今回の事態で「円キャリートレード(金利の低い日本で円を借り、海外資産に投資すること)」
の清算が加速化し、各国に投資された円資金が流出する場合、韓国国内の不動産市場にも
影響が及ぶ可能性がある。韓国企業が円資金を借りて不動産に投資したケースが少なくない
ためだ。そのため、内需の景気回復も遅延する可能性がある。

 ただ、円キャリートレードが清算されれば、円高に向かう可能性も残されており、日本企業と
ライバル関係にある韓国企業の輸出にとっては好材料にもなり得る。

 S経済研究所のT副社長は、「米国とヨーロッパの金融当局が積極的に対応していることに
加え、アジア経済が好調を見せ、アジア各国に外貨資産が多く蓄積されているため、通貨危機
のような大規模な危機へと発展する可能性は少ない」と述べた』(I・J記者)と。

++++++

 順に整理してみよう。

(1)大規模危機へと進展する可能性は低い。
(2)韓国の直接的な損失規模がそう大きくはない。
(3)金融機関の資産規模が、それぞれ数十から数百兆ウォンに達するという点を考慮すると、
大きな打撃にはならない。
(4)今年に入り韓国の株式市場の上昇率が相対的に高かった。
(5)円高に向かう可能性も残されており、日本企業とライバル関係にある韓国企業の輸出にと
っては好材料にもなり得る。
(6)アジア各国に外貨資産が多く蓄積されている。

 S経済研究所のT氏が、「米国とヨーロッパ……」と書いて、わざわざ「日本」をはずしているこ
とに注目。世界の新聞は、「日米欧」と、「日本」を入れている。

 これについては毎度のことだから、ここでは目をつぶることにしよう。

 (1)の「大規模危機へと進展する可能性は低い」については、主語が「世界」なのか、「韓国」
なのか、よくわからない。世界的な大規模危機にはならないとは、私もそう思っているが、韓国
にとっては、そうではない。それについては、今まで、たびたび書いてきた。

 (2)と(3)については、なぜこうまで韓国はオメデタイのか、その理由がよくわからない。つぎ
の数字を見てほしい。

 第一銀行  外資比率100% (筆頭株主:スタンダード・チャータード)
 韓美銀行  外資比率 99% (筆頭株主:シティ・グループ)
 国民銀行  外資比率 86% (筆頭株主:バンク・オブ・ニューヨーク)
 外換銀行  外資比率 74% (筆頭株主:ローンスター)
 ハナ銀行  外資比率 72% (筆頭株主:ゴールドマンサックス)

 わかるかな? エッ、まだわからない?

 国策銀行のウリ銀行をのぞいて、韓国の銀行は、すべて、外資の支配下にあるということ。
国民銀行を例にあげてみると、86%が、外資。しかもその筆頭株主は、バンク・オブ・ニューヨ
ーク! アメリカの銀行である。わかりやすく言えば、韓国の銀行は、アメリカの銀行、もしくは
その支店と考えてよい。

 アメリカの銀行が巨大な損失をかかえているのに、その子分である韓国の銀行が、「大きな
打撃にならない」とは! (これに対して、日本の銀行のばあい、役員に外人を置いている銀行
は、ゼロ!)

 「金融機関の資産規模が、それぞれ数十から数百兆ウォンに達する」ということだそうだが、
それはだれのお金か、まず、それを冷静に考えてみること。だいたい「資産規模」というところ
が、恐ろしい! 日本でいう「資産」ということなら、それは株主、つまり投資家のもの。預貯金
額を言うなら、それは預金者のもの。

 (4)の「今年に入り韓国の株式市場の上昇率が相対的に高かった」というのは、どことくらべ
て「相対的に高かった」というのか。

 韓国では、外資が逃げ、個人投資家が逃げても、しかし株価だけはあがるという珍現象が、
続発している。

 株価というのは、だれかが買うからあがる。買わなければ、あがらない。では、だれが買う
か?

 いわずと知れた、「自社」である。株式制度、それに付随する法律は、国によって、すべて異
なる。韓国では、「自社株の売買」が、ごくふつうのこととしてなされている。

(5)「円高になれば、韓国企業にとっては有利」とか?

 ならば聞くが、ではなぜ自国の通貨を、ウォン安にしないのか? きわめて簡単な質問であ
る。そうすれば何も円高を待たなくても、韓国企業にとっては有利になるはず。が、韓国政府
は、つい先週も、2か月連続で、日本でいう政策金利をあげている。(今月、0・25%あげて、
0・5%になった。)

 政策金利をあげれば、世界の投資家たちが、韓国のウォンを買う。そのためウォンが値をあ
げる。ウォン高になれば、輸出企業に不利になる。韓国政府は、自国ガ貿易立国であることを
百も承知の上で、自国の通貨をウォン高に導こうとしている。こういう矛盾を、いったい、この記
事を書いた記者は、どう説明するのか。

 実は、韓国は、ウォン安にできないのである。ウォン安にしたら、それこそ、現在アメリカで起
きている、サブプライム・ローンと同じ問題が、韓国国内で起きてしまう。世界的にみれば、規
模は小さいが、韓国経済を崩壊させるには、じゅうぶん。

 何としてもウォン高を維持して、外資を自国へ呼びこまねばならない。そのことは、つぎの数
字をみればわかる。

 韓国貿易収支    2005年…… 327億ドル
              2006年…… 292億ドル
              2007年…… 100億ドル以下(07年第一四半期より推定)

 つまり毎年、韓国の貿易収支は、見た目よりもはるかに速いスピードで悪化している。2008
年には、赤字に転落するかもしれない。ここ1〜2年、設備投資額も、前年度比、毎年、1〜
2%という、まさにK国並みの低さで推移している。

 こういう状態で、円高になったらどうするか? 韓国は基本技術、および製造機器のほとんど
を、日本に頼っている。「有利」になるどころか、その分だけ、たちまち輸入額に、円高分が上
乗せされてしまう。

 が、何といっても最大のウソは、(6)の「アジア各国に外貨資産が多く蓄積されている(からだ
いじょうぶ)」という部分。

 百聞は一見にしかずという。つぎの数字を見てほしい。

 韓国の所得収支    2005年…… ▲16億ドル(赤字)
                2006年……  ▲ 5億ドル(赤字)
                2007年……  ▲20億ドル以上の赤字(07年第一四半期より推
定)

 所得収支というのは、モノの売買で得るのを「貿易収支」と呼ぶのに対して、債権・債務で発
生する収支のことをいう。

 ここ数年、韓国では、この所得収支が赤字なのである。赤字ということは、「アジア各国にあ
る外貨資産」で得るお金よりも、借金のほうが多いということ。わかるかな? エッ、まだわから
ない?

 では、説明しよう。

 あなたは借家を5軒もっている。そこからの家賃収入は、1軒分10万円として、50万円あ
る。しかし同時に、その借家を建築するために借り入れたお金の返済のため、あなたは、毎月
60万円の利息を支払わねばならない。つまり所得収支でみれば、毎月10万円の赤字という
ことになる。そういう状態でも、あなたは「うちには資産があるから、だいじょうぶ」などと言うだ
ろうか。

 韓国の今の状況を簡単に言えば、そういうことになる。そういう韓国が、「アジア各国に外貨
資産が多く蓄積されているから、(だいじょうぶ)」とは! あいた口がふさがらない!

 私のようなド素人にも、こんな程度のことはわかる。つまりこの記事を書いた、朝鮮N報のI・J
記者は、この私よりも、ド素人ということになる。

 なぜ、こうした記事には、わざわざ署名を入れるか? もうこれで読者の方は、その理由が、
おわかりのことと思う。

 私もこうした記事にはよくだまされた。つい最近まで、だまされた。韓国を代表する新聞社だ
から、だれしも「まさか!」と思う。しかしウソはウソ。読者のみなさんも、くれぐれもご注意のほ
どを!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2132)

●片山さつき氏という国会議員

++++++++++++++

片山さつき氏は、私の選挙区選出の
国会議員である。

その片山さつき氏が、佐鳴湖の湖畔で
なされた花火大会の会場にやってきた。

従者として、2〜3人のカメラマンと
数人の秘書! おかしな連中を連れて
やってきた。

++++++++++++++

 8月11日の夜、佐鳴湖の湖畔で、花火大会が開かれた。私とワイフは、その花火を見に行
った。ワイフは夕食も食べず、「屋台のやきそばが食べたい」と言った。そこで大会の本部のあ
る佐鳴湖の南端に行ってみた。みると……。

 そこに何と、あの片山さつき氏が来ていた。私の選挙区出身の国会議員である。見ると、
煌々(こうこう)と照らされた、ライトの中に立っていた。どこかの人と、立って、インタビューらし
きものをしていた。私とワイフは、その場を通り過ぎた。

 が、おかしなことに、たいへんおかしなことに、片山さつき氏が歩くところ、どこへでもそのライ
トがついていくではないか! カメラで収録するだけなら、ライトをともすのは、インタビューす
る、その瞬間だけでよいはず。どこのテレビ局でも、そうしている。

 まさに見え見えの演出! 私は腹の中に、言いようのない怒りが充満するのを覚えた。地元
では、何ら、活動らしい活動もせず、こういうところに来て、選挙運動用のためだけのパフォー
マンスを繰りかえす。

 たまたま焼きそば売り場のところに、知りあいの市会議員の議員がいた。汗を流しながら、
焼きそばを焼いていた。

 「あれ、どう思いますか?」と声をかけると、その議員は、こう言った。「ぼくには、関係ありま
せんから」と。

 私は片山さつき氏に質問をぶつけるつもりで、彼女のほうへ歩いていった。ここにも書いたよ
うに、片山さつき氏の位置は、すぐわかる。そのあたりだけ、煌々と明るい! 強烈なライトだ。

 片山さつき氏は、どこかのおばあちゃんと並んで記念撮影していた。私は横に立っているテ
レビ局の人間とおぼしき男に声をかけた。「これはヤラセですか?」と。

男「ヤラセ? ヤラセではありません」
私「本当にテレビ局ですか・」
男「朝日テレビの者です。2〜3時間分、収録しますが、実際に放映されるのは、2、3分です
が……」
私「だったら、そういうのをヤラセというのです」と。

 テレビ局の人間と思ったが、片山さつき氏の秘書だった。テレビ局(?)の男たちは、これ見
よがしに胸に、ひもでつりさげたカードをぶらさげていた。

 私は数歩、前に出て、片山さつき氏に近づいた。インチキ・インタビュー(まさに「インチキ」と
断言してよいのだが)、それが一休止したとき、声をかけるつもりだった。

 「あなたは、『私が土下座すれば、このあたりの田舎者は、(私に)イチコロ』と東京では言っ
ているそうだが、それは事実か」と。

 もし片山さつき氏がそれを否定したら、「では、あなたは雑誌(諸君)に書かれた記事に対し
て、抗議なり、そういうことをしたのか」と。

 が、そのときうしろから強く私のワイフが、私のシャツを引いた。「やめましょうよ。あんな女、
本気で相手にする価値はないわよ」と。

私「でも、ぼくは許せない」
ワ「みんな無視しているでしょ。冷たい視線を感じないのかしら」
私「そうだね」と。

 その前、片山さつき氏は、本部のマイクを借りて、5分ほどあいさつらしきものをしたが、拍手
はなかった。どこかでブー音すら聞こえた。

私「こういうときだけ、東京からやってきて、あいさつする。ぼくはああいうインチキな選挙運動
が許せない」
ワ「そうね」と。

 私が住む地区の子供会にしても、30年前に、私たちがたちあげたもの。会長はS氏。私が
会計。それまで子どものリトルリーグ(野球チーム)をいっしょにしていた仲間である。近くの公
園で、焼きそばや、フランクフルトを売ったのが、始まりだった。だから今でも、子供会が、毎年
より盛大になっていくのを見るたびに、心のどこかで誇らしげに思う。

 そういう会場へ、あとからノコノコとやってきて、「みなさん、こんばんは!」と大声であいさつを
する。煌々とライトを照らす手法は、昔、ドイツのヒットラーが用いた手法と同じである。私は、
そういうインチキを許さない。

 今まで、片山さつき氏の実名は伏せて批評してきたが、もうこれからは遠慮しない。ああいう
インチキな国会議員をのさばらせてはいけない。全国のみなさん、どうかアンチ・片山さつき氏
運動に応援してください!

 1年前に書いた原稿を添付します。

+++++++++++

●田舎者はイチコロよ!


+++++++++++++++++++++++

片山さつき氏は、私の選挙区から選出された、
国会議員である。

ふつうは、こうしたエッセーでは、実名を伏せる
ことにしているが、ここでは、あえて、実名で
書かせてもらう。

雑誌「諸君」の中に、こんな記事があった。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」(片山さつき談)と!

++++++++++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年になる。同じ自民党
の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片山さつき氏である。城内実氏は、
郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片山さつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客という
ことになる。片山さつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県7区から立候
補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな気になる記事を書いてい
る。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪ではない、
媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務省キャリア」と
いう自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土下座なんてしたら、この
辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、自分が客
観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もはやお手上
げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イ
チコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田真由美氏
に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話は、当
時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんてしたら、この
辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした発言はな
い。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないかとは疑ってい
たが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは何か?
 あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、まさに
選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだけ利用して
おきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に帰って
きて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞いてみたが、ワイ
フも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言えば、自
己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、まかり通
ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字も知らない。もち
ろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけをくぐりぬけて、
国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の代表なのか?

 そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話題をふ
りまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元の利益につな
がったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知らない。

+++++++++++++

同じようなテーマで書いたエッセー
がつぎのものです。

先のエッセーの直後に書いたもの
です。

+++++++++++++

●仕事開始!

 夏休みも終わって、仕事開始。とはいっても、これとて大きな変化はない。淡々と、その日の
ルーティーン(茶飯事)をこなすだけ。

 やりたいことは、いろいろある。しかしどれも、時間がかかることばかり。そのため、とりかか
る前に、何かと、おっくうになる。

 そういえば、昨日(19日)は、頭にカチンとくることがあった。あの片山さつき氏(静岡県7区
から立候補、当選)のことだ。

 片山さつき氏は、この選挙区(地方区)で敗れても、全国区の比例区で当選する段取りにな
っていた。だから当時から、(熱意に欠ける選挙運動)が、問題になっていた。その片山さつき
氏が、東京へ戻ってから、こんなことを言っていたという。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田真由美氏指摘・「諸君」)。

 ここまで書いて思い出したことがある。昔、中央官庁で部長をしていた知人が、私にこう言っ
た。

 「定年退職をしたら、郷里の長野県のS市に帰って、市長でもしようかな」と。「……でも」とい
うところが、恐ろしい!

 片山さつき氏の発言は、その部長の発想の延長線上にある。何が、市長だ! バカヤロ
ー!

 何でもかんでも、「東京からきた」というだけで、ありがたがる田舎根性。それはたしかに、こ
の浜松市にもある。私は、否定しない。

 しかしその田舎根性を逆に利用して、中央からやってくる政治家たち。私は、そういう政治家
というより、そういう政治家を生み出す、この日本のシステムに腹が立つ。

 わかりやすく言えば、日本の民主主義も、この程度。みなが、何かに動かされるまま、動かさ
れてしまう。自分で、考えようとしない。自分で考えて、行動しようとしない。

 近く、もう少し涼しくなったら、この問題に取り組んでみよう。今は、暑くて、脳みそも、だらけ
がち。それに明日から、仕事が待っている。まず、私の生活を優先させなければならない。

 がんばろう! がんばります!
(2006年8月記)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今日・あれこれ】8月13日

●交通事故 

+++++++++++

昨日(8月12日)、東名高速道路で
6台の車が、たまつき衝突をするという
追突事故があった。

追突したのは、観光バス。その事故で、
1人の女性と、その子どもが亡くなって
いる。

が、ちょうど同じころ、私が乗った
観光バスでも、「あわや!」と思うような
できごとがあった。

+++++++++++

 昨日(8月12日)、地元のバス会社が運営する観光バスに乗って、箱根から御殿場を回って
きた。その途中でのこと。

 私たちの乗ったバスは、箱根を出て、御殿場に向かっていった。山々の木々は、美しく、まる
で夢の中をさまよっているかのようだった。と、そのとき、前方から一台のミニ・クーパが、こち
らに向かって走ってきた。

 紺色に白いラインの入った車である。言い忘れたが、私とワイフはそのとき、最前列の席に
座っていた。

 瞬間のできごとだった。ミニ・クーパは、センターラインを越え、反対車線に入っていた。「あ
ぶない!」と思ったその瞬間、バスの運転手が、はげしくクラクションを鳴らした。私はミニ・ク
ーパを運転している男性の顔を、はっきりと見た。助手席にいた子どもの顔も、はっきりと見
た。年齢は男性が40歳前後。子どもが、10歳前後だった。親子か? 男性は、向かって左側
のほうに顔を向けて、運転していた。

 完全な脇見運転である。

 クラクションの音に驚いて、その男性は車を、右に切った。と同時にそのまま、私たちの乗っ
た観光バスをかすめるようにして、そのまま視界から消えた。

 そのときは、「あぶなかった!」ですんだ。しかし今、こう思う。「もしあのとき、観光バスが車と
衝突していたら、どうなっていたか」と。

 観光バスのほうのスピードは、40〜50キロ。ミニ・クーパのほうは、それよりもやや速い、5
0〜60キロ。両者のスピードを合計すると、楽に100キロは超える。大惨事になっていたにち
がいない。あのスピードでは、ミニ・クーパの2人は、確実に死んでいただろう。もちろんバスに
乗っていた観光客とて、無事ではすまなかっただろう。

 運転手の席は、一段と低い所にある。ミニ・クーパと同じ高さと言ってもよい。運転手もあぶな
かった。もちろん私とワイフも、衝突と同時に、前のほうに投げ出されていたかもしれない。運
転手のクラクションが、事故を未然に防いだ。

 事故は、瞬間の油断が引き金となって起こる。それは偶然と確率によって起こる。反対に偶
然と確率によって、起こらないときは、起こらない?

 たまたま観光バスの運転手が、早めに気づいたからよかった。早めにクラクションを鳴らした
からよかった。ミニ・クーパを運転していた男性が、瞬間的な判断で、車を右へ寄せたからよか
った。もしこうした(瞬間)の積み重ねがなかったら、その男性の人生はもちろん、私たちの人
生も、その(瞬間)から変わっていたかもしれない。

 「私たちの命は、いつも危険と隣り合わせ」と書くと、見え透いた結論になる。が、もっと言え
ば、「私たちの運命は、一瞬先すら闇」ということか。

 ちょうど同じころ、東名高速道路では、観光バスが、渋滞で止まっていた車の列に追突して、
1人の女性とその子どもが亡くなるという、悲惨な事故が起きていた。新聞の報道によれば、
観光バスが猛スピードで、6台の車の中につっこんでいったらしい。ブレーキを踏んだ跡はなか
ったという。

 当然のことながら、非難は、観光バスの運転手に集中している。しかし……。だからといっ
て、その観光バスの運転手の脇見運転が正当化されるというものではない。ないが、こうした
事故は、先にも書いたように、偶然と確率によって起こる。観光バスの運転手を、一方的に責
めるのも、酷ではないかと思う。

 報道によれば、そのバスの運転手は、道路沿いの事故情報を読んでいたという。皮肉と言え
ば、これほど皮肉なことはない。その事故を起こすために、渋滞で止まっていた車の列の中
に、自ら、突っ込んでいった!

 旅行からは楽しく帰ってきた。私たちにとっては、いつもの旅行である。しかし今、ふとこう思
う。「無事でよかった」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2133)

【今日・あれこれ】(2007年8月14日)

+++++++++++++++++

昨夜は、山荘に泊まった。
ワイフが、何とか流星群を見たいと
言ったので、そうした。

しかしあいにくの曇天。夜中になって、
さらに厚い雲が、空を覆った。

あきらめてDVDを見た。
デンゼル・ワシントン主演の「デジャブ」。

おもしろかった。星は4つの、★★★★。

+++++++++++++++++

●ATOK2007

 山荘からの帰り道、いつものパソコンショップで、ATOK2007という、漢字変換ソフトを購入
した。まだ試用中の段階だが、一言で表現すれば、「すごい!」。

 WORD2007の漢字変換ソフトとくらべると、段違いに使いやすい。俗な言い方をすれば、
「ものすごく、頭がいい」。

 驚いた。ATOK2007とくらべたら、今までの漢字変換ソフトは、何だったのかということにな
る。値段は、プレミアム版で、9980円。その価値は、じゅうぶんあると思う。

(付記)

 ためしに「うらにわにはにわにわとりがいる(裏庭には二羽鶏がいる)」とひらがなで打ち込
み、変換してみたら、正確に、「裏庭には二羽鶏がいる」と変換してくれた。すごい! 


●K国の大洪水

 K国では、過去1週間だけで、1年の降雨量の約半分の量の雨が降ったという(朝鮮N報)。
ものすごい雨だったにちがいない。早速、「レーダー雨雲監視・CBC」を見る。

 http://hicbc.com/weather/

 このサイトでは、最大過去48時間の雨雲の動きを、そのまま見ることができる。

 ナルホド、巨大な雨雲が、K国と韓国を、繰りかえし襲っているのがわかる。天気図を見る
と、日本でいう梅雨前線が、首都P市あたりで停滞しているのがわかる。

 ヤフー・ニュースによれば、たいへんな被害が出ているらしい(8月14日)。

 ……しかしこれ以上のコメントは、さしひかえたい。

【注】(中央N報)K国中央気象研究所のある関係者は、朝鮮N報とのインタビューで、「この5
日間、K国の多くの地域で年間平均降水量、1000ミリの半分を超す雨が降った」と話した。


●経済の勉強(2)

++++++++++++++

8月13日の朝刊によれば、
「GDP 年率 0・5%増」とある
(中日新聞)。

「国民総生産速報値によれば、
物価の変動をのぞいた実質で、
前期(07年1〜3月期)比で、
0・1%増、年率換算で、0・5%
増になった」という。

つまりGDPというのは、3か月
ごとに、その前の3か月よりも、
どうだったという視点で、増えた
とか、減ったとかいうらしい。

だからつぎのようなことを意味する。

4〜6月期は、その前の1〜3月期
と比べて、0・1%増になった、と。

そこで私はまたまた、新しい
問題を考えた。今度、中学生の
子どもたちに出題してみよう。

++++++++++++++

【問い】

ある国のGDP(国民総生産)は、つぎのように増加した。このばあい、その国の年間のGDP
は、前年度比で、何%、上昇したといえるか。

07年第一四半期(1〜3月)    対前期比較で ……0・3%増
07年第二四半期(4〜6月)    対前期比較で ……0・5%増
07年第三四半期(7〜9月)    対前期比較で ……0・4%増
07年第四四半期(10〜12月)  対前期比較で ……1・2%増

【解】

 単純に足し算をすると、0・3+0・5+0・4+1・2=2・4、つまり2・4%の増加となる。(たぶ
ん、子どもたちは、こうやって計算するだろうな。)

 しかし「率」だから、これは足し算の問題ではない。

 正解は、07年のはじめを、「1」とすると、

07年第一四半期(1〜3月)の終わりには、    1x1・003=1・003
07年第二四半期(4〜6月)の終わりには、    1・003x1・005=1・008015
07年第三四半期(7〜9月)の終わりには、    1・008015x1004=1・012047
07年第四四半期(10〜12月)の終わりには、  1・012047x1012=1・0241915

1・003x1・005x1・004x1・012−1=1・0241915、つまりその07年の終わりには、1・0
241915になっていることを示す。

 そこで1・0241915−1・0000000=0・0241915、それを「1」で割って、つまり2・419
15%の増加とういうことになる。

 足し算をしても、かけ算をしても、答はほとんど同じ……と思う人もいるかもしれない。しかし
足し算をして求めた子どもは、(×)。かけ算をして求めた子どもは、(○)。「対前期比較」とい
うことは、それまでの成長率が、その時点ごとに、累進されていくからである。

 そこで第2問

【問】

ある国のGDP(国民総生産)は、つぎのように増加した。この国では、第四四半期に、対前期
比で、何%を達成すると、年率2%の成長率を達成することができるか。

07年第一四半期(1〜3月)    年率に換算すると ……5%増
07年第二四半期(4〜6月)    年率に換算すると対前期比較で ……4%増
07年第三四半期(7〜9月)    年率に換算すると対前期比較で ……4・5%増
07年第四四半期(10〜12月)  「?」
 
【解】

 同じように、その年のはじめのGDPを、「1」として計算すると、

07年第一四半期(1〜3月)の終わりには、    1x(1+0・05/4)=1・00125
07年第二四半期(4〜6月)の終わりには、    1・00125x(1+0・04/4)=1・00112
625
07年第三四半期(7〜9月)の終わりには、    1・00112625x(1+0・045/4)=1・0
123888

 第三四半期の終わりまでに、GDPは、1から、1・0123888になっていることを示す。

 そこで一次方程式! 第四四半期の増加率を、Xとすると、

 1・0123888x(1+X)=1・02

 これを解くと

 X=0・007518

 つまり0・7518%(年率に換算すると、4倍して、3・0072%)を、達成すればよいということ
になる。

 たぶんおおかたの子どもたちは、第四四半期の成長率を、Xとして、

 (5+4+4・5+X)/4=2x4で計算するだろうな。

 これで計算すると、X=18・5

 もちろんこれは年率だから、4で割って。4・625、つまり第四四半期で、4・625%を達成す
れば、年率で、2%になる、と。もちろんこれは、まちがい。

 むずかしい話になってしまったが、GDPの話ほど、あやしいものはない。もちろんGDPその
ものが、あやしいというのではない。そのGDPは、いろいろな計算方法で、そのつど私たちに
示される。それには、じゅうぶん注意したほうがよい。……という意味で、ここに書いたような問
題を用意してみた。

(付記)

 今、書斎の温度は、32、3度近くを示している。扇風機にあたりながら、この問題を作ってみ
たが、何しろこの暑さ! もし計算式がまちがっていたら、ごめん!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2134)

●体感失業率(日韓経済戦争・8月14日版)

++++++++++++++

韓国の失業率は、公式発表では、
3・5%ということになっているが、
こんな数値を信じている人は、
まず、いない!

朝鮮N報(8月14日)ですら、
体感失業率は、11・5%に達する
と報道している。

ここにもまた、韓国独特の、
あの大本営発表がある。

++++++++++++++

 朝鮮N報は、つぎのように伝える(8月14日)。

++++++++

……ハンさんのように就職活動を放棄し、仕事をしないニート、(韓国では「白手(ペクス)」と呼
ぶ)たち。彼らは非経済活動人口と見なされ、失業者統計には反映されない。しかし、条件さえ
よければいつでも就職する意思があるという点で「擬似失業者」といえる。本紙が現代経済研
究院と共同で統計庁の雇用統計資料を分析した結果、こうした擬似失業者が220万人に上る
ことが分かった。

 非経済活動人口のうち擬似失業者は、▲仕事をしないニート(128万人)、▲就職準備生(5
3万人・職業学校に通ったり、自宅で就職準備をする人)、▲育児・家事をする男性(15万
人)、▲その他(24万人・ボランティアなど)をすべて含んだ数字だ。

 統計庁の公式な失業者数は83万人(昨年現在)だが、擬似失業者を含めると303万人で、
統計上の失業者の4倍近くに上る。また、失業率も公式値は3・5%だが、擬似失業者を含め
た「体感失業率」は11・5%に達する計算だ。

++++++++

 韓国では、失業者の定義そのものが、日本とは異なる。たとえばほかにも、「4週間」という条
件がつく。つまり4週間の間に、1度でも、1日でも働いたことのある人は、失業者とみなされな
い。

 だから3・5%という数字が出てくる。しかし実際には、11・5%! この数字は、私が韓国に
学生としていたときと、ほぼ同じである(1967年)。

 あるときだれかが、こう話してくれた。「街角に職を求める人が立つようになったら、失業率が
10%を超えたとみていい」「それが目立つようになったら、20%を超えたとみていい」と。その
ときが、そうだった。大通りの四つ角には、そういう人たちが、あちこちに立っていた。

 韓国をよく知る人は、みな、こう言う。「失業率が、3・5%なんて、とんでもないウソです」と。
大学の有効求人倍率ですら、0・25(2006年度)。わかるかな? 大学を卒業しても、4人に
1人しか、就職できないのだぞ! あとの3人は、就職活動をしなければ、失業者にも数えられ
ない、失業者。それで3・5%とは!

 ウソで塗り固められた、韓国の経済指標。その一端は、こんなところにも垣間(かいま)見る
ことができる。

 が、そのウソも、いよいよ終盤戦。

 先週末世界を襲った、サブプライムローンショックは、少し落ち着きを見せ始めた。日本の株
価(日経平均)も、ややもちなおした。

 今日(8月14日)の終値……日本、16844、+45円
                   韓国、 1818、―31ポイント

 ―31ポイントというのは、1・7%(値下がり値/終値)。アジアのほかの国々も、台湾マーケ
ットをのぞいて、上昇している。日本のバブル経済は、株価の暴落で始まった。一時は3万80
00円前後をつけた日経平均も、最終的には、4分の1の、1万円前後にまでさがった。

 この先のことはわからないが、韓国からこのまま外資の逃避がつづけば、韓国経済は、まち
がいなく、奈落の底へと落ちていく。かつて日本の小泉首相は、こう言い放った。韓国で反日運
動が燃えさかっていたときのこと。「後悔するのは、韓国のほうだ」と。

 日韓経済戦争は、いよいよ最終ラウンドを迎えたといってもよい。このまま韓国の株価が下
落しつづけるようであれば、韓国のデフォルト(債務不履行=国家破綻)は近いとみてよい。

(参考)

韓国の失業率

  2002  ……3・3%
  2003  ……3・6%
  2004  ……3・7%
  2005  ……3・7%
  2006  ……3・5%


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司 

最前線の子育て論byはやし浩司(2135)

●伊勢の思い出

+++++++++++++

今度、8月xx日に、伊勢、志摩を
旅行する。

その伊勢、志摩だが、小学6年生の
ときに、修学旅行で行っている。

その話を、今日、ワイフと車の中で
する。とたん、懐かしいというより、
何とも言えない切なさを覚えた。

胸をかきむしりたくなるような切なさ
である。

+++++++++++++

 私はそのとき、列をつくって、海辺の道を歩いていた。どこかの旅館をめざしていた。右下は
川のようになっていたが、潮の香りがした。

 私は山の中で育った子どもだから、潮の香りが、ことさら印象に残ったのかもしれない。海の
においというよりは、潮の香りだ。腐った海草や貝殻のにおい。魚の干もののにおい、それら
が一体となって、潮風にのって、鼻をついた。

私「あのとき、いくつかのみやげを買った。その一つは、丸いガラス玉のものだった。中に水
と、金色や銀色の粉が入っていた。そのガラス玉を振ると、粉が、雪が動いた。……ガラス玉
の下のほうには、小さな竜宮城のような家があってね……。小さな水族館のようなになってい
た。で、もうひとつ、何かを買ったんだが、どうしてもそれを思い出せない」
ワ「……」
私「何かしら、切ない。どういうわけか、切ない。しかしその理由がわからない」と。

 ワイフは、そのあといろいろ理由を考えてくれたが、どれもちがった。その切なさは、もうひと
つのみやげと関係があるように思うのだが、それが思い出せない。何だろう?

 ……ということで、今度、伊勢、志摩へ行くのを、楽しみにしている。どうしてこうまで切なさを
覚えるのか。その理由を、そこでつきとめてこようと思う。何かあるはず。みやげもの屋が並あ
の通りを歩いてみたら、それがわかるかもしれない。

 そうそうその(通り)だが、今でも、ときどき、私の夢の中に出てくる。それから50年近くもたっ
ているのに、考えてみれば、これも不思議なことだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(韓国の被害妄想・8月15日版)

+++++++++++++++

「お金を貸してくれ」というから、
日本は、お金を貸した。

そのため韓国は、借金漬けになった。
首が回らなくなった。

それについて、韓国は、「お金を
貸してくれた日本が悪い」
「借金を返せと言われると、
うちが倒産するから困る」と言い
出した。

簡単に言えば、そうなる。

+++++++++++++++

 またまた韓国が、とんでもないことを言い出した。言いがかりと言ってもよい。

 韓国の副首相兼財政掲載部長官のK・Oは、8月14日、こう言った。「予期せぬショックで、
円キャリー・トレードの投資資金が急激に回収されれば、1997年の通貨危機のような大きな
混乱に見舞われる可能性がある」と。

 わかりやすくいえば、「日本が急に、円を回収するような行為に出れば、韓国は1997年当
時のような通貨危機のような混乱に見舞われることになる」と。

 とうとう認めたぞ! 韓国の高官が! わかりやすく言えば、「負け」を認めた!

 しかもあろうことか、その責任は、「日本にある」と。とんでもない言いがかりである。お金を借
りるときだけは、「貸してくれ」と頭をさげてきた。そのお金を、設備投資や失政の穴埋めに使っ
てきた。

 結果、韓国は借金漬けになった。なったとたん、「返せと言われても困る。今返せと言われた
ら、韓国の経済は破綻する」と。

その一例として、K・O副首相は、「1980年代、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンのノルデ
ィック3国の不動産など資産価格の急騰現象は、日本の各銀行からの膨大な資金が現地に流
れ込んだことが主原因だった」と指摘したという(APEC財相会議の席で、東亜N報)。

つまり、1980年代、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンで起きた不動産価格の高騰も、日
本が原因だった、と。そしてさらに、1997年11月、韓国で起きた通貨危機ですら、日本が原
因だったと言い出した。

いわく、「1997年11月、日本の各銀行が韓国に融資した大規模な資金を一気に回収し、非
日系銀行の資金回収にまで影響を及ぼした結果、韓国の通貨危機の発生を促す主な要因と
なったと説明した」という。

 もう、ここまでくると、バカ臭くて、コメントも書けない。自国の失政すら、韓国では、日本の責
任になってしまう。しかもだ、その危機をアメリカの反対を押し切って救ったのは、この日本で
ある。日本は頼まれもしないのに、IMFや世銀、日本の銀行団から集めた、総額500億ドルと
いう現金で、韓国を救った。

 それに対して、「日本が悪い」と。

 誤解がないように言っておくが、韓国にお金を貸したのは、日本ではない。「貸してくれ」と頼
んできたから、貸した。それはあなた自身の立場で考えてみればわかる。

 あなたは今、家を新築しようと考えている。そこでいくつかの銀行を回った。A銀行でお金を
借りれば、金利は年10%。J銀行でお金を借りれば、金利は年2%。あなたはどちらの銀行
で、お金を借りるだろうか?

 当然、J銀行で、あなたはお金を借りる。そのお金で、家を新築する。ついでに金利が安いこ
とをよいことに、さらにお金を借りて、庭をつくり、親のために離れをつくる。さらについでに、事
務所も改装する。

 結果、あなたは借金漬けになる。景気がよいときは、それなりに問題はない。しかし景気が
悪くなった。とたん、あなたはこう言い出す。

 「金を貸してくれたJ銀行が悪い」「金を返せと言われても、困る」と。

 韓国の副首相が言っていることは、それと同じである。が、さすが韓国だけでは、戦えないと
わかったのか、今度は、世界を巻き込んで、日本の攻撃を始めた。東亜N報は、つぎのように
つづける。

 「これとともに、副首相は、『各国の財務長官たちも、円キャリー・トレードについての韓国の
問題指摘に積極的に同調したので、今後、重要なテーマとして引き続き協議されるだろう』と展
望した」と。

 今、猛烈な勢いで、外資が韓国から引きあげ始めている。日本もその一部かもしれないが、
ほとんどは日本以外の機関投資家たちである。こうした(流れ)を否定するということは、資本
主義そのものを否定するに等しい。あなただって、信用不安が起きた銀行に、お金など預金し
ておくだろうか。「あぶない」と思えば、資金を引きあげる。当然のことである。

 その当然のことが、韓国では通用しない!

 日本よ、日本人よ、私が3年にわたって書いてきた日韓経済戦争は、いよいよ最終局面を迎
えつつある。

 もちろん韓国がデフォルトすれば、日本とて無傷ですむということはない。製造業を中心に、
大きな打撃を受ける。しかし勝つか負けるか、この戦争に、「共存」はない。ないことは、今まで
の(流れ)を見ればわかる。たまたま昨日(14日)も、韓国政府は、韓国併合時代(韓国では植
民地時代)に、日本に協力した人たちから財産を、没収した。60年以上もたった、今だぞ! 
どうしてそういう国と、日本は共存など、できるのか。

(1)今度、韓国がデフォルトしても、日本よ、日本人よ、相手が頭をさげてくるまで、助けるな。
(2)韓国のデフォルトに備えて、日本政府も、それなりの準備、たとえば国内の製造業の救済
を考えておく。

 
Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2136)

●今日のこと(8月15日)

++++++++++++++

またまたアメリカの株価が暴落した。
どこのニュースサイトをのぞいても、
「ダウ、207ドル安」の文字が、
トップを飾っている。

とうとう来るべきものが来た!
不吉なというか、不気味な動きで
ある。

その(流れ)を受けて、日本の株価も
200円以上、値をさげている(午前
9:30現在)。

++++++++++++++

 この日本でも、一般社会で貨幣が流通し始めたのは、江戸時代も中期のころのことだそう
だ。これについては、私は、かなり詳しく調べたことがある。それまでは、ぶつぶつ交換が、主
流だった。

 と書くと、「奈良時代の昔から、貨幣があったではないか」と反論する人がいるかもしれない。
しかし貨幣は貨幣だったかもしれないが、現在、私たちが考えている貨幣とは、まったく異質の
ものであったと考えるほうが正しい。それについては別の機会に考えることにして、さらに今で
は、貨幣そのものが、マネーゲーム化してしまった。

 (汗を流してお金を稼ぐ)という基本が、どこかでズレてしまった。ズレたまま、その基本が、ど
こかへ行ってしまった。今の状況を簡単に言えば、そうなる。

 私は先日、静岡県の御殿場にある、「アウトレット・プレミアム」という、商店街というか、ショッ
ピングセンターに行ってきた。世界中のブランド品が、ずらりと並ぶショッピングセンターであ
る。広大な敷地にも驚いたが、その「数」にも驚いた。「こんなにもブランド名があったのか!」
と。50とか100ではない。200とか、300はあった。

 で、「アウトレット」、つまり「チョイ傷もの」というのは、「?」。もともとの値段がわからないか
ら、安いのか、高いのかさえわからなかった。それでも、バッグにしても、5万円とか10万円と
かいう値札がついていた。時計などは、安いものでも、1〜2万円。上にはキリがない。

 「?」と思ったのは、私が買ったバッグだが、5〜6色のバッグが、各色並んでいたこと。そん
なうまいぐあいに、アウトレットと呼ばれる商品が、各色、そろうものだろうか? ワイフが買っ
たTシャツにしてもそうだ。話を聞くと、関東方面から、リッチな人が、買いに来るとか。私のよう
な静岡県人は、もとからお呼びではないらしい。

 で、そういうショッピングセンターの中を歩いていると、お金の感覚そのものが、マヒしてくる。
私が何度もため息をついていると、そのつど、ワイフが、こう言った。「こんなところ、高いから
買わないわ」と。

 以前、……といっても、あのバブル経済のころだが、同じように感じたことがある。誕生日の
プレゼントにと、私はサイフを買いに町の中のデパートへ行った。そこでのこと。小さなサイフで
すら、3〜4万円の値札がついていた。それを見ながら、「こんな小さなサイフですら、買ってや
れないのか」と、私は自分で自分がなさけなくなった。

 アウトレット・プレミアムでも、同じように感じた。そして同時に、そのつど、どんな人たちが買
い物をしているか、観察してみた。

 が、買っている人は、一部。そういう人たちは大きな袋を、これ見よがしに、通りを歩いてい
た。が、大半の人は、ウィンドウ・ショッピング? 買うでもない、買わないでもないといった雰囲
気で、ぶらぶらと歩いていた。

 で、もうひとつ気になったことがあった。

 それはどこの店に入っても、店員たちが、私の顔を見るのではなく、上から下まで、服装を見
ていたということ。視線が、すばやく動くので、それがわかった。店に入ったとたん、私のクツを
見た店員もいた。

 たぶん、そういうふうにして客の品定めをしていたのだろう。その証拠に、私やワイフに対して
は、どこかつっけんどんだった。「こんな客、相手にしないぞ」という雰囲気が、よくわかった。

 お金がマネーゲーム化すると、心までむしばまれる。むしばまれながら、当の本人は、それに
気づかない。人間の価値まで、(お金)で決めてしまう。そういうショッピングセンターの店員た
ちはそれでよいとしても、(本当はよくない……)、それに踊らされて、私たちのものの考え方ま
で、おかしくなってしまう。

 リッチなブランド品で身を包んだとたん、「自分はすばらしい人間になったのだ」と錯覚してし
まう。またそういう人を、すばらしい人だと思い込んでしまう。あとは、その相乗効果。感覚その
ものが、ズレてしまう。

 私とワイフはこう言った。「2度と、こんなところへは来ないぞ」と。本音を言えば、「来ても買う
ものがないから」ということになる。しかし私のような、人間が来るところでないことだけは、たし
かだ。「古い人間」と言われようが、「化石人間」と言われようが、私は、「お金というのは、汗を
流して稼ぐもの」と思っている。

 そのお金で買えなければ、それはそれでよし。買えれば、それもまたよし。何も嘆くことではな
い。

 たまたま今日もアメリカの株価は、暴落した。今ごろ、断末魔の悲鳴をあげながら、ウォール
街を走り回っている人も多いことだろう。銀行もお金の貸し出し条件をきびしくしたという情報
も、流れている。たぶん、「金を貸してくれ」「だめだ」の押し問答が、あちこちでなされているに
ちがいない。私の知ったことではないが……。

(ちょっと冷たいかな?)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2137)

●2007年8月15日、終戦記念日

++++++++++++++++

今日は、8月15日、終戦記念日。
1945年の今日、戦争は、終わった。

もちろん私はその日のことを、知るよし
もない。

私はそれから2年後の、1947年、
10月xx日に生まれた。

が、だからといって、戦争と無縁だったという
わけではない。私が子どものころには、
まだ「戦争」は生きていた。

歌う歌といえば、軍歌が多かった。
遊びにしても、戦争につながるもの
が多かった。

「駆逐(くちく)、潜水(せんすい)、
戦艦(せんかん)」という遊びもあった。

駆逐艦は潜水艦より強い。
潜水艦は戦艦より強い。
戦艦は駆逐艦より強い。

それぞれのグループが、3つの船に分かれて、
鬼ごっこのようにして遊んだ。帽子のかぶり方で、
それを示した。

たとえば戦艦は、ひさしを前に、潜水艦は、
ひさしをうしろに、駆逐艦は、ひさしを横に
した。

こうして戦艦の帽子をかぶった子どもが、
相手方の駆逐艦の帽子をかぶった子どもに
タッチすると、その相手方の子どもは、
捕虜になった。

(潜水艦ではなく、私たちは「スイレイ」
と呼んでいたような記憶もある。「水雷」
のことか? まちがっていたら、ゴメン!)

私自身も、ゼロ戦のパイロットにあこがれていた。
「おとなになったら、ゼロ戦のパイロット
になる」と、子どものころは、本気で、
そう考えていた。

子どもの私ですら、そうなのだから、
父親や母親は、さらにそうだった。

一度だけだが、「天皇」と呼び捨てに
したため、父に殴られたことがある。
「陛下と言え!」と。

また当時は、「国に逆らう」などということは
ありえないことだった。だから私が高校生の
ときですら、「今の政府はだめだ」と母に
言ったら、母はこう言った。

「そんなことを、ぜったいに外で言うな!」と。
つまり「国を批判するなどということは、して
はいけない」と。「共産党員にまちがえられる
から、言うな」とも言われた。

母は本気だった。戦時中は、そしてその前も、
一般市民が政府を批判するなどということは、
この日本では、ありえないことだった。

終戦になったから、その日から、戦争が
終わったわけではない。とくに私の父は、
そのあと、酒におぼれるようになった。
1、2日おきに酒を飲んで暴れ、そのたびに、
まだ幼かった私は、恐怖におののいた。

父は、今でいうPTSDではなかったかと思う。
「心的外傷後ストレス障害」というのである。
父は、出征先の台湾で、腹に貫通銃創を
受けている。

それは私の心にも、大きな傷跡を残した。
今も残っているし、死ぬまで、私はその
傷を引きずっていかねばならない。

だから子どものころから、つまり自分でものを
考えるようになってから、今にいたるまで、
私の考えは、変わっていない。

「何で、あんなバカな戦争をしたのだ!」と。

8月15日がくるたびに、そう思う。

++++++++++++++++

●心の傷

 私の心の傷は、2つある。ひとつは、二重人格性。もうひとつは自閉性。心の傷にも軽重があ
る。しかしどの程度を「軽い」といい、どの程度以上を「重い」というのか。

 私の中にいるもう1人の「私」については、たびたび書いてきた。だからここでは省略する。私
は何かいやなことがあると、そのもう1人の私の中に逃げ込んでいたのかもしれない。本来の
私は、ひょうきん者で、笑わせじょうず。さみしがり屋。しかしもう1人の私は、冷淡で、冷静、孤
独に強い。

 もうひとつは、自閉性。表面的な様子は別として、私は、相手が日本人だと心を開くことがで
きない。溶け込めない。いつも心は閉じたまま。だから今でも疲れる。

 しかし相手がたとえばオーストラリア人だったりすると、そのまま相手の心の中に、スーッと入
っていくことができる。自分をさらけ出して、言いたいことを言う。疲れない。気が楽。ワイフです
ら、ときどき、こう言う。

 「オーストラリア人と接しているときのあなたは、まるで別人みたい」と。自分でも、それがよく
わかる。たとえばレストランなどでも、相手が白人だったりすると、平気で声をかけていく。相手
がオーストラリア人なら、なおさらそうである。そのまま、ワイワイと騒ぎ始める。

 どうしてこうなったかということについては、いろいろ考えられる。

 学生時代、メルボルン市という、当時は、地の果てにある町に行って、好き勝手なことができ
たこと。私はそこで、それまでの自分をすべて、かなぐり捨てた。自分をさらけ出した。それが
よかった。もし反対に、あのときオーストラリアへ渡っていなければ、私は、そのまま自閉症か
何かになっていたかもしれない。

 そうそう言い忘れたが、こうした私の心の傷をいやしてくれたのは、私のワイフである。私は
私のワイフのおかげで、立ち直ることができた。今まで、かろうじて、ほんとうにかろうじてだ
が、自分を支えることができた。だから今でも、ときどきこう思う。

 「もし私がワイフなら、私のような男とは、1週間ももたなかっただろうな」と。さらに最近は、と
きどき、こう思うことさえある。

 「ワイフから私を解放させてやりたい」と。ワイフは私という人間のもつ重圧感で、この40年
近くも苦しんだ。自分の人生を棒に振った。だからもしワイフが、「あなたと離婚したい」と言っ
ても、(またそう言われても、私は何も言えないが……)、私はそれに応ずるつもりでいる。実
際、ときどき、ワイフにこう聞くときがある。「別れてあげようか?」と。

 だからといって、私はワイフと別れたいというわけではない。ワイフがいなければ、私は生き
ていくことすらむずかしいだろう。ワイフですら、そう思っている。しかしこのところ、そういう形
で、自分を責めることが多くなった。

 話はどんどんと脱線したが、これもあれも、結局は、戦争が悪い。すべて戦争が悪い。あの
戦争のおかげで、いまだに、私のような人間が苦しんでいる。

 バカヤロー!、と叫んだところで、この話はおしまい。

 2007年、8月15日、終戦記念日に! もう一言、バカヤロー!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2138)

●子どもが巣立つとき

++++++++++++++

以前書いた原稿を、読み直してみる。
少し長くして、読みやすくしようと
考えている。

先日、どこかの講演会でとりあげた内容
だが、とりあえず、つぎの3作を選んで
みた。

++++++++++++++

 階段でふとよろけたとき、たまたまそこにいた三男が、うしろから私を抱き支えてくれた。苦笑
いをして、その場はやりすごしたが、いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、も
うとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさ
の入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そのつど、「まだまだだな」と思ってみたり、「もう勝てないな」と思ってみた
りする。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、学校から帰ってくると、ランニングに行くように
なった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているの
よ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。

「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやれ
ばよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が机のうしろから出てきた。私は最初、それが誰の写真
かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろか
ら女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれ
ない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬
間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見て
も、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何
らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人
生の中で、光り輝いているのを知る。

もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。
心がずっと軽くなるはずだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【三男からのはがき】

●三男からのハガキ  
 富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付と時刻に続い
て、こう書いてあった。「13年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあのとき泣き続けたか、
その理由がわかりました」と。 
 13年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、13歳の長男、10歳の二男、それに
7歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五合目まで来たところで、そこから見あげると、山
頂が絶壁の向こうに見えた。そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前には無
理だから、ここに残っていろ」と。女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざした。つ
まりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた! 
 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。
今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。その日も、大学の
教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっ
とE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつ
けられた。

あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山していく姿を見ながら、三男は
どんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて泣いていた
のは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたとは!

●後悔は心のトゲ 
 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さ
っていることに気づかないトゲもある。私はこの13年間、三男がそんな気持ちでいたことを知
る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何
でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。

私はやはりあのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだっ
た。重苦しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。「だって、あれは、E君
が足が痛いと言ったからでしょ」と。

「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が足が痛いから歩けないと泣いたのよ。それで私も残
ったのよ」「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではないのか?」「そうよ」と。

とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さっそくそのあと、三男に
メールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●生きていてくれるだけでいい
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思い
なおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男
は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年の
ときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのとき
も、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分
は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生
活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、
すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。フォ・ギブ(許す)というのは、「与え
る・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。

つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るため
に忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英
語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。こ
の言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。

楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そし
て一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれが
わからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。

東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。
この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭を
かかえてしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2139)

【子どもに育てられる】

●奇跡

 そのとき私とワイフは、貸し船の上で、横になっていた。三男は船のうしろに立って、海のほう
を見ていた。のどかな午後だった。船がゆらゆらと揺れるたびに、夏の白い日差しが、ビニー
ルのおおいを通して、同じようにゆらゆらと揺れた。

 そのころ私とワイフは、毎週のように近くの浜名湖へ出かけ、そこで船遊びをしていた。船と
いっても、500ccの小さなエンジンをつけた釣り船である。それを貸し船屋で借りて、浜名湖へ
と出た。1日、7000円とか8000円の賃料だった。

 その船で、浜名湖の中央あたりまで行くと、広く遠浅になったところがある。深さは、深いとこ
ろでもおとなのひざの下。私たちはそれを「天然のプール」と呼んでいた。その日もそうだった。
私たちはあえて人の姿が見えない場所を選んで、そこに船を止めた。いかりをおろした。

 言い忘れたが、そのとき長男は9歳、二男は6歳、そして三男は3歳だった。

 私とワイフは、いつものように、子どもたちをそこで遊ばせると、そのまま船の上で横になっ
た。どれくらい時間がすぎただろう。と、そのとき、突然、三男が叫んだ。「お兄ちゃんが、いな
い!」と。

 その声に驚いて海のほうを見ると、そこにいるはずの長男と二男がいない。あわてて船のう
しろのほうを見ると、長男と二男が波の中で両手をあげているのがわかった。私はそのまま海
に飛び込んだ。

 浜名湖といっても、ところどころ川になったようなところがある。もちろん上からはわからな
い。その川に沿って、潮が満ちたり、引いたりする。そのときになると、ゴーゴーと渦を巻きなが
ら流れることもある。

 船はいつの間にか、その川の中に入っていた。知らなかった。気がつかなかった。

 私は長男の手をつかむとそのまま船にもどった。その手をワイフに渡したあと、二男のほうを
見ると、二男はすでに50〜60メートル先を流されているのがわかった。二男の両手だけが、
波の間から見えたり隠れたりしていた。私はとっさの判断で、船に飛び乗った。私は二男が泳
げないことを知っていた。

 錨(いかり)をたぐろうとした。が、その錨が長くのびきっていて、びくともしない。海の流れに、
船全体の重さが、それに加わっていた。斧(おの)のようなものがあれば、それを切ることもで
きたのだろうが、それもなかった。「ああああ」と思うのが精一杯だった。

 が、そのとき、奇跡が起きた。ほんとうに奇跡だ。

 あの広い海で、しかも私たちは、わざと人目のないところを選んで船を止めたその場所で、1
人だけ、魚を釣っている男性がいた。あとで話を聞くと、その人は、私たちの行動の一部始終
を遠くから見ていたという。そして私が船から飛び込むと同時に、その人も、海へ飛び込んでく
れた。

 私がもう一度二男のほうを振り向くと、その男性は、まさにモーターボートのような水しぶきを
あげて、二男を海から救い出すところだった。私がそれまで見たことのない泳ぎ方だった。これ
もあとで話を聞いて知ったことだが、その男性は、水泳の元国体選手だったという。

 私はそれを見て、そのまま船の上ですわりこんでしまった。

●親を育てる子ども

 親が子どもを育てるというのは、ウソと断言してよい。親が子どもを育てるのではない。子ど
もが親を育てる。よく「育自」と書いて、「子育てとは、自分を育てること」と書く人がいる。まちが
ってはいないが、子育ては、そんな甘いものではない。

 親はいくたの苦労を重ねながら、それこそ山を越え、谷を越えるうちに、否応なしに、子ども
によって育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくる母親というのは、たしかに
若くて美しい。しかしどこかツンツンとしていて、中身がない。送迎バスの運転手や、炊事室の
女性にだと、あいさつすらしない。

 しかしそんな母親でも、2年、3年と子どもとともに幼稚園ですごし、卒園するころになると、み
なに深々と頭をさげるようになる。

 が、それだけではない。ある母親は、自分の2歳の息子が大病を患い、生死の境をさまよっ
ていたとき、天に向かってこう祈ったという。「私の命はどうなってもいい。私の命と交換してで
も、あの子の命を救って」と。

 こうした自分の命すら惜しくないという、まさに至上の愛は、人は親になり、子どもをもっては
じめて知る。友人や夫婦の間でも、似たような愛を覚えることはあるが、それはまれ。先日も私
はワイフにこう聞いた。おそるおそる、聞いた。

 「なあ、もしぼくの腎臓が、2つともだめになったら、お前の腎臓を1つくれるか?」と。

 それに答えて、しばらく考えたあとワイフはこう言った。「考えとくわ」と。

 そこで質問を変えた。「もし息子のうちのだれかの腎臓が2つもだめになったら、どうする?」
と。するとワイフは一も二もなく、こう言った。「あげるわ。両方ともあげるわ」と。

●こいつは生きているだけでいい

 話がそれたが、以後、私は、二男に対しては、子育てのし方そのものが、変わってしまった。
長男や三男はともかくも、二男に対しては、何があっても、「こいつは生きているだけでいい」と
思うようになった。

 たとえば二男は、毎年春先になると、重い花粉症が原因で、不登校を繰り返した。夜、眠ら
れないから、し方のないことだった。で、そのまま夏休みが終わるまで、学校へ行かないことも
あった。

 そういうときでも私は、「こいつは生きているだけでいい」と思うことで、自分を納得させること
ができた。さらにこんなこともあった。

 二男が中学2年生になってしばらくのこと。突然、二男がこう言った。「パパ、ぼくは受験勉強
なんかしないと思う。そう思うから、しない」と。話を聞くと、こう言った。

 そのとき二男は生徒会の学年代表をしていた。そのこともあって、二男はひとりで、朝のあい
さつ運動を始めた。校門のところに立って、そこを通り抜ける先生や生徒に、あいさつをした。
で、それが先生たちに評価された。

 当時、(今もそうだが)、成績表には、ボランティア点というのがあった。何かのボランティア活
動をすると、それが評価されて成績表に記されるしくみになっていた。その得点が多い子ども
は、それだけ高校受験に有利になる。

 朝のあいさつ運動が、そのボランティア活動に認定された。とたん、校門から玄関まで、学生
たちがズラリと並ぶところとなった。あいさつをするというよりは、たがいにふざけあうだけ。そ
れを見て、二男は、「受験勉強なんて、くだらない」「みんなは、ああまでしてでも、点数がほしい
のか」と。

 この言葉に私はともかくも、ワイフは少なからずあわてた。私が住む静岡県では、高校受験
が、人間選別の重要な関門になっている。二男は、自ら、それを放棄してしまった。が、私はそ
のときも、「ああ、こいつは生きているだけでいい」と、自分を納得させることができた。

●私を超えた二男

 その二男でとくに印象に残ったことに、こんなことがある。

 二男が、高校に入学した直後のことだった。二男が、毎晩、学校から帰ってくると、ジョギング
に出かけるようになった。それについて、ワイフに、「どうして?」と聞くと、ワイフがこう話してく
れた。

 「体の弱い子がいるからよ。同じワンゲル部に入りたいという友だちがいるのだけど、その子
の体は弱くて、ワンゲル部を落とされそうなの。それでその子のために、伴走しているのよ」と。

 私はそれを聞いたとき、二男という子どもが、私を超えたのを知った。事実、それからは二男
を、私の子どもというよりは、対等の人間としてみるようになった。そういう意味では、親という
のは、いつ自分の息子たちが自分を超えるか気にしているもの。

 自分より大きな魚を釣ったとき。自分より腕相撲が強くなったとき。自分より背が高くなったと
き。そのときもそうだった。

 その相手の子どもについても、こんな思い出がある。二男がそのときいっしょに伴走してい
た、相手の子どもでのことである。

 受験勉強を放棄してしまった二男は、そのあと、実に優雅な中学生生活を送った。毎日、受
験塾に通う仲間たちを尻目に、好き勝手なことをして遊んだ。パソコンに夢中になったのも、そ
のころのことだった。

 そしていよいよ高校受験ということになった。当時、この浜松市では、(今も、基本的には同じ
だが……)、高校には、偏差値に応じて、ランクづけがなされていた。上はSS高校から、下
は、FF高校、GG高校。さらに「ボトム校」と呼ばれる、LL高校、MM高校まで。そういうランク
づけが、ずらりとできていた。

 二男が選んだのは、その中でもボトム校に近い学校だった。「何も、そこまで……」と言いか
けたがやめた。そのときも「こいつは生きているだけでいい」という思いが、その言葉を、胸の
中に押し込めた。が、事件は、そのあと起きた。

 高校受験が近づいてきたある夜のこと。正月になる前のことだった。2人の母親から、同時
に電話がかかってきた。そしてこう言った。

 「お宅の息子さんが、どこの高校に行こうと、私は知りません。あなたがたの勝手です。が、
どうかうちの子を、その高校に誘わないでください」と。ものすごい剣幕だった。ワイフはそうい
う電話を受けて、「すみません」「すみません」とだけ言って、謝っていた。

 で、私も二男にこう言った。「お前がその高校へ行くのはかまわないが、友だちを誘うな」と。
すると二男はこう言った。「ぼくは誘わない。あいつらが勝手にぼくについてくると言っているだ
けだ」と。

●優雅な高校生活 

 高校へ入ってからも、二男は勉強らしき勉強をほとんど、しなかった。当初は意気込んでいた
ようだったが、中学のときの教科書より簡単な教科書を見て、ショックを受けたらしい。さらに進
学高校で使う教科書とは比較にならないほど簡単な教科書であるのを知って、さらにショックを
受けたらしい。その高校では、国立大学に入る子どもは、数年に1人、いるかいないかというよ
うな状況だった。

 二男は、再び、コンピュータに没頭するようになった。一方、私は惜しみなく、二男には最新
型のコンピュータを買い与えた。

 二男は、小学3年生のころには、ベーシック言語を使って、自分でゲームを作って遊んでい
た。中学生になるころには、C言語をマスターしていた。そして高校生になるころには、自分で
ウィルス対策ソフトを作って遊んでいた。

 作曲のためのソフトや機器も買いそろえた。もともとは私がしていたものだが、それらはす
ぐ、二男のものになった。二男が、NEC主催の作曲コンテストで、全国大会に出たのもこのこ
ろである。

●二男のこと

 二男が高校2年生、三男が中学3年生になる前のこと。三男が、中学校で生徒会長に選ば
れた。それを二男に話すと、二男はこう言った。「ぼくにだって、なれるよ」と。

私「そうは言っても、昔からこう言うだろ。『言うは易(やす)し、するは難(かた)し』とね。生徒会
長に当選するというのは、簡単なことではないよ」
二「なれるよ。その気になれば」と。

 そこで二男がとった方法は、こうだ。

 二男は、1人の友人を生徒会長の立候補者に立てた。自分は、選挙責任者になった。二男
は幼児のころからそういう子どもだった。

 ある日、幼稚園へ行ってみると、二男は、みなを三輪車に乗せて、それをうしろから押してい
た。みなは、その三輪車に乗りたいため、列を作って待っていた。私が、「たまには、お前が三
輪車に乗って、だれかに押してもらったら」と言うと、二男は、こう言った。

 「ぼくは、このほうが楽しいもん」と。

 で、その友人は、無事当選。生徒会長になった。二男はそのまま、文化祭の実行委員長にな
った。

 実はその友人というのは、あの夜、ワイフに電話をかけてきた母親の息子だった。「どうかう
ちの子を、誘わないでください」と言った、あの母親の息子である。もちろんそのことを私は知ら
なかった。が、あとで、つまり卒業式の日に、そのことをワイフから聞いて知った。

 その母親がワイフのところへきて、こう言ったという。「うちの子が、ここまでなれたのは、お宅
の息子さんのおかげです」「ありがとうございました」と。

 私はその言葉を聞いて、涙を流した。ワイフも涙を流した。

●私は実存の世界に

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。それを知るかどうかは、ひとえに親の
育児姿勢による。子どもの横に立ち、謙虚に耳を傾ける。それができれば子どもの声が聞こえ
てくる。そうでなければ、そうでない。

 この先を話す前に、少し自分のことを書かねばならない。戦後生まれの多くの学生たちが、
そうであったように、私もサルトル※やボーボワール※の影響を強く受けた。学生時代には、
バートランド・ラッセル※の本をよみふけっていた。

 そんなわけで「自由」という言葉に、特別の響きを覚える。言いかえると、私は学生のころか
ら、「自由」をひとつのテーマとして生きてきた。自ら実存主義者と称したこともある。が、実のと
ころ、それがどういうものであるかさえ、ほんとうのところは知らなかった。

 しかしそんな私でも、サルトルが説いたところの「自由刑」という言葉の意味は理解できた。自
由になればなるほど、自分の行動を規定するものを、何ももたなくなる。つまりその分だけ、い
つも孤独に苦しむ。苛(さいな)まれる。

 ハイデッガー※風に言えば、「死といつも隣り合わせの限界状況で生きる」ということになる。
もっとわかりやすく言えば、自由に生きるといっても、そこにはいつも限界がある。いくら「私は
自由だ」と声を高くして叫んでも、死によって、すべての自由を奪われる。

 その点、神や仏を心の中にもつ人は、それだけでも、気が楽。神や仏が、行動を規定してく
れる。が、それすら、私にはない。自由に生きるということは、まさにひとりで生きることを意味
する。

 が、それについて、二男はこんなことを教えてくれた。

●子どもが巣立つとき

 あれほど勉強しなかった二男だが、アメリカの私立大学に入ってからは、ちがった。あとにな
って二男はこう言った。「ぼくは気が狂ったように勉強した」と。

 アメリカの私立大学には、私の友人を介して入学した。私は「1、2年、英語をかじってくれば
いい」と、そんな軽い気持ちで二男を送り出した。

 そのころこんなエッセーを書いたことがある。そのまま紹介する。今まで書いてきたことと、少
し内容が重複するが、許してほしい。この原稿は、子育てエッセーとして、当時、中日新聞に掲
載してもらったものである。

++++++++++++

階段でふとよろけたとき、たまたまそこにいた三男が、うしろから私を抱き支えてくれた。苦笑
いをして、その場はやりすごしたが、いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、も
うとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさ
の入り交じった気持ちになる。

男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そのつど、「まだまだだな」と思ってみたり、「もう勝てないな」と思ってみた
りする。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、学校から帰ってくると、ランニングに行くように
なった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているの
よ。同じワンゲル部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。

「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやれ
ばよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が机のうしろから出てきた。私は最初、それが誰の写真
かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろか
ら女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手な
ことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、
臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そうい
う三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれ
ない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬
間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見て
も、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何
らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人
生の中で、光り輝いているのを知る。

もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。
心がずっと軽くなるはずだ。

++++++++++++

 二男は、2年間、その私立大学に通ったあと、となりの州立大学に移った。そしてそこでさら
に2年間通ったあと、学位を取って、無事、その大学を卒業した。

●ガールフレンド

 「卒業式に来てくれるか?」というので、「卒業式には無理だが、3月には行ける」ということ
で、私とワイフは、3月にアメリカに向かった。その飛行機の中でのこと。

 私とワイフは、二男にガールフレンドができたことを知っていた。メールにそう書いてあった。
それなりの覚悟はしていた。が、できればガールフレンドの段階で、止まってほしいと願ってい
た。

私「しかしなあ……。結婚の話が出たら、どうする?」
ワ「そうねえ……」
私「急だろ。卒業間際になってできたガールフレンドだし……。親としては、そのまま日本に帰
ってきてほしいね」
ワ「S(=二男)の様子を見なければ、わからないわ」と。

 が、私の期待は、淡くもそのまま消えた。二男はガールフレンドを紹介してくれたが、そのとき
も、また車を運転しているときも、食事をしているときも、2人は片時も手を放さなかった。二男
は左利き。ガールフレンドは右利きだった。

 私とワイフは、それを見て、あきらめた。

私「あれじゃあ、だめだよ」
ワ「そうねえ」
私「結婚に反対したら、たいへんなことになるよ」
ワ「私も、そう思う……」と。

 で、その日は、そのまま終わった。ただ一言、ガールフレンドがひとりになったとき、彼女に私
はこう聞いた。ガールフレンドといっても、アメリカ南部の州で生まれ育っ女性である。人種偏
見のはげしい土地柄と聞いていた。アジア人は、黒人よりも下に見られている。相手の親だっ
て、アジア人と結婚すると言えば、いい気はしないだろう。

 「Dさん、あなたは、息子のEを愛しているか?」と。

 それに答えてDは、顔を輝かせて、大きな声でこう答えた。「Yes, I do love him.」と。
その一言で、私たちの心は決まった。

●「日本人であることをやめるのか?」

 その日は、リトルロックにあるホテルに泊まった。由緒あるホテルらしかった。調度品のどれ
を見ても、ズシリとした歴史の重みを感じた。

 その夜のこと。私とワイフは、ベッドの上にすわっていた。二男は、床の上に座っていた。しば
らくいろいろな会話をした。その会話が不自然に途切れたとき、二男が、口を開いた。

二「パパ、ぼく、Dと結婚するよ」
私「……。人種偏見の問題はないのか?」
二「そんな問題は、どこにでもあるよ」
私「わかった」と。

 その少し前、私とワイフは近くを散歩した。ちょうど1ブロック離れたところが、州議会の議事
堂になっていた。ワシントン市にあるホワイトハウスは、その議会がモデルになったという。そ
の議事堂の上には、アメリカ国旗と並んで、南軍の国旗がはためいていた。アーカンソー州
は、そういう州である。英語にしても、みな、あのジョン・ウェインそっくりの話し方をする。

二「でね、パパ、結婚式は、こちらでするよ」
私「こちらで……? 日本では、花婿のほうで結婚式をすることになっている」
二「いいや、アメリカでは、花嫁のようで結婚式をする」
私「へえ、アメリカでは、花嫁のほうでするのか」
二「花婿が、花嫁のほうに迎えにくるという形をつくる。でね、結婚式には来てくれるか?」
私「もちろん、来るよ」と。

 窒息しそうな胸苦しさを覚えた。胸の奥がつまったような感じだった。「オレの子ではないか」
「どうしてその子が、アメリカ人なんかと結婚するんだ」「日本へ帰って来い」と。

二「パパ、それで……」
私「何だ?」
二「でね、ぼくね、洗礼を受けてクリスチャンになるよ」
私「クリスチャン? ……あのなあ、うちは、真言宗大谷派だぞ」
二「でも、インチキな結婚式はしたくない」
私「わかった……」と。

 いくら「生きているだけでいい」と思って育ててきた息子かもしれないが、そのつど、私は自分
の心をグイグイと押しつぶさなければならなかった。のどのすぐそこまで、つぎの言葉が出かか
っていた。「帰ってこい」と。しかしそれは言わなかった。……言えなかった。苦しかった。つらか
った。するとまた二男がこう言った。

二「パパ、就職はこちらでするよ」
私「……うん、日本は今、不景気だからな……。いいところは見つかったのか」
二「教授が、ひとつ勧めてくれたところがある」
私「わかった……」と。

 私の胸は張り裂けそうだった。ワイフのほうを見る余裕は、とっくの昔に消えていた。体中が
硬く、こわばっているのが、自分でもよくわかった。一言、一言、私はふりしぼるような声で、二
男の言葉に答えた。

 しかしさすがの私も、つぎの言葉を聞いたときには、手が震えた。体も震えた。

二「パパ……。ぼくね、アメリカ国籍を取るよ」
私「……お前……、日本人であることをやめるのか?」
二「……そうだ……」と。

 と、そのときのこと。「わかった」と言うのと同時に、一抹の軽い風が、心の中をスーッと通り
抜けるのを感じた。それはさわやかな風だった。それまで心をふさいでいた、重しが、その風と
ともに、どこかへ消えた。それが自分でもよくわかった。

 実にさわやかな風だった。言うなれば、1人の子どもを育てきったという思い、1人の子どもを
育てきったという思い、そして1人の子どもを信じきったという思い、そういうものが一体となっ
て、心の中を駆け抜けた。

 私たちがなぜ子育てをするかといえば、いつか子どもを自立させるため。子どもの背中をた
たいて、こう言う。

 「さあ、お前の人生だ。思いっきり、この広い世界を、羽ばたいてみろ。だれにも遠慮すること
はない。思う存分、羽ばたいてみろ」と。

 そのときが、そのときだった。

●死の克服

 私たちは、なぜ死ぬのがこわいか。……という質問は、私たちは、なぜ失うことを恐れるかと
言いかえてもよい。

 あのサルトルは、実存主義を追求しながら、最終的には、「無」の概念に行き着く。意識から
自我を排除しようと試みた。同じように、なぜ私たちがなぜ失うことを恐れるかと聞かれれば、
そこに「私」があるからにほかならない。

 もし私の中に「私」がなければ、私はそも、失うことを恐れないはず。たとえば無一文の人は、
泥棒を恐れない。それと同じ理屈で、もしこの私から、「私」を取り除けば、ひょっとしたら、死す
らも、克服できる。そのときがきたら、笑ってそれを迎えることができる。

 「やあ、おいでになりましたか」「いっしょに、あの世へ行きましょう」と。

 が、私には、「私」というしがらみが、無数にまとわりついている。「私の財産」「私の名誉」「私
の地位」「私の経歴」と。そういったものが、私をがんじがらめにしている。だから、こわい。失う
のがこわい。死ぬのがこわい。

 だからといって、私は、二男をあきらめたわけではない。二男を捨てたわけでもない。私は二
男に二男の人生を、渡した。「私の二男」という「私の」を取り払った。

 さわやかな風を感じたのは、そのためだった。

●『許して忘れる』

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。育てるだけではなく、子どもは、親で
ある私という人間に、何かを教えるために、そこにいる。

 ミニチュアの世界かもしれないが、子育てをしながら、野を越え、山を越え、さらに谷を越えて
いると、そこに人としての気高さを覚えることもある。そう、子育ては、まさに『許して忘れる』の
連続。『許して忘れる』というのは、英語では、「for・give & fo・rget」という。この単語をよく
見ると、「与えるため&得るため」とも読める。

 何をか?
 
 つまり『許して忘れる』というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るた
めに忘れる」という意味になる。その度量の広さが、結局は、愛の深さということになる。

 子どもは、けっして、ただの子どもではない。何かを教えるために、そこにいる。それがわか
るかどうかは、つまるところ私たち自身の姿勢による。昔、オーストラリアの友人はこう教えてく
れた。

 「ヒロシ、親には3つの役目がある。ひとつは、子どもの前に立って、子どもの手を引きなが
ら、歩くこと。ガイドとして。2つめは、子どものうしろに立って、子どもの背中を守りながら歩くこ
と。保護者として。そして3つめは、子どもの横に立って、子どもと手をつなぎながら、前を向い
て歩くこと。子どもの友として」と。

 日本人は、伝統的に、ガイドや保護者になるのは得意。しかし友として、子どもの横に立つの
が苦手。そういう習慣すらない。

 が、もしあなたが子どもの横に立ったら……。その謙虚さを大切にしたとき、あなたの子育て
は大きく変わる。子育ての世界が、大きく広がる。

 二男は、そのとき、私に自由の意味を教えてくれた。もちろんだからといって、私が死の恐怖
から解放されたというわけではない。私には、まだ「私」というしがらみが、無数にまとわりつい
ている。しかし二男が、その目標を示してくれた。サルトルが説いたところの、(無の存在)がど
ういうものであるかを、教えてくれた。今はまだ無理かもしれないが、いつか、そういう心境に達
することができるかもしれない。

 その夕刻、私とワイフは、リトルロックの町の中を歩いた。子どものように、はしゃぎながら…
…。

(注※)

サルトル……ジャン・ポール・サルトル(1905〜1980)、フランスの思想家
ボーボワール……シモン・ドゥ・ボーボワール(1908〜1986)、フランスの女流小説家
バートランド・ラッセル……(1872〜1970)、イギリスの哲学者
ハイデッガー……マルティン・ハイデッガー(1889〜1976)、ドイツ哲学者


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2140)

●日韓経済戦争(8月16日版)

+++++++++++++++

逃げる外人投資家たち。
それを必死になって、引き留めようとする、
韓国政府。

この1か月だけでも、外人投資家たちは。
「10兆ウォン分の国内株式を売った。
この日(8月16日)も、1兆ウォン以上の
株式を売り、過去最大の売り越しとなった」
(中央N報)という。

ここまでくると、韓国が生き延びる方法は、
つぎのうちの3つしかない。

(1)政策金利をさらにあげる。
(2)外貨の流出を停止する。
(3)外国からの借金を規制する。

政策金利は、つい先週、先月につづいて、
0・25%あげて、5・0%にしたばかり。
つまり外人投資家たちにエサをばらまいた。

しかしその直後の、このショック。
称して「サブプライム・ローンショック」。

また金利をあげるという方法もないわけでは
ないが、そうすれば、あとあと傷口が
ますます大きくなるだけ。

また外貨の流出を止めるような措置に出れば、
自ら「韓国経済はあぶない」と暴露する
ようなもの。たとえば海外渡航を制限する
とか、など。それもできない。

外国からの借金(投資ではなく、借金)を
規制すること。

しかしここまでくると、それももはや手遅れ。
借りたくても、貸してくれる相手がいない?

つまり今の韓国には、お金がな〜い!

今度の南北首脳会談にしても、韓国政府は、
「南北基金」を目的とした、増税もしくは、
国債の発行を考えているという。

しかしそれについても、今は、時期が悪い。
だれがそんな国債に手を出すだろうか。

おまけに、ウォン安。
今日現在(8月16日、午後10:30)、
1ドル=936ウォン。

ウォンを売って、円を買う動きが加速
している。株安、ウォン安、債権安という
ことは、韓国そのものが、売りに出されて
いると考えてよい。

「ウォン安になれば、輸出産業に有利
になる」などと喜んでいるようなばあい
ではない。

国そのものが、崩壊の危機に立たされている。

思い知ったか、N大統領!

だいたい、自由主義貿易圏の中で利潤を
追求しながら、反日を唱える方が、おかしい。
そのおかしさに、もうそろそろ、少しは
気づいたらよい。

で、あとは、様子見というところか。

もし韓国でも不動産価格が下落し始めたら、
そのときこそ、万事休す。株価の暴落でもよい。
そのとき、サブプライム・ローンショックの、韓国版が
再現される。(日本もかつて、そうだったが……。)

規模ははるかに小さいかもしれないが、しかし
それはそのまま韓国にとっては、命取りになる。

韓国における不動産価格(とくにマンション
価格)の変動に注目したい。

++++++++++++++++

  南北首脳会談? 会談するにも、おかしなことだが、お金が必要。前回の首脳会談のとき
は、現金で、5億ドル、約600億円もの、お金を裏金として渡した。今回もそれくらい必要。

 しかし……。はっきり言えば、お金がな〜い。そこで韓国政府が目下考えている方法は、つぎ
のようなもの。

(1)増税……13兆6640億
(2)国債発行……16兆4758億
(3)国防費削減分……5兆7867億
(4)新設の「南北経済協力支援基金」……3兆8134億の調達

 そのほか、「南北統一税」のような新しい税金の増設など(朝鮮N報、8月16日)。(1)〜(4)
を手元の計算機で計算してみると、39兆7399億ウォンということになる。現在の為替レート
で計算してみると、0・122(8月16日)を掛けて、日本円で、4兆8482億円!、ということにな
る。
 
 国連決議など、どこ吹く風。ずいぶんと気前のよい話である。ただひとつN大統領が、忘れて
いることがある。

 それはN大統領が支えようとしている金XXは、社会主義者でも共産主義者でもないというこ
と。ただの独裁者。しかもその独裁者は、推定でも、20万人以上ももの人々を、粛清してい
る。政治犯として処刑している。

 韓国政府が何をしようが、日本の知るところではない。しかし核兵器の保有をさておいたま
ま、南北共同体ということにでもなれば、韓国そのものも制裁の対象となる。日本として、それ
だけは、ぜったいに容認するわけにはいかない。

 ……といっても、すでに韓国政府は、そのつもりのようだ。現在のN政権誕生のとき、こう漏ら
した政府高官がいた。「K国の核兵器は、南北統一後の朝鮮にとっては、有利に働く」と。とん
でもない発言だが、これがN政権の、偽らざる本音と考えてよい。

 日韓経済戦争は、いよいよ最後の山場を迎えた。ここで韓国経済が、かろうじてもちこたえた
としても、それは長くはつづかない。ウソで塗り固めた、大本営発表。それが白日のもとにさら
け出されるのは、時間の問題と考えてよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●私の近未来像(加齢臭)

++++++++++++++

昨日、街の映画館で、映画を見た。
『オーシャンズ・13』。

内容は、昔のスパイ大作戦(mission
impossible)風のもの。期待が大きかった
だけに、がっかり。星は2つの、★★。
あるいは★。

時間とお金を損した……という感じで、
映画館を出た。

で、その映画館でのこと。こんなことが
あった。そこで見たものは、そのまま私
たち夫婦の近未来像といってもよい。

++++++++++++++

 夏休みということで、映画館のチケット売り場は、ごった返していた。子ども連れの家族も多
かった。私とワイフは、『オーシャンズ・13』という映画をみることにした。

 席につくと、割とすいているのがわかった。ところどこに空席が目立った。子ども向けの映画
でないことが、幸いした。が、そこでありえないことが起きた。

 私とワイフがポップコーンを食べていると、私の左横に、75〜80歳前後と思われる老人夫
婦が座った。まず、それに驚いた。しかもすぐ左横に手を引かれて座った男性は、明らかに脳
梗塞を起こしているのがわかった。半身が不随だった。

 「こんな人が、オーシャンズ・13?」と。

 が、その直後から、加齢臭とも病臭とも言えない、あの老人独特の臭いが、私を襲った。むっ
とするような臭いだった。ひとつ席を離れたワイフのところにまで、その臭いは届いていた。

 私はすぐ席を立ち、チケット売り場に直行した。映画が始まる前に、席をかえてもらうつもりだ
った。で、事情を話すと、係員が、新しい席を用意してくれた。

 私は劇場内にもどると、席を移動した。今度は、前のほうの席だった。この際、あまりぜいた
くは言えない。が、そこでも……!

 同じく私の左隣に座っている女性の様子がどうも、おかしい。最初は、男性かと思ったが、女
性だった。その女性も、年齢は65歳前後と思われた。(女性とわかったのは、映画が終わって
からのことだったが……。)その女性には、表情がなかった。ジッと前方を凝視しているだけ。

 「?」と思ったが、私はそのまま映画を見つづけた。が、異変は、すぐ起きた。

 何と、その女性のほうから、便臭。腸内ガスの臭い。「まさか?」と思ってその女性を見たが、
やはり無表情のまま。視線が合ったら、ユーモアたっぷりに笑い返してやろうと思ったが、それ
もできなかった。

 さらにおかしなことに、その女性は、やはり画面を凝視しているだけ。字幕を読むなら、それ
なりに顔や目が動くはず。だが、それもない。「?」。

 が、すぐその女性のことは忘れた。……と思っていたら、またまた便臭。腸内ガスの臭い。私
はワイフのほうに体を寄せつけ、臭いを避けた。いや、その前に、「人を疑うのはよくない」と思
い、隣の女性と私の席の間に、顔をさげ、臭いがどこからくるか確かめてみた。

 「ひょっとしたら、さらに向こう隣の男性からのものかもしれない」と思った。

 しかし顔をさげたとたん、濃密なにおい。その便臭は、明らかにその女性からのものだった。

「ぼくじゃ、ないよ。ぼくの左の人だよ」と言うと、ワイフは、「臭いわね」と。

そういう腸内ガスのにおいが、20〜30分ごとに、私を襲った。私はそのたびに、顔をそむけ
た。……というわけで、私にとっては、映画どころではなくなってしまった。そうそう1度は、座席
の下から、プシューッという音まで聞こえた。

 で、映画が終わって、私は改めて、どんな人か、まじまじとその女性を見た。相変わらず、顔
は能面のようで、無表情なままだった。それまでは男性かと思っていたが、その横に夫らしき
男性がいっしょに立っているのを見て、はじめて女性と知った。こちらも夫婦で来ていたらし
い。

 が、よく見ると、そういうカップルが、ここにも、そこにも、見ただけでも、何組もいるではない
か! 偏見はもってはいけないが、『オーシャンズ・13』という映画は、見るとしても60歳前後
が限界。70歳とか80歳の人が見る映画ではない。「いったい、どうなっているんだ」と思ってい
たら、ワイフがこう言った。

 「どこかのグループ・ホームの人たちでないかしら?」と。つまりどこかのグループ・ホームの
人たちが集団で、映画鑑賞に来ていた、と。

 今ではさまざまなタイプの老人ホームがある。グループ・ホームの人たちではないにしても、
どこかの老人ホームの人たちということは、じゅうぶん、考えられる。しかしそれにしても……?

 私ももうすぐ満60歳になる。あと10年で、満70歳になる。映画館で見た老人たちは、即、私
たち夫婦の近未来像ということになる。映画そのものは、星2つの★★。が、私たちの近未来
像を見せてくれたという意味で、その老人たちには、星を3つあげたい。

(付記)

 家庭で老人を介護している人も多い。これは私自身の経験からそう思うだけかもしれない
が、老人介護は、便臭と病臭との戦いと言ってもよい。(便の始末も、たいへんだが……。)そ
れに加齢臭という、あの独特の臭いも加わる。

 不潔だから、加齢臭が起きるというわけではない。体内で発生する活性酸素のため、過酸化
脂質がふえ、それが脂肪酸を酸化するために、飽和脂肪酸が形成されないためだといわれて
いる。わかりやすく言えば、風呂で洗ったくらいでは、消えないということ。50歳になったら、だ
れでもこの加齢臭は始まると考えてよい。

 方法としては、(1)洋風の肉食中心の料理を避け、野菜中心の献立にする。(2)ストレスの
ない生活をすることだそうだ。

 ほかにも口臭や、病臭もある。肝臓病や腎臓病の人は、独特の臭いがする。

 ……ということで、これから老後を迎える私たちは、「臭い」には、じゅうぶん注意したほうがよ
い。そうでないと、若い人たちに、嫌われる。劇場からの帰り道、私とワイフは、そんなことを話
し合った。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2141)

●育児サイト+無料マガジン

+++++++++

私の生きがい、
原稿を書くこと。

私の生きがい、
ものを考えること。

私の生きがい、
マガジンを発行すること。

+++++++++

 朝起きる。時刻は午前5時。まっすぐ書斎に向かう。パソコンの電源を入れ、メールを読む。
ニュースに目を通す。それがすむと、ワープロソフトを開く。瞬間、私の世界が、そこに広がる。
「さあ、私の時間!」と。

 この5年間で、書いた原稿は、40字x40行を1ページとして、30000ページ以上。電子マガ
ジンも、今週で920号を超えた。目標の1000号まで、あと80号。読者は2600人を超えた。
数字だけみているとピンとこないが、ありがたいことだと思う。

 たとえば出版社で本を出すと、初版は、3000部(冊)とかその程度である。読者が2600人
いるということは、毎回、それに匹敵するだけの本を出していることになる。

 また私は毎号、40字x36行を1枚として、20〜30枚前後の原稿を書くようにしている。100
〜120枚前後で、単行本1冊の分量だから、4〜5号分で1冊、月に3冊前後の分量を書いて
いることになる。(月に3冊!)

 考えてみれば、これはものすごいことだと思う。私がすごいのではない。インターネットの世界
が、すごいということ! これだけの分量の原稿を、毎月、私という個人が、世界に向けて発信
できる!

 電子マガジンのタイトルは、「最前線の育児論」。子育て最前線で活躍する若い父親、母親向
けに記事を書いている。もちろんホームページも開設している。タイトルは同じ。全体で、200
MBを超える膨大なホームページである。育児サイトとしては、日本でも最大級ではないか。

 が、ここまでつづけるのがたいへんだった。「どうしてこんなことをしているのだろう?」という
思いが、そのつど現れては消える。何度か、やめようと思ったこともある。がその一方で、掲示
板やBLOGのほうには、毎日のように、相談が寄せられる。メールで相談してくる人も多い。

 そうそうひとつ自分の心に決めていることがある。どんな相談にも、かならず返事を書くという
こと。いつまでつづくかわからないが、今のところ、それを守っている。健康だ。脳みそも、今の
ところ心配ない。ありがたいことだ。……ということで、今日も原稿を書く。

 老後の生きがい……、それは(やるべきこと)を見つけ、その(やるべきこと)と、(現実の自
分)を一致させていくこと。それを「統合性」と呼ぶ学者もいる。が、この際、そんな言葉など、ど
うでもよい。それはまさに自分との闘いということになる。勝つか、負けるか。この勝負には、
(つぎ)はない。迷っているヒマはない。やるしかない。

 さあ、今日もがんばるぞ! 負けるものか! 全国のみなさん、これからもよろしく!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(8月18日版)

++++++++++++++++++

みんなで勉強しよう、国際経済。
今の韓国をみれば、わかるわかる、
国際経済。

++++++++++++++++++

8月15日、16日、17日の3日間、
世界中を、巨大な地震が駆け抜けた。

株価の大暴落という大地震である。
震源地は、アメリカ!

結果、日本の株価は、
1万8000円前後から、1万5200円前後まで
下落(日経平均)。

同時に韓国の株価も、2000ポイント前後から、
1630ポイント前後まで下落(KOSPI)。

単純に計算すると、
日本の株価の下落率……約16%
韓国の株価の下落率……約21%(8月17日現在)
ということになる。

と、同時に、日本では円高が進み、
韓国ではウォン安が進んだ。

どうしてか?

言うまでもなく、円をほしいと願う人が
多ければ多いほど、円高になる。

反対に、ウォンなどいらないという人が
多ければ多いほど、ウォン安になる。

朝鮮N報は、アメリカのファイナンシャル・
タイムズ紙の記事を引用しながら、
「ウォン安は、輸出企業に有利」などと
書いているが、これはとんでもない
まちがい。

百聞は一見にしかず。

まず、(財)国際通貨研究所がまとめた
グラフを見てほしい。

韓国の国際収支の内容をグラフ化した
ものである。

図2は、年度別の国際収支を示したもの。
図3は、毎月の国際収支を示したもの。

(図2)
 

(図3)
 

(図2)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/1151203981/" title="Photo Sharing"
><img src="http://farm2.static.flickr.com/1397/1151203981_4c1bcdf014_o.jpg" width="800" 
height="500" alt="img331" /></a>


(図3)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/1152051548/" title="Photo Sharing"
><img src="http://farm2.static.flickr.com/1426/1152051548_d1b8f77b69_o.jpg" width="800" 
height="500" alt="img332" /></a>
 

このグラフの中で、「その他投資」という部分に
注目してほしい。グラフの中では、橙色(黄色に赤線)
で示されている部分である。

実は、これが韓国の借金による部分である。
もう少し正確に言えば、「短期外債債務」。
「その他投資」というのは、まっかなウソ。

韓国の経済指標によれば、こうした「債務=借金」まで
「その他投資」という「投資」になってしまうらしい。
しかも堂々と、「黒字」に組み込んでしまう!

(恐ろしい!)

そしてその大部分は、日本からの借金である。
正確な額は不明だが、(財)国際通貨研究所の
報告(2007・7・13付)によれば、

「短期外債債務というのは、銀行の外貨建て
債務である」「(正確な額はわからないが)、
日本から円建て借り入れがふえていることも、
複数の情報筋がコメントしている」となっている。

「正確な数字は不明」というのは、こうした
借金は、複雑かつ、さまざまなルートを経て、
韓国に流れこんでいるからである。

このグラフを見てもわかるように、韓国の
国家経済は、貿易(ものの売買)では、
かろうじて黒字(図の中の青い部分)
を維持しているが、全体としてみると、
まさに自転車操業。

とくに図2の2006年度の部分に着目
してほしい。

赤い折れ線グラフで示された資本収支に
だまされてはいけない。

もしこのグラフから、「その他投資=借金」
を取り除いたら、このグラフはどうなるか、
頭の中で想像してみてほしい。

あなたは今、韓国経済がどうなっているか、
それがわかるはず。と、同時に、あなたは
戦慄さえ覚えるかもしれない。

(ついでに「経常収支」の部分も見てほしい。
グラフの中では、青い色で示されている部分である。
いわゆるモノの売買で得た収支のことだが、
04年、05年、06年と、年々減少している
のがわかる。つまり貿易による収支が、悪化
している。すでに07年に入ってからは、
赤字になっていると言われている。

この状態で、原油高がさらに進み、ウォン安に
なったら、韓国は、どうなるか? 赤字幅はさらに広がり、
韓国は破産する。)

2007年の4月、国連のアジア太平洋経済
会議(ESCAP)は、通貨危機が起こりうる、
もっともあぶない国として、韓国を筆頭に
あげた。その理由は、こんなところにもある。

つまり円高になればなるほど、(=対円で、ウォン安
になればなるほど)、困るのが、実は、韓国
なのである。

わかるかな?

円高になればなるほど、実質的な金利が
上昇することを意味する。
つまりその分だけ、借金がさらにふえることを
意味する。

そこでこの2か月連続で、韓銀(日本の日銀)は、
2度に渡って、政策金利をあげている。

わかりやすく言えば、世界に向かって、エサを
まいた。

何としても外資を呼び込みたいと必死に
なっている韓国。つまり今の韓国には、「お金が
ナ〜イ」。借金を借金で返す、まさにまさに
自転車操業。

こんなときにウォン安になったら、韓国はどうなるか。
輸出どころではなくなってしまうはず。

そこで17日、韓国政府は、こんなコメントを
発表している(東亜N報)。目立たない小さな
記事である。しかもそのコメントは、その末尾に
あった。

政府高官筋として、いわく、

『政府はウォンの価値が適正水準以上に、
過度に下落する場合、外国為替の保有額を
活用して、市場介入に乗り出す方策を
積極的に検討し始めた。 

政府高官は、「国内の金融会社と企業が、
国際金融市場で外貨の借り入れに困って
いるので、信用梗塞の問題が浮き彫りに
なるのではないか注視している」と述べた』
と。

わかりやすく言えば、

(1)ウォン安は困る。
(2)金融会社と企業が、外貨の借り入れに
困っている。
(3)ウォン安になれば、政府が介入する、と。

「ウォン安は輸出に有利」「サブプライムショックは、
円安・ウォン高に終止符か」と、ノー天気な
大本営発表を繰り返す朝鮮N報。

しかしその記事も、このグラフを見れば、
むなしい。

(ひょっとしたら、朝鮮N報には、経済の
専門家がいないのではないか?)

繰り返すが、ふつう、株が売られれば、
その国の通貨の価値は上昇する。
株を売って、お金に換えようとする
からである。

今回のように、20%以上も株価が
暴落した韓国なら、なおさらである。

が、ウォン安?

……つまり、この事実は、株を売ったのが外国投資家
であり、その外国投資家たちは、さらに
そのウォンさえも売って、韓国を出たことを意味する。

わかるかな?

この2週間、韓国から外資がどんどんと引きあげて
いる。その額は、10兆ウォン以上とも言われて
いる。つまり繰り返すが、「ウォン安になったから、
輸出で有利になった」と喜んでいるばあいでは、
ないのである。

さあ、どうするか、韓国?!

日本は、まだまだアジアの大国だぞ!
貿易収支だけでも、788億ドルの黒字。
加えて所得収支も、同じ額だけの1145
億ドルの黒字(06年)。

これらからサービス収支などをのぞいても、
約1600億ドルの黒字(財務省)。

たしかに日本は、現在、国家債務が700〜800
兆円もある。

しかし外国に対して借金しているわけではない。
わかりやすく言えば、一家のおやじが、自分の
息子たちに借金をしているようなもの。

しかもそのおやじ(=日本国)には、700兆円
近い資産がある。

しかし韓国は、ちがう。

おやじもおやじなら、息子も息子。その息子たちも、
何と、70兆円という個人負債をかかえている。

70兆円だぞ! わかるか!

いらぬ心配かもしれないが、こんな状態で、
日本を敵に回して、韓国は、どうするつもり
なのか。

ウソをウソで塗り固めた大本営発表。
経済成長率が、年率5%だってエ?

そんなことは常識で考えても、ありえない!

機会があれば、そのウソについても
書いてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●君は、長良川を知っているか?

++++++++++++++++

私の心の中には、あの美しい長良川
が今でも生きている。

そしてそれが今でも、私の生きる支え
となっている。

私はあの長良川のほとりで生まれ育った
のを、誇りとしている。

++++++++++++++++

●清流

 私は川というのは、どこの川も、そうだと思っていた。同じようなものだと思っていた。しかし川
というのは、地方によってちがう。国によってちがう。

 私が学生時代を過ごしたオーストラリアにしても、川といえば、濁った茶色が常識。二男が今
住んでいるアメリカにしても、どこかくすんだ緑色が常識。長良川のような、青く、コバルト色に
澄んだ川というのは、そうはない。ないというより、私は見たことがない。

 一番遠くは、アルゼンチンのブエノスアイレスを流れる、ラプラタ川も見たことがある。しかし
川と言うよりは、海だった。東南アジアを流れる、メコン、メナム(チャオプラヤ)川にしてもそう
だ。

 だから……というわけでもないが、こんなことがあった。

 オーストラリアの友人夫妻を、長良川に案内したときのこと。突然、その2人が泳ごうと言い
出した。「水着がない!」と私が言うと、「裸で泳げばいい」と。いくら何でも、人目というものもあ
る。私ががんとして「NO!」と言いつづけると、そのうち夫のほうが怒り出してしまった。

 長良川の清流は、それほどまでに感動的だったのかもしれない。

●子どものころ

 私はその長良川で、生まれ育った。「生まれ育った」という言い方もどこかおおげさだが、そ
の長良川から離れて40年以上。今、こうして故郷の山々を思い浮かべると、「生まれ育った」
というのが、いちばん正しい。

 故郷といえば、そこに一本の川が流れている。私は子どものころから、その川で遊んだ。春
は春、夏は夏、そして秋は秋。とくに、夏がすばらしかった。

 川で魚をとり、川で泳ぎ、川で花火を見た。毎年7月20日が、水泳解禁日ということになって
いた。暑い夏も、涼しい夏も、7月20日と決まっていた。私たちは、その日を、どんなに待った
ことか。今でこそ、学校ごとにプールがあるが、私たちが子どものころには、まだなかった。

 私たちはその日が来ると、町内の班ごとにグループに分かれて、川に向かった。たいていど
の子どもも、小さな梅干しを、2個か3個、もっていた。川からあがったとき、口にするためであ
る。おとなが付き添うこともあったが、中学生や高校生といっしょに行くときもあった。

 みな白い帽子をかぶることになっていた。その白い帽子に、黒い線が入っていた。水泳テスト
というのがあって、一番泳げる子どもは、3本線、つぎに2本線、そして1本線と区別されてい
た。小学生のほとんどは、線のない、まっしろな帽子だった。まっしろな帽子の子どもは、細い
ロープを張ったワクの中だけしか、泳げなかった。

 それでも私たちには、楽しかった。

 水中メガネをかけてもぐったり、あるいは木製の潜水艦を走らせたりして遊んだ。夏の終わり
には、……といっても、長良川の夏が終わるのは、早かった。毎年、8月15日の盆をすぎる
と、急に冷たい風が吹き出し、そのころになると、もう川には入れなかった。それでも夏の終わ
りには、「日焼けコンテスト」というのもあった。

 私たちは日焼けした体を見せ合って、それを自慢した。

●鵜飼い

 長良川といえば、鵜飼いということになる。しかし当時はまだ観光化されていなかった。鵜匠
たちも、生業として、鵜飼いをしていた。鵜を使って、鮎を捕り、その鮎で生業を営んでいた。

舟が近づくと、遠くからでも、それがよくわかった。

 まず山の向こうが赤く染まる。同時に、舟の横板をたたく音が聞こえてくる。トントントン、トント
ントンと。

 私たちはおとなの指示に従って、網を、川に直角に張る。張ったら、川原の石に座って、それ
を待つ。やがて山の端から火の粉が散るのが見えるようになる。と、同時に、赤々と燃えさか
る、かがり火が見える。

 トントントン、トントントン……と。

 鵜が水から飛び上がる音。舟をこぐ音。火の粉が舞う。その舟から逃げてきた鮎が、水面を
たたく。網にかかる。今から思うと、それが一瞬のできごとだったように思う。私たちは舟が遠
ざかるのを見届ける間もなく、網を引き寄せた。鮎を捕って、カゴに入れた。

●汚される長良川

 その私も、今年、60歳になる。私も変わったが、長良川も変わった。夏になると、川沿いに
無数のパラソルが並ぶ。カラフルな水着を着た親子連れが、川で泳ぐ。川で遊ぶ。食事をす
る。キャンプをする。車で、そのまま川へ乗り入れる人もいる。

 マナーも毎年、悪くなっている。川沿いの草むらは、どこもトイレ? 無数のテッシュペーパー
が、まるで白い花のように散乱している。少し上流へ行けば、ゴミの山。ボロボロになったビニ
ールシートが、枯れた木々の枝に無惨な姿で、ぶらさがっている。

 清掃は、地元の人たちに任されている。任されているというよりは、やむをえず、地元の人た
ちがしている。が、それ以上に、長良川は汚される。そこで遊ぶ人たちは、「川はみんなのも
の」と思うかもしれないが、清掃する人たちは、「私たちの川」と考える。

 この意識のずれが、ときとして、衝突することがある。

 地元の人たちは、立て札を立てる。柵を作る。遊泳禁止にしたり、進入禁止にしたりする。し
かし遊ぶ人は、それを意地悪ととらえる。立て札を抜き、柵を壊す。どこかで買ってきた網で魚
を捕まえる。

 ……つまりそういう話を聞くたびに、私はいたたまれない気持ちになる。自分の過去をけがさ
れるかのような不快感と言ってもよい。それを覚える。が、それでも何か地元の人たちに恩恵
があれば、救われる。しかしそれもない。

 長良川のほとりに住む姉は、こう言った。

 「みんな食べ物もすべて、都会からもってくるでしょ。お金は、1円も、地元では使わないのよ」
と。

 ……というグチはやめよう。私の心に残っている長良川は、現在の長良川でない。今も、そ
の長良川は、しっかりと、私の心の中で生きている。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●K国の写真

+++++++++++++

K国が、大洪水に襲われている
らしい。

連日「悲鳴に近い」報道
が繰り返されているという(ヤフー)。

さっそく韓国は、8億円以上もの
緊急支援を決めた。

が、肝心の被害状況がわからない。

私が知る限り、つまり韓国の3大新聞
を見たかぎりでは、写真は、たったの
1枚。

しかしその写真が、おかしい。

まずは、その写真を見てほしい。

++++++++++++

 まず、ヤフー・ニュースを読んでみよう(8月18日)

 ●悲鳴に近い水害報道
 
ここ数日、北朝鮮の水害報道は、悲鳴に近い。

 『農耕地が浸水、穀物の収穫できず」(14日)、「豪雨の被害拡大、田畑の11%が被害。平
壌も交通マヒ」(15日)、「全国で8万世帯が浸水」(16日)――。

 北朝鮮は95、96年の夏にも「100年に1度の大雨」で経済難が一層悪化した経緯がある。
今回も前回並みの被害が予想されている。

 国営の朝鮮中央通信は被害実態を伝える写真も配信し始めた。

 家を失いテント生活を送る平安南道の住民、冠水したトウモロコシ畑……。北朝鮮は通常、
市民生活の写真は海外に配信しない。特に住民の困窮ぶりを配信することは、まずない。だ
が、テント生活の写真には、枯れ木で布きれを支えただけの「テント」で、煮炊きをする被災者
の姿が写っている。被害実態を海外に知らせたいという北朝鮮の思惑が伝わってくる』と。

 そこで調べてみると、その写真は、中央N報のインターネット版のほうに掲載されていた。そ
れをここに転載する。

 

 この写真は、しかしよく見ると、不自然なところがいくつかある。

(1)一番右の水色の服を着た女性

 連日の大洪水(報道では11日から17日までつづいたという)のあとにしては、服装がきれい
すぎる。とくにこの女性に注目。この女性の服には、汚れがひとつもない。そればかりか、アイ
ロンがかかったかのように、服がピンとのびている。その左の男児にしてもそうである。美しい
足をしている。髪の毛もきちんと整っている。とくに、男児のはいているスリッパには、これまた
よごれがまったくない。

(2)テントが美しい

 見た感じでは、4〜6メートル四方のビニール・シートを、左右のがんじょうな支柱にしばりつ
けたあと、中央に、3本の枯れ木で柱を立てて作ったかのように見える。しかしこれで日よけに
はなるが、雨よけにはならない。

 キャンプをしたことがある人ならわかると思うが、降った雨は、かならず低い場所を求めて流
れてくる。この状態で雨が降れば、直接的な雨は避けられるとしても、そのつどドドッと、雨がテ
ントの下に流れてくるはず。このテントの下で、横になって眠ることはできない。

(3)やはり日よけか?

 だいたい、テントの下で炊事をするということ自体、不自然。写真を見ると、テントの下に釜を
置き、その下から火を燃やしているのがよくわかる。私も子どものころから、何度もキャンプを
したことがあるが、テントの中や下では、火をたかない。日本とK国とでは、常識がちがうらし
い。

(4)全体は山の中

 何よりも不自然なのは、まわりの様子。大洪水で家を失った人たちの写真だという。が、その
左右には、とうもろこし畑があり、その向こうは低い丘陵がつらなっている。洪水のつめあと
は、どこにもない。むしろテントのたっている場所そのものが、水が流れたあとのようにも見え
る。ゴロゴロとした丸い石が並んでいるのもおかしい。山の中には、角が削られた丸い石など、
あるはずもない。

 あるいは道路の真ん中に、テントを張った? もしそうなら、通行はどうするのか?

 私ならテントを張るとしても、こんな居心地の悪いところには、張らない。私なら、もう少し向こ
うに見える草むらの上にテントを張る。それにテントがひとつしかないというのも気になる。

 ……とまあ、疑ってばかりいてはだめだが、しかしK国から送られてくる写真は、こういう写真
ばかり。あるいはあなたがカメラマンなら、どんな写真を世界に向けて、発信するだろうか。

 なお一言。

 韓国政府は、17日、8億5000万円相当の緊急援助をすることを決定した。しかしこうした
単独行動をすればするほど、国連の援助機構が破壊される。事実、破壊されてしまった。K国
にしてみれば、「国連の監視付きの援助よりも、監視なしの韓国の援助のほうが、ありがたい」
ということになる。

 韓国は、ここ10年だけでも、K国に対して、すでに3000億円規模の援助をしている。もしそ
んなお金があるなら、国連への分担金をふやしたらどうか。あるいは国連を通して、K国を援
助したら、どうか。

2004年度の国連への納入額だけでも、日本は約3億ドルも納入している。(日本はアメリカの
1億54万ドル(未納5億3000万ドル)を遙かに超える2億9863万ドルを負担している。)この
額は、常任理事国であるイギリス・フランスの3・4倍。中国の10倍強 である(龍谷大学HP)。

 日本がK国に対して、何も援助していないという話は、ウソ。日本は国連を通して、もちろんK
国も援助している。国連が援助する、ほぼ3分の1のお金は、日本のお金である。

 かたや韓国は、国連事務総長を排出しながらも、国連への分担金は、日本の30〜20分の
1にも満たない! 援助額となると、もっと少ない。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●口がうまい人

++++++++++++++

口がうまい人は、それだけ悪口を
言うのもうまい。

悪口と思わせないようにして、相手に
悪口を言う。

結果的に、その人を、悪い人と
思わせてしまう。

口がうまい人には、要注意。できれば
つきあわないほうがよい。

++++++++++++++

 少し前、郷里へ帰ったら、高校のときの同窓生に会った。それほど親しくなかったが、会うや
いなや、こう言った。

 「林君、今度の同窓会には来てくれるよな。君が来ると、みんな、喜ぶよ。君が来ないと、話
にならない。君が主役だから」と。

 口がうまい人というのは、そういう人のことをいう。ペラペラと調子のよいことを言う。相手をお
だてる。ほめあげる。心にもないことを言う。

 しかしこのタイプの人とは、つきあわないほうがよい。口がうまいということは、悪口を言うの
もうまいということ。悪口と思わせないようにして、相手に悪口を言う。結果的に、その人を悪い
人と思わせてしまう。

 たとえばこういう言い方をする。

 「私は、気にしていないのだが、彼にひどいめにあった人も多いと聞いている」
 「私はいい人だと思うのだが、彼のまわりの人たちが、かわいそうだよ」
 「ぼくは彼とだけはけんかをしたくないがね、しかし言うべき時がきたら、言うよ」とかなど。

 つまり口がうまい人には、常に二面性があるということ。相手をほめあげる一方で、べつの場
面では、相手をけなしたりする。要するに、話術にたけている。が、それだけではない。

 このタイプの人と話していると、何が本当で、何がウソかわからなくなる。どこからどこまでが
本音で、どこから先が建て前なのか、それもわからなくなる。油断して心の奥を話そうものな
ら、べつのところでは、それが酒の肴(さかな)になったりする。「ここだけの内緒の話だがね…
…」とか何とか言って、他人に話す。

 私がそれに気づいたのは、50歳くらいのときだった。それまでは、割りとノー天気に過ごして
きた。私自身も、口がうまいほうだったかもしれない。もともとは商人の子である。そういう会話
を日常的に、見て育った。

 があるとき、それに気づいた。とたん、自分のまわりにいる、口のうまい人が、区別できるよう
になった。最大の特徴は、冒頭に書いたように、ペラペラと調子のよいこと。深い思慮を感じな
い。その前提となる、人間味を感じない。加えて、たいていは演技派。そのフリをするのが、う
まい。

 ずいぶんと前だが、私の実家にやってきて、こんなふうに言う女性がいた。当時、60歳くらい
ではなかったか。私の母にこう言った。

 「ご存知ですか、あのSさん。株取引で、大損をなさったとかでね、あわれなもんですよ。今
は、小さなアパートで、借家住まいだそうですよ」と。

 そういう話を、涙声で言う。ときどき、「あああ……」と、ため息まで漏らす。が、もちろん涙
は、一滴も出ていない。

 つまりその女性は、そういうふうにして、つまりさもその人に同情しているかのようなフリをし
て、Sさんの悪口を言いふらしていた。その人も、口のうまい人ということになる。

 で、私ももうすぐ、60歳になる。そういうこともあるが、今日もワイフとこんな会話をした。

 「もう、むだなつきあいはやめよう。つきあう人を、選ぼう。それで相手が何と思うおうが、ぼく
らの知ったことではない。悪口を言いたい人には言わせておけばいい」と。ワイフは、こころよく
同意じてくれた。

 ついでに言うなら、大切なことは、まっすぐ前だけを見て、まっすぐ前に進むこと。寄り道をし
て、ささいなことで心を煩わすヒマがあったら、本でも読んで、さらに賢くなればよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●パソコンとのつきあい

++++++++++++++

今時、定期的なウィルス・チェック、
ボット・チェックは、常識。

ビスタになって、セキュリィティは、さらに
強化されたというが、それでも油断
は禁物。

ところで何かの雑誌に書いてあったが、
アメリカ人の多くは、つぎのようにして
パスワードを決めているそうだ。

たとえばその人が、白い鳥が好きだったと
すると、まず「I like white birds.」という
英文を考える。

その「I like white birds.」という英文から、
一字ごとに、アルファベットを抜き出す。

すると

「I like white birds.」は、「Iiehtbrs」となる。
これで8文字のパスワードとなる。しかし
実際には、できるだけ長くするのがコツとか。

たとえば「私の父の名前は、林良市」から、
パスワードを作ってみよう。

「My fathers name is Ryoichi Hayashi.」。
これを同じように、一文字ずつアルファベットを
抜くと、

「mftesaesyiiaah」となる。全部で、14文字。

ナルホド! これなら簡単に盗まれない。

で、先ほど、ボット・チェックをしてみた。
インターネットの世界には、「ボット」と呼ばれる
恐ろしいウィルスがある。

密かに他人のパソコンに住みつき、いろいろな
悪さをするウィルスである。

それで検査をしてみたら、1つ見つかった。

「taga/saurus」というボットである。一瞬ヒヤリと
したが、調べてみたら、「広告用のアドウェア」
ということがわかった。どこかの広告を開くと、
自動的に組み込まれるボットということらしい。

ホーッ!

大切なことは、

(1)パソコンと電話線を直接つながないこと。
(間に、必ずルーターを介在させること。)
(2)プロバイダー(サーバー)でのウィルス
チェックサービスを受けること。
(3)パソコンにも、ウィルス・チェックソフトを
必ずインストールすること。
(4)WINDOWSのアップデートは必ずする
こと。(自動アップデートに設定すること。)
(5)ウィルス、ボット・チェックは、定期的に
すること。
(6)パソコンを使い分けること。
(7)あやしいサイト、メールは絶対に開かない
こと。「?」と思われるメールは、開く前に、
その相手に、出したかどうかを確認する
こと。

 私は、(1)〜(7)を、確実に守っている。
おかげでこの5、6年、ウィルスの被害には
あっていない。

 なおパスワードについては、こうしている。

 たとえば私のパスワードが、

 「abcdefghijk」だったとする。それほど重要で
ないと思われるサイトへのアクセスは、
「abcd」とする。

しかしたいへん重要だと思われるサイトへの
アクセスは、「abcdegghijk」とする。つまり
重要度に応じて、短くしたり、長くしたりする。

(こんなことを教えるとまずいかな?)

またオーストラリアの友人は、こう教えて
くれた。

クレジットカードにしても、インターネット用は
インターネット用として、別に作るとよい、と。

少額のカードを別に作り、インターネット
関連ではそれを使う、と。

こうすれば万が一のときでも、被害を最小限
で食い止めることができる。

なおほかに、パソコン内部には、写真も
含めて、つごうの悪い情報は、いっさい
残さないようにしている。

たとえば読者からの相談でも、返事を書く
段階で、人名はもちろんのこと、地名、
家族構成、年齢などは、すべて架空の
ものにしている。記録を残すときは、とくに
そうである。

これからもいろいろと知恵くらべがつづきそう。

では……! みなさんもご用心!

+++++++++++++++++

【童話】

+++++++++++++++++

私なりの童話を考えてみた。
少し前に書いた、「ひぐらし」を、
少し書き直してみた。

童話だから、クマさんや、ウサギさんの
話でなければならないということはない。

子どもを子ども扱い、しないこと。
それは私の子育てポリシーの
柱にもなっている。

+++++++++++++++++

【ひぐらし】

●8月3日

今朝は、ジイジと山荘に一泊した。
昨夜、7時ごろ、ここに着いた。
山荘といっても、ジイジ手作りの、ログハウス。

ジイジは、ぼくが生まれる前、7年もかけて、このログハウスを建てた。

しばらくテレビを見たあと、床についた。
「明日は早いから」とジイジは言った。
ぼくは、「うん」と言って、それに従った。

床から見ると、ジイジは、ひとり、缶ビールを飲んでいた。

ジイジと約束しあう。

「ひぐらしの声を聞いたら、起こしてよ」と。

ぼくは、ひぐらしの声が大好き。
「明日こそは、声を録音してみるよ」と、ジイジに告げる。

日本海を通り過ぎる台風のせいか、どこかむし暑い。

扇風機のやわらかい風。それをさわさわと体で感じながら、そのまま眠る。

……

●8月4日

朝、目を覚ます。時計を見る。午前4時。
ジイジが、「鳴くのは、いつも4時半ごろ」と言っていたのを思い出す。

ぼくはカメラを手にして、細い階段をおりる。
下ばきをはいて、外に出る。

まだ暗い。足元もよく見えない。
どんよりとした重い雲を、すぐ上に感ずる。
「今日は鳴き出さないかもしれない」と、ふと心配になる。

谷下の小川を流れる水の音。
昨夜の雨で、増水したらしい。

やることもないので、そのまま庭に生えた雑草を、何本か抜く。ひんやりとした手ざわり。朝の
ツユ。

2週間もこないと、夏の庭は、そのまま雑草におおい包まれてしまう。「いやだな」と、心のどこ
かで、そう思う。

再び居間にもどって、電気を消す。

5分、10分……。

そのときジイジも起きてきた。台所の電気がついた。

●ひぐらし

気のせいか? 遠くで、ひぐらしの声を聞いたような気がした。

気のせいか? 川を流れる水の音のようにも思えた。

耳をすます。心を落ち着ける。

潮騒のようでもある。しかしそれはひぐらしの声だった。

ザザーッ、ザザーッ、と。

突然、右手にある林の中で、一匹だけ、ひぐらしが鳴いた。

カナカナカナ……、と。

しかしそれはすぐやんでしまった。
仲間への合図だったのか。
それとも、寝ぼけたひぐらしの一声だったのか?

が、しばらくすると、谷の下からいっせいに、ひぐらしの声が聞こえ始めた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

●撮影

ぼくはカメラをセットした。
庭の台の上に置いた。

しかしいくらシャッターを押しても、カメラが作動しない。

あわてて庭園灯をいくつかつける。
動画撮影には暗すぎた? 

その庭園灯めがけて、カメラをセットする。
ゆっくりとシャッターを押す。

30秒、40秒……。

あたりは足元もよく見えないほど、まだ暗い。
時刻は午前4時30分を、少し回っていた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

ひぐらしの声には、高低がある。それがいくつか重なって、ときにハーモニーをかなでる。
ひぐらしには、そういう才能があるのかもしれない。
近くの相手に合わせて、音の高さを調整する?

それがときに、ちょうどオーケストラのような演奏のようになる。自然のオーケストラ。
まさしく自然のオーケストラ。

静かで、単調な音楽。澄んだ音色が、森を
つらぬいて聞こえる。聞くものを、穏やかなやすらぎで、包む。

少し前、ジイジがそう言っていたのを、思い出す。

今は、夏。だからその時刻になると、ひぐらしが鳴き始める前に目をさまし、それを待つ。

いつもは朝寝坊の、ぼくが……。

●朝もや

カメラのモニターの数字を、ゆっくりと読む。
あいにくと、そのカメラには、音声録音機能がなかった。
録画と同時に、音声をそこに取り入れる。

「うまく録れているかな?」と、それを心配しながら、場所をかえる。
ひぐらしの声に近づく。

何度目かにシャッターを押したときには、あたりは、ほんのりと明るくなっていた。

今度はカメラを高感度設定にして、スチール写真を何枚か、撮る。

ピッ、ピッ、ピッ、と。

暗く沈んだ空の下に、緑を帯びた山々の景色が浮かびあがってきた。
白いモヤが幾筋も、山の間から天に向かってのびている。

遠くで、ヒヨドリの一声が聞こえた。
しばらくすると、今度は、ウグイスがそれを追いかけた。

ぼくは台所にもどり、パンを口の中に、ほうりこむ。
たった今撮ったばかりの録画を確かめる。

声は入っていた。よかった。

ひぐらしの声を聞いていたときには気がつかなかったが、カメラは、小川の水が流れる音を、
大きく拾っていた。

ザーッと、雨が降るような音だった。その音を背景に、ひぐらしが元気よく鳴いていた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

よかった。再び、そう思った。

●編集

頭の中で、ビデオの編集を考える。

画像をスライド風に紹介しながら、そのバックにひぐらしの声を入れる。

まだ暗い朝の様子から、少しずつ明るい景色にする。
エンディングは、朝の景色。

声のナレーションはなし。文字だけを、右から左へ流す。

ひぐらしの声が泣き止んだのは、午前5時20分ごろ。
遠くで鳴いていると思ったつぎの瞬間には、カラスの鳴く声で、それが消された。

朝だ。
8月4日、土曜日。

そのときジイジが、散歩から帰ってきた。
重い木の戸が開いた。
ぼくと視線が合うと、ジイジは元気な 声でこう言った。

「おはよう! 声は録れたか」と


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2142)

●三男からのハガキ (改作)

++++++++++

内容を、少し書き改めて
みました。

++++++++++

 その夏の終わるころ、富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂し
た日付と時刻に続いて、こう書いてあった。「13年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあの
とき泣き続けたか、その理由がわかりました」と。 
 13年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、13歳の長男、10歳の二男、それに
7歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五合目まで来たところで、そこから見あげると、山
頂が絶壁の向こうに見えた。そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前には無
理だから、ここに残っていろ」と。女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざした。つ
まりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた! 
 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。
今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。その日も、大学の
教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっ
とE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつ
けられた。

あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山していく姿を見ながら、三男は
どんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて泣いていた
のは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたとは!

●後悔は心のトゲ 
 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さ
っていることに気づかないトゲもある。私はこの13年間、三男がそんな気持ちでいたことを知
る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何
でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。

私はやはりあのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだっ
た。重苦しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。「だって、あれは、E君
が足が痛いと言ったからでしょ」と。

「Eが、痛いと言ったのか?」
「そう、E君が足が痛いから歩けないと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」
「ほんとうに、Eが、足が痛いと言ったのか?」
「そうよ」
「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではないのか?」
「そうよ」と。

とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。ほっとすると同時に、体
から力が抜けた。

さっそくそのあと、三男にメールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(8月21日)

+++++++++++++

今朝は、目をさましたとき、
寒さを感ずるほどだった。
このまま暑さがやわらいで
くれるとうれしい。

+++++++++++++

●ひとりの老人 

介護センター(特養)は、介護度によって、部屋が分かれている。母は介護度が5に近い4だか
ら、いちばん重度の老人たちが集まる部屋にいる。全体で、10〜15人ほどのグループになっ
ている。そのうち数人は、鼻からくだを通したままで生活をしている。

 その中に、1人、背の高い男性がいる。いつも帽子をかぶっている。食事のときだけは、介護
士の人が帽子をはずすのだが、その食事が終わると、すぐ自分でかぶってしまう。こうした(こ
だわり)は、老人の世界では、珍しくない。

 介護士の人に手を引いてもらえば、トトトという感じだが、歩ける。まだよいほうだ。それに食
事も、自分でできる。私はいつしか、母を見舞うたびに、その男性のことが気になるようになっ
た。見た感じでは、長い間、知的な生活をしてきたような男性のようだ。今は無表情で、反応も
ほとんどない。が、顔には、その痕跡がしっかりと残っている。

 その男性がどういう人だったのかということについては、だれも教えてくれない。聞いても、
「教えられないことになっていますから……」と言って、断られる。だから私も聞かない。こういう
世界では、(今の姿)が、すべて。ここに住む老人たちには、未来もないが、過去もない。

 しかしその老人は、そのまま私の近未来の姿でもある。「ああはなりたくない」と思っても、強
力な磁石で引きつけられるように、やがて私もああなっていく。例外はない。またそれを避ける
方法もない。70歳のときはだいじょうぶでも、80歳になるとわからない。80歳のときはだいじ
ょうぶでも。90歳になるとわからない。遅かれ早かれ、そのときは、私にも確実にやってくる。

 が、不幸かといえば、そうではない。介護センター(特養)へ入居できるだけも、ラッキーなほ
うだ。24時間態勢で世話をしてもらえる。母にしても、「トイレへ行きたい」と一言、声をかけれ
ば、そのままトイレへつれていってもらえる。国の補助と私費を加えれば、1人あたり、35〜4
0万円(月額)の世話をしてもらえる。ハンパな額ではない。

 実際には、「入居待ち」といって、入居届けを出してから、実際に入居できるまで、みな、半年
から2、3年は待つ。介護度が高くても、入れるとはかぎらない。大声を出して暴れたりするよう
な老人は、嫌われる。ふつうは入居できない。病気治療が必要な老人も、入居できない。入居
に先立って、面接があるのは、そのためと考えてよい。

 で、冒頭に書いた男性だが、介護士の人が話しかけても、まったくの無表情。視線も動かさ
ない。ぶ然とした表情で、食事をしたり、テレビを見たりしている。あとは一日中、その場所で、
座っているだけ。「私なら、一日とてそんな生活には耐えられないだろう」と思うのだが、おそら
く、辺縁系の中の帯状回あたりが損傷しているのだろう。(やる気)そのものが、起きないらし
い。

 では、どうすればよいのか。私はその男性を見ながら、いろいろ考える。

(1)生きがいというより、(やるべきこと)を今から見つける。
(2)肉体の健康と、脳みその健康を維持する。
(3)いろいろなことに興味をもち、バリエーションを広くしておく。

 もっともそれをしたからといって、5年先にやってくることを、10年先に延ばすことができるだ
け。へたをすれば、(ムダな長生き)ということになってしまう。……とまあ、考えは堂々巡りす
る。そして私が得た結論は、こうだ。

 「とにかく、今を大切に生きよう」と。今、この時点で、(やるべきこと)を見つけ、肉体の健康
と、脳みその健康を維持する。いろいろなことに興味をもち、バリエーションを広くしていく。老
後になってからでは、遅いし、また老後になってから、それを始めても、意味はない。

 老人たちの世界を見るようになって、私の世界は、ぐんと広くなったように思う。人は、子ども
の世界を見ながら、自分の過去をみる。しかし老人の世界を見ることによって、今度は自分の
未来を見る。

 グラフにたとえていうなら、それまで「正の世界」しか知らなかった人が、「負の世界」を知るよ
うなものかもしれない。介護というのは、重労働である。子育てには、まだ(未来)という(希望)
がある。しかし介護には、その(希望)もない。だからそれから発生する精神的な負担感には、
相当なものがある。それが重労働を、さらに重苦しいものにする。

 しかしそんな介護でも、ほんの少しだけ視点を変えると、それをそのまま自分の人生観の中
に生かすことができる。自分の人生をより豊かにすることができる。おかしなことだが、介護セ
ンターから出たとたん、私とワイフは、いつもこんな会話をする。

 「あれもしよう」「これもしよう」「今のうちにしておこう」と。

 あの男性は、あの男性なりに、私に、それを教えてくれている。


●健康

 昨日は、2単位(40分x2)も、運動をした。あとで知ったのだが、気温は、36度を超えていた
という。全身、汗ダクダクでの、2単位である。

 おかげで今朝(8月21日)は、気分爽快。体も軽い。よかった。私はまだまだ現役。現役でが
んばれそう。

 で、私のばあい、脳みその健康度は、将棋で知ることができる。毎日、1回は、パソコン相手
に将棋をさす。それが脳みその健康度を知るための、一つのバロメーターになっている。相手
はパソコンだから、能力はいつも一定している。

 それに簡単に勝てるときは、脳みその調子もよいということになる。反対に、簡単に負けると
きは、脳みその調子は悪いということになる。

 昨夜は、簡単に負けてしまった。これは暑さのせいだと思う。暑いと集中力がつづかない。


●マガジン1000号

 もうすぐマガジンが1000号になる。ときどき、「1000号になったら、どうしよう」と考える。し
かし結論は、こうだ。

 「号数に関係なく、そのまま書きつづけよう」と。

 1000号を超えたら、もう号数は気にしないようにしよう。書けるときまで、書く。それでよい。
できれば、読者のみなさんには、まぐプレ(月額300円)の有料版を読んでほしいと願ってい
る。しかしこれはあくまでも、「できれば……」という話。


●三男

 三男は、今、タイ人の友人と、タイへ行っている。昨日、成田を発つと電話があった。タイ人の
友人というのは、バンコックで、JALに勤めている友人だそうだ。成田空港へ研修に来ていた
らしい。

 ところで昨日、沖縄の那覇空港で、台湾の飛行機が爆発炎上した。私もワイフも、その模様
をテレビで見ながら、一言も口をきかなかった。最後に、飛行機の爆発と同時に、機長が窓か
ら脱出する様子もテレビで流された。瞬間、目頭が、ジンと熱くなった。機長というのは、そうい
うものだ。

 三男がパイロットになると言ったとき、私は三男にこう言った。「お前は、最後の最後まで飛行
機に残る覚悟はできているか」と。それに答えて三男は、こう言った。「その覚悟はできている」
と。

 あの機長も、最後の最後まで、飛行機に残っていたらしい。乗客が全員脱出してから、窓か
ら外に出た。爆発と同時に、下に落ちた。が、下で、数人の人たちに体を受け止められたよう
だ。よかった。ほっとした。

 このところ、飛行機事故のニュースを聞くたびに、ドキッとするようになった。が、一言。

 みなさん、飛行機に乗るなら、JALにしなさい。パイロットの「質」がちがう。外国では、空軍の
パイロットだった人が、そのまま民間機のパイロットになるようなケースが多い。が、日本は、ち
がう。訓練の度合いがちがう。

 とくに航空大学の卒業生は、ちがう。2年間という全寮制の大学で、みっちりと訓練を受けて
いる。が、それだけではない。さらに入社してからも、この先1年半程度の訓練を受ける。とくに
JALの訓練は、きびしいことでよく知られている。「パイロットなら、みな同じ」と考えるのは、正
しくない。

 免許証にしても、この日本では、ふつうの飛行免許証のほか、双発機用免許証、事業者用
免許証、計器飛行用免許証などなどが必要。気象予報士の免許証も必要だし、1級通信士の
免許証も必要。さらく旅客機ともなると、機種ごとに別々の免許証も必要。つまりこの日本で
は、それくらい安全運行には、力を入れている。

 安いから……と、台湾の飛行機に乗っていると、あぶない。そうそう同じ国内便でも、JALだ
けは、国内で飛行機の整備をしている。それも忘れてはいけない。

 飛行機は、JALで! 多少値段は高いが、あなたの命には、かえられない!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2143)

●巣立ち(書き改め)

+++++++++++++

新聞連載用に書いた原稿を、
書き直してみる。

以前、読んでくださった方は、
どうかお許しください。

+++++++++++++

 階段でふとよろけたとき、たまたまそこにいた三男が、うしろから私を抱き支えてくれた。苦笑
いをして、その場はやりすごしたが、いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、も
うとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさ
の入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そのつど、「まだまだだな」と思ってみたり、「もうそんな年齢になったの
か」と思ってみたりする。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、学校から帰ってくると、ランニングに行くように
なった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているの
よ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。

「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやれ
ばよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
何か残っていていいはずなのに、それがない。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、
私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が机のうしろから出てきた。私は最初、それが誰の写真
かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろか
ら女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれ
ない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬
間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見て
も、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何
らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人
生の中で、光り輝いているのを知る。

もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。
未来から、今の自分を見る。心がずっと軽くなるはずだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

【今朝・あれこれ】(8月21日)

++++++++++++++++++

昨日もがんばった。気温が36度を超える
中、2単位の運動+30分のウォーキング。

今のところ、居間も、寝室も、クーラー使用、
ゼロ。扇風機だけ。

ところで数日前、浜松市内で、38度を記録
したとき、私たちは、山荘にいた。標高は、
たったの160メートルだが、木陰にいると、
森の冷気を感ずるほど涼しかった。
(ウソじゃ、ないぞ!)

「森の中では、こんなにも涼しいのね」と、
ワイフはさかんに言っていたが、改めて、
緑のありがたさを実感した。

++++++++++++++++++

【今朝・あれこれ】(8月21日)

++++++++++++++++++

昨日もがんばった。気温が36度を超える
中、2単位の運動+30分のウォーキング。

今のところ、居間も、寝室も、クーラー使用、
ゼロ。扇風機だけ。

ところで数日前、浜松市内で、38度を記録
したとき、私たちは、山荘にいた。標高は、
たったの160メートルだが、木陰にいると、
森の冷気を感ずるほど涼しかった。
(ウソじゃ、ないぞ!)

「森の中では、こんなにも涼しいのね」と、
ワイフはさかんに言っていたが、改めて、
緑のありがたさを痛感した。

++++++++++++++++++

●Aさん(浜松市在住)からの相談

++++++++++

Aさん(40歳・専業主婦)は、隣人との
トラブルで悩んでいる。

話を聞くと、こうだ。

Aさんの家には、何本かの木がある。
その木の枯れ葉が、たとえば隣人の
庭のほうに落ちたりすると、翌朝には、
それを袋につめて、Aさんの庭のほうに、
投げ返してくるという。

Aさんが捨てたわけではないのに、
空き缶やポリ袋が、投げ返されてきた
こともあるという。

隣人というのは、同じ40歳の女性。
ライバル意識が強く、何かにつけて、
Aさんに対して挑戦的だという。
ほぼ同年齢の子どもがいることも、
災いした。

Aさんの子どもは、何かにつけ、でき
がよく、隣人の子どもは、できが悪かっ
た。

Aさんが新車を購入したとき、隣人も、
新車を購入したこともあるという。
「いつも1ランク上のものを買い、それを
私に見せつけて、楽しんでいるみたい」
とのこと。

が、ここから先が理解できないところ。

そんな隣人だが、ほとんど一日中、家の
中に引きこもっていて、外には出てこ
ないという。Aさんと顔を合わせるのを、
とくに避けているよう、とのこと。

Aさんは、こう言う。

「きっと部屋のどこかから、毎日、こちら
の様子をうかがっているのですね。気味
が悪いです」と。

++++++++++

●人格障害

 どんな人にも、それぞれ(個性)というのがある。その個性の範囲を超えて、他者との良好な
人間関係を結べなくなった状態を、「人格障害」という。

 この人格障害には、さまざまなタイプがある。アメリカのDSM-IV(4版)によれば、「人格の著
しい偏(かたよ)りのため、適応的な判断や、行動ができず、感情が抑制できないで、その結
果、自分自身や周囲の人を苦しめる人を、人格障害」と位置づけている(参考、清水弘司著
「性格心理学」・ナツメ社)。

 タイプとしては、つぎの3分類、10タイプがあるそうだ。

【A群】(奇妙で風変わりな特徴をもつ人格障害)
(1)妄想性人格障害
(2)分裂病質人格障害
(3)分裂病型人格障害

【B群】感情的に不安定な人格障害(感情的に不安定な人格障害)
(4)反社会性人格障害
(5)境界性人格障害
(6)演技性人格障害
(7)自己愛性人格障害

【C群】不安が強い人格障害(不安が強い人格障害)
(8)回避性人格障害
(9)依存性人格障害
(10)強迫性人格障害(以上、同書より)

 Aさんの隣人が、この中のどのタイプに入るかというのは、この際、重要なことではない。こう
したトラブルに巻き込まれたら、その相手を、乗り越えること。それには3つの段階がある。

(1)知的レベルで乗り越える
(2)精神的レベルで乗り越える
(3)行動面レベルで乗り越える

 順に説明しよう。

(1)知的レベルで乗り越える

 無知は、不安の原因となりやすい。そのため、まず「敵」を知る。Aさんのケースについて言う
なら、隣人が、どういうタイプの人かを知る。Aさんの話によれば、その隣人は、被害妄想性が
強く、自己愛者で、かつ回避性人格障害の持ち主と思われる。

 こうして頭の中で、その隣人の人物像を整理する。そのためには、心理学の本などが、おお
いに参考になる。

(2)精神的レベルで乗り越える

 こうしたトラブルに巻き込まれたとき、大切なことは、けっして相手と、同レベルになってはい
けないということ。たとえば「やられたら、やり返す」などという方法は、タブー。1に無視、2に無
視、3に無視。最後まで、無視。知識は、そのための自分を支える武器と考えてよい。

 同レベルになったとたん、あなた自身も、隣人がもつ魔力に、そのまま引き込まれてしまう。
あなた自身も、隣人と同じようなタイプの人間になってしまう。もちろんその分だけ、トラブルも、
倍加する。

 要するに、頭のおかしい人は、相手にしない!

(3)行動面レベルで乗り越える

 知的レベルと精神的レベルで乗り越えることができるようになると、自然と行動面でも、相手
を乗り越えることができるようになる。相手がどんな行動を繰り返しても、笑ってすませるように
なる。「かわいそうな人だ」と、あわれみすら覚えるようになるかもしれない。

 だからといって、それで問題が解決するとはかぎらない。こうした問題は、Aさんと隣人の問
題と言うよりは、隣人自身がもつ(心の問題)、もっと言えば、(心の病気)が原因となっている
からである。

 が、このレベルまで自分を昇華すると、やがて相手が、サルかイヌに見えてくる。虫でもよ
い。そうなればしめたもの。私も今まで、いろいろなトラブルに巻き込まれたことがある。もちろ
んその中には、隣人とのトラブルも含まれる。

 が、私のばあい、そういうときは、いつもこうしてきた。

(1)いつも敵を、国レベル、地球レベルに求める

 そこらの個人など、相手にしても意味はない。敵は、人間であり、国であり、地球。個人の問
題で、消耗するだけのエネルギーが残っていたら、そのエネルギーは、より大きな敵に向かっ
て使う。

(2)近隣では、いつも身をきれいにしておく

 私はもともと喧嘩が大好き。大好きというより、いつも、喧嘩ばかりしてきた。子どものころか
ら、そうだった。しかし子どものころでも、いくつかの鉄則は守ってきた。「女や年下の子どもは
相手にしない」とか、「喧嘩するなら、その場で、とことんやる」とか、など。

今でも、近隣の人たちや、地域の人たち、さらには、この浜松市の人たちとは、喧嘩をしないと
いう鉄則を守っている。この浜松市に移り住むようになってからも、ずっと、そうしてきた。

 自分自身の世界を、より居心地のよいものにするためである。『自分の巣は汚さない』。さら
に言えば、自分の近隣では、いつも『負けるが勝ち』。(それでもトラブルになったことはあるが
……。)

【はやし浩司より、Aさんへ】

 もうおわかりのことと思いますが、大切なことは、相手にしないこと。もし顔を合わせるような
ことがあれば、ニンマリと笑いながら、頭をさげれば、それでよいのです。それもいやなら、軽
い会釈だけをして、視線を合わせないようにします。

 そしてそんな隣人のことは忘れ、AさんはAさんで、自分の住む世界を広くする。ここに書いた
ようなことを守れば、やがてあなたも、隣人が、サルかイヌか、あるいは虫のように見えてくる
はずです。どうせ相手は、取るに足りない、かわいそうな人なのですから……。

 こわいのは、ここにも書いたように、Aさん自身が、その隣人と同レベルの人間になってしまう
ことです。へたをすれば、Aさん自身も、人格障害者に!、ということにも、なりかねません。本
気で相手にしていると、そうなりますから、どうか、ご注意ください。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●墓、一考

+++++++++++++

●千の風(A thousands winds)

Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.
I am a thousands winds that blows.
I am the diamaond glints on snow
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.
When you awake in the morning hush,
I am the swift uplifting rush of quiet incircled flight,
I am the soft star that shines at night
Do not stand at my grave and cry
I am not there, I do not die

「千の風」について、訳はいろいろあるようだ。今ヒットしている、歌の歌詞もそのひとつ。しかし
講談社版には、「転載、絶対不許可。転載するときは、許可を求めろ」とあるので、私は、原文
(英文・作者不明)を、自分で翻訳してみるしかない。

♪墓の前に立って、嘆かないでください。
私は、そこにはいません。私は眠ってはいません。
私は千の風。
私は雪の上の白い輝き。
私は緑の畑で輝く太陽の光。
私は秋のやさしい雨。
静かな朝、あなたがめざめたとき、
私は円を描いて空に登る上昇気流。
私は夜、やさしく輝く星の光。
私の墓の前に立って、泣かないでください。
私はそこにはいません。私は死んではいません。
(はやし浩司・訳)

 訳は、それぞれの人が、自分でつけてみたらよい。内容からして、もともとは賛美歌の歌詞で
はないかと思う。思うだけで、根拠はない。しかしすてきな詩でであることには、まちがいない。
冒頭の、「♪墓の前に立って、嘆かないでください。私は、そこにはいません。私は死んではい
ません」という一文だけで、私は電撃に打たれたかのようなショックを受けた。

 「墓」については、いろいろ言いたいことはある。で、私とワイフの出した結論は、こうだ。

(1)墓は作らない。葬式にかわる「お別れ会」をする。僧侶による読経などは、不要。
(2)どちらかが先に死んだら、残ったほうが死ぬまで遺骨を、預かる。
(3)両方とも死んだら、2人の遺骨の処理は、息子たちに任す。
(4)散骨するのもよし、海に捨てるのもよし。はたまた花壇の肥料にするのも、よし。
(5)私たちの心は、永遠に生きる。私たちは、死なない。あんな狭い墓石の中に閉じこめられ
るのだけは、ごめん!
(6)だれかが私たちに会いたくなったら、私たちが書いた文を読んだり、絵を見てほしい。

 まあ、風になるというのも、今まで考えたことがないので、実感がわかない。あえて言うなら、
私は死んだら鳥になりたい。(チベット密教では、鳥になるというのは、地獄へ堕ちるのと同じこ
とだそうだ。)

しかしもし私が、「私は死んだら鳥になる。鳥になって空を飛ぶ。私に会いたくなったら、空を飛
ぶ鳥を見てほしい」と書いたら、だれも空の鳥を見なくなるだろう。

 ……どうしてみな、こうまで墓や墓石にこだわるのだろう? 私の友人の中には、すでに墓地
を購入した人たちが、何人かいる。(まだ60歳だぞ!)そういう人にはそういう人なりの、(思
い)や(哲学)があるから、そうするのだろう。だからそういう人たちはそういう人たちで、そっと
しておいてやることこそ、大切。何も私が正しいというわけではない。

 ただ私は、どういうわけか、墓や墓石には、ほとんどといってこだわりを覚えない。イタリアや
スペインへ行くと、廟(びょう)と言っても、小さな家ほどもある墓の中に、遺体や遺骨を納める
ところが多い。

 アメリカやオーストラリアへ行くと、墓といっても、地面に置かれた小さなプレートだけ。遺灰は
その周辺のバラ畑にまくところが多い。同じキリスト教といっても、墓や墓石に対する考え方
は、宗派によって、みな、ちがう。

 その墓には、2つの意味がある。ひとつは、あとに残されたものたちの心の支えになるという
意味。もうひとつは、死者をていねいに弔(とむら)うことによって、今、生きている私たちの(生
命)を大切にするという意味。死者を粗末に扱うということは、とりもなおさず、私たち自身の命
を粗末に扱うことを意味する。

 ……しかし、こんなすばらしい詩を読みながら、どうして私が書く文章は、こうまで現実的、か
つ、味気なくなるのだろう。これは私自身の情緒的な欠陥が理由になっているのかもしれな
い。

 ここはあまり深く考えないで、しばらくこの詩のすばらしさに、心を浸(ひた)すことにしよう。…
…しかし、それにしても、すばらしい妻ではないか。(たぶんこの詩を書いたのは、女性で、自
分が先立つことで、夫や子どもたちをさみしがらせないよう、この詩を残したのだと思うが…
…。)

 私のワイフなら、ぜったいに、こういう詩は書かないぞ。書くとしても、こうだ。

 「♪私が死んでも、嘆かなくていい。あなたはあなたで、すてきな女性をまた見つけて、勝手
にやって。私もそうするから」と。

 それで気がついた。女性はともかくも、この詩を読んで涙を流すような男性(夫)がいたら、マ
ザコンタイプの男性と判断していいのではないか!


(補記)

 日本の仏教にしても、釈迦仏教をルーツにしながらも、そこへインド、アフガニスタン、チベッ
ト、それに中国などにもとからあった土着宗教が、混在してしまった。「原型をとどめないほどま
で、混在してしまった」と書いても、過言ではない。

 たとえば「盆供養」という祭事にしても、もとはといえば、アフガニスタンにあった、「ウラバン」
(中国名、盂蘭盆)という祭事がルーツになっている。それが中国で、盂蘭盆会(え)になった。
釈迦の時代に、インドであったわけではない。それが中国に入り、それ以前から中国にあっ
た、「中元」という祭事と合体して、今の日本に伝わった。

 だからといって、私は何も、「盆供養」を否定しているわけではない。誤解がないように!

 ただ、何も考えず、過去をそのまま踏襲するというのは、賢い人間のすることではない。とくに
この問題は自分の生き様に関することである。一度は、自分で調べて、自分で結論を出すべ
きではないか。

 その上で、「それでも盆供養をする」というのなら、それはそれでよし。その人の勝手。しかし
一方で、「そういうものは意味がない」という人がいても、そういう人たちを否定してはいけな
い。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2144)

●日本は、サラ金国家

+++++++++++++

財務省が8月13日発表した
国際収支速報によると、

日本の経常収支による黒字は、
07年の1〜6月の半年分だけで、
約12兆5000億円だったという。

ドルに換算すると、1100億ドル!
(1ドル=114円で計算。)

しかしその内訳を見ると、
「企業や個人が対外投資の
収益を配当などの形で受け取
る所得黒字額も最高で、貿易
黒字額を上回った。貿易より
投資で稼ぐ構図が一段と鮮明
になった」(日経新聞)とのこと。

わかりやすく言えば、日本という国が
それだけ、世界の中で、サラ金
国家化しているということ。

いいのかなあ……、こんなことで?

こんなことをしていると、いつか、
日本は手痛いしっぺ返しを
くらうような気がしてならないの
だが……。

+++++++++++++

 世界のどこかで甘い汁を吸う人がいれば、その分だけ、汁を吸われる人たちがいる。日本
は、空前の貿易黒字を計上しつづけている。が、それを喜んでばかりいてよいのか。

 財務省が、8月13日に発表した、日本の貿易収支報告によれば、日本の経常収支は、07
年の1〜6月の半年分だけで、約12兆5000億円の黒字だったという。ドルに換算すると、11
00億ドル! (1ドル=114円で計算。) 年間になおすと、2200億ドル!

 ちなみに、お隣の韓国の経常収支は、06年度は、167億ドルの黒字。単純に計算しても、
日本は韓国の約13倍の黒字を稼ぎ出していることになる。(ただし韓国は、07年には、赤字
国に転落すると予想されている。)

 日本はそれでよいとしても、気になるのは、「企業や個人が対外投資の収益を配当などの形
で受け取る所得黒字額も最高で、貿易黒字額を上回った。貿易より投資で稼ぐ構図が一段と
鮮明になった」(日経新聞)という部分。

 わかりやすく言えば、日本は、モノの売買で稼ぐ額よりも、利息で稼ぐ分のほうが多くなったと
いうこと。もっとわかりやすく言えば、日本全体が、世界の中で、サラ金国家化しているというこ
と。

 いいのかなあ……?

 もしあなたの近所に、高利貸しがいて、それほど働きもしないのに、あなたよりいい生活を楽
しんでいたら、あなたはそれをどのように思うだろうか。今、日本が置かれた立場を簡単に言う
と、そういうことになる。

 大切なことは、こうした黒字に甘んじることなく、日本は、貿易立国として、モノの製造に、もっ
と力を入れていくということ。また黒字をいいことに、構造改革(=官僚制度の是正)の手をゆ
るめてはならない。

 今、この2つをしっかりとしておかないと、再び、日本はバブル経済崩壊時のようなときになっ
たとき、今度こそ、立ち上がれなくなる。


【参考資料】

(日経新聞)
 財務省が07年8月13日発表した2007年上半期(1〜6月)の国際収支速報によると、海
外とのモノやサービスなどの取引を示す経常収支の黒字は12兆4702億円(約1093億ド
ル。1ドル=114円で計算)と、前年同期に比べ31・3%増えた。比較可能な1985年以降で
みると、半期としては過去最高。

 企業や個人が対外投資の収益を配当などの形で受け取る所得黒字額も最高で、貿易黒字
額を上回った。貿易より投資で稼ぐ構図が一段と鮮明になった。

(日経新聞)
 財務省が22日朝に発表した7月の貿易統計(速報、通関ベース)によると、輸出額は前年同
月比11・7%増の7兆627億円、輸入額は同16・9%増の6兆3915億円で、輸出額から輸入
額を差し引いた輸出超過額(貿易黒字)は同21・2%減の6712億円(約59億ドル。1ドル=
114円で計算)となった。貿易黒字が前年同月の水準を下回ったのは9カ月ぶりになる。

(日経新聞)
 台湾の財政部(財務省)が7日発表した07年7月の輸出額は前年同月比8・2%増の211
億8550万ドルで、輸入額は同16・7%増の207億3490万ドルだった。輸出額、輸入額とも
単月としての過去最高を2カ月連続で更新した。輸出は重電機器など「電機産品」が同63・
4%、液晶パネルなど「精密機器」が同20・5%増えたのが寄与した。輸入はナフサなど素材・
エネルギーの高騰で膨らんだ。貿易黒字の計上は17カ月連続となる。(台北支局)(20:04)

(外務省北東アジア課)
1)韓国の貿易収支■2006年は167億ドルの黒字(前年比65億ドル減)輸出:3260億ドル
輸入:3093億ドル(関税庁、暫定値)。

2)2006年は、輸出額が15%伸びたが、原油高の影響もあり、輸入額が18%伸びたため、
黒字幅は2005年に引き続き縮小。■中国との貿易拡大:2003年に輸出先として第1位とな
り、2004年には輸入先としても第2位に上昇。2005年も貿易は急増し(輸出は24%増、輸入
は31%増)、


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●この記事は、9月28日号

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今日は8月22日。この記事は、
9月28日(金)号用。

「8月ももうすぐ終わる」と書いたら
よいのか、それとも「9月号も今日が
最後」と書いたらよいのか?

「1か月も前の記事はいやだ」
という人は、つぎのようにして
ほしい。

荒削りの文章でもよければ、
「楽天・日記」のほうをどうぞ。
こちらのほうは、リアルタイムというか、
その日に書いた記事を、その日に
配信している。

楽天のほうで反応を見ながら、
あるいは文章を訂正しながら、
電子マガジンのほうに記事を
掲載することにしている。

そのため本当は、電子マガジンの
ほうを、読んでほしい。

楽天日記のほうは、誤字脱字も
多いし、文章も、ここに書いたように、
荒い。

楽天日記へは、

http://plaza.rakuten.co.jp/hhayashi/
から、どうぞ!

++++++++++++++

●なぞなぞ

 子どもたちの世界では、なぞなぞが、流行している。そこで私も考えてみた。……というより
「仏教聖典」(仏教伝道協会編)より、拾ってみた。

(2匹のヘビがいる。どちらがオスで、どちらがメスか、見分ける方法を言え)

(大きな像の体重は、どうやって量るか)

(ここに真四角な板がある。その板で、どちらが根本のほうに近かったか、それを知る方法を
言え)

(ここに姿、形そっくりの馬がいる。どちらが母馬で、どちらが子馬か、それを知る方法を言え)

 遠い昔、棄老国という国があった。その国には、だれしも老人になると、遠い野山に捨てられ
るという、掟(おきて)があった。が、その国に仕えるある大臣は、いくら掟とはいえ、自分の親
を捨てることができなかった。自分の家の下に深い穴を掘って、そこに親をかくまった。

 が、その国で異変が起きた。あるとき神がやってきて、王にこう言った。「この質問に答えら
れなければ、この国を滅ぼす」と。冒頭の質問が、そのひとつである。

 さて、あなたは、答がわかっただろうか? その大臣は、そのつど穴の中に住む親に答を聞
き、その国を救ったという。そしてそれを知った王は、その掟を廃止することにしたという。

 順に答を書いておくので、子どもとの会話で利用してみると、楽しいのでは。

●2匹のヘビをじゅうたんの上に置く。騒がしく動き回る方が、オスである。(本当かな?)

●像を舟に乗せて量る。舟に乗せる前に舟に印をつけておく。乗せたあとも、印をつけておく。
像をおろしたあと、舟が同じだけ沈むように、石を積む。石の重さを合計すれば、像の体重が
わかる。(ほかにも方法はあるが……。)

●板を静かな水面に浮かべてみる。より深く沈んだほうが、根本に近い部分ということになる。
(根本のほうが、密度が高いから。)

●草を食べさせてみればわかる。母馬は、草を子馬のほうに、口で押すようにして、「食べろ」
という。(本当かな?)

 以上、仏教聖典に載っていた話。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2145)

●思索と洗脳

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思索と洗脳。その第一のちがいは、
自由なる思想空間があるかないか
ということ。

自由なる思想空間の中で、ものを
考えるのを思索という。一方、限定
された思想空間の中で、型にはまっ
たものの考え方を強要されることを、
洗脳という。

+++++++++++++

 ほとんどのカルト教団では、信者たちに、外部との接触を禁止する。同窓会などのような交流
すら、禁止しているところもある。さらに中には、信者たちを、修行と称して、隔離された世界に
閉じこめてしまうところもある。「自分たちの思想は純正である。その自分たちの思想を、邪悪
な思想から守るため」というのが、彼らの共通した論法である。

 たとえばあるカルト教団では、自分たちが信仰している教団以外の教団を、すべて「邪教」
「邪宗」と位置づけている。接触しただけで、「罰(ばち)があたる」と、信者たちに教えている。
そのため、ある学校で、こんな事件が起きた。

 小学校の修学旅行で、京都、奈良を回ることになった。その京都で、子どもたちは、○○神
社を参拝することになった。「参拝」というよりは、歴史的建物を見学するというような内容のも
のであった。

 それにその子どもの両親が、猛烈に反発した。「神社の参拝など、とんでもない!」と。で、学
校側は両親の申し出に理解を示し、その子どもだけは、中へは入らず、鳥居の前で待つという
ことにした。両親も、それで納得した。

 ところがである。その子どもは、鳥居の前で待っている間、ゲーゲーと胃の中のものを、吐き
出しつづけたという。付き添いの教師が理由を聞くと、その子どもはこう答えたという。「邪教の
前に来ると、ぼくは気分が悪くなる」と。

 この事件は、実際あったことである。あちこちの雑誌でも紹介された話なので、知っている人
も多いかと思う。子どもでも、洗脳されると、そこまでするようになる。(ただしその教団内部で
は、美談として、もてはやされた。)

 その洗脳について、最近、興味深い記事を読んだ。

 「K国では、民衆が、政府によって洗脳されているというが、われわれだって、アメリカという
国によって洗脳されている。自由主義や民主主義がすぐれていると思っているのは、洗脳によ
るものだ」と。

 韓国のN大統領の周辺から出た言葉だという。一読すると、「ナルホド」と思えなくもないが、
よくよく考えてみると、おかしい。それがここでいう「自由なる思想空間」である。

 自由なる思想空間があれば、思索ということになる。しかし現在のK国に、その自由なる思想
空間はあるだろうか。外部との情報交換は遮断(しゃだん)され、ひとつの思想以外は、すべて
禁止されている。相互監視制度もあり、あやしいとにらまれた人は、問答無用式に、政治犯と
して、強制収容所に送られる。

 そういう国と、アメリカ(日本もそれに含まれるが)を、同一レベルで考えることのほうが、おか
しい。つまりK国もおかしいが、現在の韓国のN大統領も、おかしい。「現在の韓国は、狂った
時計みたい」と評した人もいる。まさに同感である。

 そこで重要なことは、私たちは、ものを考える大前提として、自由なる思想空間をもたねばな
らない。もつだけでは足りない。たがいに守り育てなければならない。

 自由に音楽を聴く。自由に本を読む。自由に話し、自由にものを書く。いろいろな思想にふれ
る。いろいろな人の意見を聞く。そしてその中から、自分の考えを引き出し、思想へとまとめて
いく。それが思索ということになる。

 もし仮に私が、こう言ったとしたら、(まちがっても、そういうアホなことは言わないが……)、読
者のみなさんは、どう思うだろうか。「みなさん、私がぜったいに正しい。私以外の思想は、み
な、まちがっている。だから私以外の人の意見は聞かない方がいい」と。

 常識のある人なら、「あの林は、とうとう頭が狂った」と思うにちがいない。またそう思われて
も、文句は言えない。大切なことは、私の話にかぎらず、つねに、だれの話に対しても、批判精
神を忘れないこと。触覚を外部にのばし、新しい知識や情報を吸収していくこと。新しい思想に
ふれていくこと。

 それが思索ということになる。そしてそれがとりもなおさず、思索と洗脳のちがいということに
なる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思索
 洗脳)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●環境虐待

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虐待といっても、直接虐待と
間接虐待がある。

このほか、最近私は、環境
虐待という言葉を考えた。

+++++++++++

 虐待といっても、直接虐待と間接虐待がある。「間接虐待」という言葉は、私が考えた。たとえ
ばはげしい夫婦げんか、家庭騒動、家庭不和、家庭崩壊など。こういったものは、子どもに対
して直接的ではないにしても、子どもの心に大きな傷を残す。

 が、最近、こんな経験をしている。

 あるところにある母親がいる。年齢は、今年40歳を少し過ぎた。上の子どもが小学5年生
(男児)、下の子どもが小学2年生(女児)。

 母親は、結婚まもなくから、うつ病になった。うつ病には(こだわり)や(妄想性)はつきものだ
が、その母親もそうだった。その母親のばあいも、ささいなことを気にして、それを異常なまで
に針小棒大に問題にした。

 あるときは、隣の浄化槽のポンプがうるさいからといって、夜中に、それを破壊してしまったこ
ともある。そのときは隣人が、その母親の病状を理解し、弁償程度で話がすんだ。あるいは、
家の近くの駐車場を借りているのだが、その駐車場で隣の車が、自分の車に傷をつけたと騒
いだこともある。

 見ると、ほんの数ミリにもならないすり傷だったのだが、その母親は、隣に駐車してあった車
のドアが当たったと主張した。このときは、警察官まで呼んで、実地検分までしたという。

 そういう母親だから、家庭の中では、どんな母親か、容易に察しがつく。数週間の間、家の中
に引きこもったかと思うと、今度は突然、手芸の店を開くといって、夫をあわてさせたりしたこと
もある。が、かわいそうなのは、2人の子ども。そのつど、その2人の子どもは、そういう母親に
引き回された。私が聞いた話に、こんなことがあった。

 2年生の子どもが、学校からテスト用紙をもらって帰ってきた。かけ算の九九のテスト用紙だ
った。見ると、下3分の1程度の答が、ちょうど一列ずつ下へ、ずれているのがわかった。母親
は、自分の子どもが、隣の子どもの答案を丸写しにしたと考えた。(実際、そうだったかもしれ
ないが……。子どもの世界では、よくあることである。)

 そこで母親は、その子どもを問いつめた。しかった。が、それでは足りないと思ったのか、そ
の足で学校へ行き、「しっかりと監視していてほしい」と先生に告げた。

 そういう家庭環境だから、上の子ども(小5男児)は萎縮してしまった。ハキがなく、母親の前
では、いつもオドオドしていた。一方、下の子ども(小2女児)は、やや粗放化した上、虚言癖を
もつようになった。こんなことがあった。

 ある日、突然、その母親が学校の職員室に飛び込んできた。そして大声でこう怒鳴った。

 「○○先生が、うちの娘を殴った。何とかしろ!」と。

 それを聞いた教頭が、授業の途中だったが、担任の先生を呼び、事情を聞いた。しかし担任
の先生には、まったく身に覚えがなかった。ほかの子どもの頭を手で、あいさつがわりに軽くた
たいたことはあるが、その子どもには、なかった。

 それを話すと、その母親は、「うちの娘は、嘘をつかない」「あなたはうちの娘を、嘘つきと言う
のか!」と。さらに大声で怒鳴ったという。

 結局、この話、つまりその先生がその子どもを殴ったという話は、その子どもの作り話とわか
ったという。その前日あまりにも忘れ物が多いので、、その先生が、その子どもにこう言った。
「今度、忘れ物をしたら、君のお母さんに電話するよ」と。そこでその子どもが先手を打つ形
で、先生の悪口を言った。それが「殴った」という話になった。

 こうした症状はともかくも、母親がつくる家庭環境が、子どもの心に大きな影響を与えている
ことは、明白だった。虐待という虐待ではないかもしれないが、それに近い影響を与えていた。
そこで私は、こうした虐待を、「環境虐待」と呼ぶことにした。

 子どもの立場からして、心静かにくつろげる環境がない。家庭が家庭として、機能していな
い。情緒が不安定な母親に、そのつど、生活が乱される。程度の差もあるが、こうした家庭環
境も虐待に準じて考え、ひどいばあいには、子どもの隔離ということも考える。

 虐待といっても、内容、程度は、さまざま。子どもの体に直接危害を加える、「直接虐待」にし
ても、虐待を加える親にしても、始終、虐待を加えているわけではない。ふだんは、むしろやさ
しく、思いやりのある親であることが多い。(もちろん日常的に虐待をしている親もいるが…
…。)

 週に1度とか、月に2、3度とか、そのときの親の気分に左右されて、子どもを虐待する。しか
しそれでも子どもの心に大きな傷跡を残す。そういうことも考えると、ここでいう環境虐待のほう
が、ずっと質(たち)が悪い。そういう前提で、考える。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 間接
虐待 直接虐待 環境虐待)

++++++++++++

間接虐待について、以前
書いた原稿を添付します。

++++++++++++

●間接虐待

 直接虐待を受けなくても、まわりの騒動が原因で、子どもが、心理的に、虐待を受けたのと同
じ状態になることがある。これを私は、「間接虐待」と呼んでいる。

 たとえばはげしい夫婦げんかを見て、子どもがおびえたとする。「こわいよ」「こわいよ」と泣い
たとする。が、その夫婦には、子どもを虐待したという意識はない。しかし子どもは、その恐怖
感から、虐待を受けたときと同じキズが、心につく。これが間接虐待である。

 というのも、よく誤解されるが、虐待というのは、何も肉体的暴力だけではない。精神的な暴
力も、それに含まれる。言葉の虐待も、その一つである。言いかえると、心理的な苦痛をともな
うようであれば、それが直接的な虐待でなくても、虐待ということになる。

 たとえば、こんな例を考えてみよう。

 ある父親が、アルコール中毒か何かで、数日に1回は、酒を飲んで暴れたとする。食器棚を
押し倒し、妻(子どもの母親)を、殴ったり、蹴ったりしたとする。

 それを見て、子どもが、おびえ、大きな恐怖感を味わったとする。

 このとき、その父親は、直接子どもに暴力を加えなくても、その暴力と同じ心理的な苦痛を与
えたことになる。つまりその子どもに与える影響は、肉体的な虐待と同じということになる。それ
が私がいう、間接虐待である。

 が、問題は、ここにも書いたように、そういう苦痛を子どもに与えながら、その(与えている)と
いう意識が、親にないということ。家庭内騒動にせよ、はげしい夫婦げんかにせよ、親たちは
それを、自分たちだけの問題として、かたづけてしまう。

 しかしそういった騒動が、子どもには、大きな心理的苦痛を与えることがある。そしてその苦
痛が、まさに虐待といえるものであることがある。

 H氏(57歳)の例で考えてみよう。

 H氏の父親は、戦争で貫通銃創(銃弾が体内を通り抜けるようなケガ)を受けた。そのためも
あって、日本へ帰国してからは、毎晩、酒に溺れる日々がつづいた。

 今でいう、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)だったかもしれない。H氏の父親は、やがてア
ルコール中毒になり、家の中で暴れるようになった。

 当然、はげしい家庭内騒動が、つづくようになった。食卓をひっくりかえす、障子戸をぶち破
る、戸だなを倒すなどの乱暴を繰りかえした。今なら、離婚ということになったのだろうが、簡単
には離婚できない事情があった。H氏の家庭は、そのあたりでも本家。何人かの親戚が、近く
に住んでいた。

 H氏は、そういうはげしい家庭内騒動を見ながら、心に大きなキズを負った。

 ……といっても、H氏が、そのキズに気がついていたわけではない。心のキズというのは、そ
ういうもの。脳のCPU(中央演算装置)にからんでいるだけに、本人が、それに気づくということ
は、むずかしい。

 しかしH氏には、自分でもどうすることもできない、心の問題があった。不安神経症や、二重
人格性など。とくに二重人格性は、深刻な問題だった。

 ふとしたきっかけで、もう一人の人格になってしまう。しかしH氏のばあい、救われるのは、そ
うした別の人格性をもったときも、それを客観的に判断することができたこと。もしそれができ
なければ、まさに二重人格者ということになったかもしれない。

 が、なぜ、H氏が、そうなったか? 原因を、H氏の父親の酒乱に結びつけることはできない
が、しかしそれが原因でないとは、だれにも言えない。H氏には、いくつか思い当たる事実があ
った。

 その中でも、H氏がとくに強く覚えているのは、H氏が、6歳のときの夜のことだった。その夜
は、いつもよりも父親が酒を飲んで暴れた。そのときH氏は、5歳年上の姉と、家の物置小屋
に身を隠した。

 その夜のことは、H氏の姉もよく覚えていたという。H氏は、その姉と抱きあいながら、「こわ
い」「こわい」と、泣きあったという。その夜のことについて、H氏は、こう言う。

 「今でも、あの夜のことを思い出すと、体が震えます」と。

 心のキズというのは、そういうもの。キズといっても、肉体的なキズのように形があるわけでは
ない。外から見えるものでもない。しかし何らかの形で、その人の心を裏からあやつる。そして
あやつられるその人は、あやつられていることにすら、気がつかない。そして同じ苦痛を、繰り
かえし味わう。

 間接虐待。ここにも書いたが、この言葉は、私が考えた。

【注意】

 動物愛護団体の世界にも、「間接虐待」という言葉がある。飼っているペットを、庭に放置した
り、病気になっても、適切な措置をとらないことなどをいう。

 
Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(2146)

●韓国の失業率

++++++++++++++

大卒の就職率が、0・25(4分の1)
というのに、日本の失業率より低い?

韓国の朝鮮N報ですら、最近、(やっと)、
この数字を疑い始めた。

(やっとだぞ!)

++++++++++++++

 朝鮮N報は、こう伝える(8月22日)。

 『……一方、政府は昨年の失業率が3・5%で、失業者の数は83万人だったと発表した。そ
れによると一昨年よりも失業率は0・3%低下し、失業者数も6万人減ったことになる。しかしこ
の統計資料では「ただ働いていない」という126万人と、「就職の準備をしている」という、53万
人を失業者から除外していた。失業率がそれほどひどくないように見せかけるため、こうした方
法をとったのだ』(原文のまま)と。

 ここでいう「昨年」というのは、06年度をいう。

 3・5%で83万人ということは、逆算すると、全体の就業者人口は、(83÷0・035=2371)
で、2371万人ということになる。前回も書いたように、韓国では、4週間のうちに、たった1日
でも、たった1時間でも働いたら、失業者とみなされない。

 それはわかるが、この83万人という数字には、「働いていない=就職活動もしていないという
人」と、「準備をしている人」が含まれていない。その2つの数を合計すると、(126+53=17
9)で、179万人となる。

 この179万人に、失業者と呼ばれる83万人を加えると、実際の失業者は、262万人とな
る。この数を、就業者人口の2371万人で割ると、(262÷2317=0・113)で、11・3%とな
る。

 つまり実際の失業者は、11・3%ということになる。

 3・5%と11・3%! これが韓国の失業者の実態というよりは、韓国政府の、数字マジック
の実態と言ってもよい。こうした数字マジックは、まさに韓国政府のお家芸。こんな例も、朝鮮N
報は、指摘している。そのまま転載させてもらう(8月22日)

 『2005年7月、行政自治部は「本人の名義で土地を所有している人は、国民全体の28・
7%にすぎない」と発表した。

行政自治部がこうした統計資料を発表したのは、国民の71・3%はまったく土地を所有してい
ないということを強調し、不公平性の問題を提起するためだった。その意向に従い、国政ブリ
ーフィングではこの統計資料を引用して「多くの国民がむなしさを覚え、二極化が進んでいるこ
とを痛切に感じている」と説明した。

 ところがこの統計資料にはからくりがあった。ほとんどの場合、土地は世帯主の名義で登記
されている。そのため、土地所有者の割合を計算するなら、分母は国民全体の数ではなく、世
帯数でなければならない。

そのように算出方法を変えると、土地所有世帯の割合は57・4%となる。行政自治部が土地
所有状況を把握するのに、どんな計算をすべきかすら分からないはずがない。

しかし結果的に行政自治部の担当者は、乳幼児や未成年者まで「土地を持たない人」の数に
入れたのだ。政府の高位関係者がこうした内容の統計資料を欲しがっていることを知った上
で、大韓民国が「持つ者」と「持たざる者」の二極化が進んだ社会だという結論を下せるよう、
わざと数あわせが行われたのだ』と。

 隣の韓国という国の話だから、日本人の私たちには関係のないことかもしれない。しかしこの
手法を使って、さまざまな形で、経済指標もごまかしている。それについては、今までに、何度
も取り上げてきたので、ここでは省略する。

 たとえば経済成長率についても、韓国政府の公式報告によれば、ここ数年、5・0%前後を維
持しているという。しかしこの数字には、重大な疑惑がある。目下、その資料を集めているとこ
ろなので、近々、このマガジンで報告できると思う。

 ともかくも、韓国の大本営発表だけを鵜呑みにして、韓国に投資していると、たいへんなこと
になる。加えて、南北会談もある。いったい、ウラで、韓国のN大統領と、K国の金xxは、どん
な取り引きをしようとしているのか? 

先の第1回目の南北会談では、5億ドル(600億円)という現金が、裏金として、金xxに渡され
た。そのお金は、当然のことながら、核兵器開発にも使われた。金大中は、その功績(?)が
認められて、ノーベル平和賞まで受賞している。まさに「金で買ったノーベル賞」ということにな
る。

私たち日本人は、これから先、韓国のN大統領の言動を、じゅうぶん疑ってみたほうがよい。
注視、また注視!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(8月24日)

+++++++++++++++

昨夜、いつものように扇風機を
つけて寝て、しばらくしたら、
はげしい悪寒。

体中が、小刻みにブルブルと
震えた。あわてて毛布をかぶり、
ワイフにしがみつく。

急激に外気が冷えたらしい。

時刻はわからないが、2度目に
目を覚ましたのは、午前4時。

どこかのだれかと議論している
夢を見ていた。それで興奮状態になり、
目が覚めた。

しかたないので、そのまま起きる。 

++++++++++++++++

●メモリーの不調

 現在、ビスタマシーンのメモリーを、3GBに増設して使用している。インターネットを使ってい
ると、ときどき、インターネットの画面が飛んでしまう。「そういうものかなあ……」と思っていた
が、昨日、メモリー・チェックをしてみたら、「メモリーに欠陥がある」とのこと、

 メモリー・チェックは、(システムとメンテナンス)→(管理ツール)→(メモリー診断ツール)でで
きる。心配な方は、自分でメモリー・チェックをしてみたらよい。

 しかたないので、1GB分、メモリーをはずす。バルク品なので、保証はなし。「不良品交換は
2週間以内」とレシートに書いてあるのが、うらめしい。買った直後に、メモリー・チェックをすれ
ばよかった!


●レーザーマウス

 昨日、近くのショッピングセンターへ行ったら、レーザーマウスを、1980円で売っていた。小
型のものだったが、即、購入。

 以前、レーザーマウスを使っていたが、パソコンとの相性が悪く、そのままお払い箱に。が、
今度のは、今のところ、問題ないようだ。スイスイと動く。

 ボール式のマウスは、ゴミがたまって、よくない。そのたびに動きが鈍くなる。


●今日の目標

 今日は、近くのパソコンショップへ行き、新しいメモリーを購入するつもり。再び、3GBに。本
当は、そんなにメモリーを必要としない。ビスタは、1GBが適正。2GBでじゅうぶんということだ
そうだ。しかし私はいつも、最高のパフォーマンスを求める。またそうでないと、満足しない。だ
から再び、3GBに!


●夏になると、体がだるい

 夏になるたびに、体がだるくなる。できるだけクーラーには当たらないようにしている。が、そ
れでも、いたるところで、クーラーに当たってしまう。コンビニ、書店、車、バス、タクシーの中な
ど。そのたびに、体温調整が狂う(?)。

 教室でも、このところクーラーを入れっぱなし。これは私のためではなく、参観の父母のた
め。

 ところで数年前のことだったが、睡眠中もクーラーをかけるようにしてしまったことがある。そ
のためそのあと、ひどい目にあった。ある日、昼寝をしたのだが、そのあと、体が動かなくなっ
てしまった。以後、クーラーには当たらないように心がけている。

 が、それでも、だるい。頭の動きも鈍い。

 文をスイスイとこうして書けるのは、早朝の、今の時間帯だけ。


●円が116円

 ビスタにしてから、円相場がリアルタイムで、わかるようになった。ガジェットという機能のおか
げである。それによれば、現在円は、1ドル当たり、116円前後。日銀が政策金利の利上げを
見送ったため、再び、円キャリーが世界的規模で始まったという。

 金利の安い日本で円を借り、その円を一度アメリカドルに換えたあと、それぞれの国で投資
する。それが円キャリー。アメリカドルに換えるとき、円を売るから、円安になる。

 いいのかなあ……? こんなことつづけていて……?

 いつの間にか、日本は、世界経済を左右するだけの実力をもってしまった。規模そのもの
が、ちがう。そういう日本が、円を世界に、垂れ流す。世界は、お金でジャブジャブになる。まさ
にインフレの輸出。

 各国の投資家たちは、日本から借りた円→ドル→各国の通貨で、土地を買ったり、株を買っ
たりしている。土地投機や株投機にも、資金が回っている。

 問題は、いつかそういう円が、日本へ逆流してくるということ。そのとき、日本は、どうなるの
か?

 こわいなあ……?


●ウソ

 ウソにもいろいろある。しかしそれにボケ(認知症)が重なると、わけがわからなくなってしま
う。明らかにウソなのだが、本人は、「ウソではない」とがんばる。

 人は加齢とともに、頭の働きが鈍くなる。判断力や記憶力が低下する。ときに、自分でしたこ
とや、言ったことを忘れてしまう。だから結果的にみると、相手にウソを言ったのと同じ状況に
なることがある。反対に、ウソを言われたのと同じ状況になることがある。

 よい例が、老人特有の、あのウソである。

 私の義姉も、頭のボケた母に、よくこう言われたそうだ。「私のサイフをどこへやった!」「金
を返せ!」と。

 自分でどこかへサイフを置き忘れておきながら、それをその母は、義姉のせいにした。

 言うなれば、ウソがウソであるためには、「故意」が必要ということか。故意のないウソは、ウ
ソでないということになる。たとえば、思い違いがある。義姉の母にしても、本気で、義姉がサイ
フを盗んだと思っているのだから、ウソではないということになる。ウソをついているという意識
すらない。

 だからますますわけがわからなくなってしまう。

 ……と書きながら、実は、私は自分自身のことを心配している。このところ、ときどき、自分で
自分に自信がなくなるときがある。ここに書いた思い違いをすることも、たびたびある。思い過
ごし、取り越し苦労も多くなった。今のところ、もの忘れ、ど忘れというには少ないので、ありが
たい。が、しかしそれも時間の問題。

 こうした脳みその訓練を怠れば、あっという間に、私もボケ老人の仲間入り。平気でウソをつ
くようになるかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【常識を疑う】

●男女観

 男女観ほど、あてにならないものはない。「男だから……」「女だから……」という論理ほど、
これまたあてにならないものはない。

 世界中どこへ行っても、男は男、女は女と、もしあなたが考えていたら、それは大きなまちが
い。国というより、民族によって、男女観は、みなちがう。

 一般的に言えば、欧米先進国(日本も含めて)では、比較的、男女観は共通している。男女
観には、それほど大きな差がない。みな、アメリカでもヨーロッパでも、「男はたくましく、攻撃的
で、女はやさしく、おとなしい」とか言う。

 しかしだからといって、世界中の人たちが同じように考えているとしたら、まちがい。たとえば
日本と中国(中国といっても広いが……)とくらべただけでも、大きくちがう。これはあくまでも私
の印象だが、中国の女性は、日本の女性よりも、たくましい。強い。日本的に言うなら、女らしく
ない。さらにニューギニアのような国へ行くと、男と女が、逆転している民族もいるそうだ(ミー
ド)。

 たとえばムンドグモル族は、男女ともに攻撃的で粗暴、冷酷。アラペシュ族は、男女ともに、
女性的で、自己主張せず、温和だそうだ。中には、チャンブリ族のように、男女の立場が、逆
転している民族もいるという(清水弘司著「性格心理学」より)。

 そういうところでは、男は、チンチンのある女、女は、おっぱいのある男ということになる。(ゾ
ーッ!)

 で、この日本。日本人は日本人として、極東にある辺境の島国で、これまた独特の男女観を
つくりあげてしまった。「われわれはニューギニアの原住民たちとはちがう」と思いたい気持ち
も、わからないでもない。が、特異性という点では、日本もパプアニューギニアも、それほど、ち
がわない。

 そうした名残というか、遺物は、今でも日本の社会のあちこちに、見られる。日本の社会に深
く、根をおろしている。たとえば今、あなたはどんな男性をあなたは「男らしい」と言い、どんな女
性をあなたは「女らしい」と思っているか。それをほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほし
い。

 その(像)こそが、実は、日本という風土の中で作られたものにすぎない。

 だから冒頭の話になる。

 男女観ほど、あてにならないものはない。「男だから……」「女だから……」という論理ほど、
これまたあてにならないものはない。

+++++++++++

ここまで書いて、「内助の功」
という言葉を思い出した。

私はこれほどまでに、男尊女卑、
つまり極東の島国的なものの
考え方もないと思うが、いまだに
こうした考え方が、この日本では
大手を振ってまかりとおっている。

+++++++++++

【日本の常識、世界の非常識】

●「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっ
ているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=
巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわ
からないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ
伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いこと
をしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ一九歳の舞妓を、「仕事のこやし」と称して、
手玉にして遊ぶこともできる。

●「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。そ
の背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」
と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食
い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすと
いうことは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、
ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

●「森進一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民
族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい
人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論に
はじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分の
マザコン性を正当化する傾向がある。

●「かあさんの歌」論……窪田聡氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待
ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙
を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買
っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村の
みんなと温泉に行ってくるよ」だ。

●「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いら
れた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるま
でもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約二
三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と
いう考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●「♪おふくさん論」

 森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし
……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日
本人独特の子育て法と言ってもよい。

あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あ
まりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日本では昔から、親にベタベタと甘える子
どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として
嫌う。

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意
識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男
児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもちろん
のこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室に戻って
きたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできな
い。できないというより、じっと待っているだけ。

多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだ
が、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをその
ままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭で
は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え
方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこ
と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、5歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき
た。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの
よ。じゃましないでね」と。

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させる
こと」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどう
だろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、そ
れである。

たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だから何
とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依
存心が強くなると、こういう言い方をする。

私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」
子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答
が、いつまでも続く。

 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ
……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、
日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●夫婦の別称制度

 日本人の上下意識は、近年、急速に崩れ始めている。とくに夫婦の間の上下意識にそれが
顕著に表れている。内閣府は、夫婦別姓問題(選択的夫婦別姓制度)について、次のような世
論調査結果を発表した(2001年)。

それによると、同制度導入のための法律改正に賛成するという回答は42・1%で、反対した人
(29・9%)を上回った。前回調査(96年)では反対派が多数だったが、賛成派が逆転。さらに
職場や各種証明書などで旧姓(通称)を使用する法改正について容認する人も含めれば、肯
定派は計65・1%(前回55・0%)にあがったというのだ。

調査によると、旧姓使用を含め法律改正を容認する人は女性が68・1%と男性(61・8%)よ
り多く、世代別では、30代女性の86・6%が最高。別姓問題に直面する可能性が高い20代、
30代では、男女とも容認回答が8割前後の高率。

「姓が違うと家族の一体感に影響が出るか」の質問では、過半数の52・0%が「影響がない」と
答え、「一体感が弱まる」(41・6%)との差は前回調査より広がった。

ただ、夫婦別姓が子供に与える影響については、「好ましくない影響がある」が66・0%で、
「影響はない」の26・8%を大きく上回った。調査は2001年5月、全国の20歳以上の5000
人を対象に実施され、回収率は69・4%だった。

なお夫婦別姓制度導入のための法改正に賛成する人に対し、実現したばあいに結婚前の姓
を名乗ることを希望するかどうか尋ねたところ、希望者は18・2%にとどまったという。

わかりやすく言えば、若い人ほど夫婦別姓に賛成だということだが、夫婦別姓が問題になるこ
と自体、私たちの世代では考えられないことであった。「結婚した女性は、その家に入るもの」
という考え方が、常識でもあった。言いかえると、今、私たちが経験しつつある変化は、まさに
革命的とも言えるものである。それこそ1000年単位でつづいた日本の常識が、ここでひっくり
返ろうとしている。そうした目で、この問題を考える必要がある。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●マザコン型人間

 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。こ
のうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、いわゆ
る溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。

 その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままおとな
になるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。たいていは
げしい家庭内暴力をともなう。

 で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなになる。おとな
になっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言うようになる。このマザ
コンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の息子と思い込むこと。(圧倒的
に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考える。)それはちょうど溺愛ママ
が、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そして献身的かつ犠牲的に、母親に尽く
すことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛ママが、自分の溺愛ぶりを他人に誇示する
のに似ている。

 つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的に美化
しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいことだ」と。そういう
前提を自分の中につくる。そのために、親のささいな言動をとらえて、それをおおげさに評価す
ることが多い。これを「誇大視化」という。「巨大視化」という言葉を使う人もいる。

「私の母は、○○のとき、こう言って、私を導いてくれました」とかなど。カルト教団の信者たち
が、よく自分たちの指導者を誇大視することがあるが、それに似ている。「親孝行こそ最大の
美徳」と説く人は、たいていこのタイプの男性とみてよい。G氏(五四歳男性)もそうだ。何かに
つけて、一〇年ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれかが批判めいたことを言おうも
のなら、猛烈にそれに反発する。あるいは自分を悪者にしたてても、死んだ母親をかばおうと
する。

 マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たいていは
夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが多い。しかし
悲劇はそれで終わらない。

マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくことは、まずない。「親をとるか、妻をとるか」と迫ら
れたりすると、「親をとる」とか、「当然、親」と答えたりする。反対に妻に、「親のめんどうをしっ
かりみてくれなければ、離婚する」などと言うこともある。そもそも結婚するとき、婚約者に「(私
と結婚するなら)親のめんどうをみること」というような条件を出すことが多い。親は親で、そうい
う息子を、できのよい息子と喜ぶ。あとはこの繰り返し。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●マザコン・テスト

 つぎの一二の質問項目のうち、6つ以上、当てはまれば、かなりのマザコン人間とみてよい。
(権威主義的なものの考え方が混在しているタイプのマザコン人間。)

( )いつも生活の中心に親がいる。親がいないと何も始まらないという感じ。重要なことは、何
でも親に相談したり、報告したりする。
( )「親は絶対」という意識が強く、親に反抗したり、親を粗末にするということは、考えられな
い。献身的かつ犠牲的な親孝行をするのが、子どもの務めと考えている。
( )「親を選ぶか、妻を選ぶか」という択一に迫られたようなとき、「親!」と当然のように考え
る。そういう意味では、妻は、親の前では家政婦のような存在でしかない。
( )親の悪口を言ったりする人を許さない。あるいは徹底的に反論し、それを「息子のカガミ」
と、かえって他人に誇示することが多い。
( )常日ごろから、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、親に感謝することを美
徳とする。また自分の息子や娘にも、同じように思うように求める。
( )親を喜ばすことを、最大の目標とし、一方親は親で、そういう息子を、「親孝行で、できのい
い息子」と評価することが多い。
( )家庭や家族の中での上下意識が強く、自分の親には服従的である一方、自分の子どもが
反抗したりすると、「親に向かって何だ!」というような言い方をする。
( )妻や家族といるよりも親といるほうが、なごやかな雰囲気になり、安心しているような様子
や表情を見せる。
( )自分の妻よりも、母親のほうに、より広く心を開くことができる。悲しいことやつらいことが
あると、妻に相談するよりも先に、母親に相談することが多い。
( )森進一の「おふくろさん」を聞いたりすると、涙を流さんばかりに感動したり、それを「すばら
しい歌」と評価する。
( )親の間では、まさに「子ども」といった感じになる。親は親で、まるで子ども扱いをし、またそ
う扱われることを当然と納得している。
( )親を必要以上に美化することが多い。親のささいな部分をとらえて、親のすばらしさ、ある
いは自分の親のすばらしさを強調する。

 こうしたマザコン人間に、それを指摘すると、猛烈に反発するので、注意すること。マザコンで
あること自体が、その人の人生観の基本になっていることが多い。したがって妻の立場でいう
なら、仮に夫がマザコン人間であるなら、それを受け入れるしかない。この問題は対処のし方
をまちがえると、たいへんな家庭騒動に発展する。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●いかに子離れするか

 いかに子どもを育てるかという問題と、いかに子離れするかという問題は、本来、同等のも
の。しかしこの日本では、後者(子離れ)は、なおざりにされ、むしろ、親は子離れなどすべきで
はないという考え方が支配的である。「親子の縁は切れるものいではない」という言い方をする
人もいる。そしてその返す刀で、子どもが親離れすることを、「悪」と決めてかかる。あるいはそ
れを許さない。

 こうした風習は、地方の山村地域ほど顕著で、私が生まれ育った岐阜県の地方では、親に
ベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。そして独立心が旺盛で、
親を親とも思わない子どもを、鬼ッ子として忌(い)み嫌う。こうした傾向は、旧来型の日本の社
会ではふつうに見られることで、多かれ少なかれ、ほとんどの日本人に残っている。そしてそれ
が全体として、日本独特の親子関係をつくる。

 たとえば日本人は子どもを育てるとき、子どもによい思いをさせることが、親子のきずなを太
くする方法のひとつと考える。またそうすることで、子どもは親に感謝しているはずと考える。た
がいの依存心を何よりも大切にする。(甘え、甘えられる)関係といってもよい。それがあるべ
き親子の理想の姿と考えている人も多い。

 一般論として、子どもが依存心をもつことに無トンチャンクな親というのは、自分自身も潜在
的に、だれかに依存したいという潜在的な願望をもっている。つまりその潜在的な願望が、子
どもの依存心に甘くなるというわけである。そしてそれがさらに全体として、日本型の子育て法
として、親から子へと、代々と受けつがれていく……。

 が、ここにきて、その「流れ」に大きな変化がみられるようになった。若い世代を中心に、欧米
型の個人主義が台頭し、旧来型の親子関係を否定する動きである。尾崎豊の言葉を借りるな
ら、「しくまれた自由からの卒業」(「卒業」)ということになる。が、それは同時に、そのまま家庭
教育に混乱となってはねかえってきた。結果として「家庭の教育力は低下した」(S県教育委員
会)が、しかし実際には、家庭の教育力は低下していない。むしろ教育力は高くなっている。親
子のふれあいの時間は、40年前、30年前とくらべても、飛躍的にふえている。

問題は、教育力の低下ではなく、新しい価値観になじめない親たち、新しい価値観を認めない
親たちにある。さらにもっと言えば、古い価値観を否定はしたものの、それにかわる価値観を
作りだすことができない親たちにある。

 話がそれたが、子どもを育てるということは、いかに子離れしていくかという、その一言に尽き
る。いつもこの二つの問題は、常に同時進行の形で、処理されるべき問題なのである。日本人
は子離れ、親離れの問題を、あまりにも軽んじてきた。論ずる人も、(私をのぞいて)いない。し
かしそれでは、今の日本をおおう、もろもろの問題は解決しない。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●代償的不満

 ある女性がこう言った。「私の夫は、あと片づけをほとんどしません。親から、そういう教育を
受けていないからです」と。こういうのを代償的不満という。本来の不満を覆い隠しながら、別
の不満にすりかえる不満と考えればよい。で、どこが代償的不満?

 このケースのばあい、(夫があと片づけをしない)という不満が、本来の不満。しかしこの女性
は、それを(親からそういう教育を受けていない)という形にすりかえている。が、実のところ、こ
れも代償的不満。

 このケースのばあい、(夫そのものへの不満)、さらには、恐らく(夫の両親への不満)も、そ
の背景にある。つまりそうい不満が、姿を変えて、(教育を受けていない)(あと片づけしない)と
いう不満へとなっていった。

 こうした代償的不満は、子育ての世界では、ごくふつう見られる。よくあるケースが、学校の
先生に対する親の不満。「私の子どもの先生は、宿題の出し方が不規則で、気分的で困りま
す」など。こういうケースでは、その背景に、(自分の子どもをていねいにみてくれないという不
満)、さらには、恐らく(自分の子どもの学力が思うように伸びないという不満)も、ある。こうした
不満が、姿を変えて、先生への批判へとなっていく。

 また子どももそうだ。たとえば子どもは、塾などへ行きたくなくなると、「行きたくない」とは言わ
ない。そういうときは、塾の先生の悪口を言い始める。「まじめに教えてくれない」「えこひいきを
する」「さぼって雑誌を読んでいた」など。つまりそういうことを親に言いながら、親をして、「そん
ならやめなさい」と言うようにしむける。A君(小五)は、学校の先生に、「今度宿題をやってこな
かったら、親に電話する」と脅されたのがきっかけで、その日から毎日、学校の先生の悪口を
言うようになった。いわば先手を打ったということになるが、こうしたケースは日常茶飯事。 

 子どもの意見に耳を傾けるのは、大切なことだが、しかし本来の原因(問題)がどこにあるか
を判断することも忘れてはいけない。そのひとつのヒントが、ここでいう代償的不満。この言葉
を知っているだけでも、子どもの心がよりはっきりと読めるようになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2147)

●タレントの世界

 ときどき「タレントになりたい」という子どもがいる。そういうとき私は、「よしなさい」と言うことに
している。理由がある。

 私は若いころ、いろいろなテレビ番組の企画を書いていた。そのとき、ときどきモデルが必要
なときがあった。そのときのこと。これから先は、事実だけを書く。

 モデルが必要なときは、テレビ局の正面玄関とは別にある、裏玄関の掲示板に、メモを張
る。「Aショー、○月○日、水着モデル、一名」と。するとそのメモを、通称「人買いのおばちゃ
ん」という人が読み、あちこちからモデルを集めてくる。たいていは年配の女性がその仕事をし
ていたので、「おばちゃん」と呼んでいた。で、全国放送ともなると、一回の募集で、二〇〜三〇
人の若い女性が集まった。

 そういうときは、その場でオーディションを開く。N局のばあい、別棟の二階がそういう部屋に
あてられていた。その部屋の一室に、女の子たちを並べる。そしてディレクターが、こう声をか
ける。「ハーイ、上を脱いで!」と。すると女の子たちが、一斉に服を脱ぎ始める。中にはモジモ
ジしている女の子もいる。するとディレクターがつづいて、そういう女の子に対しては、「あんた
とあんたは、もう帰っていい」と。

 で、その中から、もっともスタイルのよい女の子を選ぶ。一度、裸にするのは、「テレビに出た
ときの度胸を試すため」だ、そうだ。が、ここで終わるわけではない。

 ある夜、その翌日出演予定の、Kというタレントとホテルの一室で打ち合わせをしていたとき
のこと。突然、連絡なしに、モデルの女の子がそのホテルへたずねてきた。人買いのおばちゃ
んに連れられてやってきた。一応「あいさつにきた」ということだったが、実は一夜をそのKとい
うタレントと過ごすためである。当時はそうしたあいさつ(?)は、半ば常識だった。つまりモデル
志望の女の子は、そういう形で、体を売りながら、マスコミの世界で自分の立場をつくってい
た?

 それから二五年になる。今は、状況も違うだろう。システムも変わったかもしれない。モデルと
かタレントとかいっても、いろいろなレベルの人がいる。だからみながみな、こうしたオーディシ
ョンやあいさつ(?)をしているわけではない。しかしその世界は、私たちがテレビ画面から見る
のとは大違い。少なくとも二五年前には、その背後ではドス黒い人間の欲望と、策謀が渦巻い
ていた。きれいか汚いかと言われれば、あれほど汚い世界はなかった。だから私は言う。「よし
なさい」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●言葉教育

 私はときどき、英語で原稿を書く。そこで書いたあと、アメリカやオーストラリアの友人に添削
を頼む。だが、ここでおもしろい現象に出あう。どの人も、「それで意味がわかるから、このまま
でいい」と、なおしてくれない。「文法のミスはないか?」と聞くと、「あるが、それでわかるからい
い」と。こうしたおおらかさは、日本には、ない。

 最近、あることがあって、アメリカの友人が、冷やし中華のことを書いてきた。日本で食べた、
冷やし中華がおいしかったので、そのレシピを教えてほしい、と。そのときのことだが、彼は、
「中華」を、「tyuka」と書いてきた。正しくは、「chuka」か? 

……と考えたところで、私はハタと自分の愚かさに気づいた。そんなのは、どちらでもよいでは
ないか、と。しかもそういうことにこだわるのは、日本人の悪いクセだ。実際、世界広しといえど
も、日本人ほど「形」や「型」にこだわる民族はいない。いないものは、いないのであって、どうし
ようもない。

アメリカでも、オーストラリアでも、子どもたちの作文を見ても、あちらの先生は、スペルや文法
(ルール)のまちがいには、ほとんど関心を払わない。大切なのは、中身という考え方が徹底し
ている。ウソだと思うなら、ここに私が書いていることを、あなたの周囲にいるアメリカ人やオー
ストラリア人に確かめてみることだ。「言葉教育」に対して、考え方が基本的な部分で違う。

日本の教育は、子どもたちが将来、文法学者になるためには、きわめてすぐれた体系をもって
いる。しかし将来、文法学者になる子どもは、いったい、何%いるというのか。数学にしても、英
語にしても、そうだ。日本の教育は、将来数学者や、英語の文法学者になるのは、きわめてす
ぐれた体系をもっている。しかし、将来そういう道に進む子どもは、何%いるというのか?

 日本の教育は、もともとどこかのエラーイ大学の先生たちが作った。だからおもしろくない。だ
から役にたたない。言葉教育(作文、読書)についても、同じ。茶道や華道ではあるまいし、もっ
とおおらかでいいのではないのか。大切なのは、いかに考え、いかに的確に表現し、いかに正
しく相手に自分の気持ちを伝えるか、あるいはいかに正しく相手の気持ちを知るか、だ。

本筋を忘れたとき、教育は基本的な部分でゆがむ。日本の教育は、その本筋を忘れている。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●白黒

++++++++++++++++

白人の世界では、YES・NOをしっかりと
言う。

中国でも、そうだ、そうだ。

昨日、上海から久しぶりに帰省した、
Mさんもそう言っていた。

一方、この日本では、(あいまい)な
言い方を美徳とする。白人の世界の
ように、白黒をはっきり言わない。

もっともこのことは、日本で生まれ、
日本で育った人には、よくわからない
かもしれない。

それに地域差も、ある。たとえば私
が生まれ育った、岐阜県のM町では、
それがひどい(?)。

しばらく住んでいると、何が本当で、
何がウソかわからなくなってしまう。
ときにタヌキとキツネの化かしあいの
ような雰囲気になることもある。

表では愛想よくつきあいながら、
裏では、その人の足を引っ張るような
行為も平気でする。

そんな話を、Mさんとする。

私「ぼくのばあい、ああいう世界に同化
することは、もう無理だと思います」
M「……」
私「ああいう世界で生まれ育ったという
ことは、不幸だったかもしれません。
結局は、心を開けない人間になって
しまいました」と。

私のような生き方が正しいというわけ
ではない。人、それぞれ。しかし私は、
これから先も、そのつど、白黒をはっきり
させながら、メリハリのある人生を送りたい。

わかりやすく、すっきりとした人生を
送りたい。それで嫌われても、さらに
敵をつくっても、それはそれでしかたの
ないこと。

Mさんと話しているとき、そんなことを
心の中で決めた。

Mさんへ、

マガジンの申し込み、ありがとうござい
ました。

++++++++++++++++

●パソコンの故障

 昨日、パソコンの調子が、突然、おかしくなった。インターネットがつながらなくなった。製造メ
ーカーに相談すると、マザーボードの故障かもしれませんということになった。

 大変なことになった!

 で、あれこれパソコンをいじること、30分。が、よく見ると、先日取り付けた、USBの増設ポ
ートが、半分、はずれかかっているのがわかった。ネジがゆるんでいた。さっそく、USBの増設
ポートを取り外した。それで一件落着。

 今日の楽しみ。新しいメモリーを購入してくること。再び、2GBから、3GBに、メモリーを増設
する。

 そうそうビスタ(ULITIMATE)では、ハードディスクの内容を、そっくりそのままDVD−Rにコ
ピーする機能がある。それを使えば、万が一の時でも、そっくりそのままハードディスクを生き
返らせることができる。昨夜、そのコピーをした。

 ところでそのネジの話だが、先日の中華航空の爆発事故は、そのネジが原因だったという。
ネジがはずれて、燃料タンクに穴をあけた。たった一本のネジで、パソコンは動かなくなる。た
った一本のネジで、飛行機は爆発する。


●何がアブノーマルなのか?

 正常と異常とは、どこがどうちがうのか? その間に一線を引くのは、むずかしい。先日も書
いたように、最近の考え方によれば、こうした区別をしないのが、主流になりつつある。正常と
思っていても、それが異常だったり、反対に、異常と思っていても、それが正常だったりする。

 よい例が、同性愛。私が学生のことは、同性愛は、異常と考えられていた。しかし今では、だ
れも、そんなふうに考える人はいない。社会的な常識を、個人に押しつけること自体、まちがっ
ている。そう、その社会的常識そのものが、狂っていることだって、ありえる。

 ほかにたとえば、性欲過剰もある。あの小林一茶などは、毎日の性交回数を、日記につけて
いた。「○月○日、三交。○月○日、四交……」と。若い妻と結婚したこともある。毎日、少ない
日でも2回。多い日になると、4回とか5回も、性交をしていた。

 どこでどうやって、やったのだろう? そのへんのことも気になるが、まあ、それで当人どうし
がハッピーなら、他人がとやかく言う問題ではない。

 信濃町の小林一茶の記念館のHPには、こうある。

 『……50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年よう
やく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男
金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡
くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの
間に次女やたが生まれました』と。

 小林一茶にも、いろいろな面があったようだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2148)

●男(女)が、離婚を決意するとき

++++++++++++++

熟年離婚がふえている。
私のまわりでも、騒がしくなってきた。

静かに離婚する人、
大騒ぎして離婚する人、
笑いながら離婚する人、
泣きながら離婚する人、

人それぞれだが、実のところ、
私たち夫婦も、あぶない。

人は、「仲がいいですね」と言うが、
本当のところは、自分でも、
よくわからない。

世の中には、「仮面夫婦」と呼ばれる
夫婦もいる。私たちも、それかも
しれない。

ただ離婚するには、「離婚限界」という
ものがある。

10数年以上、家庭内別居、しかも
ほとんどたがいに口をきかない状態で、
それでも離婚しないで、がんばっている(?)
人もいる。ほんのささいな、傍から見れば、
何でもない問題を理由として離婚する人もいる。

どの程度を「限界」とするかは、その人
個人によって、みな、ちがう。つまり「離婚限界」
というのは、みな、ちがう。

だからこの問題ほど、デリケートなものは、
ない。ないが、離婚するならするで、
未練(みれん)は、完全に燃焼させておく
こと。

それが残っていると、離婚はできない。

……そんな話を、A氏(61歳男性)が、
昨夜、電話でしてくれた。

A氏は、ちょうど1年前。60歳の定年退職を
迎える、2か月前に離婚した。

「一時は、自殺まで考えた」とか。しかし
「自殺するくらいなら、またひとりでやりなお
したほうがいい」と。

それでそのまま離婚した。

+++++++++++++++

 A氏が離婚を決意したのは、こんなことがきっかけだったという。

 その夜、A氏と、A氏の妻は、車で、郊外にある旅館をめざしていた。夜、8時ごろのことだっ
たという。月に1、2度は、その旅館で、週末を過ごしていた。

 それまで車の中では、ほとんど会話がなかった。が、途中で、A氏が車をおりた。「お前は、
ぼくとM荘(=行きつけの旅館名)へ行きたいのか」と聞いたとき、A氏の妻が、「どちらでも…
…」と答えたからだという。

 で、A氏は、そこから自宅をめざして歩き始めた。距離にして10キロ近くある。夏の暑い夜の
こと。10キロの道のりはきつい。

 ときどきA氏は、振り返りながら、道を歩いた。しばらく、時間にすれば、3〜4分ほど車は止
まっていたが、最後に振り返ったときには、車は、そこから消えていた。

 A氏の妻は、そのまま旅館へ向かった。「歩いて帰りたければ、どうぞ」という、A氏の妻、独
特の冷たさを、A氏は感じたという。その瞬間、A氏は、離婚を決意した。

 「妻は、私をその時点で捨てたのですね。ふだんはやさしい(?)女性なのですが、心のどこ
かに、いつもぞっとするような冷たさを秘めたような女性でした」と。「でもね、その瞬間、同時
に、私の心の中から、妻への未練が消えました」とも。

 が、A氏は、それからすぐ離婚したわけではない。離婚するにも、それなりの準備というもの
が必要。子どもも、2人(上が30歳、下が25歳)いた。財産分けの課題もある。「2人の子ども
たちは、妻側につくのがよくわかっていましたから、かえって気が楽でした」と、A氏は言う。

 が、『覆水、盆にかえらず』というが、一度こわれた男女の仲ほど、無惨なものはない。それ
からたがいに、たがいの顔を見るのもいや、においをかぐのもいや、洗濯物をいっしょに洗う
のもいやという状態になった。一気に離婚へとつき進んでしまったという。期間にすれば、わず
か1か月もなかったという。

 私が「それまでの思い出はどうなったのですか? 楽しい思いでもあったでしょ?」と聞くと、A
氏は、笑いながら、吐き捨てるように、こう言った。「そんなもの、関係ありませんよ。離婚する
ときは、自分の過去そのものを、消したいという衝動のほうが、強くなりますから」と。

私「でも、その程度の夫婦げんかなら、だれだってするでしょう?」
A「しかしあの夜のできごとは、象徴的でしたね。妻は、私を捨てたわけですから」
私「捨てた?」
A「そう、それをはっきりと感じました。これから先、10年とか、20年とか、いっしょに生活する
自信が、そのとき消えました」と。 

 A氏はそのあと、こんなことも話してくれた。

 「もともと私の妻は、私とは結婚したくなかったのですね。何かにつけて、私を否定しました。
おかしなことですが、30数年もいっしょに過ごしたのですが、妻は私には、最後の最後まで、
心を開いたことがありません。G教というという信仰団体に身を寄せたこともあります。だから
妻の言葉の端々に、私に対する軽い敵意のようなものを、いつも感じていました。

 そんな妻ですから、毎日、私にすれば、腫れ物に触れるかのような接し方をしなければなりま
せんでした。一見すると、やさしくて親切な妻なのですが、私はいっしょにいても、全幅のやすら
ぎを感じたことはありませんでした。そういう夫婦生活に、そのころ、疲れを覚え始めていまし
た」と。

 若いときは、健康だし、多少の誤差なら、それを修正するだけの気力もある。男と女を結びつ
ける精力もある。が、50歳をすぎると、それが消える。とたん、それまで心の奥に隠してきたも
のが、どっと表に出てくる。

 そうそうA氏は、こうも言った。「ぼくが妻に、『お前は心の開けない女性だ』と言ったことがあ
ります。しかし心を開けない女性というのは、(心が開けない)という言葉の意味、そのものが理
解できないのですね。自分では、心を開いているつもりなのですから……。相手が心を開いて
いるかどうかは、心が開いている人からでしか、わからないものでしょうか。妻の心は、いつも
クローズしていました。結婚してからこのかた、一度たりとも、甘い声で、「あなたア〜」と私に甘
えてきたことはありません。私の妻は、そういう女性でした」と。

 私たち夫婦も、似たようなもの。しかしこういうことも一方で言われているので、注意したらよ
い。

 「離婚した夫婦には、できるだけ、近寄らない方がいい」と。

 離婚には、連鎖反応がある。近くに離婚した人がいると、その離婚した人に触発されて、自
分も離婚に……というケースは、たいへん多い。心のどこかでくすぶっていたモヤモヤに、火が
ついてしまうためらしい。

 ただし一言。離婚することが、悪いということではない。離婚したからといって、人生に失敗し
たということでもない。離婚も、人生の中では、ひとつのドラマでしかない。誤解のないように!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●脳梗塞

+++++++++++++

私の親類の、伯父たちは、
皆、脳の病気で死んでいる。

昔は、「チュウフウ」とか「ノイイッケツ」
とか言ったが、脳梗塞、くも膜下出血、
脳内出血をいう。

がんで死んだ人は、ひとりもいない。
父方の兄弟には、がんで死んだ人が、
1人いるが、息子というのは、母方の遺伝子を
強く受け継ぐという。根拠は知らないが、
昔から、そう言う。

だから私は、脳梗塞、もしくは脳内
出血がこわい。

それで死ぬのはかまわないが、半死の
状態になったら、どうする?

みんなに迷惑をかけるだけ。またそんな
醜態を、さらけだしたくない。

++++++++++++++

 「今日か?」「明日か?」と、ときどき、思う。私はいつ、なんどき、脳梗塞か何かになって倒れ
てもおかしくない。家系が家系である。私の母方の伯父たちは、みな、脳の病気で倒れてい
る。脳に、遺伝的な欠陥があるためらしい。

 G町に住む、いとこの説によれば、脳の中に、脳動脈瘤(りゅう=こぶ)があるためだそうだ。
そこに血液がたまって、ある日突然、爆発する。だからそのいとこは、毎年、脳の検査を欠か
したことがない。が、私は、一度もそういう検査を受けたことがない。それをいとこに話すと、
「そんなばかなことをしてはいけないよ。CT検査は1日ですむんだから」と。

 そう、私は、ばか。相手が脳梗塞なら、(くも膜下出血でよいが)、死ぬときは、一気に死にた
い。くも膜下出血にしても、仮にそれで一命をとりとめたとしても、そのあと、脳血管れん縮とよ
ばれる現象がつづいて起こることが知られている。

 脳血管れん縮が起こると、そのまま脳梗塞を引き起こす。これがそのあと、さまざまな障害の
原因となる。

 いきなり暗い話で、ごめん。このところ、脳梗塞か何かになって、通りを、懸命に歯をくしばり
ながら歩いている男性をみかけたりすると、とても、他人ごとのように思えなくなった。「明日
は、我が身かな」と。

 だから一応、健康には気をつかっている。これはあくまでも素人考えだが、血液をサラサラに
しておけば、少なくとも、血栓性の脳梗塞は避けられるのではないか。だから夏場は、水分の
補給を、じゅうぶんするようにしている。

 そのほかに……。こればかりは、どうしようもない。

 ヤフーの「家庭医学」HPによれば、くも膜下出血について、こうある。

 「脳動脈瘤は約2〜3%の人が持っているとされ、その破裂率は年間に0・7〜2%とされていま
す。年間に10万人中10〜20人がくも膜下出血を発症するといわれています」と。

 生きるのも、死ぬのも、偶然と確率の問題。私は10中8、9、脳動脈瘤をもっているから、今
年死ぬ確率は、0・7〜2%。

 それまで、私は生きて、生きて、生き抜いてやるぞ!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2149)

●外責型人間VS内責型人間

+++++++++++++++++

何かのことで、責任を問われたりすると、
「お母さんが悪い」「友だちが悪い」と、
その責任を、他人に転嫁するタイプの子どもがいる。
このタイプの子どもを、(おとなもそうだが〜)、
外責型人間という。

心理学の世界には、「帰属理論」という言葉も
ある。責任をだれに帰属させるかという点で、
同じように、外的帰属型、内的帰属型に分けて
考える。

用語はちがうが、中身は、同じ。

外責型人間=外的帰属型、内責型人間=
内的帰属型ということになる。

このほかに、その中間にあって、責任を
問われても、へらへらと茶化してしまう、
無罰型というのもある。

たとえば子どもがお茶をこぼしたばあいを
考えてみよう。

子どもが部屋を走っていて、たまたまそこに
客に来ていた人の、お茶をこぼしてしまった
とする。

そのとき、「お母さんが、そんなところに
お茶を置くから悪いのよ」と、即座に、
他人のせいにするのを、外責型人間(外的
帰属型)という。

一方、すかさず、「ごめん。私が走っていたから
悪かった」とあやまるのを、内責型人間(内的
帰属型)という。

その中間にあって、ヘラヘラと笑いながら、
「お茶がこぼれちゃった。ぞうきん、ぞうきん!」と、
その場をやりすごしてしまうタイプを、無罰型と
いう。

外責型人間は、それだけ無責任で、責任を
いつも他人に向けるので、ストレスを内に
ためない。

内責型人間は、それだけ責任感が強く、ストレス
を内にためやすい。「まじめ」という評価を受けるが、
社会生活がその分だけ、ぎくしゃくしやすい。

+++++++++++++++++

 これは私たち夫婦のことだが、私のワイフは、完全に、外責型人間。一方、私は、完全に、
内責型人間。まったくタイプのちがう人間が、今、(夫婦)をしている。(あるいは長い時間をか
けて、たがいに分業するようになったのかもしれない。)

 つい先日も、2人で、コンサートに行くことになっていた。しかし会場に行ってみると、コンサー
トはすでに終わっていた。

 「16:00会場、16:30開演」を、ワイフは、「6時会場、6時半開演」と読みまちがえた。それ
を指摘すると、ワイフはすかさず、こう言った。

ワ「あら、このチケット、時間がちがっている」
私「ちがっていない」
ワ「だって、6時なのに、16:00と書いてあるわ」
私「ちがう。お前が読みまちがえた」
ワ「まぎらわしいわね。ちゃんと、午後4時からと書いてくれればいいのに」と。

 私ならこういうケースでは、即座に、あやまる。「ああ、ごめん。まちがえた。16:00会場を、
午後6時会場と思いこんでしまった」と。

 が、ワイフは、その段階でも、まだ自分の非を認めない。私が、「お前は、16:00と午後6時
のちがいもわからないのか」となじると、「だれだって、まちがえること、あるでしょ」「あなただっ
て、この前、講演時間をまちがえたじゃない」と。

 すなおに、「ごめん、まちがえた」と言ってくれれば、私も救われる。が、ワイフはちがう。つま
りワイフのようなタイプの人間を、外責型人間、あるいは外的帰属型という。

 外責型人間は、言い訳がうまく、自分への圧力を、外の世界にかわす。だからストレスをた
めない。うつ状態になることも少ない。

 一方、内責型人間は、自分の中にストレスをためるので、先にも書いたように、責任感が強
い分だけ、うつ状態になることも多い。

 そこであたた自身は、どうかということ。少し前に書いた原稿を、そのままここに転載する。

【友だちに、あなたはこう言われた。「昨日は君が遊びに来たから、ぼくは(私は)今日のテスト
ができなかった」と。そのとき、あなたはどう言い返すだろうか?】



 
★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったんだ。ほんと
うに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いったんだよ。ボ
クのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるいじゃん。それに、キミ 
めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)


★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだって、あそび
たかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかった」(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができなかったんでし
ょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶんがわるくな
るんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってから べんきょ
うすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他責・固執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他責・固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よかったじゃ
ないか」(他責・固執型)

++++++++++++++++

 ざっと読んだところ、子どもの世界では、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにして、どこ
までも自分には責任がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だが、A君
は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、思慮深く、静か
な落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、相手を責め
まくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反対の回答を書いたと
しても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかという点
で、たいへん興味深かった。

 なおこの(P−Fスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分けて考える
(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおもしろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのものである。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 P−F
スタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト はやし浩司 外責型人間 内責型人間 帰属理論
 外的帰属型 内的帰属型) 


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2150)

●顔形を決める遺伝子

++++++++++++++++++++++

最近知った事実で、興味深かったのは、
こんなこと。

たとえば、北方のアルタイ系(顔がさつまいも型の
上下が尖ったような形で、眉毛が薄く短い。
目も小さく、まぶたは二重ではない。眉間は広くて、
額も縦に長い。中央がふくらんでいて鼻先が
尖っており、ひげは少ない)と、南方系(四角い顔に
額は横に広く、縦は狭くて、眉毛は濃く、目が大きい。
二重まぶたで唇も厚い)の男女が結婚して、子ども
をもうけたとする。

するとその子どもは、アルタイ系と、南方系の中間型に
なるのではなく、どちらか一方の「型」に偏った顔形
になるそうだ。

わかりやすく言えば、四角い顔の父親と、丸い顔の
母親が結婚して子どもをもうけたとすると、その
子どもは、四角い顔か、丸い顔のどちらかになるという。
中間の卵型になるということは、ないそうだ。

そのため、複雑に「血」が混ざっていても、生まれてくる
子どもは、民俗学的に分類できるようになるという
(韓国。韓南大チョ・ヨンジン(美術解剖学)教授による)。

実際の顔写真を掲載するわけにはいかないので、イラスト
で表現してみる。

 

日本でも、顔の形から、タヌキ型とキツネ型、あるいは
醤油型とソース型に分類して考える人がいる。チョ教授の
研究は、それを一歩、前進させたものということになる。

また日本では、この種の研究は、「差別につながる」という
ことで、タブー視されてきた面がないとは言えない。こういうのを
骨相学というが、とても残念なことに、世界の中でも、
もっとも貧弱な骨相をもっているのは、私たち、この日本人
ということになっている。

韓国ですら、「8種の基本型は時差をおいて移住してきた
韓半島周辺種族の流入による」「(そのため8種の型に)
分類することができる」とのこと(同教授)。

日本は、幸か不幸か、こうした血の交流を受けてこなかった。

たいへん興味深い研究なので、これから先、折りにつけ、
この問題を取りあげてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 骨相
学 アルタイ系 南方系 顔の形 顔形)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今日・あれこれ】

++++++++++++++

今朝は、あまり気分がよくない。
体も、だるい。食欲も、ない。
夏バテか? それともうつ状態?

こういうときは、パッと何か、買い物
でもすればなおるのだが、最近
株取引で、XX万円も、損をした。

そこでしかたないので、今は、小口の
株を買い、数万円くらいもうけたところで
即、売り。

少しずつ、損金を取り戻しつつあるが、
この分だと、全額取り戻すのに、Xか月
はかかりそう。

あ〜あ! コツコツやるしかない!

言い忘れたが、気分がよくないのは、
株取引のせいではない。

いろいろあった。それが重なった。

こういうときは、何か、気分をかえて、
新しい分野に挑戦してみるのがいい。

++++++++++++++

●『赤信号、みんなで渡れば、こわくない』

++++++++++++++

I社の発行する、「M」という雑誌に、
川柳10選というのが、載っていた。
それに、Bたけし氏の、『赤信号、
みんなで渡れば、こわくない』というのが、
選ばれていた。

寸評に、「抑圧された状態からの、
開放感を感ずる、さわやかな川柳」
(要約)とあった。 

++++++++++++++

 ときどき赤信号を無視して、つっこんでくる車がある。まじめなドライバーほど、そういうとき、
ヒヤリとする。とくにこの浜松市では、それがひどい。交通事故率、ワースト・ワンと言われる理
由も、そこにある。

 信号を守るか、守らないかは、道徳とか倫理とか、そういうレベルの問題ではない。マナーで
もない。そんなことは、車を運転するものの、常識。歩行者にしても、そうだ。相手の立場で考
えれば、それがわかるはず。

 そこで改めて、「開放感」について考えてみる。

 たとえばこの川柳が、『素っ裸、みんなで裸になれば、こわくない』というのであれば、私にも
理解できる。あるいは『世間体、みんなで無視すれば、こわくない』でもよい。

 しかし赤信号は、困る。自分はそれで開放感を味わうことができたとしても、相手は、どうな
のか。わかりやすい例で言えば、暴走族がいる。あの連中は、赤信号でもクラクションを鳴らし
ながら、平気で無視する。本人たちはそれで開放感を覚えるかもしれない。が、そのまわりの
人たちこそ、えらい迷惑。ときに事故に巻き込まれる。

 それを「さわやかな開放感」とは?

 もしBたけし氏の川柳が、さわやかな開放感を覚えるものであるとするなら、こんな川柳は、
どうか。

 『ガラス割り、みんなでやれば、こわくない』
 『銀行強盗、みんなでやれば、こわくない』
さらに、
 『列車爆破、みんなでやれば、こわくない』と。

 つまり『赤信号、みんなで渡れば、こわくない』は、この範囲の川柳だということ。さらに残念な
ことは、こうしたどこか心のゆがんだ(?)川柳が、天下の雑誌の中で、10選として選ばれ、そ
れなりの評価を受けているということ。言いかえると、Bたけし氏の心も病んでいるが、社会も、
病んでいる。病んでいながら、だれも、それに気づかないでいる。

 私たちはいつも、子どもたちに、「信号を守ろう」「それは自分たちの命だけではなく、相手の
命を守るため」と教えている。が、その一方で、東京や日本を代表する(?)、こうした文化人
(?)が、平気で、それをこわしていく。

 この日本では、正論や、まともな意見は、受けない。(私のエッセーが、そのよい例。)Bたけ
し氏の意見のような、どこかメチャメチャな意見ほど、受ける。世間はおもしろがり、喜ぶ。「さ
わやかな開放感」と評価する。

 いいのかなあ……?、とちょっと疑問に思ったところで、この話は、おしまい。書けば書くほ
ど、自分のしていることに、むなしさを覚えてしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●うつ病

++++++++++++++

悶々と晴れることのない気分。
抑うつ感、妄想、気分停滞、不快感、
何をしても、おっくう。悲観、そして
絶え間なく襲ってくる孤独感、不安感。

うつ状態を簡単に表現すれば、そう
なる。

なぜ、私が、うつ病に詳しいかって?

ははは、私も、うつ病? うつ症?

ふとしたきっかけで、気分が落ち込む。
うつ状態になる。病院の世話にこそ
なったことはないが、いつ世話になっても、
おかしくない状態? いつもその一歩
手前で、ふんばっている。

しかしうつ病は、もともと(まじめ人間)が
なりやすい。自責型人間が、なりやすい。

加えて、私もこの年齢。楽しいことよりも、
憂うつなことのほうが、多い。

アメリカでは、人口の3分の1の人が、
うつ病と言われている。うつ病であることを
恥じる理由など、どこにもない。

大切なことは、うつ病を治そうと考えるの
ではなく、どううまく、つきあっていくか
ということ。

愛知県T市に住んでいる、Dさんという
方から、こんなメールが届いた。

+++++++++++++++

【Dさんより、はやし浩司へ】

10年前にうつを発病しましたが、結婚後まで生活に支障をきたすものではありませんでした。
長女出産後から、育児ノイローゼ、反復性うつ病と診断されました。

昨年、実父のがん闘病と死、実父の多額の借金(返済完了)、長男の熱性痙攣、次女の食物ア
レルギーが重なり、私のうつが悪化し、次女と無理心中未遂をしたこともあります。

その後、警察、児童相談所の世話になり、私も精神科に入院し、今は自宅で子供たちと暮らし
ています。

調子のよい日、悪い日の差が激しく、子供に対してイライラが募ります。

家族仲良く暮らしたいのですが、自分の感情のコントロールが上手くできず、今後が不安で
す。
私自身、引きこもりがちでそんな自分が嫌でもがいています。

どうぞアドバイスを宜しくお願いします。

【はやし浩司よりDさんへ】

 うつは、脳間伝達物質の変調が原因で起こるというのが、定説です。つまり、脳の機能的な
病気で、それゆえに、だれでも、なりうる病気ということ。

 ただ脳の中枢部分が変調するため、自分で自分のことを客観的に知ることは、たいへん難し
い。脳の機能が変調しながらも、それが(私)と思いこんでしまう。たとえば自殺願望にしても、
当の本人は、ほんとうに死にたいと思っている。「死にたい」と思うこと自体が、病気によるもの
だとういうことがわからない。

 が、うつ病の正体がわかってくると、自分で自分を客観的に見ることができるようになる。書
店へ行くと、その種の本がたくさん出ているので、それを読むのもよい。私は、そうした。

 それに最近では、たいへんよい薬が開発されている。「変調」を、「正常」にもどす薬である。
うつ病など、あまり深刻に考えずに、(Dさん自身は、深刻な状態にあるかもしれないが……)、
薬で治すすものは、薬で治せばよいのでは? 「心の風邪」と表現する人もいる。

 精神科に通っておられる様子なので、ここは精神科のドクターを信頼して、そちらで相談なさ
るのがベストかと思う。

 同病者(?)として、あえて一言。

 気分が落ちこんだときは、いつも「ああ、これは本当の自分ではないぞ」と思うこと。心の中の
どこかをさがすと、もう1人の「私」がいるはずだから、そのもう1人の「私」を、信ずること。私で
ない「私」に振り回されていると、いつの間にか、私でない「私」を、ほんとうの私と思いこみ、本
当の私を見失ってしまうから、注意!

 「私」ほど、そういう意味では、あてにならないものはない。


●自分の顔を、文字で表現してみました。
(使用、フリーソフト、「TextArtist」)

   :  : 国国田山国国目           
   国国田国山国=目三国国国国田       
 田国国: 国国国三=目: : 三国山国国山     
山三 国田三三三田三三=山=三三国=国国    
=〜国国国=三三〜三: 〜三三山国=目山国山   
 目目国〜田山: 〜〜=三 山山山目=山=三   
 山国三目=山国三: =〜=: : 目〜=国: 国〜  
 山目〜田田国国目田目三山山〜: 目田国山国国  
 〜山三山三国国国国目: 三山三〜三: 目目田〜山山
  国=国田国田国国国三三目三三山三=田国田  
 目国山目国国〜国目=田田三目田国目山山三三田田
 =国田目田山目: 三山〜:  田田〜=目国目三田田
 国田〜国田三= :  :       田国国田山山
 国目国国国:          国:  =国国山山
 国山国国国  目国国     国国国山=国国国
国国国国国:  三国国  山   :  国国 国国国
山田国国国  =:    三三国     三国国国
 田国国国     三三 三 〜山三三  国国国
: : 三国田:    国=  :  田    〜国山山
三三 国国 目             山国三三
山山 三国:  国   田〜:   山    田山山
= 三 三:       :        三山〜〜
 三 国:  〜     : 国   三   目  
 =〜 : :        国国国国国   三  
   : 山国    三国〜  山〜〜      
      =   山: 田 〜三    田   
      :        国田   =    
   三 国国田          三     
  三= 目山三国=        三     
  山目 〜 : 目国〜      国      
  山 目=: 三: 目 国国 : 国三       
  三   : :  : 国三目山三         
  三   : 三 〜〜〜: 三目         
  〜        〜 三三         

 行間をつめれば、ひょっとしたら、私らしい顔になるかもしれません。

(もう1作)

・‐‐・‐‐‐‐‐‐‐・‐‐・‐・‐・・・‐‐・‐‐‐‐・‐‐
‐・・・‐‐・・‐‐・‐・・・・・‐・‐‐‐・・‐・・‐‐‐‐
‐‐・・・・‐・‐‐・・・‐‐‐・・・・‐・‐‐・・・‐‐・・
‐・‐/・・・・・・・・・・・‐・‐・・・・・・・・・‐・‐‐
‐‐・・・・‐・‐苗・‐・‐・‐・・‐・・・・‐・‐‐・‐‐‐
・・・・‐・・鷹・蟹・・・+苗描瀧蟹母・・‐‐・‐‐‐・・‐‐
・・・・・‐・蟹/母・龍蟹鷹・・・・ 鷺欄瀧・・・‐‐・・・・
・‐・・‐・・蟹中・・ヌ・‐‐‐‐‐・‐‐・欄母・・・・‐‐‐
‐‐・・・・中瀧‐‐‐‐・・・‐・・・・‐・・描母‐‐‐・・・
・‐・・‐用母‐・・・・瀧欄蟹蟹鷺瀧用・‐‐・・欄‐・‐‐‐‐
・・・・/母・・・・・‐‐・・・・・・龍晃‐‐・‐欄‐‐‐・・
・‐・・龍・/蟹・・・‐‐‐・‐・‐‐‐‐龍・・‐鷹・‐‐‐‐
・・・毛・・描・・‐‐‐・‐・‐・‐‐・・/鷺・・メ母・‐・・
・・申母・刀晃・・・‐・‐‐・・‐・・・・・母母・‐欄・・・・
・・母・・包・・・・・‐・‐・・‐‐・‐・‐・蟹・・瀧・‐・・
‐・瀧・・瀧・・・・・・・・・・‐‐・‐‐・・龍・・瀧‐・‐‐
・+毛・メ用/・瀧鬱・・‐‐・鬱欄鬱中・‐・・包/‐鷹‐‐‐‐
・中+・メ母・瀧欄母・・・・・/鷹蟹瀧‐・・・毛メ・鬱・・・・
・申/・毛用母鬱中毛欄蟹刀・・・・中鷹鷺‐・‐晃・鷹瀧・‐・・
・/母・母鷹/・龍‐・・母鷹・・刃晃・・瀧母・蟹蟹・・欄・‐‐
・・蟹・・・・描・・・・・蟹・メ晃・・・・瀧・‐・・・・龍・・
・・・蟹刀‐・描・‐・・・刀母晃・・メ‐・母申・・・‐‐瀧‐‐
・/蟹欄母‐中申・・用晃‐・蟹瀧・鬱母欄・母母・・・・メ晃‐‐
・鷹‐・・・刀申・母母母/‐鷺鷹・瀧‐母‐描/‐・・・鷺‐・・
刀母・・・・メ母・母/・・申母龍・・‐・・龍・+母瀧瀧申・‐‐
晃・・‐・・/苗・・・・・鷹・母瀧メ・メ龍・・・・瀧・‐・・・
龍・・・・・・蟹/‐・・包刃・‐/鷹包・・‐・・・瀧・‐・‐‐
描欄中描鬱母・刀欄鷹母鷹用瀧‐・包・・‐‐‐‐‐‐龍・・‐‐‐
‐‐メ+龍・・‐‐・・・苗刃・・苗‐・‐‐‐・・‐瀧・・‐・・
・・・用・・・‐・‐・・龍・‐・中母・・・・‐‐・龍・‐・‐‐
‐・・鷹・・・‐・・・‐蟹鷺欄龍瀧母・‐‐・・‐‐蟹・・‐・・
・・・鷺・・・‐・・・・・/・・・・‐‐ヌ・‐‐・鷹・・‐‐‐
・・・晃・・・・・・母欄欄瀧欄鬱龍苗・・鬱欄・・‐龍・・・‐‐
・‐・龍・・・/・・描・・‐‐・・・・+毛・・‐‐鷹・・・‐‐
・‐‐鷹・・・・欄申・・‐・‐‐・・中描‐・・・毛母・‐・‐‐
‐・・晃・・・/晃蟹・・・‐・‐・描中・・‐・・苗+‐‐‐・・
‐‐・晃・・・‐・‐龍蟹中母鷹鷺鷹・・・・‐・・瀧・・・・‐‐
・・・鷹・・・・‐・・・‐・・・‐‐‐‐・‐・鷺申・‐・・‐‐
‐・・鷺・‐・・・・・‐・・‐・・‐・・‐メ描ヌ・・・・‐‐‐
・・・・蟹・・・・・・・‐‐‐・‐・/描晃用・‐・‐・・‐‐‐
・‐・・・龍鬱龍瀧瀧瀧蟹母‐・・‐瀧刀・・‐・・・‐‐・‐・・
・・‐・・‐・‐・・・‐龍‐‐・・蟹・・・・・・・・・・・・・
‐・・‐‐・‐‐‐・・・苗‐・・・龍‐‐・・・・・・・・・  
・・‐・・‐・‐‐・・・中母・・・晃・・・・・・・・‐‐‐‐‐
・・・・・・・・‐‐・・ヌ鷺・・・鷹・・・・・・・‐‐‐・・・
‐・・・‐‐‐・・・/瀧蟹母‐‐・蟹欄蟹龍蟹母・・‐‐‐‐・・
・‐‐・‐‐・・‐・瀧・・‐・・・・・‐・‐‐・‐・・‐・‐‐
‐‐‐‐・・・・・‐・・・・・・・・・・‐・‐・‐‐・・‐‐‐
‐・‐・・・‐‐‐・・・‐‐・・・‐・・‐‐・・・・・・・‐‐


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(8月29日)

++++++++++++++

久しぶりに、涼しい朝だ。
ところで昨夜、皆既月食が観察
されたとか。

残念! 見損なった! 今朝の
新聞で、それを知った。

++++++++++++++

●電話機

 昨夜、FAX電話機の寿命が尽きたので、新しいのを買ってきた。子機が2台もついていた。
それを使って、夜中まで、ワイフと遊んでいた。子機どうしの会話もできる。感度もよい。デジタ
ル通話とかで、電波も、100〜200メートルは、届くのではないか?

 性能は、格段とよくなっていた。この世界も、日進月歩。あるいは月進年歩か? うちでは留
守番電話機(+FAX)は、P社製と決めている。使い勝手が一貫している。買い換えても、その
まま使える。


●一眼レフカメラ

 先週、デジタル一眼レフカメラを、アメリカに住む二男に送ってやった。つまり、払い下げ。し
ばらく使ってみたが、どうも、使いにくい。大きいし、それに最小画素数でも、2MB。これでは、
インターネット上では、使い物にならない。そのつど画像を縮小しなければならない。インターネ
ット上では、0・3MBでじゅうぶん。

 結局、コンパクトカメラに逆戻り。今は、もっぱら、P社製のTZ1を使用している。

 しかしまた楽しみがふえた。「今度はどの機種にしようか」と、パソコンショップへ行くたびに、
カメラコーナーをのぞく。株でもうけたら、買うつもり……と言いつつ、またまたアメリカでは、株
価が暴落した。日本の株価も、暴落するだろう。円も、今朝は、1ドル=114円前後になってい
た。

 円高に揺れているということは、円キャリー解消の動きが出てきたということか? ここはじっ
と静観のとき。あわてて行動すると、損をする。

 (いっぱしの投資家みたいな口をきいて、すみません!)


●今日の予定

 今朝は、ワイフは、クラブへ。毎週水曜日の午前中は、私が留守番係。それにしても、気持
ちのよい朝だ。昨日のあの暑さが、ウソみたい!

 こういうときは、雑誌を読んだり、本を読んだりして、時間を過ごすのがよい。この「最前線の
子育て論byはやし浩司」も、今日で、2150作目になった。次回からは、2200作〜ということ
になる。

 またこの原稿から、マガジン10月号。

数日前、マガジンのほうで、読者アンケートをしてみたが、それに答えてくださったのは、2人!
 (計4人だったが、うち2人は、私とワイフ。)少し前の私なら、「もう、やめた!」とマガジンを
廃刊にしていたかもしれない。

 現実は、まあ、こんなもの。……と、自分をなぐさめる。


****************以上、2150作****************





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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス 現場からの子育
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